その昔、若い男性の会話といえば「クルマとオンナ(恋愛)」だった。つい40~50年ほど前の話である。高度経済成長で一家に一台から、やがて誰もがクルマを持てるようになり、女性にモテるためには最新鋭のクルマに乗るのが条件だった。

◆戦後成長と日本のクルマ

日本の戦後成長はまさに、クルマとともにあったと言っても過言ではない。フォードシステムに範をとったトヨティズムなどの自動車資本主義である。労働者に一戸建ての家を持つのは無理でも、3LDKの集合住宅にマイカーを持たせることで、休日を充実させて労働力の回復をはかる。戦争が需要である軍需産業のかわりに、自動車産業を発展させることで消費を拡大し、大量生産大量消費の社会を実現してきた。自動車産業とマイカーこそが、アメリカ社会のミニマムな模倣を実現してきたのである。

自動車が戦争――軍事兵器の代用品になったのは、人間の本能的な闘争心を運転という行為が内に含んでいるからだとされる。大きなクルマに乗れば、あたかも強者になったように尊大な運転をする。高級車のハンドルを握れば、紳士然とふるまうこともあろうか。軽自動車ならばスピードをセーブすかもしれないが、最近の暴走行為は軽自動車が主流だったりする。こうした自我の変化を「自我の拡張行為」という。いわばスピードは「戦闘行為」なのだから、高速道路での「煽り運転」は特定の種類の人々だけもものではない。自動車が本来もっている特性なのだ。ハンドルを持つと人が変わる。そうした戦闘性や闘争性があるからこそ、戦争の代償たりえたのである。

◆暴走する高齢者と自動車資本主義の終焉

ところで、そのマイカー時代の元若者たちが、いまや暴走老人として社会の脅威になってしまった。池袋では元高級官僚がブレーキとアクセルを踏み間違えて(としか推論できない)暴走し、若い母子を死亡させた。元高級官僚であることから、上級国民は逮捕されないのか、などと批判されたものだ。6月4日には、81歳と76歳の夫婦が600メートルにわたって衝突をくり返し、9人が死傷した。

近年の高齢者による暴走事故を列記しておこう。
2017年5月 大分市で76歳の女の軽自動車が病院に突っ込み、17人が重軽傷を負う。
2018年1月 前橋市で85歳の男の乗用車が、登校中の女子高生2人をはねて1人が死亡。
2018年5月 茅ヶ崎市で90歳の女が歩道に突っ込み、4人が死傷。
2019年4月 池袋で87歳の元高級官僚が暴走し、母子2人が死亡。10人が負傷。
2019年6月 大阪市此花区で80歳の男が幼児をふくむ4人をはねる。
2019年6月 福岡市で81歳の男が600メートル暴走して衝突をくりかえす。乗っていた夫婦をふくめて、9人が死傷した。


◎[参考動画]池袋暴走事故 なぜ?専門家が分析(TOKYO MX 2019/4/26公開)


◎[参考動画]【報ステ】暴走当時の状況は 福岡9人死傷事故(ANNnewsCH 2019/6/5公開)

福岡の場合は運転手に意識がなかった可能性が指摘されているが、多くはブレーキとアクセルの踏み間違いである。若者でも踏み間違えることはあるものの、すぐにブレーキペダルに足先を置き直すことができるのに対して、高齢者はアクセルから離したつもりで足が離れずに、そのまま踏み込んでしまうことが多いのだという。自動車免許返納のための法的な措置も講じられようとしているが、大都市圏とくに都心における自動車通行の規制をともなわない措置は泥縄式というほかない。

わたしも50歳の年をさかいに、マイカーを手放して自転車生活に舵をきった。健康と環境問題への問題意識が契機だった。その自転車もアナーキーな乗り物であって、講習や指導抜きには奨励できない現状、つまり事故の増加傾向で危機感を持たないわけにはいかない。高速道路における「煽り運転」なども反面で、わが国における交通政策・道路交通をめぐる啓蒙活動の遅れを反映しているというよう。問題なのはどういう生活と社会を新たに展望していくか。自動車資本主義の終焉はそのことを問いかけているのではないだろうか。その意味では、自動車に乗らない世代の登場は興味ぶかい。

いま、若い男性はクルマを好まない。大都市の若年層では、女性のほうがクルマ保有率が高くなっているという。「クルマとオンナ(恋愛)」の話をしなくなった若者たちは、おそらく「二つのアイテム」の危険性を本能的に知っているのだろう。これはこれで、自民党のお歴々が悲観する少子化の原因であるのかもしれないが、平穏無事に生きてゆく人生観は悪いものではない。そこに思いをめぐらすならば、日本経済の衰退は平和の証しとも言えるのだ。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

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〈原発なき社会〉を目指して創刊5周年『NO NUKES voice』20号 6月11日発売【総力特集】福島原発訴訟 新たな闘いへ

今回もカッコいいタイトルが付いた興行。もっと活発になれば権威も増すところ。
以前からのWBCムエタイ日本実行委員会から新たに発足させたWBCムエタイ日本協会に移行して1ヶ月。若い戦士が成長してきたタイトルマッチ出場選手。他団体や海外出場が多い健太も凱旋試合。松谷桐の妹、松谷綺(16歳)がデビュー戦勝利と注目は多い。

◎NJKF 2019.2nd / 6月2日(日)後楽園ホール 17:00~21:00
主催:NJKF / 認定:NJKF、WBCムエタイ日本協会

大田拓真のヒジ打ちが新人の鼻をかすめる

◆第10試合 WBCムエタイ日本フェザー級タイトルマッチ 5回戦

不覚にもヒジ打ち喰らってしまった大田拓真

第6代チャンピオン初防衛戦.新人(=あらと/E.S.G/57.0kg)
   VS
NJKFスーパーバンタム級3位.大田拓真(新興ムエタイ/57.0kg)
勝者:太田拓真 / 判定1-2 / 主審:多賀谷敏朗
副審:神谷50-48. 宮本48-49, 少白竜48-49
太田拓真が第7代チャンピオン

新人の正攻法な攻めに対し、大田はムエタイ技のタイミング読み難い攻めと、足払いで倒す上手さは見映えがいい。3ラウンド終了時点の公開採点でやや不利な新人は、巻き返しの積極的な蹴り技が増える。

初回から新人の右ミドルキックで大田の脇腹が徐々に赤く腫れていく経過と、最終ラウンドにみせた新人のヒジ打ちはベテランの技。大田の額をカットし、やや勢いを鈍らせるも判定は1-2に分かれた。

新人の軸足を払う大田拓真

王座奪取成功した大田拓真を表彰

◆第9試合 WBCムエタイ日本フライ級王座決定戦 5回戦

松谷の右目瞼が切れ腫れあがる

1位.松谷桐(VALLELY/50.7kg)vs4位.仲山大雅(RIOT/50.5kg)
勝者:仲山大雅 / TKO 1R 1:45 / カウント中のレフェリーストップ
主審:宮本和俊
仲山大雅が第5代チャンピオン

開始からローキックからパンチの静かな展開から40秒ほど、両者接近したところへ偶然のバッティングで松谷の右目瞼が切れ、徐々に大きく腫れ上がる。

思わぬダメージを負った松谷はそのまま下がり気味になり、凌ぎきることができないまま、首相撲へ持ち込んだ仲山のヒザ蹴りを安易に貰ってしまう。

最後はボディーから顔面へヒザ蹴りを貰ってダウンすると、ダメージ大きい松谷はカウント途中でレフェリーに止められた。

首相撲に掴まり、仲山のヒザ蹴りを貰ってしまう松谷桐

◆第8試合 NJKFライト級タイトルマッチ 5回戦

野津良太vs鈴木翔也、ダウンしてから激しい展開となった鈴木の右ストレート

第10代チャンピオン.鈴木翔也(OGUNI/61.23kg)vs同級5位.野津良太(E.S.G/61.0kg)
引分け0-1 / 主審:神谷友和
副審:竹村48-48. 多賀谷48-48. 宮本47-48
鈴木翔也が初防衛

初回は静かな様子見も、鈴木が野津へのボディーへ打つ左フックがインパクトを残す。第2ラウンドに、静かな展開からいきなり野津の右ハイキックを喰らいノックダウンする鈴木。

呼吸を整えカウント8で立ち上がり、野津がチャンスを逃すまいと執念で調子を上げていく。両者は我慢比べの蹴りとパンチの攻防へ移り、鈴木は左目尻と右頬を切り、野津も鼻血を流す苦しい展開も互いに耐え切り、接戦ながら鈴木翔也が追い上げた形の判定0-1で、辛うじて引分け防衛に踏み留まった。

野津も王座へ執念の攻撃を見せた

引分けで辛うじて防衛を果たした鈴木翔也

◆第7試合 NJKFスーパーバンタム級王座決定戦 5回戦

雄一vs久保田雄太、右ストレートが交差する

1位.久保田雄太(新興ムエタイ/55.3kg)vs2位.雄一(TRASH/55.15kg)
勝者:久保田雄太 / 判定3-0 / 主審:少白竜
副審:神谷49-48. 多賀谷50-48. 宮本50-48
久保田雄太が第7代チャンピオン

前田浩喜が返上した王座を争う試合。有効なヒットが少ない展開の中、久保田の右ミドルキックが度々ヒット。雄一はその蹴り足を掴んで右ストレートを打ち込むパターンが増える。

互いのパンチの交錯や、組み合ってのヒザ蹴りや崩しの攻防は差が付き難い展開で、最終ラウンドには2度の投げに出た雄一に注意が与えられると、心理的に打つ手を阻まれたか、やや勢いが落ちた感じの雄一。

ラスト20秒は互いに懸命な打ち合いの激しさが増して終わるも、久保田がやや攻める勢いが優った印象が残る。「5ラウンドをフルに戦ってしんどかったが嬉しいです」と語った久保田雄太だったが、今後に課題を残した内容だった。

あらゆる技を酷使、バックハンドブローで攻める久保田雄太

◆第6試合 64.5kg契約3回戦

WBCムエタイ日本ウェルター級チャンピオン.健太(E.S.G/64.25kg)
   VS
ジョー・セイシカイ(タイ/64.45kg)
勝者:健太 / TKO 2R 1:06 / ほぼノーカウントのレフェリーストップ
主審:竹村光一

1年ぶりのNJKF出場となった健太は「初回から飛ばすつもりでいた」と言うとおり、不気味なジョーの出方を伺いながらも、ローキックで前進し、パンチのタイミングを見計らった展開。

ジョーはロープ際に下がり気味となるが、ジョーも蹴りのタイミングを見計らっている感じ。健太はパンチのタイミングを掴んだところで左ジャブから強烈な右ストレートでノックダウンを奪い、更に打ち合いに出て強烈な右ロングフックで倒し、レフェリーが試合を止めた。

健太のロングフックがジョー・セイシカイにヒットして倒す

新チャンピオン、大田拓真

◆第5試合 65.0kg契約3回戦

NJKFスーパーライト級9位.田邊裕哉(京都野口/64.9kg)vs洋輔YAMATO (大和/64.9kg)
勝者:洋輔YAMATO / 判定0-3 / 主審:多賀谷敏朗
副審:神谷29-30. 少白竜29-30. 竹村28-30

◆第4試合 55.0kg契約3回戦

雨宮洸太(キング/54.7kg)vs檸檬(CORE/54.5kg)
勝者:雨宮洸太 / 判定3-0 / 主審:宮本和俊
副審:多賀谷30-27. 少白竜30-27. 竹村30-27

◆第3試合 60.0kg契約3回戦 

蓮YAMATO(大和/59.75kg)vs慎也(ZERO/59.5kg)
引分け0-1 / 主審:神谷友和
副審:多賀谷28-28. 宮本28-28. 竹村28-29

◆第2試合 ウェルター級3回戦 

vic.YOSHI(OGUNI/66.55kg)vs宗方888 (キング/66.25kg)
勝者:vic.YOSHI / TKO 3R 2:21 / カウント中のレフェリーストップ
主審:少白竜

◆第1試合 NJKF女子(ミネルヴァ)ピン級(45.359kg)3回戦(2分制)

松谷綺(VALLELY/44.75kg)vs七瀬千鶴(138KICKBOXING/45.1kg)
勝者:松谷綺 / 判定3-0 / 主審;竹村光一
副審:少白竜30-28. 宮本30-28. 神谷30-28

新チャンピオン、仲山大雅

《取材戦記》

バッティングの怖さ。それが目に当たれば視界や距離感を失うほどダメージは大きい。頭は硬く重く、この頭を素手で殴れば拳を痛めるのは当然で、グローブが着用されるのがボクシング。頭同士が当たればその骨の出っ張った部分の薄い皮膚が切れるのも当然で、顔の皮膚は部分にもよるが、他の身体の部分より10分の1ほどの薄さだという(皮膚科のお医者さんが言っていた話)。切れやすく腫れやすいのが顔面で、減量から徐々に回復する身体は、水分を摂ると翌日には傷もより浮腫むようです。女子選手はより大変でしょう。

松谷は右目を打ったダメージで戦略が狂ったのかもしれない。いつもはこんな劣勢には至らないと思うが、正攻法に戦う真面目さと17歳という若さではキックボクサーとしての経験値よりも、人生のずるさの経験値が足りなかったか。これが健太ほどの90戦近いベテラン選手だったら、無理に攻めずにこの場を凌ぐ時間稼ぎに出たでしょう。

試合は何が起こるか分からない恐ろしさがあります。昔読んだある記事ですが、「体調万全で試合に臨み、試合開始のゴングが鳴る直前に、コーナーで気合入れて思いっきり足の屈伸したら足首が“ブチッ”といった切れた音がした」という世界戦のリングでそんなことが起きた過去の日本人プロボクサー世界チャンピオンがいました。

“あっ、ヤバッ”と思っても、初回のゴングが鳴り、そのまま戦うしかなかったそうで、何とか15ラウンド判定勝ちで防衛したそうですが、試合後、シューズを脱ぐと足は腫れてパンパン。こんなハプニングは長い歴史の中、他の格闘技にもあるのではと思いますが、そんな世にも怖い魔物が住んでいる話を聞いてみたいものです。

今年の新役員に囲まれてチャンピオンベルトを巻いた久保田雄太

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

創業50周年!タブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』7月号

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上條英男『BOSS 一匹狼マネージャー50年の闘い』。「伝説のマネージャー」だけが知る日本の「音楽」と「芸能界」!

プロのリングに立てなかった男達。プロのリングに未練を残すボクサー達。そんな狙いからプロライセンス定年を超えた者が戦う「オヤジファイト」が誕生し、ウェイト、年齢、経験値別にクラス分けされて試合が組まれ、やがてはキック版で「ナイスミドル」が誕生。更に関西で発祥したのが「オヤジ・オナゴキック大会」、その関東での初開催が5月26日に大森ゴールドジムにて行なわれました。

一番問題視されがちなのは安全面ですが、審判団は日本キックボクシング連盟、NKB実行委員会より派遣されたプロレフェリーが務め、ヘッドギアーの義務付け、1ラウンドは1分30秒の2ラウンド制、早めのストップ裁定は妥当な判断がされていた様子です。

35歳から出場可能で、これからプロとなってトップを目指すといった参加者達ではないから高度な技術戦よりは青春の想い出、人生の悔いを残さない為の出場が多いでしょう。

勝利者にはリングアナウンサーによるインタビューが行なわれ、出場に至った経緯や、練習に付き合ってくれたジム仲間に感謝を述べる選手が多いようでした。
「息子や嫁に健康管理や鍛錬の為に勧めておいて自分だけ仕事が忙しいとか言って何もしない訳にいかなかった」というオヤジファイター。

「35歳過ぎても未経験から始められます。決して遅くはありません、頑張りましょう」と勧めるオヤジファイター。「明日から仕事頑張ります」といった人間模様が現れたコメントが続きました。

実行委員長のガルーダ・テツさんは「熱い試合ばかりでリング下から興奮して見ておりました。始めて間もない人、20戦以上されている人、いろいろいらっしゃいましたけども、リングの中では皆さんが熱い試合をしてくれたので、こっち(関東)でやって良かったなとしみじみ思いました」という感想を述べられました。

「ザ・おやじファイト」が2006年11月に開始され、「ナイスミドル」が2008年9月から始まりました。ずいぶん時間が経ったものです。オヤジ・オナゴキック大会は2015年11月に大阪で始まったイベントです。

ガルーダ・テツ実行委員長

◎第1回関東オヤジ・オナゴキック大会
5月26日(日)大森ゴールドジム13:00~16:30
主催:オヤジ・オナゴキック実行委員会

MVP賞 辻健太郎(ケーアクティブ)
理事長賞 みにまむ(プラスα)
激闘賞 高木昭彦(Kix)
特別賞 木村祐英(トイカツ道場池袋)
特別賞 寒河江卓也(トイカツ道場)

◆全試合2回戦(90秒制/2試合出場選手含む)※試合順

《1》オナゴ・ミニマム級(50kg以下)
みにまむ(プラスα)vsしょうこ(ウェストスポーツ)
勝者:みにまむ / 判定3-0

みにまむ

理事長賞 みにまむ

《2》オナゴ・フライ級(55kg以下)
O.D MEGUMI(TEAM GYAKUSAN)vs藤咲成美(K CRONY)
勝者:藤咲成美 / 判定0-3

《3》オナゴ・57.0kg契約
芝田弥咲(ケーアクティブ)vsバルボラ・アイラ(レンジャー)
勝者:バルボラ・アイラ / TKO 2R 0:50 レフェリーストップ

《4》オヤジ・フェザー級(57kg以下)
Little cozy(DANGER/44歳)vsトカレフ純血(岡田道場/47歳)
勝者:トカレフ純血 / 判定0-2

《5》オヤジ・スーパーフェザー級(61kg以下)
河合利彦(ケーアクティブ/37歳)vs岩崎涼(AKSドミネーター/43歳)
勝者:河合利彦 / 判定3-0

《6》オヤジ・スーパーフェザー級(61kg以下)
吉田工事21時25分(テツ・関西/45歳)vs武藤慎治(Beauty Kick X/45歳)
勝者:武藤慎治 / 判定0-2

MVP賞 辻健太郎

《7》オヤジ・スーパーフェザー級(61kg以下)
佐々木司(姉崎/51歳)vs武藤健一(Team COMRADE/51歳)
勝者:武藤健一 / 引分け延長判定0-3

《8》オヤジ・スーパーフェザー級(61kg以下)
熊田真幸(プラスα/51歳)vs鈴木秀明(K-1GYM WOLF/50歳)
勝者:鈴木秀明 / 判定0-3

《9》オヤジ・ライト級(65kg以下)
辻健太郎(ケーアクイティブ/35歳)vs汗技ファンタジスタ近藤(TEAM GYAKUSAN/36歳)
勝者:辻健太郎 / 判定3-0

辻健太郎

《10》オナゴ・ミニマム級(50kg以下)
みにまむ(プラスα)vs丸山まゆ子(龍拳会青葉台支部)
勝者:みにまむ / TKO 2R 0:25 レフェリーストップ

《11》オヤジ・スーパーフェザー級
戦う給食のおじさん(アウルスポーツ/39歳)vs寒河江卓也(トイカツ道場/39歳)
勝者:寒河江卓也 / 判定0-2

寒河江卓也

特別賞 寒河江卓也

《12》オヤジ・フェザー級(57kg以下)
ケンサキイカ土井(テツ・関西/50歳)vsトカレフ純血(岡田道場/47歳)
勝者:ケンサキイカ土井 / 判定2-0

《13》オヤジ・ライト級(65kg以下)
レイチャ親方(SHINKOH MUAYTHAI /48歳)vsリュウジ(BOSS/48歳)
勝者:リュウジ / 判定0-2

《14》オヤジ・スーパーウェルター級(69kg以下)
木村豪将(アウルスポーツ/40歳)vs骨の修理屋 ドクターとっしー(龍拳会青葉台支部/49歳)
勝者:ドクターとっしー / 引分け延長判定0-3

《15》オヤジ・スーパーウェルター級(69kg以下)
Safety First Takashi(SFT/DANGER/45歳)vsトライ勇己(岡田道場/43歳)
勝者:トライ勇己 / TKO 2R 0:47 レフェリーストップ

《16》オヤジ・スーパーウェルター級(69kg以下)
神山聖(トイカツ道場/36歳)vsザ・アマレスラー(龍拳会青葉台支部/48歳)
勝者:神山聖 / 判定2-0

《17》オヤジ・スーパーウェルター級(69kg以下)
山崎裕弘(ケーアクティブ/51歳)vs村竹昭彦(広島竹中道場/52歳)
勝者:山崎裕弘 / 判定2-0

特別賞 木村祐英

《18》オヤジ・ライト級(65kg以下)
辻健太郎(ケーアクティブ/35歳)vsカレーパンマン岡本(TEAM GYAKUSAN/40歳)
勝者:辻健太郎 / TKO 2R 0:10 レフェリーストップ

《19》オヤジ・ミドル級(73kg以下)
レッド(テツ・関西/36歳)vs勇者くにかた(アウルスポーツ/45歳)
勝者:レッド / 判定2-1

《20》オヤジ・ヘビー級(80kg超)
AF安原(DANGER/50歳)vsぷーちゃん(レンジャー/47歳)
勝者:ぷーちゃん / TKO 1R 1:15 レフェリーストップ

《21》オヤジ・ヘビー級(80kg超)
木村祐英(トイカツ道場ファイトフィット池袋/45歳)vs菅原裕之(レンジャー/49歳)
勝者:木村祐英 / TKO 1R 0:30 レフェリーストップ

木村祐英

《22》最終試合 オヤジ・ヘビー級(80kg超)
高木昭彦(Kix/50歳)vs押久保修二(総合格闘技GYM ENJOY/39歳)
勝者:高木昭彦 / 判定3-0

高木昭彦

激闘賞 高木昭彦

《取材戦記》

運営関係者の顔触れがキック興行で見かける人達ながら、当然通常のプロ興行とは趣が違ったイベントでした。かつてのプロボクシングは年齢17歳から37歳までがライセンス取得枠(改革毎に制限、条件付で延長あり)で、30歳過ぎての現役は稀でした。現在でも20代が中心でも30歳過ぎても衰え知らずの現役選手が増えたものです。キックボクシングでは基準が緩いせいもあってか、40歳超えも増えており、幼い頃から始められるアマチュアキック・ムエタイから年齢を重ねてから始めるアマチュア枠のオヤジファイト、オヤジキック、戦いは60歳代年齢層まで広がった時代となりました。

プロから比べれば、それほど厚い壁ではない出場資格を獲得すれば、一般女性でもサラリーマンでも出場可能。打撃競技における安全面だけ危惧され続ける競技ですが、挑戦してみるのもこの理不尽な無差別殺人などの犯罪に巻き込まれかねない世の中、身を守る術を学び人生を充実させる良い経験となるかもしれません。
「私でも出場できますか?」とガルーダ・テツさんに聞くと「できますよ、ぜひやりましょう!」と笑顔で勧められる怖い誘い。

タイで三日坊主の“再出家話”ではないが、やれる可能性を尋ねてみたまでで、昔なら考えられない雲の上の世界でした。私にはとてもこんなキツい鍛錬には耐えられませんが、「若い頃からやっていてば俺でもオヤジキックには出られたかもしれない」と思います。

「遅くはない」という誘いに心揺れ動く人は挑戦してみてはいかがでしょう。

全員集合

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

創業50周年!タブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』7月号

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

上條英男『BOSS 一匹狼マネージャー50年の闘い』。「伝説のマネージャー」だけが知る日本の「音楽」と「芸能界」!

今日は急激な技術発展があり、情報分野から生物学、工学に至るまで高度なテクノロジーが日々開発されている。発展のスピードは指数関数的であり、かつてSF映画で見たような技術が実用段階にあるというケースも少なくない。

◆テクノロジーを理解しようとする努力

だが、人間はそれらをうまく使いこなせているだろうか? ゲーム中毒やスマホ首などの症状、また手書きの時に文字を思い出せなかったり、GoogleMapに頼らなければ目的の場所にたどり着けなかったり……。人間が技術に操られていると思うような場面も少なくない。

しかし、人間は技術を適切に使いこなすべきであり、技術に操られるようなことがあってはならない。そのためにも人間が自らの能力を高めておく必要があるのである。

私たちの身の回りにあるスマートフォン、自動車、PC、エアコンといった高度な技術製品はその道の専門家でなければ分からない、ブラックボックスである。普通の人にはその内部構造や生産工程は全く理解できない。

しかし、可能な限り技術や製品について理解しておいた方がいい。文献やヒアリングで情報を得る、実物の中身に見てみるといった行為は理解する上で非常に重要である。また、移動する際も自動車や電車で移動するのではなく、自転車や徒歩で移動する機会を増やしたりすることで「体で考える」経験を増やす。アナログ的要素は古臭いと思われるかもしれないが、実はテクノロジーをコントロールする上で非常に重要なのである。

高度なテクノロジーを利用すること自体は悪いことではないが、それに過度に頼りすぎることはやがて自分の能力を低下させ、今度はテクノロジーに自分が操られるようになるのである。便利だからと楽だからとテクノロジーに依存しすぎるのは間違いである。

◆高度なテクノロジーも結局は道具である

技術自体に善悪はなく、善悪は常に人間の側にある。となれば、いかに高度で優れた技術があったとしても使い方を誤れば、悪い結果を引き起こす。いくら立派な包丁であっても、それで人を刺殺すればただの凶器になりさがる。一方、簡易な包丁であってもうまく料理を作れば人を喜ばせられるのである。

いい事例が中国だろう。近年、中国のICT技術は急速に発展しており自動運転技術、ドローン、キャッシュレス決済などで世界をリードするようになり、プログラミング雑誌を読んでいても時折中国を「IT先進国」と呼ぶ記述も目にすることが増えてきた。経済特区の深?は「中国のシリコンバレー」と呼ばれるほど高度なIT都市である。

 

監視カメラから見た街の様子。AIが個人や車を認識している緑の枠が出ている。参照『China: the world's biggest camera surveillance network - BBC News』

しかしその一方で小説「ビッグブラザー」をしのぐような、IT技術を駆使した徹底的なファシズム体制が完成しており、もはや国民が中国共産党を批判することはほぼ不可能になっている。反政府活動家がメールやSNSで連絡を取り合ってもすぐに削除されてしまうか、公安によって逮捕されてしまう。「金盾」というインターネット検閲システムで政府に都合が悪い単語は検索ができず、facebookやtwitterといった海外のSNSも利用できない。

極めつけは「天網(スカイネットと呼ばれることもある)」と呼ばれる監視ネットワークシステムであろう。これは全国に張り巡らした監視カメラとAIを連動させることで全国民を1人1人監視するという恐ろしいシステムである。

※参照『China: “the world’s biggest camera surveillance network” – BBC News』

「天網」について貿易の仕事で中国を行き来する知人の話によると、上海や北京のような大都市はもちろん、カシュガル(新疆ウイグル自治区)のような田舎町にも数十メートルおきに街角に監視カメラが設置されているという。さらにはモスクや教会の内部にも監視カメラが設置されているようである。「高性能」なAIによって対象人物の80か所以上の特徴を瞬時に判断し、特定できるという。近年はこのような監視システムがケニアなどの途上国にも輸出され始めており、それは中国流のサイバーファシズムが世界に拡散しているということに等しい。

◆いかにテクノロジーが発展しようと、それを使う人間はしっかりしなければならない

技術の使い方を間違えるとどのようなことになるのかと言うことについて、中国の監視システムはいい反面教師になるだろう。

つまるところ技術によって善い行いができるかどうかは、人間次第だということである。テクノロジーが高度になればなるほど、それを使う人間もみずからを向上させなければならないだろう。そのためにも人間がしっかりしなければならない。技術に対する倫理や理念の学習、運動能力や思考能力といった人間本来の能力の向上といったことは極めて重要である。高度な技術によって人間が怠けたり、またその使い方を誤るといったようなことがあってはならない。

▼Java-1QQ2
京都府出身。食品工場勤務の後、関西のIT企業に勤務。IoTやAI、ビッグデータなどのICT技術、カリフ制をめぐるイスラーム諸国の動向、大量絶滅や気候変動などの環境問題、在日外国人をめぐる情勢などに関心あり。※私にご意見やご感想がありましたら、rasta928@yahoo.ne.jpまでメールをお送りください。

本日発売!月刊『紙の爆弾』7月号! 大義なし、争点なしの“解散風”「衆参ダブル選」の真相

山田悦子、弓削達ほか編著『唯言(ゆいごん)戦後七十年を越えて』

どんな大事件も年月の経過と共に人々の記憶から風化する。それを私が強く感じたのが、昭和の有名冤罪の1つ、因島毒まんじゅう事件を取材した時だ。高度成長期、瀬戸内海の風光明媚な島で起きた毒殺事件として大きな注目を集めた事件だったのだが・・・。

「そういえば昔、この島でそんな事件があったねえ。でも、私はあの頃、小さかったけえ、詳しいことは知らんのんよ。もっと年増の人に聞いてみたほうがええかもね」

2015年3月、事件の舞台である因島(広島県)で、私は島の年配女性にそう言われた。「失礼ですが、おいくつですか?」と尋ねると、その女性は「65よ」と笑ったのだった。

有名冤罪の舞台になった因島。普段は風光明媚な島だ

◆家族5人の毒殺を自供しながら裁判で無罪に

因島で暮らす山本(仮名)という家族の家で5人の親族が「不審死」した疑惑が浮上したのは1961年1月のこと。捜査の結果、この家の次男・山本祥雄(当時31、仮名)がまんじゅうに毒を仕込み、家族を毒殺した容疑で広島県警に検挙された。そして幸男は取り調べに対し、5人全員を毒まんじゅうで殺害したと自供した。

もっとも、起訴に至ったのは結局、4歳の姪に対する殺人容疑だけ。さらに祥雄は裁判で、「自供したのは警察に拷問を受けたため」と無実を主張した。結果、祥雄は一審で懲役15年の判決を受けたが、1974年に二審の広島高裁で逆転無罪を宣告された。

私は裁判の記録を確認したが、たしかに物証は乏しく、そもそも本当に毒殺事件が存在したのかも疑わしいように思えた。肝心の祥雄の自白内容も曖昧だったから、無罪は妥当な結果だった。

だが、現地を訪ねてみると、冒頭の女性をはじめ、年配の島民も事件自体をほとんど知らないのだ。凶器のまんじゅうの購入先とされる店の経営者も「当時はうちも報道被害を受けたんで」と言葉少なに事件を語っただけだった。

犯行に使われたとされる「まんじゅう」と同じ商品は今も売られている(写真は一部修正しました)

◆日本中どこでも「毒まんじゅうの島」と言われた

そんな中、「そういう事件、あったねえ」と唯一、具体的な話を聞かせてくれたのが、さびれた日用品店の店先で話し込んでいた2人の老女だった。

「あの事件があった頃は日本中どこに行っても、因島から来たと言うと、『ああ、毒まんじゅうの島ね』と言われたんよ(笑)」(老女A)

懐かしそうに語る2人の老女はいずれも90歳。小学校からの同級生なのだという。

「山本さんの家は、今はうまくいっとんじゃないかね。働き者のムコさんをもろうてね。祥雄さんはもう亡くなったと思うけど、奥さんはまだ生きとったと思うよ」(老女B)

このように祥雄ら山本家の内部事情にも詳しい老女たち。だが、祥雄が裁判で無罪判決を受けたことについては、「さあ、どうだったんかねえ」とまるで知らない様子だった。

◆地元の人たちの記憶からも事件は風化

もしかして、祥雄は今も島では、「身内殺し」の汚名を着せられたままなのだろうか。

「どうなんじゃろうねえ。山本さんらはムコさんをもらう時に事件の話もしたんかねえ。そういう話を聞いたような気もするけど、私らくらいの年齢になると、聞いたことはそのまま忘れるんよ」(老女A)

地元でも忘れ去られた冤罪事件。事件が起きた当時、元号は昭和だったが、その次の平成も終わり、時代は令和へと移る。山本家の人々にとって、不幸な冤罪が過去のものになっていることを願う。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。新刊『平成監獄面会記 重大殺人犯7人と1人のリアル』(笠倉出版社)が発売中。

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「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

 

自民党の丸川珠代議員HPより

思わせぶりに「風」を口にすることで、安倍総理は解散風をみずから仕掛けた。この発言は、二階幹事長の「解散の大義名分は一日あればできる」という会見を受けてのものにほかならない。みずから「風」を起こすことで、衆参同時選挙への流れをつくりだしたのだ。

このさき、世論動向のデータが自民有利と出たところで、おそらく秋の消費税引き上げの可否をかかげて解散に踏み切るものと思われる。

 

公明党の山口那津男議員HPより

世論動向のデータは、毎日新聞各社・テレビ各社・通信社が独自に行なっているもので、官邸も毎日この動向を分析している。その動向のキーになるのが、目下準備が進められている参院東京選挙区だとされている。

◆有力候補10人以上が6議席を争そう

その参院東京選挙区は定数が1増の6となり、歴史的な激戦となりそうだ。自民党が丸川珠代(前回トップ当選)と武見敬三(前回最下位)。

公明党が山口那津男(党代表)、共産党が吉良佳子(前回3位)、立憲民主は元都議の塩村文夏(あやか)と新聞記者出身の男性候補の2人、自由党を離党して「れいわ新選組」を結党した山本太郎

 

日本共産党の吉良佳子議員HPより

さらには国民民主が水野素子(もとこ)(JAXA調査国際部参与で、元ミスユニバース関東代表)、社民党が全国一般三多摩労働組合書記長の朝倉玲子、そして元都議の音喜多駿が維新の会から出馬するとみられている。ほかにも元衆議院議員の小林興紀(自民→民主→新党日本など)が出馬を表明しており、6議席をめぐって10人以上の有力候補が争うことになりそうだ。そうそう、中核派の元全学連委員長、斎藤郁真(いくま)も出馬するのだ。

 

立憲民主党の塩村文夏(あやか)候補HPより(写真)

 

国民民主党の水野素子(もとこ)候補HPより

 

中核派の元全学連委員長、斎藤郁真(いくま)氏(2017年衆院選時の写真)

このうち、とくに「宇宙かあさん(1男1女の母)」との異名をもつ水野素子は、国民民主が満を持して送り出す候補である。宇宙飛行士の山崎直子らと設立した「宙女ボード」での活動は、宇宙航空産業の男女共同参画を進めてきたもので、国民民主の党風を変える人選といえそうだ。22日の記者会見には175センチの長身を青いスーツでつつみ、JAXAを休職しての出馬となったことを明らかにした。

さて、そこで問題なのは反原発運動の旗手にして、庶民の代表である山本太郎が議席を維持できるかどうか、である。

◆「消費税を5%に」山本太郎の庶民救済型MMTの衝撃度

周知のとおり、小沢一郎とともに自由党代表だった山本太郎は、国民民主との統一会派形成にさいして、新たに独自の党派をつくった。れいわ新鮮組である。原発に対する態度のちがいのほか、消費税をめぐる立場の違いが自由党と国民民主の合同から、山本太郎を遠ざけたのがこの間の動きである。そこにはひとつの戦略的な方向性がある。大きな野党の塊がいまひとつ、上記に見たとおり東京選挙区においては票の食い合いにしかなっていないこと。もう一つは消費税をめぐる動向であろう。安倍総理の「解散風」が秋の消費税導入をめぐる、国民的な合意を取り付けようとするものであるのは明白だ。そこで、消費減税こそが国民運動たりうると、山本太郎は見きったのではないか。

 

「れいわ新選組」を結党した山本太郎議員HPより

現在の山本太郎のスローガンは「消費税を5%に」である。そしてもうひとつ、MMT(Modern Monetary Theory)を経済弱者向けには是とする経済政策論である。MMTは自民党の若手議員にも多い、リフレーション派の製剤政策である。デフレ下ではインフレ政策で経済を回してゆく。異次元の金融政策、インフレターゲット、大規模な財政出動、これらはアベノミックスの核心部分でありながら、MMTが持っている利点が生かし切れていない。というのが山本太郎の経済政策論である。

その違いはリフレと財政出動を、低所得者とくにロストゼネレーション、および学生層に向けるか否か、である。とくに500万人ともいわれる元学生・現役学生の奨学金負債の支援、そして最低賃金1500円制である。時給1000円で年収200万以下、1500円なら300万円前後と、可処分所得の違いは明瞭だ。

ロスジェネと学生の貧困を支援することで、消費の回復をはかる。ある意味ではわかりきっているが、それをなかなか実行できない。現状はインフレ傾向(消費者物価)で、しかし消費は好転しない。給与が上がらないのだから、あまりにも当たり前である。したがって庶民救済のMMTは、アベノミクスの「なまぬるさ」に対する批判となる。反原発だけではなく、一国の経済政策のネックを了解したとき、山本太郎流のMMTは日本経済の救世主となるのかもしれない。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

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6月11日発売開始!〈原発なき社会〉を目指す雑誌『NO NUKES voice』20号

5月28日付け「デジタル鹿砦社通信」に対して前田朗教授より再び「返信」が公開の教授のブログ(https://maeda-akira.blogspot.com/2019/06/blog-post.html)でありました。

出張先で資料なども手元にない中での執筆のようで、あらためての意見表明を望みますが、とりあえず私からの再反論と再質問を行っておきます。ぜひお答えいただきたく望みます。

◆      ◆       ◆        ◆

前田 朗 先生

拝復 さっそくの再「返信」、ありがとうございます。

 

「しかと見よ!」リンチ直後の被害者大学院生M君

思えば、この「カウンター大学院生リンチ事件」について、リンチの現場にいた当事者(加害者)ら5人や周辺の人たちから、これまでこうした真正面からの意見なり反論などありませんでした。「デマ本」とか「鹿砦社はクソ」「クソ鹿砦社」などばかりで真正面からの意見や議論、反論などありませんでした。

わずかに第5弾書籍『真実と暴力の隠蔽』にて木下ちがや(こたつぬこ)氏が座談会で正論を述べられていますが、のちに謝罪、撤回されています。木下氏が発言を撤回されるに至ったのには、先生にもあったような激しいバッシングがあったものと推察しております。

さて、まずは『救援』での2度の論評を撤回されないという先生の固いご意志、確認させていただき、正直嬉しく思います。これをしかと踏まえた上で、以下、再度私見を申し述べ、あらためて質問を行わせていただきたく思います。

【1】

まず、先生のおっしゃる「リンチ」の定義に従っても(実際の加害者で刑事・民事共に賠償を下されたのは2人なので)この事件がリンチであることは明らかになりましたが、再「返信」でも前提となる事実認識から誤認されています。そのことは非常に重要な点です。

さらに、先生の「リンチ」の定義自体が間違っています。リンチとは「私刑」です。手を下した人間の数に関係なく特定の人間に対する暴力的制裁(私刑)です。「カウンター」界隈の方々は「リンチ」という言葉に殊更神経質のようですが、実際に集団で1人の大学院生M君を呼び出して暴力を振るっていることは紛れもない事実で、これを許されるとお考えでしょうか?

【2】

この事件直後、少なくない人たちが動いています。東京在住で言えば、事件直後の2014年12月20日に中沢けい氏が大阪に駆けつけ、事件のもみ消しを図っています。

また、5月27日付け「デジタル鹿砦社通信」 で挙げられているように、事件直後の2014年12月22日、師岡康子弁護士が金展克氏に宛て、被害者M君に刑事告訴を思いとどまるように説得してほしいとのメールを送っています。

このことについての私たちの意見は同日の「通信」に縷々述べていますので、ここでは繰り返しませんが、とても「人権」を語る弁護士とは思えない、いわゆる「師岡メール」について先生はどう思われますでしょうか? 

このメールをどう思うかで、その人の人権についてのスタンスや人格・人間性が判ります。人権に対する、師岡弁護士の本音が露呈されたメールであると私は感じますが、先生のご意見をぜひともお聞きかせください。

【3】

私(たち)は、このリンチ事件を、事件発生から1年以上過ぎてから知りました。先生もご存知なかったように、事件の隠蔽、もみ消しは成功したかに見えたでしょう。

被害者は、一部の人たちが彼を支えたことを除いて、かつての仲間はじめ多くの人たちから村八分(いわゆる「エル金は友達」活動はその最たるものでしょう。M君本人も、これは精神的にきつかったと言っています)にされ、正当な補償もなされていません。

村八分という行為が差別だということは先生もご存知でしょうが、加害者や周辺の人たちが、こうした〈隠蔽〉を行っていた事実、また被害者M君が正当な補償もなされていないことについて、先生はどうお考えでしょうか?

付和雷同した暴言の数々

 

木下ちがや(こたつぬこ)氏への恫喝ツイート(2018年5月30日)

【4】

私はなにも「自説に固執」しているわけではありません。幾度となく公言していますように、加害者らが真摯に謝罪するのであれば、和解に向けて汗を流すことに努めます。

しかし、李信恵氏ら3人は、いったん出した「謝罪文」を破棄し開き直っています。前田先生にご提案いたしますが、李信恵氏や上瀧浩子弁護士らを説得し、あらためて被害者に謝罪し和解をしてはどうかと、お勧めになりませんか? そうすれば問題は一気に解決すると思われませんか?

【5】

先生がつらつらとご自身の活動について記載されていることほど立派なものではありませんが、この際、私自身の経験を少し申し述べておきましょう。

 

木下ちがや(こたつぬこ)氏が表明した「謝罪」ツイート(2018年5月31日)

私が大学生の頃(大学は異なりますが有田芳生参議院議員と同期です)、ノンセクトの学生運動に関わっていたことは隠しません(このことからいまだに「極左」呼ばわりする李信恵氏の代理人弁護士がいますが)。

当時(1970年代前半)、ミーティングの際に新入生の後輩が自らが在日であることをカミングアウトし、ショックを与えました。以来私たちの運動に「差別・排外主義との闘い」のスローガンが入り、彼を防衛しようということも私たちの黙約になりました。

また、部落問題では、私の先輩が、教員として赴任した高校で起きた、いわゆる「八鹿高校事件」に巻き込まれ、この頃から部落解放同盟の、いわゆる「糾弾闘争」が激しくなっていきました。

これについては、長らく思い悩んでいましたが、師岡佑行氏(京都部落研究所所長。故人)や土方鉄氏(作家。『解放新聞』編集長。故人)らから糾弾闘争の誤りを教えられ、ようやく納得できました。

私は現在、直接に「反差別」運動には関わっていませんが、自身の経験からも、私なりに差別や人権について考えているつもりで、何がいいか悪いかの判断ぐらいはできます。

さらに申し上げれば、取材班の中には「のりこえねっと」発足時、辛淑玉氏に協力を申し出た者(田所敏夫)もおります(この事件についても取材の電話を入れましたが、うまく逃げられています)。

言葉の本来の意味において差別に対する運動にとって、李信恵氏らが関わったリンチ事件(リンチという言葉が嫌なら集団暴行事件と言ってもいいでしょう)は絶対に許されないものです。そう思われませんか? 

裁判の結果がどうかは関係ありません。裁判所がどう判断しようとも、人道上悪いものは悪いんです。このリンチ事件を主体的に反省し止揚しないのなら、将来的に運動に禍根を残すと断言いたしますし、「糾弾闘争」同様、人々を反差別運動から遠ざけるのではないでしょうか?

【6】

このリンチ事件の解決に混乱を与えているのに、李信恵氏らが被害者M君に出した「謝罪文」を撤回したことがあります。少なくとも今、まずはこの「謝罪文」に立ち返るべきではないか、と私は考えますが、先生はいかがでしょうか?

李信恵さんの裁判を支援する会「李信恵さんの活動再開について」(2015年4月8日)

 

【関係各位へ】2016年9月10日付辛淑玉氏facebook(一部)

【7】

さらに、このリンチ事件について、先生と「のりこえねっと」共同代表である辛淑玉氏も当初「Mさんリンチに関わった友人たちへ」という文書を出し「これはリンチです。まごうことなき犯罪です」と喝破しましたが、のちにこれを否定し、逆にM君が「裁判所の和解勧告を拒否している」(裁判所の和解勧告など今に至るもありません)などまったく事実と違うことを発信しました。

さらには、木下ちがや(こたつぬこ)氏も座談会での自らの発言を撤回しています。なぜにこうもみなさん、自分の意見をいとも簡単に変えるのでしょうか? 木下氏の発言など正論で、こうした人がこの問題を解決すると期待しましたが、残念です。こうしたみなさんの「豹変」についてどう思われますか?

【8】

「糾弾闘争」は、社会的批判や、解放同盟内における師岡佑行氏や土方鉄氏らのような良心派の内的批判により、今はなくなりました。このリンチ事件についても、先生の『救援』における論評のような心ある批判がもっと出なければ、再び同様の事件を繰り返すと思います。そう思われませんか? 

【9】

大出版社のカネとヒトをふんだんに使った取材には到底及びませんが、私たちがこのリンチ事件について、私たちなりに、これまでになく資金を投じ徹底して取材し、本にまとめて出版するや、まともな反論本が出るわけでもなく、単に「デマ本」だとか、「リンチはなかった」、「リンチではない」などと評されました。

しかし、証拠を積み上げた出版物に対する、無根拠な罵倒は、私に言わせれば、「南京大虐殺はなかった」と言うようなものです。

マスコミもこのリンチ事件を総じてタブーにしています。李信恵氏らには、例えば朝日新聞が社説に採り上げるなど積極的に報じながら、一方で李信恵氏らがM君を深夜に呼び出し、「日本酒にして一升」(李信恵氏の供述)ほどの酒を飲み酩酊状態で及んだ、このリンチ事件については徹底して無視です。先生は不公平とは思われませんか? 「反ヘイト裁判に勝った」と表面ばかり報じて、影の部分を報じないのは、人々の判断を誤らせるのではないでしょうか?

【10】

先生は『救援』の論評で、李信恵氏の人格について、

「反差別・反ヘイトの闘いと本件においてC(引用者注:李信恵氏)を擁護することはできない」

「長時間に及ぶ一方的な暴力の現場に居ながら、暴力を止めることも立ち去ることもせず、それどころか『顔面は、赤く腫れ上がり、出血していた』原告(引用者注:M君のこと)に対して『まあ、殺されるなら入ったらいいんちゃう』と恫喝したのがCである。唾棄すべき低劣さは反差別の倫理を損なうものである」

と厳しく批判されています。

ところが、このたびのブログでは、

「李信恵さんは、在特会や保守速報による異様なヘイト攻撃に立ち向かい、戦い続けました。在日朝鮮人というマイノリティが猛烈な差別を受け、同時に女性差別を受けながら、ついには裁判所に『複合差別』を認定させました。このことの積極的意義を私たちは認め、李信恵さんの闘いに敬意を表すべきではないでしょうか」

と、まったく人物評価が異なっています。

「唾棄すべき低劣さは反差別の倫理を損なうものである」とまで激しい表現を用いられていた人物評が、どうしてこのように「豹変」したのでしょうか? 李信恵氏についての今現在の先生の人物評価をご教示ください(繰り返しますが、この質問も「私怨」などとは無関係です)。

差別と闘い人権を守るということは人間の崇高な営為です。そして、その運動はリーダーや中心的なメンバーの人間性や人格が反映されます。畢竟、社会運動とはそういうものだと私自身の経験からも申し述べることができます。「唾棄すべき低劣」な人間がリーダーである運動は、早晩メッキが剥げ社会的に「唾棄」すべき存在となりかねまません。そう思われませんか?

李信恵氏の暴言の数々

【11】

趙博氏の裏切りについてはリンチ本で2度記述していますし、この箇所をコピーしてお送りしてもいますので読まれていることと察します。彼は戸田ひさよし氏と6月7日の講演会を主催するということですので、彼については、その際に直接本人にお尋ねになって、その後にお答えを頂いてもいいかと思いますが、趙博氏の裏切りは、私も「まさか」と思いましたし、リンチ被害者M君も、私以上にショックを受けておりました。

大学院生リンチ加害者と隠蔽に加担する懲りない面々(『カウンターと暴力の病理』グラビアより)

【12】

同じく6月7日の講演会の主催者の戸田ひさよし氏について、門真市民会館事件の件は以前から承知しておりましたが、私がお聞きしたいのは、一方で、ブログ「凪論」を主宰していたN氏の職場(児童相談所)に突然赴き業務を妨害したことについてです。

これについては資料もお送りしておりますので、ご覧になっておられると思います。戸田氏のブログを更に拡散した「ぱよぱよちーん」こと久保田直己氏がN氏から提訴され敗訴した判決文も一緒にお送りしていますが、戸田氏のこの行為について先生はどうお考えでしょうか?

【13】

先生は裁判で私たちの主張が否定されたのだから、これに従うようにと諭されています。しかし、住民運動や反原発の運動で、ほとんど住民側が敗訴し、裁判所の周りでがっかりしている住民の姿をよく見ますが、これでも裁判所がそう判断したのなら従えとの先生のご教示は同義だと思います。

私たちはあくまでも法的救済を求めて提訴したリンチ被害者M君を支援するために立ち上がりました。確かに法的救済はM君や私たちが望んだものではありませんでした。だからといって、あれだけ酷いリンチを受けながら、実行犯2人に合計で110万円余りの賠償金で我慢しろということですね? 

一審は80万円ほどでしたが、これを見た山口正紀氏(元読売新聞記者)は、「『80万円支払うから、同様に殴らせてください』というに等しい」と看破し、ガンと闘う身でありながら意見書まで書いてくださいました。

私(たち)は決して頑なになっているわけではありません。今後も可能な限り解決の道を探り、愚直に被害者M君の法的、人道的救済を求めていきたいと考えているだけです。この姿勢に問題があるでしょうか? あるとお考えであれば、「何が問題か?」ご教示ください。そのどこがいけないのでしょうか?

【14】

最後になりますが、もう一つ。

リンチ被害者M君は、以来ずっとPTSDに苦しめられています。夜中に、うなされて起きることもたびたびあるといいます。それはそうでしょう、あれだけ酷いリンチを受けたのですから。先生は、このことについてどう思われますか? 「人権、人権」と言うのであれば、被害者M君の人権はどうなりますか? 

この問題について、まずは被害者M君の人道的救済ということを第一義に始めなければならないのではないでしょうか? M君は果たして救済されたとお考えでしょうか? このままでいいとお考えですか?

李信恵氏は最近、リンチ事件の反省などどこへやら頻繁に講演会や学習会などに講師として呼ばれています。あろうことか大阪弁護士会まで学習会に呼んでいます。違和感を禁じ得ません。

一方のリンチ被害者M君は、1円の補償もなく、リンチの悪夢にさいなまれPTSDに苦しんでいます。それでいながら、時間を見つけては三陸の被災地にボランティアに赴いています。これまでこのことは明らかにしていませんでしたが、M君の人となりを知る一要因となりました。

夜な夜な飲み歩く李信恵さんと、研究の合間を縫ってPTSDに苦しみながらも被災地へのボランティアに赴くM君……私は「頑張れM君!」とエールを送りますが、とてもじゃないが、「頑張れ李信恵さん!」とは思いません。先生はいかがでしょうか?

ご自宅にお帰りになり、リンチ本5冊や資料などを手元に置き、上記の質問にお答えいただければ幸いです。

敬具

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

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鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000541

真夏のような暑さが続いた大阪、「あいりん労働福祉センター」のシャッターが閉められた日から、恐れていたことが現実となった。

「日本付近は高気圧に覆われ、暖かい空気に覆われるばかりか、強い日差しが降り注ぐでしょう」との天気予報が出された5月25日、大阪も真夏のような暑さに見舞われた。センター周辺には4月25日、国と府の職員が勝手にセンター内から外に出した荷物について「処分します」と日にちを切られた5月24日から、「勝手に処分するな」「中の荷物を返せ」と多くの労働者、支援者が集まっていた。

真夏のような暑さになった5月25日、センターが閉まって以降、恐れていたことが起きた

午後2時、野宿者から「朝から動いていない人がいる」とテントに連絡が入った。センター北側、JR新今宮駅を下車、国道43号線の横断歩道を渡った場所、日差しはじりじりと暑さが増している。2時20分、男性が泡を吹くなど状態が急変したため、119番通報し救急車を要請。痰と未消化の麺とスープを吐瀉。10分ほどのち到着した救急隊が脈を確認したあと、心臓マッサージを施すも回復せず、近くの杏林病院に運ばれた。しかし彼が再び戻ってくることはなかった。

15時、病院で死亡が確認された彼は、見たところ60歳位という人もいた。持病があったかどうかなど個人情報は不明だが、シャッターが開いていれば、その命は救われたかもしれない。

せめて救急車が到着するまで、センター内に運び、ひんやりするコンクリに寝かせてあげることができていたら、冷たい水を口に含ませたり、水に濡らしたタオルを腋の下に置いてやれば、かなり高温に上がったと聞いた体温を少しは下げれたかもしれない。センターのシャッターを閉めるということは、救えるかもしれない命を、救えなくさせてしまうということだ。

センター上の医療センターがまだ開いているならば、下のセンターも開ければいいだろう! そうして始まったセンターの闘いは、4月1日以降集まった労働者、支援者らの力で自主管理が続いていたが、4月24日暴力的にシャッターが閉められた。反撃の場は外のテントに移ったが、そこには全国から支援物資やカンパが届けられている。

テントでは週1回、センター周辺で野宿している人を中心に呼び掛け、困っていることなどの情報を共有する会議「寄り合い」が開催されているが、回を重ねるたびに参加する人が増えている。多くの労働者と支援者らが助け合って守るテントを拠点に、多くの命はつなげられてきた。しかし…救えない命もあった。厳しい闘いがまだ続く、釜ヶ崎から報告する。

◆「退出をお助けしただけです」と言い放った国の職員

センターからは4月24日強制的に排除されたが、中の荷物は翌25日、国と府の職員の手で、勝手にセンター内から荷物が外に放り出された。「取りに来なければ処分する」と期限を切られた5月24日、朝9時からテント周辺にどんどん人が集まってきた。

この日に先立つ21日、約70名の労働者と支援者で、谷町四丁目の大阪労働局(国)と、大阪城前の大阪府庁に抗議と話し合いの申し入れを行ってきた。労働局の職員(一人は会計課のオオクボ、もう一人は名乗らず)は「代表3名とならば、話し合う」といってきたが、私たちは「代表などいない。全員が当事者だ」と提案を拒否し、全員でおのおの抗議した。

5月21日国(大阪労働局)に対して、4月24、25日の暴挙に対する謝罪を求めた

「電気止められたトイレに置いた非常用照明器具がない」「仕事で使う安全靴が見当たらない」など荷物が戻ってないことに抗議する声が多い。また、24日4、5人で身体を掴んで強制排除したことの違法性を問うと、国の職員は「退出をお助けしただけです」などとふざけたことを言い放った。

これに対して、自らも地元静岡の野宿者の支援活動を行う、笹沼弘志静岡大学教授は「大阪の釜のセンターでの国と大阪府による強制排除と荷物強奪は、生きる権利と生きるために必須の最小限度の財産の侵害であり、絶対に許されない。国と府は当事者に謝罪し、荷物を返却し、誠実に話し合うべきである」と5月21日ツィッターに投稿している。

その荷物について、「取りに来ない場合処分するというのは、4月25日出したものか?」と質問すると「4月25日出したものだ」と労働局(国)の職員は断言した。現在センター周辺には、4月25日前から野宿している人の荷物、4月25日以降に野宿を始めた人の荷物が混在している。「どうやって4月25日に出した荷物とわかるのか?」と質問したら「(中にあった荷物の)リストを作成している」と答えた。さすが、国のやることは違うな。ちゃんとリストを作成していたのだ。いや、人の荷物を勝手に出したのだから、荷物がなくなったりしないよう、管理するためにリストは必要不可欠であるから、当然といえば当然だ。ならばそのリストを確認させてもらおうではないか?

6月5日、再び大阪労働局(国)に押し掛ける! 21日大阪府庁の中にも入れず、炎天下に立たせたまま、あげく「お前、誰や?」とヤクザ紛いの口調で労働者を恫喝したシバや、「稲垣さん、昨年地震があった際、真っ先にセンターから逃げたじゃないですか?」と、突拍子もないデマを突然言い出すナカムラなどしか出て来ない大阪府を相手にする暇はない。センター1階を管理する国にきっちり責任を取らせていこう!

大阪府は庁舎内にも入れず、暑い外で対応。労働者に「お前、誰や?」とヤクザ紛いの暴言を吐く府職員

◆なにが「(再開発のために、釜ケ崎の)労働者には我慢してもらう」(橋下徹)だ!

このセンター建て替え(潰し)問題の発端は、2008年大阪府知事となった橋下徹氏が、2010年4月19日、大阪都構想の実現を掲げる地域政党・大阪維新の会を設立、その代表となり、翌2011年大阪府知事を辞任、11月のダブル選で大阪市長に当選したのちに掲げた「西成特区構想」の目玉として打ち出されたものだ。

「西成が変われば大阪が変わる」をキャッチフレーズに、大阪府警・西成警察署と行政、更には「まちづくり会議」と一体となって進めてきたが、そこに労働者の声が反映されていなかったことは、3月31日、大勢の労働者、支援が集まったため、シャッターが閉めれなかったことからも明らかだ。

働けなくなったらポイと捨てるなど、普通の企業では考えられないことだ。日雇い労働者だからと許されることではない。しかし部落差別や障がい者差別を平気で行う議員を多数抱える維新は、釜ケ崎の労働者、更には西成をも差別の対象に考えているようだ。

2015年「都構想」の是非を問う住民投票の際に配布された維新のチラシには、「都構想で住所から西成をなくせます」と書かれていたそうだ。そんな維新の釜ヶ崎の日雇労働者への差別感情を露わにした事件が、2015年大阪市市会議員西成区補欠選挙のさいに起こった。

立候補した稲垣浩氏(釜ヶ崎地域合同労組委員長)が、西成区役所前で演説していた際、遅れてきた維新の関係者が場所をとるために、「よごれ! あっち行け」と言ったそうだ。「汚れ」を意味する「よごれ」を西成警察署内では「450」と隠語で呼ぶそうだ。

こんな差別的な警察、行政、「まちづくり会議」が一体となって進める「西成特区構想」-センターつぶしは、「都構想」実現を一歩一歩前に進めるものだ。大阪維新の「都構想」をつき崩す闘いを、釜ヶ崎から闘っていこう! 大阪維新を許さない皆さん! 釜ヶ崎に来たらええねん!

大阪維新の関係者に「よごれ!あっちいけ」と言われた稲垣浩候補(釜ヶ崎地域合同労組委員長)[写真右]

▼尾崎美代子(おざき・みよこ)https://twitter.com/hanamama58
「西成青い空カンパ」主宰、「集い処はな」店主。

6月11日発売開始!〈原発なき社会〉を目指す雑誌『NO NUKES voice』20号! 尾崎美代子さん渾身の現地報告「原子力ムラに牛耳られた村・飯舘村の「復興」がめざすもの」掲載!

6月1日、JR草津駅東口の広場を、「岡本圭生医師による前立腺がん小線源治療継続」を求める人々が埋め尽くした。患者会による集会とデモが行われ約150名が参加した。 12時30分から始まった集会では、「滋賀医大小線源講座患者会」の代表幹事の宮野さんが口火を切った。

集会に集まった患者会メンバー

集会・デモの意義を説明する宮野さん

「市民の皆さん、お騒がせしております。私たちは滋賀医科大学附属病院で、前立腺がんの小線源治療を受けた患者と、まだ、治療の予定が立っていない患者と、その家族です。滋賀医科大学附属病院には高リスクの前立腺がんでも95%以上、再発させない治療ができる、岡本圭生医師がおられます。
 ところが、滋賀医附属病院は岡本医師の治療を7月で終わり、12月には病院から追い出そうとしました。まったく患者にはわからない。まさに『白い巨塔』です。岡本医師の治療を望む患者は、裁判所から仮処分決定を頂き、7月からの手術は認められたのですが、病院は12月には『何が何でも岡本医師を追い出そう』と妨害をしてきております。
 しかし、私たちは負けません! 岡本医師に命を救ってほしいと願う患者が、今日もこのデモ行進に全国各地から参加しております。私たちは救われる命が、見捨てられようとする。この現実を断じて許すことができません。市民の皆さん、どうか、岡本医師の小線源治療が12月以降も滋賀医科大学附属病院で継続されますよう、ご支援のほど、よろしくお願い申し上げます」

と力強く集会とデモの趣旨を訴えた。       

鳥居さん

引き続き「仮処分勝利」によって岡本医師の治療の機会を勝ち取った鳥居さんがマイクを握った。

「私は昨年5月に人間ドックを受けた際に、数値に異常が指摘され、再検査の結果8月に前立腺がんに罹患していることが判明しました。それも高リスクの前立腺がん。目の前が真っ暗になりました。そんなときに岡本先生との出会いがありました。非再発率96.3%。『大丈夫。私が必ず治してあげるから』と岡本先生は言ってくださり、妻が帰りに『よろしくお願いします』と挨拶すると、先生は妻の目をしっかりと見ながら『こちらこそよろしくお願いします』と言ってくださいました。
 しかし、岡本先生の治療が今年の6月で終了と知らされました。せっかくつかんだ一縷の望みが消えかかりました。そこから熱い闘いが始まりました。きょうここに集まってくれている心強い仲間たち。既に岡本先生の治療が終わっているにもかかわらず、私たち『待機患者のために』と全国から手弁当で駆けつけてくれる仲間たち。ともに闘いました。
 そして5月20日私たちは11月26日まで、岡本先生の治療を延長しなさいという裁判所からの決定を勝ち取りました。その場にいた仲間たちは自分のことのように涙を浮かべて喜んでくれました。
 しかし、裁判所の決定にもかかわらずいまだ不穏な動きをやめない滋賀医大の病院長。どうしてそうなったかとの説明会見も一切実施しない無責任な対応。滋賀医大の病院長は人道主義を貫いて、患者を守ろうとしている岡本医師の治療の妨害はやめてください。前立腺がんの世界的名医である岡本先生の治療を、私たち以上に待っている待機患者の希望を打ち砕かないでください。私たちは今度は後に待っている待機患者のために、ここにいる患者会の皆とともに闘い抜くことを誓います」

と喜びと決意を語った。

宮内さん

ついでやはり待機患者の宮内さんが語った。

「私たち患者会は『岡本メソッド』の恩恵を受けたものとして、つまり『中・高リスク』の前立腺がんを患ったにもかかわらず、ほぼ100%完治し、生活に支障をきたすことなく平穏に暮らせるものとして、岡本先生の滋賀医大での勤務継続を勝ち取るべく闘っております。
 世間での誤解について、その真実をお伝えしたいと思います。(略)『しょせん大学の教授間の派閥争いじゃないの』という意見、これは間違いです。一人の医師とそれを支える患者たち。対する大学病院幹部の闘いなのです。この構造を考えていただければ答えはすぐに出ます。
 なぜ、すでに完治した多くの患者が一人の医師支えて闘うのでしょうか。岡本メソッドの素晴らしさを文字通り体験した患者たちが、『その恩恵を未来の患者さんたちにも享受していただきたい』という姿。対してその評判が自分たちの権力欲、名誉欲の邪魔になると考える大学病院の幹部たちとの闘いです。現に大学病院の幹部は違法行為で刑事告訴されております(著者注:告訴状は未受理)。このような方々にはすぐに退いていただきたいのです。
 最後に、『岡本医師は他の病院に行けばいいじゃないの。そんな優秀な先生であれば引く手あまたでしょう』という声。たしかに目の前の患者を救うだけであれば、その意見は一理あります。しかし、我々が求めるのは、人の命をないがしろにする病院の体質改善と、岡本メソッドの全国展開です。そのためには教育機関である 滋賀医科大学に岡本先生が残って頂き、全国の若手医師の指導を継続していただく必要があります。岡本メソッドの全国展開と、早期発見で、日本人の死因から、前立腺がんが消えます。そんな夢のある未来に対して闘っております。ご支援よろしくお願いいたします」

鳥居さんも宮内さんもご自身の治療は、まだであるのにすでに「未来の患者」のために日差しの強いデモ行進への参加を決められた。スピーチには立たれなかったものの、この日の集会・デモにはほかにも5月20日の仮処分により、岡本医師の治療を勝ち取られた方々が遠方からも参加されてていた。東北や沖縄からの参加者もあった。

患者会による草津駅市周辺でのデモ は1月12日に続き2回目だ。1月12日の集会とデモは真冬にしては穏やかな日和だったが、この日は湿度は低いものの、きつい大陽が照り付けた。

先頭が出発してもまだ動き出せない後尾のデモ参加者。3名のコーラーが指示しながら、デモ隊は前回と同じコースを進んだ

本音が……

滋賀医大病院に対しては、本通信でお伝えしている通り、5月20日、大津地裁で「 11月26日まで岡本医師の治療を病院は妨害してはならない」との仮処分決定が命じられている。

この決定を受け、わたしは5月23日滋賀医大に、
(1)仮処分の決定について大学としてどう認識しているか?
(2)岡本医師の新患患者の受付が止まっているが、その点どう対処するか?
(3)滋賀医大の認識・判断が根源的に間違っていた、と裁判所は判断したが松末病院長の責任をどう考えているか? 
を電話で質問した。

が、回答がなく、翌24日にメールで回答があった。内容は「決定理由を踏まえて適切に対処します」だけであった。私の質問への回答になっていないので、「社会的存在の滋賀医大には説明責任があるので記者会見を開いてほしい」旨電話で広報担当者に告げておいた。

長蛇のデモ隊に注目する買い物客たち

患者会関係者によると、個別には岡本医師の治療を希望する、新規患者の受け入れを一部再開しているとの情報もあるが、滋賀医大病院のHPでは6月1日現在そのような告知は確認できない。停止していた新規患者の受け入れを再開したのであればHP告知しなければ、全国で岡本医師の治療を待っている患者さんに、伝わらないのではないか。

この問題は、朝日新聞、毎日放送などが継続的に取材報道を続けている。毎日放送は6月30日になんと1時間のドキュメンタリーを放送する予定だという。鹿砦社も微力ながら引き続き滋賀医大問題を注視し続ける。

デモ終盤になっても熱量は衰えない

◎患者会のURL https://siga-kanjakai.syousengen.net/
◎ネット署名へもご協力を! http://ur0.link/OngR

《関連過去記事カテゴリー》滋賀医科大学附属病院問題 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=68

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

スリランカ僧のナンマラタナさんと、メコン河沿いを歩く

◆3度目のビエンチャン

親しくなったブントゥーン(左)とワンナー(中央)と

殺されるんじゃないかと大袈裟にも思った前回より余裕あるビエンチャンの入口に立つと、そこへ予想どおりタクシー運転手が群がって来た。

「ワット・チェンウェーを知っているか」と聞くと、「知ってる知ってる、乗れ!」と言う運ちゃん。「幾らだ?」と聞くと「100バーツ!」。この前より安いじゃないか、じゃあ行こう。

今回は呑気な30分あまりの乗車で、あの托鉢で歩いた集落に入った。もうワット・チェンウェーは目の前。ここまで来て道に迷った人のいい運ちゃんはその辺で人に聞こうとするが、私は「もういいよ、この辺分かるから!」と言って降りた。
2ヶ月半ぶりのワット・チェンウェー。前回はお腹壊したままのお別れだったから、去り際がカッコ悪かった。今回はカッコ良く過ごしたい。まだ受け入れてくれるかは分からないが、また泊めてくれる期待を持って門を潜るところであった。

シーポーン(左)、ワンナーとパトゥーサイまで来た

◆ワット・チェンウェーでの再会

境内を掃き掃除していたのは英語の学習熱心なあの英語ネーンだった。歩いて来る私を一瞬、「誰だこいつ!」といった目で見て、掃除を続けようとするが、ほんの2秒後、再び私を見て笑顔になった。この間(ま)はやっぱり面白い。何人目だろう。姿が変わったことに気付かず、間が出来てしまうのである。もう喜びが顔に溢れる互いの接近。

「還俗したんだね!和尚さん居るよ!」と言ってサーラー(講堂)へ引っ張るように招き入れてくれた。ブンミー和尚さんはネーン達3人ほどに勉強を教えているのか、テーブルの上に教科書を広げるようにしてネーン達に話し掛けていた。

皆の視線が私に向き、やがて笑顔に変わった。すぐ三拝し、またビザの申請の為に来たことを告げた。

「ホテルに泊まって居るのか?」と言われて、「今、サパーン・ミタパープ(タイ・ラオス友好橋)を渡って来たばかりです」と言うと「じゃあ、ここに泊まっていきなさい」と言ってくれたのは想定内。そこからは想定外の親切さに驚くばかり。12月に来た時はまた増築中だったクティ2階の部屋に案内されると、それはエアコンの効く部屋だった。トイレ水浴び場は共同だが、温水の出るシャワーもあった。

「前回泊まった外の木造小屋でいいですよ」と言ったが、「あんな粗末なところは申し訳ないから行かなくていい」と言われる。そう言えばお爺さん比丘が居ない。「あのお爺さんは?」と聞くと、「もう居ないんだ」とだけ言われて、どうしたのかは言ってくれなかった。病気がちであったし、亡くなられたのかなと思う。

寺にタンブンに来ていた老婆と息子さん

◆スリランカのお坊さんと歩く

滞在中、外国から来たと見える比丘がやって来た。スリランカのお坊さんで、バンコクのサイタイマイバスターミナルに近い寺に在籍して居て、やっぱりビザ取得の為に来た、タイ語は完璧の“ナンマラタナ”という名前で38歳。過去、シンガポールやマレーシアにビザ取得申請に行き、今回はビエンチャンに来てみたという。ノンカイ駅から真っ直ぐ歩くと、ワット・ミーチャイ・ターがあってそこで泊めて貰い、このチェンウェー寺を紹介されたという。何だ、俺達と似た道じゃないか。藤川さんが歩いた道は外国人比丘の定着したラオスへの道かもしれないな。

このナンマラタナさんのビザ申請をお手伝いし、ノンカイへ帰る日も一緒に向かったが、去り際に持っていた着替え用の黄衣をブンミー和尚さんに渡して行った。捧げるというより、極力荷物を減らそうと見える動きだった。比丘の巡礼とはこんなものだろう。必要なものは現地調達。要らないものは置いていく。私なんか旅する度に荷物が増えていった。そこは藤川さんも言っていたが、「旅もそうやが、暮らしも生活必需品だけあればええやろ」と言った言葉が思い出される。

「過去に拘るから荷物が増えるし、それに纏わる悩みも増える訳や、全部置いていけば拘りも無くなるし、楽なもんや」「お金持ちは土地建物、高級車いっぱい持っておっても、あの世までは持って行けんのやぞ。これらを守る為に所得誤魔化したり、余計に維持費が掛かったり、欲が尽きん疲れる人生で気の毒やなあ」と御自身も金にまみれて女遊びに没頭した人生を送っても、まだ欲が尽きなかった悟りを語っていたが、私も上京して狭いアパート暮らしして、新たに買った電化製品、本やカメラ類が増えていき、やがて荷物に溢れ、広い部屋に引っ越す。それらの財産があるからそこから動けなくなり、それらを失いたくない欲望が生まれ、守りたいと悩みが増える。こんなものに縛られて生きて居るのが我々一般人なのだろう。

でも、思い出のビデオや写真、絶対捨てられないんだよなあ。今でも記念に黄衣やバーツまで持って帰ろうとするこの愚かな私。変わらないだろうなあこの性格。それに対するナンマラタナさんの所持品の少ないこと。ノンカイへ渡る際でも托鉢にでも行くぐらいの格好だった姿に、そんな人生の身軽さを感じた。

ここでも記念写真、ナンマラタナさん(左)を加えて

若い先生だがしっかりした授業だった

◆寺の仲間たち

ここで修行する若い比丘やネーンに、今回はしっかり名前を聞いてみた。英語暗記に熱心なのが“ワンナー”という名前で、一緒に学校に通っていたのが“シーポーン”。二人とも英語塾に通っていて、授業にも着いて行って覗かせて貰った。

貧乏そうな幼い女の子が窓から覗いていたが、お構いなしに授業が続けられた若い先生。

昔、私が小学1年生の頃、担任の先生が言っていた、「終戦後に幼い女の子が窓から授業を覗いて居たことがあった」という、そんな思い出を教えてくれた話が蘇えった。女の子は人恋しく授業に引き寄せられたのだろうか。

英語塾もお邪魔させて貰った授業風景

夕食はケーンを連れて歩いた日々

私の小学校の頃も木造のボロボロの校舎だった。そんな日本の昔ながらの木の机もここでは当たり前の存在。

ネーンも一般の学生に混ざって授業を受ける。英語は日本の中学生レベルかな。そんな文法を教わっていた。

私といちばん友達のように接してくれた、“カンペーン”という名のネーンはやがて20歳だが、比丘に移っても学生の間だけ仏門生活を続けるようだった。

今回、カンペーンには街中を一緒に歩いてくれて観光名所を案内してくれた。

カーオトム屋から見たタイ側に沈む夕陽

カンペーンと一緒にいた比丘の“ブントゥーン”も、若くて貪欲な勉強熱心さで読経も上手い奴だった。

幼い男の子はこの寺でブンミー和尚さんが預かっている子で“ケーン”という名前。4歳の時にこの寺に来て、今9歳だという。デックワットというよりはブンミー和尚さんの子供のように扱われているが、当然ながら本当の子ではない。

その辺の事情は詳しくは分からなかったが、ある日、ある人物が寺に預けられていったような様子が伺えた。

比丘らは午後の食事は無いから、ケーンとは夕方の食事に何度か外食に連れて行った。メコン河沿いにあるカーオトムの店は何度も通うと、店に入ると注文しなくても「いつものやつ!」といった感じで“カーオトム”が出てきた。

タイで言うクイティオ(うどん)だが、ここでしか味わえない味。凄く美味いとまでいかないが、これは日本に帰ってから絶対また食べたくなるぞと思う独特の味。

また寺にタンブンに来る近所の親子の信者さんは高齢の母親と暮らす43歳のオカマのオモロイおっさんで、今回はなかなかオモロイキャラクターが揃うビエンチャンの旅となっていた。

カーオトム屋の通り、この道が延々続くメコン河沿い

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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