ツイッター上で李信恵被告による、「鹿砦社はクソ」、「クソ鹿砦社」などと、多量な誹謗中傷が止まらず、本コラムで取材班ならびに松岡が数度にわたり「品のない言葉遣い」を止めるよう李信恵被告に注意を促したが、それでも罵詈雑言が止まらなかったため、鹿砦社は仕方なく李信恵被告を相手取り名誉毀損損害賠償請求を大阪地裁に起こした(2017年9月28日)ことは、本コラム並びに、『カウンターと暴力の病理』でもご紹介した。
同訴訟の前回期日(3月16日)に代理人の上瀧浩子弁護士から「反訴の意思」がある、旨の発言があった。どのような反訴が行われるのかを、多忙なかたわら待っていると、2018年4月17日付け(受付印は18日)の「反訴状」が過日(4月25日)鹿砦社に届けられた。「ないもの」をあたかも「あったように」印象操作する魔術師、李信恵被告がどのような「反訴」を打ってくるのか? 鹿砦社と取材班はその「反訴」内容を半ば「楽しみに」待っていた。
ただし、強調しておかなければならないのは、そもそもこの提訴は李信恵被告による、鹿砦社に対する誹謗中傷や、根拠なき言いがかりが発端となり、単なる名誉毀損だけではなく、鹿砦社の業務自体に悪影響が出る兆しが見えはじめ、放置することができなくなったことが背景にあることだ。
1つの事柄をめぐって、100人には100通りの解釈が成立しよう。それが思想や言論の自由というものだ。しかしながら「ない」ことを「ある」といってはならない。それは「ある」ことを「ない」というに等しく大きな誤謬であるにとどまらず、人や団体を深く傷つける行為につながる。歴史修正主義者の言説などがそうだ。「南京大虐殺はなかった」、「日本は合法的に朝鮮半島を併合した」などとの主張は、歴史の事実に逆らうもので、そこで生きた人びとの営為を無化しその精神を殺してしまうものである。
李信恵被告の発信にも同様に、あたかも鹿砦社が「李信恵被告の仕事の妨害をしている」、あるいは「健康を害する原因を作っている」かのごとき言いがかりも散見された。しかしながら事実に立脚していなくとも、このような「物言い」はそれ自体が独り歩きしてしまい、鹿砦社に対するマイナスの情報やイメージとして流布される。ことに「差別の被害者」としてマスコミに頻繁に取り上げられる、李信恵被告からの発信は、無名な市民の発信とは訴求力において比較にならぬ力を持つ。
そのため、致し方なく鹿砦社は業務への悪影響と、継続する誹謗中傷を止めるために提訴を起こす以外に選択肢がなかったのである。事実、提訴以降李信恵被告による鹿砦社に対する誹謗中傷、罵詈雑言はすっかり影を潜めた。その点において提訴は判決を待たずとも、一定の「抑止効果」をすでに発揮しているといえよう。
そこにもってきての李信被側からの「反訴」である。以下請求の趣旨を掲載するが請求では、まず、550万円を払えと求めている。そして鹿砦社がこれまでに発刊した『ヘイトと暴力の連鎖』、『反差別と暴力の正体』、『人権と暴力の深層』、『カウンターと暴力の病理』を「頒布販売してはならない」と実質上の販売差し止めをもとめている。また本コラムに掲載した過去の記事の削除も要求している。
概ね予想の範囲内ではあったが、『ヘイトと暴力の連鎖』、『反差別と暴力の正体』、『人権と暴力の深層』、『カウンターと暴力の病理』を「頒布販売してはならない」との請求には、正直失笑を禁じ得なかった。すでに発売されてから1年以上のものも含み4冊を「販売するな!」、「広めるな!」との主張は李信恵被告や、代理人、神原元弁護士らしい、乱暴な請求ではあるが、もし本気で「販売差し止め」を求めるのであれば、どうして「仮処分」の申立てを行わなかったのだ?
少々解説すると、一般の裁判は判決が出るまでに相応の時間がかかる。鹿砦社が李信恵被告を訴えた裁判も判決が出るのは、まだかなり先になるだろう。これが民事訴訟の標準である。一方のっぴきならない緊急性があるときは「仮処分」を裁判所に申し立てて、それが認められれば、極めて短時間で司法により「禁止」や「差し止め」の命令が下されることがある。鹿砦社自身過去に不当と思われる「仮処分」による「出版差し止め」を食らった経験があるし、大手週刊誌などでも「出版差し止め」の仮処分が認められ、発刊が出来なかった事例は過去にある。
しかし、出版差し止め仮処分を申し立てるには、強度の緊急性と高度の違法性を要する理由がなければならない。仮処分が認められなければ、引き続き同じ内容を争う「本訴」では不利に作用することもある。
李信恵被告側は、鹿砦社が発刊した上記4冊に、名誉毀損や事実無根の記載があれば、堂々と出版差し止め仮処分を申し立てる選択肢もあったろうに、そうはしていない。そして、その根拠は丁寧にも「反訴状」に記載されている。いずれの4冊も李信恵に言及している部分のみを理由として、「頒布販売の禁止」を求めている。
法的な知識に取材班は詳しくないが、李信恵側が主張する「頒布販売の禁止」のを求める根拠は、いかにも希薄である。弁護士に相談するまでもなく、手元に反論材料は山積している。反論材料を多すぎて、整理するのに手間がかかるほどだ。
そもそも『鶴橋安寧』を出版以降、李信恵被告による、まとまった文章による主張を目にしていない(どこかにあるのかもしれないが、鹿砦社ならびに取材班は見つけることができていない)。李信恵被告は元々ライターなのであるから、自身に疑義が向けられている「事件」についてもツイッターなどという、安易な方法ではなく、自身のまとまった見解を明らかにすればよいのではないか。売れっ子の李信恵被告が、原稿を発表したいと声をかければ、幾らでもそれに応じる出版社はあろう(取材班の多くがうらやむほど……)。
だが待て! 先日のM君が李信恵被告ら5名を訴えた裁判の判決では、M君が勝訴はしたものの、一般常識からすれば考えられない、「屁理屈」のような論が展開され、多くの主張が認められなかった。あろうことか同一個人名の誤表記が3度も判決文にはあった。「裁判は水物」だ。「え、嘘だ!」というような判決が、過去あまた積み重なっている事実を無視はできない。
可能性は低いが、万が一「反訴」が認められれば、『ヘイトと暴力の連鎖』、『反差別と暴力の正体』、『人権と暴力の深層』、『カウンターと暴力の病理』が発売禁止になり、これ以上読者のお手元に届かなくなる可能性もある。
万が一まだ上記4冊をお読みでない読者の方がおられたら、急いでお買い求めいただくことをお勧めする。まだ幸い在庫はある。が、「反訴」が認められ「頒布販売」が禁止になれば、これ以上お分けすることができなくなるかもしれない。鹿砦社の対李信恵裁判及び反訴にご注目を頂きたい。