日本人がアジアや欧米、南米で強盗や盗難、誘拐される事件は年に何度か報道で伝えられる。日本人がこれらの犯罪のターゲットになるのは「日本人=金持ち」だとの加害者側の意識があってのことでことだ。貧乏人を狙っても金品は盗めない。80年代から今世紀の初頭まで日本人は確かに、世界基準からすれば裕福な収入を得ていて、海外で犯罪被害のターゲットとなりうるだけの資格と名声を有していた。

◆「安すぎる日本社会」の誕生と「中流」の消失

 

◎カンボジアでハイヤー運転手を刺殺か 日本人2人逮捕(2019年3月18日朝日新聞/ハノイ=鈴木暁子)

さて、お蔭様とはいわないが、消費税が導入されて以来、日本は長らくデフレが続いており、大企業を除いて賃金は上がらず、非正規雇用労働者が爆発的に増えたことにより、決して「裕福」な国民が多数を占める国ではなくなった。

80年代にも安価な衣料品店がなかったわけではなかろうが、いまはユニクロで下着からジャケットまでをそろえても選び方次第では一万円でお釣りがくる。こんなに安く衣服を揃えることが80年代には一般的にはできなかった。庶民にとっても衣服はもっと高価だった。100円ショップがあちこちに開店し、幅広い品揃えで低所得層だけではなく、多くの人々が安価に商品を購買することができるようになった。

モノが安く買えるのはありがたい。けれども30年前と比べて同じものの値段が変わらないのは、総体として経済が成長していない(萎縮している)、賃金が上昇していないことの副作用でもある。だからかつてはオセアニアの国々を訪れると、土地からファーストフードまでが日本の物価と比較して、大雑把に半額程度であったけれども、豪州もニュージーランドも30年前から毎年着実に経済成長を続けているので、いま日本人がこれらの国を訪れたら、決して物価が安いとは感じないだろう。

6年前にニュージーランドを訪れた際にUSBメモリー(4ギガか8ギガ)を買おうと物色していたら、たしか4000円か5000円ほどの値段だった。あまりに高いので店員に「もう少し安く買える場所はないだろうか」と聞いたら「ない。ここはアジアじゃないから物価は安くないんだ」といわれた。完全にかつての「世界で2番目の経済大国」であった時代は過ぎ去り、日本は「アジアの一員」に収まるべくして収まったのか、と感慨を覚えた記憶がある。


◎[参考動画]カンボジアでタクシー運転手殺害か 日本人男ら逮捕(ANNnewsCH 2019/3/18公開)

◆「新自由主義」が生み出した「階級社会」の残酷

 

◎日本の年金生活者が刑務所に入りたがる理由(2019年3月18日BBC NEWS JAPAN/エド・バトラー)

わたし個人は経済成長至上主義者ではまったくないので、日本が分不相応に「金持ち」であった時代の矛盾(アジアをはじめとする諸国への経済侵略と搾取)に目を向ければ、現在の日本の下降傾向はある意味当然の帰結とも考えることができよう。ただ、問題であり、度外視できないのは、多くの国民が等しく収入の非上昇を被っているのではなく、一部にはめちゃくちゃに儲けている少数者の層が出来上がり、それ以外の人々との乖離が甚だしく拡大していることだ。「一億総中流」との言葉が20世紀のある時期、当たり前のように語られていたが、いまでは誰もこの国が「総中流」だなどとは感じていないだろうし、「中流」に至ることができない低所得者層がどんどん増加している。

このような所得を基準にした、国民の経済的状態の分布は自然に生じたものではない。逆進性元凶(金持ちほど優遇され、貧乏人ほど厳しい状況におかれる)消費税の導入とその税率の相次ぐ引き上げと、相反する所得税の累進税率緩和(高所得者にかけられる税率の低下)と法人税の引き下げ。そして何よりも「雇用の自由化」とのことばで示される「雇用主側の裁量の拡大」(派遣労働の解禁、ホワイトカラーエグゼンプション・実質残業代ゼロ)といった政策が、所得中間層を減らし、低所得層を増加させ、一部に特権的な趙富裕層を生み出してきたのだ。

このような政策の総体が「新自由主義」と呼ばれるものであり、「新自由主義」は現在も進行中であるので、これからますます日本では所得格差が広がり、分かりやすい「階級社会」が深刻に進行する。

 

◎[参考音声]Japan's Elderly Crime Wave(2019/01/31BBC音声レポート) https://www.bbc.co.uk/sounds/play/w3cswf65

「資本主義」自体はもともと「イデオロギー」があって、それを達成しようとする思想・行動の帰結ではなく、産業発展とともに貨幣経済が年々成長を遂げないと維持できない、いわば「状態」をあらわす概念ではないかと、わたしは考えている。「社会主義」や「共産主義」、「社会民主主義」は思想と到達目標を持つ「イデオロギー」を政策に反映させ、経済至上が必ず孕む「資本主義」の問題を解決しようと、考え出された「人為的」営為だ。「社会主義」・「共産主義」を標榜する国の多くは、権力独裁が産む問題の数々により、終焉を迎えたが、かといって放置すれば必ず「儲け第一」だけで暴走する「資本主義」が中長期的に見て社会的・世界的に優位かといえば、そのようなことはまったくない。

「資本主義は状態だ」と私見を述べたが、「資本主義の最終形態は新自由主義」である。「新自由主義」にも思想はない。大企業・多国籍企業や富裕層の所得・利益を最大化すること。それが最大のテーゼである。総合的な社会観や社会保障への考慮などは「新自由主義」のうかがい知るところではない。わたしたちが生活している「いま」はそういう時代の真っ只中であることを認識しておけば、政府が提供してくる政策の意図や、企業活動の将来がおのずから理解されるであろう。

「新自由主義」の被害者たちは、以下のようにここが先進国か、との疑問を呈せざるを得ないほど追い込まれる。カンボジアで日本人が殺されることはあっても、殺す側に回る日が来るとは衝撃であるし、年金で生活できない高齢者が自ら犯罪を犯し進んで服役を望む。ふたつの記事は「新自由主義」の社会がどう暗転するかをわかりやすく示している。

◎カンボジアでハイヤー運転手を刺殺か 日本人2人逮捕(2019年3月18日朝日新聞/ハノイ=鈴木暁子)https://www.asahi.com/articles/ASM3L3RGYM3LUHBI00M.html

◎日本の年金生活者が刑務所に入りたがる理由(2019年3月18日BBC NEWS JAPAN/エド・バトラー)https://www.bbc.com/japanese/47453931

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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