先輩僧たちに囲まれて俗人姿で撮影(1994.10.28)

◆寺入り3日目の朝

部屋は替わったので、隣に寝て居るのは二人のデックワット。不安や苛立ちが大きいのか、今日も眠りが浅いまま自然と目が覚めてしまいました。今日は春原さんがやって来る日。「明るく笑顔で出迎えなければならない」と思っているうちに5時に目覚まし時計が鳴り、電灯を点るとデックワットも目を覚ましてしまい「悪いな!」と言いつつ、藤川さんに合わせるため仕方ないところ。

ワンプラの次の日は平凡な朝に戻ります。いつもの流れで比丘の朝食、デックワットの朝食と移り、相変わらずやることが遅れる私。朝食後、藤川さんは私に声掛けることなく一人で掃除を始めていました。口煩かった昨日と比べ、今日は無視か。仕方なしに私も自分の部屋を雑巾掛け掃除して、そのまま部屋に篭ってしばらく本を読んでいると扉が開き、藤川さんが白衣をポンと投げ入れ、何も言わずに行ってしまいました。

「何だ、何か言って行けよ」と思うも、この白衣は剃髪後に纏うことになり、比丘と俗人との中間に立つことになります。これは借り物で済むものですが、本来はこれも親族から贈られるものでしょう。これを準備してくれた藤川さんでありました。

本堂脇で藤川さんは春原さんと立ち話(1994.10.28)

髪を剃ってくれるのは僧歴7年のアムヌアイさん(現・住職)(1994.10.28)

◆春原さんを迎える!

比丘の昼食後はデックワットと一緒に飯喰いたいところ、春原さんを迎えにバスターミナルへ行かねばなりません。

一応、藤川さんに断ってから行こうと部屋に行くと「オイ、待っとってくれよ!」と言って黄衣を纏って準備している藤川さん。

私は「はあ? 何で来るんですか?」と言うと「まあええやろが!」とまた出たがり藤川さん。仕方なく、また2台のバイクタクシーで向かいました。予定していた12時30分ぐらいに青いエアコン高級バスは到着。15人ほどの乗客の中、降りて来た春原さん。先日会ったメンバーは誰も来ず、それで結構なところ、彼らの気分を悪くさせていたかと後ろめたい気持ちも残りました。

藤川さんは「よう来たな、こんな田舎まで御苦労さん!」と労いの言葉をかけます。また話し相手を迎えてニコニコ顔。「お久しぶりです。相変わらず元気そうですね!」と応える春原さんの御挨拶を遮って、私は早速、「春原さん、昼飯行きましょう!」と食事に誘い、我々は軽四輪タクシーに乗って市場に向かいます。ぶっ掛け御飯の惣菜が並ぶ屋台に入るも、藤川さんは昼を過ぎているので食事は摂れません。こんな状況だから連れて来たくなかったのです。

昼食後は銀行へ行って、得度式での参列する比丘たちへのお布施用に100バーツ紙幣が多めに必要になるので、4000バーツ分を両替。更に雑貨屋で、昨日買っとけばよかったと思うも、封筒や湯沸しポット、部屋の鍵は新しく備える為の南京錠を購入。

「ついでにネズミ殺しの餌買うて来てくれ!」と言う藤川さん。比丘がネズミ殺しって?「これはさすがにワシが買うのはマズイやろう、そやから頼むわ!」ってそんな勝手な。春原さんは巣鴨での会話の再現に笑っているし、「巣鴨の時のような呑気なものではないんですよ、愚痴聞いてよ!」と悶々と春原さんに訴えかける私。

何かポーズをとっては印象に残るカットを考える私(1994.10.28)

他の比丘も興味津々集まって来る(1994.10.28)

心は泣いている私(1994.10.28)

仕上がり直前、剃り残しをチェック。藤川さんも何か言いたそうな顔つき(1994.10.28)(1994.10.28)

白衣を着せてくれる藤川さんと私(1994.10.28)

◆剃髪の時間!

午後2時頃、寺に帰ると春原さんを連れ境内を案内し、得度式を行なう予定の本堂の方へ回りました。ついて来た藤川さんはそんなところでも立ち話しが長い。こちらは今のうちに春原さんとツーショット撮りたいのに、自分の話しが終われば「もう頭剃るぞ!」と急がせます。クティの階下にある芝生の上にパイプ椅子が置かれており、正に刑場のような佇まい。「まず水浴びて来い!」と藤川さんに促されます。石鹸で頭洗いながら、「髪がある、ずっとこうやって何年も髪洗って来たんだな」としみじみ洗い収めました。

今日は髪がゴワゴワになる心配は無い。タイに居て石鹸で髪洗うことはムエタイのジムでも経験あり。幼い頃も石鹸でした。昔は粉石鹸なるものも売っていて、これで髪洗ったんだな。何か遠い昔を思い出す水浴びでした。

3時半頃、“刑場”に向かうと髪を剃ってくれる僧歴7年のアムヌアイ(現・住職)さんが待っています。

「まず断髪式や!」と言って春原さんにハサミを持たせた藤川さん。普通は親族の父親が最初にハサミを入れるのでしょう。しかし私にはこのタイで親族は居らず、親族暫定代表の立場にあるのは春原さんだけ。
「えっ! いいの? 切るよ! 本当に切るよ!!」
オドオドしながらハサミを入れようとする春原さんに藤川さんが
「バサッといけ、そんなもん!」と後押しします。

そしてついに頭頂部の髪が切られました。散髪屋で感じる切れ味とは違う、遠慮がちなゆっくり“ジョキッ”とした音。「ついに切った。始まった!」と悟る瞬間でした。次にアムヌアイさんが剃り始めます。カミソリで髪を梳いているような心地良い響きが伝わってきます。

春原さんに「あっちからも撮って、見ている坊さんらも入れて!」なんて注文していると「いちいち煩い!」と言われる始末。仕事でカメラマンも兼ねる人だから、分かっていることには苛立ったことでしょう。やたら喋ることが多かった私は、心が動揺してどうしようもなかったのです。10分あまりで剃り終えるとアムヌアイさんに御礼を言って仕上げの水浴びに向かいました。髪を掴もうにも「あっ、髪が無い、現実なんだな」と意識すること10秒ぐらい。しかし頭洗うことの楽なことも実感。

部屋に戻り、春原さんは「どうです、今の心境は?」と計量を終えたボクサーにインタビューするかのように問い、「昨日も今日も変わらぬ風景が視野に入っていますが、この場に春原さんが居る不思議さと、癖で髪を掻き上げようとすると髪が無いことに気付く。そこでハッと現実に返るような心境です」と応える私。そんなところへ藤川さんがやって来て「早よ着んかい!」と急かすように白衣を纏わせてくれました。

子供の蛇が成長し脱皮して古い皮を捨て去るように身体は白くなり、大人へと一段と成長する過程にあるこの状態が、この白衣の意味があるようです。そして次が黄衣に変わる、明日は大人の仲間入りとなります。

そして明日の得度式に備え、比丘へのお布施を「100バーツを25人分、300バーツを2人分、500バーツを一人分、親代わりになってくれる式の先導役へ200バーツ用意しとけ!」と言って出て行った藤川さん。買った封筒は50枚ほどあり、両替した紙幣をその人数分用意しました。

夕方、5時30分を回った頃、そろそろ春原さんはホテルへ移動します。こんな寺ではお誘いできる寝床はありません。予約はしてなかったと思いますが、寺から7~8分ほど歩いたところに、中級のホテルがあるようで、藤川さんが付き添って行ってくれました。

30分程で戻って来た藤川さん。ホテルのフロントの女の子に勿論タイ語で「“日本からウチの寺を取材に来た記者や、どうせ今晩暇やろうから晩飯でも付き合うてやってくれてもええで”と言うて来たわ!」と話す藤川さん。フロントの女の子も大笑いだったらしく、比丘の立場でお騒がせな藤川さんでありました。

寝るまでに髪触ろうと何度頭を触ったことか。中学生の頃は五分刈りで、こんな剃ってしまうのは生まれて初めてのこと。長髪が好きで、もう絶対坊主頭にはしないと思った中学卒業の頃。私も変わったものだと感心。明日は高津くんがこの頭見て笑うのかあ。恥ずかしながら楽しみな対面となります。

春原さんと初めてのツーショットは剃髪後、セルフタイマーで(1994.10.28)

※筆者剃髪時の写真は春原俊樹氏(ワールドボクシング=当時)撮影

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

2018年もタブーなし!月刊『紙の爆弾』2月号【特集】2018年、状況を変える

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

本年も、よろしくお願いいたします。今年こそ、社会の問題に対し、現実的に一矢報いるところから始める所存。

さて最近、書籍の話題を取り上げてきたが、今回は新年の話題としてもっともふさわしくない「人間の悪魔的な部分」「毒気」について考えざるを得ないような、韓国の劇映画を紹介したい。

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◆韓国と日本の「強制入院」

作品は、2016年に韓国で実際に起きた拉致監禁事件をモチーフとした『消された女』。プレスシートによれば、「韓国では、精神保健法第24条を悪用し、財産や個人の利益のために、合法的に健康な人(親族)を誘拐し、精神病院に強制入院させる事件が頻繁に起こり、社会問題になっていた」という。たとえば、医師が自らの息子を、資産を守るために夫が元妻を、離婚のために夫が妻を強制入院させた。「精神保健法第24条」とは、「保護者2人の合意と精神科専門医1人の診断があれば、患者本人の同意なしに『保護入院』という名のもと、強制入院を実行できる」ものだそう。韓国公開後の16年9月、憲法裁で精神疾患患者の強制入院は、本人の同意がなければ憲法違反という判決がくだった。

調べると、日本の措置入院も、都道府県知事への通報等があること・調査の上措置診察の必要があると認めること(精神保健及び精神障害者福祉に関する法律27条1項)、診察の通知(28条)を経て、指定医2名以上の診察の結果が「精神障害者であり、かつ、医療及び保護のために入院させなければその精神障害のために自身を傷つけ又は他人に害を及ぼすおそれがあると認める」ことで一致すること(29条2項)などによって措置入院が可能となっているようだ。

ただし、「自傷他害のおそれがある」という文言を拡大解釈して常習犯や「触法(犯罪を起こした)精神障害者」などによる犯罪その他の触法行為の予防のための拘禁の代用としてこの制度が使われる危険性があり、犯罪として処罰するためには立法府が制定する法令において犯罪とされる行為の内容・刑罰を規定しておかなければならないとする罪刑法定主義の原則との兼ね合いが問題になっているという。

また、措置入院以前でも、医療保護入院(33条)の家族等による悪用があるようだ。権力が強まり、「中世」とすらいわれる現在の社会状況をかんがみても、また監禁事件などの報道をよく目にすることを考えても、背筋が寒くなる話であり、本作のテーマを対岸の火事と思っている場合ではないかもしれない。

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プレスシートには、精神疾患者たちの平均入院期間は韓国が極端に長期にわたっていると説明されていた。なぜか日本が取り上げられていなかったので、気になり、これも調べてみた。すると、「第8回 精神障害者に対する医療の提供を確保するための指針等に関する検討会」(2014年3月28日)の参考資料が見つかった。そこに示されている「精神病床の平均在院日数推移の国際比較」グラフのたとえば2010年のデータを見ると、諸外国が50日程度までにおさまっているのに対し、韓国が100日を超えており、ここ20年間なんと日本がダントツで500日からようやく300日程度まで下がってきたということだ。強制入院に限ればまた異なるのかもしれないが、まったくいったいこれはどういうことなのかと考えなければならない。資料に続けて目を通せば、通常の身体的な病気同様、退院を促すというスタンスはあるようだが、精神的な負担が多い社会なのか、それとも入院させ続けがちな社会なのか、その両方なのか、ほかにも原因があるのかなど、不勉強な筆者には気になることばかりだ。

だが、再びプレスシートを読んでいくと、「1日10件を超える強制入院が発生している韓国の現実」などと書かれている。そこでまた日本のデータを調べ、厚生労働省のデータを見る。「精神障害者申請通報届出数、措置入院患者数及び医療保護入院届出数の年次推移」の2014年度では申請通報届出数24,729件、措置入院患者数1,479人、医療保護入院届出数170,079件(一部を改正する法律の施行により、保護者制度が廃止され、医療保護入院の同意者が従来の保護者又は扶養義務者から、家族等のうちいずれかの者となった)で、全体としては措置入院患者数が減っているが、医療保護入院届出数が増えている。別の「医療保護入院患者数の推移(年齢階級別内訳)」の資料を見れば、131,924人となっている。単純に比較できるデータが出て来ないのでなんともいえないが。

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◆「真実に基づいた映画は、世間の注目を集めるために必要であると信じている」

本映画作品に戻ると、そのあらすじは、こうだ。白昼、都市で、カン・スアという女性が誘拐され、「精神病院」に監禁される。彼女が強制的に薬物を投与され、暴力をふるわれる日常を書き留めた手帳は、ナ・ナムスというTVプロデューサーの男性に届けられた。彼は、殺人事件の容疑者として収監されていた彼女と出会うことになるが……。

韓国でも、実際の殺人事件を取り上げた『殺人の追憶』『殺人の告白』、暴行事件を取り上げた『トガニ 幼き瞳の告発』『ハン・ゴンジュ 17歳の涙』などの作品があり、いずれも評価が高い。

ところで最近、長女を両親が監禁したと思われる「寝屋川監禁事件」、金銭トラブルが原因とされ4人目が逮捕された「茨城・牛久の切断遺体事件」、宮司殺害など3人が死亡した「富岡八幡宮」の事件、アパートで9人の遺体が見つかった「座間殺害事件」など、以前であればもっと騒がれていたようにも思われる凄惨な事件の報道がいくつかあった。筆者は先日、「北九州監禁殺人事件」についてのネットの記述を一晩中読んでしまった。

イ・チョルハ監督は、「いくつもの私設精神科病院にはびこる悪行について語りたかった」「物語を展開することによって、社会から保護されていない犠牲者たちについて語りたいと思った」「真実に基づいた映画は、世間の注目を集めるために必要であると私は信じている」という。ちなみにナ・ナムス役のイ・サンユンは最新ドラマ『二度目の二十歳』などではソフトな魅力を打ち出しており、ファンの方も本作の緊張感あふれる演技を新鮮に楽しめるだろう。ほかにも人気俳優たちがキャストに名を連ねている。

人間には、自らを守るためなのか、悪魔というか毒気にとりつかれるような性質があったり、ある環境や関係性に追いこまれればそのような性質があらわとなるような面があったりするのではないだろうか。生きながらにして互いに地獄に陥らないために、たとえば制度の問題があればそれを是正し、極力オープンな状態を保てるような仕組みをつくったり、対立する利害を対話で解決できる仕組みもどんどんつくったりそれがきちんと用いられたりするようにみんなでし続ける必要があるのかもしれない。

まずは本作をご覧になってみては、いかがだろう。

◎『消された女』公式サイト http://www.insane-movie.com/
原題:날, 보러와요(『私に会いに来て』) 英題:INSANE
監督:イ・チョルハ 出演:カン・イェウォン、イ・サンユン、チェ・ジノ ほか
字幕翻訳:金 仁恵 提供:キングレコード  配給・宣伝:太秦
【2016年/韓国/カラー/91分/シネマスコープサイズ/5.1ch/DCP】
2018年1月20日(土)より、シネマート新宿・シネマート心斎橋ほか全国順次公開


◎[参考動画]映画『消された女』予告編(uzumasafilm 2017/12/22公開)

▼小林蓮実(こばやし・はすみ)[文]
1972年生まれ。フリーライター。労働・女性運動等アクティビスト。『現代用語の基礎知識』『情況』『週刊金曜日』『現代の理論』『neoneo』『救援』『教育と文化』『労働情報』ほかに寄稿・執筆。

『紙の爆弾』
●〈2月号〉【特集】2018年、状況を変える8「『よど号』メンバーに聞く 日米安保路線見直しで 日朝国交正常化へ」
●〈1月号〉決死の覚悟と不屈の精神をもつ従軍慰安婦とされた女性たち 寄稿
●〈1月号〉対米従属「永久化」今こそ日米関係を根本的に見直せ! 天木直人さんインタビュー 構成

『NO NUKES voice vol.14』
●[報告]「生業を返せ! 地域を返せ!」福島原発被害原告団・弁護団「正義の判断」寄稿
●[インタビュー]淵上太郎さん(「経産省前テントひろば」共同代表)
〈反原発の声〉を結集させ続ける 不当逮捕を経たテントひろば 淵上さんの「想い」 取材・構成・撮影
●[インタビュー]松原保さん(『被ばく牛と生きる』映画監督)
 福島は〈復興〉の「食い物」にされている 取材・構成・撮影

『救援』584号 塩見孝也さん追悼文

2018年もタブーなし!月刊『紙の爆弾』2月号【特集】2018年、状況を変える

◆神原元弁護士はなぜ、対鹿砦社の代理人を一手に引き受けているのか?

 

『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』[特別付録]リンチ音声記録CD(55分)定価=本体1250円+税

写真家の秋山理央は取材班からの電話問い合わせに対して、「あす電話で回答します」と語っていたが、翌日鹿砦社に電話をしてきたのは神原元弁護士だった。これまでに、「反原連」(首都圏反原発連合)、五ノ井郁夫、秋山理央、香山リカ、そして李信恵の代理人を神原元弁護士は鹿砦社に対して引き受けている。

弁護士業界不況の中、年収200万円以下で弁護士登録を断念するしかない、多くの若手弁護士が泣いている中、神原弁護士のご多忙はまだまだ、続きそうである(念のため、上記団体や個人はいずれも、鹿砦社からの質問や要請に対してみずから回答をせず、神原弁護士に対応を依頼したものである。鹿砦社から、好き好んで弁護士登場が必要な場面を作り出したわけではない)。

◆付録CDが怖くて開けない読者にも10項だけは読んでほしい

『カウンターと暴力の病理』を購入していただいた方々から、次々と感想が寄せられている。予想していたこととはいえ「本文を読みましたが、怖くなってCDは聞けていません」という方々が多数いらっしゃるようだ。編集部は読者の皆様に『カウンターと暴力の病理』の読み方、付録の聞き方を強制する立場にはないし、どのようにお読みいただいても(あるいは買いはしたが、面白くなくて途中で放り出されようが)結構。お買い求めいただいただけで感謝、感謝である。

ただ、本文だけでも200ページ近くあるので、後半は未読の読者がいれば、10項「鹿砦社元社員の蠢動と犯罪性」には是非お目通しいただきく、お勧めする。「しばき隊」、「M君リンチ事件」に関心のない方々にも(もちろん内容は事件と無関係ではないが)、現代のネット社会の問題点、とりわけSNSに過度の依存をすると、どのように行為が変化してゆくのか。心理がいかなる変化を見せるのかを考察するうえでの症例研究としてもお使いいただけるであろう。

大学院生リンチ加害者と隠蔽に加担する懲りない面々(『カウンターと暴力の病理』グラビアより)

◆関連事件に絡む「SNS依存症」の人たちが取る類似行動

いま、ご覧頂いている「デジタル鹿砦社通信」は少なくとも一人以上が、公開前に目を通し、内容の妥当性や誤字脱字をチェックしている(それでも間違いが散見されるのは、ひとえに書き手の「ズボラさ」ゆえだ)。しかし、SNSはふと思い立ったらすぐにそれを「公開」することができ、基本的に「編集者」や「校正者」が介在することはない。特別な有名人で本人ではなく、「ゴースト」が複数で書き込みをしている場合などの例外を除いて、一般人のSNSやブログは「ノーチェック」で他人の目に触れることになる。

そして、SNSの恐ろしいところは、一度深みにはまってしまうと、時間的、内容的な制御が効かなくなることだ。趣味で植物の生育ぶりや、旅行記を書いていたり、興味を同じくするテーマで穏やかに語らっているうちは平和だけれども、SNSを「論争の場」や「徒党を組んで勢力を誇示する場」として使い始めると、とんでもない中毒症状(依存症)と、攻撃性、そして法をも犯すまでに至る「実例」を生々しくご紹介している。

これはどなたにとっても他人事ではない。あなたの隣で真面目そうに仕事をしているように見える同僚が、実は就業時間の半分ほどをSNSに費やしているかもしれない。あなたはそうでなくとも、あなたのご家族やご友人は大丈夫だろうか?

取材班は結成以来、「M君リンチ事件」の取材を進めるかたわら、持ち込まれた複数の類似事件へも直面してきた。社会的にも問題を含んだこれらの事件はまだ記事化されてはいないが、いずれの日にか読者の皆様にご紹介する日が来ることだろう。取材班が驚いたのは、それらの「事件」にはいずれも「SNS依存症」の人間が必ず絡んでいることだ。そして「SNS依存症」の問題人物は共通して「虚構を述べる(あるいは数人で創り出す)」、「法的措置をちらつかせる」などの行動に類似性を見て取ることができた。時に企業恐喝と取られても致し方のないケースもあった。

その象徴のような人物が犯した数々の問題を紹介することにより、過剰に情報伝達速度が上がり、誰しもが「人の目を経ることなく」発信が可能となった今日社会の危険性と病巣に警鐘を鳴らすのが『カウンターと暴力の病理』10項の「鹿砦社元社員の蠢動と犯罪性」だ。「藤井(注:鹿砦社元社員の名)ライブラリー」とさえ揶揄される、この膨大なメールやツイッターの記録を見て取材班は、やや大げさながら「SNSは充分に危険性を理解してから使わないと危険だ」との結論に至っている。

多くの人がスマートフォンを保持し、パソコンを触る環境にある中、「SNS」の使い方を間違えると、仕事や下手をすると人生の貴重な時間を無駄にすることになる。「みもふたもない」(同書176頁秋山理央の告白)失敗に陥らないためにはどうしたらよいのか。その生きた回答を「鹿砦社元社員の蠢動と犯罪性」の中でまとめあげた。未読の方には是非お目通しをお勧めする。

(鹿砦社特別取材班)

『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』[特別付録]リンチ音声記録CD(55分)定価=本体1250円+税

「生まれつき茶色い髪について、学校で何度も黒く染めるように指導されて精神的苦痛を受けた」

大阪府羽曳野市にある府立懐風館高校の女生徒がそう訴えて昨年10月、大阪府に損害賠償など約226万円の支払いを求めて起こした「髪染め強要」訴訟。ここまではマスコミがこぞって女生徒の応援団と化している印象だ。

報道を1つ1つ紹介していたらきりがないが、いかにマスコミが女生徒側に一方的に肩入れした報道を繰り広げてきたかは、以下のようにインターネット上で配信された記事の見出しを並べただけでもわかるだろう。

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教室の席なくされ、進学の夢は遠のき 髪黒染め指導訴訟(朝日新聞デジタル同11月10日)

(社説)黒髪指導 生徒の尊厳を損なう(朝日新聞デジタル同11月6日)

社説 学校の頭髪黒染め指導 理不尽な強要ではないか(毎日新聞ホームページ同11月19日)

地毛茶髪、黒染めで頭皮ボロボロ…アレルギー無視「生徒への暴力だ」(産経WEST同12月19日)

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こうした報道をうけ、脳科学者の茂木健一郎氏や教育評論家の「尾木ママ」こと尾木直樹氏ら著名人たちも次々に学校側を批判するコメントを発表。さらには、この騒動は海外メディアでも次々に報じられ、日本の学校では生徒の身だしなみについて、厳格なルールを定めているように伝えられた。

一方、こうした騒動の中、学校側は女生徒について、「髪の毛の色は明るかったが、地毛は黒色だと判断し、黒く染めるように指導していた」と主張しているのだが、そのことはほとんど報道されていない。そのため、学校側が悪いというイメージが世間に強烈に印象づけられている。

そこで私は、訴訟が行われている大阪地裁を訪ねて訴訟記録を閲覧し、現時点での女生徒側、学校側双方の主張を確認した。その結果、女生徒側の主張を鵜呑みにし、学校側が悪いと決めつけるのは危険だという思いを抱いた。ついては、ほとんど報道されてこなかった学校側の主張をここで紹介したい。

訴訟が行われている大阪地裁

◆懐風館高校は学校運営の方針として生活指導に重点

この訴訟の原告は女生徒で、被告は大阪府だ。府が提出した同12月11日付け準備書面をもとに学校側の主張を見ていこう。なお、便宜上、これから先は原告の女生徒をA子と呼ぶことにする。

懐風館高校は、羽曳野高校と西浦高校という2つの府立高校が統合されて2009年4月に開学した。設立当初、生徒たちの生活などに乱れがあり、問題行動をする生徒が多かったことから、学校運営の方針として、生徒の生活指導に重点を置き、とくに頭髪や服装、遅刻に対する指導に力を入れるようになったという。それにより、生徒たちの興味や関心を勉学やスポーツに向けさせようとしたわけだ。

では、生徒の頭髪に関する校則は具体的にどのように定められているのかというと――。

〈頭髪は清潔な印象を与えるように心がけること。ジェルなどの使用やツーブロックなどの特異な髪型、パーマ、染髪、脱色、エクステは禁止する。また、ドライヤーなどによる変色も禁止する。カチューシャ、ヘアバンドなども禁止する〉

このような校則がある懐風館高校では、夏休みや冬休み、春休みという長期の休み入る前には生徒の頭髪検査を行っている。その際、髪の色を染めているなどの校則違反をしている生徒がいれば、次回の登校日までに地毛の色に染めるように指導しているとのことだ。また、日常の学校生活においても、頭髪を染色するなどの校則違反をしている生徒がいれば、4日以内に改善するように指導しているという。

これを見る限り、懐風館高校の頭髪に関する校則は厳しく、かつ、学校側は生徒たちに対し、この校則を厳しく守らせている印象だ。

もっとも、A子の髪の色が本人の主張するように生まれつき「茶色」であるならば、校則に引っかかることはない。それにも関わらず、学校側がA子に対し、髪を黒く染めるように強要していたとすれば、重大な人権侵害というほかないだろう。

一方、逆に学校側が主張するようにA子の髪の地毛の色が本当は「黒」であるにも関わらず、A子が黒以外の色に染めていたならば、A子は校則違反をしていたばかりか、髪の色を偽って訴訟を起こしていたことになる。こちらが真実である場合、A子の主張はもはや全面的に信用性を失うと言っても過言ではないだろう。

◆地毛が茶色で、髪を黒く染めさせていない生徒が約40人存在

では、学校側はA子の髪の毛の色について、事実関係をどのように主張しているのか。おおよそ次の通りだ。

A子が懐風館高校に入学した2015年の3月23日、学校側は2015年度の新入生を対象とする説明会を開いている。そして教育内容、年間行事、部活動などについて説明を行ったほか、生徒指導主事の教師が校則について説明を行った。

その中では、(1)懐風館高校は、頭髪指導に力を入れていること、(2)頭髪規制に関する校則の内容、(3)頭髪を染髪などした場合は地毛の色に染色するように指導していること、(4)地毛の色に染色してもそれが色落ちしてきた時には再度、染色してもらうことがあること――などが説明されたという。

そして学校側の主張によると、この説明会では、学年主任の教師が新入生たちに対し、「学校生活を送るうえで、配慮が必要な者は保健室へ来て、申告するように」と伝えた。しかし、頭髪に関し、学校側に配慮を求めてきた新入生はいなかったという。

さらに学校側は念押しするようにこう主張する。

〈なお、入学後のオリエンテーションにおいて、頭髪の地毛が茶色であるなどと申し出てきた約40人の生徒がいるが、これらの生徒に対しては、当然のことながら、頭髪を黒色に染色するようにとの指導などは行っていない〉

この部分は換言すると、こういうことになる。懐風館高校では、頭髪が生まれつき茶色である生徒に対し、頭髪を黒色に染めるような指導はそもそも行っておらず、そのことを裏づける生徒が約40人存在する――。学校側がこの訴訟において、この約40人の生徒が実在することを何らかの形で証明できれば、大きなアドバンテージなりそうだ。

◆入学当初に染髪をしていると認められていた原告の女生徒

では、A子に対し、学校側が髪の色に関する指導を行ったのはいつ頃からのことなのか。

学校側の主張によると、最初は同3月30日、新入生の生徒証に貼付する写真の撮影を行った時だったという。この際、3人の教師が生徒たちの頭髪検査を行ったところ、A子の頭髪の色は著しく明るい状況だった。ただ、髪の毛の根元部分(1センチくらい)が黒く、そこから毛先に行くに従って光っているような明るい色になっており、過去に染髪をしていることが認められたという。

A子はこの時、「中学校で、高校入試のために髪を黒色に染めるように言われた」と答えたそうだ。これをうけ、教師たちは「A子の頭髪は、地毛が黒色なのに、異なる色に染色していたので、出身中学が高校入試で不利にならないように地毛の黒色に染めるように指導したのだ」と理解した。そこでA子に対し、校則や指導方針を説明し、4月2日の登校日までに黒く染めるように伝えたという。

ちなみにこの時、学校側はA子以外にも16人の生徒に対し、髪を地毛の色に染めるように伝えたとのことだ。そしてA子も他の16人の生徒も4月2日の登校日には、髪を黒く染めてきたというのだが――。

学校側の主張によると、これ以降、A子は何度も髪を黒以外の色に染め、学校側の指導を受けて地毛の色である黒に染め直すが、また黒以外の色に染める――ということを繰り返すようになったという。こうした学校側とA子の具体的なやりとりについても、前出の準備書面には詳細に綴られている。

それはあくまで学校側の主張だが、信ぴょう性をまったく感じられない内容ではない。後編では、学校側の主張をさらに詳しく紹介していこう。(つづく)

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

2018年もタブーなし!月刊『紙の爆弾』2月号【特集】2018年、状況を変える

1995年1月17日早朝に発生した「阪神大震災」から23年になる。震災の記憶を「風化」させてはならない、と神戸などでは毎年行事が行われる。はたして震災の記憶を「風化」させないことにはどのような意味があるのだろうか。またそれは可能だろうか。

◆悲しみは20年程度で消えるものではない

「阪神大震災」だけではない。おそらくは1995年から日本は地震の活動期にはいり、その後20年ほどのあいだに大地震が頻発した。ここ半世紀ほど経験のなかった震度6級の地震が北海道、岩手、福島、新潟、長野、島根、熊本(それ以外にも震源地はある)と全国で発生している。

記憶の「風化」は揺れの経験者や被災者には起こらない。忘れようにも体に染みついた揺れへの恐怖心や、被災による悲しみは20年程度で消えるものではない。被災の苦しみは後遺症や生活困窮となり現在進行形でも被災者を苦しめている。困難の渦中にあるひとびとにとっては「風化」どころではない。

他方、大地震を経験せず、東日本大震災も映像や報道でしか触れなかったひとびとは「震災」をどう感じているだろうか。もちろん一様ではないだろう。共感力の優っているひとは、自分の身に何が起こらずとも情報からだけでも自然災害へのある種の「畏敬」や被災したひとびとの苦難を、わがこととして感じ得よう。あるいは自分も揺れを体感しても、すぐ近くで苦闘しているひとたちに思いをいたすことができないひとが、震災直後からいたことは、1995年の西宮と大阪の意識格差から思い出される。


◎[参考動画]阪神淡路大震災当日 東灘区、灘区の様子(hanahana1187 2015/01/16公開)

◆「もうええ加減、会社出てこられへんの?」 

「もうええ加減、会社出てこられへんの?」 震災から3日後に大阪市南部にある中小企業に勤務する知人は西宮の自宅へ連絡を受けていた。1月17日早朝の大地震発生直後、テレビは即、大阪、京都の震度を報じたが、なぜか神戸の震度だけはしばらく抜けていた。京都で揺れを感じたわたしは「神戸だ」と直感し、親戚、知人に安否を確認すべく電話をかけまくった。幸い直接の知人には、犠牲者や怪我人はいなかった。が、その数分後から関西地方を中心に有線電話はほとんど使えなくなった。

阪急神戸線は大阪(梅田)から西宮北口までは運行していた。その先神戸方面へは不通だった。大阪(梅田)駅周辺には目立った被害は確認できない。地震の直後にビルの屋上で作業用のクレーンが倒れた映像が繰り返し放映されていたが、大阪中心部の被害は、その程度だった。阪急電車が西へ動き出すと景色は少しづつ変化を見せた。ブルーシートを屋根に被せた民家の姿がところどころにみられるようになってきた。武庫川にかかる西宮大橋を渡ってからは街の姿が一変する。何年か前に本通信に書いたが、西宮北口駅周辺は「爆撃を受けた町」の様相だった。

知人は本当であればそこから2駅宝塚方面に乗り換えると、駅から近い場所に住んでいたが西宮北口から宝塚へ向かう電車は運行していないから、徒歩で向かった。新しく建てられた住宅は外見上無事に見えるが、古い民家は軒並み全壊で、崩壊した文化住宅にはまだ救助の痕跡すら見当たらなかった。まだ荼毘に付されない亡骸がそここに埋まっている。そんな状況が地震発生3日後の西宮だった。

阪神高速道路が横倒しになり、新幹線の高架が何か所も崩れ落ちている映像はその日のうちに全国に放映された。それでも大阪から電車で特急なら15分、距離にして15キロの被災者に向けて「もうええ加減、会社出てこられへんの?」と声をかけるひとが震災3日後に実在した。

そのひとにとって「阪神大震災」はどう感じられたのだろう。彼にとっては、身近な知人が被災していても、町が火に包まれ、寒空の下路上に家から逃げ出したひとが途方に暮れていても、特段心に感じるもののない光景だったのだろう。そのようなひとに「感じろ!」と詰め寄っても意味はない。感じられないひと、心動かないひとに「こんなに酷いんだよ、こんなに困っているんだよ!」と丁寧に話せば話すほど、そのひとの心中はますますしらじらと冷めてゆく。「風化」どころではない「不感」である。


◎[参考動画]阪神大震災 1995年(平成7年)1月17日(kinnsyachi2012 2017/09/25公開)

◆「人間が自然を制御できるはずがない」

どうして、「阪神大震災」の記憶を語り継がねばならないか。どうして「風化」させてはならないか。その回答は単純だ。

「人間が自然を制御できるはずがない」

この分かり切っているようで、やもすると日々の生活で勘違いしそうな大原則を思い起こすことが、今日ますます重要になっているからだ。だけれども、不幸なことに、日本列島は「阪神大震災」のあと、数々の大地震を数年おきに経験している。原発4機爆発首都圏4000万人避難の可能性も検討された東日本大震災まで起きてしまい、東日本は地震と津波だけでなく放射能汚染にもさらされてしまった。

過剰にすぎるいいかたになるが、もう揺れは日常なのだ。そしてひとびとはその危険性と恐怖をむしろ「忘却」しようと無意識に「日常」をこしらえる。もちろん毎日、毎日怖がってばかりいたら精神が持たないし、穏やかに暮らすこともできない。でも「阪神大震災」を「風化」させるな、というのであれば、「正しく怖がる(物理的、精神的に準備する)」ことしか被災者以外のひとにはなすすべがあるだろうか。犠牲者を追悼することに異議はない。それはしかし震災に限ってのことではないはずだ。

「自然の力に人間は到底及ばない。そんな程度の生物であることを自覚しなおそう」とでも明確に伝える方が「風化」を嘆くより意味があるかもしれない。


◎[参考動画]阪神大震災発生当日 西明石から被災中心地へ(yankayanka 2015/01/17公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『NO NUKES voice』14号【新年総力特集】脱原発と民権主義 2018年の争点

新年早々タブーなし!『紙の爆弾』2月号【特集】2018年、状況を変える

 

2018年もタブーなし!月刊『紙の爆弾』2月号【特集】2018年、状況を変える

◆『紙の爆弾』は「昔から“硬派”です」

「『紙の爆弾』、硬派になって来たね」。「最近の『紙爆』まともじゃん」とわたしを社員と勘違いした人からよく声をかけられる。

たしかに発売中の2月号は「2018年、状況を変える」が特集で、➀自民党内「安倍3選阻止」と野党再編、➁“合憲”でもNHK受信料問題への「対策」、➂市民の「告発」と「裁判」で悪法を正す、➃森友疑惑追及で「国家私物化」を止める、➄「今」の憲法を変えないための2つの運動、➅退位を機に「天皇制と元号」を考える、➆政権保持に利用される朝鮮問題の真相、➇日朝国交正常化とよど号メンバー帰国と、どこからみても「まとも」なラインナップが表紙を埋める。

さらに「ついに職員2名が提訴『三菱子会社パワハラ問題』」、「権力と闘うための『武器としてのポルノ』」、「富岡八宮司殺害事件『神社本庁に問われる責任』」、「問題の背景にアメリカ『クリミアの自決権』」と特集以外も、社会問題から国際問題まで広いフィールドで関心を惹かれるラインナップがならぶ。

『紙の爆弾』は月刊誌として、立ち位置が揺るぎなく固まったように感じる。と松岡社長に言うと「紙爆は昔から“硬派”ですよ」と半分冗談めかした顔で答えるけども、本格派情報月刊誌に成長した『紙の爆弾』にはぜひ、内容においても発行部数においても『噂の真相』を凌駕してほしい、と期待している読者も少なくないだろう。

 

総理大臣研究会『歴代内閣総理大臣のお仕事 政権掌握と失墜の97代150年のダイナミズム』(鹿砦社LIBRARY001)

◆鹿砦社LIBRARY(新書)続々刊行!

他方、昨年西宮の鹿砦社本社に久しぶりにお邪魔したら「鹿砦社LIBRARY(新書)」と表紙にデザインされた見本が目に留まった。「まさか『新書』出すんじゃないでしょうね?」と松岡社長に聞くと「新しいことやらないとね。来年からこれ出すんですよ」と、「なにをわかり切ったことを聞いているんだ」、と言わんばかりの口調。そりゃ『紙爆』の評価は安定してきたし、「リンチ事件」では孤軍奮闘を続け、それなりに名前が広まって入るだろうけど、「鹿砦社に『新書』ってちょっと似合わなくないかな」と心の中で「?」をつけたけども口にすることはできなかった。

「仕事が早くないと出版界ではつとまらない」。それを地で行くようにもう4冊の「鹿砦社LIBRARY(新書)」が本屋さんに並んでいる。わたしは頭が古いので「新書」の原イメージはいまだに「岩波新書」で(その他にも山ほど「新書」は出版されているのを知っているのに)緑、赤、黄色、内容と出版時期によって分かれている、あの質の書籍と鹿砦社が結びつかないのは、当たり前であり、わたしの頭が固すぎただけだった。

鹿砦社が「新書」を出せば「鹿砦社色になる」のは当たり前だ。記念すべきシリーズ第1弾は『歴代内閣総理大臣のお仕事』(内閣総理大臣研究会編著)だ。この本は社会科が苦手な高校生には「日本史」や「現代社会」の参考書として役に立つだろう、と一読して感じた。

 

亀山早苗『アラフォーの傷跡 女40歳の迷い道』(鹿砦社LIBRARY003)

もちろん「新書」の制限があるので大学受験レベルの知識すべてが網羅されているわけではないが、「歴代内閣総理大臣」を初代の伊藤博文からたどることによって、「なるほど、そういうことだったのか」といくつもの発見があるだろう。社会人の方にもちょっとした教養のプラスに役立つかもしれない「小選挙区制って問題だらけだけど、導入したのは非自民の細川内閣の時だったっよね」などと披歴したら、いやな奴と思われるだろうが、そういう発見が随所にある。

『絶対、騙されるな!ワルのカネ儲け術』(悪徳詐欺の手口を学ぶ研究会編著)は、これぞ「鹿砦社LIBRARY(新書)!」と納得できる、キワモノの連続だ。怪しい書名に怪しい内容。でもこれすべてリアルストーリだから面白い。記事が2頁ごとと短いので、活字が苦手な方でも苦なく読めるだろう。

『アラフォーの傷跡』(亀山早苗著)は40代前後の女性だけをターゲットにした、人生の中間報告書集だ。著者がじかにインタビューして「不倫」、「恋愛、「仕事」に悩みや問題を抱えていた30代の女性が、それぞれその後どんな生活をおくっているのか。女性の取材者だからここまで迫ることができたのだろうと思わされる、性的な話題も包み隠さず報告されている。同世代の女性への応援や激励となるほか、スケベ親父がよからぬ智慧を仕入れるのにも適したテキストだ。

◆鬼才・板坂剛は帝国ホテルのロビーで三島由紀夫の幽霊と会った!

 

板坂剛『三島由紀夫は、なぜ昭和天皇を殺さなかったのか』(鹿砦社LIBRARY004)

『三島由紀夫は、なぜ昭和天皇を殺さなかったのか』(板坂剛著)は、三島の研究者(ファン?)として著名な板坂氏だから書くことが許された「特権」だろう。本人がどう思うかはわからないけども、齢(よわい)70にしてフラメンコダンサ―兼指導者の板坂氏の人柄は「アナキー」そのものだ。

腰まで伸ばした真っ黒な髪と贅肉のない体、キレのある動きから彼の年齢を言い当てることのできる初対面者は少ないだろう。そんな板坂氏だから逸話には事欠かないが、若い頃は一時某党派に短期間属していたとの噂もあるが、生き様は「正統派アナキスト」。そして『三島由紀夫は……』でも史実には忠実ながら、板坂氏だから書ける三島の胸の内を探った物語が展開される。驚くのは板坂氏が帝国ホテルのロビーで三島の幽霊と会ったことがあり、言葉まで交わしているとの告白だ。

4冊だけでも、硬軟取り混ぜて読者を飽きさせない「鹿砦社LIBRARY(新書)」にはこれからどんなシリーズが続くのだろうか。今年も鹿砦社は元気だ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

悪徳詐欺の手口を学ぶ研究会『ワルのカネ儲け術―絶対、騙されるな!』(鹿砦社LIBRARY002)

来る1月18日午前11時から、李信恵被告による相次ぐ「鹿砦社クソ」発言に対する名誉毀損訴訟第2回弁論(大阪地裁第13民事部)が開かれます。この期日には被告側の答弁がなされることになっています。

在特会や保守速報等に対する訴訟によって「反差別」運動の旗手ともて囃されている李信恵被告が、裏では大学院生リンチ事件に関わり、当社に対しては連続して「クソ」発言を繰り返すということをなぜ、李被告をもて囃す人たちは目をそむけ黙っているのでしょうか? それは「反差別」運動にとってもマイナスでしかないと思うのですが。

会社や社員を誰よりも愛する私としては、李被告による「鹿砦社クソ」発言は到底許せるものではありませんし、取引先への悪影響を懸念して、やむなく提訴に踏み切りました。以来さすがに当社に対する「クソ」発言は止まりましたが、私が李被告に会ってもいないのに喫茶店で睨み恐怖を与えたかのようなツイートをし、係争中にもかかわらずさらに私を貶めるような発言をしています。どこの喫茶店なのか、問い質しましたが返答がありません。それはそうでしょう、会ってもいないのですから……。

李信恵のツイート

私が李信恵被告の顔を見たのは、リンチ被害者の大学院生M君が李被告ら5人を訴えた裁判の本人尋問(昨年12月11日)が初めてでした。「反差別」運動の旗手として祀り上げられた人物とはどんな顔をしどんな雰囲気を醸しているのだろうか? 興味津々でした。意外にも、社会運動の旗手として君臨するような輝いたイメージではなく、顔色は酒焼けしているのか悪く、目の輝きはなく目つきもよくありませんでした。この人が「反差別」運動の旗手なのか――尋問も聴いていると、明らかに事実と異なる嘘を平然とついていました。「反差別」運動のリーダーたる者、嘘をついてはいけません。

李信恵という人は、M君に対し5人でリンチを加えた現場にいてその場の空気を支配し、ネット上で流行語になった感さえある、「殺されるんやったら店の中入ったらいいんちゃう?」とリンチの最中に言ったり、半殺しの目に遭ったM君を寒空の下に放置して店を後にしたりした、その人です。こんな人が一方では「人権」を声高に叫ぶのですから、世も末です。

このリンチ事件に出会い、ずっと調査や取材を進めていく過程で、李被告に限らず「反差別」運動(「カウンター」‐「しばき隊」)の周辺の人たちの言葉が殊更汚いことは気になっていましたが、「殺されるんやったら店の中入ったらいいんちゃう?」という言葉に極まった感があります。

私は1970年代以降、この国の部落解放同盟による、いわゆる「糾弾」闘争などを経過し、私なりに「反差別」のなんたるかについて考えてきました。「糾弾」闘争への疑問が語られ始めた頃、師岡祐行さん(故人。当時京都部落史研究所所長)と土方鉄さん(故人。元『解放新聞』編集長)の対談を行い、両氏とも「糾弾」闘争の誤りを指摘されていたことを思い出します。土方さんは喉のガンの手術の後で、絞り出すように語られていました。この対談は記録にも残っています。1992年のことです。その後、さすがに解放同盟も反省したのか今では「糾弾」闘争をしなくなりました。

差別と闘うということは崇高なことです。真逆に「反差別」の看板の裏で平然とリンチを行うことは、差別と闘うという崇高な営為を蔑ろにし「糾弾」闘争の誤りを繰り返すことに他ならないと思います。それもリンチはなかったとか事件を隠蔽し、当初の反省の言葉さえ反故にして開き直っています。これが「反差別」とか「人権」を守るとか言う人のやることとは思えません。いやしくも「反差別」とか「人権」を守るというのであれば、みずからがやった過ちに真摯に立ち向かうべきではないでしょうか?

私(たち)は、大学院生M君リンチ事件に出会い、これを調べていく過程で常に自問自答を繰り返してきました。私(たち)がM君を支援しリンチ事件の真相を追及するのは是か非か――答えは明らかでしょう。リンチの被害者が助けを求めてきているのに放っておけますか? 私(たち)はできませんでした。あなたはどうですか?

私たちはすでにリンチ事件について4冊の本にまとめ世に出しています。事実関係はもう明白です。最新刊の『カウンターと暴力の病理』にはリンチの最中の録音データをCDにし付けていますし、リンチ直後のM君の凄惨な写真も公にしています。これを前にしてあなたはどう思いますか? なんとも思わないのなら、よほど無慈悲な人です。こんな人は、今後「人権」という言葉を遣わないでいただきたい。

李信恵という人に出会って、私は「反差別」運動や「反差別」についての考え方が変わりました。「人権」についてもそうです。平然とリンチを行う「反差別」運動とは一体何ですか? 被害者の「人権」を蔑ろにして「人権」とは? 

◆鹿砦社は「極左」出版社ではない!

李信恵被告の当社に対する罵詈雑言のひとつに、当社が中核派か革マル派、つまり「極左」呼ばわりしているツイートがあります。70年代以降血で血を洗う凄惨な内ゲバを繰り広げた中核‐革マル両派と同一視され、その悪いイメージを強調されることは、由々しき名誉毀損です。

李信恵のツイート

この際、いい機会ですから、このことについて少し申し述べておきたいと思います。

「極左」呼ばわりは、李被告と同一歩調を取る野間易通氏や、李被告の代理人・神原元弁護士らによって悪意を持ってなされています。「極左」という言葉は公安用語だと思いますが、いわば「過激派キャンペーン」で、鹿砦社に対して殊更怖いイメージを与えようとするものといえます。彼らが私たちに対し「極左」呼ばわりするのは何を根拠にしているのかお聞きしたいものです。

鹿砦社には、私以外に7人の社員がいますが、誰一人として左翼運動経験者はいません。私は遙か40年以上も前の学生時代の1970年代前半、ノンセクトの新左翼系の学生運動に関わったことがありますが、大学を離れてからは生活や子育てに追われ、運動からは離れていますし、集会などにもほとんど行っていませんでした。ノンセクトだったから運動から容易に離れられたと思います。考え方は「左」かもしれませんが、いわば「心情左翼」といったところでしょうか。社員ではなく、『紙の爆弾』はじめ鹿砦社の出版物に執筆するライターは左派から保守の方まで幅広いのは当たり前です。

また、鹿砦社は、1960年代末に創業し、当初はロシア革命関係の書籍を精力的に出版してきましたが、現在(1980年代後半以降)はやめています。昨年1年間で強いて左翼関係の本といえば、100点余りの出版物の中で『遙かなる一九七〇年代‐京都』(私と同期の者との共著で、いわば回顧録)だけです。

これで「極左」呼ばわりは、悪意あってのことと言わざるをえません。

さらに、M君リンチ事件について支援と真相究明に理解される方々の中にも、さすがに「極左」呼ばわりはなくとも「ガチ左翼出版社」と言う方もいますが、これも正確ではありません。

1970年代の一時期、当時どこにでもいたノンセクトの学生活動家だったことで、40年以上も経った今でも「極左」呼ばわりされないといけないのでしょうか。

『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』[特別付録]リンチ音声記録CD(55分)

パカイペットの隙を突いて鋭く入る左ストレート

パカイペットの壁を乗り越えたい波賀宙也、積極的に攻める

パカイペットは元・BBTVバンタム級チャンピオンで、2016年1月、瀧澤博人を左ミドルキックで圧倒TKOし、昨年1月は志朗とファイトマネー総取りマッチを行ない、志朗を蹴りで苦しめながらラストラウンド残り1秒で倒されるも、名は知れ渡る激闘を展開。

波賀宙也は元・WBCムエタイ日本スーパーバンタム級チャンピオンで、昨年からの4連敗中から脱出したいところ。波賀は相手を研究し狙った右ヒジ打ちで少々額カット成功。波賀が距離を詰める圧力をパカイペットがいなし、要所要所でのパンチと蹴りは、隙を狙う上手さを感じさせます。互いが相手の持ち味を封じた展開でしたが、僅差でパカイペットが勝利。

パカイペットの突進を止めた波賀宙也の前蹴り

右ローキックから石川直樹の主導権支配が始まる

組んだら離さない力で捻じ伏せてヒザ蹴りでダウンを奪う石川直樹

 

石川直樹は離れた距離での蹴りから次第に得意の首相撲に移ると、相手を捻じ伏せるように押さえ、顔面へのヒザ蹴りで2度のダウンを奪って判定勝利。タイ選手相手に得意の体勢で圧勝出来たことには存在感はより大きくなった石川直樹、今後のムエタイランカー戦となっても組み勝つ姿は見られるでしょうか。

石原將伍はスウィーレックの蹴りや首相撲の距離であっても怯まない術を持っての戦い。組まれても強引にパンチの距離を取り戻し打ち込む強引さで圧倒。チャンピオンになってよりアグレッシブさが増した勝利でした。

初回早々からパンチでラッシュしたOD・KENが一気にダウンを奪い、ダメージ残る柴田を仕留めて完勝。何も出来ずに終わった柴田春樹、ブランクが空く影響もあったか、今後も他団体交流戦でなければ対戦相手が居ない中、巻き返しに期待です。

2000年生まれで、やがて18歳になるバンタム級の馬渡亮太(治政館)は、長身からくる足技と左のヒジ打ちで10歳年上の田中亮平(市原)と激戦の末、ダウン奪って判定勝利。1位で前チャンピオンの瀧澤博人(ビクトリー)との対戦や、現チャンピオンのHIROYIKI(藤本)への挑戦も期待される今いちばん注目の新人上位ランカーです。

下がり始めたパカイペットをパンチで追う波賀宙也

◎WINNERS 2018.1st /
2018年1月7日(日) 後楽園ホール 17:00~20:35
主催:治政館ジム / 認定:新日本キックボクシング協会

◆56.5kg契約 5回戦

パカイペット・JSK(タイ/55.7g)VS 波賀宙也(立川KBA/56.5kg)
勝者:パカイペット・JSK / 判定2-0 / 主審:椎名利一
副審:仲49-49. 桜井50-49. 少白竜50-49

◆52.0kg契約3回戦

日本フライ級チャンピオン.石川直樹(治政館/51.9kg)
VS
ラタケット・パンダクラタナブリー(タイ/51.0kg)
勝者:石川直樹 / 判定3-0 / 主審:仲俊光
副審:椎名30-25. 宮沢30-26. 少白竜30-26

本領発揮した石川直樹、2度目のダウンを奪う

左ストレートで仕留める石原將伍、ゆっくり倒れるスウィーレック

◆59.0kg契約3回戦 石原將伍

日本フェザー級チャンピオン.石原將伍(ビクトリー/59.0kg)
VS
スウィーレック・パンダクラタナブリー(タイ/59.0kg)
勝者:石原將伍 / TKO 2R 1:56 / カウント中のレフェリーストップ
主審:桜井一秀

◆ヘビー級3回戦

日本ヘビー級チャンピオン.柴田春樹(ビクトリー/93.0kg)
VS
J-NETWORKライトヘビー級4位.OD・KEN(ReBORN経堂/90.0kg)
勝者:OD・KEN / TKO 1R 0:50 / ノーカウントのレフェリーストップ
主審:宮沢誠

スウィーレックの蹴りに対し、構わずパンチで攻めた石原將伍

開始早々からパンチで圧倒したOD・KEN、何も出来ないまま終わった柴田春樹

◆63.0kg契約3回戦

ヨーペットJSK(タイ/62.8kg)
VS
日本ライト級1位.永澤サムエル聖光(ビクトリー/62.8kg)
勝者:ヨーペットJSK / 判定3-0 / 主審:少白竜
副審:椎名30-28. 仲30-28. 宮沢30-28

◆68.5kg契約3回戦

日本ウェルター級1位.政斗(治政館/68.15kg)VS 憂也(魁塾/68.5kg)
勝者:憂也 / 判定0-3 / 主審:桜井一秀
副審:宮沢29-30. 仲29-30. 少白竜28-30

◆ライト級3回戦

日本ライト級2位.直闘(治政館/61.0kg)VS 同級3位.内田雅之(藤本/61.0kg)
勝者:内田雅之 / 判定0-3 /主審:椎名利一
副審:宮沢27-30. 桜井27-30. 少白竜27-30

◆54.0kg契約3回戦

日本バンタム級2位.馬渡亮太(治政館/53.9kg)VS 同級6位田中亮平(市原/53.6kg)
勝者:馬渡亮太 / 判定3-0 / 主審:仲俊光
副審:椎名30-27. 桜井30-26. 少白竜30-27

◆62.0kg契約3回戦

日本ライト級10位.興之介(治政館/61.6kg)
VS
まさきラジャサクレック(ラジャサクレック/62.0 kg)
勝者:まさきラジャサクレック / KO 2R 3:02 / 主審:宮沢誠

◆55.0kg契約3回戦

日本バンタム級3位.阿部泰彦(JMN/55.0kg)
VS
NJKFバンタム5位.古村匡平(立川KBA/最終計量55.65kgで減点1)
勝者:古村匡平 / KO 2R 0:46 / ハイキックで10カウント / 主審:少白竜

上記はランカー以上の結果。
他、2回戦2試合は割愛します。

《取材戦記》

「新春黄金キックだ!」がパンフレットに書かれていた興行タイトルでしたが、正月は連日続くタイトルマッチの緊張感があった昭和のキック、あの時代の正月が本当の“新春黄金キック”だったように思います。

ライト級に上げて事実上の初勝利となる40歳になったばかりの元・日本フェザー級チャンピオン.内田雅之(藤本)。ダウン奪って判定ながら快勝し、勝利して2人の幼いお子さんをリングに上げての撮影、以前から触れる話ではありますが、リング上でこんな親子の撮影を多く見るようになりました。

アンダーカードでは、過去に王座挑戦経験もある阿部泰彦(JMN)は、やがて40歳になり、現在2歳のお子さんが居て、試合中の騒然とした中でも我が子の声がはっきり聞こえると言います。そして父親の戦う姿が一生記憶に残るまで戦いたい気持ちを持っているそうですが、この日は残念ながら、一発のハイキックで珍しくもKOで敗れ去ってしまいました。あと2年ほど頑張れば夢は叶うか。そんな些細な応援もしたくなる差し迫った阿部選手の戦いです。

2018年の新日本キックボクシング協会は、年間10回興行の中で、次の興行は3月11日(日)17時より後楽園ホールに於いてMAGNUM.45(現在カード未定)が開催予定です。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

昨年出版された松岡利康+垣沼真一編著『遥かなる一九七〇年代―京都』を読んでいたら、巻末に、懐かしい『季節』誌の表紙画像が並んでいました。

『季節』5号、6号、7号(エスエル出版会)

『季節』8号、9号、10号(エスエル出版会)

 

『同時代音楽2-1』(ブロンズ社1979年)

1980年代、5号、6号あたりから『季節』誌と関係ができていった、東京の「『同時代音楽』―廣松渉研究会」について、以下、主に府川充男『ザ・一九六八』(白順社、2008)から引用しながら思いだしてみます。

私がこの読書会に参加したのは「廣松渉研究会という名称」となってからのことでしたが、それまでの経緯を、府川氏から引用しておきましょう。

「高橋(順一)に遣ろうかと呼掛け、早大の運動仲間水谷洋一や更に白井順も加わって此酒場(「新宿三丁目の酒場セラヴィ」)を中心に行われた読書会が「廣松渉研究会」の前身である」(府川『ザ・一九六八』)

「高橋(順一)と早大時代の運動仲間水谷、音楽ライターの後藤美孝等に読書会でもしないかと持掛けた。/「何を遣ろうか」/「デカルトから遣り直したい」/そう言えば坂本龍一も交ぜろと言っていたのだが、スタジオ・ミュージシャンとして売れ出していた頃で結局一回も来なかった。慥か最初はハイデガー『存在と時間』で先ずは「読書会の勘」を取戻そうと云う事になった。続いてデカルト『方法序説』『省察』『哲学原理』等と併せて勁草思想学説全書の所雄章『デカルトI・II』や永井博『ライプニッツ』、岩崎武雄『カント』等を読んだ。取分け所雄章の『デカルトII』は現象学の先駆の如き存在としてデカルトを読込む可能性を示唆していて新鮮だった」(同上)。

 

府川充男『ザ・一九六八』(白順社2006年)

1970年代にもなると、マルクス読みの作法にも変化があらわれてきていました。それまでマルクス読みの「異端」とされていた宇野弘蔵の「マルクス経済学」の方法や、「関係論」にもとづく「実体観」からマルクスを読み込んだ廣松渉の「物象化論」などが、むしろマルクス読みの主流となってくるなかで、からっとマルクスを読むことも可能となっていた。

一般に流通していたアドラツキー版を「”偽書”に等しい」とし、70年代、河出書房から訳書と原書の豪華箱入り2冊セットの廣松版『新編輯版 ドイツ・イデオロギー』まで出版されていた時代でした。

「疎外論から物象化論へ」のフレーズで一世を風靡した廣松渉の、大風呂敷のゆえに年代を飛び越えたかのような「四肢的存在論」は、詩心を排除し徹底的に抽象化することでかえって、「曖昧な」現代世界も人類史上の他の諸世界と遜色ない「人間」世界とみなすことを可能にした。だからこそ「絵に描いたようなはっきりした世界」だけを特別あつかいしてきたそれまでの「疎外論」「人間主義」「主体性」などへの批判としても通用したのだろう。

もともと「学校の授業」などとは無関係に、当時のマルクス経済学の「宇野(弘蔵)理論」にハマっていた私は、いわば「武者修行・腕試し感覚」で法大の経済学専攻修士課程に在籍していました。廣松渉が東大教師になる前、一年間だけ法政にきていた時期とたまたま重なっていたので、『ドイツ・イデオロギー』を扱った哲学専攻の廣松ゼミの単位も取れたのでした。

法政時代の「マル経」専攻の友人たちのなかには高校時代に府川氏のグループだったひとも何人かいました。しかし、もともと音楽マニアだった私は『音楽全書』(『同時代音楽』の前身に相当する)誌の巻末にあった「廣松渉研究会の参加者募集」の呼びかけをみて、参加したのでした。新宿の喫茶店『プリンス』の地下、多いときには隔週くらいの読書会だったと記憶しています。

「途中から白井順も参加してきて、デカルト以前の中世的世界像の輪郭を辿る為にアレクサンドル・コイレ『コスモスの崩壊』等も繙いた。第三世界論の議論になった時には湯浅赳男『民族問題の史的展開』『第三世界の経済構造』、いいだもも『現代社会主義再考』等を題材にした。此読書会は軈て廣松渉研究会という名称となる。何しろ、我々にとって廣松渉の著作は60年代の彼此(アレコレ)への強力な解毒剤であった。『マルクス主義の地平』『世界の共同主観的存在構造』『事的世界観の前哨』『資本論の哲学』等の読書会を次々と遣ったと記憶している」(同上)。

「此読書会は軈て廣松渉研究会という名称となる。何しろ、我々にとって廣松渉の著作は60年代の彼此(アレコレ)への強力な解毒剤であった」(府川充男「「六八年革命」を遶る断章」、さらぎ徳二編著『革命ロシアの崩壊と挫折の根因を問う』)。

70年代の、廣松のこの感覚での受容のされかたは、なかなか対象化されていません(かろうじて、70年代を区切りに「廣松さんの場合は個人のアイデンティティから人々を解放したし、山口(昌男)さんの場合は共同体の持っている価値とか規範の重みから人々を解放した」という大澤真幸『戦後の思想空間』があったし、最近岩波文庫化(2017)された『世界の共同主観的存在構造』への熊野純彦による「解説」も、同じ熊野じしんによる「講談社学術文庫」版(1991)への解説と比較すると変わってきているとはおもいますが)。

詩心ゼロの文体。立ち位置の必然性のなさ。読者にうっとり感情移入させない主人公設定(学知的立場?)。少なくとも私にとっては廣松のこの部分こそが画期的だったのです。

▼白井 順
1952年生れ。法政大学大学院(修士)修了後、高橋順一、府川充男、坂本龍一などと共に「廣松渉研究会」に参加。著書に『思想のデスマッチ』(エスエル出版会)など。

松岡利康/垣沼真一編著『遙かなる一九七〇年代‐京都 学生運動解体期の物語と記憶』定価=本体2800円+税

報道を通じて誰でも知っているような事件であっても、その実相は案外知られてないことが少なくない。その最たるものが、あのロス疑惑だ。

80年代に日本全国の注目を集めたこの事件では、妻を保険金目的で殺害した疑いをかけられた三浦和義さんが裁判で無罪判決を勝ち取ったが、洪水のような犯人視報道の影響で今も三浦さんのことをクロだと思っている人は少なくない。

しかし実を言うと、三浦さんの裁判では、検察官が「三浦さん以外の真犯人を目撃した証人」を隠していたことが明るみに出ているのである。

◆報道の影響で今もクロだと思い込んでいる人が多いが……

のちに「ロス疑惑」と呼ばれる事件が起きたのは、1981年11月のことだった。輸入雑貨商だった三浦さんは妻の一美さんと共に仕事と旅行を兼ねて米国ロサンゼルスに滞在中、駐車場で2人組の男に銃撃され、金を奪われた。一美さんは頭を撃ち抜かれて意識不明の重体に陥り、三浦さんも足を撃たれて負傷。その後、一美さんは一年余りの入院生活を送ったが、回復しないままに亡くなった。

そんな悲劇に見舞われた三浦さんは当初、重体の妻にけなげに尽くす「美談の人」としてマスコミに取り上げられていたが、1984年になり、事態が一変する。週刊文春が同年1月から始めた「疑惑の銃弾」という連載で、三浦さんが一美さんの死により1億5000万円を超す保険金を受け取っていた事実を指摘し、銃撃事件は三浦さんが保険金目的で敢行した自作自演の妻殺害事件である疑いを報道。これに他のマスコミも一斉に追随し、三浦さんは妻を殺害した疑いを連日、大々的に報道されるようになったのだ。

三浦さんはその後、妻殺害の容疑で逮捕され、一貫して無実を訴えながら一審・東京地裁では無期懲役判決を受けた。しかし、二審・東京高裁で逆転無罪判決を受け、2003年に最高裁が検察の上告を退け、無罪が確定する。元々、めぼしい証拠は何もなく、第一審の有罪判決も三浦さんが「氏名不詳者」に妻を銃撃させたとする無理な筋書きだったから、無罪判決は当然の結果ともいえた。それでもなお、今も三浦さんのことをクロだと思い込んでいる人が多いのは、膨大な犯人視報道の影響に他ならない。

だが、先にも述べたように、実際には、検察官はこの事件で、三浦さん以外の真犯人を目撃した証人を隠していたのである。

◆真犯人の目撃証人を調べていたのは公判担当検事だった……

日刊スポーツ2008年2月24日付

裁判当時、三浦さんを支援していた男性によると、その目撃証人は、事件現場の駐車場で働いていた男性Sさん。弁護側は控訴審段階に現地で雇った探偵の調査により、Sさんの存在を知ったという。

「Sさんは『日本の捜査当局の調べも受け、犯人が現場から車で逃げ去るところなどを目撃したことを話した』と明かしてくれたので、弁護側は当然、検察官にSさんの調書の開示を求めましたが、検察官はそのような調書の存在を頑なに認めませんでした。しかし、裁判官がSさんを公判に召喚することを示唆し、検察官はようやく調書を開示したのです」(男性)

こうして、三浦さん以外の真犯人を目撃した証人の存在が公判廷で明るみに出たのだが、それと共に重大な事実が発覚したという。

「調書の存在を認めなかった公判担当の検察官自身がこのSさんの調書の作成者だったのです。裁判官はこれをきっかけに検察側に不信感を抱き、裁判の流れは一気に逆転無罪へと傾きました」(同)

このことを知っているか否かで、三浦さんやロス疑惑という事件に関する印象はずいぶん違うはずだ。私はかねてよりこの事実を知っているので、三浦さんのことは当然シロだと思っているし、ロス疑惑はマスコミや捜査機関によるデッチ上げの事件だと思っている。

◆三浦さんの死亡時にも卑怯な物言いをした山田弘司元検事

ロス疑惑の捜査、公判を担当した頃の山田弘司検事(1988年発行の「司法大観」より)

ところで、この証拠を隠していた検事については、許しがたいことが他にもある。というのも、三浦さんは2008年にサイパンを旅行中、日本で無罪確定した殺人の容疑で米国捜査当局に逮捕され、移送されたロス市警で非業の死を遂げたが、その時にこの検事はマスコミに対し、次のようなコメントを寄せていたのだ。

「日本での無罪判決に、釈然としない思いの人がいるのも事実。もう一度、実質的に審理されれば、有罪、無罪の結論はどうだろうと、理由が示されて、納得する人も、もう少し多くなるだろうと思っていた」(朝日新聞東京本社版08年10月12日朝刊)

「20年近く戦った相手だが、こういう事態となり、広い意味での『友人』だったという感じがした。ご冥福をお祈りしたい」(読売新聞西部本社版08年10月12日朝刊)

死んだ三浦さんが反論できないからこその卑怯な物言いである。

この検事の名は、山田弘司(こうじ)氏。三浦さんの公判を担当後は東京高検公安部長、函館地検検事正などを経て、最高検公判部長だった04年9月、58歳で辞職。その後しばらく杉並公証役場で公証人として働いており、このコメントを発したのもその頃だ。

私はこの6年後、山田氏のもとを訪ね、この三浦さんに対する卑怯な物言いや、真犯人に関する目撃証言を隠していたことに関して追及したが、山田氏は曖昧な言葉でごまかそうとするばかりで、自分の犯した過ちに誠実に向き合おうとする様子は見受けられなかった。

こういう人間が出世するのが検察という組織なのだろうか。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

2018年もタブーなし!月刊『紙の爆弾』2月号【特集】2018年、状況を変える

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

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