◆夢から覚めていくような帰路
寝台列車は陽が上る頃になるとベッドは折り畳まれ、普通の座席に替わった。到着まで座って風景を眺めよう。もうドンムアン空港を過ぎた辺りまで来ていた。昔、居候していたチャイバダンジムの近くだ。そのジムの近くの駄菓子屋の可愛かった20歳の女の子に会ってみたいと無性に恋しくなる。会おうと思えば歩いて行ける距離に来ているという切ない想い。早く自由の身になりたいと思ってしまう。
◆早速出会うタンブンの朝
終点、フアランポーン駅には6時30分に到着。重い荷物を背負って外に出ると藤川さんが「飯食うか?」と言い、もちろん私は頷く。すぐにブッ掛け御飯のある屋台へ向かい、お店の前で惣菜を指差すと、「目玉焼きは?」と聞かれ、それも頷いて2皿注文し席に着く。こんな自ら店に入る姿は俗人の前では見せたくないものだ。だが旅に出ていては仕方無い場合も発生する。注文したブッ掛け御飯を手で受ける儀式を済ませ、格好だけ短い読経をして食べていると、藤川さんにスープが運ばれて来た。一瞬、「いつ注文したんだろう」と錯覚したが、私にも運ばれてくる。更にカオマンカイ(鶏肉御飯)も2皿置かれる。すぐ「ああこれはタンブン(寄進)だ」と察知した。誰が捧げてくれたのか。申し訳ない気持ちになる。
「この恩をどうやって返していけばいいんだろう」と考えながら、ここはキチンと受けて食べ終えるしかない。でもお腹はいっぱいになった。我々が注文したものだけでも、藤川さんが「タウライ(幾ら)?」と言ってお金を払おうとすると、「全部あのオジサンが払ったよ」と別の席にいたオジサンを指差したお店の人。とてもタンブンしそうに無い、厳つい顔のオジサンだったが、御礼を言う訳にいかない比丘の身、藤川さんは軽く頷く程度の目線を送って、私も笑顔でオジサンに視線を送って出て来た。オジサンも笑顔になっていた。徳を積む行為を拒否は出来ない。だが、こんな愚かな比丘に施される行為には何度体験しても慣れないし、何度も申し訳なく思ってしまう。
更にバス乗り場に向かおうとしたところで、また若い女性から声が掛かる。今度は普通に、朝の托鉢を待つ信者さんの寄進だった。我々はバーツ(お鉢)を頭陀袋の中に仕舞い込んでいるので用意出来ない。托鉢行ではない状況ではあるが、頭陀袋を開けて、寄進用のビニールに入った御飯とオカズを入れて貰う。更にオジサンからもう一件あり、荷物いっぱいでも早朝に歩けば托鉢僧と同じなのだ、その心構えで歩かねばならない。
青いエアコン市内バスに乗ると、いつものタイ南部に向かうサイタイマイバスターミナルへ向かう。バスでは入口付近の比丘用の席が譲られた。今日の朝だけでどれだけ寄進を受けただろうか。
藤川さんが「ああいう人らが、ワシらに飯くれて何とも思わんか?、ワシは申し訳ない気持ちになる、あの人らが徳を積む為に施した相手は、お経もたいして出来ん未熟なワシやのに、飯食わせてくれて、ワシは詐欺みたいなもんやと思う。そやから、あの人らに返していくのはキチンと修行していくしかないと思うで!」と窘められる。
そんなこと言われるまでもなく、すでに「俺だって申し訳ないと思っとるわい!」とは言い返さなかったが、心の中で叫ぶ。しかし、私が何も感じてないとでも思っているのか、この藤川ジジィは!
◆留守の間に起きていたこと!
サイタイマイに着いて長距離エアコンバスチケットを買うと、8時ちょうどの出発。今回がいちばん切ない気持ちで乗っている。前回と同じ、終点間近の交差点で降ろして貰い、歩いてワット・タムケーウに帰る。境内には誰も見当たらず、「着いたら和尚に挨拶だぞ」と藤川さんが言うが、和尚さんも居ない様子で自分の部屋へまっすぐ到着となった。部屋の中は埃だらけ。外は工事が続いているから、窓を閉めていても砂埃が凄い。
それにしても外の砂利道は舗装が進み、草むらだった空地も区画整理が進んでいた。更に低料金(エアコン無し)バスターミナルまで営業開始している。この周辺も旅に出ている間にかなり発展したものだ。
ようやく和尚さんの姿を見つけて小走りで挨拶に向かう。いちばん先に和尚さんに無事帰って来たことを報告しなければならない。アメリカ人に出会って出家に導いたことで滞在を延期したことも話すも、ほとんど関心が無いようで、「ああ分かった、もういいよ!」といった具合だが、一応帰って来た報告が済んで安心感を得る。
朝、フアランポーン駅前で受けた施しの食材を出して昼飯に向かい、やがて仲間らが徐々に用も無いのに普段あまり話さない奴まで寄って来る。
「ラオスはどうだった?」と聞いてくる周囲の奴ら。ビザ取得に行ったこと、お腹壊したこと、どこの寺も品格が良かったこと、ネイトさんが現れたこと、とても興味を持たせるような語り口を作れないが、何が面白いかが日本人とタイ人では捉え方が違うのだ。ネイトさんとの出会いや、タイ領事館の奴らの遅く態度悪い仕事など、ここの比丘には言っても、日本人目線では伝わらない話題だろう。
ただ、「メコン河がキレイだったとか、パトゥーサイ(凱旋門)がカッコ良かった」とか、適当に言っておいた。「ゴメンね、お土産無くて!」こんな言葉も繰り返し、やっぱり何か買っておくべきだったなあ。
昼食後は、デックワットから留守の間に届いていた郵便物を貰う。春原さんからワールドボクシング増刊号が届いていた。表紙は「ジョー、敗れたり!」の見出し。11月下旬に行なわれていた話題の薬師寺保栄vs辰吉丈一郎戦の結果の掲載だ。今までに無いこの試合の重み、辰吉の去就が注目の内容と伺える。
私らが留守の間に、高津くんが私を訪ねにこの寺に来たらしい。コップくんが彼の置き土産を持って来てくれた。しばらく寺の敷地内を歩いて世話好きな比丘らとお話して帰ったようだった。
アナンさんのジム近くにある、以前から親しくしていた商店(コンビニ)のオバちゃんがお菓子をタンブンしてくれたようだ。あくまで寄進だが有難く頂いた。雑誌は格闘技通信があった。立嶋篤史の試合も掲載されていた。7月にKO負けで全日本フェザー級王座を失って以来の復帰戦に判定勝利した内容だった。それぞれの注目度が分かるだけに、皆それぞれの苦悩と戦っているのだなあと察する。肩透かしを食わせてしまった高津くんにはラオスへ行くこと伝えてなかったことを申し訳なく思う。
◆今後の旅は?
ウチの和尚さんは藤川さんの外泊には、いつも渋い顔をしていた。私には関心が無いと見えて、ビザ取得の為のラオス行きは比較的簡単に許可されたが、これ以外に藤川さんと一緒に巡礼の旅に出ることは難しいところだった。
当初の藤川さんの計画では、かつて御自身が回ったタイ国内の寺で、貴重な体験が出来ると思う寺へ私を連れて行くつもりだったらしい。また新たに巡礼の旅をするとしたら、今回の旅先ですでにカンボジア行きの話もあったように、私の還俗後しかないのではないか。せっかくラオスまで行って取得したビザだったが、帰って来たこの時点で、私の仏門生活もやがて終わりに近づくことは間違い無さそうだった。
▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」