これまで釜ヶ崎現地で食堂を営みながら労働者を支援している尾崎美代子さんからの報告をもとにお伝えしているように、先月から釜ヶ崎の動きが目まぐるしく転回しています。どういう経緯で知り合ったか思い出せませんが、尾崎さんとはもう20年余りの付き合いになり、誰がなんと言おうが、その人間性を信じています。彼女の報告にウソはないと思います。
彼女は、食堂を営みながら、冤罪や福島支援、女医変死事件などに積極的に奔走されています。
一部の関西マスコミも報道しているように、突然の西成労働福祉センター1Fの強制閉鎖で多くの労働者が雨宿りの場所を追われ排除されています。これに対し異を唱える労働者のみなさんが抵抗し、一時は閉鎖を阻止し占拠、自主管理していました。
しかし、それも強制力で排除され、労働者のみなさんは、外にテントを張ったりして過ごされています。今はしのぎやすい季節ですからまだいいとしても、これから来る酷暑は大変です。
センターは、日本が高度成長で沸き、大阪万博があった1970年に竣工しています。階上には病院、公営住宅を持ち、しかしながら老朽化や耐震性などで問題があり建て替えは既定路線とのことです。さすがにこれだけの大きな建物をすぐに取り壊し建て替えはできませんから、これらあと2年ほどは移行期として閉鎖されずにやっていくそうです。
単純な疑問は、それなら、労働者の集まり場所になっている1階だけを突然閉鎖せず、労働者のみなさんの今後の行く末を面倒見ながら向こう2年間にわたってソフトランディング的に進めていけばよかったんじゃないんでしょうか(というのが外部の者の素朴な感想です)。
この連休も私のような中小企業経営者は、ゆっくり休めず休み明けの業務の準備に大わらわですが、1日割いて釜ヶ崎に陣中見舞いに行ってきました。
この通信でもお馴染みの「カウンター」リンチ事件被害者M君も同行してくれました。彼は東北地震の被災地にも陰ながらボランティアに駆けつけるような好青年です。
カップ麺50個、水、カンパなどをお渡しし、喜んでいただきました。東京から青年が支援に来ていました。後日また仲間を連れてくるそうです。まだこういう青年がいて頼もしい限りです。
例の「代替地」とされる場所も見ましたが、30人ほどが集まれるテントと長椅子、仮設トイレを設置しただけの簡素なものでした。もちろん雨もしのげません。
私たちは労働者の側に立ち、こういう強制力によるセンター閉鎖と労働者排除に対しては、断固抗議する労働者の方々を支援します。
尾崎さんらが労働者のみなさんと共に抗議の声を上げるのは当然で、おとなしくしているほうがおかしいです。もし足元で起きたことに黙っているのなら、「尾崎さん、どうしたの?」と疑問を投げつけるでしょう。
センター閉鎖・労働者排除を黙過した人たちもいたようですが、私としては、小異を捨てて大同につくの精神で一致して戦ってほしいと願います。
以前から釜を代表する人物のひとり稲垣始さんは、労働者の先頭に立って怒りの声を上げ抵抗されました。当然です。
釜ヶ崎には二つの組合があり、稲垣さんが委員長を務める「釜ヶ崎地域合同労働組合」(釜合労)と、「釜ヶ崎日雇労働組合」(釜日労)です。どちらも長い歴史を持ち、元は同じということです(釜日労の初代委員長が稲垣さん)。80年代はじめに分裂し、以後ずっと対立しているようです。「釜合労」が名誉毀損で「釜日労」を訴え勝訴したこともあるとされています。賠償金600万円余りで高額です。双方言い分もあるでしょうが、もうそろそろ矛を収めたらいかがでしょうか。
今回の閉鎖騒ぎでも、「釜合労」は所有するバスをセンターに入れシャッターが閉めれないようにしたり頑張っていました。
ところが「釜日労」の姿が見えません。こちらの方々のほうが多数派で戦闘的だと聞いていましたので、こういう時には奮闘しているのかと思っていました。なにか逆のようで、正直ちょっとガッカリです。あとからいろいろ講釈を垂れるのは誰でもできます。
今回の事態については『人民新聞』も報じていましたが、これに対しても長文の批判文を委員長名で出しています。地元大阪のことですし、常に弱者の側に立つ『人民新聞』が報じるのは当然で、ちょっとみずからに都合が悪いとすれば不倶戴天の敵のように見なすのはいかがなものでしょうか?
また、1日には「釜日労」関係所有のテントが何者かに破られるという事態が起きています。由々しきことで、抗議文を出すのは当然です。犯人はまだ判っていませんが、なのに、「この街の事情をまだよく知らない新参者の仕業には間違いない。また、それを煽る連中の存在が一役買っているのも事実だろう!」と、まるで「釜合労」や尾崎さんらが犯人であるかのように仄めかすのはいかがなものでしょうか。大いに疑問です。私の知人の多くも「いいね!」したりコメントしたりしていますが、逆に「お前ら、労働者と共にセンター閉鎖に抗議しろ!」と叱咤激励していただきたいと思います。
さらに、尾崎さんや飛松五男さんらが尽力されながらも未解決の「女医変死事件」についても、「釜日労」は冷淡で、これを報じた『週刊金曜日』に強く抗議したそうです。今回の『人民新聞』への抗議に似ています。人民の側に立つことを公言するならば、逆に事件の真相究明のために力を貸していただきたいと思うところです。
尾崎さんと長い付き合いがあるからといって、尾崎さんが先のテントを破ったりしたのなら諌めますし、こうしたことが繰り返されたりするならば訣別します(同行してくれたM君リンチ事件で、その日和見主義的態度を取り、四半世紀以上の付き合いがあった鈴木邦男氏と義絶したように)。また、「釜合労」「釜日労」、どちらに与するわけでもなく、労働者の利益のために頑張っているほうを応援するのは言うまでもありません。
新潟出身で東京の大学に行き、在学中に新聞会の活動を通して山谷や釜ヶ崎の問題に関心を持ち、20数年前に釜ヶ崎に居を据え食堂を開いた尾崎さんの想いは素晴らしいと思います。私が尾崎さんの立場ならできません。
女ひとりで食堂を営んでいますので、けっこう怖い場面もあるようで、刃渡り40センチぐらいののこぎりを持って食堂の前に居座られたりしたことも。こういう時には食堂のお客さんや仲間らが追い払ってくれるそうです。
尾崎さんは、時折冤罪や原発問題などで講演会を開いたりしますが、仲間らが手伝ってくれ、けっこう人数を集めます。来月には湖東病院冤罪事件被害者で先頃再審を勝ち取った西山美香さんと主任弁護人の井戸謙一弁護士(私たちが支援している滋賀医大問題の患者側の代理人でもあります)も来てくれるそうです。
一時は「一億総中流」などといわれた時代もありましたが、今はそんなことなど誰も信じません。ほんの一部の上流とほとんどの下流(嫌な言葉です)の格差が広がり、一所懸命働き年金も積み立ててきたのに年金さえもまともにもらえない(もらってもそれだけでは生活できない)社会になっています。一千万円単位の退職金をもらえるのは公務員とほんの一部の大企業ぐらいでしょう(ここでもほとんどの民間企業、特に中小企業との格差です)。
釜ヶ崎や山谷には、そうした格差や貧困問題が凝縮されていると思います。時代や社会が変わり、街が小奇麗になっていくのは、ある意味で致し方ないとしても、たった一人の労働者も弱者も切り捨てることなく都市計画を進めていただきたいと、あらためて感じました。
これからも情況は激しく転回していくと思われますが、釜への注目をお願いいたします。