福岡拘置所に収容されている奥本章寛死刑囚(30)は、22歳だった2010年の3月1日の明け方、宮崎市の自宅で寝ていた妻(当時24)と長男(同生後5カ月)、同居していた義母(同50)を相次いで殺害した。
その殺害方法は、妻と義母はハンマーで撲殺、長男は水を張った浴槽に入れ、溺死させるという惨たらしいものだった。さらに奥本死刑囚は犯行後、当時勤務していた土木関係の会社の資材置き場まで長男の遺体を運び、土中に埋めていた。
と、このように犯行の概略だけを書くと、冷酷きわまりない殺人犯だったようだが、奥本死刑囚の裁判の過程では、多数の支援者が「死刑の回避」を求め、助命活動を繰り広げる異例の展開になっていた。私の知る限り、冤罪のケースを除けば、今も奥本死刑囚は最も支援者が多い死刑囚である。
というのも、被害者のネガティブな情報を書くのは気が引けるが、奥本死刑囚の義母は厳しい性格の人で、普段から奥本死刑囚に対し、何かときつい言動をとっていたという。奥本死刑囚はそのために精神的に疲弊し、視野狭窄、意識狭窄の状態に陥った。ひいては、冷静な思考ができなくなり、今の生活を逃れるため、妻や長男と共に義母を殺害するという、とんでもない行動に出てしまったのである。
◆長男を土中に埋めた資材置き場は自宅のすぐ近くに・・・
私がこの奥本死刑囚の家を訪ねたのは、2014年の秋のこと。宮崎市郊外の花ケ島という町の閑静な一角に、その平屋建ての一軒家はあったはずなのだが・・・。
奥本死刑囚たちが長男の誕生を機に移り住んだというその家は、建物が無くなっており、跡地は更地になっていた。3人の生命が奪われる事件現場になったため、大家が取り壊してしまったのだろう。
殺人事件の現場は、アパートやマンションなら「事故物件」として残り、格安で借りられるようになるが、借家の一軒家の場合、取り壊されることが少なくない。とはいえ、家族で幸せになるために借りた家が、このような結末をたどるとはあまりにも悲劇的である。
一方、奥本死刑囚が長男の遺体を土中に埋めた会社の資材置き場は、家があった場所から、歩いてものの数分だった。冷静に考えれば、こんな近場に長男の遺体を埋め、証拠隠滅に成功するはずはない。それは裏返せば、犯行時の奥本死刑囚は正常な思考ができない状態だったということだろう。
私は現場を訪ね歩き、切ない思いにとらわれて宮崎をあとにした。
▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。新刊『平成監獄面会記 重大殺人犯7人と1人のリアル』(笠倉出版社)が発売中。