閉幕した国会で強行成立させられた「働き方改革関連法案」は、長時間労働が合法化されるため「過労死推進法」とも呼ばれる。まさに経団連にとって都合のいい「働かせ方改革」だ。

そうではなく、労働者の立場から本当の「働き方改革」を現場で実行している2人を紹介する。

その2人とは、今年3月期に日本企業として過去最高の2.4兆円の純利益(アメリカ会計基準)をあげたトヨタ自動車の元社員と現役社員である。

◆トヨタ内に闘う組合「全トヨタ労働組合」(ATU)を結成した若月忠夫氏

 

「全トヨタ労働組合」(全ト・ユニオン=ATU)を結成した若月忠夫氏

1人は、すでに退職している若月忠夫氏(72歳)。

彼は1965年に入社してから、トヨタ自動車元町工場で働き続けてきた。若いころから御用組合の姿勢を変えようと積極的に発言してきたが、ある事件をきっかけに、労働者のための新しい労働組合「全トヨタ労働組合」(全ト・ユニオン=ATU)を創立した。

全ト・ユニオンは、非正規社員、期間従業員、下請け、孫請けなど一切関係なく1人でも加入できる組合だ。07年に定年で退職するまで、若月氏は社内で「働き方改革」を進めてきた。現在も執行委員長として活動している。

トヨタ自動車労働組合は、困っている労働者を救うというより、会社の第二労務部的な役割を果たしてきたと言わざるを得ない。そんなことを改めて痛感したのは、深刻な悩みをかかえたある社員が若月氏に相談してきたときのことだ。

「いまの連続2交代の勤務体制では、妻の健康状態もよくなく面倒を見なければならないので、とてもじゃないが勤められない。オール昼勤務だけの場所に配置換えをしてほしい。なんとかしてくれないか」(相談にきた社員)

そのとき若月氏は、もちろんトヨタ自動車労働組合の組合員であり、しかるべき部署と相談した。にもかかわらず改善されず、相談してきた彼は自宅で首吊り自殺をしてしまった。

「まだ40代の若さでした。彼の命を救ってやれなかったという痛恨の悔やみがあります。しかも、彼の上司は労働組合の役員経験者だった。そういう役員経験者がなぜ彼を救ってやれなかったのか」

当時を振り返って若月氏はこう語った。無念さを抱え、心ある人たちだけで労働者のための新しい組合をつくるしかないと、2006年1月に全ト・ユニオンを結成したのである。

 

現役社員の染谷大介氏

◆自身の労災事故を隠され、目覚めた染谷大介氏

もう1人は、現役社員の染谷大介氏(39歳)だ。この7月に、初めて顔出しで名乗り出た。

25歳で期間従業員として入社し、試験を受けて正社員になり、同社堤工場で働いている。

入社から約10年の2014年8月、作業中にビキッという痛みが右ヒザに走り、作業ができなくなった。部品を乗せた台車を7台も連結して移動させていた最中の出来事だった。

その日は脚を使わない作業をし、翌日病院に行って診断書をもらった。工場内で仕事の作業で負傷したのだから当然、労災保険適用のはずだが、上司は健康保険を使うように指示したのである。

それまで、会社のやることに正面から反対したり労働運動に積極的にかかわることもなかった染谷氏。だが、会社が異常なほどまでに労災適用をさせないようにする行動を見て、徐々に目が覚めていった。

有給休暇を取得して自宅で休養している最中にも、メールや電話で労災をやめて健保を使うようにと、ガンガンと連絡してくる会社。

工場内の詰所に染谷氏を呼んで上司2人が、トヨタのルールに従えと労災保険使用を止めさせようとしたり、別な日には5人の上司が彼を取り囲んで健保使用を強要した。

全ト・ユニオンの若月委員長もこの問題を取り上げて会社にも働きかけ、染谷氏自身も堂々と正論を主張して、労基署にも申告した結果、事故発生から1年あまり経過して染谷氏は労災を勝ち取った。

自分自身で体験した会社の労災隠しを体験し、染谷氏は変わっていったのだ。

 

 

◆雇止め・労災隠し・有給休暇取得阻止

しかし、労災隠しがまた発覚し、昨年4月に労基署から行政指導される事態にいたった。労災隠しは犯罪である。

それからわずか2カ月、昨年6月16日に染谷氏が働く堤工場で、期間従業員が作業中に左クスリ指を複雑骨折する事故が起きた。明らかな労災なのに、寮でケガしたことにし健康保険を使うように上司は指示したと言う。

この情報を受けて、染谷氏は工場内でケガをした当事者に事情を聴いた。

それを受けて全ト・ユニオンが労基署に告発し、会社に対しても詳しい調査を要求。染谷氏も会社に対して詳しい調査と適切な対応をとるように働きかけ、2人は連携していく。

 こうした活動を受け、トヨタも労災を認めざるをえず、8月10日付の「災害情報」という社内資料に、この労災事故の顛末を記録せざるをえなくなったのである。

 染谷氏は現役で働いているだけに様々な情報が入る。有給休暇希望者がホワイトボードに名前を記入するのだが、ボードにあらかじめ斜線を引かれて記入できないようになっていた。これを労基署に申告し、結果的に有給をとれるようになり、同僚たちにも喜ばれたという。

 また、雇用期間を延長を希望していた期間従業員の離職票に、本人が期間延長を望んでいないと虚偽記載した件もとりあげた。雇止めされた本人も動き、離職理由を「自己都合」から「会社都合」に変えさせた。

これにより、雇用保険の給付が90日分から240日分に増えたのだ。

2人のように、大組織の中で名前を名乗り、顔も出して具体的な行動を起こしてきた果、あきらかに事態が好転している。一歩動かなければ、いま紹介した事例は闇から闇へ葬られるはずだった。

改革は、1人、2人の具体的な行動から実現に向かうのだ。そんなことを2人の行動からあらためて考えさせられた。

▼林 克明(はやし・まさあき)
ジャーナリスト。チェチェン戦争のルポ『カフカスの小さな国』で第3回小学館ノンフィクション賞優秀賞、『ジャーナリストの誕生』で第9回週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞。最近は労働問題、国賠訴訟、新党結成の動きなどを取材している。『秘密保護法 社会はどう変わるのか』(共著、集英社新書)、『ブラック大学早稲田』(同時代社)、『トヨタの闇』(共著、ちくま文庫)、写真集『チェチェン 屈せざる人々』(岩波書店)、『不当逮捕─築地警察交通取締りの罠」(同時代社)ほか。林克明twitter

月刊『紙の爆弾』8月号!