6月28日熊本地裁で勝訴判決が下されたハンセン病元患者家族訴訟は、7月9日安倍首相が控訴を断念したことで、患者の家族も差別で多大な被害を受けてきたとの判決が決定した。今回お話を伺った黄光男さん(ハンセン病元家族訴訟原告団副団長)は当初、「自分に被害はない」と原告になることを最初断ったという。しかし長く切り離された故、家族関係をうまく築けず、母の亡骸に涙一粒出せなかったことは、黄さんの一番の「人生被害」ではなかったか。[※インタビューは7月14日、大阪市西成区集い処はなで行われたものです。]
── 尼崎工業高校時代からの友人でドランカーズのメンバーである孫敏男さんが裁判を傍聴し、国に怒鳴りつけるように証言した黄さんを見て、「その瞬間、僕は黄さんは変わったと思った」と話してましたが?
黄 弁護士に質問されたあと、最後に「国に言いたいことはありますか?」と聞かれてね。僕は国側のほうを向き直し、「国は、元患者の家族に差別はないといっていたが、どこを見て言っているのか? あなた、もう反対する理由がないから、東京に帰ったらすぐ厚労大臣に『もう裁判を終わらせてと言って下さい』と言いました。大声を出しすぎて裁判長に注意されました(笑)。
── 判決前夜の集会で黄さんは「親のことはしゃべらないまま死のうと思ってきた。それをこんなに公然と法廷の場でしゃべり切った。その自分の勇気、その勇気はその原告1人1人の心の豊かさにつながったのではないかと思う」と発言していますが、黄さんの中でどのような心境の変化があったとお考えですか?
黄 僕だけじゃなくて、原告になった569人、全員が豊かさを感じたと思う。変な言い方だが、裁判が楽しかった。本当に「やってよかった」と言う裁判でした。記者会見は顔を出せる人しか出なかったが、その後の懇親会は原告と弁護士だけですから、みんな本当に楽しそうだった。それまでは不安もあったが、それを一気に吹き飛ばすみたいなね。
── 勝訴した当日の黄さんは「台無しにされた人生、こんなお金で何が変わるか」とコメントしてます。1人33万~143万、確かに金では解決しませんが、それにしても安い気もします。
黄 そうですね。実は親と断絶してなかった、頻繁に会えていた、という理由で33万しか支払われない原告の方が圧倒的に多い。あと沖縄の原告の方は、日本に返還された1972年前の補償は認められなかった。今後一律の補償を要求していく必要があります。
── 次は国側が控訴するかが焦点となって、原告団、弁護団、支援者らは東京に集まり,控訴断念の要請活動をされてきたのですね? どんな活動でしたか?
黄 じつは6月28日に判決が出るまでに、すでに要請行動をやっているんです。3月と5月に週に1回、原告団、支援者らが11か12のグループに分かれて国会に行き各議員を回る。連絡してたのもあるが、突然ピンポンと行ったのもある。あの場面は凄かった。
── 「良い判決を」と言う要請ですか?
黄 いや、勝つと言うことを前提に、「控訴しないように」と言う要請行動ね。
── 黄さんからのメールに「東京に要請行動に行くが、控訴断念は必ずする」と書いてあり、その自信はどこから来るのか、と思っていましたが。
黄 3、5月の国会議員周りが非常に効いていると思っていたから。自民党の森山議員がハンセン病の議員懇談会を超党派でつくり、全ての党に声をかけてくれていた。議員の皆さんも「この問題はきちんとしなくてはならない」と、その反応が凄かった。すでにあの当時「控訴できない」と言う外堀は埋められていた感じでした。で、勝訴判決が出たあとは、今度は「控訴させない」と言う感じで議員の部屋を回りましたが、そこでも皆さん、一致していました。自民党含めですよ。
── じゃ、安倍の「極めて異例」は何だったのでしょうね?
黄 安倍は控訴したかったのでしょう。でも出来なかったと言うことじゃないかな?
── で、あの「政府声明」を出したのでしょうかね? 悔しくて。
黄 そうだね。
── 安倍首相の「控訴断念」の発表を受け、午後から原告らの記者会見がありました。そこで黄さんは「安倍の控訴断念の言葉に違和感がある。書面を見ても、なぜ断念したか、明確なことばがない」と発言されていましたが。
黄 うーん、僕は安倍の会見は見てないけどね。でも書面ということは判決文を見てたのかな? ただ今回の安倍の「控訴断念」は抜き打ちですよね。2011年の時とは違う。2011年のときは、小泉首相が原告と直接あって話を聞いて控訴を断念している。
── そうですね。2001年の控訴断念までの経緯をみると、当時の坂口厚労大臣が医師ということもあり、資料を読んで「これは酷い。隔離する必要ない」とまず考え、その後自民党の野中広務さんの紹介で、原告と面会し、ちゃんと話を聞いている。そこで控訴はありえないと決めた。法務省は控訴と決めていたが、小泉首相も原告に会って話を聞き、そのうえで控訴断念を決めている。今回安倍は原告の話も何も聞いていない。
黄 首相に面会も要求したが、かなわなかった。G20前の忙しい時、吉本新喜劇で池野めだからには会うが、僕たちとは会わないという(笑)。 ただそのあとの「首相談話」で原告と会うとなっているからね。会ったら「首相を辞めて」と言いたいけど(笑)。それでは話(折衝)が前に進まないからね。
── 7月13日付け東京新聞のコラムに「わざわざ謝罪する人間が『極めて異例』などと値打ちをつけますかね?」とあります。そして安倍の「談話」とともに出た「政府声明」、堅山さん(ハンセン病意見国賠訴訟全国原告団協議会事務局)がFBで「ハンセン病家族の被害を本当に知っていたら、あのような政府声明など恥ずかしくて出せるわけがない」と厳しく批判されていましたが、黄さんはどう思われましたか?
黄 談話と政府声明は完全に矛盾してるよね。声明は、判決のあそことあそこが間違いと言っている。だったら控訴すればいい。菅官房長官が会見で、談話の方は一語一句読んでいるが、政府声明は読んでない。あれもおかしいよね。
── 両方読んでいたら、記者から「どっちやねん」と質問される?
黄 そう! だから菅が両方読まないのはずるいね。
── 今後はどのような活動をやっていくのですか?
黄 原告団は去年の12月、全国で4つのブロックに分かれ作られてます。そこでこれからハンセン病の全面解決に向けての取り組みをやっていくことになります。具体的には、確定した判決にそって政府との折衝をやっていく。厚労省、文科省、法務省、の3つと話し合っていきます。
── 裁判のいろんな場面で歌われた「思いよ届け」はどんな思いで作られたのでしょうか?
黄 「思いよ届け」の言葉は国宗弁護士が考え、垂れ幕などでずっと使ってきた。これで曲を作りたいと思っていたが、忙しくてできなかったけど、去年暮れに裁判が結審し、大阪に帰る新幹線の中で曲ができました。詩はあとで、家族の人たちの新聞記事や意見陳述など聞いて書きました。たった3行でその人の人生を語るなんて、無謀な歌詞なんですね。4番まであって、本当は560人の原告がいるので560番まであっていいんですね。皆、それぞれ被害が違いますから。
── この裁判は国だけではなく、私たち1人1人が問われる裁判だったと、仰ってましたが?
黄 どうやって差別をなくすかという問題ですね。2001年の判決は厚労相と国会議員に責任があるとしたが、今回はそれに加え法務大臣、文科大臣にも責任があるとした。法務省は人権啓発する所管だが、それができてなかった。文科省は学校のなかでもそういうケアができてなかったと判決は明確に言っている。国は慌てていると思う。「これから何をすればいいの?」と。そんなことは自分で考えろといいたい。
啓発がうまくいかなかった理由は、結構難しい。私も役所にいたから、役人は研修とか山ほど受けている。ハンセン病は語れなかったが、「差別はいけない」と研修をうける。なのになぜ差別がなくならないか? 今回の判決では、差別をかもしだす社会構造の問題を指摘している。個人個人が全員差別者でもないが、なぜ差別が簡単に許されるのか。
例えばハンセン病患者さんの娘と結婚しようとして、当事者も家族もいいと言うが。遠い親戚のおじさんが反対する。そのとき当事者も家族もおじさんにしっかり反対できない。おじさんはそういう社会構造を知っていて説明する。「次はあんたの家族が差別されるよ」と。だから「おじさんのいうことも一理ある」と思ってしまう。そういう社会構造を壊そうと思ったら、おじさんに対して「差別はだめ」と全員で言い切る、説得する力を持たないとだめだ。
ハンセン病は「感染しにくい」と説明するだけの啓発ではだめ。ではどうしたらそういう空気がなくなるのか? じつは答えは簡単で、1人1人がその空気を読むおじさんと闘い続けないとだめだということです。これからも1人1人、闘い続けて行きましょう!
── 今日は長時間ありがとうございました。(了)
◎「思いよ とどけ!」と闘ってきた3年間 ── ハンセン病家族訴訟原告団副団長の黄光男(ファン グァンナム)さんに聞く【前編】(聞き手=尾崎美代子)
◎[参考動画]ハンセン病家族訴訟 思いよ 届け(宮崎信恵さん2019/7/1公開)
▼尾崎美代子(おざき・みよこ)https://twitter.com/hanamama58
「西成青い空カンパ」主宰、「集い処はな」店主。