自民党の次世代のリーダーらしいな、と思った方もおられるかもしれないが、常識で考えれば、まことに異様・珍妙な光景である。ひとりの政治家が、相手がタレントとはいえ「出来ちゃった婚」の報告で官邸をおとずれ、官房長官と総理大臣にその報告をして、おおいに祝福されたというのだ。しかもマスコミが国民的な関心をあおり、全国放映するという異様な光景だ。かれは特別な階級に属する、国民が注目するべき貴人なのだろうか? 小泉進次郎は国会議員とはいえ、ふつうの国民ではないのか?
いや、かれはふつうの国民ではない。上級国民なのだから──。
今回のパフォーマンスには、小泉進次郎がこれまで石破茂を総理候補として支持してきた(地方・農業政策は石破茂と一致している)ことから、安倍総理への宗旨替えを表明させたものと見られている。いうまでもなく、それをさせたのは菅官房長官であるが、今回はそれに触れるのは禁欲しておこう。
今回の「結婚」をだれもが祝福している、かのような報道もその報じ方の視点も、この国の異様さを顕している。とはいえ、だれもが「上級国民」というわけではないのだ。菅官房長官の「かれは入閣するのがいい」という発言に、猛反発が起きている。当り前だろう。特権者のように官邸を私物化し、下々の者はおおいに祝えというような演出に、反発が起きないわけがない。それは保守やリベラルを問わず、この国に定着しつつある「上級国民」への反発なのだ。あるニュースサイトは、以下のように伝えている。
「祝福ムードが盛り上がったばかりの進次郎氏だが、このタイミングでの『入閣打診』には、保守派からもネット上で怒りや疑問の声が殺到。また、進次郎氏の『過去の仕事ぶり』も槍玉に挙げられており、『国会で質問ゼロだったくせに』『これは出来レースだろ』『つまり解散が近いということか』『笑わせるな』『ご祝儀入閣やめろ』といった批判的な声が多く挙がっている。」(「まぐまぐニュース」総合夕刊版8月9日)これが「下層民」の率直な感想なのだ。
◆上級国民(Upper Class Nation)とは?
ところで、この「上級国民」という言葉は、社会に定着しつつあるようだ。わたし流に定義すれば、利権をともにする人脈・ネットワーク、および血縁やお友達関係を媒介にした利権の形成、さらにはかれらを国家権力が忖度する強固な階級の出現。こんなところだろうか。以下、解題していく。
日本の衆議院議員は、170人が世襲(地方議員・首長をふくむ)である。じつに3分の1が世襲なのだ。自民党の国会議員の40%が世襲議員だ。これはすでに、上級国民と呼ぶにふさわしい、政治家の血流があると言うべきであろう。第二次安倍内閣の閣僚世襲率は50%である。地盤・看板・鞄(カネ)をもって、議員の条件だとすれば、借金もふくめて世襲する日本の政治家はある意味で構造的なものなのかもしれない。けれども、血族で政治をまわしていくのは、王朝と呼ぶにふさわしい。世襲議員たちはそれぞれ利権を独占する地域王朝なのである。
たとえば、麻生太郎と鈴木善幸(その息子は鈴木俊一)は縁戚である。そして武見太郎(生前は医師会会長・その息子は武見恵三)とも縁戚である。さらには三笠宮寛仁親王とも縁戚である。過去にさかのぼれば、大久保利通・三島通庸の血を引く家系でもある。いうまでもなく、戦後の大宰相・吉田茂がかれの祖父である。そもそもかれは、麻生財閥の御曹司である。
たとえば、安倍晋三の祖父は岸信介であり、その弟は佐藤栄作である。吉田茂とおも遠い縁戚であるから、麻生太郎と遠い親戚なのである。財界の総帥・牛島治朗(ウシオ電機創業)とも縁戚である。先祖をさかのぼれば井上馨、松岡洋祐にたどりつく。麻生太郎と安倍晋三にかぎらず、日本の政治家は一族・血脈で政治を生業にしてきた。高級官僚・財閥一族も同じく利権を牛耳るという意味で、同様に一族と血脈で支配を独占してきたのだ。これを上級国民の基幹とみなすことができる。そして、それに何らかの縁で連なる学者や芸術家たち。
ちょうど、上級国民をタイトルに戴いた新刊が出ているので、おおいにこの言葉を流行らせる意味で、言葉の成り立ちから紹介しておこう。著者が版元にことわったうえで、ネットに掲載した橘玲『上級国民/下級国民』(小学館新書2019年8月)「著書の前文」からである。
2019年4月、東京・池袋の横断歩道で87歳の男性が運転する車が暴走、31歳の母親と3歳の娘がはねられて死亡しました。この事件をめぐってネットに飛び交ったのが「上級国民/下級国民」という奇妙な言葉です。
事故を起こしたのは元高級官僚で、退官後も業界団体会長や大手機械メーカーの取締役などを歴任し、2015年には瑞宝重光章を叙勲していました。
たまたまその2日後に神戸市営バスにはねられて2人が死亡する事故が起き、運転手が現行犯逮捕されたことから、「池袋の事故を起こした男性が逮捕されないのも、マスコミが“さん”づけで報道しているのも「上級国民」だからにちがいない」「神戸のバス運転手が逮捕されたのは「下級国民」だからだ」との憶測が急速に広まったのです。
すでに報じられているように、男性が逮捕されなかったのは高齢のうえに事故で骨折して入院していたからで、メディアが“さん”づけにしたのは“容疑者”の表記が逮捕や指名手配された場合にしか使えないためですが、こうした「理屈」はまったく聞き入れられませんでした。
2019年5月には川崎市で51歳の無職の男が登校途中の小学生を襲う事件が起き、その4日後に元農水事務次官の父親が自宅で44歳の長男を刺殺しました。長男はふだんから両親に暴力をふるっており、事件当日は自宅に隣接する区立小学校の運動会の音に腹を立てて「ぶっ殺すぞ」などといったことから、「怒りの矛先が子どもに向いてはいけない」と殺害を決行したと父親は供述しています。
この事件を受けて、こんどはネットに困惑が広がりました。彼らの世界観では、官僚の頂点である事務次官にまでなった父親は「上級国民」で、自宅にひきこもる無職の長男は「下級国民」だからです。
「上級国民」という表現は、2015年に起きた東京オリンピックエンブレム騒動に端を発しているとされます。
このときは著名なグラフィックデザイナーの作品が海外の劇場のロゴに酷似しているとの指摘が出て、その後、過去の作品にも盗用疑惑が噴出し大きな社会問題になりました。
その際、日本のグラフィックデザイン界の大御所で、問題のエンブレムを選出した審査委員長が、「専門家のあいだではじゅうぶんわかり合えるんだけれども、一般国民にはわかりにくい、残念ながらわかりにくいですね」などと発言したと伝えられました。
これが「素人は専門家に口答えするな」という「上から目線」として批判され、「一般国民」に対して「上級国民」という表現が急速に広まったとされます(「ニコニコ大百科」「上級国民」の項より)。
このように当初は「専門家/非専門家」を表わすネットスラングだったものがいつの間にか拡張され、池袋の事故をきっかけに、「日本社会は上級国民によって支配されている」「自分たち下級国民は一方的に搾取されている」との怨嗟(ルサンチマン)の声が爆発したのです。
下級国民という言葉まで反語として定義されているが、ここでは一般国民といったほうが適切であろう。下級国民がかつてのプロレタリアート(労働者階級)のように、賃金労働者が階級意識に目覚める、あるいは階級形成するという側面をいまだ持ちえないからだ。むしろ本工労働者とプレカリアート(非正規雇用者)という範疇からならば、ロスジェネや引きこもりもふくめた、現代社会の基本矛盾が顕在化するように感じられる。上級国民という言葉は、おおいに使われるべきであろう。今回の小泉進次郎の行き過ぎたパフォーマンス、総理官邸における奇妙奇天烈な結婚報告が、はしなくも現代日本の基本矛盾を露呈したように――。
▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。