「やや日刊カルト新聞」の「総裁」にして、業界ではカルト問題取材では、超有名人である藤倉善郎さんにお話を伺った。直接的にはオウム真理教関連集会での香山リカ氏による、取材妨害が話題になったことがきっかけであったが、「カルト」や「表現の自由」についての最新の情報をお伝えいただけた。カルト取材専門家が見る「しばき隊」の問題とは? 前回に続き第2回を公開する(全4回)。
◆「暴走した自警団」
── 「しばき隊」と呼ばれる一群の人たちがいます。彼らは出家をしているわけでもなく、教義があるわけでもありません。主としてネット上や街頭で群れています。かつて在特会を中心とした外国籍の方や、外国に暴言を浴びせる「ヘイトスピーチ」と呼ばれる行動に反対する行動をとっていた人びとが主要メンバーです。
カルトや新興宗教に入ると、ある時点で「思考停止」してしまい、その団体の教義や教祖の指示に疑いなく行動する特徴があるように思いますが、しばき隊の人たちの行動様式が、カルトに似ていると感じています。事件もいくつか起こしています。決して彼らは宗教集団ではありませんが藤倉さんからご覧になると、しばき隊はどのように見えるでしょうか。
藤倉 僕の言葉ではなく、僕の知り合いの弁護士が使っている言い回しですが、(「しばき隊」とは)「暴走した自警団」だと。端的に言えばカルト的にしか見えないと僕も思います。
その際カルトの定義からちゃんと説明しておかないといけないと思います。カルトという言葉はいろいろな使われ方がありますが、いま「カルト問題」と言われる被害者救済であるとか、予防の行動に取り組んでいる人たちの間で言われているカルトの定義は、「違法行為や人権侵害を行う集団」という非常に簡単な定義です。むかしはもっと細かい定義を議論していた時代もありましたが、もちろん宗教団体に限らない。
それから「カルトであるかないか明確な線は引けない」グラデーションであって、違法行為も人権侵害もいろいろな種類や度合いで行われるわけですから、これをやったら「カルト」と決めつけるのではなく、度合いの問題だと。カルト性が強いか弱いかそういう価値観になっています。理屈上は右翼だって左翼セクトだってヤクザだってカルトなんです。子供たちのいじめ集団だってカルトなんです。
ただし、歴史上、従来はヤクザのように反社会的集団としてカテゴライズされてきていなかった宗教集団やスピリチュアル集団が深刻な事件や問題を起こし、弁護士や宗教者や研究者が問題に取り組んできた経緯があるので、自然と宗教的な集団が扱われる中心にはなっていますが、理屈上は宗教を特別視しない、という方向にきています。あくまでも「人権」がネックです。昔は「エホバの証人や統一教会は聖書を歪めているからダメなんだ」と主張する人がいました(いまもいます)が、教義が正しいかどうか、思想が正しいかどうかは関係ないんだというのがカルトの定義になっています。
◆「思考停止」をして上に従っていく集団
── 「人権」と「違法行為」ですね。
藤倉 どんなに正しいことを言っていても、人を傷つけるのであればカルトだ、という非常に単純明快な考え方になっています。先ほどおしゃっていた「思考停止」をして上に従っていく集団は、今の定義で言えばカルトではなく「カルトにはそういうパターンが多い」という特徴を示す要素です。理屈上は上の指示ではなくても、下の集団が過激化し犯罪を犯すこともあり、それも当然カルトなわけです。
── 「人権」と「違法行為」のグラデーションでカルトが測られるのであれば、誰の中にもそのような要素はあるということですね。
藤倉 そうです。極端に言えばカルト問題に取り組む団体の中にだってカルト性はあるんですよ。
── なるほど。藤倉さんだって藤倉教の教祖(総統)ですもんね(笑)。
藤倉 本当は僕「やや日刊カルト新聞」を宗教法人化して、教義としてカルト批判する。批判する教義を持った宗教団体にしたいなと夢を見てたりするんです(笑)。
◆カルトを巨大組織のような感じでイメージしないこと
── 先ほどの定義によれば、ある集団を軽々にカルトと言ってしまうのは危険だということですね。言い方を変えればカルト性の高い人たちの集団は、藤倉さんが取材を始められてから社会の中で変化は感じられますか。
藤倉 僕がしばき隊が気になる理由でもあるんですけれども、宗教組織に加わるのがトレンドではなくなった。スピリチュアルといっても団体に所属するのではなく、あちこちの団体がやっているワークショップに、顔を出すような人も多く、そのような形のかかわりの中で特定の集団にはまってしまい酷い目にあう。宗教団体の体をとっていなくて、占い師のような人と1対1のあいだで凄い金をとられるとか。巨大組織のような感じでカルトをイメージしちゃダメなんだということを、強く感じます。
── ネット(SNSなど)が発達したために、若い人の間に宗教への関心を持つ人が減っているのではないかと感じますがどうでしょうか。
藤倉 あまり多くはないですね。ただしばき隊にも通じるのですが、過激な宗教団体は、やりがいが大きい分のめり込んじゃう人が居るんですよ。脅しや暴力を使いながら勧誘する宗教がありますが、そこでは若い連中がそういうことをするんですよ。あと宗教では新規に入ってくるのではなく、親がそうで2世という人たち。それがかなり宗教の重要になっている。
── 新規加入ではなくて、世襲制で親がそうだったからという理由で入る若者ですね。いろんな団体にいますね。
藤倉 共産党もそうでしょうし、新左翼にもいるかもしれませんけど。カルトの問題を見たときに、宗教組織に限ってみてたらダメなんだというくらい、小規模なカルトとか、宗教法人ではなカルトがあり困るくらいです。世襲で言えば幸福の科学なんか新しい信者はほとんど入っていないですよ。取材している実感としては。
◆携帯電話の普及と新興宗教の衰退
── 若者に限らずですが、人間は誰かに認められていたいとか、共感してもらいという気持ちをもっていて、それがひょっとすると過剰なSNSへの依存という形に形を変えて現れているのではないか、という気がします。仕事や趣味に使うにはSNSは便利でしょうが、顔も知らない人と関係ができる。そして常に「繋がっている」ことを確認しておかないと不安になる。先日の北海道の地震でも「携帯電話の充電ができた」と涙しておられる方が少なからず報道されていました。かつて集団に属して(グラデーションの緩いカルト)から、サークル的なものから非常にコアな集団までに所属して得ていた安心感が、テクノロジーによって精神的なベクトルが分割されている側面がありはしないか、と感じますがいかがでしょうか。
藤倉 僕は文明論的な評論は好まないんですけど、実は携帯電話の普及はオウム事件以降の宗教の衰退と、たまたま入れ替わりのようにはじまったので、宗教の不人気はオウム事件がかなり大きいと思いますが、携帯電話という代替物ができたから宗教に行かなくなったのか、もともと宗教が衰退傾向にあったのかは僕自身区別がつかないですね。インターネットが普及してSNSまではないにしろ、スピリチュアルな人たちは他の人たちと情報交換がしやすくなっているはずですよね。
── そうですね。
藤倉 だから余計に特定の宗教組織ではなく、緩やかなスピリチュアル・ジプシーみたいなことはやりやすくなっているところはある。携帯電話の普及がどれくらい影響しているのかは僕がコメントしずらい部分です。
でも今お話伺っていて僕が日頃感じている話と近いと思ったのは、携帯電話やSNSそれ自体ではなく、たとえば左翼であれば「安倍政権万歳」と言っている人を叩いたり、気に食わない人をレイシスト呼ばわりして叩いたりする「ネット上の活動家」のような人のやりがいが、宗教に代わるものにはなっていそうな気がしますね。信仰ではなく信念や、やりがい──。オウム真理教もそういうところは強かったんです。ネトウヨやしばき隊も含めて「社会にコミットしている」という実感を得られるような、ものでステータスが獲得できる。
昔なぜ新興宗教が若い人に人気があったかといえば、伝統宗教の中に入っても偉くなれなかったからですよ。新しいムーブメントに行くと、比較的簡単にステータスが得られる。僕だって週刊誌とかで働いていたら偉くなれないけど「やや日刊カルト新聞」作ったらその日から偉くなれるわけじゃないですか(笑)。そういう楽しさは新しいムーブメントには常にあると思います。SEALDsの奥田君だって、共産党の活動家とかだったら、あんなふうに世間には出てこれなかったわけですから。宗教活動で得られるのと同様に充実感をネットで得られるのは、90年代にはなかったことですし、SNSの誕生の前にはなかったことですね。
── 充実感を得られるツールとしてSNSが出てきたことにより何かが変わったということかもわからないですね。
藤倉 ツイッターは特にそういう面は強いですね。ツイッターで充実感を得ている人は、物事を知ったような態度で、短いわかりやすい言葉でどれだけ人の支持を集めるか。そこの充実感なんです。だからツイッターではみんな知ったような態度で、頭の悪いことを言っているから見ててイライラするんです。
── そんなことに労力をさいていたら、精神的に荒れますよね。
藤倉 僕はそういう奴を狙って喧嘩を仕掛けますけどね(笑)。
── それは藤倉さんがライターだからいいけど(笑)。普通の人には精神衛生上よくないんじゃないですか。
藤倉 それが癒しとか、信仰とか自己鍛錬的なものとか、安らぎではなく、イケイケどんどんの世直し運動のような、オラオラ系のハイテンションになる。ネトウヨもカルトだけど、しばき隊もカルトになって当然だよなと思います。完全な悪循環の中にあるように思いますね。
◆ネットで認められる快感に目覚めた〈オタクですらない人々〉の台頭
── 対象とか到達目標があろうが、あるまいが、どのような人でも殺伐な言葉を投げかけて優位に立とうというのは、決して穏やかな心のありようや寛容性と融和するものではないですね。
藤倉 ミクシー以降でしょうね。素人さんがネットでものを言うようになってきた。オタクですらない。オタクは悪い意味ではなく、本人がこだわっている分野の知識はものすごい。でも、そういう得意分野を持ち合わせない人たちが、ネットで認められる快感に目覚めてしまったのが、ミクシーあたりですね。
話は逸れますがしばき隊のカルト性は2つの側面を見ないといけないのかな、と思います。1つは彼らがレイシストとみなした、敵に対する闘い方の部分です。敵とみなしたら人権とかは知ったこっちゃない、何してもいいというカルト性。あと「リンチ事件」は内部での組織防衛のカルト性ですね。それを隠蔽しようとするのも組織防衛のためのセカンドレイプ的な話になります。彼らのカルト性には、外部への攻撃(人権侵害)と、内部への人権侵害がある。当然カルトには両方生じるんです。なぜならもともと人権なんかどうでもよくて、組織の目的や教祖の目的が至上のものなので。信者の人権すら守らないのがカルトですから。その両面から見てしばき隊はカルト性が高いと言っていいでしょう。(つづく)
◎カルト取材専門家が見る「しばき隊」の問題とは?「やや日刊カルト新聞」藤倉善郎総裁に聞く!(全4回)
〈1〉2018年10月11日公開 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=27899
〈2〉2018年10月16日公開 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=27942
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