2010年6月22日、広島市南区にある自動車メーカー・マツダの本社工場に自動車が突入し、社員12人がはねられ、うち1人が亡くなる事件が起きてからもうすぐ8年。無期懲役判決を受けた犯人で同社の元期間工の引寺利明(50)がまた当欄への掲載を希望する手記を便せんに綴り、私のもとに送ってきた。その枚数は全部で39枚。今回も2回に分けて紹介する。
◆「プロである精神科医の連中も、自分なりに解釈しとるだけじゃ」
引寺が岡山刑務所で無反省の日々を過ごしていることは当欄で何度も紹介してきた通りだ。今回の手記を見ても引寺が無反省なのは相変わらずだ。
ただ、手記の前半部分は「精神鑑定」をテーマに綴られていて、その内容は興味深い(以下、〈〉内は引用。とくに断りが無い限り、原文ママ)。
〈殺人事件の裁判において、弁護団が「被告は犯行当時は心神喪失状態だったとして無罪を主張する」といったケースがやたら多いが、こういう茶番はもうヤメよーで〉
そんな書き出しで始まる今回の引寺の手記。引寺は逮捕後、犯行動機について「マツダで働いていた頃、他の社員たちにロッカーを荒らされ、自宅アパートに侵入される集スト(集団ストーカー)被害に遭い、マツダを恨んでいた」と語ったが、裁判では精神鑑定に基づいて「妄想性障害」に陥っていると認定され、「集スト被害」も妄想だと判断された。引寺はその認定に不満を抱え続けているのだが、今回は自分のことだけでなく、精神鑑定全般について語ろうとしているわけだ。
引寺は起訴の前後で2人の医師の精神鑑定を受けているのだが、その時のことを語った以下の部分からは刑事事件の精神鑑定の実情が窺い知れるように思える。
〈ワシが疑問に思っていた心神喪失状態がどういう状況なのかについて、(筆者注・2人の精神鑑定医に)何度か説明してもらったが、プロである2人ともキッチリとわかっているようには見えんかったで。精神科医の連中も、自分なりに解釈しとるだけじゃ。どこまでが心神喪失状態ではなくて、どこからが心神喪失状態なのか?事件を起こした容疑者本人でさえ、犯行時の記憶があいまいだったり覚えていなかったりする場合が多いのに、犯行シーンを見てもない第三者の精神科医が、心身喪失状態のラインはここですゆーて、キッチリ線引きなんか出来る訳がねーよのー。結局の所、事件から数ヶ月もたった頃に精神鑑定を行い、担当医の独断と偏見により、精神障害におけるいずれかの症例にあてはめるだけじゃ。もし、プロである精神科医がキッチリと正確な精神鑑定を行う事が出来るのであれば、何人もの精神科医が一人の容疑者を精神鑑定したとしても、鑑定結果は全て同じになるはずなんで〉
私も被告人の責任能力が争点になる刑事裁判を取材していて、精神鑑定の結果は鑑定医の主観に大きく左右されるものであるように感じることは多かった。検察側も弁護側も、自分たちの主張に沿う鑑定意見を述べてくれ精神科医を見つけてこようと思えば、たいてい見つけてくることができる。そして最終的に、裁判官が下す結論は検察側に有利なものになることが多いのが現実だ。それゆえに私には、引寺の手記のこの部分は当を得ているように思える。
◆裁判官を「ダメおやじ」、弁護人を「おバカな弁護士」呼ばわり
他方、引寺はこの手記で自分の裁判に関する不満も色々述べているのだが、そこでは、裁判官はもとより弁護人のことも感情的な筆致で罵り、容姿を揶揄するようなことまで言っている。たとえば、控訴審の裁判長のことを〈「ダメおやじ」にそっくりなツラをした裁判長〉と言ってみたり、弁護人のことを〈オバカな弁護士〉と言ってみたりという具合だ。
自分の事件以外のことについては、的を得たことを言う一方で、自分の事件のことについて語ると、引寺はなぜこんな風になってしまうのか。精神鑑定が行われるような犯罪者の生態はやはり奥深いものがある。
なお、手記の20枚目以降では、引寺は事件とはまったく無関係のことを延々と綴っているのだが、それもまた興味深い内容だ。それは近日中に稿を改めて紹介したい。
【マツダ工場暴走殺傷事件】
2010年6月22日、広島市南区にある自動車メーカー・マツダの本社工場に自動車が突入して暴走し、社員12人が撥ねられ、うち1人が亡くなり、他11人も重軽傷を負った。自首して逮捕された犯人の引寺利明(当時42)は同工場の元期間工。犯行動機について、「マツダで働いていた頃、他の社員たちにロッカーを荒らされ、自宅アパートに侵入される集スト(集団ストーカー)に遭い、マツダを恨んでいた」と語った。引寺は裁判で妄想性障害に陥っていると認定されたが、責任能力を認められて無期懲役判決を受けた。現在は岡山刑務所で服役中。
▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。