すでに報じられていますように、私たちがこの2年間、真相究明と被害者支援を続けて来たカウンター大学院生リンチ事件の加害者5人に対する民事訴訟の一審判決が3月19日大阪地裁で下されました。
ハッキリ申し上げれば、これだけ事実関係が明確で、音声データなど証拠資料もあるにもかかわらず、裁判所は何を考えているのか、いや、人間の心があるのか、全く遺憾な判決でした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
[※上記◇箇所の文字は、裁判所の命で削除しました。(鹿砦社)]
そして総額約80万円の賠償金(請求額は約1千万円)、常識外に過少です。この金額では、法的な歯止めにさえなりません。たとえば300万円だったら歯止めになり、もう再度リンチはしないとなるでしょう。80万円だったら、これぐらいなら憎い奴はリンチするかとなりかねません。この判決を見て知人は、「自分がM君だったら、この判決を下した裁判長に『80万円払いますから被告5人をぼこぼこに殴らせてください』と言うかもしれません」と怒りに満ちたメールをくれました。
リンチの場にいた全員に連帯責任を負わせ、歯止めとなる賠償金を課す――そうでなかったら、これからも社会運動において、同種同類の事件や不祥事は起きるでしょう。
裁判所(官)には世間の常識が通じないとよく言われますが、今回の判決を見て、あらためてそう感じました。結論から言えば、〈歴史的誤判〉です。この判決をそのままに放置しておけば、M君の救済にならないのは勿論、この国の社会運動にとっても禍根を残し悪影響を与えると考え、M君の控訴の意志に同意し、今後もM君や弁護団と共に頑張っていく決意です。
◆被害者M君との出会いと、この2年間の伴走
判決内容の詳細な分析はまた日を改め行いたいと思いますが、リンチ被害者の大学院生M君は、2014年12月17日深夜に、李信恵らカウンター – しばき隊の主要メンバー5人がいる大阪・北新地のワインバーに呼び出され、◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
[※上記◇箇所の文字は、裁判所の命で削除しました。(鹿砦社)]
リンチは1時間ほども続き、この間、李信恵らは悠然とワインを飲んでいたということです。そして瀕死の重傷を負ったM君を師走の寒空に放置し去って行きました。人間として考えられないことです。普通なら、大の大人が5人もいれば、誰かが止めるでしょう。今回で言えば、年長者の伊藤大介、格闘技経験者の松本英一が止め役にならないといけないでしょう。果たして止めたのでしょうか。リンチを黙過し殴らせるままにしていたのではないですか。
その後、いったんは李信恵、エル金、凡は「謝罪文」を出しましたが、それも対「在特会」らとの訴訟があるからという理由で反故、また同時にリンチをなかったことにする隠蔽工作がなされます。メディアも報じません。M君は、一部の人たちを除いて、みなから村八分にされます。村八分行為は現代社会では差別として禁じられています。「反差別」を語る人たちが村八分を行っていいのか!? さらには、ネットリンチも様々なされM君は精神的に追い詰められていきます。
そうして、2016年2月28日、「相談があります」とM君の知人「ヲ茶会」(ハンドルネーム)さんが、主だった資料を持って鹿砦社を訪れます。リンチ直後の1枚の写真に驚きました。その数日後にM君と会いました。リンチが起きたのは2014年12月ですから1年余りが経っていました。その1年余りの間、M君の孤独と精神状態は想像に絶するところです。M君の話を聞き主だった資料を目にしリンチの最中の音声データを聴いたりして、私たちは、この青年を支援することにしました。瀕死の重傷を負い、リンチ後もさんざんネットリンチをなされ、藁をもすがる想いで助けを求めてきた青年を人間として放っておけますか? 私はできませんでした。この時点で、「カウンター」-「しばき隊」に対決するなどという気など毛頭もありませんでした。素朴にM君への同情でした(この直前に、「カウンター」-「しばき隊」と連携する反原連〔首都圏反原発連合。鹿砦社は、脱原発雑誌を発行することに関連し経済的にかなりの額を支援していました〕に絶縁宣言を出され訣別しましたが、この頃は、彼ら相互の密接な繋がりはさほど知りませんでした)。
同時に、リンチ事件の真相究明のために客観的分析や取材を開始しました。加害者らが関わり被害者M君も事件前まで関わっていた「カウンター」-「しばき隊」、そしてこれと関係がありリンチ事件を知っていると推察される人たちへの直接取材も可能な限り行いました。ほとんどの人が誠実に答えてくれませんでした。むしろ逃げました。
この2年間の取材の成果は『ヘイトと暴力の連鎖』『反差別と暴力の正体』『人権と暴力の深層』『カウンターと暴力の病理』の4冊の本にまとめられ世に送り出されました。「デマ本」などという非難が「カウンター」-「しばき隊」とこの界隈の人たちから向けられましたが、概ねは好意的に迎えられました。「カウンター」-「しばき隊」内外の方々、その元活動家らからほぼ正確だとの評価を受けました。M君や私たちに反対する人たちに「デマだ」「ウソだ」以外に具体的かつ真摯な批判はありません。ほとんどが本も読まないで「デマだ」「ウソだ」と批判しているようだったので、第4弾の『カウンターと暴力の病理』をカウンター活動家ら数十人に献本送付し意見を求めましたが、ほとんど回答らしい回答はありません。ちゃんと回答せよ!
◆司法に救済を求めるも……
さて、事件後1年余り村八分にされ隠蔽工作が進行する中で、M君は司法に救済を求めます。当然です。事件から1年以上も経っていたので遅かったかもしれません。それまでM君本人は、わずかの支援者と共に弁護士探しにも奔走したりしましたが、ことごとく断られ、遂には本人訴訟も考えたといいいます。私たちと知り合った後は、私も、鹿砦社顧問の大川伸郎弁護士を紹介し、大川弁護士を中心に訴訟の準備を進め、ようやく16年7月に李信恵ら5人を大阪地裁に提訴、前後してM君へのネットリンチを繰り返す野間易通を名誉毀損等で提訴、司法に救済を求めようとしました。事件から1年半余りが経っていました。このかんのM君の心中を察すれば、筆舌に尽くし難い想いです。私だったら耐えられないでしょう。
しかし、司法は被害者の味方ではありませんでした。本件に限らず多くの人たちは司法への期待と幻想から司法に救済を求めますが、司法が必ずしもこれに応えるかといえば、そうではありません。私も多くの訴訟を経験し、それは判っていたつもりでしたが、今回は加害 – 被害の事実関係がはっきりしているので、裁判所の判断は間違いないと確信していました。本人尋問も、原告M君優勢裡に行えました。
昨年12月の本人尋問、そして3・19の判決を傍聴された、『マンガでわかる女が得する相続術』などの著書がある法律漫画家の桜真澄さんは、「今回の裁判を客観的に見た。大学院生が複数名に暴行され、その後民事で長い間戦っていた。彼は寒空の中で暴行され、その後もネットで中傷され、この判決だ。一体なんなんだろう。私だったら正気を保てないよ。よく頑張ったねM君!」とツイートされています。これが一般人の感覚でしょう。
今回の判決で、エル金 – 伊藤大介には、少額と雖も賠償金が課されました。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
[※上記◇箇所の文字は、裁判所の命で削除しました。(鹿砦社)]
一人の人間としての人権を毀損された被害者を法的に救済するのが司法の本来の姿ではないでしょうか? 裁判所が「人権の砦」というのなら、そうすべきです。裁判所は「人権の砦」ではありませんでした。
本件を担当した、長谷部幸弥(裁判長)、玉野勝則、牧野賢の3人の裁判官に人間の心はあるのか!? 法律を司る前に一人の人間であれ!
◆リンチ事件と本件訴訟に凝集された問題から何を学ぶべきか? 加害者らは、反省すべきは反省せよ!
確かに李信恵らの共謀、共同不法行為が司法上認められなかったからといって、これはあくまでも司法上でのことであり、現実にはリンチ(私刑)があったことは否定しようのない事実であることは、私たちが上梓した4冊の本で証明されています。そうでないと言う人は、これら4冊の本を越える反論を行なっていただきたいと思います。具体的に詳細に――。裁判所には、そのうち3冊を証拠資料として提出していますが、これをどう斟酌したのでしょうか。
残念ながら、M君は一審では、不本意な判決内容を受けましたが、リンチ事件から1年余り後に私たちに出会った頃、そわそわ落ち着かない精神状態だったことに比べると、明るくなり精神的にも落ち着いてきました。なによりもこれが最も嬉しいことです。
本件リンチ事件は「反差別」運動、カウンター運動内部で起きた不祥事であり、かつての共産党の査問、新左翼の内ゲバ同様、主体的な反省がなければ、この国の社会運動に禍根を残し悪影響を及ぼすと考えています。
私がまだ十代の終わり頃(1969年~70年)、勢いのあった新左翼内部で内ゲバが起き3人の活動家が亡くなりました。すると作家で京大助教授の高橋和巳先生は雑誌『エコノミスト』に「内ゲバの論理はこえられるか」を連載し、即刻やめるよう警鐘を鳴らしました。『エコノミスト』のような経済誌でもこうした問題を採り上げた時代です。しかし、高橋先生の声は蔑ろにされ、結果、100人以上の活動家が亡くなり、新左翼運動は衰退していきました。
共産党も同様です。70年代はじめ「新日和見主義」といわれる、主に学生・青年組織の幹部が多数査問され除名されるという事件が起きました(有名な方ではジャーナリストの高野孟)。この頃共産党は、当時の社会党と共に社共統一戦線で東京、京都、大阪で革新系知事を出し、今では想像できないほどの勢いがありました。現在共産党が唱える「野党共闘」など比ではありませんでしたが、以後衰退していきます。
誤解を恐れず申し述べれば、たかが裁判に勝った負けたは、本質的な問題ではありません。仮に裁判の判決が不本意だったからといって悔やむ必要もありません。要は、この裁判に凝集された問題から、何が良くて何が悪いのかを剔出し反省、止揚することではないでしょうか。それを、運動に関わる人は運動に活かし、また運動をやっていない人は、日々の暮らしの中で社会を見る目に活かすなり……。
特に今回は、加害者らが「反差別」や「人権」という言葉を錦の御旗にしているから、多くの人がその美名に幻惑され騙されたりしています。「反差別」を語る人らが被害者を村八分にし、また「人権」を語る人らが人ひとりの人権を暴力で毀損するという異常事態です。私は今でも人間を信じたい。「カウンター」‐「しばき隊」の中にも心ある方はおられるはずです。心ある方々が、この事件に真正面から向き合い、「リンチはなかった」などと隠蔽せず、反省すべきは反省してほしいと願っています。
◆勝訴に浮かれ「祝勝会」! この人らの人権感覚を疑います
ところで、判決の夜、李信恵、伊藤大介、エル金、そして代理人・神原元弁護士らは「祝勝会」と称し酒盛りを行い、これみよがしに、これをネットに上げています。これはM君を精神的に追い詰めるものです。
先の桜真澄さんも、「法廷で一度、原告に頭を下げ謝罪した後で、被告がわざわざ判決日に笑顔で焼き肉を食べる写真をSNSで公開するなんて…… 私だったら心が潰れる」とツイートされています。また、医師の金剛(キム・ガン)さんは、「DMでインスタグラムにアップされた被告らの浮かれた写真が伝えられてきた。 ずいぶん気持ちよさそうだが、あの陰惨な事件に関与した者たちが真摯な態度をまったく示そうともしないというのは、実に奇怪な光景である。あれが『奴らの反差別、奴らの正義の正体』であることを忘れないようにしよう」とツイートされています。李信恵、伊藤大介、エル金、神原弁護士よ、あなた方は、いやしくも「人権」を語ってきたわけでしょう? このようにあからさまにみずからの「人権感覚」の程度を晒すようなことはやめられたほうがいいのではないでしょうか。
さらに、神原弁護士は調子に乗って、「正義は勝つし、レイシストは常に破れる」などと言っています。ここに言う「レイシスト」とは誰のことでしょうか? M君を差していると推認されますが、これはさらにM君を精神的に追い詰めるものです。M君は「レイシスト」なのか? リンチされ、村八分にされ、セカンドリンチをされ、リンチはなかったように隠蔽工作をされ、司法に救済を求めても真意を理解されず不本意な判決を下され、さらに「反差別」や「人権」を語る人から「レイシスト」呼ばわり……いい加減にしていただきたいものです。私はM君が「レイシスト」だったら支援しません。最低これぐらいの矜持はあります。
ちなみに神原弁護士には、私や鹿砦社は「極左」呼ばわりされていますが、さすがに「レイシスト」呼ばわりはされないようです。
◆今後の決意 本当の勝負(裁判だけではなく)はこれから!
M君はここまで叩きのめされても、多くの皆様方の激励により元気を取り戻しつつあります。やはり司法に期待や幻想を持ったらいけないようです。司法の結果がどうあれ〈真実〉は満天下に明らかになっています。私たちはM君が頑張る意志を持ち続ける限りサポートを続けていきます。ここでも桜真澄さんは、「判決に耳を疑った。 人が殺されかけたのに…… 法律とはグレーであり奥が深く理不尽である。それは私が法律を学ぶ上で沢山の弁護士達から教えられてきた。今回の裁判で、法とはやはりグレーで理不尽だと実感する。そして一人の青年にこんなにも沢山の応援団がいることは素晴らしいと思った」とツイート。桜真澄さんのお気持ちに涙が出そうです。
「棺桶に片足突っ込んだ爺さん」(鹿砦社元社員でカウンターメンバーだった藤井正美評)とか「好々爺」(合田夏樹さん評)と揶揄された私は、この問題と出会う頃に現役を退くつもりで、内外にそう公言していましたが、この問題と出会ったのもなにかの運命、最後まで見届ける決意です。心ある人たちの〈良心〉を信じて――。
闘いはまだ一里塚、本当の勝負(裁判だけでなく)はこれからです。このままでは終われません。まずは控訴審に向けて、心ある皆様方の圧倒的なご支援をお願い申し上げます。(本文中、一部を除いて敬称略)
◎[参考音声]M君リンチ事件の音声記録(『カウンターと暴力の病理』特別付録リンチ音声CDより)