今年7月、教祖の麻原彰晃(享年63)をはじめとするオウム死刑囚13人が一斉に死刑執行され、ようやく一区切りついた感のある一連のオウム真理教事件。筆者は、この歴史的な死刑執行に関し、法務省や全国各地の矯正管区に情報公開請求し、1000枚を超す関連文書を入手した。
それを見ると、オウム死刑囚13人の死刑が2度に分けて執行された舞台裏は、ずいぶんドタバタしていたことが窺えた。
◆「執行相当」と決裁する押印もかすれていて……
このほど法務省や全国各地の矯正管区から、筆者に開示された文書は、「死刑執行上申書」「死刑執行上申書」「死刑執行について」「死刑事件審査結果」「死刑執行指揮書」「死亡帳」「死刑執行速報」「死刑執行報告書」など。いずれも死刑執行の決裁や死刑執行後の報告に関する重要文書だ。
それらの文書によると、7月6日に執行された麻原ら計7人の死刑は、法務省内部で「執行相当」と決裁されたのが7月3日だから、わずか3日で執行の全手続きが終了していたことになる。また、7月26日に執行された他の6人の死刑については、法務省内部で「執行相当」と決裁されたのが7月24日だから、さらに1日短く2日で執行の全手続きが終了していたわけである。
これほどスケジュールがタイトだったためか、やけに目立ったのが、書類作成上のミスだ。
たとえば、麻原に関する「死刑執行について」という文書。この文書は麻原が敢行した犯罪事実などが記載されており、法務省の矯正局と保護局の幹部職員6人が死刑執行にゴーサインを出す決裁の印を押している。しかし、そのうち保護局の畝本直美局長と磯村建恩赦管理官の印はかすれてほとんど見えず、朱肉を十分につけずに慌てて押印していたのではないかと想像させられた。
とくに畝本保護局長については、麻原のみならず、12人の信者たちに関する「死刑執行について」という文書への押印も多くがかすれており、仕事が雑であるような印象を否めなかった。
また、「死刑事件審査結果」という文書では、法務副大臣の葉梨康弘氏の混乱ぶりが目についた。7月3日に決裁した麻原ら7人の同文書については、“押印”で決裁しているのに、7月24日に決裁した残り6人の同文書については、“サイン”で決裁しているのだ。
ちなみに、「死刑事件審査結果」については、法務大臣と副大臣は“押印”ではなく、“サイン”で決裁するのが慣例だ。葉梨氏は慣れない仕事のため、最初は誤って慣例と異なる“押印”で決裁してしまったのだろう。
◆名前を間違われていた人も……
さらに各文書を見ていると、いくら死刑囚とはいえ、扱われ方が気の毒に思えた者もいる。「修行の天才」と言われた井上嘉浩(享年48)だ。
というのも、「嘉」という字が手書きになっていた文書があったばかりか、死刑執行後に作成された「死亡帳」という文書では、名前が「井上嘉弘」と誤って記載されていたのだ。「弘」に二重線が引かれ、「浩」と訂正されてはいたが、いかにもぞんざいな扱いがされている印象だ。
死刑執行に関する文書は、情報公開請求に対して開示される際に多くの部分が黒塗りされるのが通例だが、それは今回も同様だった。黒塗りされなかった部分でミスが相次いでいるのを見ていると、黒塗りされた部分でも多くのミスがあったのではないかと思わざるを得なかった。
政治家や法務官僚たちにとって、オウム死刑囚の生命は綿毛より軽いものだったのだろう。
▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。