小泉進次郎の環境相兼原子力防災担当相への就任。それを仕掛けたのは、菅義偉および田崎史郎だった。月刊「文藝春秋」9月号の「令和の日本政治を語ろう」というキャッチで、小泉進次郎と菅義偉の初対談が12頁にわたって掲載された。


◎[参考動画]環境相に小泉進次郎氏 第4次安倍再改造内閣が発足(共同通信2019/9/11公開)

◆進次郎を誘った菅官房長官の狙いは明らかだ

その中で菅氏は「進次郎という政治家をずっと見ていて感じるのが、何かをやろうという意思を常に持っているというところ」さらに「改憲は自民党の党是です」と迫ると、進次郎氏も「改憲にはもちろん賛成です」と応じる。田崎氏が「九月には内閣改造、自民党役員人事が控えています。進次郎さんはもう閣僚になっていい?」と振れば、菅氏は「私はいいと思います」と言明している。この記事は小泉進次郎を閣僚に登用する宣言だったのだ。

そして滝川クリステルとの結婚報告を、首相官邸で行なうという政治の私物化を堂々とマスコミに披露した。マスコミもそれを批判するどころか、まるで芸能人扱いだった。

ご存じのとおり小泉進次郎は無派閥で、どちらかといえば石破茂に近いとされてきた。というのも自民党農林部会で活動し、内閣府政務官として農業および地方創生で石破茂の活動を補佐してきた。のみならず、安倍総理と石破氏が総裁を争った党内選挙では、公然と石破氏への投票を明らかにしてきたからだ。ナショナリズムと個人的感情、そして独裁的な手法で政治を切りまわす安倍総理に、小泉進次郎も危険なものを感じていたからにほかならない。そして父純一郎の反原発政策を、基本的には引き継いでいるとされる。

進次郎を誘った菅官房長官の狙いは明らかだ。参院選挙で与党改憲勢力が3分の1を割り込み、自民党も議席を減らしている。消費税増税でさらに景気が冷え込み、アジア外交の行き詰まりから、安倍政権が死に体になるのは目に見えている。そこで話題づくりのために、国民的に人気のある小泉進次郎の閣僚起用ということになったわけだが、狙いはそれだけではない。あらゆる政治家は、ナンバーツーの存在を許さない。独裁的な政治家であればあるほど、政敵になりそうな政治家を潰しにかかるのだ。これまで一匹狼的に、いや孤高の立場から政治をコメントし、国民がその言動を注目している小泉進次郎人気を取り込み、しかし政治的な試練を与えることで「育成する」と称しながら、そのじつ潰しにかかっているのが菅官房長官および安倍総理の本当の思惑なのだ。

◆意地悪な人事だった

たとえばアメーバニュースの座談会で、ジャーナリストの堀潤氏は「(小泉氏の入閣が)意地悪な人事だった」と述べている「2020年にはオリンピックがあり、韓国もそうだが諸外国から日本の原発に関する注目度が高まっていく。政府は『アンダー・コントロール』と言っているが、その時に差配を振るうのが小泉さんだ。加えて、以前に比べて環境に対するブランド力は上がっている。その2点を踏まえて『やれるもんならやってみな』という思惑も見え隠れする」と言うのである。

いっぽうで、元日経新聞記者の鈴木涼美氏は「首相候補といわれている小泉さんを無傷で置いておくために環境大臣にしたのでは」と指摘した。「環境省は常駐の記者がいないくらいニュースに乏しいところだった。ニュースにならないということは安全ということだ」という。

ネットニュースのスマートフラッシュの記事によれば、進次郎氏を長年取材する政治ジャーナリストの鈴木哲夫氏は、こう指摘する。

「安倍(晋三)首相が、進次郎氏に環境相を打診したのには、“嫁いびり” というか、試練を与え、政権批判を封じ込めるという意図がある。父・純一郎氏は原発に反対。その整合性は取れるのでしょうか」と。父の小泉純一郎氏は「(原発の廃止に)大いに期待していると」記者会見で語気をつよめた。


◎[参考動画]「自然エネで発展できる国に」息子・進次郎に要望(ANNnewsCH 2019/9/15公開)

◆嫁いびりという見方も

初出張は、前任者の“お詫び行脚”だった。小泉進次郎氏は、就任翌日(9月12日)に福島県を訪問している。前任の原田義昭衆院議員が、福島第一原発の汚染水について、「海洋放出しかない」と発言したことを謝罪したのだ。

「この発言によって、お怒りになった方、またたいへん苦しい思いをされた方にまず会って、自分なりの気持ちをお伝えしたいと思った」というものだ。

原田氏の発言については、科学的な所見をふまえたものという評価もある(高橋洋一嘉悦大学教授・現代ビジネス)。高橋教授によれば、被災者に寄り添うだけでは汚染水問題解決しないということになる。

「環境相は、いまや発信力だけではなく、調整力や結果も問われる難しいポストになってしまった。大臣になって “逃げ” の発言が多くなれば、失望が広がりかねません」(政治ジャーナリストの角谷浩一氏、スマートフラッシュ)という見方もある。そして厳しい意見もある。

「前任の原田氏が、あえて批判の的になることを覚悟して『海洋放出』というボールを投げた。ところが、進次郎氏はじっくり考えずに動いた。世界の事例から考えても、処理水は希釈し、海洋投棄しても何ら問題はない。進次郎氏はその可能性をつぶしたのではないか。進次郎氏は、自らの発信力を『風評被害払拭』に向けるべきだ。寄り添っているフリだけ巧みにしているようでは、今後が心許ない」(ジャーナリストの有本香氏、夕刊フジ「以読制毒」)。これで安倍政権が、単に小泉人気を取り込んだだけではなく、閣僚人事が熾烈な「政局」であることを見ておく必要があるだろう。

◆よく似ている安倍総理と進次郎氏

それにしても、安倍総理と小泉進次郎氏はよく似ている。国民への好感度は、明快なしゃべり方、演説の能力によるものだ。演説の能力とは、同時に質問をかわして自分勝手な演説でそれを答弁に代える詭弁的な能力でもある。言葉の軽さと言い換えてもいいだろう。

難しいとされた日朝交渉に、当時官房副長官として登場した安倍氏は、自民党のプリンスとして国民的な期待感のなかで総理まで登りつめた。ちょうど20年前の安倍氏と、現在の小泉氏の姿はかさなって見える。政治家になる前史からたどってみたい。

その人の学歴を云々するのが、やや下品な批評であることを承知で解説しておくべきであろう。ふたりとも出身校は一流とはいえない。

安倍晋三氏は小学校から大学まで三菱財閥系の成蹊学園で、東大や慶応をめざした様子はない。東大法学部からキャリア組で警視庁入りし、のちに警察庁の審議官までのぼりつめた超エリートの平沢勝栄が家庭教師についても、晋三氏はお坊ちゃんが行く一貫校卒だったのから、その学力は推して知るべし。しかし、キャリアを積むためにアメリカに語学留学し、語学学校をへて南カリフォルニア大学に留学。神戸製鋼に入社し、ニューヨーク事務所、東京本社でビジネスキャリアを積んだ。南カリフォルニア大学はスポーツで有名だが、アメリカの最難関校とされている名門だ。その後、外務大臣を務めていた父晋太郎氏の秘書官になる。

小泉進次郎氏も、小学校から関東学院である。関東学院大学といえば、一時ラグビー部(春口監督)が大学選手権を連覇するなどの有名校(のちに大麻栽培の生活事故で凋落)だが、学力的にはトホホである。かつては赤軍派の拠点校として有名だった。東大闘争の安田講堂死守戦では、社学同の籠城部隊の主力だったという。横須賀にちかい六浦キャンパスは環境がいいといえばいいが、横浜から遠すぎる。小泉氏も安倍氏と同様に、国内でのトホホな学歴を、アイビーリーグの名門コロンビア大学に留学することで克服した。その後、ロンドンタビストック人間関係研究所配下の戦略国際問題研究所非常勤研究員をへて、父純一郎氏の私設秘書を務める。

◆安倍・小泉両家に共通する選挙基盤をささえてきた「黒歴史」

だが、ふたりが似ているのは、学歴やその後のキャリアアップだけではない。安倍・小泉両家ともに、反社会勢力との密接な関係で選挙地盤を築いてきた、隠された歴史があるのだ。

小泉家においては、横須賀一家がその選挙基盤をささえてきた「黒歴史」がある。横須賀一家とは稲川会の中核組織であり、現在も八代目の金澤伸幸が会長補佐を務めている名門だ。小泉純一郎を支援していたのは五代目にあたる石井隆匡、すなわち二代目稲川会会長、その人である。石井会長は竹下登にたいする皇民党の「褒め殺し」を止めたことで知られる。北祥産業というフロント企業を経営し、政商として自民党を操った。

三里塚闘争の「話合い」も北小産業で行なわれた。その石井会長の子分に浜田幸一元衆院議員、事実上の兄弟分に金丸信元自民党副総裁がいる。石井会長は金丸信と竹下登に「裏総理」と呼ばれ、赤坂の東急ホテルで会合するときには、若き日の小沢一郎がボディガードよろしくラウンジの入り口に立っていたという。

いっぽう、安倍家も小泉家におとらずヤクザと親しい歴史を持っている。地元の合田一家とは長らく、選挙協力の関係にあったという(地元関係者)。そして安倍晋三自身が、やはり対立陣営への選挙妨害などで特別危険指定暴力団の工藤會と密接交際をかさねていたのは、昨年8月の本欄および「誰も書かなかったヤクザのタブー」(タケナカシゲル著、鹿砦社ライブラリー)にくわしい。

かような相似性を持っているがゆえに、安倍総理の側からは小泉進次郎を手玉に取るのはたやすいことであろう。進次郎氏のほうもまた、安倍総理の成功に自分をかさねて政治家としてのキャリアアップの図を描き、シンパであった石破氏を見限ったのであろう。今回の入閣がキャリアアップにつながるのか、それとも安倍総理に潰されるのか、最大の興味をもって見守りたいものだ。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

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古い友人が苦しんでいる。「精神疾患と名前が付くほど状態ではないけど、仕事に行くことができず、本人曰く『エネルギーが枯渇している』と感じる」らしい。メールで「調子が悪い時、お前はどうやってしのいでいる?」と質問が来たので、はて、あの元気者が何を言い出したのか、と疑問は感じていた。

しかし一時的な忙しさ(奴の仕事は定型業務が全くないといってよいほど、バラィエティーに富んだ珍しい仕事だ)ゆえのことだろうと、わたしは深刻には考えなかったので、「とりあえず疲れが取れるまで寝とけ」とメールへ返信した。

◆ある日、朝起き上がる気力がなくなった

ところが数日後、今度は電話がかかってきた。「お前、京都の精神科知ってるだろう? どこがいい?」今回はかなり切羽詰まった声で前置きもなく精神科を紹介してくれという。事情を聴くと半年ほど前から心身の疲労蓄積を感じるようになり、疲れているのに睡眠が浅くなったそうだ。その後症状が徐々に悪化して、ある日ついに朝起き上がろうにも、その気力がなくなったという。

彼には気配りのできる伴侶がいるので、彼女にも体調の変化を聞いてみた。すると「実は半年前から私仕事を始めたので、朝は早く出かけて、夜の帰宅も早くはなくなりました。ちょうどそのころから彼の調子がおかしくなった」とのことであった。ご伴侶は世間でも「先生」と呼ばれる公的資格を持っていて、長年専業主婦の座で我慢してきたが、子供も就職が決まり夫婦二人になったので半年前から現役復帰をしたというわけだ。

◆「そんなふうに俺がなるもんか」という思い込み

私には奴と似たような経験があったので、気心の通じた開業医の精神科を紹介した。診察結果は私の予想通り「抑うつ状態、3か月の自宅加療を要する」であった。

私は出来立てほやほやの、その診断書を目にして「先生、この加療3か月ですが、1年にしていただけませんか。こいつは会社の経営者で会社は順調ですから1年くらい休めます。金も羨ましいほど持ってます。ただ、大学を出てからろくに休まずに四半世紀以上猛烈に働いてきたから」と付き添った私がお願いすると「経営者のかたですか。ならば雇用を切られる心配はないのですね。わかりました。加療はいきなり1年は書けませんから6か月にしましょう。その間には受診に来られますからまた伸ばせばいい」と私の意をくみ取って頂けた。

診察室を出てすぐに奴は「おい、1年も仕事休めねえよ。お前無責任だな」と小声で言うので「じゃあ廃人になるか、自殺に追い込まれたいか?」ときつめの視線で睨んでやると「そんなふうに俺がなるもんか」と視線をあわさずに言うので、「そう思っている人間が危険なんだよ。俺もそうだった。体力はともかく精神的に崩壊するなんて絶対にない、と思い込んでいたよ。俺の場合は20年ほど前だけどね。自分のことを『救急車』みたいに思っていたのさ。『救急車』は病人や怪我人を運ぶだろ。だけど時々運転ミスで事故をするとニュースになる。あれだよ。横転した救急車ほどか原状回復が難しいものだよ」と自信をもって長期療養を勧めた。

◆「俺が鬱になるはずがない」と思っている中年男性こそ危うい

最近奴ほど深刻ではないものの、同様の相談を受けることが多くなった。いずれも同世代の男性からだ。そして医学書にも書かれているが、私はほぼ確信を持ちつつある。これは男性の「更年期障害」というやつと無縁ではないと。ただし私の定義する男性更年期障害は性欲や性機能とは無縁の症状を指す。

女性の更年期障害には研究の蓄積があり、女性ホルモンの投与などで症状を抑える対処療法も確立されているが、男性の「更年期障害」については、「定期的に運動をする」とか「気分転換を心掛ける」など、まだこれといった決め手はなさそうだ。おじさんからおじいさんに転換する時期に男性更年期は起こることが多いようだ。たいていは軽度で1年以内に快癒するらしいが、男性更年期だけでなく「燃え尽き症候群」を伴っている場合には別の危険性もある。

わたしが知人に感じたのはその危険性だった。「俺は大丈夫。俺が鬱になるはずがない」と思っている中年男性が、これまで感じたことのない精神的な壁にぶつかったら注意した方がいいだろう。

「仕事が生きがい」の人でも「このままだったら『死ぬよ』」と警告すれば、ほとんどの人が休みを選択する。こう言っては失礼だが職人さんや小企業の経営者を除いて、「あなたがいないと回らない」仕事などないのだ。そのことに本当に気が付いたときに、思考の転換への好機が訪れるだろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

第4次安倍改造内閣の閣僚が酷すぎる。誰が大臣になっても政治は変わらないというのは一つの真理だが、失政の多くは閣僚個人を通じて行われるものであって、そのツケはすべて国民が背負い込むことになる。どれくらい酷い政治家ばかりなのか。紹介をかねて、その言動をあばいていこう。

◆竹本直一特命担当大臣(78歳)──このIT大臣はパソコン使えるのか?

竹本直一内閣府特命担当大臣(クールジャパン戦略、知的財産戦略、科学技術政策、宇宙政策)

元サイバーセキュリティ担当大臣で「PCを使ったことがない」「オリンピック憲章は知らない」「パラピック(パラリンピックのこと)」と国民を驚かせたのは桜田義孝(五輪担当)だが、所信表明に近い改造後の発言は、その大臣の資質を自己暴露するものだ。今回、IT政策担当大臣に抜擢されたのは、竹本直一氏(78歳)である。78歳と高齢なのは、内閣が派閥均衡(ただし主流派のみで、石破派など反主流派は排除)と順送りの起用の結果だ。竹本氏も政務官や副大臣を歴任し、今回晴れて大臣就任となったわけだ。IT担当相のほか、科学技術政策担当、宇宙政策担当、クールジャパン戦略担当、知財戦略担当の特命担当大臣として初入閣である。

ところが、いやある意味で当然というべきか、早々からトンデモ事態が明かになって物議をかもしている。なんと、自らのホームページがロックされ閲覧できない状態になっているのだ。ご本人は「なぜロックされているのか、原因はわからない」という。その後、竹本氏は自身の公式ツイッターで、「ドメインを管理している会社からロックがかけられた状態になっており、復旧作業を進めている」などと説明している。

そしてもうひとつ、記者会見で突然「行政手続きのデジタル化と書面に押印する日本古来のハンコ文化の両立を目指す」と言い始めたのだ。役所をはじめとする事務手続きでハンコが必要となる煩雑さに関して、これまでにも議論が沸き起こっていたが、デジタル化を推進するはずの大臣がこんなことを言いはじめたのだ。ハンコ文化は中国・朝鮮から渡ってきたもので、それを「日本古来の」と言いなすのも見識が問われるというものだ。そして問題なのは、竹本氏がハンコ議連の会長であることだ。これは業界の利害をのみ突き出した、利益誘導ではないのか。いや、そもそも桜田元大臣といい、竹本大臣といい、高齢でとてもITに向いていない人材を、最先端技術の要職に登用しなければならないところに、安倍政権の末期的な姿がある。

◆北村誠吾地方創生・規制改革担当大臣──職務をわかっていない老害大臣

北村誠吾地方創生・規制改革担当大臣(同氏HPより)

30年以上にわたって、地元住民(建設地の地権者)が反対している石木ダム(長崎県川棚町)について「誰かが犠牲にならなければならない」と、強制収容を匂わせた大臣もいる。大規模ダムなどという昭和の遺物に執着する、まさに老害といういうしかない。

その人物は72歳という高齢で地方創生・規制改革担当大臣に就任した、北村誠吾氏である。ちなみに、地元住民は治水対策としては水道管の漏水など、生活に直結したものを優先してほしいと訴える。

9月7日にはダムに反対する集会に150人ほどが集まり、「土地の強制収用はさせない」とする宣言文を採択した。宣言文は9日に県知事あてに提出する予定。参加者は集会後、のぼりなどを掲げて市街を練り歩き「ダムは要らない。皆で止めよう」と声を上げた。北村氏は就任会見では「大臣の仕事については、これから勉強していきたい」と、準備ができていないところを自己暴露したが、官邸への呼び出しが当日にならないとわからない組閣の常とはいえ、あまりにも安易な順送り起用とはいえないだろうか。

◆衛藤晟一一億総活躍担当大臣──日本会議と現政権の直接の窓口役

衛藤晟一一億総活躍担当大臣(同氏HPより)

改造政権はポンコツであるとともに、トンデモ極右政権でもある。一億総活躍担当相として入閣した衛藤晟一氏(71歳)がその最右翼といわれている。1947年生まれで、学生時代は三派全学連・全共闘の時代とかさなる。衛藤氏は大分大学で「九州学生自治会連絡協議会」(のちに全国組織)を結成し、打倒全学連運動の先頭に立ったという。生長の家の活動家でもあった。大分市議、県議をへて衆議院議員(現在は参議院)と、官僚出身ではなくベタに党人派としてのキャリアを積んできたわけだが、その極右思想は一貫している。日本会議国会議員懇談会の幹事長をつとめ、日本会議と現政権の直接の窓口役となっている。

「日本会議の生みの親」とも呼ばれる村上正邦元参議院幹事長はインタビューでこう発言している。

「もし安倍さんが日本会議の言い分を尊重しようとしているなら、衛藤晟一を大臣にしているはずですよ。だけど、入閣させてないということは、そういうことですよ。日本会議の象徴は、稲田(朋美・防衛相)じゃない。稲田だとみんな言うが、衛藤ですよ」(「週刊ポスト」2016年9月2日号/小学館)。自衛隊の国防軍化、原発賛成、死刑制度賛成、夫婦別姓反対、女系天皇反対と、極右政治家としての基本政策はもちろん、婚外子の差別を是正する「婚外子の相続分規定改正案」に、自民党の党議拘束に反して賛成票を投じなかった筋金入りの超保守なのである。

◆お友だち起用の萩生田光一文科大臣──安倍氏・加計氏と3人でバーベキュー

衛藤氏よりもさらに極右で、しかも安倍総理にベッタリの役どころを演じると思われるのが、文部科学大臣に就任した萩生田光一氏だ。萩生氏の議員会館事務所には、なんと教育勅語が掲げられているという。

文科相としての起用には伏線がある。それは2013年には自民党の「教科書検定の在り方特別部会」の主査に就任していることだ。同部会は「自虐史観に立つなど、多くの教科書に問題となる記述がある」と教科書会社の社長や編集責任者を呼び出し、南京事件や慰安婦問題、竹島などの領土問題、原発稼働の是非などに関する教科書の記述について聞き取りをおこない、圧力をかけたこともある。

2007年には、日本会議の設立10周年大会にメッセージを送り、「行き過ぎたジェンダーフリー教育、過激な性教育」対策では日本会議の識者の先生方の後押しもいただき、党内でも問題を喚起し、ジェンダーの暴走をくい止め、正しい男女共同参画社会へと路線を変更する事ができました」などと自慢げに報告している。それよりも萩生田氏の最大の問題点は、安倍総理の「お友だち利権」であろう。

第一次安倍政権いらい、安倍総理は仲間内を大事にして、いわば上級国民ともいうべき階層を代表する政治運営に奔走してきた。大企業の法人税の軽減による「経済の活性化」という、およそ消費重視の内需拡大の経済発展ではなく、一部の資本家と上層社会が儲かる仕組みをつくってきた。

羽生田氏と安倍・家計

そしてもうひとつが、お友だち優遇の行動である。羽生田氏は選挙に落ちた「浪人時代」に、加計学園系の千葉科学大学の客員教授に就任しているが、2017年に内閣官房副長官として「教授就任前に加計氏とは付き合いはなかった」と国会答弁している。ところが、2013年ごろの写真として安倍氏・加計氏と3人でバーベキューをしている写真が暴露されたのだ。そこから「嘘つき政治家」と称されるようになったのだ。平気で嘘をつくような人物を、お友だちだからといって教育にたずさわる文部科学大臣にしてもいいのか。

反安倍から官邸での結婚報告と、安倍政権へのすり寄りに転じた小泉進次郎の環境相就任。元SPEEDの今井絵里子が当選一回ながら内閣府政務官に就任するなど、話題に事欠かない第4次改造安倍内閣。長くなりそうなので、この記事は続編を期待してほしい。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

創業50周年 タブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』10月号絶賛発売中!

安倍晋三までの62人を全網羅!! 総理大臣を知れば日本がわかる!!『歴代内閣総理大臣のお仕事 政権掌握と失墜の97代150年のダイナミズム』

 

映画「40年 紅どうだん咲く村で」

ドキュメンタリー映画「40年 紅どうだん咲く村で」の上映を、大阪市九条の「シネ・ヌーヴォX」で観た。3・11から7年間、福井県美浜町で40年間反原発を闘っている松下照幸さんを撮り続けた作品だ。

監督の岡崎まゆみさんは、福島の原発事故の惨状を目の当たりにし、「原発を原子力村を『知ろうとしなかったのだ』ということを、そのときに『知った』」と悔やみ 、「ドキュメンタリー映画を作るということは、まず『知る』ことから始めよう」と、松下さんを訪ねた。その後美浜町に通い続け、この作品を完成させた。

◆松下さんが反原発に変わったきっかけ

若狭湾の南東部に突出した敦賀半島にある美浜町には、1970年に1号機、1974年に2号機、そして1976年に3号機の計3基の原発が造られた。この町で生まれた松下さんは、もともとは原発反対ではなかったという。

反原発に変わったきっかけは、20代の頃、家から100メートルも離れていない家の青年(22歳)が白血病を発症したことからだ。関電の原発で働いていた青年は、入院した地元の舞鶴市民病院から、半ば強引に大阪の関電病院に移送され、そこで亡くなったと聞かされた。

「地元の病院で亡くなったなら、データは地元に残るが、大阪の関電病院で亡くなったら、データはどうなるのか? 何かが隠されないか?」。松下さんはそう疑問を持ち始め、独自に原発問題を学習し、反原発に変わっていった。

◆運転開始から28年間、一度も検査や交換をしていなかった伝熱管

 

映画「40年 紅どうだん咲く村で」

美浜原発では、1991年2月2号機で、蒸気発生器の伝熱管の1本が破断したため、原子炉が自動停止し、非常用炉心冷却装置が働くという事故が発生、5年後の2004年8月には3号機で、タービンを回すための二次冷却水の配管が破裂し高温の蒸気が噴出、11人の死傷者を出すという大事故が発生した。

破損した配管は相当摩耗していたが、1976年の運転開始から28年間、一度も検査や交換をしていなかったという。配管は、水流や腐食によって厚みが減る「減肉」を起こしており、通常10ミリある厚みが、最も薄いところで0・4ミリしかなかった。

1991年の事故のあと、松下さんは、神戸で反原発を闘う仲間から送られてきたチラシを、初めて居住地域でまいた。暗くなった夜遅く、妻と娘とともに1軒1軒、こっそり入れてまわったという。

映画でこの話をするとき、松下さんは突然何かを思い出したように涙ぐんだ。村の中で、原発反対を口にすることがいかに困難だったことか。驚くのは、当時お元気だった松下さんのお母さん(故・松下八千代さん)が、家の前で道行く人に平気で「読んで」とチラシを渡していたというエピソードだ。松下さんはそれを「息子の言っていることを信じてくれたから」だと話す。

◆「原発のせいだ」とは言えずに生きてきた原発立地の住民たち

もとより原発立地の住民は、手放しで原発を誘致したわけではない。橋1本、道路1本つけてもらうために、仕方なくそれを選択してきた。福島も福井も、そして私の故郷・新潟も、原発がきたことで、出稼ぎに出なくて済むようにはなった。地元にも原発関連の仕事が出来たからだ。莫大な交付金は、しかし住民の生活を直接潤すことはなく、立地自治体に不釣り合いなでかい「ハコモノ」などに次々に化けて、維持費が追い付かず、結局「もう一基作ってもらおう」と原発への依存体質を強めていった。

家族や親せき、隣近所の人たちが原発関連の仕事に就いているため、原発に関することは半ばタブーとされてきた。大熊町で農業を営みながら、反原発の歌を詠み続けてきた佐藤祐禎さん(2013年避難先で死去)の歌集「青白き光」(いりの舎)にも、そうした歌が多数詠まれている。

「サッカーのトレセン建設を撒餌とし原発二基の増設図る」
「鼠通るごとき道さへ鋪装され富む原発の町心貧しき」
「原発事故にとみに寡黙になりてゆく甥は関連企業に勤む」
「危険なる場所にしか金は無いのだと原発管理区域に入りて死にたり」
「子の学費のために原発の管理区域に永く勤めて友は逝きにき」

 

松下さん、木の成長が待ち遠しくて笑顔(映画「40年 紅どうだん咲く村で」より)

生活の為、うすうす危険を承知で原発を選び、結果大切な家族、身近な人を亡くした人も多いことだろう。しかし周囲に気兼ねし、「原発のせいだ」とは言えずにきた。美浜町もそうであったろう。

しかし、そうした町も少しづつ変わってきた。91年の美浜2号機事故後は「一体どうなっているのか?」と松下さんに聞いてくる人が増えたという。3・11後、故郷・美浜町に戻った青年が「町はまるで茹でガエルのようだ」と悲観し、2014年、2003年以降12年ぶりの町長選挙に出馬を決意した。松下さんも応援した選挙では、現町長約3500票に対して青年は2000票強。敗れたとはいえ、この数字は原発依存からの脱却を考える、町民の民意の反映ではないだろうか。事故を経験し、原発の危険性に気がつきはじめ、それに伴い町の人たちの松下さんを見る目がかわってきたという。過去には、まるで汚い物見るような視線があったと、松下さんは語る。

松下さん、地域の八朔祭に参加(映画「40年 紅どうだん咲く村で」より)

◆「反対」だけでは原発を止められないとの思いで始まった松下さんの反原発の闘い

「都会で反原発をいう人は『なぜ原発立地の人たちは危険な原発に反対しないの』という。しかし原発立地の人たちにとって原発をなくすということは、原発関連産業で働く『地域の仲間たち』の職を奪うことだ。そこに私はずっと負い目を感じてきた。だから反原発と言うだけでは解決しない。原発に依存しない経済や生活を作ることと一緒に行わないといけない」と、松下さんは自身の反原発のスタンスを語る。松下さんは現在、原発にかわる地場産業になればと、「紅どうだんつつじ」という花木を栽培、販売する事業を手掛けている。

そして「福井の原発が事故を起こしたら、放射性物質は風下の太平洋側に流れていきます。チェルノブイリ事故では、2000キロも遠くへ放射性核種が飛散している。現地がいくら反対しても原発は止められない。全国の人たちと、原発立地の人たちがともに闘わないと止められません」とも。「私の誇りは40年間負けなかったこと」、映画の中でそう話し、再び目を潤わせた松下さん。「反対」だけでは原発を止められないとの思いで始まった松下さんの反原発の闘いは、いよいよその重要性を増している。


◎[参考動画]『40年 紅どうだん咲く村で』予告編(mayumi okazaki 2019/8/10公開)

※映画「40年 紅どうだん咲く村で」HP https://benidoudan.themedia.jp/

◆「鉄塔」という詩

小浜市明通寺の中嶌哲演さんらが発行する「はとぽっぽ通信」に、いぜん掲載された「鉄塔」という詩がある。福井県の原発で作られた電力は、鉄塔と送電線を使い、はるか遠い、最大の電力消費地・関西に運ばれる。遠くに運ぶための鉄塔と送電線には膨大な費用がかかり、しかも長い送電線で送るため、せっかく作った電力は消費地にたどり着くまでにロスを生じさす。ならば、電力を大量消費する都会の近くに作ればいいものを。そうしない、いや出来ないのは、原発事故が起きたとき、失うものが余りに大きすぎるからという理由に他ならない。電力を大量消費する私たちが、どう反原発を闘うかが問われているのだ。

「鉄塔」というこの詩は、美浜原発3号機で息子さんを亡くしたご遺族か、関係者が詠んだものと思われる。美浜3号機の事故のことは私も知ってはいたが、メディアで報道されないことが、詩の中にあった。長い詩の一部を紹介したい。岡崎監督が述べたように、原発立地の町で何が起きたかを「知る」ために。

「鉄塔」 小浜市f.t

透き通った小魚を煮えたぎる湯の中に入れると
一気に白く茹で上がるのを知っているだろうか

あの日、発電所は古くなった配管の損傷を見落としていた
あの日の朝「いってらっしゃい」と見送った息子が
真っ白い遺体になって自宅に運ばれた時の母の気持ちがわかるだろうか

発電所の下請けの、また下請けの地元の若者が
高温の蒸気を浴びて一瞬にして命を落とした

若者の葬儀のために 電力会社の人間が本社から大勢やってきた
昼飯に、海辺の町の寿司は旨いといってたらふく食べたあと
神妙な顔に作り変えて葬儀で頭を下げた

海と田園を持つ田舎のこの町は電気を作ることだけを受け持っているけど
命に代えるほどのメリットが有るはずはないのだけど
電気は必要だけど
ウランは一度怒りだしたら百万年鎮まらない難儀な男
電力会社に もう一度見詰め直してほしいんだけど。

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。最新刊の『NO NUKES voice』21号では「住民や労働者に被ばくを強いる『復興五輪』被害の実態」を寄稿

「風化」に楔を打ちこむ『NO NUKES voice』21号  創刊5周年記念特集 死者たちの福島第一原発事故訴訟

玲子さん(仮名)はわたしの友人の連れ合いで、同じ年だ。友人もわたしと同学年なので3人とも「同じ年」うまれである。玲子さんは大学卒業後から専門的な職業にフルタイムで勤務し、結婚、出産を経た現在も勤め続けている。友人も悪くない収入を得ているので、お二人をあわせた年収は2000万円近くにはなるだろう。

わたしの友人と玲子さんは、学生時代に知り合い結婚した。その後お子さんが3人生まれた。わたしは友人とは気楽に話ができるが、同学年である玲子さんとは、どうも波長が合いにくい(めったに顔を合わせることもないからかもしれない)。

◆ディズニーランドとVサイン

玲子さんは忙しい中、実に活動的に生活をしている。彼女はディズニーランドの年間パスポートを持っている。いつからかは知らないが、毎年年間パスポートは購入している。いったいいくらするのか調べたら(おせっかいだが)ディズニーランドだけ入場可能な年間パスポートが、大人61,000円で、ディズニシーにも入場可能な「2パーク年間パスポート」は、大人89,000円だ。玲子さんの家からディズニーランドまで、日帰りできなくはないが、新幹線を利用しても片道3時間近くはかかるから、ディズニーランドに行くときは、だいたい近くのホテルに宿泊することになる。アトラクションが変わると、必ず出かけるそうだ。そのたびに両手いっぱいのディズニーランドで購入したお土産を買って帰ってくる。

玲子さんに限ったことではないが、わたしたちの世代には、写真や、映像に写るとき手のひらで「Vサイン(ピースサイン)」のポーズをする人が珍しくない。玲子さんは友人によると、確認できる限り慶弔時などを除けば「すべて」の写真で「Vサイン」のポーズをとっているという。それは80年代から今日まで変わらない。夫婦ともにフルタイムで働き3人の子どもを育て上げるのは、さぞかし手もかかり忙しいことだろうと想像するが、友人によれば「それほど大したことではない」という。立派なものだ。


◎[参考動画]東京ディズニーランド 周年 CM(1983-2018)

◆お子さんの不登校と友人たちとのランチ

だけれどもお子さんのうちの一人は数年前から不登校気味である。理由はわからないが親子間の問題が原因ではなさそうだ。だからであろうか。玲子さんは不登校のお子さんのことはあまり気にせず、休日には友人たちと「ランチ」(「ランチ」は「ひるごはん」の意味だと思っていたが、女性が寄る「ランチ」は「ひるごはん」を食べながら、延々何時間もおしゃべりをすることを指す場合もあると近年知った。結果解散は夕刻になる)に出かけたり、海外旅行に行くこともある。

近年出かけた海外旅行は、玲子さんの友人たちとの旅行、2泊3日だったそうだが、そこで玲子さんが納まった写真でも、やはりかならず「Vサイン」がみられる。玲子さんのほかにも結構な頻度で「Vサイン」をしている人の姿もある。何が理由だか記憶にはないが、たしかに中学時代の修学旅行や、大学時代にわたしのまわりでも、男女を問わず写真機を向けられると「Vサイン」をする姿はめずらしくなかった。いまの若者はどうか知らないけれども、わたしたちの世代にとって「写真に映るときは『Vサイン』」は結構浸透していて、染みついている。

1960年代中盤生まれのわたしたちの世代に記憶が定かなのは、大阪万博あたりからであろう。多くの同世代の知人は、大阪万博について断片的であれ何らかの記憶を語ることができる(居住地が大阪に近かったこともあろうが)。途方もない人の波と何時間にもわたるパビリオンへの入場待ちの列。子供ごころに「足痛い。こんなん、もうええわ」と退屈した記憶がある。あの記憶以降、わたしには長蛇の列は、なるべくであれば避ける習性が身についている。一方玲子さんは逆だ。2-3時間待ちはディズニーランドでは常識の範囲らしい。平日は仕事をしているから、週末に出かけることが多いという。当然ディズニーランドは、平日よりも休日のほうが混むだろう。 

◆消えた「不良」

わたしたちの世代には「不良」がいた。「不良」は見た目で識別できた。今日、わたしが知る限り、容姿から「不良」が識別できるのは大阪の南部の限られた地域と沖縄だけである(ほかにも地域はあるかもしれないが直接目にしたことはない)。
「不良」が可視的であった時代には素行もだいたい予想ができた。そしてみずからは「不良」ではないが、なんとなく「不良っぽい」姿や行為に魅力を感じる若者もいた。彼・彼女らは表立っての「悪さ」はしないが、親が出かけた友人の家に集まってタバコを吹かしたり、酒を飲んだり、いまでは「クラブ」と呼ばれる「ディスコ」に高校生(ときに中学生)であっても繰り出したりしていた。


◎[参考動画]中学生暴力白書 black emperor ブラック エンペラー

まだ暴対法や、風営法のない時代。良くも悪くも今ほど「管理」が緩い時代だった。わたしには「不良」経験はないが、玲子さんは少し「不良」っぽい姿や振る舞いをすることを好んでいたそうだ。前述の通りあの時代別に珍しいことではない。その玲子さんは大学を出ると真面目に就職。結婚をして3人の子どもの母となる。仕事ぶりは真面目だろう。同世代のほとんどは、「真面目な」勤労者や、親になっている(わたしはそうなれなかった)。

他方、「ちょっと不良っぽい」ことに憧れた、若い日を過ごした玲子さんからは、いまでも、あの頃の雰囲気がどこかに感じられる。「虚無だった80年代」といえば言い過ぎかもしれないが、表層で「不良」が暴れまわり、「普通」の生徒もちょっと憧れる。「不良」は早々に「体制化」されてゆくことは「暴走族」が訳も分からず、特攻服や日の丸を掲げていたことに象徴的だ。おなじく「ちょっと不良っぽい」に憧れた層は、より安定的に「体制化」されてゆく。「Vサイン」と「ディズニーランドの年間パスポート」は、80年代を中高生で過ごした世代、ある部分の「エキス」ともいえるかもしれない。


◎[参考動画]The Two Beats (Takeshi & Kiyoshi) 1981

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

ジェネリック薬は、主剤が先発薬と生物学的同等性(血中濃度推移に統計学的な差がないこと)認められれば、認可されます。こうした、行政的な手続きより、本当に大切なのは、身体に対する作用が、同等なのか、そうでないかではないでしょうか?

前々回に書きましたが、薬とは、「体の中で起きたこれらの遺伝情報の発現に作用して、症状を抑えようというものです。高血圧を下げたり、前立腺癌の増殖を抑えたり、病気の状態に合わせて様々な働き」をするものです。遺伝情報の発現は、DNA→RNA→タンパク質という一方向の順に進みます。このRNAは、情報を伝えるという意味で、「伝令RNA」或いは「メッセンジャーRNA」(mRNA)と呼ばれています。この間に行われるのが「転写」と「翻訳」というプロセスで、最終的には、たんぱく質として体内で機能を発揮します。遺伝子情報の「転写」、「翻訳」が有効に進行すると、「薬が効く」ことになります。

ですから、薬の働きを調べるためには、遺伝情報の発現の過程を調べれば良いことになります。先ず、思いつくのが、翻訳されて作られたタンパク質を解析することだと思います。タンパク質について、ネットで検索してみますと、「20種類のアミノ酸から構成されており、その性質、例えば、水溶性であるとかないとかなど多様であるため、一つ一つのタンパク質の量とかを調べるのは極めて難しい」という、手間のかかることだと判りました。

次のターゲットとしては、mRNAです。これはDNAからの遺伝情報をタンパク質にするために、写し取られたものです。その情報は、ウラシル(U), アデニン(A)、シトシン(C)、グアニン(G)と呼ばれる4つの化学物質(塩基と呼ばれています)の並び方に中にあります。従って、その並び方(配列)を調べれば、遺伝情報としてどんな情報が伝えられているかが判ります。

こうしたU、A、C、Gの並び方解析は「RNAシークエンシング(配列解析)」と呼ばれています。ネット情報によりますと、RNA配列解析は、この10年で格段の進歩を遂げ、40億塩基の並び方を決めるのに、3-5万円できるようになったそうです。RNAは棒状なので、1本、2本と数えるのですが、約2,000万本のRNAの塩基配列を3-5万円で調べることができます。また、コンピューターの進歩により、40億本の塩基配列の解析でも、どのような遺伝子からどれだけ遺伝情報が発現しているかの解析は、数日でできるとのことです。

こうしたRNA配列解析は、細胞のがん化に関わる遺伝子の解析などに、最近、よく使われていることが判りました。そこで、私は、ジェネリック薬、遺伝子発現など、関係しそうな言葉で、色々検索したところYoutubeで、下記の動画を見つけることが出来ました。


◎[参考動画]遺伝子発現にみる先発薬と後発薬(安江博 2019/8/16公開)

この動画では、高脂血症治療薬である「シンバスタチン」と呼ばれる薬の先発薬とジェネリック薬を投与したとき、肝臓での遺伝子発現について調べています。私は、医学の難しい話はわかりませんが。でも、この実験によると「先発薬とジェネリック薬とでは、肝臓に与える影響が違う」ということが判明しています。肝臓に与える影響が、どのようなものなのか、また、どの程度なのか。本当は製薬会社がしっかり検証して、薬の副作用欄に記入するのが責任だと思うのですが……。

ジェネリック薬については、生物学同等性(血中濃度推移に統計学的な差がないこと)しか検査されていないわけですから、薬を飲んでいる側としては、不安になりますよね。ジェネリック薬のお陰で、また、別の病気になったのでは、薬の量が増えて、健康には決して良いとは言えないのでと思います。お金を節約して、命を削ることはやっぱりしたくないと思ってしまいました。

 

◎連載過去記事(カテゴリー・リンク)
赤木夏 遺伝子から万能細胞の世界へ ── 誰にでもわかる「ゲノム」の世界 
http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=73

▼赤木 夏(あかぎ・なつ)[文とイラスト]
89歳の母を持つ地方在住の50代主婦。

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重森の前蹴りを掴んで凌ぐシラー

重森の右ミドルキックをキャッチし、パンチを打ち込むシラー

好ファイトが続出したTITANS NEOS、新メインイベンター重森陽太は苦戦を導く引分け。続くHIROYUKI、髙橋亨汰、喜多村誠、泰史も上位に繋がる結果となる勝利。いずれラジャダムナン王座を狙うリカルド・ブラボは他団体チャンピオンに痛い判定負け。

◎TITANS NEOS 26 / 9月1日(日)後楽園ホール17:00~20:35
主催:TITANS事務局 / 認定:新日本キックボクシング協会

◆第11試合 61.5kg契約 5回戦

WKBA世界ライト級チャンピオン.重森陽太(伊原稲城/61.2kg)
VS
シラー・ワイズディー(元・ラジャダムナン系バンタム級C/タイ/61.45kg)
引分け1-0 / 主審:椎名利一
副審:桜井48-48. 宮沢49-48. 少白竜48-48

いつもの前蹴り、ハイキックの鋭さを見せる重森は初回、すでに主導権を導く勢いがあった。しかし、シラーは怯まずローキックを中心にパンチを振って前進してくる。

時折、ボディーブローを炸裂させたシラー、重森は動じなかったが、やや効いたか

重森のしなやかなミドルキックは勝利を導く技、前半は調子良かったが・・・

時折、派手な技を繰り出す御茶目なHIROYUKI、回転後ろ蹴りを見せる

第2ラウンドには、長身の重森も更に出てくるシラーにヒジ打ちを合わせ、額(右眉上)をカットさせた。ここから逆転に勢いを増してきたシラーは重森の前蹴りやミドルキックを掴んでかわし、徐々に距離を詰めパンチを打ち込む流れに変わっていく。

度々ボディーブローも貰ってしまう重森。第4ラウンド以降、前進止まないシラーを調子付かせてしまい、結果は引分け。48-48の二者は2・3ラウンドが重森、4・5ラウンドがシラーの前蹴り対策がそのまま採点に表れていた。

◆第10試合 55.5kg契約3回戦

日本バンタム級チャンピオン.HIROYUKI(=茂木宏幸/藤本/55.2kg)
VS
KING強介(元・レベルスムエタイ・スーパーバンタム級C/fighting bull/55.4kg)
勝者:HIROYUKI / TKO 3R 1:11 / 主審:仲俊光

パンチとローキックが軸の攻防で、KING強介の出方を伺いながら、自分の技を試すHIROYUKI。

第2ラウンドには接近したところでヒジ打ちがヒットし、強介は左目尻を小さくカット。

次のラウンドに繋ぐとパンチで出てきた強介に右ヒジ打ちを同じ箇所に当てると強介の傷が深くなり、ドクターの勧告を受入れレフェリーストップとなった。

正攻法の左ミドルキックでもKING強介を圧倒したHIROYUKI

◆第9試合 67.0kg契約3回戦

日本ウェルター級チャンピオン.リカルド・ブラボ(アルゼンチン/伊原/66.75kg)
VS
J-NETWORKウェルター級チャンピオン.峯山竜哉(WSR・F西川口/66.85kg)
勝者:峯山竜哉 / 判定0-3 / 主審:桜井一秀
副審:椎名28-29. 宮沢28-29. 仲28-29

このクラスになると蹴りの重さが際立つ交錯。リカルドのミドルキックに対し、峯山の返す蹴りも重く、互いの攻防の中にも峯山の左ミドルキックが引き立つ勢いがあった。

第2ラウンドには接近したところで峯山の左ストレートがヒットしてリカルドがノックダウンを喫する。巻き返しに出てくるリカルドに応戦する峯山。リカルドは必死の形相でパンチや組み付いてヒザ蹴りを連打。猛攻を掛けたリカルドだったが巻き返しならず、判定負けを喫した。

リカルド・ブラボからダウンを奪い勝利した峯山竜哉

◆第8試合 61.5kg契約3回戦

日本ライト級チャンピオン.髙橋亨汰(伊原/61.45kg)
VS
ラックチャイ・ジャルンクルンムエタイ(タイ/61.25kg)
勝者:髙橋亨汰 / 判定3-0 / 主審:少白竜         
副審:椎名29-28. 桜井29-28. 仲30-28

ラックチャイは前回、重森陽太に敗れるも前進衰えないタフさが印象付いた。高橋は前蹴りやハイキック中心に先手を打って攻める。

接近するとヒジを振って来るラックチャイには油断ならないが、ヒザ蹴りやハイキック、ヒジ打ちの応酬となっても高橋は怯まず応戦し、ラックチャイのバランスを崩し競り勝つ。

高橋の攻める手数は重森陽太に負けない勢いを見せた。

重森戦では敗れたが、タフなラックチャイを追い詰めた髙橋亨汰

ラックチャイの前進を止めた前蹴りが顔面を捉える

喜多村のヒジ打ちが連打されていく

◆第7試合 70.0kg契約3回戦

喜多村誠(前・日本ミドル級C/伊原新潟/69.8kg)
VS
LBSJウェルター級チャンピオン.喜入衆(NEXT LEVEL渋谷/69.7kg)
勝者:喜多村誠 / 判定3-0 / 主審:宮沢誠
副審:桜井30-28. 少白竜29-28. 仲30-28

第1ラウンドの蹴り中心の攻防から喜多村が徐々に前進を強める。第2ラウンドにパンチの応酬で喜入は右目下を小さくカット。喜入も前進し、ヒジ打ちで圧力を掛けるも、冷静な喜多村はヒジ打ちを返していくと喜入の額の辺りも大きくカット。

第3ラウンドには喜入がラッシュを掛けてくるが、喜多村は接近すれば叩きつけるヒジ打ちで何度も喜入の前頭部を攻め込むと、喜入の額の負傷は3箇所ほどに増え、かなりの流血。

更にパンチや蹴りで圧倒する喜多村だが、諦めない喜入はスピード、パワーが鈍っても攻め返してくるが、喜多村の圧倒した展開は変わらず判定勝利した。

叩きつける喜多村のヒジ打ちの嵐

顔面の数箇所から出血した喜入衆

喜入が流血しながらバックハンドブローを打つ

◆第6試合 スーパーフライ級3回戦

泰史(前・日本フライ級C/伊原/52.1kg)
VS
老沼隆斗(レベルスムエタイ・スーパーフライ級C/STRUGGLE/52.0kg)
勝者:泰史 / KO 2R 2:57 / 主審:椎名利一

両者好戦的な蹴り合いから、老沼が先手を打って出る流れ。しかし泰史が徐々にパンチで追いはじめ、第2ラウンドにボディーブローからヒザ蹴りでノックダウンを奪うと、更にヒジ打ちを折り混ぜながら右ストレートで2度目のノックダウンを奪う。

諦めない老沼はリズムを変えたいが泰史が更に接近してパンチ連打を打ち込むと老沼は力尽きたように崩れ落ちたところで3ノックダウン。泰史のKO勝利。

老沼を追い込んだ泰史のパンチ

◆第5試合 フェザー級3回戦

日本フェザー級2位.瀬戸口勝也(横須賀太賀/56.75kg)
VS
NJKFフェザー級7位.小田武司(拳乃会/57.0kg)
勝者:瀬戸口勝也 / 判定3-0 / 主審:仲俊光
副審:椎名30-26. 少白竜29-26. 宮沢30-26

第1ラウンドに小田がローキックで出るも、瀬戸口が得意の重いパンチ連打が圧倒し、2度のノックダウンを奪うが、ノックアウトには至らず。第2ラウンド以降も小田は打たれながら打ち返す踏ん張りも目立ったが逆転には至らず、瀬戸口の大差判定勝利となった。

◆第4試合 ミドル級3回戦

日本ミドル級1位.本田聖典(伊原新潟/72.4kg)
VS
ポーンパノム・ペットプームムエタイ(タイ/70.45kg)
(プーケット県パトンスタジアム・ウェルター級C)
勝者:ポーンパノム / TKO 3R 0:39 / 主審:桜井一秀

◆第3試合 フライ級3回戦

日本フライ級2位.空龍(伊原新潟/50.6kg)vs阿部秀虎(鷹虎/49.85kg)
勝者:空龍 / 判定3-0 / 主審:少白竜
副審:椎名29-27. 仲30-28. 桜井30-27

◆第2試合 フェザー級3回戦

日本フェザー級6位.平塚一郎(トーエル/56.9kg)
VS
JKIフェザー級8位.千羽裕樹(スクランブル渋谷/56.95kg)
勝者:千羽裕樹 / TKO 3R 1:21 / 主審:宮沢誠

◆第1試合 70.0kg契約3回戦

大久和輝(伊原/69.75kg)vs NJKFウェルター級3位.JUN Da雷音(E.S.G/68.25kg)
勝者:大久和輝 / 判定3-0 / 主審:椎名利一
副審:少白竜29-27. 29-28. 30-26

《取材戦記》

「初秋のチャンピオンカーニバル」というサブタイトル。日本のキックボクシング界、どこに行ってもチャンピオンだらけのカーニバルという印象があるが、この日のマッチメイクに於いても激しい戦いが続きました。

重森陽太にとっては後半追われての引分けは悔しい結果。「どんな強い選手でも必ずKO勝ちをして興行を締めなければならないという使命感はありました。このような結果になってしまったのはまだまだ不甲斐ないと思っています。次は必ず結果を残したいと思います」とマイクで語った重森陽太。結果を残す次なる強豪相手は誰になるか、プロモーター次第だが、できればWKBA王座を、防衛期限を待たずにこなしていって欲しいと願うところ。これは全ての現・チャンピオンに言えることで、これが老舗王座の価値を高めることでしょう。

次回新日本キックボクシング協会興行は、10月20日(日)に後楽園ホールに於いてMAGNUM.51が開催。勝次(=高橋勝治)が一階級上げて、WKBA世界スーパーライト級王座決定戦に出場。対戦相手はリカルド・ブラボと同じアルゼンチン出身のアニバル・シアンシアルー選手に決定した模様。

3月3日のWKBA世界ライト級王座決定戦でノラシン・シットムアンシーに敗れ、4月20日のREBELS興行での宮越慶二郎にも敗れて2連敗中の中、次戦で結果を残せるか。そしてその先を視野に期待したいものです。

メインイベントは当初の予定どおり、江幡睦がタイ国ラジャダムナンスタジアム・バンタム級王座に4年ぶり4度目の挑戦。チャンピオンのサオトー・シット・シェフブンタムは1月23日に当時のチャンピオン、ゴーンサック・ソーサタラーから判定で王座奪取し、6月27日にはゴーンサックを3ラウンドTKO勝利で返り討ちにし、現在6連勝中で、江幡睦戦は2度目の防衛戦となります。

江幡睦にとって過去最強の難敵襲来のかなり厳しい予想となるも、“どんな技でも倒せる”という勢いで、“今度こそ奪取”の期待も高まる江幡睦です。

今回のサオトーは双子の弟で、兄は現在スーパーバンタム級のサオエークで、元・ラジャダムナン系スーパーフライ級チャンピオンの実力者。この先、江幡ツインズとサオエーク・サオトーツインズのタイトル絡みの対決も期待されます。

塁が戴冠の「KNOCK OUT」ベルトとWKBAのベルトを持つ江幡ツインズ、ラジャダムナン王座へ向けた二人の挑戦が続く

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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上條英男『BOSS 一匹狼マネージャー50年の闘い』。「伝説のマネージャー」だけが知る日本の「音楽」と「芸能界」!

AV監督・村西とおる氏の半生を描いたNetflixのオリジナルドラマ「全裸監督」があちらこちらで大絶賛されている。筆者も観てみたが、「地上波では放送できない」とのフレコミ通り、性描写は過激だし、有名俳優が多数出演しているし、素人目にもセットやロケ地に手間や金がかかっていることはわかる。ストーリーも中毒性があり、たしかに楽しめる作品だ。


◎[参考動画]『全裸監督』予告編 2 (Netflix Japan 2019/07/24公開)

そんな話題作は、文筆家・本橋信宏氏の著作「全裸監督 村西とおる伝」(太田出版)が原作。712ページから成る分厚い本で、村西とおるという「絶対教科書に載らない偉人」の半生を克明に記録し、後世に残そうという著者の執念や使命感が感じられる一冊だ。ドラマのヒットでこの本にも注目が集まっているようなのは、喜ばしいことである。

もっとも、ほとんど予備知識がない人がこの本をいきなり手にとると、ボリュームがあり過ぎて、最後まで読み切るのがしんどいのではないかと思われる。そこで、筆者が「初学者」にお勧めしたいのが、著者の本橋氏が「全裸監督」以前に村西氏のことを書いた2作、1996年12月発行の「裏本時代」と1998年3月発行の「アダルトビデオ 村西とおるとその時代」(いずれも単行本の版元は飛鳥新社)だ。

本橋信宏「裏本時代」(1996年)

◆「裏本の帝王」だった村西氏

この2作は、「全裸監督 村西とおる伝」に比べると、ボリュームが少なく、一人称の小説のような文体で書かれているので、たいへん読みやすい。それでいながら、1つ1つのエピソードも詳細に綴られており、時代の空気もよく伝わってきて、端的に言えば名著である。

まず、「裏本時代」。これは、村西とおる氏がアダルトビデオに進出する前、草野博美という本名で「裏本の帝王」として君臨していた頃の生きざまを活写したノンフィクションだ。本橋氏が当時の村西氏を取材して知り合い、関係を深め、やがて、村西氏が営む新英出版が創刊した写真週刊誌「スクランブル」の編集長となって奮闘する日々が描かれている。

インターネットは影も形もなく、ビデオデッキを所持する一般家庭もまだ少数だった80年代初頭、世の人々がビニ本や裏本に熱を上げ、FOCUSの成功に端を発する写真週刊誌ブームが過熱したりした時代の空気も行間からあふれ出ている作品だ。

ちなみに同書によると、書店を全国展開し、多数の営業マンを雇ってビニ本、裏本を売りさばいた当時の村西氏は、「流通を制する者が資本主義を制する」と言い、ビニ本、裏本の販売ルートを使って「スクランブル」を日本一の写真週刊誌にしようとしていたという。

結局、新英出版が資金繰りに窮して倒産し、スクランブルも廃刊となってしまった。とはいえ、30年余り経った現在、インターネット企業やコンビニが「流通」を制し、隆盛を極めているのを見ると、当時から流通を重視していた村西氏はやはり慧眼の持ち主だったのだと改めて感心させられる。話題の「全裸監督」にしても、地上波のテレビ局では「流通」させられないドラマをNetflixというインターネットメディアが「流通」させているのだというとらえ方もできる。

本橋信宏「アダルトビデオ 村西とおるとその時代」(1998年)

◆ジャニーズ事務所との攻防

一方、「アダルトビデオ 村西とおるとその時代」は、裏本が摘発され、服役した草野博美氏が出所後、AV監督の村西とおるとなり、今度は表社会でのし上がっていく様を描いたノンフィクションだ。この時代も本橋氏は村西氏と行動を共にし、村西氏の成功と挫折のすべてを間近で観察し続けている。それだけに描写は細部に至るまで迫真性に富んでおり、実にエキサイティングなのである。

そしてその中では、地上波のみならず、Netflixでも描くのは難しかったのではないかと思えるエピソードも頻出する。中でも最大の見せ場は、ジャニーズ事務所とのガチンコバトルだ。

その発端は、村西氏の作品に出演したAV女優が、当時人気絶頂だった田原俊彦氏との情事を週刊誌で告白したことだった。ジャニーズ事務所側からそのことについて抗議され、村西氏は逆に激怒する。そしてジャニーズ事務所のスキャンダルを集めようと躍起になる中、かつてジャニーズ事務所に所属した元フォーリーブスの北公次氏と出会い、北氏に告白本を書かせたり、マジックをやらせたりするのである。

当時も今も全マスコミが及び腰になるジャニーズ事務所相手に、このように村西氏が何ら臆することなく、真っ向から喧嘩をふっかけていく様は実に痛快だ。

本橋氏は同書において、「この男のやることはいつも退屈な現実を『少年ジャンプ』のような世界に変えてしまう」と評しているが、村西氏はまさにその通りの人なのだろう。だからこそ、本橋氏はずっと村西氏のそばにいたし、村西氏の記録を残そうと、この2作を書き残し、さらにあの大部な本「全裸監督 村西とおる伝」まで上梓したのだと思う。

そう書いて気づいたのだが、ドラマ「全裸監督」もどこか『少年ジャンプ』のようである。それが中毒性の秘密かもしれない。


◎[参考動画]The Naked Director(全裸監督)- Kaoru Kuroki(黒木香) Real Life Character(Coconut Omega 2019/8/11公開)

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。著書『平成監獄面会記』が漫画化された『マンガ「獄中面会物語」』(著・塚原洋一/笠倉出版社)が発売中。

創業50周年 タブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』10月号絶賛発売中!

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

1947年、福島県三春町に生まれた写真家の飛田晋秀さんは、2009年全国の職人さんを撮って欲しいと依頼され、翌年から北海道を皮切りに全国の職人を撮って回り、最後に長崎から九州を一回りしたのち、いよいよ編集作業に入ろうとしていた矢先、東日本大震災と原発事故にあった。当初「報道カメラマンでもないから」と、被災地の写真を撮ることを躊躇していた。しかし4月中旬、小名浜に訪ねた知人から、津波で7名の仲間を亡くした話を聞き、こうした記憶を風化させてはならないと、写真を撮ろうと決めた。

帰還困難区域に初めて足を踏み入れたのは2012年の1月。しかし、変わり果てた町並みを目の当たりにした飛田さんはシャッターが押すことが出来なかった。そんな飛田さんが、今では既に100回以上、帰還困難区域などに入り、写真を撮り続けている。

富岡町。車も人もいない街路、信号だけが機能している(2012.1.31)

富岡町。国道6号電光掲示板2.409マイクロソフトシーベルト(2018.4.11)

そのように変わったのは、2012年8月、避難所で会った小学2年生の女の子に「大きくなったら、お嫁にいける?」と聞かれたからだ。心臓が止まりそうになったという飛田さん。しばらく何も言えず、ようやく口にできたのは「ごめんね」のひとことだった。

号泣しながら車で帰りながら「自分には何ができるのだろうか?」と悩み続け、飛田さんは決意した。「命がある限り、被災地に入り、人がいなくなった街を撮り続けていこう。あの女の子のような若い人たち、それから後世に生きていく人たちに、福島の真実を伝えていくために…」と。

国道6号線、放射線量は、電光掲示板でも0.92マイクロシーベルト~2.409マイクロシーベルトの場所があり、福島第一原発に近くなる程高くなる。国道脇の民家に人が侵入しないよう、バリケードが設けられているが、警備する警察官は防護服もマスクも着けていない。富岡から浪江までの14.1キロは、歩行もバイクも禁じられている。車で走行中も車外に長く留まってはいけない。

除染で出た汚染物を入れたフレコンバックを、中間貯蔵施設(大熊町、双葉町)に搬入する作業が急ピッチで進む。昨年1200台から、今年は倍近い2400台に増えたトラックが、粉塵を撒き散らしながら走っている。国道6号線と同じく、一部が帰還困難区域を走行する国道228号線で、3月27日、大きな交通事故が起きた。写真では、車が脱輪しているのがはっきりわかるが、環境省は東京新聞の記者の取材に、「脱輪はしていない」と頑なに否定した。高線量のため、長時間車外にいてはいけないことになっているが、警察官らは、レッカー車が到着するまで4時間も道路に立ち続けていた。全員マスクもなしに。

大熊町。事故を起こして脱輪してしまった大型ダンプ(2019.3.27)

4月に町の一部が避難指示解除された大熊町役場の新役場の建設現場(施工は鹿島建設)。1月3日、役場前で0.35マイクロシーベルトを計測した。7月12日に完成した新役場の総工費用は約31億円。町には事故前、11000人いたが、戻るのはわずか約25名程度だと町会議員の人がいう。(ただし、役場近くの大河原地区の東電社員寮の社員と、住民票を町に移している建設現場の作業員を含めて『帰還者数』は700人プラスしてカウントされるという)

役場職員は会津若松市を朝5時半に出て車で通う。他の職員も郡山、いわき、南相馬などから通っているという。住民には「帰れ!帰れ!」と言うくせに…。今後31億円かけた新役場をどう維持していくのか?

1月3日撮影。大熊町大川原地区、役場から1.5キロ、福島第一原発から9キロの場所に、2018年に完成した給食センター。地元の人を中心に100人雇用すると言われた。福島第一原発の作業員に、1日3000食の給食を提供している。空調設備の整った調理場は、0.07マイクロシーベルト程度だろうが、工場の外は1.1マイクロシーベルト。給食を福島第一原発に運ぶ作業員の被ばくはどうなるのか?あるいは運搬する途中、給食への影響はないのだろうか?影響があるとしたら、被ばくを強いられながら作業をする労働者を一層被ばくさせることにはならないか?

大熊町役場建設中(2019.1.3)

大熊町に建設された給食センター。1日3000食の給食を作っている(2017.1.3)

雨どいの線量27.4マイクロソフトシーベルト(2014.3.27)

帰れない、入ってはいけない帰還困難区域を、防護服もマスクもつけずに除染する作業員。飛田さんの線量計は、車中で0.5マイクロシーベルト。「入れないところをなぜ除染するの?そこで何を作るの?」。飛田さんは現場の監督に聞いた。「(上から)やれと言われたことをやっているだけです」という返事が返ってきた。

帰還困難区域の飛田さんの知人の家。2014年から2018年の4年間で、玄関に入るのが困難なほど木が大きくなった。2014年撮影時、玄関先で2.24マイクロシーベルト、線量が高くなりやすい雨どい付近は、27.4マイクロシーベルトだった。同じ雨どい付近で昨年は測ったら、なんと43マイクロシーベルトと倍近くあった。国は徐々に下がってくると言うが、逆に上がる場所もある。

大熊町。帰還困難区域の田んぼを除染してどうするのか(2018.7.27)

大熊町。4年前に撮影。木が背丈よりも伸びている(2018.7.26)

飯舘村。除染作業員が昼寝被爆が心配(2015.8.4)

一時帰宅してくると斑点ができ物凄く痛痒い。原因は解らない。避難先に戻ると4.5日位から消えていく(2017.1.6)

飛田さんの車中で0.96マイクロシーベルトもある場所で、休憩中の除染作業員が道路で昼寝している。被ばく防護の安全教育はきちんと受けているのだろうか? 今後、被ばくが原因の健康被害は増えるだろうが、そもそも「放射能は危険」の教育も受けていなければ、体調を崩しても、除染(被ばく労働)が原因とは思いつかないのではないだろうか? 

50代男性の知人は、帰還困難区域の自宅に戻ると、必ず腕にぶつぶつが出る。かゆくて痛い。60代女性の知人も、このように赤くなる。線量の低い自宅に戻ると何日かで、すーと治る。病院でも原因はわからないという。こういうことはマスコミには一切でない。すべて隠されてしまう。

飛田さんの写真展は、地元紙(福島民報、福島民友)では掲載されないし、取材もされない。地元紙に掲載されるのは「復興した」という記事ばかり。2020東京五輪に向け、「復興した」と演出される被災地には、しかし、多くの戻れない、戻ってはいけない場所がある。飛田さんの新しい写真集「福島の記憶 3.11で止まった町」が訴えるのは、多くのメディアがもう伝えなくなった、そうした福島の「真実」だ。

飯舘村(2014.11.21)

 

飛田晋秀写真集『福島の記憶 3.11で止まった町』(2019年旬報社)

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。最新刊の『NO NUKES voice』21号では「住民や労働者に被ばくを強いる『復興五輪』被害の実態」を寄稿

※本記事掲載の写真はすべて福島県三春町在住のカメラマン、飛田晋秀さんによるもので、飛田さんはこの2月に写真集『福島の記憶 3.11で止まった町』(旬報社)を出版している。

9月11日発売!「風化」に楔を打ちこむ『NO NUKES voice』21号 創刊5周年記念特集 死者たちの福島第一原発事故訴訟


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NO NUKES voice 21号
創刊5周年記念特集 死者たちの福島第一原発事故訴訟
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[グラビア]
福島で山本太郎が訴えたこと(鈴木博喜さん
原発事故によって自殺に追い込まれた三人の「心象風景」を求めて(大宮浩平さん

[報告]野田正彰さん(精神科医)
原発事故で亡くなった人々の精神鑑定に当たって 死ぬ前に見た景観

[インタビュー]伊藤さん(大手ゼネコン下請け会社従業員、仮名)
福島第一原発事故後の現場で私が体験したこと

[報告]伊達信夫さん(原発事故広域避難者団体役員)
《徹底検証》「東電原発事故避難」これまでと現在〈5〉
事故発生直後の中通り・会津地方の住民の受け止め方と、浜通りから福島県内に避難した人々の避難生活

[報告]鈴木博喜さん(ジャーナリスト/『民の声新聞』発行人)
「希望の牧場」吉沢正巳さんが語る廃炉・復興のウソ

[報告]尾崎美代子さん(「西成青い空カンパ」主宰、「集い処はな」店主)
住民や労働者に被ばくを強いる「復興五輪」被害の実態

[報告]本間 龍さん(著述家)
原発プロパガンダとはなにか〈16〉
酷暑下の東京五輪開催に警鐘を鳴らさないメディアの大罪

[報告]佐藤幸子さん(「子どもたちのいのちを守る会・ふくしま」代表)
福島の教育現場の実態 文科省放射線副読本の問題

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎副代表)
東海第二に経済性なし 原電の電気を買った会社も共倒れ

[報告]平宮康広さん(元技術者、富山在住)
僕たちが放射性廃棄物の地層処分に反対する理由

[報告]三上 治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
選挙が終わって急に暑い日がやってきたのだけれど

[インタビュー]本誌編集部
志の人・納谷正基さんの生きざま〈3〉最終回

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈5〉記憶と忘却の功罪(前編)

[報告]板坂剛さん(作家・舞踊家)
悪書追放キャンペーン 第四弾!
ケント・ギルバート『「パクリ国家」中国に米・日で鉄槌を!』

[報告]佐藤雅彦さん(翻訳家)
原発“法匪”の傾向と対策~東電・国側弁護士たちの愚劣を嗤う~

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク
原発は危険!「特重ない原発」はさらにもっと危険! 安全施設(特重)ができていない
原発を動かしていいのか? 安全施設ができるまでは動いている原発はすぐ止めよ!
《首都圏》柳田 真さん(たんぽぽ舎、再稼働阻止全国ネットワーク)
「特定重大事故等対処施設」のない各地の原発の即時停止を!
《北海道》佐藤英行さん(後志・原発とエネルギーを考える会)
泊原発3号機 再稼働目指せる体制か
《新潟》佐々木 寛さん(市民連合@にいがた共同代表、新潟国際情報大学教授)
参議院選挙 新潟選挙区について
《福島》宗形修一さん(シネマブロス)
「福島原発事故から遠く離れて」2019年参議院選挙福島選挙区からの報告
《東京》久保清隆さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
11・27ヒューマンチェーンで日本原電を追いつめよう 首都圏の反原発運動の現状と課題
《関西》木原壯林さん(若狭の原発を考える会)
来年4月から、原発稼働は電力会社の意のまま?
《福島》けしば誠一さん(杉並区議会議員、反原発自治体議員・市民連盟)
オリンピック前に終息も廃炉もできない福島第一原発
《香川》名出真一さん(伊方から原発をなくす会)
原発のない社会のために 蓮池透さん四国リレー講演会報告と今後の課題
《鹿児島》江田忠雄さん(脱原発川内テント)
いま、川内原発で何が起きているか
《規制委》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
東海第二の審査請求から逃げ、原子力緊急事態宣言を隠す原子力規制委員会
《書評》天野恵一さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
安藤丈将の『脱原発の運動史 ── チェルノブイリ、福島、そしてこれから』(岩波書店)

私たちは『NO NUKES voice』を応援しています!

『NO NUKES voice』Vol.21 https://www.amazon.co.jp/dp/B07X3QHYV6/

◆9.11〈戦争の世紀〉と3.11〈原発の世紀〉

 

9月11日発売!「風化」に楔を打ちこむ『NO NUKES voice』21号!

「戦争の世紀」と呼ばれた20世紀が終わり、21世紀は少しはましな時代になってほしい。口には出さずとも、世界で多くのひとびとが、内心そう祈念するなか、2001年9月11日、米国への同時多発ゲリラ攻撃が、何者かにより敢行された。米国政府や、主たる国際メディアは「アルカイダ」の犯行説を吐き続けたが、事件以前、以後の様々な検証から、この同時多発ゲリラ攻撃は、米国による、自作自演ではないかとの疑義が今日でも根強い。

米国が、アフガニスタン、イラクへと一方的に戦争を仕掛けていったのは、この同時多発ゲリラ事件の反撃が名目だった。しかしの反撃はイスラム社会のひとびとにたいして、そもそも全くいわれのない侵略戦争であり、弁明の機会すら充分には与えられなかった。そして日本=小泉政権は、どさくさ紛れで自衛隊を派兵し、実質的な「参戦」に足を踏み入れた。イラク、サマーワ「参戦」で現地の指揮を執った人間が、現在の外務副大臣であることを、読者は御存知であろうか。

かくして、世界も日本も暗雲の中で21世紀の幕開けを迎えたのだ。今日に至るも中東では、相変わらず戦火が絶えない。軍産共同体は当面の武器消費地を、20世紀に引き続き、中東と定めたかのようだ。

あの日から18年経ったきょう、『NO NUKES voice』21号が発売される。冒頭米国への同時多発ゲリラ攻撃を取り上げたのは、昨日の本通信でも私見を述べた通り、「原発問題」の背景には目前の経済利益だけではなく、中長期的な国家や武装国家群、あるいは白衣を着た科学者然とした軍事研究者たちの思惑などの目論見が複雑に絡み合い、背景も非常に厄介な問題っであると認識するからだ。

◆蜃気楼の向こうに実在する希望を目指す

 

『NO NUKES voice』21号 グラビアより

20世紀終盤から米国の2大原発メーカーであるGE(ゼネラル・エレクトリック)とWEC(ウエスティングハウス・エレクトリック)は新規受注を得るのに、非常な困難に直面していた。もう原発の新設で利益は出ない、と考えた米国はこの2つの会社を日本に売り払った。GEは日立に、ウエスティンハウスは東芝に化けることにより、減益必至部門の切り捨てに成功する。

製造業のトップに君臨する日立、東芝がこのような愚か、かつ無益な選択をしていたからかどうかはわからないが、1995年の阪神大震災以来、地震の活動期に入っていた日本で、ついに賢人たち懸念していた「震災原発事故」が起こった。想定外でも、2万年に一度でもない。放置していれば必ず起こることが、やはり起こってしまった。

だが、福島原発第一原発事故が発生した2011年には、前述の自衛隊のイラクへの派兵、1995年阪神大震災発生から2か月で起こったオウム真理教によるサリン事件などを経て、マスメディアの神経中枢はすでに脳死しており、若手の記者は正確な情報の掌握方法すらわからない。わかったとしても伝えない。そしてどこにも法案化されてはいないが、独裁国家でもないのに、世界で一番ではないかと思えるほどに「従順化」した国民は、抗議の声すらあげはしない。

だから『NO NUKES voice』は砂漠を独歩で進むような、殺風景な時代にあっても、必ず蜃気楼の向こうに実在する希望を実現するために、歩みを進める責任がある。

◆熾烈を極める現場の状態

 

『NO NUKES voice』21号 グラビアより

今号の特集は《死者たちの福島第一原発事故訴訟》だ。

巻頭の野田正彰さんによる長編レポート「原発事故で亡くなった人々の精神鑑定に当たって 死ぬ前に見た景観」については、昨日、本通信でご紹介した。伊藤さん(仮名)の「福島第一原発事故後の現場で私が体験したこと」は、是非、注意深くお読みいただきたい。インタビューでお伺いした内容の相当部分は、伊藤さんの個人特定につながるので掲載していないが、それでもお答えの端々から、熾烈を極める現場の状態が伝わる。

伊達信夫さんの「《徹底検証》「東電原発事故避難」これまでと現在〈5〉 事故発生直後の中通り・会津地方の住民の受け止め方と、浜通りから福島県内に避難した人々の避難生活」は事故直後に地元の人々の受け止め方、と行動についての貴重な記録の第5弾である。今回は中通りと会津で起きていた、混乱と戸惑いなどについて詳細に報告がなされている。こういった具体的な記録を、定期的に掲載し、いわゆる「風化」に楔を打ちこむのも『NO NUKES voice』の役割だと認識する。

「『希望の牧場』吉沢正巳さんが語る 廃炉・復興のウソ」で行動の人、吉沢さんに話を聞いていただいたのは、鈴木博喜さんだ。吉沢さんは次々に現実を説明し、解説を加える。事故現地生活者であるだけではなく、分析者でもあり、運動家でもあるが、なによりも酪農家であることが、吉沢さんの地面から足が生えているような、肉声を造り出しているのかもしれない。

◆2020年復興五輪の欺瞞

 

『NO NUKES voice』21号 グラビアより

「住民や労働者に被ばくを強いる『復興五輪』被害の実態」は、大阪釜ヶ崎で安価な、おいしい食堂を切り盛りする尾崎美代子さんのレポートだ。内容は詳しく紹介しないが、日雇労働者の被爆問題に寄り添い、東京五輪の欺瞞を徹底糾弾する尾崎さんは、どのような社会問題を論じても、決して立脚点がずれることがない。こういうひとが町内に一人でもいれば、日本も少しは変わるであろう、と常々エネルギッシュな行動には、敬服させられる。本論考も鋭敏さに一寸のブレもなしだ。

本間龍さんの「原発プロパガンダとは何か? 酷暑下の東京五輪開催に警鐘を鳴らさないメディアの大罪」。やはり「反(脱)原発」を語るひとびとにとって「東京五輪」は避けて通れない、大難物であることが再度実感される。編集部が「東京五輪についてお願いします」と依頼したわけではないが、本号では多くのかたがたが「東京五輪」を指弾している。本間さんは冒頭「私が何度も五輪を取り上げる理由は、原発とマスコミの関係と、五輪とマスコミの関係は同じだからだ(注:著者要約)」と、実に明快に批判する理由を述べている。余計な言葉は不要だろう。

◆原発に無駄金を捨てている社会

佐藤幸子さんの「福島の教育現場の実態―文科省放射線副読本の問題」では、本誌に度々ご登場いただいている佐藤さんが、今回は文科省が副読本として配布している「放射能安全洗脳」の問題点を指摘する。この副読本は、福島県内だけではなく、全国の小中学校で配布されている。佐藤さんが指摘する問題点は明確だ。

山崎久隆さんは「東海第二に経済性なし 原電の電気を買った会社も共倒れ」で、日本一危険と言われる東海第二原発の問題を経済的な観点から指摘する。要するに無駄金を捨てている、に等しい論拠は読者の皆さんがお読みいただいて、ご確認いただきたい。

元技術者、平宮康広さんの「僕たちが放射性廃棄物の地層処分に反対する理由」は、独自の視点からの懺悔からはじまり、高レベル廃棄物の地層処分問題への提言で結ばれる。果して平宮さんが問いかけている問題はなんなのであろうか。そして回答はあるのか。

◆もう、それほど時間はない

常連執筆陣、三上治さんは「選挙が終わって急に暑い日がやってきたのだけれど」で、東京五輪問題、韓国との関係悪化、淵上太郎さんのご逝去など、この短かった夏(また再び暑さが戻っているが)の出来事を振り返る。

「志の人・納谷正基さんの生きざま」〈3〉は本誌に連載を寄稿して下さっていた納谷正基さんへ編集部が行ったインタビューの最終回だ。納谷さんのご逝去は本誌にとって大きなダメージ。それをあらためて印象付けさせられるお話だ。読者にも納谷さん「志」の真骨頂が必ず伝わることだろう。

山田悦子さんには「記憶と忘却の功罪」をテーマに原稿をお願いした。甲山事件の冤罪被害者にして、世界で最も長い21年の刑事裁判の被害者にとっての「記憶と忘却の功罪」とは。大きなテーマであるため、本号では「前編だけ掲載したい」との山田さんからのリクエストに沿う掲載となった。

板坂剛さんの「悪書追放キャンペーン 第四弾 ケント・ギルバート著『「パクリ国家」中国に米・日で鉄槌を!』」。いつのまにか、ケント・ギルバードに狙いを集中したのか? 板坂流は「ルパン三世」に登場する石川五右衛門が持つ「斬鉄剣」。なんでも切れるのであるから、連続攻撃も読み応えがあるが、一原稿での「10人斬り」など、離れ業も見たくなってきた(贅沢か?)。

なんでも知っている人を「博覧強記」と表現する。佐藤雅彦さんのことである。「原発〝法匪〟の傾向と対策 ~東電・国側弁護士たちの愚劣を嗤う~」では、板坂流と違い、持論の展開を最小に抑え、事実を重ねながらそれで諧謔も同時に演じる。これがわたしの佐藤雅彦評である。板坂論考は爆笑できる。佐藤論考は含み笑いを狙っているとみた。的外れか。

その他、全国各地からの現状報告やお知らせも、欠かしていない。数日前には高浜原発が煙を出した。伊方でも事故があった。おそらくわれわれにはもう、それほど時間はない。渾身の胆力と全国で頑張る皆さんへのエール、そしてスパイス代わりのユーモア精神で走ってきた。これからも走り続ける。是非、書店へ!

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。


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NO NUKES voice 21号
創刊5周年記念特集 死者たちの福島第一原発事故訴訟
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[グラビア]
福島で山本太郎が訴えたこと(鈴木博喜さん
原発事故によって自殺に追い込まれた三人の「心象風景」を求めて(大宮浩平さん

[報告]野田正彰さん(精神科医)
原発事故で亡くなった人々の精神鑑定に当たって 死ぬ前に見た景観

[インタビュー]伊藤さん(大手ゼネコン下請け会社従業員、仮名)
福島第一原発事故後の現場で私が体験したこと

[報告]伊達信夫さん(原発事故広域避難者団体役員)
《徹底検証》「東電原発事故避難」これまでと現在〈5〉
事故発生直後の中通り・会津地方の住民の受け止め方と、浜通りから福島県内に避難した人々の避難生活

[報告]鈴木博喜さん(ジャーナリスト/『民の声新聞』発行人)
「希望の牧場」吉沢正巳さんが語る廃炉・復興のウソ

[報告]尾崎美代子さん(「西成青い空カンパ」主宰、「集い処はな」店主)
住民や労働者に被ばくを強いる「復興五輪」被害の実態

[報告]本間 龍さん(著述家)
原発プロパガンダとはなにか〈16〉
酷暑下の東京五輪開催に警鐘を鳴らさないメディアの大罪

[報告]佐藤幸子さん(「子どもたちのいのちを守る会・ふくしま」代表)
福島の教育現場の実態 文科省放射線副読本の問題

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎副代表)
東海第二に経済性なし 原電の電気を買った会社も共倒れ

[報告]平宮康広さん(元技術者、富山在住)
僕たちが放射性廃棄物の地層処分に反対する理由

[報告]三上 治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
選挙が終わって急に暑い日がやってきたのだけれど

[インタビュー]本誌編集部
志の人・納谷正基さんの生きざま〈3〉最終回

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈5〉記憶と忘却の功罪(前編)

[報告]板坂剛さん(作家・舞踊家)
悪書追放キャンペーン 第四弾!
ケント・ギルバート『「パクリ国家」中国に米・日で鉄槌を!』

[報告]佐藤雅彦さん(翻訳家)
原発“法匪”の傾向と対策~東電・国側弁護士たちの愚劣を嗤う~

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク
原発は危険!「特重ない原発」はさらにもっと危険! 安全施設(特重)ができていない
原発を動かしていいのか? 安全施設ができるまでは動いている原発はすぐ止めよ!
《首都圏》柳田 真さん(たんぽぽ舎、再稼働阻止全国ネットワーク)
「特定重大事故等対処施設」のない各地の原発の即時停止を!
《北海道》佐藤英行さん(後志・原発とエネルギーを考える会)
泊原発3号機 再稼働目指せる体制か
《新潟》佐々木 寛さん(市民連合@にいがた共同代表、新潟国際情報大学教授)
参議院選挙 新潟選挙区について
《福島》宗形修一さん(シネマブロス)
「福島原発事故から遠く離れて」2019年参議院選挙福島選挙区からの報告
《東京》久保清隆さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
11・27ヒューマンチェーンで日本原電を追いつめよう 首都圏の反原発運動の現状と課題
《関西》木原壯林さん(若狭の原発を考える会)
来年4月から、原発稼働は電力会社の意のまま?
《福島》けしば誠一さん(杉並区議会議員、反原発自治体議員・市民連盟)
オリンピック前に終息も廃炉もできない福島第一原発
《香川》名出真一さん(伊方から原発をなくす会)
原発のない社会のために 蓮池透さん四国リレー講演会報告と今後の課題
《鹿児島》江田忠雄さん(脱原発川内テント)
いま、川内原発で何が起きているか
《規制委》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
東海第二の審査請求から逃げ、原子力緊急事態宣言を隠す原子力規制委員会
《書評》天野恵一さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
安藤丈将の『脱原発の運動史 ── チェルノブイリ、福島、そしてこれから』(岩波書店)

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