今、キックボクサーの昔話が面白い。マニアだけでなく、聴けば試合や時代背景などの語り口に、はまってしまう人多いでしょう。
格闘技専門誌の名門、月刊ゴング誌編集長だった舟木昭太郎さんが毎度、名選手を招いて行なわれる「トークとオークションの午後Part.11」が10月28日に銀座で、シーザー武志さんをお招きして開催、「シーザー武志の日2」として昨年に続く2回目の登場となりました。
お話は主にキックボクシングデビューの頃のエピソード、佐山聡氏との出会い、息子さんの王座獲得やRENA、MIOの活躍など、時代の背景とともに懐かしい話題で盛り上がりました。
◆デビュー戦から舟木さんの目に止まる存在!
シーザー武志さんは本名・村田友文、1955年(昭和30年)生まれ、1972年(昭和47年)に大阪西尾ジムからキックボクシングデビュー。1982年3月には日本ウェルター級王座獲得。
デビュー当時はまだ17歳、そのデビュー戦は敗れるも、好ファイトを展開したことで、この日の司会者の舟木さんは、
「コーナーに追い詰められる窮地にさらされても頑張っていて、それが凄い印象に残って小さなコラムに書いたんですよ。」と語ります。
シーザーさんは「その何行か書いて頂いたことが凄く嬉しくて、その載ったゴング誌を20冊ぐらい買って家族や親戚に配ったことが思い出されます。ずっと諦めない気持ちでやって来ました。90戦あまり試合して、引分けが30戦ぐらいあるんですけど、私がいちばん引分けが多いんじゃないかな」とあまり知られぬエピソードも語り、当時を振り返りました。
舟木さんに、「顔が全然崩れていないね」と聞かれると、「痛けりゃすぐ倒れるから・・・、右からヒジ打ち食らって鼻が曲がって、左からヒザ蹴り食らって元に戻りました」と笑いを誘うジョークもありました。
シーザー武志さんのデビュー当時は活字の誌面としてのゴング誌は貴重で、ゴング誌に載ることが選手にとって憧れと誇りで、当時の選手は皆そんな想いを持っていただろうと思います。
キック創生期は浅草公会堂でキック興行をやっていた時期がありました。当初は舞台だけが屋根があり、客席は野外となり原っぱのような(土の地面)状態だったといいます。お客さんは少なくて、後にテレビ放映が始まってブームとなり、沢村忠のタイトルマッチでテレビ視聴率が35%以上いくと、権之介坂のガラス張りの目黒ジムは歩道いっぱいに人だかり。それに対し西尾ジムは目黒ジムのカマセ犬みたいな存在で、シーザー武志さんはそういう目黒の強い、有望な選手と当てられて負けが込むも、その中で辛抱してきた選手でした。そんな忍耐心がその後、シュートボクシングを始めても不振が続いても諦めない、継続力に繋がっていきました。
◆佐山聡との出会い!
「力道山は尊敬するほど好きだったけど、後のプロレスはあまり見ませんでした。キックボクシングが下火になり、興行もほとんど無かった頃、佐山聡の知り合いから“UWFの試合を観に来てくれ”と誘われて観に行ったら佐山聡に会うことになり“シーザーさん、蹴りを教えてくれませんか?”と言われて、ちょうど暇だったので、タイガージムへ教えに行くようになりました。そこで、前田日明と山崎一夫と高田信彦に“練習いっしょにいいですか?”と言われて教え始めたのがUWFとお付き合いする切っ掛けでした。前田は以前、空手をやっていたので、その棒蹴りの癖はなかなか直らなかったですね。いちばん上達が早かったのは佐山聡で、彼のパワーは凄かったですね。以前にもキックをやっていた経験があるので、蹴り方を覚えていて、教えたことは更に上手く習得していきました。いちばんダメだったのが高田信彦で彼は蹴りはやったことなかったから。その代わり、彼の偉いのはみんな練習終わっても、ずーっと蹴りの練習していましたね。だから後々にはかなり上達しました」と裏話あり、そこでシーザー武志さんが教え始めたことで皆、蹴り技が上手くなっていきました。
その後、佐山聡氏が1984年にシューティング(現在の修斗)を創設し、その影響から翌年にシュートボクシングを設立に至り、興行を充実させ、シーザー武志氏も本来の実力を発揮、WSBAを設立し、日本と世界のホーク級チャンピオンに君臨しています。引退後は選手育成に力を注ぎ、緒方健一をはじめ、多くの名選手が生まれて来ました。
◆現在のスター!
今年の9月16日には息子さんである村田聖明(22歳)がキャリア16戦目で初のタイトル挑戦となるSB日本スーパーフェザー級(-60kg)王座決定戦に出場。池上孝二(フォースクワッド)に判定勝利で王座奪取しました。「本当は格闘技やらせたくなかったですけどね。“デビューしたからにはジムや会場などの協会管轄下では親子の関係ではないぞ”と告げました。たまにジム行くのがいっしょの時間になると、“いっしょに車で行くか“と言うと“僕はバスで行きます”と返されるとちょっと寂しい思いがする時があります」と親心の一面も見せ、チャンピオンになった時は「協会の会長として感情出しちゃいけないと我慢していたんですけど、“お父さん、お母さん、今日まで育ててくれてありがとうございました”と言われた時は、耐え切れなくて涙流してしまいました」と心中を語りました。
紆余曲折を経て、人脈多く周囲の人達に支えられて32年続いたシュートボクシングで、「感謝の気持ちを忘れず続けていきたい」と語りました。シュートボクシングは香港の支部も出来、12月にはMIOも出場する興行があるようです。
RENAは総合格闘技にも進出している現在。「幼い頃からお姉さんにいじめられて反発し、喧嘩ばかりしていたようで負けん気が強い。普通、男でも倒れた相手の顔なんて踏めないもんだけどRENAは平気で踏むからね。そんなRENAの後を追いかけるMIOも、また違った戦略で世界進出させたい」と語るシーザー武志氏でした。
そんなシュートボクシングのビッグイベントが来週行なわれます。
「SHOOT BOXING BATTLE SUMMIT-GROUND ZERO TOKYO 2017」
2017年11月22日(水)東京ドームシティホール17:30~
SB&RISEヘビー級チャンピオン.清水賢吾(極真会館)
vs
元・パンクラス・ウェルター級チャンピオン.三浦広光(SAMURAI SWORD)
4人の選手参加によるSB日本スーパーライト級(-65kg)王座決定トーナメントでは、海人(TEAM F.O.D)vs憂也(魁塾)、健太(E.S.G)vs高橋幸光(はまっこムエタイ)がそれぞれ準決勝戦で、ワンデートーナメントによる決勝戦が行なわれます。
深田一樹(龍生塾ファントム道場)vs笠原弘希(シーザー)戦、MIO(シーザー)vs ペッディージャー(タイ)戦、他にシーザー武志さんの息子さん村田聖明(シーザー)も出場決定しています。
《取材戦記》
シーザー武志さんがデビューした1972年(昭和47年)頃は創生期から少し時代が流れた頃で、稲毛忠治、松本聖、田畑隆など次の時代のスターが多くデビューした頃でした。
トークショーは限られた時間で一部のエピソードを拾ったもので、物足りなさは感じるところがイベントとして丁度良く、こういう昔話を掘り起こして、他の昭和の名選手からも深イイ話を生の声で聴けることを、今後のトークショーに期待したいところです。
▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」