◆「正史」の嘘くささ
戦国大名の功罪や、古代遺跡などに、とんと興味がわかない。それだけではなく「歴史」と名付けられ、教科書にかかれて教えられると、多少はみずからに無関係ではない、と感じていた出来事にも、とたんに興味を失う。
その理由は、暗記教育を中心とした「歴史」にたいして、わたしの脳が充分に対応することができなかったことが第一であるが、次いでの理由は公教育で教えられる「歴史」がつねに、すべからく「勝者」の側からだけ描かれた「正史」に偏っていたことも原因だろう。嘘くさくて面白くないのだ。
恥ずかしい話だが、近現代から逆に中世、古代へ関心を抱いたのは、教科書には書かれていない史実、いわば「外史」(あるいは「叛史」)の断片に触れて以降であった。
また、すでに半世紀以上だらだらと生きてきた中で、わたしが「見聞きして知っている」ことがらが、「歴史」として「記憶」から「記録」へと置き換えられるような体感を近年とみに痛感する中で「歴史」に向かい合うべき、みずからとはどうあるべきなのか、という命題と逃げ道なく直面している。「おいおい、ちょとまってくれ」と強く感じる。もうわたし自身が「歴史」にされそうな息苦しさ。誇張ではない。
◆8月6日を「歴史」の教科書の中に、穏やかに鎮座させてもらっては困る
70何回目か、回数はもはやどうでもよいだろう(このあたりですでに「歴史」と向き合う命題から逃げているのかもしれない)。8月6日がやってきた。もちろんあの日の朝、広島にわたしがいたわけではない。でも、あたかもあの朝何が起こったのかを、みずからの「記憶」として語り尽くせるほどに、わたしには祖父母、叔父叔母、母親からの聞いた無数の「記憶」蓄積がある。
爆心地近く、数キロ先、やや郊外と視点は複数であり、その眼の持ち主の年齢も児童から成人までバラバラだ。むしろ、だからこそ、わたしは映像でしか知りえないはずの光景を、二次元や触感のないものとしてではなく、ホコリや、死体の姿、そこに漂う匂いやひとびとの呆然とした表情を体感したかの如く、錯覚し、思い描き語ることができるのだ。建物が壊れる音も実際に聞いたようにすら感じる。
たしかに、その一部は記録を通じてわたしが「記憶」したものとの混同もあろう。それは認めなければならない。しかしながら、わたしにとっては8月6日を「歴史」の教科書の中に、穏やかに鎮座させてもらっては困る、という意識が動かしがたいのだ。さらに偏狭な心中を告白すれば、わたしにとっては8月6日と8月9日も同一のものではない。8月6日にはいくらでも語ることができる細部があるが、8月9日については、第3者的な伝聞情報しか持ちえない(もちろん、そのことが8月9日の意味を減ずるものでは、まったくない)からだ。
◆肉感をともなった「外史」の編纂は不可能か
では、「記憶」や「体験」によってしか「歴史」、なかんずく勝者や権力者が描く「正史」に対抗する、肉感をともなった「外史」の編纂は不可能なのであろうか。「日本史」や「世界史」の教科書に収められたとたんに色あせる、あの「記憶」から「記録」への置き換えに対抗する術はないものか。時間の経過と比例する「記憶」の減衰は、いたしかたのないこと、として過去から現在、そして未来永劫甘受するしか方法はないのか。
「記憶」の「記録」、言い換えれば現象や体験の無機質化に対抗するすべは、おそらくある。それは「正史」支持者が常用する手法を凝視すれば、手掛かりが見えてくる。「歴女」などという奇妙な言葉があったではないか。「歴史好き」な女性を指す、奇妙な造語だ。彼女たちの多くは、倒幕の功労者や、戦国時代の大名を中心に興味を持っていたと報じられて「へー」と半ば、呆れた記憶がある。間違っていれば申し訳ないだが、彼女たちの多くは「樺美智子」、「2・1ゼネスト」、「大杉栄」、「琉球処分」、「シャクシャインの闘い」などに興味や関心はわかないことだろう。
8月6日がおさまりよく、「歴史」の教科書の中に封印されることを拒否するために、わたしはあの日、あの朝広島にいた者の、直系親族として8月6日広島を「記録」にしないために輪郭を残そうと思う。それを可能たらしめるのにもっとも有効であるのは、広義の芸術であろう。実証的な数値をいくら読み上げても興味のない世代には訴求しない。そのことはこれから、否すでに健康被害を受けている可能性が少なくない若年層に放射能の危険性が、ほとんどといってよいほど訴求しない現実を直視すれば理解されよう。
活字は厳しい、音楽はあいまいに過ぎる。受容可能性が最も高い伝達術は、視覚への訴求であろう。映像やアニメーションだ。日本政府は例によっての愚策、“Cool Japan”との耳にするのも恥ずかしい、的外れな外国への宣伝プロモーションに無駄なカネを使ってきた。その中には「アニメーション」も含まれている。日本のアニメーションの評価はたしかに高い。政府の援助などなくとも世界中に訴求する。ドキュメンタリーでもいい。「記憶」を封印させないために8月6日を正面に据えた、ドキュメンタリーやアニメーション(これまでもなかったわけではない)が、次々とうまれ、世界に浸透していく……。連日最高気温が38度を超える夏の日に、そんな幻を妄想する。
▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。