◆センター仮庁舎のどうにも止まらない雨漏りの原因は?
9月20日、大阪地裁で「公金違法支出損害訴訟」(センター住民訴訟)の第4回目の裁判が開かれた。この裁判は、西成あいりん総合センターの建て替えに伴い建設された南海電鉄高架下の仮庁舎の予算が、適正に運用されているかを争うものだ。
今回、原告は書面にて仮庁舎が安全性が保証されない高架下に建設されたこと、合理的な理由がないにもかかわらず、南海辰村建設と随意契約したことの違法性などを主張した。
7億5,000万円の税金を使って建てたセンター仮庁舎で、開業2ケ月後に雨漏りが発生、それが一向に止まらないことは前回報告した。
その後、天井板を交換したり、天井裏に水受けを設置するなどしたが、雨漏りは止まらず、最後はバケツで受けていた。窓枠にも水滴が垂れ、床には吸水シートが敷かれていた。
建設業で働く人からは「屋根の防水工事が施されてないのでは?」「高架の上に降った雨が、スラブ(床)や梁、柱を伝って溢れるのでは?」などの声が出ている。同じ高架下に作られた1階建てのあいりん職安仮庁舎では雨漏りは確認されていない。センター仮庁舎の雨漏りの原因は何か? 仮庁舎でどんな工事が行われたのか?
南海電鉄は、高架からコンクリートが剥落する危険性などを防ぐためとして、センター仮庁舎のコンクリートの劣化が認められた部分に断面復旧材による補修を行い、コンクリートにクリアガードを塗布したという。
工事の詳細は省くが、この工事はコンクリートの気密性や水密性を確保し、鉄筋腐食の進行は抑制できるが、鉄筋の入った、高架を支えるコンクリート構造物の強度そのものを回復するものではない。
設置から81年経過し老朽化した高架下の柱のコンクリートには、無数の細かいクラック(ひび)があるが、空気や水分はこのクラックを経由して鉄筋に到達しうる。高架上の線路から雨水や空気が、クリアガードに遮断されずにコンクリート構造物に浸透していく。
つまり断面復旧材による補修や、クリアガードによっても、コンクリート構造物の気密性、水密性は確保されず、鉄筋腐食は進行していくことになる。じっさい工事後も、コンクリートの亀裂から、鉄の錆を含んだ茶色い水が出ている。
◆耐震工事のやってないセンター仮庁舎は危険ではないのか?
では、南海高架下の耐震性はどうなっているのか? じつは、センター仮庁舎から南へ200メートルいった萩之茶屋駅南側で最近、高架下の柱に重厚な鋼板を張り付ける耐震補強工事が行われている。
同じ工事は、南海電鉄の難波駅や今宮戎駅周辺でも行われてきた。しかし、そうした工事が、センター仮庁舎では行われていない。仮庁舎を決める際の「まちづくり会議」で、南海電鉄の耐震性に疑問の声があがったが、識者からは「南海に確認したところ、今回仮移転の検討を進めている場所は、耐震化の対象外」と返答されている。
更にデータなどの提示を求めた委員に、府職員が「南海を信用できないのか?」と言う場面もあった。腐食が進行しつつある柱を取り込んで建設されたセンター仮庁舎の耐震性は、果たして大丈夫なのか? 劣化した高架下に建造物を建てるならば「耐震化の対象外」とはいえ、大事をとって耐震補強工事を施すべきではなかったか? それをやらずに、工事を急いだのは、何故か?
◆大阪維新の「西成特区構想」にあわせた「まちづくり」が狙うものは?
高架下の安全性など十分考えずに仮庁舎建設を急いだのは、大阪維新の「西成特区構想」の目玉であるセンター建て替えを、新今宮駅前の再開発計画にあわせて進めたいからだ。そのため兎にも角にも労働者や野宿者をセンター周辺から「どかしたい」。これが大阪維新とともにまちづくりを進める人たちの狙いだ。
そのために、センター建て替えの理由を「耐震性の問題」としてきた人たちが、耐震性に疑問の残る仮庁舎に、4~6年、労働者を押し込めようという。おかしな話ではないか。
センター解体の目的が「耐震性」の問題ではないことは、耐震性に問題ない「第二市営住宅」まで解体することからも明らかだ。元市長の橋下氏は、「あいりん総合センターは、解体後、跡地の北半分を駅前再開発に使いたい」と明言していた。センター解体の目標は、そのために、新今宮駅前の広大な更地を確保すること、しかもなるべく使い勝手の良い台形の更地を確保することだ。まだ使える第二住宅を、税金を使って解体するのは、凸凹を平らにするためだ。
◆大阪府は、随意契約した南海辰村建設にも責任を負わせろ!
今裁判で、大阪府は、どんなことがあっても南海電鉄に賠償責任を負わせないという免責条項を盛り込む「高架下区画地一時使用計画書」を作成していたことがわかった。
当初3か所提示された仮庁舎の建設場所を、南海電鉄高架下に決めたのち、大阪府は随意契約で南海辰村建設を相手方に選んだ。その理由を大阪府は「高架下にある特殊性により、安全性を配慮して」と述べていた。「高架下にある特殊性により、安全性を配慮して」というからには、随意契約の相手方・南海辰村建設に安心・安全に責任を負わせることが不可欠であるにもかかわらず、大阪府はそれを免責してしまった。しかも、ここで大阪府と南海が、利益相反の関係であることも明らかになった。これは随意契約を原則として禁止する地方自治法234条2項違反ではないのか。
◆日本の経済を末端で支えてきた人たちが、無残に排除されていいのか?
日本最大の日雇い労働者の町・釜ヶ崎は、1970年開催の「日本万博博覧会」に向け、大量の労働力を確保するために、国策で作られてきた。政府は、万博招致が決まった1966年以降、急ピッチで会場の建設・整備工事が進めることとなり、1967年~1969年万博関連の仕事に就く労働者を全国からかき集めてきた。労働者を詰め込めるだけ詰め込むために作られたドヤが、現在も何棟か残っている。
こうして国策で集められた人たちは、その後様々な理由で家族や故郷との離散を余儀なくされ、釜ヶ崎を第二の故郷に選び、生活を続けてきた。高齢化し、生活保護や年金で暮らす人、野宿者、ガードマンや清掃など比較的軽い仕事に就く人などさまざまだ。
日雇い労働者こそ減ったものの、困難は何一つ変わっていない。DVから逃れてきた女性、安宿を求める非正規雇用や派遣労働者、精神疾患を持つなど生きづらさを抱えた人……差別や貧困が拡大する今、釜ヶ崎のような場は、一層必要になってきている。そうした人たちを暴力で「どかして」つくる「まちづくり」とは何かと考えるとき、どこかで聞いたこんな言葉を思い出す。「再開発を決めるのは、いつもどこでも、そこにいない人」。
具体的にそこに住むか住まないではない。まちづくりをいうときに、そうした釜ヶ崎の歴史を踏まえ、誰が主役のまちにすべきかを考えることが重要だ。
「要するに、あっちにできるホテルから、俺たちを見えなくさせたいんやな」。今朝、「センターつぶすな!」のビラを撒いていると、おっちゃんが私にそう言った。JR新今宮駅の向こう側には、星野リゾートの建設が進んでいる。
釜ヶ崎のセンター周辺には、新しい仲間もポツポツ増えている。センター開放行動主催の「秋祭り」は10月27日(日)11時~17時。センター団結小屋周辺で。
▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。最新刊の『NO NUKES voice』21号(9月11日発売)では「住民や労働者に被ばくを強いる『復興五輪』被害の実態」を寄稿