私は過去、社会を騒がせた様々な凶悪事件の犯人と面会や手紙のやりとりをしてきた。そんな中、一度手紙をもらっただけでありながら、生真面目そうな文面が強く印象に残っている男がいる。沖倉和雄という。7年半ほど前に東京都あきる野市で起きた資産家姉弟強盗殺人事件の犯人の1人で、裁判で死刑が確定しながら病気のために世を去った男だ。

沖倉から届いた手紙

◆強盗らしからぬ丁寧な物言い

事件の経緯を振り返っておこう。

沖倉(当時60)があきる野市で暮らす資産家の姉弟、A子さん(当時54)とB男さん(同51)の家に共犯者の男(同64)と一緒に押し入ったのは、2008年4月9日の夜8時ごろだった。沖倉は、1人で在宅していたB男さんにサバイバルナイフを突きつけると、次のように「脅迫」したという。

「強盗です。お金を出してください」

こうした強盗らしからぬ丁寧な物言いは、沖倉が元々、市役所に長く務めた公務員だったことと無縁ではないと思われる。だがしかし、沖倉がこの後、共犯者の男と共に敢行した犯行は、弁明の余地がないほど残酷きわまりないものだった。

まず、共犯者の男がB男さんの両手足を粘着テープで拘束。そして沖倉と共犯者の男が室内を物色していると、ほどなくA子さんが帰宅してくる。そこで沖倉がA子さんにもサバイバルナイフを突きつけ、「私は強盗です。お金を取りに来ました」と脅迫すると、共犯者の男がA子さんの両手足も粘着テープで拘束してしまう。こうして2人の強盗は資産家姉弟から現金35万円とキャッシュカード35点を奪うのだが、凄まじいのはこのあとだ。

2人は、両手足を拘束しているA子さんとB男さんの頭部にポリ袋をかぶせ、首のあたりに粘着テープを巻いて密封。このように姉弟が息のできない状態にして放置し、窒息死させてしまったのだ。その挙げ句、長野まで姉弟の遺体を運び、山の中に埋めた――。

翌2009年に沖倉が東京地裁立川支部の裁判で死刑判決を受けた際、判決はこの犯行態様について、「冷酷非道で残忍なことこの上なく、極めて悪質である」と厳しく指弾した。まことにその通りだ。

◆まじめな公務員はなぜ身を持ち崩したのか……

沖倉と共犯者の男は犯行後、姉弟のキャッシュカードで総額500万円以上の現金を引き出してアシがつき、あえなく逮捕。いち早く罪を認めた共犯者の男は東京地裁立川支部の裁判で「心底からの反省悔悟の態度」が認められて無期懲役判決を受け、そのまま確定したが、一方で沖倉が死刑判決を受けたのは「終始主導的な立場だった」と認定されたためだった。

沖倉はその後、2010年に東京高裁の控訴審でも死刑を支持する控訴棄却の判決を受けるのだが、私が沖倉に取材依頼の手紙を出したのは、最高裁の審理も佳境を迎えていた2013年の秋のことだった。

私が沖倉に関心を抱いたのは、やはりその経歴ゆえだった。

沖倉は大学卒業後、いくつかの職を経て1997年4月に本籍地の秋川市(現・あきる野市)の市役所に採用されると、2004年12月に勧奨退職するまで27年間に渡って勤務した。公務員としての仕事ぶりはまじめだったという。

裁判で明らかになったところでは、そんな男が退職後に開店したスナックの経営に失敗したり、麻雀の負けがかさんだりして約4700万円の借金を抱える羽目に。そして金目当てに許されざる罪を犯すのだが、沖倉はなぜ、そこまで身を持ち崩さねばならなかったのか・・・。

私は、当時東京拘置所に収容されていた沖倉本人にそれを直接聞いてみたいと思ったのだ。

そしてほどなく沖倉本人から返事の手紙が届くのだが、それには次のように綴られていた。

・・・・・・以下、引用・・・・・・

片岡健様

取材についての件ですが、私はまだ現在、話ができる状況ではありません。折角、切手、ハガキまで送ってきていただきましたが、真に申し訳ありません。お許しください。
今後の片岡様のご活躍をお祈り申しあげます。
ご希望に添えないので、切手、ハガキ、返送いたします。ご気分を悪くなさらないでください。

平成25年10月3日  
沖倉和雄  

・・・・・・以上、引用・・・・・・

私は、拘置所や刑務所に収容されている人物に取材を申し込む際には、返信用の切手やハガキを同封することにしている。取材を断る際、その切手やハガキを返送してくる者はたまにいるが、これほど丁寧な言葉で取材を断る者は珍しい。私はこの手紙を読み、沖倉が公務員時代、まじめな仕事ぶりだったというのは本当なのだろうと改めて思ったのだった。

「私はまだ現在、話ができる状況ではありません」というのは、最高裁の審理が佳境を迎えた時期に取材など受けている精神的余裕は無いということだろう。そう理解した私は取材を諦め、沖倉にお礼の手紙を出すと、これを境に沖倉のことは一度忘れてしまったのだった。

沖倉の「終の棲家」となった東京拘置所

◆実は闘病中だった

沖倉は私に手紙をくれた約2カ月半後、最高裁に上告を棄却されて死刑が確定したが、それから7カ月余り経った2014年7月、驚くようなニュースが飛び込んできた。沖倉が脳腫瘍のために獄中死したというのだ。

報道によると、沖倉は前年6月から肺ガンの治療を受けていたというから、私が取材依頼の手紙を出した時はすでにガンで闘病中だったわけだ。そして死の2カ月前には脳腫瘍も見つかっていたそうなので、おそらく最後はガンが全身に転移し、手の施しようがない状態だったのだろう。そのことを知って手紙を読み返すと、私は自分が勘違いしていたのではないかと思うに至った。

「私はまだ現在、話ができる状況ではありません」という沖倉の言葉は、裁判のせいで精神的余裕がないという意味ではなく、「ガンで闘病中のため、話ができる状況ではない」という意味だったのではないか・・・。そんな私の疑問を沖倉本人に確認するすべはない。

沖倉和雄。享年66歳。この生真面目な殺人犯がガンで闘病中、見ず知らずの私にくれた取材お断りの手紙は、彼の遺筆として大切に保管している。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

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