「カジノ法案」が先の国会で成立した。「IRなんとか」とぼやかしているようだけれども、主目的はカジノの解禁であることは間違いない。この議論に入る前に、「賭博」に関する日本の根本的不正義を確認しておくべきだろう。

◆刑法185条で「賭博は禁止」されているはずだが……

“賭博をした者は、50万円以下の罰金又は科料に処せられる”という刑法185条の明文規定がある。憲法を見返しても賭博についての言及は見当たらなので、原則的に日本の刑法では「賭博は禁止」だと、市民レベルでは解釈して良いだろう。だから「賭け麻雀」でも逮捕されるひとが出るし、競馬の「ノミ行為」や「野球賭博」はもちろん違法とされている。

け・れ・ど・も。どうして、競馬、競輪、競艇、オートレース、サッカー賭博、パチンコ、スロトマシーンなどが堂々と行われているのだろうか。

専門的な法解釈は、こういった場合「屁理屈」にしかならない。たしかに競馬や競艇、サッカー賭博を「合法化」する法制は準備されている。パチンコ、スロトマシーンについても同様だ。つまり、「胴元が国や国に上納金を収めると確約している、大規模賭博だけはやってもよろしい」という原則が、刑法で禁止されているはずの賭博を公認する原則として成立しているのだ。

刑法185条も例外を設け、常習性のない軽度の「賭け」には目くじらを立てないと、穏当な例外規定を設けている。家族や仲間内で少々のカネをかけて麻雀やトランプをやったからと言って、いちいち取り締まられていては庶民生活の潤いもなくなるだろう。そもそも、仲間内での「賭け」には「胴元」がいないから、誰かが負ければ誰かが勝つ、ある種の公平原則から逸脱はしない。

◆「公営ギャンブル」の基本的構造

他方「公営ギャンブル」は悪質である。宝くじ、競馬、競輪、競艇……。すべての「賭博」で、「胴元」は勝負の如何にかかわらず、最初から「儲け分」を抜き、その残りで当選者への払い戻し金額を算定する仕組みになっている。つまり、運営が維持できて一定数の顧客がいる限り「胴元が一番儲かる」のが賭博の基本的構造である。だから競艇の運営母体が「日本財団」などと偉そうな名前を名乗れるほど、ぼろ儲けが可能であるし、小口の「ノミ行為」や「闇賭博」が検挙されることがあっても、JRAの馬券売り場で馬券の購入や払い戻しを受けても、誰も捕まる心配はない。

要するに「悪いことは堂々と大きくやればやるほど」あたかも正当なように扱われ、法律まで整備されているのが、刑法で賭博を基本的に禁じている日本の素顔である。パチンコやスロットマシーンは「公営ギャンブル」ほど法律の保護が厚くないので、近年厳しい状況に直面している。パチンコ業界の状況については『紙の爆弾』が毎号連続してその近況を伝えているので、ご参考になるだろう。

◆「カジノ」ではみずからが「競技行為者」となる

そこへきて「カジノ」である。まず断言できるのは、カジノが出来ても、カジノで遊ぶ目的で、日本にやってくる外国人観光客は増加しないであろうことである(世界各地にカジノはあり、どこのカジノがどのようなサービスを提供するか、ユーザーは知り尽くしている。後進で規制の多い日本では「海外からの常連」を獲得することはできないだろう)。逆に現金を目の前で「賭ける」醍醐味に、これまで公営ギャンブルやパチンコ・スロットマシーンに通っていた人が、カジノに押しかける姿は想像できる。どうしてそんなことが言えるのか? わたし自身が相当「カジノ」には出入りした経験があり、その魅力も危険性も身に染みて体験しているからだ。

かつてわたしにとって「カジノ」へ行く行為は、「日本から離れ異空間にいる」ことをより強く実感することと重なる意味があった。ルーレットのテーブルに座り、100ドル紙幣をテーブルに置き、チップと交換する。経験のある方であればご理解いただけようが、その行為はパチンコやスロットマシーンで銀玉やコインと現金を交換する行為とは、まったく異なるリアリティーを抱かせる。

競馬、競輪、競艇などは他人(競技行為者)の優劣を予想するに過ぎないが、「カジノ」ではみずからが「競技行為者」となるのである。近年はゲーム機のようなコンピューター制御のスロットマシーンも増加したが、それでもディーラー相手のカードゲームやルーレットは、確率論と心理戦で勝率が大きく左右される。

大規模カジノは24時間営業で条件によっては、食事も無料、アルコールも無料である。「賭博好き」が入り浸らないはずがない。もうかなり昔だが、初めてラス・ベガスに貧乏旅行で立ち寄ったときに、「こんな街にいたら身ぐるみはがされる」と感じ数時間で別の街に移動したことを思い出す。その後少し懐に余裕が出来てから、あちこちの国でカジノに足を向けた。理性が働いているあいだ、つまり「自分はいくら負けてもよい」か、が認識できているあいだは、危険性はない。

◆胴元がいる賭博では、胴元が必ず儲かる

しかし、その「理性」は「射幸心」のまえで見事に崩れ落ちることを、過去あまたの有名人による、カジノでの大惨敗事件を振り返るとわかる。1980年「ハマコー」と呼ばれた故浜田幸一自民党議員はラス・ベガスにおいて一晩で4億6000万円負けて、当時ロッキード事件の黒幕といわれた小佐野賢治に穴埋めをしてもらっている。また大王製紙の前会長はカジノで負けた106億円をファミリー企業から借りて、有罪判決を受けている。

一度に賭けることができる金額は各々のカジノやそのテーブル、またはVIPルームにより異なるが、VIPルームでは一度(つまり数秒)のカードゲームで数百万円負けることは当たり前だ。賭け方によっては勝敗が1千万円近くになる。わたしはそんな金は持ち合わせないから、もっと少額のテーブルで遊んでいたが、額は違えど心理に変わりはない。

給与収入の数カ月分を一度の勝負で稼ぎ出せば、「理性」は揺るぎだす。「ビギナーズラック」ということばがあるが、ことカジノに関して、不思議なほど「ビギナーズラック」が訪れる場面をわたしは目にしている。しかし「ビギナーズラック」の真相は「ビギナーズアンラック」であることをのちに知る人が多い。

あらゆる賭博は、胴元がいれば、誰がいくら賭けようが、勝とうが、負けようが胴元が必ず儲かる。宝くじも同様だ。「サマージャンボ数億円」などと広告していても、みずほ銀行が手に入れる「上がり」はお調べいただければすぐにわかる。

「カジノ」が日本にできることに、実はわたしは反対しない。なぜならば、公営ギャンブルやパチンコと比較にならないほどの社会問題を誘発し、政府の目論見から離れて、治安問題へと発展するのが必定だと見るからだ。シニカルすぎるかもしれないが、そのカオスを日本政府は経験すれば良かろう。

わたしは本文でシニカルな意見を述べたが、山本太郎議員のこの質問に共感する。


◎[参考動画]【国会中継】山本太郎(自由党)【平成30年7月19日 内閣委員会】

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

最新『紙の爆弾』9月号

大学関係者必読の書!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

もうすぐ自民党の総裁選挙である(9月20日)。安倍晋三と石破茂の一騎打ちだが、どちらが勝っても変化はないという評価は、しかし現実の政治過程を投げ打った考えではないかと、わたしは思う。少なくとも、安倍のような政治技術主義(目的のためには手段を選ばない)は、石破にはない。その意味で石破に頑張って欲しいと思うのだ。いかに石破茂が軍事オタクの再軍備、核武装検論者であろうと、安倍のようにごまかさずに民主主義の手続きを踏むと考えるからだ。この民主主義の手続きとは、ちゃんと質問には答弁に答える、論点をはぐらかさないという意味である。いずれにしても、どちらが勝っても同じである、という議論はダメだと思う。

たとえば、よりましな政府と体制を選ぶことで、敵(資本主義? 天皇制?)を延命させる。あるいは政権に融和的になるという「左派」の批判は、現実の政治過程を投げやることで、ぎゃくに現状を容認しているのだと、わたしは思う。現在の安倍政治の延長に、それがさらに危険な後継者に引きつがれ、戦争を可能とする安保法制のもとに動き出す。それも本人が知らないうちに、事態が破局にまで突き進む。つまり戦争が起こってしまう可能性があるのだ。

何が言いたいのかというと、昨年の今ごろまでは安倍の「後継者」が防衛省をシビリアンコントロールできなかった稲田朋美だと目されていたからだ。安倍が党規約を変えてまで三選を可能とすることで、その先にもはや石破茂の目はないだろうと思われた。そうすると、当時の朝鮮半島情勢のなかで、共和国(北朝鮮)のミサイルが発射されたとき、そしてそれがSM3(洋上イージスシステム)やパック3(地上迎撃ミサイル――ただし射程は25キロほど)の対応を余儀なくされたとき。そして第二弾を防止するために、ミサイル発射基地を事前に攻撃したら、まちがって戦争が起こるではありませんか、ということなのだ。なぜならば、南スーダン派遣自衛隊の日報問題を掌握できない大臣に、ミサイルが飛び交う瀬戸際での指揮は、とうてい執れないからだ。

◆最終的には、政治の延長である戦争は個人が発動するものなのだ

けっきょく、戦争は個人の指揮による発動である。たとえばヒトラーがいなくても、1930年代のドイツは戦争に活路を求めたであろうと、よく云われる。なぜならば、莫大な賠償金とハイパーインフレによる国民経済の逼迫は、それを打開するための政策的なインパクトを必要としていたからだという。それが国民経済の破綻を外化する欧州制覇、ドイツ民族の生活圏の確保であるはずだからだと。

しかしそれは、ヒトラーのミュンヘン一揆による挫折ののちの鉄鋼資本との提携、国防軍と結んだレームの粛清(突撃隊を皆殺しにした「長いナイフの夜」)など、茨の道ともいえる政治過程を無視している。30年代のドイツは、アドルフ・ヒトラーという個性を抜きに論証することは出来ないのだ。偶然かもしれないが、政治危機にさいして個人が役割りを発揮することがあるのだ。ヒトラーなくして、ドイツの戦争発動はなかったであろう。わが国においても、戦争発動は個人が決断した。そこに逆らえない「空気」があろうと、しかし個人が決めたのだ。


◎[参考動画]2011年9月3日放送未来ビジョン73『安倍晋三元総理が訴える憲法9条改正論』(JapanMiraiVision2012/07/06公開)

◆安倍の政治センスの良さが危うい

かつて、わが国は軍部の暴走(関東軍の中国戦争)の延長に、アメリカおよび西欧列強との対立に追い込まれた。なし崩し的な日中紛争と対米矛盾を解決するために、近衛文麿と東条英機という、天皇の信任の厚い政権が国家を運営したのだった。近衛も東条も対米戦争慎重派であり、むしろ非戦派だったと多くの証言がある。昭和16年8月に行なわれた若手の官僚と将校のシュミレーション(『昭和16年の敗戦』猪瀬直樹)では、対米戦敗北の結果が出て、東条もその結果に納得していたという。しかるに、国内の海戦への「空気」と情勢(対米交渉)は、東条を立ちどまらせることを許さなかったのである。その「空気」は東条をして、開戦を決断させた。かくのごとく、戦争への道は危うい「空気」と情勢の混乱によるものだといえよう。

安倍とその政権の危うさは、その政治的なセンスの良さ、言い換えれば「政治家としての能力の高さ」にある。この能力の高さとは外見上はパフォーマンスのようなものだが、たとえば、安保法制を自分の肉声で説明できることだった。「敵が味方を攻撃したら、その味方を護ることは、自分を護ることになるのです」「ですから、平和のための法律なのです」と。このあたりのパフォーマンスが、勢いで戦争を始めてしまいそうだと、わたしは危惧する。戦争はつねに「平和」を名目に行なわれる。なにしろ安倍は、文民統制のできない防衛大臣に、後継を託そうとしたのだから――。

なるほど、安保法制は「自然法としての自衛権」を元にしているが、じつはこれは安倍が考えたものではない。自民党の安全保障部会を仕切ってきたのは、ほかならぬ安倍のライバル、石破茂なのである。そこで安倍は「自然法としての自衛権」が憲法九条にも「加筆」されることで、解釈改憲を成文改憲に持ち込めると、自民党の改憲草案を飛び越えて「加憲論」に走った。これは自民党の議論を経ていない。

◆「加憲」が憲法を崩壊させる

そもそも、憲法九条は「国際紛争の解決における武力の否定」である。そこに「ただし、この規定から自衛隊は除外される」とか「自衛権としての自衛隊の保持は排除しない」などと、条文の精神と相容れない条項(加憲)を入れてしまうと、解釈の整合性がとれないのだ。「ただし」とか「しかしながら」とかの逆接を入れると、条文自体に矛盾が生じる。そこで、矛盾した条項を入れるよりも、九条を撤廃して「国防軍(国防省)」の条項を明記したほうが、法の運用が正確になる。政治家の恣意性や情勢の変化に拠らない、誰がやっても間違えのない運用ができる。しかしながら、それらの改憲は国民的な議論をもって行なわれなければならない。これが石破の立場であろう。

こうしてみると、両者の違いは歴然としている。安倍においては、誰にも説明のできない脈絡で「自衛権」が「戦争放棄」と同居し、石破においては「自衛権」が「自衛戦争」に限定されるのだ。ただし、直ちの改憲は望めないはずだ。憲法九条の完全な否定は、国民的な議論が必要となるからだ。それを回避する安倍の「加憲」こそ卑怯な裏口改憲なのである。

総裁選に改憲論が持ち込まれれば、もはや自民党の機関を通じた議論は行なわれないであろう。おそらく安倍は、総裁選挙後に直ちに「改憲法案」を国会に提出して、数を頼んだ改憲になだれ込むはずだ。きわめて危険な水域に入ったというほかはない。心ある自民党員は、石破茂に投票せよ。である。


◎[参考動画]2018年8月10日、自民・石破氏、総裁選出馬表明会見(日仏共同テレビ局France10 2018/08/10公開)

※安倍と石破の経済政策については次回に詳述したい。そこでも安倍の政治センスが、否応なく発揮されているのは周知のとおり。石破茂の決定的な弱点が、その学者的なセンスと経済オンチにあることも、併せて解説していこう。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
雑誌編集者・フリーライター。著書に『山口組と戦国大名』など多数。

月刊『紙の爆弾』9月号

『NO NUKES voice Vol.16』総力特集 明治一五〇年と東京五輪が〈福島〉を殺す

横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

お寺の仕事をこなすデックワットの3人

デックワット(寺小僧)の少年と、英語を学ぶネーン(少年僧)

◆ワット・チェンウェーでの触れ合い

タート・ルアン寺院で偶然出会った比丘らに送られ、泊まっているワット・チャンウェーに帰ると、やっと寝転がれる場所に辿り着きました。汗だくで、夕方には読経が始まるも参加せず、藤川さんが水浴びに行ってクティに戻って来ると、布団の下に蚊帳を折り込んで寝る準備に入っている。“早や!”

宵の口になると、何やら英語の単語を繰り返す声が聞こえてくる。
ネーン(少年僧)がクティの踊り場で辞書片手に熱心に英語の単語を覚えようとしている。それが長く続いている。
「あいつは勉強熱心やな、将来英語使う仕事に就いて日本にも来るかもな!」と言う藤川さん。こんなアジアの奥まった街からそんな奴も出て来るのだろう。

そこへ同じ世代のネーンやデックワットが集まって来る。
テレビもラジオも無い古い昔の家庭のような空間、自然とお喋りが始まるクティ内。

そして、よそ者の我々にも接してくれるネーン達。喋っている言葉はラオス語だが、ほぼタイ東北地方の訛り。大昔にメコン河で国境が区切られたが、昔、この辺一帯はひとつの地域だったのだ。タイ標準語とちょっと違った言葉となる単純なラオス語を教えてくれる彼ら。

デックワット(寺小僧)はラオス語でサンカリー、
マイペンライ(大丈夫、気にしない)はボーペンヤンドーク、
カオチャイマイ(分かりますか)はカオチャイボー。

ラオスから出たこと無い彼らは大都会の密集した混雑、物が溢れた量販店の電化製品を知らない。
「こいつらは目が澄んどるなあ。このままにしておいてやりたいなあ」とそんな言葉を発した藤川さん。汚れた人生を送った我が身と対称的に、彼らを自然のままにしておいてやりたいと言う想いが現れる。

托鉢から帰るとすかさずデックワットがバーツ(お鉢)を持ってくれます

そんなクティで何やら大きい葉っぱを鍋で煎じているおじいさん比丘。お茶である。
「飲むか?」と言われて興味津々の藤川さんは「頂きます!」とお願いすると、湯呑みカップに入れて我々に出してくれました。何の葉っぱか分からない。大丈夫かな、美味いかは微妙な味だが水出し麦茶とは全然違う、久々に味わう温かいお茶に癒される想い。

更には別のネーンが私と藤川さんの分の温かいオーワンティンを持って来てくれました。日本やタイで有名な“強い子のミロ”のようなもので、これも甘くて美味しい。

しばらくすると小太り和尚さんが「もう飲んだか?」と言いながらやって来る。気遣ってくれたのは小太り和尚さんだったようだ。来客を持て成してくれるような接待に有難く想う。
「こんな汚い小屋ですまない、講堂の2階は工事中でまだ使えないんだ」と言われるが、とんでもない、寝るに充分で周りが皆優しくて助かっていることに感謝を伝える。

蚊帳を吊って寝る藤川さん

本来、藤川さんと私は“形式上”ではあるが、巡礼の比丘は、“お客様”ではない。藤川さんが言っていた、一旦出家してしまえば基本的にはどこの寺でもタダで泊まれるのは、修行に必要な今日1日を生きる為の食事と寝る場を与える為。ノンカイのワット・ミーチャイ・トゥンやバンコクのワット・タートゥトーンと同じく、このワット・チェンウェーでも挨拶後、意外なほど簡単に受入れて頂きました。しかし修行僧なので、すぐその寺の一員となって読経や葬儀、懺悔の儀式に取り組まなければいけません。

小太り和尚さんも自己紹介して頂き、お名前は“ブンミー”和尚。寺の名前は「ワット・チェンウェー=Wat XiengVee」、ビエンチャンは「VIEN TIANE」と綴るが、本来はこの綴りではなく、この綴りはアメリカ軍が進駐した時代に定着したという。
夜8時過ぎにはネーンが別棟クティに帰って行った。早いなあ就寝。いや、まだ勉強かな。
準備してある藤川さんは一足先に、私も寝る準備に掛かるが、昼に蚊帳を吊るしておいたことは正解だった。蚊を追い払い、素早く蚊帳に飛び込む。更に蚊取り線香を焚いて携帯用線香皿に装着して傘の上部に吊るす。これで蚊対策は充分だろう。

◆ビエンチャンでの托鉢

朝、5時前に藤川さんが一番に起きて灯りを点けやがって、周囲も私も目を覚ます。蚊帳と傘を畳むと上から多量の蚊の死骸が落ちてくる。金鳥の蚊取り線香って本当に効いてんだな。

先に藤川さんが洗面に行き、その後、私が行って来ると藤川さんが座禅組んでいる。
「全く朝っぱらから、この為に早く起きたのか」と思うが、毎度私の感覚の方が間違っているのだろう。他の比丘やネーンは個々に講堂で読経している様子。

托鉢に出掛ける準備して待つが、6時になってもまだ誰も出る気配無し。ゆっくり辺りが明るくなる頃、6時30分を回って比丘やネーン達の準備が始まる。ネーン達は右肩を出す格好。おじいさん比丘は通常のホム・クルム、藤川さんも同じ纏い。私だけタムケーウ式ホム・マンコン。

托鉢の風景

ノンカイと同じような一列に並び、そして歩くのがノンカイより速い。路地に入ると民家のある田舎道で、托鉢としての見応えある風景になっている。私が托鉢止めて撮影に入りたいほどだ。寺に帰るとすぐデックワットが出迎えてバーツ(お鉢)を受け取ってくれる。関取の付き人のように手捌きが速かった。こういうところはどうしても我が寺と比較してしまう。こいつらの方が優れているなあと。

食事を捧げる手渡しの儀式はお堅いが、食材はしっかりある。サイバーツされるのはもち米がほとんどだが、ヨーム(信者さん)が寺に寄進に訪れて料理を運んでいるのはノンカイと同じ。

朝の風景、お寺の外で見掛けた児童たち

トゥクトゥクで街に出るとラッシュの混雑

◆タイ領事館での出会い

「9時30分からニーモンに行くから早く帰って来なさい」とブンミー和尚さんから告げられる。この後、先に述べたビザ申請があるが、9時30分までに戻って来れるかは微妙なところ。

寺の外に出ると、地元の子供達の可愛い顔がある。ここにも人生があるんだなあ。

タイ領事館で不足分だった2枚目の申請用紙を書いていると、「すみません、今何時ですか?」と流暢な日本語で話しかける声が聞こえてくる。フッと見ると欧米系の青年。黄衣を纏った私を日本人と見抜いて尋ねているのである。
「こいつ出来るな!」と思いつつ、その時刻を伝える。

そこへすかさず割って入るのが藤川さん。こんな外国人には興味津々である。
彼はネイトと名乗るアメリカ人。タイ語もほぼ完璧に出来る優れ者である。

このネイトさん、「僕もタイの寺で出家したいんです」と熱く語るので、藤川さんが誘って「今日、明日にでもワット・チェンウェーに尋ねて来い。一緒にノンカイに戻ればワット・ミーチャイ・ターの和尚さんに紹介するから」と約束してしまう藤川さんも、まだ会って5分ほどしか経っていないアメリカ人に、よくそこまで話を進められるものだと呆気にとられてしまう。

領事館では、ネイトさんもビザ申請を済ませ、帰りはトゥクトゥクに一緒に乗り、ネイトさんは「今日の夕方、堀田さん達のお寺にお邪魔させて頂きます!」と言って途中下車し、我々はそのままワット・チェンウェーに戻りました。

ここからアメリカ青年との触れ合いが急速に深まっていきます。これも何らかのタイミングがちょっとでもズレていたら出会わなかっただろう不思議な出会いでした。

タイ領事館にて、アメリカ人青年と出会う

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

最新『紙の爆弾』9月号!「人命よりダム」が生んだ人災 西日本豪雨露呈した”売国”土建政治ほか

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

◆安倍総理の暴力団交際・選挙妨害依頼時件

本サイトでは初出かもしれないが、ここにきて安倍晋三の暴力団スキャンダルが再燃している。1999年に下関の安倍総理(当時は衆議院議員)の自宅と後援会事務所が何者かによって火炎瓶放火され、3年後に主犯の会社経営者K氏と暴力団組員が逮捕された事件である。

裁判で明らかになったのは安倍事務所と会社経営者が、下関市長選挙において選挙妨害を謀議したこと。その対価の支払いをめぐって揉め、会社社長K氏が暴力団組員に火炎瓶攻撃を依頼したというものだった。事件から19年になる今年5月に出所してきた主犯の会社経営者K氏が「わしはハメられた。再審をするつもりだ」として、安倍事務所と交わした念書(確認書2通・願書1通)を、事件当初から取材してきたジャーナリストY氏に渡したのだった。K氏は大手週刊誌でも、この事件の裏側にあるものを暴露することになった。

◆忽然と姿を消したK氏

ところが、週刊誌の取材の直前になって、元会社経営者Kは忽然と連絡を断ったのである。そればかりではない。みずからのネットニュースやウェブ媒体で、この事件を報じてきたジャーナリストのY氏が8月7日の夜、不思議な事故に遭ったのである。

Y氏とともにこの事件を取材してきたT氏によると、「Y氏は『新宿のスタジオアルタの地下階段を降りようとしたところ、体が飛ぶようにして転落』したとのこと。右肩骨折、頭部7針を縫う重傷を負い、本人は『誰かに押された記憶はないが、どうしてあんなところで飛ぶのか』と話しているという」Y氏は酒を飲んでいたわけではない。

この事故の一週間前に、Y氏は「誰かの妨害なのかよくわからないが、前のツイートで紹介した安倍首相重大疑惑の講演映像と、公開した3つの証拠文書がブロックされ見えないとのことなので、古い「アクセスジャーナル」の方も紹介しておく。同じものを載せている。拡散願います」と、ツィートしていた。まさに「誰か」が動いているのであろう。ちなみに、Y氏は武富士事件の取材の過程で、自宅を放火されるという体験もしている。総裁選挙を9月20日に控えたこの時期に、こういう事故(事件?)が起きたのは見過ごせない。

◆過去にも記事もみ消しが

上記の安倍晋三暴力団スキャンダルについては、過去に共同通信が記事にしようとしたことがあった。それまで、休刊となった『噂の真相』などで報じられてきたが、これでいよいよ全国的に報道されるはずだったところ、共同通信の上層部が記事を潰したのだった。その背景には、平壌に開設されたばかりの共同通信の事務所に影響があるのではないかと、安倍総理(第一次政権)に忖度したものだと言われている。

その後、月刊『現代』でその顛末が報じられたものの、社会的には「安倍は被害者」ということになっていた。ところが、今回は念書が出てきたことで、安倍晋三および安倍事務所の「反社会的勢力」との交際が白日のもとに曝される可能性があるのだ。この事件のもう一方の主役である暴力団とは、特定危険指定暴力団として、警察庁の最重点壊滅対象となっている工藤會なのである。

その工藤會と「密接交際者」であったタケナカシゲル(「誰も書かなかったヤクザのタブー」鹿砦社ライブラリー)が、次号『紙の爆弾』10月号(9月6日発売)で工藤會の自民党人脈を暴露する予定だ。そこには、思いがけない人物の名前も登場するという。なお『紙の爆弾』が発売される前に事態が動けば、このサイトで詳報する予定だ。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)

著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

タブーなき『紙の爆弾』9月号

横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

◆明治維新の過ちが混迷の原点

安倍政権に牛耳られた日本は、断末魔の様相を呈している。国会内でくりひろげられるウソ、はぐらかし、傲慢な態度。

役人は忖度し、公文書を改ざん=歴史偽造を実行しても甘い処分しか受けていない。一部の金持ちはどんどん肥え太り、貧しい人はより貧しくなる。そのうえ生活保護の削減で、関連する行政サービス(40以上)が低下し、保護受給世帯ばかりかほかの人々の生活も苦しくなる。

完全に日本は分断されている。いったい誰のせいか?
それは「安倍のせいだ」という人が多い。

確かにその通りで、貧困を拡大させ、国の基本法である憲法に明らかに違反する法律(安保法制、秘密保護法、共謀罪など)を次々と制定施行してきたのが安倍政権である。

「個別の問題に取り組むのではなく、安倍政権そのものを打倒しなければならない」

保守的な人まで含めて、この共通認識が定着したのは、安保法制反対運動が起きていた2015年夏頃だろう。

だが、もっと深いところに現在の日本の混迷と危機があるのではないか。それは、明治維新そのものが今日の安倍政権の暴走にみられる日本の危機をもたらせている、ということだ。

 

関良基『赤松小三郎ともう一つの明治維新──テロに葬られた立憲主義の夢』(作品社2016年)

そのことを明示してくれたのが、歴史的名著『赤松小三郎ともう一つの明治維新~テロに葬られた立憲主義の夢』(関良基著・作品社刊)である。

この本が提示することをひと事で言い表すと、こうである。

《江戸時代末期に芽生えた立憲主義・議会制民主主義の夢をテロリストたちがつぶし、彼らが権力を握った。そして維新後に専制政治を打ち立て、第二次大戦の敗戦をも生き延び現在に至り、暴走している》

これを著者は「長州レジーム」と名付ける。つまり、この長州レジームをつぶさないかぎり、国民・住民・市民は安心して寝られない、と筆者は思う。

◆150年ぶりの大チャンス

筆者は、かなり長い期間にわたり、現在の日本社会の問題は、敗戦後の改革が徹底しなかったことに原因があると考えていた。

だから、日本をよりよい方向に改革するには、1945年までさかのぼらなければならない、と。

ところが昨年(2017年)3月、共謀罪に反対する集会の会場で、ある人に出会ったときにハットしたのである。

「もう一回、1945年に立ち返って日本を抜本的に改革しないとダメですよね。72年ぶりの真の政権交代が必要です!」
 
と私がいうと、こんな言葉が返ってきた。

「いや、150年ぶりですよ。政権交代どころか150年ぶりに市民革命の大チャンスがやってきた。世界情勢をみても日本国内を見ても・・。アメリカの支配層も割れている」
 
この「150」という数字を聞いた瞬間、私の頭の中でパチっとスイッチが切り替わったような感覚に襲われた。150年前といえば、明治維新である。

以来、それまで見えなかったものが見え、聞えなかった声が聞こえ、新しい視点や人物、情報などが筆者の視野に入ってきた。

◆歴史から消された巨人・赤松小三郎とは?

その中で出会ったのが、歴史的名著『赤松小三郎ともう一つの明治維新──テロに葬られた立憲主義の夢』(関良基著、作品社刊)に他ならない。

一読した筆者は、声も上げられないほどの衝撃を覚えた。

明治維新150年を目前にして数年前から、明治維新を批判的に分析・批評する本が相次いで出版され、「明治維新イコール善という神話」に強い疑念の声が増しているのは事実だろう。

しかし、この本が突出しているのは、全国民(国中之人民)を対象とした普通選挙で選ばれた議員が構成する議会を国権の最高機関と位置付ける構想を著した人物に光を当てたこと。

その人物とは、信州上田藩の藩士・赤松小三郎であり、彼の思想と生涯を丁寧に追い、現代の日本と照らし合わせたのが、この本なのだ。

赤松の建白書類では、明文化はされていないものの、女子の参政権も認めていると考えられる。江戸時代のことだから、世界最先端の思想と言ってまちがいない。

赤松の構想では、国軍(陸軍2万8000人、海軍3000人)を創設する。最初は武士がその任にあたるが、有能な者を育てたうえ志願制度に切り替え、軍人に占める士族出身者の比率を減らしていく。

国軍とは別に民兵制度も提唱しているのが特筆に値する。一般国民はふだんは各自の仕事を行い、居住地域で教官により定期的に軍事訓練を受ける。訓練は男女平等に課せられる。

著者の関氏は「小三郎が女性参政権を認める立場だったと推定する根拠はここにある」と述べている。

◆「維新の志士たち」がテロでつぶした立憲主義の夢

驚くのは、赤松小三郎の先進的な構想を認める人たちがたくさんいたことだ。つまり、道理をわきまえた改革者たちの間では、立憲主義は常識になっていた事実は「重い」。明治維新前の慶応年間に!

こうした動きをテロで葬ったのが、まさに長州テロリストたち。彼らによる「長州レジーム」が2018年の現在も続いていることが日本の最大の危機ではないか。

維新で権力を握った彼らが、どのように専制支配体制を固め、現在の安倍政権に至ったのか。近代日本の出発点とされる明治維新そのものに誤りがあったと思わざるを得ない。

そして現在、安倍政権は、長州レジームを暴力的に強化しようとしている。長州テロリストの末裔たちが安保関連法制、秘密保護法、共謀罪、刑訴法改悪・・・と違憲立法を強行し、最終的には憲法改正で大日本帝国を復活させようともがいている。

いま、道理のある人間、心ある人間がやるべきことは、長州レジームを終わらせることである。

かなり危険なところに日本は追いやられているが、一発逆転するチャンスが来ている。

なぜなら、多くの人々が「おかしい」と心の底、奥深いところで気づき始めているからだ。

こんなことを思わせる本だ。最後に著者の関良基氏の言をひいておこう。

《近代日本の原点は明治維新にあるのではない。
江戸末期に提起された立憲主義にある》

長州レジームから日本を取り戻すための必読書である。

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本書の著者、関良基氏の講演案内

■8月18日(土)第107回草の実アカデミー■
 
長州レジームからの脱却
2018年のいま、
テロリストたちに葬られた立憲主義を実現させる
 
講師 関良基氏(拓殖大学教授)
日時 2018年8月18日(土)
   13:30開場、14:00開演 16:40終了
場所 雑司ヶ谷地域文化創造館 第2会議室
http://www.toshima-mirai.jp/center/e_zoshigaya/
交通 JR山手線徒歩10分 地下鉄副都心線「雑司ヶ谷駅」2番出口直結
資料代 500円
主催 草の実アカデミー


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▼林 克明(はやし・まさあき)
ジャーナリスト。チェチェン戦争のルポ『カフカスの小さな国』で第3回小学館ノンフィクション賞優秀賞、『ジャーナリストの誕生』で第9回週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞。最近は労働問題、国賠訴訟、新党結成の動きなどを取材している。『秘密保護法 社会はどう変わるのか』(共著、集英社新書)、『ブラック大学早稲田』(同時代社)、『トヨタの闇』(共著、ちくま文庫)、写真集『チェチェン 屈せざる人々』(岩波書店)、『不当逮捕─築地警察交通取締りの罠」(同時代社)ほか。林克明twitter

『NO NUKES voice Vol.16』総力特集 明治一五〇年と東京五輪が〈福島〉を殺す

『紙の爆弾』9月号

例年にない猛暑のこの夏、例年になくいろいろなことが相次いで起きます。しかし、どれも私たちにとっては悪いものではなく、むしろ快哉を上げるようなもので、一つ起きるごとに勢いが増していくように感じます。例えば直近のものから挙げれば、――

8月6日、13年前に鹿砦社を地獄に落としたパチンコ・パチスロ・ゲーム機大手の旧「アルゼ」(現「ユニバーサルエンターテインメント」)創業者(元)オーナーの岡田和生氏が香港で逮捕されました。これについては本通信8月9日号を参照。

関西カウンターの理論的支柱で、最近も著書を出版した金明秀関西学院大学教授による同僚教授暴行事件について、ようやく大学当局も解決に乗り出し夏休み明けまでに調査委員会を設置することを約束しました。入試が近づき〝第二の日大〟化を懸念する関学はきっと前向きな解決策を取ることでしょう。こちらも本通信でたびたび採り上げていますので繰り返しませんが、関心は大きいですね。

また、金明秀教授が関西カウンターの理論的支柱なら、東京の理論的支柱といえる師岡康子弁護士による、いわゆる「師岡メール」が、これを受け取った金展克氏によって公にされ、「人権派弁護士」によるM君リンチ事件の一端が明らかになりました。こちらも本通信6月7日号をご覧ください。なお、師岡弁護士には質問状を送っていますが、回答期限を過ぎてもなんの回答もありません。「人権派弁護士」ならきちんと答えよ!

ところで、M君が李信恵氏らリンチの現場にいた5人を訴えた民事訴訟の一審判決後しばらく事態は静かに推移していましたが、騒がしくなったのはリンチ事件関係書籍第5弾『真実と暴力の隠蔽』発売直後からです。

特に木下ちがや氏(ハンドルネーム「こたつぬこ」)、清義明氏、そして私の座談会の記事が予想以上の反響で、木下氏は、かつての仲間からも非難轟轟、雨霰の攻撃を受けています。日本共産党に所属するといわれる木下氏、共産党特有の厳しい〝査問〟もあったものと推察されますが、あっけなく屈してしまいました。

 

挙句の果てに何を勘違いしたのか私たちに「家族ならび関係者への謝罪を要求します」とまでの、訳の分からない要求には失笑するしかありません。私たちは一度も木下氏の家族に言及すらしていないのに、どうして家族に「謝罪」しなければならない理由があるというのでしょうか。

また、李信恵氏の側も、これ以上ことを荒げることのできない事情もあったと思慮され、双方の利害や打算で「正式和解」になったものと思われます。〝大人の事情〟かどうか、外部から眺めるとすっきりしない「和解」です。

同書に掲載した座談会は、全体の3分の1ほどで、全体のテープリライトも終えていますし音声データも手元にありますので、場合によったら公開してもなんら構わないと思っています。両氏や周囲がこれ以上ああだこうだ屁理屈をこねるのであれば、いつでも公開する用意があります。

 

それにしても、木下ちがや氏ともあろう研究者――著書もあり、一時は「しばき隊No.3」ともいわれシールズを指揮・指導した人が、こんた体たらくでは、研究者としても社会運動家としても、また人間としても信用されないでしょう。無量光(ハンドルネーム)がいみじくも言うように「終わったな」ということでしょうか。

木下氏は、これから一生涯、このままでは李信恵氏にバカにされながら過ごさなければならないでしょうし、「しばき隊No.3」どころか「No.100(以下)」の地位に甘んじなければならなくなるでしょうが、それでもいいのでしょうか? 木下さん、屈辱を感じないですか?

座談会記事を読まれたならば、私がみずからの都合の良い方向に話を「誘導」(伊藤大介氏)していったのではなく、清義明氏の司会で、木下氏自身が清氏や私に意気揚々と、自説を能弁に語られたものであることはご理解いただけるでしょう。木下氏がそれを〝否定〟するのであれば、あの一連の発言は一体何だったのでしょうか!? 口から出まかせでしょうか? 木下氏は、これまでの様々な発言を、都合が悪くなれば、〝あれは「事実無根」だった〟と仰るのでしょうか?

この件については、M君リンチ事件の現場にもいて、大阪地裁で一番多い賠償金を課せられた伊藤大介氏が私をくどくどと非難されています。

 

 

「諸悪の根源は鹿砦社の松岡」だって!? 言うに事欠いていい加減なことを仰らないでください。伊藤さん、あなたはアレコレ御託を並べるよりもM君リンチ事件について、リンチの現場にいた最年長者としての責任を感じないんですか!? あなたが止めればリンチにはならなかったんじゃないんですか!? 血の通った人間としての対応をすることが先決ではないんですか!? 

今からでも、くだんの座談会で意見が一致した李信恵氏、エル金、凡3人の「謝罪文」に立ち返り、真摯に謝罪することから始めるべきではないでしょうか? 伊藤さん、男だったら、屁理屈を並べて醜く開き直るのではなく潔くなろうじゃありませんか!?

また、池田幸代という、社民党・福島みずほ参議院議員の元秘書だった人も、鹿砦社を非難しています。

 

「鹿砦社のやり方は本当にロクでもない」だって!? だったら、集団で凄惨なリンチをやった人たちはどうなんですか?「本当にロクでもない」のは、李信恵氏や上記伊藤大介氏らリンチの加害者らではないんですか?「わざと社会運動内の仲間割れをするような方向に持っていこうとするのは言語道断」だって!? じゃあ、集団リンチは許されるの? 集団リンチこそ「社会運動内の仲間割れ」ではないんですか? 池田さん、ぜひお答えください。

池田さんは「しばき隊」の活動に深入りし過ぎて福島議員の秘書をクビになったといわれますが、本当はどうなんですか? 沖縄で検挙され家宅捜索も受けたという噂も聞きますが、こちらも事実ですか? お答えいただきたく存じます。

私は木下氏らと座談会を行い(会場は清氏が手配し同氏が司会)、その後、食事し(こちらも高級な日本料理屋を清氏が手配。ちょっと高かったな〔苦笑〕)、さらにはラウンジにまで行き終電近くまで話し込んで、想像した以上に柔軟で話が分かる人だと感じ好感を持ちました。

話の内容もほぼ事実のようで、かつ本質を衝いていて、こういう人が話し合いに出てくればM君リンチ事件も解決の途に就くのではないか、と思った次第です。誤解を恐れず申し述べれば、座談会の後書きでも書いているように、私たちは好意を持って座談会をまとめ、よかれと思って掲載したのです。木下氏には「武士に二言はない」ぐらいの気持ちを持ってほしいものです。

李信恵・木下ちがや両氏が「正式和解」したって、あの時の木下氏の発言からして、どのように「正式和解」したのか、不可解で信じることができません。木下氏も〝あっちの世界〟でしか生きられないと悟られたのでしょうか? 木下氏は、大学の非常勤講師だけでは食っていけなくて、病院の職員をもされているということですが、この病院は共産党系の病院でしょうか? だったら、こちらを辞めたら明日の食い扶持にも困りますよね? 実はそんな卑近な理由かもしれませんが、それだったらあまり自信の持てないことを言わないことですね。

木下氏の発言には、聞くべきところも多々あり、簡単に「謝罪」してほしくありませんでした。

李信恵氏との「正式和解」という名の茶番劇――M君リンチ事件の解決は、また本質から遠くなったと感じざるをえません。いや、大きく逆戻りしたと思います。

本件とは関係ありませんが、冒頭に挙げた岡田和生氏逮捕に至るまで(最初の書籍『アルゼ王国の崩壊』を出版してから)15年もの月日がかかりました。4冊の告発書籍(その後、総括本を2冊出しているので計6冊。最初の本から6冊目まで6年掛かりました)での内容がようやく証明されたと言えますが、これまでリンチ事件関係では5冊の書籍を出版し、ここに来て事件や、その後の隠蔽工作の全貌がはっきりと見えてきました。

まだ2年半です。しかし活字にして残しておけば、例えばロイター通信が岡田の賄賂疑惑を取材するのに鹿砦社の本を読み、ここから私たちに連絡してこられ、私たちも協力しスクープになり、今回の逮捕劇に繋がったように、必ずや心ある方々の目に止まり、将来的に「あそこが日本の社会運動が解体していくターニング・ポイントだったんやな」と評価される時が来るものと信じています。

隠蔽に陰に陽に関わった著名人やカウンター/しばき隊のメンバーらは、口では「反差別」や「人権」を語りますが、裏ではその実態の醜悪さ、偽善者ぶりが明らかになってきました。君たちよ、少しは恥を知れ!「棺桶に片足突っ込んだ爺さん」にも意地があるぞ!

『真実と暴力の隠蔽』 定価800円(税込)

Amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B07CXC368T/
鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000541

わたしたちは 忘れる能力と 覚える能力を 持っている 
『忘却と記憶』 何を忘れ 何を記憶し続けるか 
それによって生き方が 決まっていくように思うのです

書家、龍一郎先生の手になる、鹿砦社カレンダー8月の言葉だ。

書=龍一郎

8月は、6日、9日そして15日と戦争にまつわる「記憶されるべき」日が続く。「何を忘れ」、「何を記憶」できているだろうか。時代は、社会は、そしてわたしたちは、あなたは、わたしは。「記憶」は能動的な脳の活動で、「このことを覚えておこう」と決めれば、それを忘れないように「記憶」の刻む方法は様々ある。記憶力に自信がなければ大切なことばを紙に書いて、机の前に貼っておけばいやでも目に入るから、なかなか忘れにくいだろう。

他方「忘れる」ことは意識せずとも起こりうる現象だ。その対象に興味や関心、執着せねばいられない事情があれば「忘却」は起きないけれども、自分とあまり関係が深くないと(潜在的にでも)認識していると「忘却」はすぐにやってくる。そしてある種の心の傷に対しては、時間経過による「忘却」が、心理的な防御作用として機能もする。

いつだったか、知人と「戦争」のありさまについて話をしたことがあった。正義感の塊のようであった知人は「戦争」を概念としても、その細部も批判の対象とし、頭の固いわたしよりも、相当注意深く「戦争」を警戒しているようだった。しかしわたしの感覚はやや異なっていた。戦争映画や戦闘場面を記録した、あるいは演じた映画や映像は、戦闘のリアリティーをわたしたちに教えてくれていることは間違いない。けれども今日のハイテク化された戦争は別にして、前時の戦争は毎日、24時間が緊張の連続ではなかったのではないか。とわたしは反論した。

もちろん、1943年以降、国内でも日常が、急激に「戦争」めいたであろうことは知っている。空襲を受け、児童は疎開し、学徒動員まで至れば日々戦争の諸相に彩られていたことだろう。

だがその前、すでに日本が中国で戦争を始めていた1930年代はどうだったであろうか。あるいは真珠湾攻撃を受けた以後、終戦まで米国本国での「戦争」の日常とはどのようなものであったであろうか。おなじ「戦中」にあっても1943-45年の日本と、日本の1930年代や米国の終戦までの日常は大きく異なるのではないか。

遠くの戦場で兵隊は戦争をしているが、本国の市民は戦況を伝えるニュースに、一喜一憂することはあっても、大規模な徴用があるわけではなく、日々食べるものに困るわけではない(凶作による飢饉を除く)。街では夜遅くまで酒場が賑わい、娯楽もある。空襲などは想像もしないし、農民は日々耕作に精を出し、都市の給与労働者は毎日会社に通う。そんな日常だって「戦争中」の一断面である。一見戦争の悲惨さと無関係で、非対称のようなこのような「戦争中の日常」も、わたしは「忘れてはいけないこと」ではないかと感じる。なぜならば、70余年前の話としてではなく、今日時代は1930年代に極めて似た様相を、描き出していると感じるからだ。

もちろん日本はいまどの国とも戦争をしてはいない。けれどもあたかも「次に戦争」が待っているか(あるいは準備しているか)のように、法律も軍備も世論も根拠なく交戦的な方向へと移ろっているからだ。諸法制の戦争準備化については、あらためて述べるまでもないだろう。毎年5兆円を超える軍事費の高止まりも同様だ。世論はどうか?大きな書店に入って『紙の爆弾』が並べられている周辺の月刊誌を見まわしてほしい。どうしてここまで狂信的になりたがるのか、と宗教の匂いすらする右翼系の月刊誌が山積されている。

 

2018年8月8日付け弁護士ドットコム

そしてついに文科省は2020東京オリンピック期間中に「授業を避けてボランティアに参加しやすくするように」大学などに「通知」を出すまでに至っている。(2018年8月8日付け弁護士ドットコム

東京オリンピックでは、11万人のボランティアという名のタダ働きが酷使されることがようやく批判の的になってきたが、文科省が大学などに直接「授業はやめてボランティアを」と働きかけるのだ。形式は「通知」ではあるが、実質的には「命令」に等しい。ここに戦争へつながる「総動員」の事前訓練を見る、と感じるわたしは極端にすぎるだろうか。

小学生から、大学生、そしてもちろんスポンサー企業に関連のある労働者は、きょうも真面目に会社で自分に与えられた仕事をこなす。あなたの会社はなにを作っていますか?あなたの会社はどんなサービスを売りものにしていますか?あなたの勤務する東京都は都民の福利を重視していますか?オリンピックが至上命題のように仕事の軽重が逆転してはいませんか?そしてなによりもこの光景、どこかおかしいと疑う、気持ちの余裕はありますか?

あれよあれよという間に、中国戦線が泥沼化し、敗戦が必定な太平洋戦争に突入したとき、軍人の中にだって「この戦争2年なら何とか持ちこたえるが、それ以上責任は持ちかねる」と明言した海軍指揮官がいた。庶民一人一人の心の中はどうだったのだろうか。戦争をはじめるのは国家だけれども、戦争を遂行するのは庶民である。「何を記憶し続けるか」は人によって重要性が異なろう。わたしは「みんなで○○しよう」というのが嫌いだから、わたしの主観を読者に押し付けたくはない。ひとりひとりが考えよう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『紙の爆弾』9月号

『NO NUKES voice Vol.16』総力特集 明治一五〇年と東京五輪が〈福島〉を殺す

大学関係者必読の書!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

学生が観念的で、頭デッカチなのは仕方がないことである。その大半が気分だからだ。どんな雰囲気で闘いに参加するのかは、二木啓孝さんのインタビューを参照(『NO NUKES Voice』最新16号)されたい。もちろん学生にも学生としての生活があり、大学の単位を取れなければ、卒業と就職はおぼつかない。だがその現実を感じさせない、自由な時間が学生生活なのであろう。かく言うわたしは、8年間も大学に在籍した。二度も逮捕されたが処分は受けなかったし、保釈の身柄引受人は在籍する大学の教授だった。学内の主流派の党派とは対立していたが、三里塚の英雄ということで敬意を表されていたように思う。いわく「あれは要塞戦戦士の横山」であると。学生革命家などお気楽なものだといえば、たしかにそうかもしれない。お気楽ではあったが、ずいぶんと犠牲を強いられた記憶はある。「滅私奉公」を「滅資奉紅」と呼び換えても、費やした時間はかけがいのないものだ。ふつうの若者が愉しんだ甘い青春とは、あまり縁がなかったと思う。

ところで、かくもお気楽な学生活動家にたいして、労働者の場合はそうはいかない。78年の開港阻止闘争では逮捕者の6割以上が労働者で、その多くが公務員だったことに、政府自民党は衝撃を受けていた。逮捕された労働者の場合は三里塚の裁判闘争とともに、多くの場合に解雇撤回闘争を強いられた。

 

国鉄千葉動力車労働組合HPより

◆クビを覚悟の生産点の闘争とは?

ところで、労働者の場合は、職場・生産点での闘いが、その試金石になる場合がある。三里塚闘争における鉄道労働者の場合がそれだった。空港および航空機にはジェット燃料が不可欠で、三里塚空港の場合はそれを運ぶのが動労千葉の鉄道労働者たち。つまり支援の最大勢力である中核派が虎の子にしている労働組合なのである。

ここに大きなジレンマが発生する。空港反対運動に参加しながら、空港に不可欠のジェット燃料を運ぶ。だったら、空港の命脈を握っているのだから、空港を機能させないカギになるではないか。と考えるのは単純すぎる。当時はまだスト権のない国鉄(公務員)である。違法なストをやれば必ず処分が待っている。すでにスト権ストや順法闘争などで、大量の処分者を抱えている労組にとって、組合が潰れてでもジョット燃料を運ばないのか、という問題である。わたしの弁護人だったH弁護士は隠れ中核派とも公然たる幹部党員ともいわれた人だったが「動労千葉がジェット燃料を止める? そりゃあ、組織が吹っ飛ぶねぇ」と笑っていたものだ。

 

国鉄千葉動力車労働組合HPより

 

国鉄千葉動力車労働組合HPより

軍艦を修理する反戦労働者

生産点の労働者というのは、かようにジレンマを抱え持っている。たとえば米海軍の横須賀の母港化に反対している造船労働者も、ドックで米艦船の修理をすることになる。海上自衛隊に反対している労働者も、自衛隊艦船の部品をつくることがある。軍艦を修理しない闘い、すなわち職場生産点での反戦闘争をするのであれば、就業を拒否してしまうか? それは無理な注文であろう。横須賀の修理ドックは、そのほとんどが自衛隊の艦船を受け入れていたのだから。同志がいたので、その言葉を紹介しておこう。「ぼくらは自衛隊の護衛艦も修理してるからね。能書きだけで、組合の活動なんてできないんだよ」機関紙の編集部として、彼を取材したときのことである。

三里塚に話をもどすと、反対同盟の農民たちは「動労千葉はジェット燃料を運んでいるじゃないか」「ちっとも、われわれの支援になっていない」と、ことあるごとに指摘したものだ。それに対する、支援党派の動きもあった。社青同解放派がジェット燃料を積んだ貨物車両を襲撃したのである。もちろん鉄道労働者に危害を加えたわけではないが、中核派にとっては労働者の職場を襲撃した、ということになる。この件では現地集会で両派がゲバルト寸前になった。じっさいにジェット燃料輸送を拒否する動労千葉のストライキ支援で、津田沼電車区に行ったことがある。ただし一日だけのストであって、組織を賭けた政治ストができたわけではない。

◆勝利をめぐる戦術とは?

 

レーニン『なにをなすべきか?』

およそ革命運動にとって、最後の勝利(武装蜂起による権力奪取)いがいは、運動の目的は陣地戦である。組織的な地平を獲得する以外には、闘争それ自体はほとんどが敗北であろう。しかし、やがて軍隊のなかに作られた革命細胞が部隊の大半を掌握し、工場がゼネラルストライキで操業を停止する。そしていよいよ、政治危機にさいして革命党本部が蜂起を支持する(レーニン「何をなすべきか」)。もはや警察力では革命の側に組織された軍隊を抑えられず、街頭では政府打倒お民衆蜂起がはじまる。と、ここまで来なければ、おそらく労働者は生産点で政治ストを行なうことはできない。いや、形だけの政治ストなら日本の労働者も経験してきたが、合法的なスト権の行使にすぎない。三里塚闘争は少なくとも、組合の存亡をかけた闘いへの選択肢を提起したという意味で、やはり歴史的な闘いだったのであろう。そこでは、具体的な勝敗をめぐる戦術が明白だったのだ。そのリアルさに、夢みがちな新左翼の活動家たちは魅せられたのではないか。(つづく)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)

著述業・雑誌編集者。3月横堀要塞戦元被告。主著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)、『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

最新『紙の爆弾』9月号!「人命よりダム」が生んだ人災 西日本豪雨露呈した”売国”土建政治ほか

横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

『NO NUKES voice Vol.16』総力特集 明治一五〇年と東京五輪が〈福島〉を殺す

8月8日沖縄県の翁長雄志知事が亡くなった。癌で入院し治療を受けていることは報道されており、先月27日に公の場所に姿を見せたときには、顔の肉もかなり落ちており病状の深刻さがうかがわれた。これほどの体調では、政府との厳しい対立や、次期知事選を闘うことが無理であろうことは明白に思われたので、「沖縄次期知事選に早急に候補者擁立を」を書こうかと思った矢先、67歳で翁長知事は逝去されてしまった。

沖縄県HPより

◆極右政党の代表選びなどより沖縄県知事選挙に注目

 

翁長知事が、台湾東部地震見舞金を贈呈(2月19日)

沖縄を除くと、知事選挙や国政選挙も「なにかが変わる」期待を抱かせてくれる機会ががぜん少ない。ましてや自民党の次期総裁選などに、わたしは全く関心がない。誰が自民党の総裁になろうが、どうせ期待できる変化など起きはしないのだから。安倍でも、石破でも関係ない。自民党内で抜き差しならない亀裂が起こり、自民党分裂か? とでもなれば少しは気がかになるかもしれないが、端からわたしと対局な人たちの集団が、代表選びで(それが不幸にも「首相」選びになってしまう)騒ごうが、揉めようがわたしにはまったく関心がわかない。

加えて自民党総裁選挙は、国民の権利たる投票権が与えられた選挙でもない。極右政党の代表選びに過ぎないのだから、あんなものを大きく報道する意味もよくわからない。「竹下派が自由投票にした」しようが、岸田が出馬しないだの、マスコミの政治部記者にとっては見押すことのできないトピックかも知れないが、この暗澹たる政治状況の中「自民党総裁選挙」どのような意味があるのかを、解説してほしいものだ。

それに対して、翁長知事逝去にともなう沖縄県知事選挙には、注目があつまろうし、わたしも度外視できない。名護市長選挙をはじめ、ここのところ、あの狭い沖縄県には中央からホットラインができたように、利益誘導の直撃弾が投下され、公明党の手の平返しにより、「ドミノ現象」が起こっている。沖縄の知事選は47分の1のできごとではなく、間違いなくマスコミがどのように伝えようがそれ以上の文脈で、国内外からの関心と影響を保持する。

◆「琉球新報」「沖縄タイムス」紙面の風向きが怪しい

 

安室奈美恵さんへの沖縄県県民栄誉賞表彰式(5月23日)

先に故翁長知事のお顔を写真で見たときに、「一刻も早く、次の候補者を擁立すべきだ」と考えたのは、もちろん翁長氏の健康状態が最大の原因であったけれども、理由はそれだけではない。近年「琉球新報」や「沖縄タイムス」の紙面には、登場する必要のない人物らが顔をだすようになり、どうも風向きが怪しいのだ。

沖縄には弁の立つ論者が少なからずおり、彼らこそが「識者談話」を寄せればよいものを、どうしたわけか、わたしからみれば、ほとんど「沖縄」の将来に寄与するとは到底思えない人物たちの登場回数が増している。具体名はあげないが、SNSを中心に本末転倒な主張を展開する、「あの一派」と言えばお分かりいただける方にはご理解いただけるであろう。たまに沖縄に足を運んで「琉球新報」や「沖縄タイムス」を読んでいると「おい、大丈夫か」とイライラすることがある。

◆現場の危機感は増すばかり

まあ、そんなことは表層的な出来事ではある。が、翁長県政を成立させ、稲嶺名護市長を当選させながら、結局のところ、沖縄は日本政府に押しまくられている。もちろん、辺野古で、高江で粘り強い闘いが諦めることなく継続され、全国からの注目や支援も途切れてはいない。けれども県政や知事、市長に基地増設反対派が当選しても、全国から機動隊を動員して、工事は止まらないし、現場の危機感は増すばかりだ。

その背後には他の地域と異なり、極めて順調な沖縄経済の成長があるのではないか、と想像する。この数年で沖縄島に、どれだけコンビニエンスストアが林立したことか。イオンモールが何件オープンしたことか。沖縄を訪れる観光客は年々増加の一途で、空港に到着してからレンタカーを借りるまでの待ち時間は、訪れるたびに長くなっている印象がある。

◆沖縄の自然は美しい。でも、30年ほど前は「もっと美しかった」

 

平成30年沖縄全戦没者追悼式(6月23日)

もちろん沖縄の人々が観光業で潤うのは、結構なことではあるが、沖縄の観光資源は、第一に「美しい自然」であろう。怒涛のように訪れる観光客はエメラルドグリーンの海に、全身日焼け止めを塗りたくって身を沈める。最南端から最北端まで1日あれば悠々移動できる、沖縄島の幹線道路の渋滞は毎日だ。

そして、何よりも気がかりなのはかつて全国1位だった沖縄の寿命が、年々そのランクを下げていることだ。1975年全国1位だった平均寿命は、その後下降の一途をたどり、2017年には35位にまで落ち込んでいる。

様々な分析があり、簡単に結論は出せないが、食生活と生活様式の変化が何らかの影響を与えていることは間違いないだろう。さらに「基地だよ、基地。復帰の時からどれだけ負担が減ったの? 増えてるじゃない。いまは全国の77%だよ」と米軍基地の負担を理由に挙げる県会議員もいる。

[資料]都道府県別にみた平均寿命の推移(PDF)
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/tdfk15/dl/tdfk15-03.pdf

沖縄の自然は美しい。でも、30年ほど前には「もっと美しかった」と当時を知る人は異口同音に語る。経済成長は結構だけれども、それで人々の寿命や、自然の美しさが消えてしまったら、なんの意味があるだろうか。

沖縄を汚さないために、今後はなるべく沖縄に足を踏み込むことはやめにしよう、と昨年考えた。だが沖縄への注視をやめるわけではない。何の興味もわかない極右政党と代表選の何倍も沖縄知事選には注意を注ぐ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

最新『紙の爆弾』9月号

『NO NUKES voice Vol.16』総力特集 明治一五〇年と東京五輪が〈福島〉を殺す

大学関係者必読の書!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

ビエンチャンにあるタイ領事館の門

◆タイ領事館へ向かう

いよいよ旅の本命、ビザ申請に向かいます。

ビエンチャンで泊めて貰うワット・チェンウェー。着いて間もないそのクティに私物を置いて出掛けるのは不安だが、蚊帳類以外、すべての荷物を持って行くのは面倒過ぎる。カメラやフラッシュなども重いが貴重品なので持って出ます。

藤川さんと路地に出ると、すぐにトゥクトゥクの方から寄って来た。タイ領事館まで1500ラオスキープ。ってどれぐらい高いのか分からず、50タイバーツで交渉成立。15分程乗った中、だんだん市内に入ると2ヶ月前に見た風景が蘇えってきます。

ちょっと早めにタイ領事館に着き、14時の開門を待って中に入ると、早速、藤川さんと窓口に並ぶ。ビザ申請用紙をお願いすると、オバサン係員から2枚渡される。

藤川さんと一緒に申請するものだと旅に出る前から思っていたから、藤川さんに1枚渡すが、何やら書く様子が無い。

「何で書かないんですか」と言うと、藤川さんは「ワシは1年ビザ有るから」だと。
「はあ? じゃあラオスまで何しに来たんですか?」と私。
「お前の為に来たんやろが!」と藤川さん。

旅慣れない私を引っ張って来てくれたことには心強く、助かっている。その反面、外泊を渋る我が寺の和尚さんに、私を利用して、たいした用も無いのに旅に出るつもりだったなと思うと腹立たしくなってきた。

「じゃあ余った申請用紙は次に来る日本人の為に参考資料としてとっておこう」と言って頭陀袋に入れようとしたら、藤川さんがサッと奪いやがる。
「ワシかて後に来る友達の為にとっておく」と言う。
「このクソジジイ!何から何までセコいこの野郎!」と思って睨みつけていると、
「早よ書けや!」とフイをついて促される。

凱旋前にて、藤川さんに撮って貰ったが下手糞、トリミングして整える。カメラはコニカのビッグミニ

◆ビザは1年!?

私が申請しようとするノンイミグレントビザは、留学や興行などは3ヶ月という制限があります。更なる長期のビザについては分からないが、藤川さんのような1年ビザは、より難しい条件があるでしょう。

ビザ申請用紙には要請する期間を書く欄があります。
そこで「“1年”って書いてみい」と言う藤川さん。
「いい加減なお役所仕事の奴らは隣の奴とベチャクチャ喋りながら中身をよう見んとハンコ押しよる奴も居るかもしれん。間違うて1年ビザが貰える可能性あるから“1年”と書いてみい!」というものだった。

さすがセコい考え。いい加減な役所仕事の心理を読む、ずる賢い人生の経験値である。しかしお役所の奴らはそんな損なことはしないだろう。少なく間違えることあっても多く間違えることは無い目敏い連中だ。

でも私もちょっとセコい気持ちが沸いて「1年」と書いておく。そして窓口に持って行くと、オバサン係員は「提出は明日の朝」と言う。

「先に言えよこの野郎!」と野郎ではないが心の中で呟く。タイ語にしてもラオス語にしても英語にしても、申請用紙貰った時にこのオバサンはそんな発言は絶対にしていない。

そしてこの翌朝に提出した時は、今度は「2枚書け!」と言う。だから2枚くれたのか。その1枚は藤川さんが奪い取ったから仕方なく、別のオッサン係員に「もう1枚ください」と丁重にお願いします。

ようやく書いて提出すると今度は「何しにタイに残るんだ?」の質問。この黄色い袈裟を見て分からんか、もうムカムカ苛立ちながら応え、「寺のニーモンに呼ばれているから早くして欲しい」と言って手数料500バーツ払ってようやく引換券受取る。

毎度お役所仕事にはイライラさせられる現状であった。ビザ申請までは以上である。

凱旋門近くを車にけん引されるボート

◆ラオス入国者の義務!?

前日に申請用紙だけ貰った後、領事館を出た後、ガイドブック見ていた藤川さんが「凱旋門とタートルアン行こう」と言い出す。

せっかく来たラオス、観光もしておかないと勿体無いが、黄衣を纏っていてはとても観光気分にはなれない。でもせっかくビエンチャンまで来たのだから、まず歩いて近くの凱旋門に向います。

凱旋門はフランスの凱旋門を真似て建てられた、地元では“パトゥーサイ”と言われる記念塔。2ヶ月前は伊達秀騎選手や小林利典選手、アナン会長とこの前で写真を撮ったが、今回は一人黄衣姿で撮りました。

ここからトゥクトゥクに乗って、金色の仏塔のタート・ルアン寺院に向かう。ここも有名な観光地である。ひと通り見たところで藤川さんが、「“ラオス入国者はパックツアーを除いて在住証明を提出しなければならない“とガイドブックに書いてある。入国管理局行こう!」と突然言い出す。

私は面倒で「行かなくても大丈夫でしょう」と応えると、
藤川さんは「じゃあ出国時に何か問題あったら交渉してや?」と言い返して来る。
私は「知りませんよ、そんなこと!!」と怒鳴ってしまった。
藤川さんは「そんなら今行こうや、今分かってしまえば後は楽やろ!」

いつも言ってることは正しいんだよなあ、藤川さんは。でも私に何かワザと面倒なこと言い出すようで、苛立つ気持ちになってしまうのだ。これも修行か。

凱旋門目指す藤川さんの後姿

タートルアンで出会った比丘達と

◆ビエンチャンで出会った比丘たち

そこで入国管理局へ向う為、トゥクトゥクでも止めようかとしていると、走って来たタクシーの運ちゃんらしき人に呼び止められ、「あの比丘が呼んでいます!」と指差された先には二僧の比丘、一僧は紫色の袈裟を纏っている。

「どこから来たの? これからどこに行くの?」と人懐っこく問いかけてくるのは、紫袈裟比丘。もう一僧は背が高く結構若いがラオスにある寺の和尚さんらしかった。

「入国管理局へ行きます」と伝えると付き合ってくれることになり、彼らのタクシーで、入国管理局へ向かいました。ここで「このツアー会社に行って聞いてください」と指されたのは、バンコクで旅行代理店に提出した時に、パスポートにホチキス止めされていた名刺のツアー会社。それはすぐ近くにあるようで、そこへ歩き出したところ、私らを見かけた近くのホテル従業員のオバサンが「ニーモンです」と言ってホテルのロビーへ招かれソファーに座るよう促されました。

我々4僧とタクシーの運ちゃんにまでジュースが出され、私は喉がカラカラで、多分皆同様で有難い寄進だった。それはファンタオレンジの味、着色料バッチリの昔ながらの正にオレンジ色。冷えていて味も懐かしく美味しかった。

ホッと一服できたところで、紫袈裟の比丘先導に短めのお経を唱えると、私にも出来る、日々やっている範疇の読経で、有難そうにワイ(合掌)して聴いているオバサン。こんな寄進に出会った場合に、一人でもすぐ出来る経文は更に覚える必要があると思ったところ。

そしてツアー会社に入ると、御丁寧に紫袈裟の比丘が尋ねてくれて、「2週間以内の滞在は入国管理局への在住申請は要らない」という。ガイドブックは古いもので、すでに改訂されていた様子。面倒でもやることやって問題無いと分かれば、後は安心なのは確かだった。

ここからこの紫袈裟の比丘らのタクシーで、我々の泊まっているワット・チェンウェーまで送ってくれてお別れ。紫袈裟の比丘は明日、タイのウボンに帰るらしい。ここまで付き合ってくれたことには感謝を伝える。優しい奴らで有難かった。また会うことはないだろうが、住所聞いておけばよかった。またウボンに尋ねて行けたら楽しいだろうに。

この後、ワット・チェンウェーの比丘やネーン(少年僧)、デックワット(寺小僧)達との触れ合いにまた感動が生まれていきます。

我々が泊まる寺へ送ってくれた比丘とタクシー

ボロボロのタクシーである

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

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