社会の耳目を集めるような殺人事件が起こるたび、インターネット上で被疑者に対する凄絶なバッシングが巻き起こるのが恒例だ。それはひとえに、世の中の多くの人たちは、自分が殺人事件の被害者になることは想像できても、加害者になることは想像できないからだろう。普通の人は通常、テレビや新聞を通してしか殺人事件の情報に接しないので、それも無理はないことだ。

だが、私はこれまで様々な殺人事件を取材してきて、自分や家族がいつ殺人事件の被害者になってもおかしくないと思うと同時に、自分がいつ殺人事件の加害者になってもおかしくないと思うようになった。生まれてから40数年に渡り、殺人事件の被害者にも加害者にもならずに生きてこられたのは、幸運なことではないかとさえ思う。

いま、広島地裁で行われているマツダ社員寮同僚殺人事件の上川傑被告(21)の裁判員裁判を傍聴し、そのことを再認識させられた。

◆相当な悪人物であるかのように叩かれた被告

事件は昨年(2016年)9月中旬、広島市南区にある自動車メーカー・マツダの社員寮で起きた。寮内の非常階段の2階踊り場で、寮の7階で暮らす同社社員の菅野恭平さん(当時19)が頭から血を流し、倒れているのを同僚が発見。菅野さんはすでに死亡しており、広島県警は殺人の疑いで捜査を展開した。そしてほどなく検挙されたのが、同社社員の上川被告だった。

上川被告は菅野さんと同期入社で、やはり寮の7階で暮らしていた。逮捕当初の報道によると、事件当日、菅野さんを車に乗せ、寮の近くにあるコンビニや銀行、郵便局を回り、現金120万円を引き出させたうえ、寮に戻ってから消火器で殴るなどして殺害し、金を奪ったかのように伝えられていた。そして交際していた女性と事件後に宮島でデートしていたことが女性のSNSから判明したこともあり、インターネット上では相当な悪人物であるかのように叩かれていた。

そんな上川被告が強盗殺人の罪に問われた裁判員裁判は、11月14日から広島地裁で始まり、計4回の公判審理を経て同27日に結審。判決は12月6日に宣告される予定だが、検察側が主張した事件の構図はおおよそ事前に報道された通りの内容だった。一方、弁護側は、上川被告が菅野さんに暴行して死なせたことや金を盗んだことを認めつつ、殺意などを否定し、「強盗殺人罪は成立せず、傷害致死罪と窃盗罪が成立するにとどまる」と主張した。そのため、事実関係にはいくつもの争いがあった。

私はこの裁判の大半の審理を傍聴したが、判決の予想から書いておく。検察官の主張する強盗殺人罪はおそらく適用されないだろう。上川被告が強盗目的で犯行に及んだと考えるには、いくつもの疑問が存在するからだ。

事件があったマツダの社員寮

◆強盗殺人を否定するいくつかの疑問

疑問の第1は、上川被告と菅野さんは事件前、共に社員寮の7階で暮らしていたものの、ほとんど付き合いがなかったことである。事件前から2人の間に上下関係があったならともかく、菅野さんがある日突然、単なる同僚に過ぎない上川被告に現金120万円を引き出すことを命じられ、それに従うというのは不自然だ。

第2に、仮に上川被告が強盗目的で菅野さんを殺害するならば、寮に連れて帰ってから犯行に及ぶだろうか。そんなことをすれば、犯行が露呈するのが自明だ。上川被告が菅野さんを殺害して金を奪うなら、車でひと気のない場所に連れて行き、犯行に及ぶのが自然だろう。

第3に、上川被告は事件後、菅野さんから奪った多額の現金(上川被告の主張では、120万ではなく107万円)を自分の銀行口座に入金している。最初から強盗目的で菅野さんを殺害したなら、このようなアシがつくのが自明のことはしないだろう。

上川被告の主張によると、菅野さんを車に乗せ、コンビニや銀行、郵便局を回ったのは、事件当日、菅野さんから「お金をおろしたいんで、車を出してくれない?」と頼まれたからだったという。そして夜勤明けの眠い中、親しくもない菅野さんを車に乗せてコンビニや銀行、郵便局を回った。それにも関わらず、車の中に置いていた交際相手の写真を「上川くんならもっと彼女は可愛いかと思った」と言われて腹が立ち、寮に帰ってから暴行してしまったのだという。

これはあくまで上川被告の主張だが、客観的事実とよく整合していた。凶器の消火器もその場にあったものを使っており、その事実からも強盗の計画があったわけではないことが裏づけられていた。

上川被告の主張が仮にすべて事実だとしても、上川被告は消火器で暴行された菅野さんが倒れて動けなくなったあとでバッグの中の多額の現金を奪い、救急車も呼ばずに逃走しており、弁明の余地はない。上川被告の交際相手に関する菅野さんの発言が仮に事実だとしても、菅野さんに落ち度があったとは到底言えない。しかし、それでもやはり、検察官が主張するような強盗殺人罪の成立は難しいだろう。

先述したように上川被告は逮捕当初、相当な悪人物であるかのように叩かれていたが、法廷で本人を見た印象としては、坊主頭の真面目そうな若者だった。私の経験上、社会を騒がせた殺人事件の犯人と実際に会ってみると、どこにでもいそうな普通の人物であることがほとんどだが、上川被告もまたそうだったというわけだ。

実際のところ、上川被告は事件前にも同僚の車でコンビニに行った際、車内にあった5万円を盗んでおり、品行方正な人物だったとも言い難い。とはいえ、とくに暴力的な人間ではなかったという。公判中は常に苦渋の面持ちで、時折、涙を流していたが、本人も自分が人の生命を奪う事件を起こすなどとは、実際に事件を起こすまで夢にも思っていなかったろう。

私はそんな上川被告の様子を観察しながら、自分のこれまでの人生を振り返り、自分が何かの拍子に彼の立場になっていたとしても何らおかしくなかったように思えてならなかった。

上川被告の裁判が行われている広島地裁

◆殺意が否定されるかも微妙

一方、「傷害致死と窃盗」が成立するにとどまるという弁護側の主張が認められるかというと、それも難しいのではないかと私は予想している。

というのも、上川被告は消火器で菅野さんに暴行したことは認めつつ、「消火器で殴ったのではなく、消火器は手で持ったまま、床にうつ伏せで倒れた菅野さんの背中や後頭部に(重力に任せて)落としただけだった」と弁明し、弁護側はこの行為に殺意はなかったと主張している。しかし、仮に事実が上川被告の説明通りだとしても危険な行為であることに変わりはなく、裁判員たちも殺意の存在を否定しがたいだろう。

また、公判審理には菅野さんの両親が毎回、被害者参加制度を利用して出席していたが、論告求刑公判の際、両親が行った意見陳述は胸に迫るものだった。それもまた裁判官や裁判員の事実認定に影響を与える可能性は否めない。

菅野さんは子供の頃から車が好きで、とくにロータリーエンジンに強い興味を持っていたという。真面目な努力家で、高校卒業後にマツダに入社してからも上司や先輩に可愛がられていたという。母親はそんな菅野さんについて、「自慢の息子だった」「恭平の笑顔が好きだった」「恭平を返して欲しい」「恭平のいない人生は考えられない」などと泣きながら語った。

そして菅野さんの父親と母親が口をそろえたのは、上川被告に「死刑」を望むということだった。父親は「できれば被告人に消火器などで同じことをしてやりたい」と言い、母親も「同じ目に遭わせてやりたい。人の生命を奪っているのだから、生命で償ってもらいたい」と言った。我が子の生命を理不尽に奪われた両親としては、当然の感情だろう。

だが、検察官の求刑は無期懲役だった。つまり、検察官の主張通りに判決で事実関係が認定されても、死刑が宣告される可能性は無いに等しい。そして私の予想通りなら、強盗殺人罪は適用されないから、上川被告の量刑は有期刑になるだろう。

ひとくちに有期刑と言っても、殺意まで否定されて傷害致死罪と窃盗罪が適用されたら、おそらく量刑は懲役10年を上回ることはないだろう。菅野さんの両親の意見陳述を聞いた裁判官や裁判員たちがそのような選択をできるかというと私は疑問だ。

いずれにしろ、自分がいつ殺人事件の被害者や加害者になってもおかしくないし、そうならずに今日まで生きてこれたのは幸運だった。私にとって、そのことを再認識させられる事件だ。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

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11月25日付けの朝日新聞によれば、京都市は京都大学に対して同大吉田キャンパスの立て看板が「京都市の景観を守る条例」に違反する旨の行政指導を行っているという。

11月25日付け朝日新聞

◆京大もいよいよ来るところまで来た

「京都市の景観を守る条例」を使うとは、また姑息な言い訳を探し出したものだ。「自由な学風」と言われた京都大学も「大学総右傾化」に漏れず、いよいよ学生自治の最終的破壊に取り掛かり始めた。

京大では昨年半日だけの「バリケードストライキ」が行われたが、それに関わった京大生は、まず無期停学になり、次いで「退学処分」になった。京大生、学外者を含めて、京大には氏名を明示して「京都大学敷地内への立ち入りを禁止の通告」と仰々しい貼り紙がある。この手の氏名まで特定しての「立ち入り禁止」のお触れは、明治大学で目にしたことがあるが、たった半日の「バリケードストライキ」で退学プラス敷地内立ち入り禁止処分を出すとは、京大もいよいよ来るところまで来たと言えよう。

現在の京大山極壽一総長は霊長類の研究者として知られており、総長就任の直前に元京大教授だった方にうかがったら「山極は本物のゴリラですわ」と好意的に評価されていた。どちらかといえば政治とはあまり縁がなく、純粋な研究者との印象が強かったようだ。

京大だけでなく、全国の大学で大学自治の喪失、「産学共同」の名のもとに大企業の学内侵入(あるいは招聘)はもう当たり前のように進行しているので、学生に「自治」や「権利」などと話をしてみても反応するのは100人に1人いるかいないか、というのが今日の状況だ。純粋な表情で無垢そうな体の細い若者たちは、全体におとなしく、声が小さく、選挙権を得ると自民党に投票する傾向がある。

そこにもってきて「京都市の景観を守る条例」を引き合いに出すとは、京大当局と京都市の連携がなに恥じることなく愚かな方向に邁進していることのあかしだ。京大当局の本音は「学生自治を完全に破壊しつくして、学外からの研究費獲得のためのより良い環境づくりを進めたい。そこで京都市さん、一肌脱いでもらえまへんやろうか」だ。京都市は「簡単なことどす。任しておくんなはれ」と「景観を守る条例」を引き合いに「京大はん、ちょっと立て看なんとなんとかなりまへんやろか?」と京都伝統のうち最も悪い部分を丸出しに「芝居」を打つ。

見え見えだ。京都に暫く住んでみれば行政と地域や市議会と企業などの関係で、京大―京都市で繰り広げられる「芝居」のようなことがしょっちゅう起こっていることは勘の鋭い人ならすぐにわかる。

◆IT化で進行する「本来の大学のありようの放棄」

京都は狭い盆地の中に多くの大学が集中し「大学のまち」と呼ばれることがあるほど学生が多い。近年観光旅行客の増加で影が薄くはなったが、京都市内の大学生人口比率は相当高く、学生が居ることを前提に成り立っている商売(主として賃貸マンション)も少なくない。一時は大学の郊外志向時代があり同志社大学や立命館大学などの私立大学は京都市外に広いキャンパスを求めたが、東京でも都心回帰が起こっているように、同志社は文系学部をすべて元の(今出川)キャンパスに戻したり、京都学園大学(名前は京都学園だが所在地は亀岡市だった)が念願の京都市入りを果たしたり市内への流入を目論む大学も少なくない。

それにしても大学の「景観」や美しさとは、立て看板一つない、貼り紙一つない、学生活動も低調で、入学したらすぐに「キャリア」という間違った英単語で指導される「就職活動に目が向けられる様子にあるのだろうか。新しく建てられた大学の教室にはLANケーブルの端子とコンセントが標準装備された机を目にする。当然パソコンの利用を前提としてのことだ。わたしにはあの設計が、「本来の大学のありようの放棄」に思えて仕方がない。講義中にパソコンを開かせる大学教員の神経がわからない。

講義中のパソコン使用は、工学や電子工学など一部の理系講義を除けば、わからない意味をインターネットで調べる「カンニング」の推奨であり、「考えること」、「調べること」を放棄させているのではないか。もっともパソコンを使わせなくても大教室でのマスプロ講義は昔から真剣な学問の対象とはなりえなかったけれども。そして「景観条例」は企業の宣伝を規制するために作られた条例ではなかったのか。

◆大学の主人公は「学生」から「カネ」へ

大学の主人公は「学生」であるはずだ。それがいつのころからか、学生の体だけは確かに学内にあるけれども、本質は「カネ」が主人公の位置を奪いとった。京大だけでなく、若者が手なずけられやすくなった時代を歓迎し、安堵している向きも経済界や与党を中心に多かろう。しかし、彼らは必ず高いツケを払わされる運命にある。いやこの社会全体が間もなくとてつもない負債の返済を迫られる。

未来があるはずの若者ならば、どんな状況であろうが「不満」や「不条理」を感じ取るのがヒト種の動物的な生理反応だ。そんなものに国境はない。若者が現状に安堵し、肯定し始めるのは、とりもなおさず社会の後退と終焉への思考なき暴走を意味するのではないか。それを期待し喜んでいる大学当局。例によって私の「考えすぎ」悪癖にすぎないか。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

松岡利康/垣沼真一編著『遙かなる一九七〇年代─京都 学生運動解体期の物語と記憶』定価=本体2800円+税

タブーなき『紙の爆弾』12月号 安倍政権「終わりの始まり」

「マツダで働いていた頃、他の社員たちにロッカーを荒らされるなどの集スト(集団ストーカー)被害に遭い、恨んでいた」

そんな動機から2010年6月、広島市南区のマツダ本社工場内で車を暴走させ、計12人を殺傷した同社の元期間工、引寺(ひきじ)利明(50)。当欄では、引寺が岡山刑務所で無期懲役刑に服する身となりながら、自分の罪を一切反省していないばかりか、マツダを侮辱する言動を繰り返していることをお伝えしてきた。

11月中旬、そんな引寺からまたしても当欄への掲載を希望する手記が私のもとに届いた。今回の手記を見ても、引寺の無反省な態度は相変わらずだが、殺人犯の実態を知る資料としての価値が認められる内容ではあった。そこで今回も当欄で紹介しよう。

◆警察もマスコミも徹底批判

〈今回の手記は、警察やマスコミへの批判や怒り、刑務所生活で思う事や感じた事などを、一方的に言わせてもらうでー。〉(〈〉内は引用。以下同じ)

そんな書き出しで始まる手記で、引寺が最初に言及したのは、あの広島県警広島中央署で起きた窃盗事件に関してだ。

〈まず広島県警の中央署で発生した窃盗事件に関してだが、事件発生当初は、警察庁長官が記者会見で「キッチリ捜査を尽くす」などとホザいていたが、事件発生から何ケ月も経った今においても、犯人はまだ逮捕されていない。こりゃあーどういう事やあーーー!!〉

同署が金庫に保管していた証拠品(詐欺事件の押収品)の現金8,572万円が盗まれたのは今年5月のこと。内部の犯行が確実視される中、いつまでも犯人が捕まらない事情について、引寺はこう推測する。

〈ワシが思うに、捜査をキッチリとすればするほど、現職の警察官が関与していた事実が浮き彫りになるけえー、いつまで経っても逮捕出来んのんじゃろーのー。犯人を逮捕したら公表せにゃーいけんけーのー〉

引寺から送られてきた便せん13枚の手記(1~2頁)

さらに引寺は警察のみならず、マスコミのこともこう批判する。

〈広島のマスコミもショボイよのー。もっとガンガン突っ込んだ取材せーや。本来なら、例え取材対象が警察や検察だろうが、スポンサーがらみの大企業だろうが、取材でつかんだ事実については、取材対象にとって都合の悪い内容だとしても、キッチリと世間に報道するのが、アンタらマスコミの仕事じゃろーが。それがジャーナリズムじゃないんかい。つまらん事やっとるけえー、世間からマスゴミゆーて叩かれて、笑われるんじゃろーが。わかっとんかあーーーーー!!(怒)〉

引寺は、広島のマスコミが警察に遠慮し、同署の窃盗事件で犯人が捕まらない事情を十分に追及できていないと思っているらしい。

◆「広島のマスコミ連中は、Sさんの爪の垢をそのまま喰え!!」

このように警察とマスコミへの批判の言葉を並べ立てた引寺だが、一方で、ある記者のことを絶賛している。

〈ワシの手元には、日本テレビの記者であるSさんが書いた「殺人犯はそこにいる」という本がある。これまでにもう20回ぐらい読み返しているが、読む度に、真実を隠蔽してでも組織の対面を守ろうとする腐りきった警察や検察に対する怒りがこみ上げてくる〉

〈現場取材においては、「小さな声を聞け」というスタンスで取材しているSさんだからこそ、多数の捜査員を投入し、捜査権を振りかざして捜査している警察ですら、気付かずに見のがしてしまうような事件の影に埋もれていた事実をつかむ事が出来るんじゃろーのーー。広島のマスコミ連中は、Sさんの爪の垢でも煎じて、いや、爪の垢をそのまま喰え!!そうすりゃーーーもうちーたーージャーナリズムを肝に命じた取材や報道が出来るようになるじゃろーて(笑)。〉

同上(3~4頁)

同上(5~6頁)

引寺がこのように絶賛する日本テレビの記者・Sさんの著書『殺人犯はそこにいる』は、警察やマスコミはアテにならないということが書かれた本だ。引寺は、自分がマツダの社員たちから集団ストーカー行為をされていた事実について、警察やマスコミに隠ぺいされたと考えているため、同書に感銘を受けたのだと思われる。

現時点で私のもとに届いている引寺の手記は、便せん13枚という分量だが、引寺は現在も獄中で続きを執筆中のようだ。ここには、現時点で届いている便せん13枚の手記を転載する形で紹介する。引寺から今後届く手記についても、公表する価値があると思えれば、適時、公表していきたい。

同上(7~8頁)

同上(9~10頁)

同上(11~12頁)

同上(13頁)

【マツダ工場暴走殺傷事件】
2010年6月22日、広島市南区にある自動車メーカー・マツダの本社工場に自動車が突入して暴走し、社員12人が撥ねられ、うち1人が亡くなり、他11人も重軽傷を負った。自首して逮捕された犯人の引寺利明(当時42)は同工場の元期間工。犯行動機について、「マツダで働いていた頃、他の社員たちにロッカーを荒らされ、自宅アパートに侵入される集スト(集団ストーカー)に遭い、マツダを恨んでいた」と語った。引寺は裁判で妄想性障害に陥っていると認定されたが、責任能力を認められて無期懲役判決を受けた。現在は岡山刑務所で服役中。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

鹿砦社新書刊行開始!『歴代内閣総理大臣のお仕事 政権掌握と失墜の97代150年のダイナミズム』(総理大臣研究会編)

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

松岡利康/垣沼真一編著『遙かなる一九七〇年代─京都 学生運動解体期の物語と記憶』

「本書は私たちにとっての『遺言』、あるいは〈政治的遺言〉と言っても過言ではありません。そのつもりで、いつかは若い時の自らの行動や経験をまとめようと思い長年かけて書き綴ってきました」

2017年11月1日、『遙かなる一九七〇年代─京都 学生運動解体期の物語と記憶』(編著者・松岡利康さん、垣沼真一さん)が鹿砦社より発刊。それにともない20日、出版記念懇親会が、100名超を集めた関西(11月12日。これは本書の底流となっている松岡さんの先輩の児童文学作家・芝田勝茂さんの講演会〔同志社大学学友会倶楽部主催〕ですが、これに間に合わせるために本書が刊行されたそうです)に続き、東京でも30名ほどを集めて開催された。

「あとがきにかえて──」で松岡さんは、本書について冒頭のように説明している。

「全学的、全戦線的にヘゲモニーを貫徹するという〈革命的敗北主義〉」

巻頭では、ニューヨーク州立大学教授で元同志社大学学友会委員長・矢谷暢一郎さんによる特別寄稿が掲載されており、そこには「読みながら時々息詰まって先に進めないのは、レジスタンスのパリで生き残ったジャン・タルジューに似て、生き残った作者自身の悔恨と苦悩に満ちた〈遺書〉を後に続く世代に残すために書かなければならなかった作業を、現在形で読むことから来ている」と記されている。

集会の終盤で議論に応じる松岡利康さん。「僕はほとんどノンセクト暮らし。しかも僕らの頃は、赤軍色は薄れていた」

1972年生まれで、超氷河期・団塊ジュニア・第2次ベビーブーム世代などと呼ばれるところの私は、周囲の同世代や女性による60・70年安保(闘争)世代に対する批判的な声を耳にし続けてきた。だが、個人的には広くおつきあいさせていただくなか、彼らは一定の「役割」を果たしたが、権力によって意図的に追いつめられたと考えている。そして、彼らに惹かれながら、彼らの「自由を求める精神・思想・方法論」などのよいところを自分こそが引き継ぎたいと願っているのだ。また、そのような視点で、彼ら世代が手がける書籍を読んでもきた。

『遙かなる一九七〇年代─京都──学生運動解体期の物語と記憶』は、松岡さんや矢谷さんが語るように、当時の行動・経験・悔恨・苦悩が〈遺言〉として、ある種赤裸々に、率直に記されている。個人的には、事実や知識を得ていくことにもちろん関心はあり、意外なつながりを発見するなどして喜びを感じたりもするが、それ以上に「真実」、そこにいたったり振り返ったりした時の感覚・思考などに関心があるのだ。それは、自分に活動家だという意識があり、現在の運動の苦しさを打破する鍵を探しているからかもしれない。本書を読了し、それらが多く書かれていると思った私は、ぜひ、本書を50代以下や女性たちにも読んでほしいと願う。同世代、特に関西にいた人にとって、より興味深いものであろうことはいうまでもない。本書をもとに議論や振り返りが盛り上がるとさらによいだろう。

たとえば松岡さんは、比較思想史家・早稲田大学教授で元叛旗派の高橋順一さんいわく「奇妙な情熱」でもって、第3章「われわれの内なる〈一九七〇年代〉」で、「私たちの共通の想いは、闘わずして腐臭を放つより、最後の最後まで闘い抜いて解体しよう、ということだった。これは、私たちが最先頭で闘い抜くことで、仮に敗北することはあったにしても、全学的、全戦線的にヘゲモニーを貫徹するという、まさに〈革命的敗北主義〉であった。特に、70年入学という、いわば“遅れてきた青年”であった私(たち)の世代は、68-69年を超える戦闘性を合言葉にした」と当時を振り返る。

さらに、「全学闘の後々の『変質』があったのであれば、それは突然に起きたのではなく、表面化はしなかったにせよ、私たちの世代、さらに69年の創成当時にまで遡って根があると思う」と反省の意を綴った。そして、なかにし礼さん作詞、加藤登紀子さん作曲『わが人生に悔いなし』より、「親にもらった体一つで 戦い続けた気持ちよさ 右だろうと 左だろうと わが人生に 悔いはない」と記す。私の心には、〈革命的敗北主義〉の苦悩が届きつつも、羨望のさざ波が立つ。そのようなある種の爽快感を、現在の運動でもつことの困難を考えてしまう。

ちなみに、第4章「七〇年代初頭の京大学生運動──出来事と解釈 熊野寮に抱かれて」に、垣沼さんは、当時の背景として「民青はオルグする際は言葉としては近いうち革命でプロレタリア独裁を実現すると言っていたころだ」、「三派全学連から数年の実力闘争はかなりの国民から支持されていた。愛されていたと言ってもよい」と書いている。また、大学の生協の仕組みなども活動家の学生に対して「強力的」だった。改めて、時の流れを感じざるをえない。ただし、3章には、10年後の世代A君のメール文や、「最早、(75年前後の)大衆は70年代前半の大衆ではありませんでした」というメールも引用されており、これも興味深い。4章にも、京大総長岡本も「『ノンポリ』教養部生の発言には明らかに動揺している」などの記述もある。本当に、時代が変わる時だったのだろう。

また松岡さんは、寮母の砂野文枝さんに触れ、彼女の背景に戦時下の記憶をみる。このように、それぞれの時代を生きた人同士がつながり合い、何かが受け継がれていくのだろうと思う。

「真に闘ったかどうかということは、自分自身が一番よく知っている」

集会で革命に関する考え方と現在への影響などについて語る、評論家で叛旗派互助会の活動に継続的に参加している神津陽さん

Kさんが神奈川県に対して人事委裁決の取消しと損害賠償とを求めた行政訴訟事件の裁判の勝訴について報告する岡田寿彦さん

30年近くにわたる、たんぽぽ舎の反原発運動について説明し、「向こうも再稼働を思うようにできていない」と語る、柳田真さん

いっぽう、よど号メンバー、リッダ闘争関係者、連合赤軍関係者の特に現在については、個人的には松岡さんとも垣沼さんとも一部異なった印象・評価をもっている。万が一、よろしければ、ぜひ、直接交流してみていただきたい。事実を理解しないとの批判を受けるかもしれないが、自分なりの把握の仕方はある。この「過激な」活動の背景には、運動の歴史はあるものの、どう捉えるか、どこに線を引くかという考え方などに時代や個人によっての差が生まれるとは思う。いずれにせよ私は、自分への教訓としても、総括し、今日と明日とに生かしたいと考え行動する人々を信じる。その意味では、松岡さんも垣沼さんも立派な姿勢を示されたと思う。

さて、この運動衰退期を考える時、内ゲバのことを避けては通れない。松岡さんも垣沼さんも、これに真摯に向き合っている。ただし松岡さんは当時を全体的に振り返り、「闘うべき時に、真に闘ったかどうかということは、知る人は知っているだろうし、なによりも自分自身が一番よく知っているから、それでいいではないか、と最近思うようになってフッ切れた」という。

もちろん、連赤でもよくいわれることだが、運動や闘争にも実際には日常があり、そこには笑顔だってあった。本書にも、ほっとするようなエピソード、思わず笑ってしまうような「小咄(?)」なども盛りこまれている。また、松岡さんの「情念」を代弁するかのごとく、橋田淳さんの作品『夕日の部隊──しらじらと雨降る中の6・15 十年の負債かへしえぬまま』が第2章として掲載されてもいる。さらに、垣沼さんは、三里塚で、「農家のおっかさんが我々が逃げていくとあっち行け、こっち来いと声をかけてくれるので皆目土地勘がないけれども何とか動けた」、留置所で「やくざの人から暇つぶしの遊びを教えてもらった」などとも記す。「納豆を食う会」などの、ある種バカバカしい運動も、もちろん批判的にではあるが取り上げている。私は晩年の川上徹さん(同時代社代表・編集者、元全日本学生自治会総連合中央執行委員長・元日本民主青年同盟中央常任委員)ともお付き合いをさせていただき、彼からは「人間とはいかなる存在かを書く」ということを学び、それを受け継ぐこととした。これらも含めて本書には、余すところなく、それがある。

『遙かなる一九七〇年代─京都』を読んで、ともに再び起ち上がろう!

他方、第4章に、垣沼さんは、当時が目に浮かぶような詳細な記録を残している。彼は、このもとになるような膨大なメモを記してきたのだろうか。自身の背景なども書かれており、90年代に学生だった私にも、親近感が湧く。

内ゲバの詳細を綴った個所は圧巻だ。たとえば、75年マル青同の岡山大学での事件においては、「『殺せ、殺せ』と叫びながら乱闘して、多くの人が負傷して、ゆっくりと動く車で轢死させている」とか、気絶するまで殴打する様子が描かれている。このような具体的な状況を知る機会は限られるだろう。しかし、これが殺人や連赤まで結びつくのは簡単なものだろうと思わざるをえない。

4章では特に、垣沼さんを支えてきた言葉が、現在のアクティビストである私たちへの「お告げ」となるかのように、綴られてもいる。たとえば、小説家で中国文学者・高橋和巳の『エコノミスト』(毎日新聞出版)連載より、「人民の代理者である党派は人民に対してだけは常に自らを開示し続けるべき義務をもつ。だから、どのような内部矛盾にもせよ、それを処理する場に、たった一人でもよいから、『大衆』を参加させておかなければならないはずなのである」という言葉を、高橋氏の体験に関する文章とともに引用している。また、ローザ・ルクセンブルクの『ロシア革命論』7章より、「自由は、つねに、思想を異にするものの自由である」も記す。これはたしかに、デモのプラカードに用いたい。さらに、連赤総括で中上健次が「大衆の知恵と才覚」と語ったものこそが武器になるという。

私も、現在の運動については、過去のこと以上に批判的に考える。組織はほとんどが腐り、小さくても権力を握った人はそれを手放そうとせず、運動よりも自己実現・自己満足が優先されている。そして、そこでは議論などなされず、すでに一部の「小さな権力者」によって決められたものに、多くが従わされるだけだ。そのような場に幾度も居合わせては嫌気がさし、私は距離をおいてばかりいる。仲間や友人・知人にも、そのような人は多い。ただし、4章で垣沼さんが触れられているようなエコロジーに関する問題に携わる活動家も多く、もちろんよい運動だってあるし、試行錯誤を重ねている組織も個人も存在する。しかし、打破できぬ苦しさの中、希望も展望もみえず、たとえば私の所属する団体では「100年後」を考えることで現在の運動をどうにか継続することを試みるなどもしているのが現状だ。

「あとがきにかえて──」で松岡さんは、「当時の私たちの想いは『革命的敗北主義』で、たとえ今は孤立してでもたった一人になっても闘いを貫徹する、そしてこれは、一時的に敗北しても、必ず少なからず心ある大衆を捉え、この中から後に続く者が出る──私たちの敗北は『一時的』ではありませんでしたが、このように後の世代に多少なりとも影響を与え意義のあるものだったと考えています。〈敗北における勝利〉と私なりに総括しています」とも綴る。

現在のアクティビストが、本書を手に取ることで何かを得て、再び立ち上がる。またくじけても、何度でも立ち上がる。そのようにつながっていくために私はできることをするし、そのようになっていくことを願っているのだ。まずはぜひ、ご一読ください。

▼小林蓮実(こばやし・はすみ)[文]
1972年生まれ。フリーライター。労働・女性運動等アクティビスト。『現代用語の基礎知識』『情況』『週刊金曜日』『現代の理論』『neoneo』『救援』『教育と文化』『労働情報』『デジタル鹿砦社通信』ほかに寄稿・執筆。『紙の爆弾』12月号に「山﨑博昭追悼 羽田闘争五十周年集会」寄稿

松岡利康/垣沼真一編著『遙かなる一九七〇年代─京都 学生運動解体期の物語と記憶』

幸太vs 石川直樹。石川の猛攻でスタミナ、バランス失い崩れる幸太

離れても組んでもヒザ蹴りで圧倒した石川直樹

5月14日のノンタイトル戦で幸太のパンチで苦戦し、調子付かせてしまった石川直樹は、今度は首相撲からヒザ蹴り地獄でねじ伏せる圧勝。

第1ラウンドは幸太のパンチが優勢。このまま引きずれば幸太のリズムで勝利を導きそうな中、第3ラウンドから石川は戦法を変え、得意の首相撲からヒザ蹴りにもっていくと流れが大きく変わり石川が優位に立つ。第4ラウンドはそのピッチを上げ、ヒザ蹴りの猛攻で2度のダウンを奪って圧倒のノックアウト。首を掴まれてのヒザ蹴りに為す術が無かった幸太はランキング戦から出直しとなる。

瀧澤博人は王座陥落後、この日の再起2戦目は引分けるも、技を酷使した好ファイトを展開。初回から長身を利した左ジャブと前蹴りけん制し、距離が縮まっても突き上げるようなヒザ蹴りを背の低いウィラポンレックの顔面を狙う。パンチ中心に多彩な蹴りとスピードを持つウィラポンレックとの距離の掴み合いでクリーンヒットは少ないが技の攻防が随所で観られた試合。

NJKFからやって来たNAOKIは7月2日にNJKFライト級王座奪取したばかりで、過去、梅野源治と引分けているヨーペットと対戦も攻略できず完敗。技の柔軟さ、蹴るタイミング、組めばヨーペットのバランスの良さでヒザ蹴りへの繋ぎも速いヨーペットが優りました。

◎KICK Insist.7 / 2017年11月19日ディファ有明15:30~20:05
主催:ビクトリージム / 認定:新日本キックボクシング協会

◆メインイベント 日本フライ級タイトルマッチ 5回戦

チャンピオン.石川直樹(治政館/50.6kg)vs 挑戦者1位.幸太(ビクトリー/50.8kg)
勝者:石川直樹 / KO 4R 2:28 / 10カウント / 主審:仲俊光

石川直樹初防衛。治政館ジム長江国政会長(左)と新日本キック伊原信一代表に囲まれての勝利のショット

◆56.0kg契約3回戦

瀧澤博人(元・日本バンタム級C/ビクトリー/56.0kg)
   vs
ウィラポンレック・ギャットゴーンプン(元・タイ北部フライフ級C/タイ/54.8kg)
引分け / 0-1 / 主審:椎名利一
副審:桜井29-30. 仲29-29. 宮沢29-29

瀧澤博人vsウィラポンレック。至近距離からのヒザ蹴りが上手かった瀧澤博人、技が冴える試合が続く

引分けながらツーショットに収まるウィラポンレックと瀧澤博人

◆62.5kg契約3回戦

NJKFライト級チャンピオン.NAOKI(立川KBA/62.5kg)
   vs
ヨーペット・JSK(タイ/62.0kg)
勝者:ヨーペット・JSK / 判定0-3 / 主審:和田良覚
副審:椎名27-30. 仲29-30. 宮沢27-30

NAOKIvsヨーペット。ヨーペットのバランスいいハイキック

◆63.0kg契約3回戦

日本ライト級1位.永澤サムエル聖光(ビクトリー/63.0kg)
   vs
夢センチャイジム(センチャイ/62.8kg)
勝者:永澤サムエル聖光 / 判定2-0 / 主審:桜井一秀
副審:椎名29-29. 仲30-29. 和田30-29

永澤サムエル聖光が僅差ながら夢センチャイジムに勝利

◆68.5kg契約3回戦

日本ウェルター級1位.政斗(治政館/68.2kg)
   vs
ピラポン・ギャットアノン(タイ/67.0kg)
勝者:政斗 / 判定3-0 / 主審:宮沢誠
副審:椎名30-29. 桜井29-28. 仲30-29

政斗がピラポンに判定勝利

◆ミドル級3回戦

日本ミドル級1位.今野顕彰(市原/72.1kg)
   vs
J-NETWORKミドル級10位.小原俊之(キングムエ/72.2kg)
勝者:小原俊之 / TKO 3R 2:51 / ハイキック / 主審:和田良覚

小原俊之が今野顕彰をハイキックで倒しTKO勝利

NJKFからやって来た村中克至、ハイキックでダウン奪って直闘に判定勝利

馬渡亮太がベテランの阿部泰彦に僅差の判定勝利

◆61.5kg契約3回戦

日本ライト級2位.直闘(治政館/61.35kg)
   vs
NJKFライト級2位.村中克至(ブリザード/61.0kg)
勝者:村中克至 / 判定0-3 / 主審:桜井一秀
副審:仲28-29. 宮沢28-29. 和田28-29

◆55.0kg契約3回戦

日本バンタム級2位.阿部泰彦(JMN/54.8kg)
   vs
日本バンタム級4位.馬渡亮太(治政館/54.8kg)
勝者:馬渡亮太 / 判定0-2 / 主審:椎名利一
副審:仲29-30. 和田29-30. 桜井29-29

◆フェザー級3回戦

日本フェザー級7位.櫓木淳平(ビクトリー/56.8kg)
   vs
角チョンボン(CRAZY WOLF/56.3kg)
勝者:角チョンボン / 判定0-3 / 主審:宮沢誠
副審:椎名28-29. 和田29-30. 桜井29-30

◆55.0kg契約3回戦

日本バンタム級5位.田中亮平(市原/54.6kg)
   vs
高橋茂章(KIX/54.8 kg)
勝者:田中亮平 / 判定3-0 / 主審:仲俊光
副審:和田30-28. 宮沢30-28. 桜井30-28

角チョンボン、判定勝利(左)。田中亮平、判定勝利(右)

◆フェザー級3回戦

金子大樹(ビクトリー/57.0kg)vs 渡辺航巳(JMN/57.0kg)
勝者:渡辺航巳 / TKO 2R終了 / 金子の負傷による棄権
主審:椎名利一

◆フライ級3回戦

細田昇吾(ビクトリー/50.6kg)vs 平野翼(烈拳會/50.1kg)
勝者:細田昇吾 / TKO 2R 2:20 / 主審:仲俊光

渡辺航巳、TKO勝利(左)。細田昇吾、TKO勝利(右)

◆ミドル級2回戦

徳王(伊原/72.4kg)vs 都築頼秋(ダイケンスリーツリー/71.6kg)
勝者:都築頼秋 / 判定0-3 (18-20. 19-20. 19-20)

◆61.5kg契約2回戦

林瑞紀(治政館/61.5kg)vs 梅木裕介(トーエル/61.1kg)
勝者:林瑞紀 / 判定3-0 (20-18. 20-18. 20-18)

◆70.0kg契約2回戦

高橋デミアン(伊原/69.8kg)vs RYOTA(トーエル/69.9 kg)
引分け 0-1 (19-20. 19-19. 19-19)

《取材戦記》

最終試合の石川直樹の首相撲からガッチリ固めてのヒザ蹴り猛攻は、“ヒザ蹴り地獄”と言えるものでした。昨年10月23日、泰史をTKOに破り日本フライ級チャンピオンになった後、今年1月11日、ブンピタックにムエタイ技の壁に阻まれ完敗。5月14日には幸太と引分け、今回は真価を問われる初防衛戦を、メインイベントを飾るに相応しい圧倒のノックアウトとなって株を上げた石川直樹、まだ初防衛したばかりで、遠慮がちなマイクアピールの中、「防衛を重ねて世界を目指したい」と語りました。目指す“世界”もいろいろある訳で、険しい道となろうとも群集が認める最高峰を目指していって欲しいものです。

新日本キックボクシング協会にとっては最後のディファ有明となった今回の興行。老朽化もあるようですが、東京オリンピックの拡張工事に備え、来年6月末で閉鎖が決定しています。最終興行が何であるか分かりませんが、格闘技興行でなくても最後のイベントでディファ有明の最後を見届けたいものです。

リング上の勝者のクローズアップ撮影は主に、次回興行のポスター、パンフレットの対戦カード、各媒体での対戦者同士の並び写真等に使用する目的で撮られるもので、また単に勝者がデータ上で分かるように撮る場合もあるでしょう。せっかくファイティングポーズを撮ったのに、使わないのも勿体無いので選手の存在を活かし、勝者ポーズを載せられる範囲で用意してみました。微力ながら顔が売れてくれればと思います。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

タブーなき『紙の爆弾』12月号 安倍政権「終わりの始まり」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

人民新聞11月22日付【抗議声明】全世界の民衆の闘いを伝えてきた人民新聞社への不当弾圧

11月21日大阪を本拠地とする「人民新聞」(1968年創刊、1976年「人民新聞」に名称変更)の編集長が逮捕された。「人民新聞」は本拠地を茨木市に移し、順調に新体制のスタートを切った矢先だった。編集長逮捕の経緯について、同社社員の園良太氏に電話でうかがった。

──── 今回の弾圧について状況を教えてください。

園  21日事務所に来たときは私とは別の人が先に来ていて警察に鍵を開けさせられて、その後に私が来ました。「職員なんだから中に入れろ」と警察とやりあっていましたが、「立ち合いは一人しか認めない」と警察は取り合わなかった。「何の根拠もないだろう」と抗議しましたが、ブロックされ続けました。一方中にいる人は電話も使えないし、外に連絡もできない。撮影や録音もできない状況に追い込まれました。ようやく中から外へ出てきたときに、その人もいろいろ連絡を取る必要があり、警察と交渉して立会い人を僕に交代させました(それから社の中に入りました)。

警察からは、撮影録音を禁じられ「それをやるなら追い出すぞ」と脅され「軟禁状態」におかれました(これまでの経験では家宅捜索の際写真撮影などはしていました)。警察はパソコンなど押収してゆきましたが、それに抗議をすると「オラオラオラ」と言いながら体を寄せていて「当たり公妨」みたいなことをやりたい放題でした(著者注:それに反抗すれば逮捕を狙っていた可能性が高い)。

もう一点大きかったのはマンションの入り口に検問を張っていて、関係者を入れさせないことと、住民にも一人一人職務質問をして住民をビビらせていたことです(人民新聞は住宅もあるマンションの1室だ)。同じ階段から入る人にまで嫌がらせをしていたことです。

──── 令状の内容は?

園  クレジットカードを他人に使わせることで銀行からクレジットカードをだまし取った詐欺容疑としか書かれてません。報道で「日本赤軍」とかなんとか流れていますが、こちらはまったく知らされていませんでした。

◆「共謀罪」の先取り

──── これを読んでいる方に主張したいことがあればよろしくお願いいたします。

園  第一にここで詐欺とされているものは、海外でバックパッカーなど旅行している人が、送金の受け取りなどに困難があるとき、友達間のクレジットカードを利用して「この口座に振り込んで欲しい、そうじゃないと自分はお金を引き出せないから」というような融通は、みな普通にやっているわけです。それを相手が岡本公三さんだから逮捕するのは、相手が「誰か」ということだけで普通なら全く問題にできないものを炙り出して逮捕するという、まさに「共謀罪」の先取りであり許せません。

次に岡本さんはイスラエルで酷い拷問を受けて精神もボロボロの状態で、言い渡された裁きも受けていまレバノンで暮らしているわけです。そこに生活費を送る人がいても何が問題なのかということです。イスラエルがどれほどの人殺しをこの間にやり続けているかという問題も片方にはあるわけです。ですから日本政府が本来手出しをできる問題ではない。それをこの程度のことで騒ぎ立てて捜査網を広げていくということが許されないことは、警察発表を垂れ流ししているメディアがまず自覚しなきゃいけない。「人民新聞弾圧」はまさにメディア弾圧ですから。垂れ流しとか実名報道をやめろと言いたいです。

そして今回「人民新聞」は茨木市に移転して関係者の多い地域に密着もし、世代交代も進め、いい意味で関係性が広まっていってたところなんですね。そこに対してマンションごと「職務質問」をかける形で20人以上の警察が押しかけてくるというのは、地域から「人民新聞」の新体制を孤立させる意図に基づいた弾圧です。そんなものには負けませんが、絶対にこんな弾圧は許されません。

4つ目は押収する必要のないものまで持っていって、今仕事ができない状態です。とんでもないメディア弾圧です。それからからこれはすごく申し訳ないのですが、読者名簿も持っていかれているわけです。それは容疑と何も関係なく個人情報の固まりです。それについては「とにかくすぐ返せ」、「押収したもので容疑と関係ないものはすぐ返せ」と要求しています。

◆明らかに過剰で不必要な「検問」体制が敷かれた

園氏の話を要約すると逮捕された編集長氏のクレジットカードを利用してレバノン在住の岡本公三さんに生活費を送っていたことが「詐欺」にあたるとの理由で、今回の大掛かりな家宅捜査と逮捕がなされた模様だ。そして同社の入居するマンションの居住者にことさら「人民新聞」の悪印象を植え付けるために、過剰で不必要な「検問」体制が敷かれた。

「人民新聞」は独自の視点から発信を続けて来たメディアであり、その存在は今日ますます貴重である。同社への不当かつ過剰な「家宅捜索」及び「編集長逮捕」弾圧は報道界、出版界に身を置くすべての人間にとって他人事ではない。鹿砦社は2005年に検察権力により不当弾圧を受け壊滅的な打撃を受けたが、その後奇跡的に復活した。しかし2017年の今日、時代は違う。園氏が指摘する通り「共謀罪」が成立し、安倍長期政権による治安維持に名を借りた「言論弾圧」や「思想弾圧」はますます、なりふり構わず勢いを増している。それらは大手マスコミでは報道されない。が故に多くの読者真実を知りようがない。

「人民新聞」への弾圧を私は強く糾弾する。「人民新聞」への弾圧は過去鹿砦社が踏み潰されそうになった権力による弾圧の異形であり、その危険性と悪質性はますます水位があがっている。大手マスコミにとっても無関係な問題ではない(しかし彼らがそう気づいてくれるのかどうかには悲観的にならざるをえない)

「人民新聞」編集長の即時保釈を求め、「人民新聞」に対する弾圧を断固糾弾する!

人民新聞11月22日付【抗議声明】全世界の民衆の闘いを伝えてきた人民新聞社への不当弾圧

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなき『紙の爆弾』12月号 安倍政権「終わりの始まり」

朝日新聞検索画面

◆左翼と右翼は「どっちもどっち」か?

「リベラル保守」を自称する東京工業大学教授の中島岳志氏が2017年4月24日配信のAERAの西部邁との対談記事でこう述べていた。

西部 一方で、左翼の論客の言葉だってネトウヨと同等に乱雑で、内容としては反知性的なオピニオン、つまり「根拠のない臆説」が増えている。右翼だけが反知性主義だというのは、朝日の偏見です(笑)。
中島 朝日を最も攻撃しているのも、また左翼です。ちょっとでも理想と違うと糾弾する。どっちもどっちです

もともとリベラル・左翼嫌いでリベラル・左翼論壇に登場しない西部氏の発言はこの際どうでもいい。問題は中島氏である。中島氏は朝日新聞の紙面やデジタル版によくインタビューに登場する人物だ。

朝日新聞関係者とおそらく親密な関係にある中島氏が「朝日を最も攻撃しているのも、また左翼です」として、前後の文脈から推測するに「ネトウヨ」「右翼」と「どっちもどっち」と言っているのだ。朝日新聞とつながりがあるからなのかどうかわからないが、身内贔屓ではないか。

以前中沢けい氏に関する記事で言及した『帝国の慰安婦』の日本語訳を出版したのは朝日新聞出版だが、この本の学術的な不備や欠陥を指摘したら「ネトウヨ」「右翼」と「どっちもどっち」になるのだろうか。補足すると中島氏は中沢けい氏と同じく「朴裕河氏の起訴に対する抗議声明」の賛同人だ。中島氏の認識は論壇非主流派でも論理的に整合性のある指摘をする人たちを軽視することになりかねない。

◆悲惨過ぎるアジア主義者たち──頭山満から日本会議への水脈

中島岳志『アジア主義 西郷隆盛から石原莞爾へ』(潮文庫2017年7月)

中島氏は著書『アジア主義』(潮出版社)において、葦津珍彦の書いた「永遠の維新者」という本を取り上げている。これは西郷隆盛を論じた本で、中島氏によると「現代民族派の古典とされ、右翼関係者の間では必読の書」で「アジア主義者たちが西郷を敬愛する論理が、きわめてクリアに描かれて」いるそうだ。葦津珍彦は西郷隆盛を継承したのは頭山満(葦津が師事した人物)をはじめとする玄洋社であるとし、西郷隆盛と同時に頭山満らを高く評価している。それにならってか中島氏は『アジア主義』で全体的に頭山満や玄洋社をやや肯定的に描いている。

しかし、玄洋社は大隈重信を暗殺しようとして爆弾テロをしかけた来島恒喜が所属していた組織だった。

頭山満にしても天皇機関説問題の時には「機関説撲滅同盟」という物騒な名前の団体を結成している。この団体主催の機関説撲滅有志大会での決議内容は以下の通りである。

一、政府は天皇機関説の発表を即時禁止すべし
二、政府は美濃部達吉及其一派を一切の公職より去らしめ自決を促すべし

来島にしろ頭山にしろ「ちょっとでも理想と違うと糾弾する」どころではない。
ちなみに頭山満を敬愛してやまなかった葦津珍彦は戦後右派学生運動に巨大な影響を与えている。藤生明『ドキュメント日本会議』(ちくま新書)によると、右派学生運動の指導者の1人であった椛島有三はある時期から葦津珍彦の理論に影響を受けて今までの憲法無効論を放棄し、運動の路線転換を図ったのだという。椛島はこう書いている。

藤生 明『ドキュメント 日本会議』(ちくま新書2017年5月)

「国難の状況を一つ一つ逆転し、そこに日本の国体精神を甦らせ、憲法改正の道を一歩一歩と前進させる葦津先生の憲法理論に学び、探求し、『反憲的解釈改憲路線』と名付けて推進していくことになった」

ラディカルな無効論から現行憲法の存在を認めたうえでコツコツと骨抜きをしていく路線への転換。これが息の長い着実な草の根運動へとつながっていく。

椛島有三は現在日本会議事務総長をつとめている。葦津珍彦の流れは学生運動のみならず、戦後の右派運動の本流となっているのだ。

中島氏の著作は、彼の言うところの「アジア主義」にたいして大きな勘違いをひき起こすのではないかと思われる。中島氏はメディア露出が多いため、その危険性は大きい。「アジア主義」「リベラル保守」という用語が過去をマイルドに偽装するものであってはならないだろう。

他にも中島岳志の著作に関しては、『博愛手帖』というブログの管理人が“新しい岩波茂雄伝?”と題して中島氏の『岩波茂雄 リベラルナショナリストの肖像』(岩波書店)に関して詳細な批判をくわえている。岩波茂雄に関する他の関連著作を読み込んだうえでの大変緻密な読みで非常に参考になる。ご一読いただけると幸いだ。

▼山田次郎(やまだ・じろう)
大学卒業後、甲信越地方の中規模都市に居住。ミサイルより熊を恐れる派遣労働者

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』12月号 安倍政権「終わりの始まり」

去る11月21日のこと。ヤフーニュースで次のような見出しの記事が配信されているのを見かけ、私はドキリとさせられた。

……………………………………………………………………………
<公判打ち切り>さいたま地裁判断 精神疾患で5年審理停止
……………………………………………………………………………

記事の配信元は毎日新聞。被告人が精神疾患であることなどを理由に5年近く審理が停止されていた2つの事件について、さいたま地裁が「回復の見込みがない」などと判断し、公訴棄却の判決を言い渡したのだという。

私がこの記事にドキリとさせられたのは、動向を気にかけていた「ある被告人」の裁判のことを報じた記事だと勘違いしたからだ。ある被告人とは、埼玉少女誘拐事件の犯人で、千葉大学生(休学中)の寺内樺風被告(25)のことである。

◆判決期日が指定されないまま、時間が過ぎ去り……

埼玉県朝霞市の女子中学生が約2年に渡って失踪し、昨年3月に保護された誘拐事件で、寺内被告は未成年者誘拐と監禁致傷、窃盗の罪に問われた。さいたま地裁で行われた裁判では、当初から「勉強の機会を与えたが、させられなかったのが残念」「結局、何が悪かったんですかね」などと特異な供述をしているように報道されていた(寺内被告の法廷での発言は産経ニュースより。以下同じ)。

そして検察に懲役15年を求刑され、迎えた8月末の判決公判。寺内被告は法廷で奇声をあげ、次のような不規則発言を繰り返したという。

「私はオオニシケンジでございます」「(職業は)森の妖精です」「私はおなかがすいています。今なら1個からあげクン増量中」

松原里美裁判長はこうした寺内被告の異変をうけ、いったん休廷したのち、やむなく判決言い渡しの延期を決定。これにより、寺内被告は逮捕の時以上に世間の注目を集めたのだった。

その後、再び判決言い渡しの期日が指定されることはなく時間が過ぎ去り、次第に世間の人々は寺内被告のことを忘れ去っていった。そんな中、私がひそかに寺内被告のことを気にかけていたのは、その病状が深刻なのではないかと思っていたためだ。

◆やはり病状は深刻か

というのも、重大事件の犯人が取調室や法廷で異常な言動を示したことが報道されると、「精神疾患を患ったふりをして、罪を免れようとしているのではないか」と疑う声がわき上がるのが恒例だ。寺内被告が法廷で不規則発言を繰り返し、判決言い渡しが延期されたときもそうだった。

だが、私の取材経験上、そういう異常な言動を示す重大事件犯は誰もが演技や詐病ではなく、本当に重篤な精神疾患を患っていた。それゆえに寺内被告もそうなのだろうと私は推測したのだった。

実を言うと、私は10月下旬のある日、実際に自分の目で寺内被告の病状を確かめようと、収容先のさいたま拘置支所まで面会に訪ねているのだが……。

さいたま拘置支所。寺内被告も以前収容されていたが……

「その人は今、ここにいませんよ」

拘置所の入口で受付をしている職員は、寺内被告との面会希望を伝えた私に対し、さらりとそう言った。以前はいたのかと尋ねると、「そうですね」とのこと。では、今はどこにいるのかと尋ねても、「それは言えないんですよ」と教えてくれなかったが、考えられる答えは1つだけだ。寺内被告は今、どこかの病院で精神疾患の治療を受けているのだろう。

そんな事情から、私は寺内被告の病状が深刻だとほぼ確信しているのだが、実際問題、本稿を書いている時点でもいまだ判決言い渡しの期日は指定されていない。このままの状態が続けば、先の2事件のように公判が打ち切りになることもあるかもしれない。

忘れ去られつつある事件だが、今後も動向を追い続ける予定なので、何か動きがあれば適時、報告したい。

さいたま拘置支所

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

タブーなき『紙の爆弾』12月号 安倍政権「終わりの始まり」

11月7日第195回国会の開会式(参議院本会議場)。見にくいが画面最前列が安倍

参議院本会議場に入場する天皇

 

11月14日「立憲主義の後退」で山田次郎氏が鋭い論評を展開している。立憲主義の今日的課題や論点は横におくが、その一形態が表出している国会の開会式を取材する機会を得たので、報告したい。

国会は「非公開」の会議を除き、衆議院TV、参議院TVでネット放送されているので、テレビ受像機を持たない人でもほぼすべての本会議、委員会の中継を視聴することができる。

画面左前が安倍

11月7日第195回国会の開会式が参議院本会議場で行われた。国会の開会式や式典は伝統的に衆議院本会議場ではなく、参議院本会議場で行われるのが慣例だそうだ。開会式には天皇が出席する。

国会議事堂は正面から向かって左側に衆議院、右側に参議院が位置するが、ちょうどその中間あたりに天皇が国会を訪れた際の「御休所(ごきゅうしょ)」が設けられており、天皇が国会に到着する15分前からは衆議院と参議院の間を通行することができず、エレベータも停止される。天皇の「御休所」が実際に使用されることがほとんどなく、天皇は国会に到着すると参議院本会議場へ向かい、開会の式辞を述べると帰路につくのが恒例だそうだ。

傍聴席の様子

開会式では衆・参両院の国会議員が参議院本会議場に集まるので、通常は決められている席に本人が着席することはなく、当然多くの立ち見議員が生じる。

開会式の傍聴席は皆礼服を身につけた方ばかりで、職員が傍聴席のブロック順に説明事項を伝える(傍聴席には警備要員と思われる人物が相当数目につく)。13時開会式を控えて12時45分ごろから議員の入場が始まる。

最前列に安倍首相他諸大臣が着席しているようで、議長席を挟んで両側には燕尾服を着た議員(?)たちが直立し、大島衆議院議長や赤松副議長も控える。議場内ではあちこちで肩を叩きあって挨拶をしたり、握手をする議員たちの姿が見られるが、入り口付近で数人と挨拶を交わしたがそのままそこに立ち続けていたのは、不倫騒動で民進党を離党しながら無所属で当選を果たした山尾志桜里議員だ。

山尾志桜里議員

13時丁度に天皇が傍聴席から向かって左側の入り口から入場すると、議員、傍聴人は一斉に起立する(開会式中の起立はあらかじめ職員から傍聴者にも伝達されていた)。1分前までの喧騒が嘘のように、千数百名が集まる参議院本会議場は静寂が訪れる。天皇が議会中央に着席すると、大島衆議院議長が式辞を読み上げ、読了後その原稿を天皇に手渡す。

このとき数段の階段を上り下りするのだが、大島衆議院議長は常に天皇に向かい合った姿勢で移動をする。かつて高齢の衆議院議長が、正面を向いたままの階段を下りることが体力的に難しくなり、議長を辞したことがあったことが思い出された。

式辞を天皇に手渡す大島参議院議長

その後天皇が、
「本日、第195回国会の開会式に臨み、衆議院議員総選挙による新議員を迎え、全国民を代表する皆さんと一堂に会することは、私の深く喜びとするところであります。
ここに、国会が、国権の最高機関として、当面する内外の諸問題に対処するに当たり、その使命を十分に果たし、国民の信託に応えることを切に希望します」

と式辞を読み上げると議員、傍聴者が礼をし、天皇が参議院本会議場から退出して開会式は終了した。

式辞を読み上げた天皇

この間約15分弱である。議員たちは再び歓談をしながら議場を後にするが、傍聴者はすぐに退出することはできない。天皇が国会を後にしたことが確認されてから傍聴者の退出が許可され、衆議院と参議院のあいだの封鎖も解除される。

画像で眺めるのと実際にその場に居合わせるのでは空気感がずいぶん違った。
以上、国会開会式の報告である。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

7日発売!タブーなき『紙の爆弾』12月号 安倍政権「終わりの始まり」

NUMO(原子力発電環境整備機構)が開く「核のごみ」の説明会で1万円ほどの謝礼金を学生に約束して参加者を集めていた問題で、説明会が11月17日に開かれ、NUMOの伊藤真一理事が「会の公正性に対する皆様の不信を招きかねないものだった。皆様に深くおわび申し上げたい」と謝罪した。


◎[参考動画]「核のごみ」説明会の謝礼金問題 NUMO理事が謝罪(ANNnews 17/11/17公開)

◆嘘を塗り固めるには「金(買収)」しかない──原子力マフィアのテーゼ1

「今と向き合う」デジタルハリウッド・アースプロジェクト2017

まったく哲学的でも美学のかけらもないテーゼ1は、しかしながら原子力マフィアの間ではある種の不文律、「絶対原則」の一つともいえる行動原理である。

班目春樹元原子力安全委員会委員長が最終処分場をめぐっての2005年のインタビューで「最後は金目でしょ」、また石原伸晃元環境大臣も2014年6月23日、福島第一原発事故による汚染土中間処理施設建設問題の際に「最後は金目でしょ」と示し合せたように同じ発言を繰り返している。原発4機爆発=人類史上初の大事故の前も後も彼らの本音は「買収すればなんとかなる」であり、二人の発言はぶれておらず、失言でもなんでもない。

◆嘘は大きいほど騙しやすい──原子力マフィアテーゼ2

「今と向き合う」デジタルハリウッド・アースプロジェクト2017

「今と向き合う」デジタルハリウッド・アースプロジェクト2017

「今と向き合う」デジタルハリウッド・アースプロジェクト2017

「今と向き合う」デジタルハリウッド・アースプロジェクト2017

「今と向き合う」デジタルハリウッド・アースプロジェクト2017

にしても、もう少しコソコソする“慎み”くらいは演技でもいいから繕わないのか。そもそも全く科学的ではない最終処分地探しのインチキ地図に「科学的特性マップ」などと平然と命名する神経は「嘘は大きいほど騙しやすい」―原子力マフィアテーゼ2―に基づいているのだが、あまりにも荒唐無稽の度が過ぎる。NUMOは「放射能濃度の高いものは、地下深くの安定した岩盤に埋設し、将来にわたり隔離する『地層処分』が必要です」と主張している。

高濃度汚染物が何十万年にもわたって放射能を出し続けることは科学的に明らかになっている事実だが、一方日本列島のどこにも数十万年にわたり「安定する岩盤」がないことは昨今の地震を見るだけでわかる。人類の文明史などいくら遡ってもせいぜい数千年が限界なのだ。この島国で最も古いとされる紙にしたためられた文章「日本書紀」でも西暦720年に書かれた(つまり1300年ほど前)に過ぎない。

誰が数十万年後までの「安定した岩盤」を保障できるのだ? この問いに答えられない時点で日本における「高濃度汚染物地層処分」は破綻しているのであり、「科学的」というならばその前提の上で議論や計画を立案せねばならない。

しかし、高濃度汚染物処理はこれまで「海中処分」や「北極処分」、「宇宙処分」と行き当たりばったりで、いずれも解決とはならない策が議論されてきたが、危険性の大きさがまる分かりなのでそれらの案は排除され、最後に「ややこしいものは埋めてしまえ。あとのこと?そんな先のこと知るか!どうせその頃、ワシらは死んどるんや!」とやけっぱちになって強引に進めようとされているのが「地層処分」に他ならない。

最近の地震を見るだけでも日本列島はどこでも大地震が起こることは体験済みだが、そのスパンを人類史以上の数万年、数十万年、さらに数百万年と伸ばせばそこには「プレートテクトニクス」により、日本列島全体が「新しい」造山運動の中で誕生し、現在も「動いている」プレート境界の上に位置していることが歴然とする。地殻形成の歴史においては欧州の方が日本列島よりもはるかに古く、それ故安定した地盤で地震が少ない、とされているが、その「地盤が古く安定している」はずのフランスでも地震が発生していることを見れば、「科学的特性マップ」がまったく「科学的」ではないことが容易に理解される。

このような基本的な質問や疑問を投げかけられては困るので「サクラ」として学生アルバイトが動員されたのだ。「サクラ」は従来電力会社社員や、関連企業の社員が担っていたが「コストダウン」の影響か、ここでも「非正規サクラ」に頼るという「新自由主義」のほころびを私たちはいま目にしている。

身内のトップ「原発推進親分」の世耕経産大臣から「下手な芝居」を直々に叱られたたNUMO伊藤真一理事は「会の公正性に対する皆様の不信を招きかねないものだった。皆様に深くおわび申し上げたい」とまた日本語の曖昧さを悪用しようとしているが、違うだろ。「皆様の不信を招きかねない」ではなく原子力マフィアを含めて「誰も信用していない」のが実態だ。


◎[参考動画]「今と向き合う」 デジタルハリウッド・アースプロジェクト2017(Channel NUMO-原子力発電環境整備機構 2017/07/26公開)


◎[参考動画]Adfes2017ダイジェスト~「人を動かし、世に響く」。大学広告研究会のNo.1を決めるコンテスト(Channel NUMO-原子力発電環境整備機構 2017/10/18 公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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