◆警察、検察、裁判所の間違いは「仕方ない」で許される異常な社会
3月2日、東京都内の甲南大学東京キャンパスで「冤罪犠牲者の会」の結成総会が開催された。発起人である桜井昌司さん(布川事件)には昨年11月、本通信でインタビューし、会の結成に向け準備を進めているとお聞きしていたが、こうした会の結成が初めてと知り、正直驚いた記憶がある。
日本には、長年無実のまま獄中に囚われた冤罪犠牲者が、その後再審で無罪を勝ち取っても「無罪になって良かったね」程度で済まされ、片や間違いを犯した警察や検察、裁判所に対しても「間違いは仕方ないね」と許してしまう風潮があるが、それを変えていかなくてはならない時期に、今あるのではないか。
「捜査機関が自白の強要や証拠の捏造をし、裁判所もそれを見過ごしてきたから冤罪はおきた。犠牲者自身が声をあげ、司法をかえていきたい」「警察や検察、司法は冤罪が明らかになっても誰も責任をとらない。悪いことをしたら責任とって欲しい」。桜井さんのこうした発言からも、会を作る意義が強く伝わってくる。
桜井さんが会を作らなければと考えたきっけかけは、昨年7月滋賀県の大津地裁で死後再審が決まった「日野町事件」(1984年発生)の審理の中であったと説明している。実は審理の過程で、故阪原弘さんの無期懲役の有力な証拠とされた写真の撮影順が、警察の都合の良いように入れ換えられていたことが判明した。その際、警察は「良くあることです」と平然と言い放ったという。このとき桜井さんは「警察と検察の犯罪的な行為を止めさせない限りは、これからも同じように冤罪犠牲者は作られる」と会の結成を決意し、多くの冤罪仲間に参加を呼びかけ、準備をはじめた。
総会では、会の共同代表に、青木恵子さん(東住吉事件)、藤山忠(すなお)さん(志布志事件)、矢田部孝司さん(痴漢冤罪事件)の3名が、事務局には発起人桜井さんほか5名が、それぞれ選出された。会には現在、足川事件、氷見事件で再審無罪が確定した当事者はじめ、再審請求中の袴田事件や狭山事件、現在公判中の今市事件など約40事件の当事者、家族らが参加している。事件の大小問わず、窃盗、痴漢、覚醒際使用などあらゆる冤罪をかけられた犠牲者が結集する画期的な会の発足となった。
会は今後、冤罪犠牲者を作らせない法律と再審のルールをつくることを行動目的とし、具体的には裁判当事者への証拠閲覧権の付与、警察や検察の証拠悪用を防ぐ証拠管理所の設置、検察が無罪判決や再審開始を不服として上訴できる権利の廃止、冤罪を生んだ捜査関係者らの処罰、などを求めるとしている。
◆「仲間とともに冤罪被害者を助けていきたい」(青木恵子さん)
共同代表のお一人、青木恵子さんにお会いし、詳しいお話をお聞きした。
総会には当事者、支援者ら50名のほか、マスコミ、弁護士、学者ら含め85名が参加した。中には青木さんも知らない方、知らない事件もあり、改めて冤罪犠牲者の多さを知ったと驚かれていた。青木さんが個人的に支援している名古屋の鈴鹿殺人事件の加藤映次さんのご両親も参加されていたが、獄中にいる加藤さん本人よりも社会にいる家族のご苦労、辛さが、会の交流の場で少しでも癒されればと感じたという。
会見で青木さんは「仲間とともに冤罪被害者を助けていきたい」と話されていたが、青木さん自身が服役中、多くの支援者に助けられたとの思いがあるからだ。とりわけ桜井昌司さんの面会が青木さんに希望を与えてくれたという。
「『自分は29年入っていて仮釈放で出た。俺たちの闘いは難しいが、青木さんは絶対勝てる。出てきたら、こっち側でいろんな人の支援をやろう』と言われました。その後も手紙に『ガソリン撒いて火傷をしないなんてことはあり得ない。裁判所が(実験を)やればいい。青木さんは絶対勝てる』と書き添えてありました。私は初めて無罪なのに無期懲役になった人と会ったので、桜井さんのことを信じられました。今でもあの面会の時のことを思いだすと涙がでます。それほど桜井さんの面会が私に希望を与えてくれました」。
「出てきたらこっち側でいろんな人の支援をやろう」。桜井さんに言われたように、出所後の青木さんは精力的に犠牲者や家族への支援活動を続けている。最初に参加した鹿児島県の志布志事件の集会を皮切りに、大崎事件、名張事件、袴田事件、鈴鹿殺人事件、仙台筋弛緩剤事件、大仙事件、恵庭OL殺人事件、今市事件、福井女子中学生殺人事件などの集会や判決に駆けつけた。日野町事件、星野冤罪再審事件、それから滋賀県湖東記念病院事件にも。ほか大学や弁護士会館での講演会、集会など呼ばれたところへはなるべく行くようにしている、という。
「冤罪犠牲者の会」の目的のひとつに法律を変える、再審のルールを作ることがある。「日本の検察は上訴権が認められているから、だらだら裁判を引き延ばす。それがなかったら、これまでどれだけの犠牲者が救われてきたことか」と青木さん。その青木さん自身、じつは和歌山刑務所に服役中の2012年3月7日に再審開始の決定が出て、釈放されることになったが、出る10分前に釈放が取り消された苦い経験をもつ。
「あの再審開始が決まった時はいちばん嬉しかったですね。それまでの裁判で初めて勝ったから、再審無罪を勝ち取ったときより嬉しかった。でも日本は『再審法』がないから、釈放できないと弁護士も思っていました。私は詳しい法律は知りませんが『なぜ出れないの? 釈放を要求して! ダメでもやって』と弁護団に無理を言いました。で、弁護団が裁判所に手続きに行ったら、裁判所に『やっときましたか?』と言われたそうです。そんな感じで釈放が認められたが、条件はとても厳しかったです。釈放されることは、出るまで一切秘密にしなければならないとか。釈放の日にちが4月2日月曜日午後14時と決まり、私は金曜日の昼から工場も行かず、釈放になる前の部屋に移った。もちろん出る気満々だから荷物も全部捨てました。当日弁護団は3人来ました。頼んでいた服を貰って着て、30分前から座って待っていました。あと10分という時、職員が走ってきて『あなたを釈放できなくなった』といったのです。『詳しくは弁護士に聞いて』といわれ、また中の服に着替えさせられた。弁護士も慌てて大阪の弁護士などに連絡とったみたいです。検察が高裁に抗告していて高裁の裁判官が取り消ししたと説明され、『これが同じ血の通った人間のすることか』と思いました」(青木恵子さん)。
まさに天国から地獄を経験した青木さん。結局3年かかり、2015年10月23日検察の即時抗告が棄却され、刑の執行停止が決定、2日後にようやく釈放された。翌2016年8月10日、大阪地裁で無罪判決が言い渡されたのである。
青木さんは現在、時間が比較的自由に使えるチラシ配りや集金のアルバイトをやりながら、冤罪犠牲者の支援や講演活動などのため全国を走り回っている。そのうえで自身も2つの裁判を闘っている。1つは、警察と検察の違法捜査で20年にわたり拘束されたとして、国と大阪府に計約1億4500万円の国家賠償を求める裁判、もう1つは、娘を焼死させた火災はホンダの車のガソリン漏れが原因として、メーカーのホンダに約5200万円の損害賠償を求めた裁判である。こちらは昨年10月26日、20年が過ぎると請求権がなくなる「除斥」という規定を適用し、訴えを退ける判決が出て、現在大阪高裁で控訴審が争われている。
最後に青木さんに今後やりたいことについてお聞きした。
「やれることは全部やりたい。自分の裁判が終わっても一生、冤罪を無くす活動をしていく。そして冤罪犠牲者の会で法律を変えていく努力をしていきたい。法律が変われば、冤罪者を助けることが出来るから。」
◎冤罪のない社会をめざして 布川事件冤罪被害者、桜井昌司さんインタビュー
〈1〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=28887
〈2〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=28894
〈3〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=28898
▼尾崎美代子(おざき・みよこ)https://twitter.com/hanamama58
「西成青い空カンパ」主宰、「集い処はな」店主。