メコン河に佇む藤川さん

◆旅の関門、宿泊地と飯確保

ノンカイ駅に到着後、新たな展開が待ち受けるワット(寺)・ミーチャイ・トゥンに向かいました。

庭に居た若い比丘に尋ねると和尚さんは留守で、駅前で聞こえていたニーモン(比丘を招く寄進)先に行っている様子でした。

そしてこの若い比丘がクティの御自分の部屋に招いてくれて、コーヒーを入れてくれました。どこから来たか、これからどこへ向かうか旅の目的を話していると、この比丘の部屋はキレイに整理整頓が行き届いており、突然の来客があっても恥ずかしくない部屋で、勉強した後のような雰囲気に気が付きます。昔の私の実家の部屋のような、新品の辞書の上に埃が被っているようなことのない、読んだ本が積んであっても日々活かされている匂いがありました。

着いたばかりの我々に出されたコーヒーに癒される寛ぎ。インスタントコーヒーでも、こんなに落ち着かせてくれるものかと初めて思う味わい。

このノンカイは以前、藤川さんが巡礼の旅で立ち寄った際のこと、「三輪タクシーの運ちゃんに“この辺でいちばん修行が楽な寺はどこや?”って聞いたら連れて来られたのがこの寺やった」と言う。

訪れたワット・ミーチャイ・トゥンの比丘と早速のスナップショット

若い比丘ばかり、デックワットも素直そう

やがてその和尚さんが帰って来た様子。早速、藤川さんと和尚さんの別棟クティに行き、三拝して自己紹介と旅の目的を言い「泊めてください」とお願いをします。我が寺の和尚より年上と見えるこの寺の和尚さんは、良いも悪いも無く、すぐに2階の結構広くキレイな部屋へ入れてくれました。

以前、藤川さんが「タイで一旦出家すれば格式高い修行寺でも基本的には泊まれる。タイの中ならどこへ旅行しても寺で泊まるのと食費はタダ。交通費も飛行機を使わない限りは殆どタダ。女と酒さえ我慢すればこれほど良いものは無い。坊主三日やったら止められへん!」と冗談含めた笑い話を聞いているが、真面目な話、本当に泊まれるのである。

クティ2階から見た庭の風景

大通りから路地に入るところの案内板

この日、朝飯は摂れず、ここで昼飯食えなかったらかなり苦しい。11時回って藤川さんが「飯無いのかな」と外へ様子を見に行くと、「あるみたいやからスプーンとフォーク持って行こ!」と戻って言われて一緒にサーラーに向かうと、テーブル3つほどあり、12~13僧が居る中、その一つに招かれました。

貧困のイサーン(東北)地方と言われる割には、カオニィアオ(もち米)と惣菜も充分にあり、普通の白米もありました。藤川さんが遠慮なく食べるから、私も腹減っていてガツガツ食ってしまう。他の比丘は静かに少しずつ食べているのに、我々が卑しい感じで恥ずかしい。

昼飯後の読経はタムケーウ寺と同じだが、イントネーションが違う。読経にも地方訛りや指導の違いがあるのだろう。

◆早速、ノンカイを歩く

昼飯後、クティに戻り、とりあえず今日は安泰と思ってゆっくり休んでいると、
「今日のこの寺の行事は無さそうやから、外出しよう」と言う藤川さん。旅に出たら何でも見ておこうという探究心旺盛な人らしい言葉。

それで午後2時過ぎになって外出します。藤川さんは「ラオスで泊まる寺を紹介してくれる、寺の和尚に会いに行くんや」と言う。それは藤川さんが「ここも過去に訪れた」と言う、道路を挟んだ向かい側にあるワット・ミーチャイ・ターでした。行ってみると大きなメコン河が見える。この寺のミーチャイター寺の和尚さんは留守で「“ローングリアンプラ”(比丘の学校)に行っている」という若い比丘。

ター・サデット市場を歩く藤川さん

河沿いで1kmほど先の対岸を眺め、やがて向かうラオスを想った後、そのローングリアンプラで講師を務めているらしい和尚さんに会いに、三輪タクシーで中心街となる方向へ向かいます。2ヶ月前、ムエタイが行なわれたサッカー競技場の前を通ると、ここで伊達秀騎が試合したのかと想うと、あの頃が懐かしいやら切ないやら。その後、メコン河沿いのラオスに渡る船着場に着いて周囲を散策。新世界紀行で出家した由井太さんと加山至さんがノンカイで還俗し、ラオスに渡ったのは、このイミグレーションを経て船に乗ったのだろうか。或いは全く別の場所だろうかと想いに耽けます。

この後、結構賑やかなター・サデット市場を覗きました。日用雑貨でも何でも売っている市場に、日本の有名なお菓子も売っていて「どこから仕入れて来るんやろう」という視点の藤川さん。

また更に歩いてローングリアンプラに着くと、校庭を掃き掃除していた学生比丘(高校生ほどの少年僧)はさっきの寺に居た奴だったが、「和尚さんはもう帰りました」と言う返答。寄り道しているから擦れ違いとなったようだ。

街の佇まいをゆっくり歩いて見ようということになって三輪タクシーには乗らず、河沿いのワット・ミーチャイ・ターへ戻ります。その途中、夕陽を浴びながらまた藤川節で、
「人はそれぞれ太陽の上るところ、沈むところを見ながら育ったいろいろな環境あるから皆、そこから人のものの考え方が育って来たんじゃないか。これ調べたら面白いぞ。統計取ったら何か分かることあるはずや」と言う。なるほどなあと思う。次から次と発想力が凄い藤川さん。

船着場のイミグレーション前にて

◆ノンカイで二つ目の寺の和尚さんに会う!

先ほど寄ったワット・ミーチャイ・ターに着く頃にはもう薄暗くなっていました。若い比丘やネーン(少年僧)もいっぱい居て、ここの和尚さんの部屋へ案内してくれました。会ってみると結構若い30代の和尚さん。

挨拶した後、藤川さんが、泊めて貰えるラオスの寺への紹介状を書いて貰う為、旅の目的を言い、私が比丘手帳も見せると和尚さんから名刺を頂きました。お名前はプラマート和尚。旅の補助にラオスのお金少々手渡ししてくれる配慮もやはり嬉しい。こちらも居心地良さそうな寺で「明日の昼こっちの寺に来てここに泊まるぞ」という浮気心発揮の藤川さん。

もうすっかり暗くなって夜7時頃、駅側のワット・ミーチャイ・トゥンに戻ると、“トゥン”和尚さんクティには鍵が掛かっている。藤川さんは私に「鍵貰って来い」と言うが、サーラーではスワットモン(読経)が始まっている。仕方なく静かに参加するつもりも、私を見つけた1僧の比丘が気を利かせて和尚さんから鍵貰って来てくれました。我々は参加せず遊んで来たみたいな存在で、読経中のトゥン和尚さんには申し訳ない思い。

部屋で私が旅日記を書いていると、隣に座っていた藤川さんの動きが全く無いことに気付く。一人でいつの間にか瞑想に入って居やがる。こんな旅に出てまでと思うが、どこに行こうと修行の身、当たり前だなと思い直す。

30分ほどの瞑想を終えると藤川さんが「あっちの寺のプラマート和尚、ちょっと変わった人やろ?」と言う。

以前から聞いていたことだが、確かに何やら優しい眼差しで喋るプラマート和尚さんではあった。まあ旅疲れしている我々に対して優しければ好都合である。何か変な近寄り方でもされたらプロレス技でも掛けてやればいい。

ター・サデット市場の一部、奥はもっと密集した店が並ぶ

寺に繋がるケーウ・ウォラワット通りの風景

◆ノンカイでの托鉢は集団で

明日はこのノンカイでの托鉢に向かいます。藤川さんの経験話では、ここは独自に向かうのではなく、皆で一列縦隊で歩き、しかも歩くのが速いらしい。皆のペースに着いて行かねばならない。大丈夫だろうか。と托鉢ぐらいで気にしていられない。

夜8時30分過ぎでかなり早いが、藤川さんと久々の同部屋でに就寝。いびきはもう気にしない。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

タブーなき月刊『紙の爆弾』8月号!

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

教祖の麻原彰晃をふくむオウム真理教事件の七人が死刑を執行され、政府は国民の反応をみながら、つぎの死刑も準備しているようだ。七人もの死刑執行は、戦前の大逆事件(幸徳秋水ほか12人)いらいである。この死刑は真昼のワイド番組で、まるで中継でもされるかのように報じられた。ふたつのサリン事件で21人を殺し、内部での殺人事件、坂本弁護士一家殺害など、世紀の凶悪犯罪をおかした死刑囚たちの死は、ある種の感慨をもって受け止められた。その感慨とはおそらく、四半世紀いじょうも前に日本社会をゆるがせた事件の謎であろう。

いっぽう死刑の前夜、上川法務大臣と安倍総理は秋の総裁選をみすえながら、赤坂で宴席を設けていた。明朝の死刑執行が決まり、あたかも西日本を襲った集中豪雨が重大なものと予見されるなかである。翌朝の死刑と天災を嗤うかのように、防衛大臣をふくむ閣僚・自民党議員たちが酒宴を愉しんだのには、いささか不気味なものを感じないわけにはいかない。働き方改革関連法案の強行、カジノ立法と、矢つぎばやの政権運営には、もはや独裁政権の名がふさわしい。

◆死刑に慣れてしまったわれわれ

国民の多くは、オウム事件の真相が究明されなかった感慨のいっぽうで、わが国が死刑制度をもつ国であることには、あまり愕きを感じなかったのではないか。わたしたちの社会は犯罪の総数が減っているにもかかわらず、ワイド番組で凶悪犯罪が派手に報じられることで、死刑の存在も身近なものにしてしまっている。つまりわれわれは、死刑に慣れてしまったかのようだ。ワイド番組が凶悪犯罪を報じるのが悪いというのではない。国家による死刑は凶悪、あるいは憲法で禁じられた残虐な刑罰ではないのか、という問いが発せられることがあまりにも少ないのが問題なのだ。

今回の大量死刑に対する国際的な評価は、どうだったのだろうか。駐日EU代表部は、声明を発表し「加害者が誰であれ、またいかなる理由であれ、(オウム真理教の)テロ行為を断じて非難する」とした上で、このように呼びかけた。「しかしながら、本件の重大性にかかわらず、EUとその加盟国、アイスランド、ノルウェーおよびスイスは、いかなる状況下での極刑の使用にも強く明白に反対し、その全世界での廃止を目指している。死刑は残忍で冷酷であり、犯罪抑止効果はない。

さらに、どの司法制度でも避けられない裁判の過誤は、極刑の場合は不可逆である。日本において死刑が執行されなかった2012年3月までの20ヵ月を思い起こし、われわれは日本政府に対して、死刑を廃止することを視野に入れたモラトリアム(執行停止)の導入を呼びかける」

国連の人権高等弁務官事務所も、報道局の取材に対して文書で回答し、「死刑は人権上不公平な扱いを助長する」「他の刑罰にくらべ犯罪抑止力も大きくない」「麻原死刑囚ら七人の死刑が執行されたことは遺憾」としているという。現在、世界で死刑を廃止している国は138カ国である。これは全世界の70パーセントにあたる。死刑制度を存置している国は、58カ国である。先進国7カ国では日本とアメリカ(州によって死刑廃止)、G20では中国・日本・インド・インドネシアなどのアジア諸国とサウジアラビア、ヨーロッパは死刑廃止国が51カ国、存置しているのはベラルーシだけである。

かように世界の趨勢は死刑廃止に動いているのに、わが国では今回の大量死刑に快哉を叫ぶものもいたという。一時的な感情としてなら、それもいいかもしれない。ワイド番組で死刑報道に視聴者が興味をしめすのも、死刑というものが本来もっている、見世もの的な本質によるものだ。中世の処刑には遠路はるばる、それを見学するために旅をしてくる者もあったという。事件の被害者に思いをはせながら死刑をよろこぶのは、かれらがブラウン管をへだてた傍観者だからである。テレビで報じられる被害者感情は、容易に傍観者たちに伝わるものだ。しかし、死刑をふくむ重大犯罪に、誰もが逢着する可能性はゼロではない。カッとして凶器を手にしてしまう。それが複数人に及んでしまうことも、ないではない。ある意味で、凶悪犯罪とは事故なのである。自分の問題として引きつけて考える機会がない人は、それで幸せなのかもしれないが、犯罪者の大半はどこにでもいる人間が事故を起こした結果なのだ。

 

上川法相に対する日弁連・人権救済委員会の申し立て

◆人権救済と再審請求を無視した傍若無人ぶり

ところで、今回死刑執行された麻原彰晃においては、日本弁護士会の人権委員会から「心神喪失が疑われる死刑確定者の死刑執行停止を求める人権救済申立」という意見書が東京拘置所に申し立てられていた。死刑執行の17日前(6月18日)のことである。今回の死刑では「平成の事件は平成のうちに」「天皇代替わりや東京オリンピックに影響が出ないように」という政治的な判断が憶測されたが、事実はそうではない。6月18日の申し立てが引き鉄になったのは明らかであろう。

もうひとつ、今回処刑された7人のうち6人までが再審請求を行なっていた事実だ。いうまでもなく、再審は法的に認められた権利である。検察側に協力的だった井上死刑囚が、再審書面のなかで証言をひるがえすのではないかと危惧した法務当局は、再審請求中は死刑を執行しない原則を破ってまで、執行に踏み切ったのである。だとしたら今回の死刑執行は、きわめて政治的かつ恣意的なものだということになる。いや、そもそも死刑は恣意的で危険な刑罰である。EU代表部が危惧するとおり「どの司法制度でも避けられない裁判の過誤は、極刑の場合は不可逆」なのである。オウム死刑囚が冤罪だと言っているわけではない。われわれのなかに、凶悪犯は殺せ! なぜオウム事件が起きたのかという社会的な考察なしに、悪いヤツは殺せという死刑肯定が蔓延するごとに、立ちどまって考える能力は失われるのだ。やがてそれは、今回のような大量死刑を数倍する事態をもたらすかもしれない。あたかも、ナチスの大量虐殺を業務としてこなしていった、SS将校アドルフ・アイヒマンのような感覚が……。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)

著述業・雑誌編集者。主著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)、『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

「オウム」的なものにわれわれは今、どう立ち向かうべきなのか? 『終わらないオウム』上祐史浩・鈴木邦男・徐裕行=著 田原総一朗=解説 本体1500円+税

月刊『紙の爆弾』8月号!

横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

三里塚闘争は土地所有をめぐる空港反対運動だったのか、それとも農民闘争だったのか。社会運動の観点からは、そんな命題が残されたように思う。実態は農民が主体の住民運動であって、土地を奪おう(強制収容しよう)とする国家との闘いだった。農民が主体である以上、営農の問題は運動の原動力でもあった。農民にとって営農とはつまり、土地と共生して行くということにほかならないからだ。

◆資本主義における農民問題とは何か?

あのころ、わたしたちは社会主義論の立場から、農業の集団化というテーマが問題意識にあった。戦争反対や政策反対闘争の延長に革命を措定するのではなく、運動そのものが社会主義の要求を内包するものと提起するべきだと。そこで単なる空港反対運動ではなく、農民を社会主義に動員する萌芽があるはずだと考えていた。当時はオルタナティブ(政策選択)という言葉が流行していたが、あえて社会主義革命の準備という表現に執着したものだ。これは関西ブントと合流したゆえの党派性であろうか。当時、わたしが属した情況派の流れを汲む組織は、赤軍派の一派と合流していた。

一般的な定義をしておこう。マルクスの時代、農民は共同体を通じても自然の力(天変地異)に抗することができず、神や絶対的な権力(君主)に頼らざるを得ない(『ルイ・ボナパルトのブリューメル18日』)したがって、没落するか体制に組み込まれる存在だと考えられた。もっともマルクスは、ロシア革命の黎明期にベラ・ザスーリッチ(ナロードニキ・メンシェビキの女性革命家)に宛てた手紙では、ロシアのミール(農村共同体)の革命的な可能性を予言している。

いっぽう、帝国主義段階の資本主義の下では、農産物は国際競争の中で、商品として安価な地域に淘汰される。したがって農業は大工業化されるしかないので、農民の大半はかならず零落する。これが近代の農業・農民問題である。そこから、土地の共同所有・全人民的な所有のよって、農業の集団化が計られることで、農民は零落することなく生産性を上げることができる。と、レーニンおよびロシア社会民主党(ボ)を継承したコミンテルンは問題意識を持った(わたしの理解です)。したがって、農民は労働者階級と連帯して、社会主義に向かうべきである。そうしなければ、零落する小ブルジョアジーとなるしかないのだと。かなり教条的だが、新左翼の大半はこう考えていたはずだ。じっさいには、ソ連邦のコルフォーズ・ソフォーズ(国営農場と集団農場)は農民の営農意欲を刺激できず、資本主義的な工業化すらできなった。

 

二木啓孝さんインタビュー「反原発は、生き方の問題です 三里塚とメディアの現場」(『NO NUKES voice』Vol.16より)

 

二木啓孝さんインタビュー「反原発は、生き方の問題です 三里塚とメディアの現場」(『NO NUKES voice』Vol.16より)

◆共同出荷と有機農法

三里塚における農業の集団化は、東峰部落で行なわれたワンパック、共同出荷場の作業にその具体性があると思った。そこで現地集会の前夜には青年行動隊を呼んで、農業の集団化について討論会を持ったことがある。「どうせ闘うのなら、農業もいろんな方法でやってみっぺ。いろんなことを試してみる。そういう問題意識だな」と語ってくれたものだ。三里塚の運動が生協をはじめとする全国に広がっているから、流通も全国に拡大できる。じっさいに、わたしは藤本敏夫さん(加藤登紀子さんのお連れ合い)の「大地を守る会」のアルバイトをしていたから、三里塚の野菜(根菜類が多かった)の需要は実感していた。それでものちに、同じ東峰部落の堀越さんが朝採り野菜を団地などで直販したほうが、野菜の美味さは格段に上だったと思う。ぎゃくに言えば、三里塚の野菜は「三里塚闘争」というだけで、ありがたがられる存在だったのだ。

有機農法については、かなり早い段階で取り入れられていた。冬場の援農で、「堆肥を取ってきてくれ」と言われて、山積みになっている乾燥堆肥の温度におどろいたことがある。見えない微生物が繁殖して、そこだけ熱を持っているのだ。農学部の学生も「無農薬・有機農法(微生物農法)」に興味を持っていて、それを見るために三里塚闘争に参加するケースもみられた。

◆成田用水問題

三里塚闘争に農業農民問題としての側面が厳然たるかたちで浮上したのは、80年代なかばの成田用水問題だった。成田用水は高地(北総台地)である三里塚に、はやくから計画されていた。それが土壌整備(深田の底上げ)などと一体化して、空港建設の見返り事業として立ちあらわれてきたのである。支援党派の多くは、これを空港建設の一部と見なして反対した。用水建設反対運動も実力闘争となったが、これがのちに反対同盟の分裂にいたるひとつの契機だった。常東農民運動で名高い山口武秀さんの言うところを、伝聞だが記しておこう。共産党も新左翼も、農民運動としての三里塚闘争を政治闘争にしてきた。政治的に利用してきた、というニュアンスである。農業基盤整備を行わない農民運動は、営農とかけ離れたところで闘っていることになるのではないか。そういう意見だったと思う。肝に命じるべし。

◆農への志向

それにしても、三里塚闘争にかかわった学生たちは農業というものを体感することで、人生観が変わったのではないだろうか。少なくともわたしはそうである。わたしの先輩の二木啓孝さんも同様だ。最新号の『NO NUKES voice』(Vol.16)に「反原発は、生き方の問題です 三里塚とメディアの現場」というインタビューにまとめてみた。ぜひ読んでいただきたい。明大農学部出身の二木さんは、鴨川の棚田で農に接している。

わたしの場合は連れ合いに誘われてだが、松戸の市民農園でささやかな「営農」をしている。年間9000円で3メートル×5メートルの畑に、ホウレンソウや小松菜、ミニトマトにナス、ピーマン、獅子唐辛子、トウモロコシ、キャベツなど。マンションでやってみたプランター農業とは、まったく地力がちがうので愕いた。週末だけの農業とはいえ、スーパーで野菜を買う機会が減った。みなさんも是非!(この連載は随時掲載します)

▼横山茂彦(よこやましげひこ)

著述業・雑誌編集者。3月横堀要塞戦元被告。主著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)、『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

『NO NUKES voice Vol.16』総力特集 明治一五〇年と東京五輪が〈福島〉を殺す

月刊『紙の爆弾』8月号!

横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

われわれは、6月29日付けの本通信で、「関西カウンター」の理論的支柱・金明秀関西学院大学社会学部教授の隠された暴力事件について確たる証拠資料を摘示し報じ各方面に大きな反響を及ぼした。

次いで7月4日付けの本通信で〈【金明秀暴力事件続報】関西学院大学へ質問書送付!〉を掲載した。同日の通信の中で、

〈そこで取材班は鹿砦社代表松岡利康名で7月3日、関西学院大学村田治学長に対して「ご質問」を郵送し7月17日までに回答を頂けるようにお願いをした。

この「ご質問」は「公開質問状」ではないので、本日ここでその内容を明らかにすることはできない。鹿砦社は関西学院大学に対してなんらの悪感情を持ってはいないし、逆に同大学の建学の理念や歴史には正直なところ深い敬意を抱いている。よって、しばき隊幹部や事件隠蔽関係者に送付したような「質問書」とは、かなりトーンも異なるものである。

日大との対比で、優れた人権感覚と教育的視点、学生に対する眼差しを体現し、世間からも高い評価を受けた関西学院大学のことであるから、必ずやわれわれの「ご質問」に対して誠実なご回答を頂けるものと、取材班は信じている。ご回答を頂けた暁には内容に差しさわりのない範囲で読者諸氏にもその内容をご紹介することとしたいので、是非7月18日以降の本通信にご注目頂きたい。〉

と読者諸氏にはご案内した。つまり昨日17日が回答期限であった。関西学院大学から、17日午前、以下の通り回答を頂けた。回答は頂けたものの、一部を除いて、私たちの質問への明確な返答はない。最低限のマナーは守っていただけたかもしれないが、この回答では、問題の本質を解き明かす筋道にはならない。

7月17日、関西学院大学広報室から鹿砦社に届いた〈「ご質問」に対するご回答〉

ちなみに取材班が、関西学院大学へ送付した質問書は以下の通りである。

関西学院大学村田治学長への「ご質問」(鹿砦社代表松岡利康名で7月3日郵送)

関西学院大学村田治学長への「ご質問」(鹿砦社代表松岡利康名で7月3日郵送)

関西学院大学村田治学長への「ご質問」(鹿砦社代表松岡利康名で7月3日郵送)

相当な敬意を払いながら関西学院大学にはお尋ねをしたのだが、頂いた回答は、問題の本質部分に触れていない。現在も教壇に立ち続けている金明秀教授は、確実なだけでも2件の暴力事件を引き起こした人物である。極めて重大な問題ではないか。

理由の如何を問わず、他人に暴力行為を振るう(それが子供時代であれば「むかしの話」で済ませられるが、大学教員就任以降である)人物が大学の教員であることは、場合によっては、「学生が暴力の被害者になる」ことの可能性を示すだろう。その危険性に関西学院大学は、気が付かないのか、あるいは黙認するのか。

すでにネット上では明らかになっているので、この際被害者の方のプロフィールも部分的に触れておいた方がよいだろう。実は被害者は金明秀教授と同じ、関西学院大学社会学部の教員の方である! つまり今回の「金明秀教授暴力事件」は学内問題でもあるのだ。しかも被害者は、いわゆる「日本のマジョリティ」ではない。日本社会でマイノリティとされる(例えば在日コリアンなど)方である。したがって、金明秀教授が「レイシャルハラスメントに腹を立てて殴らざるを得なかった」という理由は成立しない。

取材班には事件直後からの膨大な資料が各方面から届けられている。事件直後に金明秀教授が被害者の先生に送った、仰天する内容のメールもある(金明秀教授、関西学院大学の態度を観察し、必要に応じて公開してゆく)。

そして、取材班とは全く別に「新世紀ユニオン」委員長が7月13日付けの自身のブログで「暴力事件に関する関西学院大の不可思議な対応!」と題し、以下のように報告をしている。

〈新世紀ユニオンでは7月9日付けで関西学院大に内容証明郵便で団体交渉を申し入れました。その内容は以下の通りです。

貴大学教員であり、当ユニオンの組合員であるA教授に対する金明秀教授の暴力事件とその後の蒸し返し等に関する貴大学の対応に付いて以下の通り団体交渉を申入れます。

団体交渉申入書
1、日時 7月30日(月)午後1時~3時
2、場所 貴大学会議室もしくは貴大学が用意する会場、もしくは当ユニオン事務所のいずれか。
3、議題 金明秀教授の暴力事件に関する貴大学の管理責任、その他。
4、参加者 貴大学の責任権限ある者並びに事件の詳細を知る人事部小橋人事課長・社会学部弓山事務長の出席希望。

当ユニオン出席者は団交応諾確認後募集します。約5名前後を予定。
以上に付いて、回答を当書面送達後一週間以内に書面にてお願いします。

このように、事件の詳細を知る人物の名も2名記してあるのに、関西学院大側の回答書は(1)議題の「その他」とは何か(2)管理責任という内容に付いて貴組合の要求事項を示せ(3)「蒸し返し」とは具体的に何を指すのか?と聞いてきました。言わば「とぼけ戦術」です。

関西学院大の回答はその上で30日は「調整が困難」だから「いくつか候補日をあげて頂きたい」というもので、しかも書面に印かんもない書面でした。

普通団交で提示した期日がダメな場合、変更する日時を相手側が提示するものですが、こちらに候補日を提示させるというのは大変失礼な対応です。

金明秀教授は暴力教授で有名な男で、被害者のA教授は13回も顔や喉を殴られ声帯を潰されるなど大けがをしました。警察に被害届を出しましたが警察が和解するよう促したので双方の弁護士の間で和解が成立していました。金明秀教授の代理人弁護士はこの暴力を明確に謝罪しています。ところが金明秀教授は和解条項に違反するように、学内でA教授への暴力を否定する言動を振りまき、A教授に精神的苦痛を与え続けています。これらの事は人事部小橋人事課長・社会学部弓山事務長に報告しています。しかし彼らは何もしませんでした。

重大な事は、金明秀教授が他にも暴力行為を行っていることです。関西学院大側がこうした金明秀教授の暴力事件とその否定を見て見ぬ振りをし、とぼけて団体交渉を逃れようと画策していることです。なぜ関西学院大が金明秀教授を庇い、暴力に対し管理者としてキチンと処分しないのかは不明です。

労働契約法第5条は労働者への安全配慮義務を定めています。金明秀教授に暴力を振るわれ、一度は解決金を加害者が払うことで和解したのに、金明秀教授が暴力を否定する発言をしている事を大学側が容認していること、このような管理責任の無い、文字通り無責任が。金明秀教授の暴力を繰り返させる原因ではないかと思われます。管理責任とは安全配慮義務であり、暴力事件を引き起こしている教授に対する大学の管理責任が問われています。暴力事件の被害者が複数に達している事を関西学院大は知っているのに知らない振りをしています。

関西学院大学は、日大のフットボール部のルール違反に対し、厳しく追求の立場をとっていますが、自大学の暴力教授には極めて不明瞭な「見て見ぬ振り」をしています。これを追求しょうとする新世紀ユニオンの団体交渉申し入れにも、誠実に対応していません。遺憾という他ありません。

我々は暴力事件の隠蔽を絶対に許さない。
今後この事案については、本ブログで適時に事件の詳細を明らかにする予定である。〉

http://shinseikiunion.blog104.fc2.com/

引き合いに出される「日大アメフト部」事件で、関西学院大学(正確には関西学院大学アメリカンフットボール部)は、その対応をマスコミから極めて好意的に取り上げられた。日大の最悪の対応とは対照的に、関西学院大学アメリカンフットボール部の判断や、発信はたしかに優れて、「学生重視」の視点が伺えた。正反対に「金明秀教授暴力事件」では、日大と同程度に稚拙な対応しかできていない。鹿砦社への不充分な回答にだけではなく、組合から要求があった「団交」に対する態度は不誠実極まりない。

われわれは引き続きこの問題に注視し取材を進め、続報をお届けしてゆく。

(鹿砦社特別取材班)

 

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鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000541

 

2018年7月12日付け日刊スポーツ

◆本質とまるで正反対な2020年「復興五輪」

〈2020年東京五輪・パラリンピック調整会議が12日午前、都内で行われ、東京五輪聖火リレーの出発地点を福島とし、開始日は20年3月26日と決定した。大会組織委員会の森喜朗会長が提案し、小池百合子都知事、鈴木俊一五輪相ら関係団体のトップが集まる同会議で了承された。〉(2018年7月12日付け日刊スポーツ)

そうだ。こう来るだろうと予想した通りだ。2020年東京五輪はその本質と正反対に「復興五輪」と、まったく虚偽の謳い文句で持ち上げられている。7月12日の新聞各紙の見出しには「トリチウム汚染水海へ」の文字がある。(2018年7月12日付けNHK)

 

2018年7月12日付けNHK

福島第一原発敷地内に溜まりにたまった汚染水の処分方法がないから、「希釈して海に流す」と東京電力はいよいよ本格的に準備をはじめるようだ。希釈したって毒物には変わりはない。希釈したら毒性が問題なくなるようなレベルの汚染水だったら、わざわざ山ほどの貯蔵タンクを敷地内に無計画にどんどん建てて、保管する必要はなかったではないか。

世界初の原発4機爆発を引き起こした「東京電力」でさえ、「汚染水は海には流せない」と判断したから貯蔵タンクに保管していたのだろうが。危険物質は既に膨大な量が海や地下水に流れ出している。貯蔵タンクに保管されている汚染水よりもその総量は多いかもしれない(正確に測定で出来ないので断言はできないが)。行政が測定するとほとんど「基準値以下」か「検出基準以下」の値しか出てこない。そんな馬鹿なことがあるか。

原発4基が爆発して、そこから放出された放射性核種の量が、「健康に問題ない」のであれば、どうして病院のレントゲン撮影室の前には「妊娠の可能性のある方は申し出てください」と書かれているのだろうか。甲状腺がんは通常、100万人あたり1~3人が発症の割合とされるが、福島県を中心に既に200人以上の発症が確認されている。誰が見たって、事故との因果関係は明らかであるが、一部の科学者や専門家に言わせると「スクリーニングを丁寧に行ったからだ」(普通行わないほど多くの子供の検査を行ったから発症がわかった)と、素人が呆れるような稚拙な嘘を平然と口にする。「福島県内の医療機関はすべて福島県立医大の支配下にあり、自由に診断もできない」と多くの医療関係者が嘆いている。医師が抑圧されていたら、まともな診察や治療が行えないじゃないか。

残念で残酷至極だが、福島を中心とした汚染はいまだに「すぐ逃げなければならない」レベルから下がってはいない。そこに汚染水の海への放出が加わればさらに環境は汚れる。

◆猛暑の中、汚泥をスコップですくい上げる時の重さ

なにも解決も改善もしていないじゃないか。西日本を襲った豪雨の被害は目に見えやすいので、その惨状が一葉の写真であれ、映像であれ目にすれば容易に被害の深刻さが理解される。あの惨状を目にして「直ちに健康に影響はない」という人はさすがに居ないだろう。

西日本の豪雨による被災者の皆さんは、猛暑の中激烈な日々を過ごしておられる。スコップで水を含んだドロをすくい上げるときの重さは、経験したことのある人には、簡単に理解されるだろう。その作業を避難所で寝起きしながら、猛暑の下続ける負荷はいかばかりか。

かたや、福島を中心とする放射性核種による汚染地域では、その汚れや危険性が目に見えない。目に見えないだけではなく、危険性を知らせようとしない(隠蔽しよう)とする巨大な力が、国ぐるみで綿密に準備され、即実行されている。その最大の隠蔽工作が「2020東京五輪」である。「オリンピックが政治そのもの」であることは、冬に開催された平昌五輪で朝鮮が参加を表明し、女子アイスホッケーでは南北合同チームが結成され、その後に南北首脳会談が板門店で実現、さらに電光石火で6月にはシンガポールで米朝首脳会談まで実現させた、ダイナミズムが記憶には新しい。

行く末は明瞭ではないが、ほとんどの人が予想さえしなかった米朝首脳会談の実現は、歓迎すべき出来事であり、それが「オリンピックの政治性」によって誘引されたのだとしたら、オリンピックの政治性は評価に値する。しかし多くの場合、オリンピックの政治性は「和平」や「融和」ではなく、国威発揚や国内問題の封印のために力を発する。1969年の東京五輪、モスクワ五輪やロスアンジェルス五輪、北京五輪には濃厚にその側面が表出していたし、古いところではミュンヘン五輪では選手が政治的文脈で殺される事件も起きている。

「2020東京五輪」は資本主義最終末期・人口減にあえぐ、日本の権力中枢が、国家破綻の引き金にもなりかねない「福島第一原発事故」隠蔽と、嘘っぱちに紛れた虚飾の美辞麗句で一儲けを企む金の亡者との結託により開催が目論まれる、反人民的、打史上比類ない悪意に基づく悪行集合体である。

東京でオリンピックを開催したら、それがどうして「復興」と関係があるのか。まずはこんな単純極まりない問いを、少し頭を冷やして考えれば、その欺瞞性は理性ある人には理解できるはずだ。聖火リレーの出発点か通過点か知らないけれども、そんなことを画策する者どもは、福島の人々の本質的被害から目を逸らさせようとする極悪人ばかりである、と私は断じる。

「2020東京五輪」は人倫的犯罪である。私は断固反対するし、「2020東京五輪」のスポンサー、待ちのぞむマスコミ、何気なく乗せられる庶民に対して、明確に異議を明らかにする。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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一般のバックパーカーではない旅。貧乏旅行としては大差無い中、旅先でいろいろな人と出会います。そこで起きたこと、感じたこと。やっぱり懐かしく、人生の良い経験となった旅でした。

◆出発前に

「ラオス行ったらマールボロ買って来てくれ」というヒベ。傘と蚊帳を含む僧衣一式だけでもかなりの量。「荷物が重いから」と断る。更に修行に直接は関係ない一眼レフNikonFM2とフラッシュを持つからより重くなるのである。それで、カメラのモータードライブは置いていくことにしました。でも予備バッテリー(電池)は多めに、ついでにコンパクトカメラ、コニカ“ビッグミニ”も持ちます。

フアランポーン駅(バンコク中央駅)発20時30分の寝台列車に乗る予定で、ペッブリーから「昼2時のバスに乗る」と言ってた藤川さんが昼飯時に「昼1時に出るぞ」と言う。「ちょっと早いだろ」と思うが、早い分にはゆとりがあっていい。

毎日の黄衣の纏いも慣れてくるも、旅立ち前に力んで締め過ぎたか、何かしっくり来ないので、出際にコップくんに手伝って貰って背中を叩かれ「行って来い!」と送り出しを受けて出発。

ドーム型フアランポーン駅の外観(1988年当時)

◆旅の起点、フアランポーン駅でのこと

バンコクのサイタイマイバスターミナルに15時30分頃に着き、P・O.7(エアコン市内バス7番)でフアランポーン駅へ向かいます。ここでも席を譲られたことに内心は感謝。17時10分頃到着。

早く出ておいて「なんや3時間もあるやないか!」と私に文句言う藤川さん。「何で俺に言うんだ?アンタが仕切ってるんだろうが!」と言いたい想い。でもそんなゆとりがあれば、何もしないでいても結構楽しいフアランポーン駅構内の眺め。

フアランポーン駅切符売り場(1988年当時)

過去何度も訪れた駅に、黄衣を纏ってここに来るとは不思議な時間の流れだと思う。

電池買ってきて、懐中電灯に入れようとする藤川さん。点かないので、何で点かないのか、私に寄こしてくる。よく見ると新品の証明、電池の+極と-極を覆うカバー紙を破ってないではないか。日本の電池は2本や4本セット以上でパッケージで覆われているが、タイの電池は+極と-極にカバー紙が付いている。電池の入れ方も知らんのか、このジジイ。剥いて電池入れて点くの確認して、渡してやるとニヤッと笑って受け取る藤川さん。

暇なので藤川さんは一人でまたその辺を散歩に行きます。そして、18時になるとタイの恒例、国歌吹奏が始まりました。行き交う人々は皆立ち止まり、座っている人は全員起立。

“ハッ”と我に返り、さて困った。比丘はどうすればいいのか。座っていた私は一瞬立ち上がろうと前かがみになるが、一か八か座ったままで居ました。そしてすぐ周りの様子を伺うも、誰も私を怪訝な目で見る者は居らず、見て見ぬフリではない、皆ごく自然な立ち姿。終わって2~3分もすると藤川さんが戻って来ました。
「国歌吹奏の時、どうしてました?」と聞くと、
「ワシもわからんで、ウロウロ歩いとったわ、ワッハッハッハ!」

寺から出ると、うっかり比丘の振舞いに困ることが起こるものだ。勉強不足でした(後に分かったこと、比丘は立たなくてもよい)。

列車入線してから小さいパックのミルク4つ、ポラリス(ミネラルウォーター)を小さいの2つ買っておきます。ミルクは腹持ちがいいから空腹を凌げるのです。しかし比丘たる者が、“タイ版キヨスク”で飲み物を買うのは気が引けました。

フアランポーン駅構内は鉄道独特の雰囲気があっていいモンです(1988年当時)

フアランポーン駅構内、何もしなくても居るだけで楽しい旅の前兆(1988年当時)

◆旅先での多くの藤川さんの名言集となる会話のひとつ

フアランポーン駅に入ってから纏いを一般的なホーム・クルム(寺の外に出る纏い方)に変えた藤川さん。これは「巡礼に向いた纏い方」だという。私はホーム・マンコンのまま。こちらは「寺に留まる者の纏い方ではないか」という藤川さん。勝手に変えることは寺の規律違反になりますが、まあ「寺の連中は誰も見ておらんから構わん」らしい。

藤川さんは会社社長のままの一時僧時代に纏ったのが、このホーム・クルムの纏いでした。

ドムアン空港を過ぎた辺りで、寝台準備にやって来た乗務員のオジサン。寝るには早いが、藤川さんと一緒に居るとまた説教話が始まるのは仕方ない。ただ煩い説教話ばかりではない。旅に出ると解放的になり、朗らかになるバンコク行った時のよう。

寝台車の昼の様子(イメージ画像、1988年のマレーシアに向かう列車内)

藤川さんの金持ち時代のこぼれ話。

「ビザ取りにマレーシア行った時、国境越えるから入国カード書くやろ、同じ目的の日本人の女の子居ったら“ワシ英語よう分からんから入国カード書いてくれへんか”て言うて書いて貰うて、“2~3日の滞在費出してやるから一緒に過ごさへんけ?”て言うてビザ受け取るまで一緒に観光でもして楽しい旅にするんや、お前も還俗したらやってみい!」

私も還俗してマレーシアに行く機会があればやってみよう。いや、私にそんなナンパ術出来そうにないな、やっぱり!

一般的には早いが21:00過ぎにベッドに入ります。

列車内、寝る前は暑く、カーテンを開けていたが、夜中から寒くなりだす。コーンケーン過ぎた辺りはかなり寒い。

私は安い上の寝台、窓が無いので外の様子は分かりませんが、車体にビュービュー吹き付ける風の音はまるで吹雪のような強い風。南国でそれは無いが、12月は寒い時期に当たる。北へ向かうと寒くなるのは肌で感じるところ。首元に風が入ると鼻が詰まるので黄色い手拭いを襟巻き代わりに巻いておきました。

朝4時ぐらいから目が冴えてもう眠れない。6時を回るとノンカイ手前までにどんどん下車する客が多い。

「腹減ったなあ、飯食いたいなあ」と思うが、一般乗客は注文した朝食は運ばれるも、我々は注文する訳にいきません。バーツ(お鉢)はバッグに仕舞ってあるし、車内での托鉢は出来ないことはないかもしれないが聞いたことはないし、寄進を受ける雰囲気でもない。

寝台を上るのも降りるのもサボン(下衣)が気になるものだ。スカート穿いているようなものだから、高いところ上る女性は大変だなあと思う。

藤川さんは起きてから黄衣を纏い直すも、私は下手で時間が掛かる。ホーム・マンコンは巻き付けてから裏表引っくり返す手間があり、通路やデッキでは邪魔になるし、纏い直しはしないつもりで、なるべく崩れないように寝ていても、やっぱりかなり乱れてしまう。それを誤魔化す程度の直しで、終着駅のノンカイに7時22分に到着。

◆ここから自分らで歩く本当の巡礼の旅!

さてここからどうなるのか未知の世界。改札を出るとぞろぞろと、三輪タクシーの運ちゃんが寄って来て比丘であろうと遠慮なく客引きします。「鬱陶しいなあ」とは思うし、藤川さんも無視して進む。客引きが着いて来なくなる頃、駅前の屋台がありました。入ろうとしたら「開店前です」と断られるが、まあ仕方ない。そんな時どこからか、比丘数名の読経が聞こえます。朝のニーモンの様子でした。

そのまま歩いて向かった寺は、ワット(寺)・ミーチャイ・トゥン。駅から7~8分歩いたところにありました。藤川さんがかつて訪れたことのあるお寺のようで、少し安心感はあるところ、これから訪問の儀式、「泊めてください」とお願いしなければなりません。プレッシャーから来る旅疲れとお腹も減ってきて、早く落ち着きたい気持ち。難なく受け入れてくれること願ってこれから門を潜ります。

タイ東北、最北端となる路線の行き止まり、ワット・ミーチャイ・トゥンの側道から見た風景(1994年12月現地撮影、旧ノンカイ駅周辺)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

円楽師匠が、最後に「じじい! 早すぎるんだよ!」と締めたのは、きっと日曜の夕刻少なくないファンの涙を誘ったことでしょう。『笑点』の大喜利に回答者、司会として半世紀出演した桂歌丸師匠が亡くなりました。


◎[参考動画]スッキリ 「歌丸さんありがとう追悼大喜利」 円楽「ジジイ!!早すぎるんだよ」言った後涙。(報道チャンネル2018/07/08に公開)

今度は本当に亡くなりました。

数カ月前に「体重37キロでいまは医者から40キロになるように言われています」と歌丸師匠の悲痛なコメントを聞いた時に「ヒェッーこれシャレにならないよ」と笑うに笑えなかったのですが、もうステージの上では何回も死んでいる(殺されている)歌丸師匠のことですから、まあ何があってもこの方はこうやって長生きするんだろうなーって安心していたら、本当に亡くなってしましました。

『笑点』が一時代の区切りを超えたということでしょうか。落語や落語家が好きな私にとって、歌丸師匠の旅立ちは、落語界や演芸への警鐘のようにも思えます。『笑点』の大喜利も正直なところ、下降線の一途じゃないでしょうか。極めつけは「親の七光り」の実力も、才能もない林家三平(2代目の起用です。残念ですが先代の三平さんと2代目は、比べ物になりません。もっといえば、三平の兄弟には誰ひとりとして初代三平さんに並ぶ力のある子供はいません。才能も適正もないんです。あの目を見てください。必死で「どうやったら笑ってもらえるか」と苦悩し、内心「自分がつまらない」ことをわかっていながら、面白くもない芸を続けている気の毒な姿を。

初代三平さんの落語は、古典落語とは全然違って、ギャグの連発でした。あれは落語ではなかったという人もいるほどです。でも落語であろうが、邪道であろうが、三平さんは観客を笑わせずにはいられない性分でした。生前からネタの研究には、人一倍熱心だったことは有名でした。でも三平さんはアドリブだけでも1時間は一人で観客を笑わせる芸(天性?)を持っていました。

あんなのは古典落語の世界から見れば、「とんでもねぇやつ」となったでしょう。軽薄にもみえたし、ときどきツボを外した時は、観客も前のめりで、笑えると思っていたら、どこがオチかわからなくなって、ずっこけそうになる時がありました。が、三平さんはすかさず、右の掌をこめかみあたりにもっていって「どうも、すみません。本当に大変なんですから。ね。おばあちゃん、体だけには気をつけてくださいよ」で乗り切ってしまうのです。

ストーリーなんかまったくなくて、ギャグの連発。三平さんは「軽薄」だったかもしれないけど東京医大の裏口入学、じゃなくて偉大でした(どーもすみません)。

 

CD-BOX『桂歌丸 名席集』(ポニーキャニオン2018年)

楽太郎時代から頭の回転や話芸にも、非凡さを発揮していた円楽師匠。円楽師匠による歌丸師匠への無礼講「殺し」芸はどれくらいあったでしょうか。愛がなければただの悪口で後味が悪い、本当の病人(歌丸師匠)に対する、辛辣な円楽師匠の「殺し」話術。あれはなかなかまねできるものではないと思います。円楽師匠ももう70歳近いそうで、数年前に得度されたのだそうです。どっちもびっくりですがテレビの前で大笑いできる時代がいよいよ終わるのかなぁとちょっと寂しくもあります。

吉本新喜劇もなんだか泥臭さがなくなったし、中途半端なお笑い芸人はピン(ひとり)で間が持たないから10人まとめてひな壇芸人になったり、何を勘違いしているのか情報番組の司会やコメンテーターになったり。岡八朗や花紀京が腹巻をして演技をしていた頃の、安心感はもうなくなってしまったようです。いまあの頃の舞台は、もう演じられない諸事情もあるのでしょうけれども。

話芸には修行や積み重ねが必要でしょうが、笑いを引き起すのは、つまるところ人格なんじゃないかと思います。亡き横山やすし師匠は台本なくても、いつでも予想外に笑わせてくれました。泥酔して久米宏の番組にでたり、本当に競艇で船に乗ったり、選挙に出て予定通りに落選したり……。相方の西川きよし師匠が上品な人生をおくるのとは対極に、わずか50歳過ぎで亡くなりました。

あっ、話がそれましたね。『笑点』でしたね。歌丸師匠唯一にして最大の失敗は、司会の後継に昇太師匠を指名したことかもしれません。これまた残念ですが、昇太師匠には「話芸」の才はあるかもしれないけれども、大喜利のような生の空間で「笑い」を下支えしり、自分がネタにされたりする機転はありません。絶妙の一言や、「間(ま)」は修行や勉強をして身につくものではないんじゃないかと思います。

最初の頃みんな勘違いして笑っていましたが北野武なんかも、実は生理的に笑いが取れる人間じゃないんじゃないかと思います。なんだか偉そうに人生論を語ったり、映画を撮ったりしてるけど、それって笑いが取れないからってことじゃないですか? なんて言ったらまた怒られそうですね。予想を超えるツボに来る笑いや、ちょっと危険な笑いにときどき腹を抱えて笑っていたのは、もうだいぶ昔の話なんですね。

いけねぇ。しんみりしちゃった。最後に。

「梅雨明け宣言」とかけて、占い師と解く、

その心は?

「当たったためしがありません」

おあとがよろしいようで。


◎[参考動画]永久保存版『落語家:桂歌丸の名人芸』(Honey Bee チャンネル2018/07/07公開)

▼伊藤太郎(いとう・たろう)

月刊『紙の爆弾』8月号!

ペットヤソーに左ミドルキックを浴びせる江幡睦

あらゆる技を酷使、飛びヒザ蹴りを見せる江幡睦

「いよいよ江幡睦の牙城が大きく揺らぐ」という見出しが気になる展開へ

◎MAGNUM.47 / 7月8日(日)後楽園ホール 17:00~20:30
主催:伊原プロモーション / 認定:新日本キックボクシング協会

◆第12試合 54.0kg契約 5回戦

WKBA世界バンタム級チャンピオン.江幡睦(伊原/54.0kg)
VS
ペットヤソー・ダープランサーラカム(タイ/53.7kg)
勝者:江幡睦 / 判定3-0 / 主審:仲俊光
副審:椎名50-47. 宮沢50-45. 和田50-46

最もKOに結びつけてきたローキックも仕留めるに至らず

これほどタフな対戦相手は過去にいなかったかもしれない。メインイベント、江幡睦の相手は元・ルンピニー系フライ級9位で、パタヤにあるスタジアムで開催されるMAXムエタイの55kg級チャンピオンという肩書きを持つ。その実力は“厄介な強豪”と称されたが、本当にタフだった。

江幡睦もノックアウトで沈めるテクニックは何パターンも持っている。今回も圧勝かと思われた第1ラウンド、ローキックで鋭く攻め、早くも効いた様子のペットヤソー。仕留めるのはボディーブローか、アゴにフックかストレートか、ハイキックか。ダメージが蓄積しているはずのペットヤソーが怯む様子を見せながら前進してくるタフさ。江幡睦のあとちょっとの追撃で仕留めそうなパワーが、当たっても倒れないもどかしさ。

怯みながらも打ち返してきたペットヤソーのボディブローが江幡睦にヒット

5ラウンド戦えるスタミナ充分な睦も打ち疲れか、終盤の攻めは少なくなる。ペットヤソーの反撃はさほど強い打撃は無いが、油断ならない隙を突いたカウンターのヒジやパンチと組んでのヒザがある。睦は組み合った際のヒザ蹴りが少ないのが勿体無い。大差の判定勝利ながら仕留め切れなかった展開に表情は曇りがちだった。

このままムエタイ二大殿堂のひとつ、ラジャダムナンスタジアム王座奪取まで、課題が残る試合はしていられないだろう。

連打を打つ江幡睦。いくら打っても倒れなかったペットヤソー

大差判定勝利もいつもの笑顔は無かった

勝次vsペットシラー。勝次(左)の右ストレートでノックダウンを奪う

◆第11試合 62.0kg契約3回戦

日本ライト級チャンピオン.勝次(藤本/62.5kg)
VS
ペットシラー・ポー・パタラ(タイ/61.5kg)
勝者:勝次 / 判定3-0 / 主審:桜井一秀
副審:椎名29-27. 宮沢30-28. 仲30-28

「KNOCK OUT」から凱旋し、スピードとパワーが増した勝次。ペットシラーもMAXムエタイ60kg級チャンピオンという肩書き。ペットシラーにヒットする技は何か、探りながらもその距離が掴み難いところ、第2ラウンドにはタイミングを掴んで、勝次の右ストレートでダウンを奪う。仕留めるには至らなかったが、距離を詰めてパンチを打ち込み威圧的に攻めることで主導権を握った展開が見られる。

また更なる上位への挑戦のチャンスを求めたマイクアピール。ムエタイ殿堂王座か、WKBAか、どういう舞台が用意されるだろうか。

ペットシラーvs勝次。攻勢を続けた勝次(右)、自信が増した試合展開だった

Tomo vs 斗吾。残りわずかな時間でノックダウンを奪った斗吾

◆第10試合 73.5kg契約3回戦

日本ミドル級チャンピオン.斗吾(伊原/73.5kg)vsTomo(天下一/72.7kg)
勝者:斗吾 / TKO 1R 3:09 / ドクターの勧告を受入れレフェリーストップ
主審:和田良覚

初回早々にTomoがパンチでラッシュ。斗吾は少々貰ってしまいロープ際に下がるが、打ち合いながらも立て直しは早かった。本来のリズムを取り戻すと、経験値の差を見せ、ヒジとパンチの連打をヒットさせダウンを奪う。

これが第1ラウンド終了5秒前。効いていたTomoだったが、踏ん張ってカウント9で立ち上がるが、斗吾のヒジ打ちで額をカットされておりドクターチェックが要請される。タイムはこの時点で一旦ストップされるはずで、試合はドクターの勧告を受入れ第1ラウンド3分09秒、レフェリーストップによる斗吾のTKO勝利となる。

Tomo vs 斗吾。劣勢から一転ペースを掴み、パンチ連打を叩き込む斗吾

◆第9試合 62.0kg契約3回戦

重森陽太(伊原稲城/61.7kg)vsヨーペットJSK(タイ/61.7kg)
勝者:重森陽太 / KO 3R 1:16 / テンカウント
主審:椎名利一

ヨーペットは梅野源治、森井洋介とも好ファイトを展開している名の知れた強豪。階級アップした重森がどう戦うかが注目される。第1ラウンドから第2ラウンドにかけ、鋭いミドルキックのけん制し合いながらも様子見の静けさが続く。

第3ラウンドにはチャンス到来したか、蹴り合いが激しくなると、重森の左ミドルキックがヨーペットのボディーに炸裂。ヨーペットはうずくまるように倒れ込み10カウントアウトされてしまう。重森の評価が上がった試合だった。

重森陽太vsヨーペット・JSK。激しくなった攻防でヨーペットのボディーへ左ミドルキックがヒット

◆第8試合 70.0kg契約3回戦

喜多村誠(伊原新潟/69.4kg)vsRYU謙(拳狼会/69.4kg)
勝者:喜多村誠 / TKO 1R 2:45 / カウント中のレフェリーストップ
主審:宮沢誠

蹴りのけん制の中、ローキックでダウンを奪い、更にローキックとパンチ連打するとRYUはうずくまるようにダウンし、レフェリーが試合をストップした。

RYU謙vs喜多村誠。ローキックでノックダウンを奪った後、前蹴りから仕留めに掛かる喜多村誠

◆第7試合 55.0kg契約3回戦

日本バンタム級1位.瀧澤博人(前・Champ/ビクトリー/55.0kg)
VS
國本真義(MEIBUKAI/55.0kg)
勝者:瀧澤博人 / 判定3-0 / 主審:椎名利一
副審:桜井30-28. 和田30-29. 宮沢30-27

瀧澤は左ミドルキックを主体に攻め、國本もローキックやパンチを返す攻防は互角の展開に進むが、瀧澤はハイキックを含む蹴りの多彩さが見映え良く判定勝利に繋げる。

瀧澤博人vs國本真義。瀧澤の左ミドルキックが連打され試合を支配していった

ローズ達也の左ヒジ打ちが泰史の右目辺りにヒット

◆第6試合 52.0kg契約3回戦

日本フライ級1位.泰史(前・Champ/伊原/52.0kg)
VS
WPMF日本フライ級チャンピオン.ローズ達也(ワイルドシーサー沖縄/51.6kg)
勝者:ローズ達也 / TKO 2R 1:33 / ドクター勧告を受入れレフェリーストップ
主審:仲俊光

泰史のパンチと蹴りのヒットがやや上回る中、第2ラウンドに、ローズ達也のヒジ狙いが泰史の右目辺りにヒットし、瞼を切った負傷で、ドクターの勧告を受入れたレフェリーストップとなる。瞼のカットより右眼のダメージが無いか気になるところ。

◆第5試合 ライト級3回戦

日本フェザー級1位.髙橋亨汰(伊原/61.23kg)
VS
NKBライト級1位.棚橋賢二郎(拳心館/60.9kg)
勝者:髙橋亨汰 / TKO 1R 2:18 / ドクター勧告を受入れレフェリーストップ
主審:桜井一秀

注目の交流戦。高橋のミドルキック主体の距離の取り方の巧みさに棚橋は強打がヒットし難い。高橋のヒジがカウンターでヒットすると棚橋は眉間から激しく流血。短い時間だったが、棚橋にとっては新たなタイプと戦った貴重な経験となる。

棚橋賢二郎vs高橋亭汰。棚橋のパンチと高橋の蹴りの距離の探り合い

◆第4試合 ライト級3回戦

日本フェザー級2位.瀬戸口勝也(横須賀太賀/60.8kg)
VS
日本ライト級5位.ジョニー・オリベイラ(トーエル/60.4kg)
勝者:瀬戸口勝也 / 判定3-0 / 主審:和田良覚
副審:椎名30-27. 仲30-27. 桜井29-27

◆第3試合 62.0kg契約3回戦

日本ライト級7位.渡邉涼介(伊原新潟/62.0kg)vs林瑞紀(治政館/62.0kg)
引分け 1-0 / 主審:宮沢誠
副審:和田29-29. 仲30-29. 桜井29-29

◆第2試合 フェザー級3回戦

日本フェザー級8位.金子大樹(ビクトリー/57.15kg)
VS
NJKFフェザー級7位.小田武司(拳之会/56.6kg)
勝者:金子大樹 / 判定2-0 / 主審:椎名利一
副審:和田29-29. 宮沢29-28. 桜井29-28

◆第1試合 フェザー級2回戦

平塚一郎(トーエル/56.65kg)vs瀬川琉(伊原稲城/56.8kg)
勝者:瀬川琉 / 判定1-2 (19-20. 20-19. 18-20)

《取材戦記》

江幡睦は打ち負けることなく大差判定勝利となったが、もどかしい展開に観ている側は意地悪にも、“もし江幡睦が、衰えずに出てくるペットヤソーのパンチでノックアウトされることがあったら”という心理が働いてしまう心の内。

昔、沢村忠が連戦連勝したタイトルマッチに於いて、TBS実況の石川顕アナウンサーが、「沢村選手の勝利を信じつつも、不動のものが入れ替わる姿を見てみたくなるのもファン心理でもある」といった話を思い出しました。

タイトルは掛かっていないが、頂点を目指している最中での後退は許されない現在、こんな展開もあるんだなという江幡睦の姿。苦戦の勝利ではなく、圧倒した勝利ながら課題が残る、メインイベンターを務める難しさが滲み出た試合でした。

新日本キックボクシング協会次回興行は、8月4日(土)に後楽園ホールに於いてWINNERS 2018.3rdが開催、メインイベントは日本フェザー級チャンピオン.石原將伍(ビクトリー)が出場の、日本vsタイ国際戦4試合と、日本ウェルター級1位.政斗(治政館)がNKBミドル級チャンピオン.西村清吾(TEAM KOK)と対戦、他、日本バンタム級6位.田中亮平(市原)がNKBバンタム級5位.海老原竜二(神武館)と、日本ライト級9位.興之介(治政館)がNKBライト級5位.パントリー杉並(杉並)と対戦するNKBとの交流戦3試合の、以上を含む、ちょっと長い全15試合が行なわれる予定です。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

月刊『紙の爆弾』8月号!

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

中高生のころにサイクリングにハマり、50歳を前後する時期に復活したわたしは、出もどりローディー(ロードバイク乗り)だ。わたしを自転車に復帰させた昨今のロードバイクブームは、健康志向とともにメカの向上が大きな要因であろう。ダウンチューブ(三角フレームの下辺)に手を伸ばさずに、ハンドルの手元で変換できるデュアルコントロールレバーの普及、フレーム自体の進化(カーボン化・アルミフレームの弾力化など)、変速のオートマ化も進んでいる。1分の1スケールの模型工作と言われる、カスタマイズの楽しみもスポーツ自転車ブームをささえているのかもしれない。ようするに、メカの進化である。


◎[参考動画]のん、「進化を遂げました」電動アシスト自転車「BESV」新モデル発売記念イベント(oricon 2018/03/12公開)

 

◆電動アシスト自転車の普及

メカの進化といえば、電動アシスト自転車の進化も目ざましい。この春には、通学用として前後輪駆動のモデルも登場した(写真)。後輪がモーターで駆動して、初速を得ることで前輪も電動モーターで動く連動性の構造だという。これなら悪路も簡単に乗り切ることができる。

だが、問題は乗り手の側にある。免許の要る原動機付き自転車(ミニバイク)に代わって、電動アシスト自転車が急速に普及することで、事故も多発しているのだ。原付(ミニバイク)で歩道を走る人はいないと思う(道交法違反です)が、電動アシスト自転車でなら、平気で歩道をぶっ飛ばす――いや、疾走してしまうのではないだろうか。電動アシスト自転車は車重が25~30キログラムである。ちなみにロードバイクは10キログラム以下、ママチャリは15~20キログラムほどだ。

◆死亡事故の発生

車重25キログラムの物体が、50キログラム前後の人間を乗せて疾走してくる。しかも片手にスマホ、もう片方の手にはペットボトルという、およそブレ―キングができない状態の自転車が死亡事故を起こした(川崎市麻生区)。今年の2月のことである。事故を起こした女子大生は書類送検(重過失致死容疑)され、被害者女性(77歳)は亡くなった。電動アシスト自転車のキャリパーブレーキは、それなりに効く構造になっているものの、ブレーキに指がかからないのではどうにもならない。

一般的な車種で時速25キロメートルまで、電動アシストが効くことになっている。時速25キロというと、クルマなら緩慢な走りに感じられるが、自転車の場合はかなりの速度だ。プロ(実業団上位)のロードレースで、巡航速度は男性が時速40キロ、女性でも30キロ台の後半である。荒れたアスファルトなら、30キロを超えたころにフレームがたわむほどの振動が発生する。35キロを超えると、わずかな段差でも強い衝撃をうける。時速20キロならば、1秒間に5.556メートル進む速度だ。1メートル動くのにおおむね1秒かかる人の歩行(時速4キロ)に対して、5.5倍のスピードである。時速30キロで安全走行している車列の横を、時速165キロのスポーツカーが爆走する。よくわかりにくいかもしれないが、そんな感じの速度差なのである。事故が起きないほうがおかしい。

 

◆もとめられる講習と保険

じつは、わたしのように自転車に乗っている人間にとって、いちばん怖いのは主婦のママチャリや高校生の通学自転車である。クルマや原付のドライバーとはちがい、彼女たち・彼らは交通ルールをほとんど知らないからだ。そしてじつに気軽に話をしながら、あるいはゲームをしながら走ることが、すくなくとも可能だからなのだ。

電動アシスト自転車の事故が増えるのをうけて、自転車保険への加入を義務付ける自治体も増えている。保険も必要だが、講習会の実施をお願いしたいものだ。自転車はやむをえない場合をのぞいて、車道の左側通行が原則であること。歩道から車道に出るさいの後方確認、一時停止の履行、などなど。これ以上、楽しいはずの自転車が凶器にならないよう、行政当局の対応をお願いしたいものだ。

▼横山茂彦(よこやましげひこ)

著述業・雑誌編集者。主著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)、『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

国会議員の事務所に質問や、疑問があって電話をしたら9割以上「お答えしかねます」か「貴重なご意見として伺っておきます」との回答が返ってくる。ご多忙な読者諸氏には、そんな馬鹿なことに時間を費やす余裕もないであろうから、7月9日の本通信でお伝えした「赤坂自民亭」について、片山さつき議員の事務所に電話をしてみた。

事務員 片山さつき事務所コールセンター××でございます。
――  お邪魔致します。真偽だけ教えていただきたいのですけれども、インターネットで片山先生が7月6日、大雨が来ているときに「赤坂自民亭」との新人議員との懇親会をなさっていて、それをツイッターに上げていらっしゃったのは、間違いないのでしょうか?
事務員 そうですね、あのー「コールセンター」で電話を受け付けておりますので、事務員の者から確認次第折り返しお電話させていただいてよろしいでしょうか。
――  失礼しますが「コールセンター」というのは片山先生の事務所に「コールセンター」があるのですか。
事務員 あ、そうですね、私事務所の者ではないので、あの……。
――  「コールセンター」ってそちらは大企業なんですか。国会議員の事務所に電話をかけて「コールセンター」などといわれたのは初めてですよ。
事務員 あ、恐れ入りますが、そのように、あのー……。
――  誰のお金であなたは雇われているのですか。「電話の受付担当」と言われるのであれば分かりますが「コールセンター」?
事務員 失礼しました。受付でございます。
――  では「コールセンター」は撤回しますか。
事務員 はい失礼いたしました。
――  撤回するのですね。何十人もいるわけではないのですね。
事務員 はいさようでございます。
――  電話の受付の方は何人いらっしゃるのですか。
事務員 いまは私でございますが。
――  おひとりですね。
事務員 はいさようでございます。
――  ほかに事務所の方はいらっしゃらないのですか。
事務員 さようでございます。
――  あなたおひとり。
事務員 さようでございます。
――  あなたの目のまえにパソコンはありますか。
事務員 パソコンでございますか。
――  はい
事務員 真偽についてのお尋ねと言うことで……。
――  いや、パソコンはあるんですね。
事務員 パソコン、はい。
――  それでは片山議員がツイッターで何を書かれているかは、確認できますね。
事務員 申し訳ございません。私は今そのようなことはできかねますので。
――  は?
事務員 私の方で調べることはできかねます。
――  なぜできないのですか。私にできてなぜあなたにできないのですか。
事務員 申し訳ございませんができかねます。
――  どうしてできないのですか。それは技術的にできなのですか。
事務員 いまあのー、私、受付の者ですので、それ以外のことはできかねます。
――  じゃあ、なんのために目の前にパソコンがあるんですか。
事務員 あのー……。
――  シンプルなんです。片山先生が「赤坂自民亭」と言う名前で、自民党の議員の方々、大臣の方々が宴会を開いている写真を掲載されたのが、事実かどうかだけを確認させていただきたいのです。
事務員 かしこまりました。それは事実について正しくお話しできる者から折り返しお電話さしていただいてもよろしいでしょうか。
――  申し訳ないけれども、これは100歩譲った質問をしているのです。そのことはニュースで報道されていますよ。「在るもの」をなぜ「在る」と認めていただけないのですか。
事務員 「在るかどうか」につきまして、きちんと状況説明できる者から、折り返しお電話さしていただければと思うんですけれども。
――  それは結構ですが新聞でもニュースで出ていますよ。ではあれは嘘ですか。
事務員 ニュースが正しいのかどうかはわからないので……。
――  私にお答えただけなくてもいいですよ。でも片山先生のツイッターには、今でも残っているじゃないですか。
事務員 さようでございますね。
――  でしょ。
事務員 さようでございます。
――  私はその意味とか、それがどういうことか、ではなくて、その書き込みが「在るのかないのか」とだけ聞いているだけです。
事務員 はい。
――  だからありますね。
事務員 さようでございますね。
――  酷いと思いませんか、あなた。
事務員 (沈黙のあと)はい、あのーおっしゃっていることはわかりますが。
――  やはり、優しい感性を持っていらっしゃたら酷いと思われますよね。
事務員 おっしゃっていることはわかりますが。
――  大災害の中で多くの人が恐怖心を抱いているときに、こういうことをなさっていた神経がどうなのか。はいま電話に出て頂いている方も、私と同じような疑問をもっていただけるということでしょうか。
事務員 はい、おっしゃっていることは、はい、わかります。
――  ありがとうございました。

議員事務所に電話をしたら「コールセンター」といわれ、股関節が外れそうになった。が、よく聞けばたった一人の受付担当の方であった。その後のやり取りについてのご感想は読者に委ねる。

私は呆れた。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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