托鉢準備するブントゥーン

托鉢からの帰り道、餌の匂いに敏感な犬も日常の姿

◆いちばん撮りたかった托鉢

田舎道を歩くような托鉢が絵になる風景だった。私も比丘として一度歩いた道。頭陀袋は持たずバーツ(お鉢)を抱えて歩く比丘達。主に一握りの炊いたもち米がサイバーツされていく。

翌朝には別ルートを行く3人組の托鉢にお供した。こちらはサイバーツされた後、短い読経をして立ち去っていた。これは経文を覚えていないといけない。こういうところが巡礼先で出くわした場合、出来ないでは済まない事態に陥ってしまうだろう。数日見ていたが、もう一度、比丘として托鉢で歩いてみたくなる田舎道だった。

そしてお寺に寄進にやって来る信者さんの姿。老人から若い女性までやって来る。生活に根付いた習慣、私も信者さんに混じって新たな寺の在り方が見られる姿であった。

◆カンペーンと歩いたビエンチャンの街

スリランカから来たナンマラタナさんのビザ申請に付き合った他、サーマネーン(少年僧)とも外出。ワンナーくんとシーポーンくんとパトゥーサイ(凱旋門)に行ったり、ビザの受取りに行く時には、カンペーンくんが「俺も行っていい?」と言うので了解すると、すぐ水浴びして黄衣を纏うのを待って一緒に街に出た。

一緒に行動するのは初めてだったが、何とも気さくな奴だった。言葉が丁寧で年上を敬う姿勢が伺われ、領事館で待たされたり、長距離を歩いても「ボーペンヤンドーク(マイペンライ=大丈夫)」と言って暑い中でも我慢強く待ち、私が何を撮りたいかを察する配慮があり、アナンさんに似た感性を持っていた。ムエタイボクサーのような風貌もあり、スポーツマンではないが何かやらせればトップに立てるだろう体幹があるように見えた。

博物館に行くと、タイ軍に壊されたラオスの仏像を見る。展示物を説明してくれたが、私が無知で追いつけない感じだ。

徳を積む信者さん、喜捨を受けるカンペーン

信者さんの待ち構える位置はカーブ気味

読経して立ち去る3人の比丘とネーン

比丘を待つ御婦人の祈り

◆オカマのおじさん!

毎日、ワット・チェンウェーに寄進に来ていたオカマのオッサン、それは見てすぐ分かるそんな雰囲気の存在。やたら優しい眼差しで寄って来るようになり、夕方、カーオトム屋でも出会ったりして奢ってくれたので仲良く話は続けたが、やっぱり寄られると気持ち悪いオッサンだ。

そんな今回の旅行者としての旅で、ノンカイ、ビエンチャンのお寺の滞在で改めて意識したのは、ブンミー和尚さんやワット・ミーチャイターのプラマート和尚さんの様子。なよっとしていて優しいがちょっと変。以前、藤川さんが一時僧時代のことを言っていたことだが、寝ていてキンタマ握られたというのも不思議ではない。
私も警戒していたが、必要以上の異常な接近は無かった。それにしてもワット・ミーチャイ・ターの石橋正次似のスアさんもリップクリームを、女性が口紅塗るように鏡見ながら指でなく顔を横に振るように塗っていたし、やっぱり真面目に何年も修行すると男性ホルモンのバランスが崩れ、精力が衰えるのかなとは思う。タイはオカマの多い国ではあるが、因果関係は分からない。ラオスも似たものなのだろう。

托鉢から帰って足を洗うワンナー

他の逞しい比丘達はどんな意識で過ごしているのだろうか。下品な奴でなくても還俗したら「どこの女郎屋へ行く」とか、ごく自然に言う奴もいたが、大概は還俗ありきの修行で、健全な男として向かうのだろう。

かつて藤川さんが巡礼の旅をした際、タイ北部のある寺で展示された女性ミイラの遺体を目撃した話では、

「そこには若い美女の写真と、『私はかつて美人とモテはやされ、多くの男性から告白され、結婚を申し込まれましたが、今はこの有様です』と書かれた文言が掲げられておって、若い比丘が性欲を抑えられなくなった時、姿形ボロボロのミイラとなった遺体の横で一晩過ごすことを勧められるんや。人間は目ヤニや鼻糞、耳糞、糞尿など、九つの穴から臭い汚物を出す生き物や。牛や豚や人間も一皮剥がせば似た内臓を持っておって、死んでしまえば悪臭放つ物体。美女も同じ物体。そこで寝かされれば無駄な欲求に嫌気が差してしまうらしいで」

という話を聞かされたことがある。

美女は綺麗だなあ。でも誰もがやがて歳を取るのである。この世のものは不動のものなど無く、全てが変化していく物質世界。不老不死など有り得ない諸行無常のこの世の姿を考えるようになった。けど美女はいいよなあ。修行しても男は懲りないのである。

綺麗なお姉さんも仏教徒の務めにやって来る

◆ブンミー和尚の優しさ

こんな田舎道を歩く絵葉書になりそうな托鉢を見て、再び興味が沸いてしまった不純な動機。帰る前日に、「また将来、得度してみたい」とブンミー和尚さんにも相談してみた。まずラオスに来ての再出家は無いと思うが、その反応と可能性を探ってみたかったのだ。

ところが、今迄の人達とちょっと反応が違った。「自分が出家したペッブリーの寺は下品な奴ばかりで、ノンカイとこのラオスでの寺は皆、品が良くて優秀だ」と本音ではあったが言ってみると、ブンミー和尚さんの謙遜だが「お世辞を言わなくていい」と言われるし、「品のいい寺で再出家してみたい」という希望には「何の為に再出家するのか、再出家したい理由はそれだけか?やったら還俗はしないことだ。」と言葉は丁寧だが、やや不信感を持っているような応え方だった。

私はブンミー和尚さんの優しさから親近感が沸いた結果の相談だったが「マズイこと言ってしまったなあ」と思ったが、まあ仕方無い。正論を言われているのだ。
翌朝、なぜかブンミー和尚さんが私が帰り支度する部屋にやって来た。

昨日言ったことがキツいと思ったのか、急に軽く肩を抱き寄せ、ほんの5秒ほどだが「お前が帰ってもずっと忘れないよ、またいつでも来なさい」と優しく言い出す。「オオ、これが藤川さんも気持ち悪がった抱擁か」と思うも「ヤメロや!」と突き放すことが出来ない。

帰り際には三拝して泊めて貰った御礼を言うが、ブンミー和尚さんはサーイシン(木綿の白糸)を右腕に巻いてくれて、更に額にインド人がやるような指でチョンと白い液を塗られて短い読経をしてくれた。有難いことだったが、額の白いモンは要らんなあと思ってしまう。けど嫌がることも失礼で、寺出るまでは我慢しようと思う。

ワンプラの日、寺へ寄進に訪れる信者さんの姿

比丘の朝食準備に掛かるワンプラの日の寺

◆ビエンチャンでまた逢う日まで

でもまた来よう。ビエンチャンは何も無いがその静けさと昭和30年代のような田舎道の佇まいがいい。今回はお腹壊しての不完全な別れ際とはならないよう気をつけていた。

最後は笑顔で何言ったか分からなくなるほど皆にキチンと挨拶を済ませた。カンペーンくんらには「今度会う時は語学優秀なビジネスマンとなって私より金持ちになっているかもしれないな」と言っておだてておく。努力家の彼らは謙遜していたが、アジアの奥地に居ても有り得る話である。

ナンマラタナさんと一緒にサパーンミタパープからタイへ渡る国境越えも問題なく終わり、ノンカイに戻ってすぐ、トゥクトゥクに乗ってワット・ミーチャイ・ターに向かった。

旅の最後となる滞在先、早速迎えてくれたのは、わんぱく坊主のバーレーくんだった。

首都だが田舎らしさが漂うビエンチャンの朝

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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