殺人事件としては戦後最大の死者を出した京都アニメーション(京アニ)の放火事件では、青葉真司容疑者(41)自身も重篤な火傷を負って治療中のため、取り調べすらできない状況が続いている。そんな中、「青葉が精神鑑定で無罪になる可能性もあるのでは?」と心配する声がネット上で散見される。

しかし、私は、その心配は無用だと考える。過去、犯人の責任能力の有無や程度が争点にあった重大事件を色々取材してきた経験上、青葉容疑者に刑法39条が適用される可能性は極めて低いと思うからだ。

「青葉容疑者は精神鑑定で無罪?」と問いかけるまとめサイト

◆妄想性障害の殺人犯も犯行を「元来の性格」のせいにされて死刑

刑法39条では、責任能力(物事の善悪を判断し、それに従って行動する力)がない「心神喪失者」の行為は処罰せず(第1項)、責任能力が著しく減退した「心神耗弱者」の行為は刑を減軽することが定められている(第2項)。だが実際には、日本の刑事裁判で重大事件の犯人が刑法39条により無罪になったり、刑を軽くされたりするハードルは非常に高い印象だ。

たとえば、2013年に山口県周南市の山間部で起きた5人殺害事件。犯人の保見光成は近隣住民5人を木の棒で撲殺し、うち2家族の家に火を放つなどしたとして殺人や放火の罪に問われた。しかし裁判では、無実を訴え、それと共に被害者たちから「嫌がらせ」を受けていたと主張した。

ただ、保見が主張した「嫌がらせ」の被害は、「寝たきりの母のいる部屋に、隣のYさんが勝手に入ってきて、『うんこくさい』と言われました」などという現実味のないものばかり。私は一、二審の審理を傍聴したが、保見は「被害妄想」にとらわれているとしか思えなかった。

事実、精神鑑定を行った医師2人のうち1人は、保見が「妄想性障害」だと結論。もう1人の医師も、保見は思い込みやすい性格を持つ「被害念慮」だと判定していた。これらの鑑定結果を額面通りに受け止めれば、保見は少なくとも「心神耗弱」と認定されてもおかしくないはずだが・・・結果、保見は一審・山口地裁で死刑を宣告され、控訴、上告も棄却され、死刑が確定した。

山口地裁の大寄淳裁判長が保見の完全責任能力を認めたロジックは次のようなものだった。

「被告人の妄想は、犯行動機を形成する過程に影響したとは言えるが、報復をするか、報復をするとしてどのような方法でするかは、被告人が“元来の性格”に基づいて選択したことだ」(一審判決より)

妄想から犯行に及んだとしても、それは被告人の「元来の性格」に基づく選択だというこのロジックを使えば、犯人がどんなに重篤な精神障害者でも完全責任能力を認めることができそうだ。

◆責任能力を判断するのは精神科医ではなく、裁判官や裁判員

私はこの保見以外でも、加古川7人殺害事件(2004年)の藤城康孝、大阪此花区パチンコ店放火殺人事件(2009年)の高見素直、淡路島5人殺害事件(2015年)の平野達彦など、責任能力の有無や程度が争点になった死刑求刑事件の犯人と面会したり、その裁判を傍聴したりしてきた。私には、この誰もが責任能力など到底認められない重篤な精神障害者に思えたし、実際、精神鑑定でもそのような結果が出ていた。しかし結局、誰もが裁判では、保見と同じようなロジックで完全責任能力を認められ、死刑とされたのだ。

では、精神鑑定で責任能力を否定しているように受け取れる結果が出ているのに、なぜ、完全責任能力が認められるのか。それは、精神鑑定を行うのは精神科医だが、裁判で責任能力の有無や程度を判断するのは裁判官と裁判員であるためだ。裁判官や裁判員が「この被告人に相応しい刑罰は死刑しかありえない」と思えば、強引なロジックで責任能力を認めることができるわけである。

◆統計的にも「殺人犯が心神喪失で無罪」は極めてマレ

実際、法務省の犯罪白書を見ても、直近5年に裁判の一審で心神喪失による無罪判決を受けた被告人は、2013年が3人、2014年が6人、2015年が5人、2016年が4人、2017年が6人と毎年ひと桁にとどまっている。新聞報道などで調べたところ、この中に殺人犯は3人いたようだが、うち2人は刑罰が軽くなる傾向がある「家族間殺人」のケースだった。

つまり、家族以外の者を殺害し、心神喪失による無罪判決を受けた殺人犯は直近5年に1人しかいないのだ(ただし、現時点で犯罪白書に掲載されていない事件まで含めると、今年4月、殺人罪に問われた被告人が東京高裁で心神喪失を認められ、無罪判決を受けている)。

報道によると、青葉容疑者は犯行直後、警察官に「小説をパクられた」と語っていたそうで、京アニが自分の小説をパクって作品を制作したという「被害妄想」を抱いている可能性もあるようだ。だが、その程度のことで無罪判決が出るほど、日本の刑事裁判は被告人に甘くない。他方、検察が殺人犯を心神喪失と判断し、不起訴にするケースは少なくないが、検察という組織の性質からして、京アニ事件のような特大級の重大事件でそのような選択をするとは考え難い。

青葉容疑者は火傷が重篤なようだが、無事回復すれば、検察と裁判所、裁判員が死刑にする公算が大きい。

青葉容疑者は、「京都アニメーション大賞」という京アニの小説公募に作品を寄せていたという情報もある

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。「平成監獄面会記」が漫画化された『マンガ「獄中面会物語」』(著・塚原洋一/笠倉出版社)が8月8日発売。

7日発売 月刊『紙の爆弾』9月号「れいわ躍進」で始まった“次の展開”

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)