藤川僧と春原さん (1994.6.29)

 
初対面となる私の知人との紹介が続く藤川さんの旅の途中、私以外の世話人も同様に藤川さんに紹介され友達の輪が広まったことでしょう。これが藤川さんの思惑で、延々続いていくのです。

◆春原さんと御対面!

11時少々回って巣鴨駅改札で御対面。春原さんは「初めまして、春原(すのはら)と申します」と比丘に対するには上手くないワイ(合掌)をして御挨拶。

「話は聞いとるよ、ほな行こか!」と予定していた方向の、とげぬき地蔵商店街へ歩き出す藤川さん。先行く藤川さんの後方で、「言うの忘れてましたけど、比丘は挨拶を返さないので悪く思わないでください」と後ろを歩く間に春原さんに伝えました。

私がタイのお寺で藤川さんと再会した時も、昨日の習志野ジム宿舎での朝の挨拶も、藤川さんはちゃんとした挨拶を返していません。私も最初は違和感がありましたが、比丘は俗人に対し、挨拶を返す必要が無いので、その事情を聞いて初めて理解しました。それは一般的に正しくないかもしれませんが、そういう仕来りの下、仏門の日常があると把握しておかねばなりません。

「ああそうなんだ、聞いておいて良かった」と春原さん。

藤川さんは歩きながら春原さんに気さくに話しかけ、「普段どんな所行っとるん?辰吉は眼悪うしたやろ、まだ試合はやれるんか?」と、春原さんの仕事に合わせた会話を続けてとげぬき地蔵尊近くのレストランを見つけ、早速入りました。

11時開店の様子でサラリーマン客はまだ居らず、お参りに来てたおばちゃんたちが数人いる程度の空席が目立ちました。“3名様”を呼ばれてテーブルに着き、藤川さんは「何でもええから注文して!」と自分からメニューを見ず、我々が気を利かせステーキや中華、焼き魚類の定食を3人前、刺身の盛り合わせを1皿注文。合計で4000円ぐらい。

さて誰が払ったでしょう?いちばん年上の藤川さん、二人の仲介役の私、この場でいちばん金持ち春原さん、あるいは割り勘! あるいは……!?

藤川僧と春原さん (1994.6.29)

◆日本のレストランで見た仏教の習慣!

おばさん店員さんによって運ばれて来るお盆に載った定食をまず春原さんに「このお盆のまま藤川さんに手渡ししてください。テーブルに置いたままでいいですから」と最初から手渡しの儀式をお伝えしました。

「比丘は勝手に食べ物に手を付けてはならず、俗人から手渡しされたものしか手を付けてはならないので、今後、藤川さんや私に対し、タイで同様の機会があるかもしれないので、覚えておいてください」と生意気にも少し年上の春原さんに指導する私でした。

「面倒な儀式でしょ! つい忘れると藤川さんは小声で“オイオイ”と呼んだりヒジで突くんですよ、腹立つときは放っておいてやろうかと思いますよ」と私が言うと、ひとつひとつの発言によく笑ってくれる春原さん。

食事中突然、厨房からひとりの大学生風の女の子がやってきました。ミャンマーから来ている留学生で、このお店でアルバイトをしていて「料理をタンブンさせてください」と言う留学生。この子の支払いによる喜捨です。

それを受け入れた藤川さんは「手を出して!」と言って、留学生の手の平に、仏陀のお守りをポトンと落とし授けました。ワイをして感謝する留学生。彼女にとって徳を積む機会となったのです。個人の信心深さによりますが、これは珍しいことではなく、日本では徳を積む機会の無い信心深い東南アジア系の仏教徒は、黄衣を纏った比丘を見つけるとどこだろうと進んで喜捨に向かいます。周りのお客さんは不思議そうな表情。

1時間も喋っていると昼を回り、サラリーマンを主に満席になってきて、春原さんが「喫茶店に移動しますか」と言って立ち上がりレジに向かいました。比丘を除く我々2人分の代金を払おうとすると「あの子が払いましたよ」と厨房を指差すレジのおばさん。

春原さんが「お坊さんには喜捨でいいけど、我々は一般人だから」と言っても「全部お坊さんへのタンブンですから御心配なく」と厨房からさっきの留学生が笑顔で応えました。春原さんと私は「申し訳ない、我々の分まで」と恐縮ながら、留学生に“我々流”に御礼を言って出て来ました。

店を出た後、藤川さんが「あの子、時給800円ぐらいかな、飯代が4000円ぐらいやったやろ、ワシらの為にあの子は5時間ぐらいタダ働きや、申し訳ないと思うやろ、4000円言うたらタイでは一般的な2~3日分の日当やな(1994年当時)、そやから一層修行して世間に還元していかなならんのや、回りまわってあの子にも還っていくんやから」と言う言葉が重かった。“奢り”ではない、この留学生の信心深さに責任を感じる我々でした。

藤川僧と春原さん (1994.6.29)

巣鴨駅前にて。私と藤川さんのツーショットを春原さんに撮って貰う(1994.6.28 撮影=春原俊樹)

◆経験値で仏教を諭す!

喫茶店に場所を移し、もっと雑談続ける我々。藤川さんの話は人としての真っ当な生き方論ではなく、己の経験話。俗人の頃、一時出家の頃、現在と波乱万丈の話は尽きません。

「好き勝手生きてきたワシのような生臭坊主、絶対悟りの境地に達することないやろうと思うんや、何でか言うと、今だに夜中眼っとっても裸で寝とる女に喰らい付いていく夢見ますんや、ハッハッハッハ!」。

「お坊さんと言っても男ですからねえ」と春原さんも納得の大笑い。

「藤川さんはこんな感じで手紙でも面白いこと書いてくれるんですよ」と私が言うと、藤川さんは「こいつなあ、“面白い手紙期待してます”って書いてよこすんやけど、ワシはタイのお寺で、吉本の芸人の修行しとるんやないんやで! 仏道の修行しとるんやで、敵わんな、ワッハッハッハ!」とまた笑わす。

春原さんには「比丘が人前で大笑いしたり、長話ししてはダメですよ」と駄目出しをして欲しかったところ、こんな話聞いていれば春原さんは笑ってばかりで凄く楽しそう。

「寺の様子見るのが楽しみになってきました。もちろん藤川さんも凄い真剣になるんでしょうけど、そんなギャップも見たい」と、ボクサーの試合とプライベートの違いを覗くようにビジネス魂が出る春原さん。

私が「今日、春原さんに来て頂いたのは、私の得度式の撮影をお願いしているので、なるべく撮りやすく出来るよう前もって藤川さんにお会いして頂きたかったんです。月の上旬は春原さんが忙しいので、私は10月中旬以降に寺に入って得度式は月末までにお願いするかと思います。」と藤川さんにお願いすると、
「お前、どうせ仕事も無うて暇なんやろ、10月なんて言うとらんと来月頭にでも来い!」と人のプライド傷付けるようなことを言う。しかしよく喋るなあ、アッシーへ、練習生へ、春原さんへ。「もう京都へ行ってくれ!」とは私のひとりごと。

◆最後の準備へ!

出会いから合計3時間ぐらい話し充分仲良くなった頃、春原さんはそろそろ編集部へ向かう時間です。藤川さんは娘さん夫婦が居る故郷の京都へ向かう為、我々は東京駅へ、春原さんは「今日は凄い楽しかったです。ありがとうございました。ではまたタイでお会いしましょう、お気をつけてお寺まで帰ってください」と手を振って職場へ向かわれました。藤川さんに飲み物だけ渡し新幹線に押し込み、ようやく解放。あとは10月に向け、アパートの家賃や旅の予算を蓄えに最後の準備に掛かります。藤川さんは日本滞在期間、京都で同様に友達の輪を広げていることでしょう。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』