最近は外国からの移住者が増え、教育の現場でも外国にルーツを持つ児童が増えてきたし、地域によっては横浜のいちょう団地のように住民の4分の1が外国籍というところも出てきた。ここまで来ると、日本語だけわかればよいという状況ではもはや対応できない。
日本では言語教育については、ほとんど英語と日本語の2つだけについてしか論じられない。「グローバル化の急速な進展に伴い英語は必須」「国語力がしっかりしないとどっちもつかずになる」といった賛否両論がある。私にはこれらの類の議論には、メディアリテラシーを高めるためだという観点が決定的に欠けているように思えてならない。
◎[参考動画]10ヵ国の児童が学ぶ 驚きの多国籍小学校(SUMIYA Spa & Hotel 2019/1/13公開)
◆言語とメディアリテラシー
そもそもなぜ外国語を学ぶのかというと、海外との接点を持ちそこから情報を集め、視野を広めるためである。英語はあくまでそのためのツールにすぎず、より本質を突き詰めると「他の言語を使いこなしそれによって多角的に物事を俯瞰できる」能力が重要になる。
言語が異なると同じテーマであっても、発信情報はかなり異なってくる。韓国について日本語で検索するとネガティブな内容が多い。例えば、Googleで「韓国人 ムスリム」と検索すると韓国人によるムスリムへの差別的な行為などがヒットする。韓国は悪い国だと言いたい内容が多い。
しかし、英語で「korean muslim」と検索すると韓国人の改宗者の話などがヒットする。中立的な立場から韓国におけるムスリムの状況が書かれている。同じことでも言葉が異なると、検索結果も異なるのである。これが日本語や英語だけではなく、中国語やフランス語などの検索結果なども含めると様々な視点を得ることができよう。
(余談だが、日本人が想像している以上に韓国の国際的な評価は高いと思われる。あるチュニジア人女性と話した時に韓国について聞くと、アラブ世界では韓国は「礼儀正しい国」「イノベーションの国」と認知されているという。また韓国ドラマも多数アラビア語に翻訳され、チュニジアでも放送されているとのことであった。私たちはアラブ世界やヨーロッパといった第三者の観点から韓国を見ることが重要なのかもしれない)
日本語は日常生活から高度な学問用語まで網羅しており、日本で暮らすにあたっては日本語しか理解できなくてもビルの清掃員やバーテンダー、プログラマーや大学教授、ペットショップの従業員に至るまで様々な職に就くことが可能である。しかしメディアリテラシーの観点から考えると、日本語しかわからないということは極めて致命的なことである。
そもそも日本語を公用語している国は日本だけである。そのため、日本語で発信された情報の圧倒的多数は日本発になる。それは日本一国からの視点に偏りがちになる。英語ならば公用語とする国は米英の他にシンガポール、ケニア、フィジーと数多く、よって英語で発信された情報は様々な国からの視点を持つ。スペイン語にしても公用語とする国は、メキシコ、アルゼンチン、赤道ギニアなど数多く、やはりスペイン語で発信された情報も多くの視点を備えている。多くの日本人は日本語しか理解できないため、ネットで情報収集する時も日本語で検索しがちである。その結果、日本的視点でフィルタリングされた情報ばかりを取得することになる。
過去に話したことのあるシンガポールからの帰国学生の意見によると、日本政府は「日本人が海外の情報を閲覧しないように英語能力をあえて低くしているのではないか」とのことであった。真偽はともかく、これは政府にとっては極めて都合がよいことである。日本語しか理解できないゆえに国民が「自発的」に日本から発信された情報しか見ないとすれば、中国のようなファシズム大国のようにわざわざ高度な検閲システムを構築しなくてもすむからである。(つづく)
▼Java-1QQ2
京都府出身。食品工場勤務の後、関西のIT企業に勤務。IoTやAI、ビッグデータなどのICT技術、カリフ制をめぐるイスラーム諸国の動向、大量絶滅や気候変動などの環境問題、在日外国人をめぐる情勢などに関心あり。※私にご意見やご感想がありましたら、rasta928@yahoo.ne.jpまでメールをお送りください。