玲子さん(仮名)はわたしの友人の連れ合いで、同じ年だ。友人もわたしと同学年なので3人とも「同じ年」うまれである。玲子さんは大学卒業後から専門的な職業にフルタイムで勤務し、結婚、出産を経た現在も勤め続けている。友人も悪くない収入を得ているので、お二人をあわせた年収は2000万円近くにはなるだろう。

わたしの友人と玲子さんは、学生時代に知り合い結婚した。その後お子さんが3人生まれた。わたしは友人とは気楽に話ができるが、同学年である玲子さんとは、どうも波長が合いにくい(めったに顔を合わせることもないからかもしれない)。

◆ディズニーランドとVサイン

玲子さんは忙しい中、実に活動的に生活をしている。彼女はディズニーランドの年間パスポートを持っている。いつからかは知らないが、毎年年間パスポートは購入している。いったいいくらするのか調べたら(おせっかいだが)ディズニーランドだけ入場可能な年間パスポートが、大人61,000円で、ディズニシーにも入場可能な「2パーク年間パスポート」は、大人89,000円だ。玲子さんの家からディズニーランドまで、日帰りできなくはないが、新幹線を利用しても片道3時間近くはかかるから、ディズニーランドに行くときは、だいたい近くのホテルに宿泊することになる。アトラクションが変わると、必ず出かけるそうだ。そのたびに両手いっぱいのディズニーランドで購入したお土産を買って帰ってくる。

玲子さんに限ったことではないが、わたしたちの世代には、写真や、映像に写るとき手のひらで「Vサイン(ピースサイン)」のポーズをする人が珍しくない。玲子さんは友人によると、確認できる限り慶弔時などを除けば「すべて」の写真で「Vサイン」のポーズをとっているという。それは80年代から今日まで変わらない。夫婦ともにフルタイムで働き3人の子どもを育て上げるのは、さぞかし手もかかり忙しいことだろうと想像するが、友人によれば「それほど大したことではない」という。立派なものだ。


◎[参考動画]東京ディズニーランド 周年 CM(1983-2018)

◆お子さんの不登校と友人たちとのランチ

だけれどもお子さんのうちの一人は数年前から不登校気味である。理由はわからないが親子間の問題が原因ではなさそうだ。だからであろうか。玲子さんは不登校のお子さんのことはあまり気にせず、休日には友人たちと「ランチ」(「ランチ」は「ひるごはん」の意味だと思っていたが、女性が寄る「ランチ」は「ひるごはん」を食べながら、延々何時間もおしゃべりをすることを指す場合もあると近年知った。結果解散は夕刻になる)に出かけたり、海外旅行に行くこともある。

近年出かけた海外旅行は、玲子さんの友人たちとの旅行、2泊3日だったそうだが、そこで玲子さんが納まった写真でも、やはりかならず「Vサイン」がみられる。玲子さんのほかにも結構な頻度で「Vサイン」をしている人の姿もある。何が理由だか記憶にはないが、たしかに中学時代の修学旅行や、大学時代にわたしのまわりでも、男女を問わず写真機を向けられると「Vサイン」をする姿はめずらしくなかった。いまの若者はどうか知らないけれども、わたしたちの世代にとって「写真に映るときは『Vサイン』」は結構浸透していて、染みついている。

1960年代中盤生まれのわたしたちの世代に記憶が定かなのは、大阪万博あたりからであろう。多くの同世代の知人は、大阪万博について断片的であれ何らかの記憶を語ることができる(居住地が大阪に近かったこともあろうが)。途方もない人の波と何時間にもわたるパビリオンへの入場待ちの列。子供ごころに「足痛い。こんなん、もうええわ」と退屈した記憶がある。あの記憶以降、わたしには長蛇の列は、なるべくであれば避ける習性が身についている。一方玲子さんは逆だ。2-3時間待ちはディズニーランドでは常識の範囲らしい。平日は仕事をしているから、週末に出かけることが多いという。当然ディズニーランドは、平日よりも休日のほうが混むだろう。 

◆消えた「不良」

わたしたちの世代には「不良」がいた。「不良」は見た目で識別できた。今日、わたしが知る限り、容姿から「不良」が識別できるのは大阪の南部の限られた地域と沖縄だけである(ほかにも地域はあるかもしれないが直接目にしたことはない)。
「不良」が可視的であった時代には素行もだいたい予想ができた。そしてみずからは「不良」ではないが、なんとなく「不良っぽい」姿や行為に魅力を感じる若者もいた。彼・彼女らは表立っての「悪さ」はしないが、親が出かけた友人の家に集まってタバコを吹かしたり、酒を飲んだり、いまでは「クラブ」と呼ばれる「ディスコ」に高校生(ときに中学生)であっても繰り出したりしていた。


◎[参考動画]中学生暴力白書 black emperor ブラック エンペラー

まだ暴対法や、風営法のない時代。良くも悪くも今ほど「管理」が緩い時代だった。わたしには「不良」経験はないが、玲子さんは少し「不良」っぽい姿や振る舞いをすることを好んでいたそうだ。前述の通りあの時代別に珍しいことではない。その玲子さんは大学を出ると真面目に就職。結婚をして3人の子どもの母となる。仕事ぶりは真面目だろう。同世代のほとんどは、「真面目な」勤労者や、親になっている(わたしはそうなれなかった)。

他方、「ちょっと不良っぽい」ことに憧れた、若い日を過ごした玲子さんからは、いまでも、あの頃の雰囲気がどこかに感じられる。「虚無だった80年代」といえば言い過ぎかもしれないが、表層で「不良」が暴れまわり、「普通」の生徒もちょっと憧れる。「不良」は早々に「体制化」されてゆくことは「暴走族」が訳も分からず、特攻服や日の丸を掲げていたことに象徴的だ。おなじく「ちょっと不良っぽい」に憧れた層は、より安定的に「体制化」されてゆく。「Vサイン」と「ディズニーランドの年間パスポート」は、80年代を中高生で過ごした世代、ある部分の「エキス」ともいえるかもしれない。


◎[参考動画]The Two Beats (Takeshi & Kiyoshi) 1981

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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