「 ……大橋図書館から帝国図書館へ。彼は帝国図書館の与えた第一の感銘をも覚えている。――高い天井に対する恐怖を、大きい窓に対する恐怖を、無数の椅子を埋め尽した無数の人々に対する恐怖を。が、恐怖は幸いにも二三度通ううちに消滅した。彼は忽ち閲覧室に、鉄の階段に、カタロオグの箱に、地下の食堂に親しみ出した。それから大学の図書館や高等学校の図書館へ。彼はそれ等の図書館に何百冊とも知れぬ本を借りた。又それ等の本の中に何十冊とも知れぬ本を愛した……」(芥川龍之介『大導寺信輔の半生』,中央公論,1925)と、物語の主人公を通じて語られるその印象には、帝国図書館に通いつめた芥川龍之介のことばだからこそのリアリティがある。
1897年に設置された帝国図書館は、第二次世界大戦以前の日本における唯一の国立図書館だ。庁舎の完成は1908年。アジア最大の図書館として完成される予定だったが、日露戦争で金を使いすぎたために全てを建設することができす、計画の4分の1ほどのサイズになってしまったという。関東大震災によって怪我を負うもなんとかこれに耐え、さらには第二次世界大戦をも乗り越えた。100年を超える歴史のなかで何度も名前を変え、現在は国際子ども図書館として活用されている。
さて、どっしりとした物質感をたたえて鎮座するこの建物は、やはり大きい。ファサード(建物の正面)から得られる堂々たる印象は、石造りの重みとルネサンス風の飾り付けによるものだろうか。丁寧に並べられた自転車を見て、近所に住まう親子の訪れを知る。建物と自転車の絶望的な不調和がおもしろい。
中へ入ると、受付カウンターの横にBCS賞(建築業協会賞)の受賞プレートを見つけた。ここに建築家・安藤忠雄の名が記されている。実は、安藤忠雄はこの建物が生まれ変わる際、日建設計とともにその改修設計を担当しており、2015年にオープンしたアーチ棟の設計も両者が担っているのだという。
ロビーを過ぎるとすぐ左手に、大階段と呼ばれる立派な階段がある。大階段は壁で支える構造になっており、内側に柱が無い。これにより天井まで続く約20メートルの吹き抜けを実現させている。幅の広いステップと白壁、そして大きな採光窓が設えられており、非常に開放的な空間に仕上がっている。階段の裏に貼られたフローリングが下からの眺めを軽やかにしている一方、隅に立つ石造りの支柱と鉄製の手すりは重厚で落ち着きがある。本物の階段だ。
平日の午前ということもあってか来館者は非常に少ない。1月にしては珍しいほどの陽気のなか、ひんやりとした廊下を歩くと心静かに冴えてくる。
奥へ進むと、帝国図書館時代に「普通閲覧室」として利用されていた部屋がある。当時、ここ利用できるのは男性のみで、女性は「婦人閲覧室」を利用するものと決められていた。旧普通閲覧室の壁は漆喰で塗られているのだが、これは改修工事の際に漆喰を剥がし、構造部分の鉄骨に耐火被覆を施したのち塗り直したものだという。柱や天井の装飾は当時のままを眺めることができる。
現代的なデザインのアーチ棟には、安藤忠雄の代名詞ともいえる打ちっ放しのコンクリートが多用されている。私は打ちっ放しコンクリートが大好きだ。それで細かなところまで見てしまうのだが、やはり定評のある日本の職人の仕事。表は滑らかで面取りも丁寧。徹底して冷たく、そして味気のない表情が良し。うん、いいな。いまさら安藤忠雄だなんて、という屈折した思いをどこかに抱えている私だが、いくつか作品を追ってみようかと思い立つ。次回も安藤忠雄建築を紹介するつもりで取材に挑もう。
▼大宮 浩平(おおみや・こうへい) [撮影・文]
写真家 / ライター / 1986年 東京に生まれる。2002年より撮影を開始。 2016年 新宿眼科画廊にて個展を開催。主な使用機材は Canon EOS 5D markⅡ、RICOH GR、Nikon F2。
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