刑務所の老人ホーム化が進んでいると言われる。ある報道によると、20年前に比べ、65歳以上の検挙者数は4倍以上となり、今や全国の刑務所の被収容者は5人に1人が60歳以上なのだという。

かくいう私もそういう現実に直面し、複雑な思いにとらわれたことがある。今から40年前に起きた「ロボトミー殺人事件」の犯人の“その後”を取材した時のことだ。

◆ロボトミー手術により人生が暗転

ロボトミー手術とは、昔行われていた精神外科の手術で、日本では主に統合失調症の患者に行われてきた。しかし、脳の前頭葉を切除するなど危険性が高く、てんかんや無気力などの重大な副作用を引き起こすため、現在は行われなくなっている。

桜庭章司が都内の病院で、このロボトミー手術を無断で施されたのは1964年11月のことだった。当時30代半ばだった桜庭は、著述業者として活躍していた男だが、粗暴な性格で、何度も暴力事件を起こしていたという。そして精神鑑定の結果、措置入院することになったのだが、病院が当初行った精神療法は効果が上がらなかった。そのため、病院側は桜庭の母親の同意を得て、ロボトミー手術を行ったのだという。

ところが、手術以降、桜庭は原稿の執筆ができない状態に陥った。そればかりか、手術の後遺症により通常の社会生活すら営めなくなり、職も住まいも転々とし、人生に絶望するに至る。そして1979年9月、執刀医を殺害して自分も死のうと決意し、執刀医の自宅に押し入った。しかし、執刀医は不在だったため、その妻と義母を刺殺。裁判では、無期懲役判決を受けたのだった。

◆文字の大半が判読不能の手紙

私がそんな桜庭に関心を抱いたのは、2013年の夏頃だ。昔の事件について調べていたところ、宮城刑務所で服役中の桜庭が特異な国家賠償請求訴訟を起こしていたのを知ったのだ。

「体調不良で生きていても仕方がないにも関わらず、自殺する権利が認められずに精神的苦痛を被った」

桜庭はそう訴え、国に160万円の支払いなどを求めているとのことだった。

そこで、私は桜庭の現状を知りたく思い、取材依頼の手紙を出したのだが、返事はいっこうに届かなかった。だが、それから2年ほど過ぎた2015年の暮れ、別の取材で宮城刑務所を訪ねた折、売店から桜庭に封筒や便箋を差し入れたところ、意外な反応があった。桜庭から文字の大半が判読不能の手紙が届いたのだ。

文字の大半が判読不能な桜庭の手紙

便せん7枚の手紙から、かろうじて読めた文字をここに書き起こしてみよう。

「片岡健様」
「拝復」
「暗号的ナ文字トナリ」
「宜シク お願イイタシマス」
「お手紙ニアリ」
「以前ニ一度」
「正シクハ二度」
「片岡様カラノ 二回ニワタリ」

このようにかろうじて読める言葉だけを見ても、桜庭の手紙は伝えたいことがほとんどわからない。高齢に加え、おそらくロボトミー手術の後遺症も悪化したのだろう。この時点で80代後半の年齢になっていた桜庭は、生きているだけでも大変なほどの体調不良で、だからこそ自殺を希望するのだろうと思われた。

桜庭が服役していた宮城刑務所

◆返送されてきた年賀状

私は、その後も何度か桜庭に手紙を出してみたが、結局、2度と返事は届かなかった。そして2017年の正月明け、私が桜庭に出した年賀状が「あて所に尋ねあたりません」と返送されてきた。これはつまり、桜庭はもう宮城刑務所にいない、ということだ。

桜庭は、医療刑務所などに移されたのだろうか。それとも、ついに獄中で人生を終えたのだろうか。いずれにしても、老人ホーム化した全国各地の刑務所でも、桜庭ほど悲惨な老後を過ごした受刑者はそんなに多くはいないだろう。

桜庭とは直接対話できなかったが、これまで私が取材した様々な殺人犯の中でも、そういう事情から桜庭はとくに印象深い人物の1人だ。

なお、例の国家賠償請求訴訟は桜庭の敗訴に終わっている。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。新刊『平成監獄面会記 重大殺人犯7人と1人のリアル』(笠倉出版社)が発売中。

創業50周年!タブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』7月号

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)