◆三日坊主生活の始まり!
今、纏っているのは黄色い僧衣。俗人の時に身に着けていたものは一切無い。パンツも穿いていない。外に出る時はサンダル履き。頭を触ればやっぱり髪は無い。本当にお坊さんになったよ、どうしよう。
泣きそうにアナンさんらを見送った直後、そんな呑気に我が身を観察している時間は無く、一刻も早く黄衣の纏いを覚えなければならない時。
◆黄衣の纏いを覚える!
午後は葬儀が続く中、藤川さんの黄衣纏いの指導が始まりました。托鉢に行く場合の纏い、普段寺に居る場合の纏い、葬式用の纏いを教えてくれますが、とにかく難しいし、文句言いっぱなしの藤川さん。「よう見とけ!まず端と端持って巻いていくんや、アホ、強う締めんかい、解けてくるぞ!」語気強く、ひたすら貶すばかり。そんなこと言ってる間に葬儀が再開、「もう行かなあかん、葬儀用に戻すぞ、早よせい、あかんなあ違うやろ!」ほとんど父親に服を着せて貰っている幼児状態で式典用(ホム・サンカティ)に纏い、葬儀に向かいます。
新米の私は比丘の列席の後方に座り、ワイ(合掌)をして読経など全く出来ないまま。周囲はこの年のパンサー(安居期)に出家した比丘ばかり。しかし皆、見事に声に出して読経している姿に圧倒され、これから日々、使う経文だけは覚えなくてはいけないと思うところでした。
葬儀の一区切りで、クティ下のベンチでタバコを吸ってくつろいでいる比丘、自家用トラックの荷台に乗って外に向かう数名の比丘がいると思っていたら、サーラーからまた読経が聞こえてくる。油断していると立ち遅れる私。皆当てられた役割があるので、私以外誰も迷ってはいません。
やがて藤川さんがやって来て「折り目合わせて畳んどけよ!」と言って出て行かれ、私の出番は終わりと悟り、何とか慌しい行事の1日は終わりました。しかし夕方以降は黄衣の纏い練習をしなくてはなりません。
その夜も藤川さんがやって来て教えてくれるも、昼間までと違って口数少なく、今迄なら京都弁でグチグチ言いそうなところが何も言わない。それは何か冷たく、「こんなことすぐ覚えんとあの若い奴らにバカにされるんとちゃうけ?」と言うことは言うが語気は静か。
黄衣を頭から被り、生地を引っ張ると頭が引っ張られて持って行かれる状態。剃った頭はツルツル滑るものではなく、ザラザラで生地が纏わりついてしまうのでした。傍から見れば笑えるような光景にも私は苛立ち、藤川さんは無視し、全く笑いが起きない。私の不器用さに呆れたのでしょうか。
「これだけは覚えんと明日からのビンタバーツ(托鉢)に行けんのとちゃうか? 明日の朝までに出来るようにしとけ!」と言って出て行った藤川さん。
時間は夜9時過ぎた頃。その後11時頃まで練習。ホム・マンコン(注釈:ホム・クルムとは型が違う)と言われる門外用の仕上がる形だけ分かるものの、その纏いは上手く出来ない。足下は雑、首周りも雑、全体はダブダブして締まりが無い。やり方だけは覚えたが、イライラするばかりでは集中力も落ちている。やめた、もう寝よう。
◆初めての托鉢!
カメラのさくらやで買った小さな目覚まし時計が、午前3時50分。“ピピピピッ”を連続繰り返される音で目が覚める。藤川さんの部屋をノックするのは5時25分。それまで練習するのだ。昨日、一回纏うまでに20分以上掛かっていた。今日はどうだろう。その為の早起き。コツが掴めぬまま何度も繰り返し、格好悪いが形だけは出来た。解けずに帰って来れるか不安ながら、もう時間だ、これで行こう。
藤川さんの部屋をノックする。中に入ると、「やり直せ」と言うかと思うも、「今日はその場凌ぎに、脇の下に輪ゴムで止めとけ、最悪でも全部バラけることは無いやろう」と言って黄衣を巻き寿司のように巻きつけて捻った部分を脇の下で輪ゴムで止めてくれました。
そうして私の初めての托鉢は出発。夜明け前の寺の鉄扉を開け玄関を出て、裸足で藤川さんを先頭にして歩き出します。足の裏が冷たいジャリ道の地面に触れると直接的に肌触りがわかる土や石ころの感触。やがてコンクリートの道に入るとまた違った硬い感触。小石を踏むと若干痛い。ガラスや尖った金属片が落ちていないかと前かがみに歩き、見た目は格好悪いことは分かる。
寺から大通りに出るまでに、一軒のサイバーツ(鉢に入れる寄進)を待つオジさんを発見。藤川さんが立ち止まりサイバーツを受けています。その次に私の番。バーツの蓋を開け、しゃもじで掬った炊いたばかりと分かる湯気が立つ御飯が入れられました。そしてビニールに入った惣菜を頭陀袋に入れられ、藤川さんは振り返って私のその姿を見届けてから歩き出しました。
「ワシらは信者さんの徳を積む機会を与えとるんやで、物を貰って居るのではないぞ!」と、そんな教えを以前から受けているので間違った振舞いはしないが、やっぱり真の仏教の下で育った訳ではない私は、貰っている感覚で頭を下げそうになってしまいます。
大通りを出て、例の銀座がある方向へ歩きます。藤川さんの歩くスピードが速く、ついていくのがやっとの思い。足下に気をつけ、信者さんを見落とさないよう気をつけ、黄衣が解けないよう気を付けていると、どこを歩いているのか分からなくなる道。3月に来た時も歩いた路地にも入ると、やたら痛いデコボコ石があり「痛テテ、痛テテ、この路地やめようや!」と言いたくなる痛さで前を全く見れない状態。
ところで何軒受けたろうか。寺に入る路地まで戻って来て、やっと寺が近い見たことある風景を把握する。寺に入って溜め水で足を洗って部屋に戻り、藤川さんはいつものコースを短縮などせず、約1時間経っていたことに、結構長く歩いたんだなと我ながら感心。
「ヤクルトとかオレンジジュースとか手元に残して他、全部ホー・チャンペーンの受け皿に空けろ」と藤川さんに言われて全て出し、バーツの御飯はタライに空け、洗面台でバーツを洗い、部屋に戻って中を拭いて壁に吊るします。これでビンタバーツ一通りが終了。後はデックワットが朝食準備に掛かります。
ビンタバーツは、信者さんにもお得意さんの比丘が居るのも自然な成り行きで、「あのお坊さんが来るのを待っている」といった信者さんも居ます。そんな中では、この日、信者さん皆普通に私にもサイバーツしてくれたことに安堵するところでした。
◆次なる試練!
他の比丘も帰って来る中、気が付けばお腹が空いている状態。午後食事を摂ってはならない戒律の下、昨日のお昼以来の食事が待っていました。しかし、ここから次の難問が待ち構えています。朝の読経も短いながらこなさなければいけません。朝食の時も葬儀用同様の黄衣の纏い方があり、これをこなしてから朝食に向かうことになります。修行が始まっていることをようやく実感する最初の朝でした。
※注01=托鉢撮影は出家前の3月にタイに渡った際の撮影です。比丘となっては托鉢中は撮れません。(筆者)
※注02=23年も経って、当時の記憶や日記の記録、今の時代の文明の利器、インターネットで調べるなどで、改めて理解することもあり、黄衣の纏いの種類と呼び方に細かく違いがあるようでした。主には3種類の纏い方があり、またその中でも纏い方の呼び方が違う部分があります。今後の「タイで三日坊主」の中では、分かる範囲でなるべく正しい表記で書かせて頂きます。(筆者)
▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」