寺に入って1ヶ月が経過。それなりに悩み、真新しい発見があり、今度は信者さんから撮影を頼まれたり、寺の生活に対応力が付いてきたのも確かな手応えでした。
◆ブンくんらの還俗!
11月30日は3僧の還俗式。朝4時30分から読経があると聞いていたので、私もいつもより早く起き、皆の様子を伺い撮影に入りました。今日の3僧の他、近々還俗するトゥムくんも参加。先輩僧として4僧の懺悔に立ち会うメーオくんも加わり、5僧が読経と懺悔の儀式を行ないました。
私は托鉢に向かうも、還俗する3僧はクティに残り還俗式の準備に掛かります。その後、朝食前に3僧の還俗式が始まりました。還俗式と言っても得度式のような半日掛けるような儀式は無く、和尚さんと還俗者だけの問答で終わる数分のことで、3僧が和尚さんの前に座り、形式的な流れながら、還俗を願い出る言葉と認める和尚さん。
その後、部屋に戻って黄衣を解くと、もう黄衣を纏うことは許されない俗人に生まれ変わります。新たな旅立ちとなる白いシャツを着て、元の俗社会に居た時のジーパンを穿き、和尚さんの元へ戻って最後の挨拶。時間にして10分程度。あっけなく終わるのが還俗式でした。黄衣を脱いだ3人は初々しい姿。いい日旅立ちとなった彼らはこれからどういう人生を歩むのだろう。短い間だったが、“同窓生”として絆を深めた仲を忘れないでいてやりたいと思う。
◆ブンくんの部屋に引っ越す!
朝の雑用を終えると、今度は私の部屋引越しが始まりました。ブンくんが居た部屋は藤川さんの部屋と同じ広さ。陽射しが入り暑い。外は道路工事が始まっており、土埃が舞い、部屋まで入ってくる厄介さ。元の部屋は広く涼しく、葬儀場が見えて比丘の動きが分かりやすかったのに、今度は周りの様子が見え難く聞こえ難いが、一人部屋の魅力は捨てられない。部屋の左隣はやがて還俗するトゥムくん。右隣はアムヌアイさん。皆が私の部屋に出入りし、ブンくんが残していく物を貰おうと集まる心理は、鬱陶しいが仕方ないか。黄衣やバーツは誰も手を付けず、ブンくんが「使っていいからね」と私に置き土産を頂きました。還俗した者は恩返しに数日寺に残り、比丘のお世話をしていくそうで、今日はまだ寺でのブンくんの姿を見ていました。
◆藤川さんの長話!
一人部屋となってウキウキしていると、時間の経つのは早いもの。夕方頃、外で洗濯していると藤川さんから声が掛かりました。
「ケーオに書類頼んだか?和尚が何も分かっていないから文書にせい、内容を教えるから来い!」と言われて藤川さんの部屋に向かうも、それから想定外の事態に至りました。移った部屋にはまだブンくんも覗きに来ているだろうし、話したいこともあって部屋に戻りたいが戻れず、そこから延々藤川さんの話が続くのでした。
「ビザというもの、何の為にラオス行くかも、バンコクに行ったのも和尚も副住職もケーオも何も分かっとらんぞ。そういう事情を和尚宛に文書にしておけ。そうしておけば後々“知らん”では済まされんから!」
そんなことはもう準備していたし、普通立ち話で2分で済む話。しかしそこから延々続く説教話。私の日々を見ての苦言、藤川さんの生き様となる大林組、不動産業、タイでのビジネスを経験してきた話、笑い話もない中、その他もう何を言われたか覚えていないぐらい延々続きます。
ほんの数日前もナコンパノムへ行った際、立ち寄ったバンコクで先日のような知人に散々喋って来ただろうに、何をまた私にここで鬱憤晴らしする必要があろうか。説教とは言えない、単なるストレス発散である。お陰で私はストレス溜まるだけ。夕方6時過ぎから延々続く中、1回トイレに行かせて貰った以外、12時過ぎまで喋っていた藤川さん。止まらないのである。こちらは頷くだけ、対話になっていないのだ。気付けよ、明石家さんまか、アンタは(心の訴え)。その間、何も飲まずに、冷蔵庫に飲み物を持っているくせに何も出してくれなかった。この喋り出したら止まらない人間の思考回路はどうなっているのだろうかと思う。
12時を回って眠くなったか、ようやく話を終えてくれた藤川さん。最後に部屋を出る時に「少々“ヤケド”してもいいから還俗したら思い切ったことをやってみい」と忠告だけは記憶に残る。修行中は藤川さんを師匠と位置付けていた為、頭に来ることはいっぱいあって、時々私もキレるが、極力逆らうことはしませんでした。
クティ内は皆眠りに付いて静まり返った暗い中、移ったばかりの部屋へ向かう。還俗したブンくんはどこで寝ていることやら。待っていたとしたら申し訳ないところ。
◆ビザというもの──難航する書類作成!
私と藤川さんは仏門で227の戒律を守り、修行する比丘の身である。しかし我々は所詮日本人。戒律以前に日本の法律、国際ルールを守らねばならない。タイでは観光ビザは60日(延長含め90日)、ノンイミグレントビザは3ヶ月滞在できますが、この期間を超えて滞在すると不法滞在となります。その為、期限前に国外に一旦出なければなりません。タイ周辺国に出るには、ノービザで行ける国がマレーシア、ビザが要る国がミャンマー、ラオス、カンボジアだったと思いますが、日本へ一旦帰国することも一つの手です。この辺の事情が、ウチの寺の和尚さんはどこまで分かっているか。時期が来ると毎度、タイ滞在ビザ取得の為にタイ国外へ出る苦労を、分かっていないだろうと藤川さんは感じられるのでしょう。
そんな不安を持ちつつ、ラオスのタイ領事館に提出する寺在籍証明書作成をケーオさんに頼みます。
「我々外国人はビザというものが必要で、比丘であってもタイに滞在する外国人なのです……」とまで説明すると、「分かってるよ、不法滞在になってしまうことは。ビザが要るんだろ、だからラオスに行くと。マイペンライ!書類は作ってやる。いつ行くんだ?」
と話は早かった。期限が迫ってもなかなか慌てないのがタイ人。せかす意味で「バンコクの友達に先に渡すから早目がいい」とウソをつく。戒律違反のウソである。
このケーオさんは前に述べたとおり、元々勘が良く、すぐに動く人だった。パスポートと比丘手帳を持って行き、手が空くと部屋に戻って必要事項をタイプライターで打ってすぐ持って来てくれました。しかし各所日付が間違っています。出家前のタイ入国日は必要無く、得度した日と申請日が間違っている。やること早いが打ち間違いが多く、その都度、修正液塗って打ち直し、また修正液。それが折り目となると乾いた修正液がヒビ割れする始末。ここを「マイペンライ!」で済まそうとする一般的タイ人でなく、「やり直そう!」と白紙から打ち直してくれるケーオさん。
面倒な作業を繰り返し時間を掛けて寺在籍証明書完成。これを持って和尚さんのサインを貰いに、ラオスに行く必要性を話しつつ文書にしたものを渡しますが、分かってくれるでしょうか。分からなくても書類にサインさえ貰えばいいので、極力機嫌の良い手の空く頃を狙ってお願いに向かいます。ラオスに向かう、いい日旅立ちも間近に迫りました。
▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」