◆再びワット・ミーチャイ・ターの門を潜る
再出家の望みを絶たれ、カメラマンとしての撮影でもなく、横浜の友達の実家があるブンカーンに行くことも含め、貧乏旅行者として、もう一度行きたかったノンカイの寺に着いた。ここからは単なる旅日記である。
門を潜ったところで、私をチラッと見た一人の比丘がそのままクティに入って行った。過去に比丘として来た者が還俗してここに立っているとは思わなかったのだろう。サーラー(講堂・葬儀場)の方では朝食が終わる頃か、読経が聞こえて来た。
先程の比丘がまたすぐ出て来たと思ったら、私を思い出してくれたようで、「オオ、還俗したのか、今着いたのか!」と笑顔で問い掛けてくれて、「もうすぐ皆が戻って来るからちょっと待っていてくれ」と言われ、やがて読経が終わると皆が戻って来た。
プラマート和尚さんも石橋正次似のスアさんも一瞬の間(ま)を置いて私に気付き、笑顔になった。私はワイ(合掌)を繰り返し挨拶するのみ。
そしてプラマート和尚さんが「二階へ上がれ!」と私を招き入れてくれた。以前、本堂で仏陀像と撮ったプラマート和尚さんの四ツ切ほどに伸ばしたパネルを渡すとじっくり見つめ喜んでくれて、「暫く泊まっていけ!」と言って頂き、“そう言って欲しかったよ”と心で呟きながら感謝。お言葉に甘えてここに泊めて貰おう。
プラマート和尚さんから2月初めにあった寺の祭りの写真を見せてくれた。信者さんが撮ったようだが上手い撮り方だ。比丘が歩く列の中に藤川さんも澄ました顔で写っていて、順調そうな旅の途中であることが伺える。
◆もう一方のトゥン寺にも立寄る
以前、ネイトさんが剃髪した腰掛け台に寝転んでいると、カメラ持ったままウトウト眠ってしまい、10分ほどで目覚めるとすぐ横には小さいネーン達が座っていた。
「還俗したの? このカメラ幾らしたの? 覗いていい?」と人懐っこく、興味津々に我も我もとカメラに群がる。落としやしないかとヒヤヒヤだ。以前、私が比丘で居た頃は懐いていなかった彼らが今、何かと話し掛けてくる。俗人となった私の方が近づき易いのだろうか。純粋な彼らは可愛いもんだった。
更にメコン河を眺めていると土手下の船着場に船が到着。ここに船が着くのは初めて見たなあ。地元住民の乗客に混じり3名の比丘が階段を上って来たと思ったら、お隣のワット・ミーチャイ・トゥンの比丘達で、トゥン和尚さんも居た。目が合って間(ま)を置いて笑顔になり、「オオ、キミか! 元気か?」と覚えていてくれたようで嬉しい。
後から追いかけ、托鉢の帰り道に歩いたワット・ミーチャイ・トゥンへの痛い路地にも向かってみた。裸足で少し歩いてみよう。「ア痛タッタタタタッ痛!」やっぱり歩けない。5歩で諦めた。ペッブリーの痛かった路地でも藤川さんが、「スパンブリーの寺なんかに行ったらこんな道ばっかりで托鉢は一列で速歩きやぞ、一人だけノロノロ歩きなんか出来へんぞ!」と言われたが、やっぱり修行の足りなさを実感する。この砂利は茨の道だ。
境内に入ると幾人かの比丘が、しゃがんで井戸端会議をしていた。私が近づいて行くと、「誰だ?こいつは!」といった警戒の顔つきからやがて思い出し、笑顔に変わった。やっぱりこの間が面白い。「覚えてる?」と聞くと皆が「覚えてるよ!」と社交辞令的だが、笑顔が本音を語っている。クティに戻っていた先程のトゥン和尚さんに、以前撮った写真を渡すとやっぱり喜んでくれた。撮られる機会が少ないのだ。和尚さんが見終わるのを待って、皆が寄って集る。比丘も一般人もムエタイボクサーも本能のままの動きは同じ。皆に喜ばれて嬉しい。
◆朝の読経と托鉢を見つめる
泊めて貰ったミーチャイ・ター側のプラマート和尚さんの部屋で、翌朝は4時前に目が覚めた。お互い様ながら、鼾が煩かったプラマート和尚さんも起きると早速、外の鐘を鳴らしに行った。「カランカランカラン・・・」と十秒ぐらい静寂な早朝の境内に響き渡る。これで比丘やネーン達の一日が始まる。
以前、藤川さんは私とネイトさんに「朝、仏陀の前に行く時は顔洗ってから行けよ!」と忠告されたことがあった。仏陀像は銅などの建造物でしかないが、生きていた時代のお釈迦様に接する気持ちで毎朝、接しなければならないだろう。それは修行の身でなくても理解できるマナーだった。
やがて4時からその本堂で読経が始まる。前回来た時と同じ状況。プラマート和尚さんが座ってマイクを持つと、濁声でいきなり始まった。
本堂の内と外を見ていると眠そうなネーン達は毎度の小走りでやって来る姿が垣間見れた。例え遅刻しようが、こんな早朝から集まる習慣が仏教徒としての心を育んでいくのだろう。私はその様子が見える出入り口付近のある後方に座っていた。プラマート和尚さんが、私が今でも壇上に座っているのではないかと思ったか、途中振り返って私を見た。
「俗人が上がんねえよ、それぐらい分かるよ!」と小さく呟く。
40分ほどの読経が終わると退散。クティに戻るとプラマート和尚さんはまた眠ってしまった。
ネイトさんがペッブリーに来た時、「プラマート和尚さんは毛糸のパンツ穿いているんですよ!」と言っていたが、それは戒律違反でも、意外と羽目を外すお茶目な生活リズムで、普通の人間らしさがある和尚さんだとも思う。サボン(下衣)を捲ってやりたかったが、そんな大人げないこと出来ないので、パンツを穿いている姿は確認できなかった。
6時になると今度は誰かが鳴らす鐘の音によって、黄衣を纏いバーツを持った比丘やネーンが門の辺りに集まりだした。
かつて私も加わった一列縦隊の托鉢。カメラを持って付き纏うが、皆の失礼にならないように遠慮が出てしまう。ミーチャイ・トゥン側からやって来る比丘の列にこちら側の比丘が加わり、ひたすら歩いて寄進を受け、帰りは雑談しながらの帰路。私も会話に加わりながら歩いていると、野良犬の中の一匹が道路を渡りきれずに車に撥ねられた。
車はブレーキを掛けたが、犬も立ち往生したところでバンパーにぶつかった後、車輪に轢かれ、そのまま車は行ってしまう。犬は立ち上がるも、苦しいのかパニックになって吠えながら車道を走り回っていると、反対車線から来たトゥクトゥクにブレーキが掛かることなくまた轢かれ、フラつきながら弱々しい吠え方となって草村へ消えて行った。
その後、生きているかは分からない。ペッブリーの寺に居た片足無い犬たちも、こうやって車に轢かれた犬なのだろう。人から見れば野良犬は下等動物扱いで皆、助ける気は無い。
残酷なシーンを見てしまったが、悪いことしても寺にタンブン(徳を積む)すればバープ(罪悪)は消えると思っているタイ人も多いから、野良犬たちの運命は今後も変らないだろう。
◆旅の寄り道
翌日、前回は行けなかったブンカーンに向かうことにした。
タイに来た資金の一部を貸してくれた友達の家族に会って、日本での元気な様子を撮った写真を見せて安心させてやろうと思う。
プラマート和尚さんには行き先を伝えておき、ター・サデット市場の少し先にあるボー・コー・ソー・バスターミナルから、長距離バスが出ていることを教えて貰い、同じメコン河沿いのブンカーンへ向かった。
更にはビエンチャンへ繋がる旅となっていく。
▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」