6月30日付けの私からの戸田ひさよし前大阪門真市議への「ご質問」に対し戸田氏より、返答(「9・17戸田見解」)が届いています。ちょうどその頃は鹿砦社創業50周年記念出版の編集・製作作業に慌ただしく、その旨戸田氏に伝え再返答の猶予を要請、また私のFBでもお知らせしていました。ようやく記念出版の作業が校了いたしましたので、戸田氏へ再返答しようと「9・17戸田見解」を熟読し始めたのですが……。

6・7集会案内

まずは10月20日、別掲の再返答をメールにて戸田氏に送りました。戸田氏が私に「弾劾質問状」を本年6月9日に送ってきて以来、本件の議論を「公開でやろう」と合意し、私は、戸田氏が設定した期限6月30日に「弾劾質問状」に回答すると共に戸田氏へ「ご質問」を発しました。

戸田氏からの返答を待っていましたが、私も記憶がはっきりしないほど戸田氏からの返答に日にちが掛かりましたので(本心では、もう来ないのではないかと思ったぐらいです)、戸田氏からの返答文に言及する前に、まずこのかんのやり取りを振り返りたいと思います(当事者の私が覚えていないほどですので、直接関係のない方々はほとんど記憶にないでしょう)。そうして時系列を整理したのが戸田氏への再返答の冒頭のくだりです。

戸田氏からの返答(「9・17戸田見解」)では、もう私を「相手にしない」とか「(私からの)質問に答えない」とか、待たせた挙句、肩透かしであると共に非礼なことです。みなさん、そう思いませんか?

さらには、「人間としての信頼感も絶大」な前田朗教授や、「俄然信頼出来る仲間」の趙博氏や仲岡しゅん弁護士ら「信頼する仲間と共に進むのみ」と宣言しています。前田・趙・仲岡氏らについては、これまでさんざん述べていますので、ここではコメントを省きますが、まあ、言わせていただければ、「類は類を呼ぶ」ということでしょうか。人を信用させておいて平気で掌を返す者らを「信頼」し「共に進む」と言うのであれば、それは戸田氏の勝手でしょうが……。

『カウンターと暴力の病理』より

『人権と暴力の深層』より

そのように戸田氏は、私からの「ご質問」にはほとんど答えてくれませんでしたが、ただ私が借金で訴訟沙汰になったなどというデマに対しては到底許容できませんので、これについては10月31日までの期限で回答を求めています。

人間誰しも誤りはありますから、誤認なら誤認でも仕方ないと言えば仕方ありませんが、こうしたことに対する態度で戸田氏の人間性が現れると思います。戸田氏は私を攻撃する材料として松岡借金訴訟説をみずからのサイトに晒し、私への世間の評価を貶め、さらに鹿砦社の業務に悪影響を与えたといえますので到底許容できません。みなさんがもし、このようなことをされたらどうですか?

ご承知のように鹿砦社は、李信恵氏による「鹿砦社はクソ」「クソ鹿砦社」といった悪罵の連続に対し民事訴訟を起こし、李信恵氏の不法行為を裁判所が認めました。いやしくも「反差別」運動のリーダーがこんな汚い言葉を発し他人を攻撃してはいけないんですよ。戸田氏についても、氏のサイトの閲読者数や影響力などは鹿砦社の比ではありません。戸田氏に然るべき対処を求めます!
   

◇      ◇      ◇      ◇      ◇      ◇

 
戸田ひさよし 様

[送信人]   
2019年10月20日 
株式会社鹿砦社 
代表取締役   
松岡利康    

冠省 失礼いたします。

さて、9月17日(修正版同月19日)に「鹿砦社・松岡代表の『6/30回答』への9/17戸田見解~反ヘイトの行政づくり運動等にネトウヨ並のイチャモン・デマ誹謗で敵対する松岡氏弾劾」を拝受いたしております。

折り返しメール差し上げましたように、ちょうどその頃、小社創業50周年記念出版(『一九六九年 混沌と狂騒の時代』。内容は別途広告参照)の編集・製作作業に追われ再返答の猶予を要請し失礼いたしました。お陰様でそれも16日に校了いたしましたので、あらためて戸田さんの「見解」を熟読しそれに再返答させていただきます。

[1]時系列の整理

かなり時間が経ってしまい、議論自体が消滅してしまった感がありますので、まずは時系列を整理しておきます。

・5月23日 「【カウンター大学院生リンチ事件】前田朗教授の豹変(=コペルニクス的転換)に苦言を呈する! 鹿砦社代表 松岡利康」(http://www.rokusaisha.com/wp/?m=20190523)を「デジタル鹿砦社通信」に掲載。

・6月9日 戸田さんから松岡に対して「弾劾質問状」が届く。回答期限が6月30日とされていた。

・戸田さん要求の期限の6月30日松岡回答。同時に戸田さんに対して「ご質問」で、戸田さんが求めた期限同様3週間後の7月21日(日)までの回答を要請。7月1日 松岡デジタル鹿砦社通信に、「戸田ひさよし前大阪門真市議からの『弾劾質問』に回答します! また、私からの『ご質問』にもお答えください! 鹿砦社代表 松岡利康」(http://www.rokusaisha.com/wp/?p=31283)掲載。

・7月11日 戸田さんから回答期限延期の申し入れ(1回目)。

・8月28日 戸田さんから再度の回答期限延期の申し入れ(2回目)。

・9月15日 戸田さんから3度目の回答延期申し入れ(3回目)。

・9月17日 戸田氏から回答(→9月19日修正版)届く。

このように私は戸田さんに要請された回答期限を守りましたが、戸田さんからは3度にわたる「回答延期の申し入れ」がありました。しかし、誰にも忙しい時期や手を抜けない仕事というのはあるものです(私もこのかん、そのような仕事に取り組んでいました)。戸田さんからの回答延期要請は「よほど大切なことでお忙しいのであろう」と思慮し、あえて問題にはしませんでした。戸田さんからのメールには「ちなみに、今回の『戸田都合による対応遅れ』に関して、松岡氏が戸田をどのように批判しようとも、それは松岡氏の自由に属する事だと、私は認識しております」(7月11日メール)との謙虚な見解表明もありましたが、前述の通り誰にでも「事情はある」との考えから、戸田さんの回答延期要請を受け入れました。

次いで8月28日には2回目の回答延期要請が戸田さんから届きました。その中で戸田さんは、「鹿砦社・松岡代表へ。私は下記の7/11発信メールで、『最も遅くとも8月下旬までの見解表明』、と言明しましたが、諸般の事情で、どうしてもそれがかなわなくなり、『9/15までには必ず』、と延期せざるを得なくなりましたので、ご連絡させていただきます。『これが最後の延期』であり、今度こそは必ず期限を守りますので、ご容認下さい。

なお、7/11メールに書きましたように、『戸田都合による対応遅れ』に関して、松岡氏が戸田をどのように批判しようとも、それは松岡氏の自由に属する事だと、私は認識しております。」と書かれていました。2回目の延期要請ということで、私には回答期限を区切っておきながら、少々自分の事情を戸田さんは優先しすぎるのではないか、との想いもありましたが、懇願調の文章をあげつらうのも大人げないと思い、再度の回答延期も受け入れました。

さすがに9月15日には戸田氏から回答を頂けるであろうと思っていましたが、9月15日当日になり、3度目の回答延期要請が来ました。言論の基本的なルールに立てば、みずからが最初に議論を提起し、その回答期限を設けたのですから、相手(この場合私です)の質問にも、同様に対応するのがルールではないでしょうか。

それでも、何回も繰り返しますが、人には絶対に外せない仕事や事情が、時としてあるものです。私は2回目の回答延期要請までは戸田さんの要請を、黙って甘受しましたが、さすがに3度目になると少し穏やかな気分ではいられませんでした。考えてもみてください、もし私と戸田さんの立場が逆であったら、私が1回目の「回答延期要請」するや、戸田さんは私を非難したのではないでしょうか(そのように感じさせるトーンの文面があります)。

[2]遅れに遅れて届いた「見解」──それでいて、私に対し「今後相手にしない」、「デタラメ主張する人物からの『質問』に回答する事もしない」との宣言はいかがなものでしょうか?

このような経緯を経て届いたのが、今回の戸田さんからの回答です。小社創業50周年記念本が校了し、あらためて熟読すると、回答内容は3度の延期(2カ月間)を私に強いたものとは思えない、誠に酷い内容です。戸田さんは私の質問にほとんど答えていません。それどころか、

《【5】愚劣な腐敗を進める鹿砦社・松岡氏を爾後相手にせず!私は私の信頼する仲間と共に進むのみ。
(1)この間、「カウンター大学院生暴行事件」を巡る松岡氏と前田先生の論議を見てきたが、私には圧倒的に前田先生の主張が腑に落ちるし、人間としての信頼感も絶大である。盟友の趙博氏にしても仲岡弁護士にしても断然信頼出来る仲間であり、その友誼は変わらない。
(2)逆に「6/30回答」によってその腐敗性が明らかになった松岡氏については、今後相手にしない。当然にもこれほどまでにデタラメ主張する人物からの「質問」に回答する事もしない。
(3)この「9/17戸田見解」に対して松岡氏がどのように対応しようとも自由であるが、私への新たな攻撃がなされた場合は、当方のやりやすいやり方で断固として反撃追及する。
(4)当方の「6/10弾劾質問状」記載の<「デジタル鹿砦社通信:5/23」における戸田に関してのデマ誹謗の記述を撤回、謝罪されたい。>という要求は、今後も継続する。~「ヘイト加担公務員N追及配転要求」が「公務員いじめ・迷惑行為・業務妨害である」というデマ~
(5)鹿砦社・松岡氏は、「6/30回答」で展開した愚劣で反動的な諸々の主張を撤回し、真摯な反省の姿勢を示せ。 
(6)ヘイト問題については、「ヘイトを許さない社会づくり」のための全国各地での実践や論理を鹿砦社組織として一から勉強した上で、適切有効な取材・報道が出来るように努力せよ。》

と、一方的に私(及び鹿砦社)を非難した挙句、「逆に『6/30回答』によってその腐敗性が明らかになった松岡氏については、今後相手にしない。当然にもこれほどまでにデタラメ主張する人物からの『質問』に回答する事もしない」と言い切っておられます。

戸田さん、いくらなんでも、紳士的に回答の延期を2カ月遅らせることを了承した相手に、「これほどまでにデタラメ主張する人物からの『質問』に回答する事もしない」とは失礼の度を越していませんか? 回答に窮して一方的に議論を打ち切られた前田朗教授と同じですね。

仮に私をそのように見なしているのであれば、2カ月も回答を延期せず「あなたとは今後一切のやり取りをしない」と直ちに通告いただければ済んだ話ということになりはしませんか? 私は末節で意見の違いがあろうとも、戸田さんとの議論の中で「反差別」とはいかにあるべきか、を深めたいとの想いもあって公開の討論を受けたのです。それを一方的に私(鹿砦社)を罵倒し尽くして、「『質問』に回答する事もしない」は、完全に言論のルール違反です。そうではないですか?

戸田さんのご回答は、私が質問した8項目のうち、「ご質問2」にしかお答えいただいておりません。「ご質問2」について戸田さんが、どのようにお考えかは理解しました。N氏に対する人物評価と、戸田さんの取った行動についての見解が、私と戸田さんとでは異なることは確認できました(戸田さんは大阪で「在特会」と思われる集団から、酷い暴行を受け、眼鏡を損傷されたご経験がおありであることを承知しています。あのような暴徒は私も断じて許せませんし、戸田さんが当時お感じになった、差別的暴徒への怒りも理解できます。

しかしながら、戸田さんが職場(児童相談所)を訪問されたN氏は、街頭で差別言辞を振りまく行動に参加したことのある人物ではありません。彼は在特会を明確に嫌悪しています。集団暴行と言っても差し支えないほどの酷い襲撃を経験なさった戸田さんが「街頭での明確な差別行動」に怒りを感じることには、私も共感します。でもN氏は保守的な考えの持ち主(時に差別的ととらえられることもあるでしょう)ですが、あくまでも、ネット上で自身の意見を開陳しているだけの人物です。私は、戸田さんがサイトで書かれたN氏へのイメージからコワモテの方と思っていましたが、裁判傍聴でたびたび会って話すと、まさに人の好い下級地方公務員でした。

そのような人物の職場に、戸田さんともあろう方が遙々赴く必要があったのかとの疑問は依然変わりません。戸田さんが嫌う“弱い者いじめ”としか私には思えません。戸田さんのような大物が訪問するのであれば、日本会議や神社本庁、あるいは首相官邸など、もっと明確に差別意識、及び権力を保持した対象があったのではないでしょうか。

他の質問についても「公開」の議論を相互に承諾したのですから、是非お答えいただきたい。繰り返しますが私は、戸田さんの要請を受け入れ期限から2カ月(6月30日に「ご質問」を発して2カ月半)も待ったのですよ。

[3]私が借金で訴訟沙汰になったとのデマに対しては厳重に抗議し明確な説明と撤回と謝罪を求めます!

特に、絶対にお答えいただかなければならないのは、

《ご質問3: 6月1日の戸田さんのサイトで、「『松岡氏の旧ブント仲間OBからの借金踏み倒し事件』を戸田が信頼する複数の被害関係者から話を聞いて」「『借金事件』は裁判になったけれども、原告(貸した側)が(不当に?)負けた」云々とありますが、この原告の名前、裁判所、事件番号を明らかにしてください。》

です。はっきり申し上げますが、これは事実無根の極めて悪質な名誉毀損です。この質問に対し戸田さんは「恫喝をかけてくる始末である」と述べられていますが、果たしてそうでしょうか?

この際、他の質問項目は度外視しましょう。戸田さんは明確に《松岡氏の旧ブント仲間OBからの借金踏み倒し事件』を戸田が信頼する複数の被害関係者から話を聞いて」「『借金事件』は裁判になったけれども、原告(貸した側)が(不当に?)負けた」》と記載されましたが、そのような事実はないのです。私の質問は「恫喝」でもなんでもありません。これがいかに重大な名誉毀損(鹿砦社に対しては「営業妨害」)に該当するかは、長年市会議員をなさってきた戸田さんであれば、おわかりでしょう。

現在警察をはじめ権力が「関西生コン」に対しでっち上げ弾圧をしています。でっち上げとは「事実のないこと」です。「関生」へのでっち上げ弾圧を糾弾する戸田さんが、私(と鹿砦社)に対して、非常に悪辣なでっち上げを明言されました。しかも戸田さんはそのことについて一切お答えにならない。

最後通告です。私(たち)はいたずらに、問題を係争案件にはしたくありません。ですから、

《ご質問3: 6月1日の戸田さんのサイトで、「『松岡氏の旧ブント仲間OBからの借金踏み倒し事件』を戸田が信頼する複数の被害関係者から話を聞いて」「『借金事件』は裁判になったけれども、原告(貸した側)が(不当に?)負けた」云々とありますが、この原告の名前、裁判所、事件番号を明らかにしてください。》

についてだけは、真摯な説明と撤回と謝罪を要求します。この件だけですからすぐに答えることができるでしょう、回答期限は10月31日とさせていただきます。

この件については、事実無根(悪質なデマ)ですから、戸田さんには、明確な説明責任があります。戸田さんが本件について、撤回と謝罪を明確にしていただければ、私はこれ以上戸田さんを追及するつもりはありません。考え方の違い、感性の違いといった問題ではなく、ことは重大な名誉毀損なのです。真摯なお答えをお待ちいたします。

[4]戸田さんが連携する人たちによるヘイトスピーチ、ヘイト行為について戸田さんのご意見をお聴きしたく存じます!

もう一つ、いい機会ですから、これは質問項目にはありませんが、ぜひお聴きしたいと思います。

戸田さんは今回の「9・17見解」において、私が「反ヘイト」分野になると「歪んだ判断と行動になってしまう」と批判されています。とんでもありません、私は原則的にいかなる差別にもヘイト行為にも反対しています。似非反差別主義者や似非反ヘイト主義者とは違い、いわば「左」からの差別やヘイト行動をも批判しています。

例えば戸田さんが連携する「カウンター/しばき隊」に私が疑問を覚えたのは、彼らによる、韓国から母子で研究に来日している鄭玹汀(チョン・ヒョンジョン)さん(当時京大研修員)に対する激しいバッシングでした。さらに公立病院に勤める在日の金剛医師に対する攻撃、これは、あろうことか勤務先の病院にまで複数の人物によって激しい電凸攻撃がなされました。ことは人の生死に関わる病院ですよ、これをやった者らに「人権」という思想はないのでしょうか。戸田さんは当然、鄭さんや金医師に攻撃をやった者らを「お前ら、何をやってるんだっ!」と一喝し批判されますよね? 鄭さんや金医師は、差別主義者でも極右・ネトウヨでもレイシストでもありません。鄭さんや金剛医師への口汚い言葉こそ、言葉の真の意味でヘイトスピーチですし、そうした行為こそヘイト行為ですので、私はこのカウンター/しばき隊によるヘイトスピーチやヘイト行為をやった者たちを実際に批判しています。戸田さんが「反ヘイト」をおっしゃるのであれば、戸田さんが連携している者らによるヘイトスピーチ、ヘイト行為を人間関係とは関係なく批判されますよね? 私には戸田さんがカウンター/しばき隊によるヘイトスピーチ、ヘイト行為を批判されているのを見たことがありません。もし過去にカウンター/しばき隊メンバーの言動を、戸田さんが批判された事例があれば、その部分をご教示ください。

誰にでも勘違いや間違いはあります。無意識に差別的な言動を行う可能性は、私にも戸田さんにもあります。世界には私たちの知らない価値観が無限に存在するのですから。そういった場合には、いきなり人格否定ではなく、当該「行為」を批判すべきだと考えますがいかがでしょうか?  

以上 

◇      ◇      ◇      ◇      ◇      ◇

【関連記事】
◎松岡利康「戸田ひさよし前大阪門真市議からの『弾劾質問状』に回答します! また、私からの『ご質問』にもお答えください!」(2019年7月1日付け本通信)

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 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

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鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000541

◆私虐めのネタ!

春原さんとの再会となったお昼。藤川さんが今回付き添ってくれている女子大生を「ボクシングの記者やが、マスコミの勉強になるから会うとき!」と誘った。行った先はとげぬき地蔵に向かう途中にある商店街の昨年と同じレストラン。

席に着いた途端、藤川節は始まった。今年は私のことを笑いものにした話が中心。
「こいつな、出家した夜、袈裟の纏い方をいくら教えても不器用で纏えんで、“明日の朝までに纏えるようになれ”って突き放したら、翌朝、托鉢に出る1時間半も前に起きて練習しとったんやで、前の晩は眉吊りあがって、口はへの字になって(そんな顔真似)、今にも泣きそうにメソメソしながら纏う練習しとったわ。ワシ、部屋帰ってから一人で大笑いしとったわ、ワッハッハッハ!」いつもの漫談風の喋りっぷりがオモロく、他人事のように笑えてしまった。

昨年のミャンマーの女学生はすでに帰国された様子だったが、食事中、厨房からインド人風の男性が二人出て来た。「すみません。私達に寄進させてください!」と慣れた日本語で言うゴッツイ男達。どこの国かは忘れたが、やはり東南アジア系仏教徒の留学生だった。

また5千円あまりの負担を掛けさせてしまったが、それが彼らの希望だ。日本に来てタンブンの機会が無い彼らにとって、いきなり黄衣を纏った比丘が現れるとは絶好のチャンス。私自身はタイでたいした修行にはならなかったからより心苦しい気持ちが残る。またも藤川さんの存在で我々が恩恵を受けたが、それぞれが留学生の徳を積む心をしっかり噛み締めていた。

眼力強く語る藤川さん、試合のように打ち合えるのは立嶋篤史のみ(撮影は前年のもの)

小国ジムにて、出家前の藤川さんの店にはよく通ったチャイナロンと再会

◆藤川さんの反省!

今年の藤川さんの東京滞在も、私が一緒に居られる時間はできるだけ付き合い、翌日には池袋にあるキックボクシングの小国ジムに連れて行くと、縁ある仲の再会となった。

私の得度式に参列してくれた高津くんが居た、ノンカイとチェンマイで試合した伊達くんも居た、アナンさんのジムから小国ジムにトレーナーとして招聘されていたチャイナロンも居た。

「高津くん、出家する気になったけえ?」冗談でも目敏い質問。笑って拒否する高津くん。練習見ながら私が「伊達くんは実力有りながらタイトルに絡む大事な試合でコロッと負けたり、ロードワークでうっかり足挫いたり、注意力が足りないのかなあ!」と言うと、「彼こそ、一回出家してみた方がええな、何か熱くなり易い性格みたいやから隙が出来るような気がするしなあ、自分を振り返る時間が必要かもな、1ヶ月ぐらいでええから出家してみればええ!」と私に言うだけだったが、ここでの藤川さんはやたら喋らない存在だった。

そのジムの中で「ハルキ!またやってしもうた!」なんていきなり言い出すから、「“またやってしもうた”って何やったんですか?」と聞くと、この前日の昼食後、皆が別れた後の夕方5時頃、アジア文化会館のロビーに女子大生が、お母さんを連れて再びやって来たという。

「また身になる話でもしたろと思うて話しだして気が付いたら、ロビーの電気も消される閉館間近の夜9時やった!」

女子大生はお母さんにオモロイ坊主の身になる話を聴かせたかったのだろう。私は“このジジィ、やったことの罪深さ分かったんかいな“と少々感心。

巣鴨で再会した春原さんと(前年と似ているが撮影は1995年6月)

◆私の逆襲!

前日の昼食で会った春原さんらとの食後、店も混みだしたのでまた皆で喫茶店に移ってから、藤川さんの放っておけばいつまでも調子に乗って喋る姿に、ついに本音で苦言したくなり、捲くし立てて口撃してしまったのだった。

「藤川さん、笑い話には楽しくていいんですが、どこからか関心無い世間話を延々と聞かされる者の気持ち考えたことありますか?立嶋篤史に何か言えば何か自論が返ってくる。これが会話のキャッチボールですよ。去年の習志野ジムの合宿所(アパート)に泊めて貰った翌朝、15歳の練習生にいきなり人生の生き方みたいな話を1時間ぐらいして、彼はせっかくの休みの日に朝から説教されて、“いつまで続くんだろう”と思ったろうに。

タムケーウ寺では、ある日の夕方6時頃、私に「旅に出る許可貰う為の和尚に渡す文言の書き方教えるからワシの部屋来い!」と言うから行ってみると、そんなもん立ち話で2分程度で終わる話。そこからいつ終わるか分からない説教が世間話に替わって止まることなく12時まで続いた。何も飲まずに、喉渇かなかったですか?私はトイレに一回行かせて貰ったけど、あれ息抜きに部屋の外出ただけですよ。それとノンカイからネイトさんが来た時、硬い椅子に窮屈で暑くて眠れない夜行バスで朝着いたばかりなのに、延々話しだして、私が「ネイトさん、疲れているでしょ、こっちで少し寝たら?」と逃げ道作ってやろうとしたら、「人は寝んでも寝る時にはちゃんと寝とる!」と言ってまた止まらぬ話が続いて、それでもネイトさんは頭いいから対話になっていたけど、人が集中して話しを聴いて居られるのは1時間が限度ですよ。藤川さんが普段、日本語喋る機会が無いから、聴いて貰える相手と会った時が、思いっ切り喋りたいだけの単なるストレス発散でしょ!!」

前列、チャイナロン、高津広行、伊達秀騎、ここから次なる運命が広がるか

的を得ていたか、ほんの数秒だが藤川さんが黙ってしまった。そしてまた「坊主の話は長いほど有難いモンやぞ!」と自論を言い出したから“身勝手なジジィ”と思ったが、この反省を少しは踏まえていながら、“またやってしもうた”らしかった。

「女子大生のお母さんはずっと笑って聴いていましたか?途中からその笑いは愛想笑いになっていませんでしたか?どこからか相槌しか打たなくなりませんでしたか?」と問うと、

「なっとった・・・!」と応えた。

「それは目上の人の話を断ち切って席を立つのは失礼だから我慢しているだけで、もう話に興味無くなって、もう帰りたいという信号ですよ!閉門されるとか、電車の終電とか、何か譲れぬ切っ掛けが無いと話が終わらない、我の強い人はドンと話を断ち切ることも出来ますが、立場の弱い人はそうはいかないんです。これって凄い苦痛なんですよ!!」

長く溜まっていたストレスを発散したのは私の方で、言いたいこと言ってスッキリした。逆に藤川さんの喋り捲る癖が少しは分かる気持ちだった。

◆今後の展開!

この翌日、藤川さんは京都の娘さんのところへ1週間ほど帰り、再び巣鴨に戻られてから私が成田空港へ見送った際、「これで御礼参りは終わった。来年以降は一人で勝手にやってくれ!」と出国手続きへ背中を圧し飛ばしてやったが、後々そんなこと覚えている藤川さんではなかった。

1996年以降も藤川さんは毎年パンサー(安居期)に入る前に御自身の活動の為、日本へやって来た。私は御礼参りも済み、もう縁は切っていいと思うところ、あまりにもしつこく何度も手紙と電話で連絡寄こすので根負けし、成田空港までは行かないが、昼食(12時前)を都内で迎え入れることは多かった。

タイのワット・タムケーウでの様子もいろいろ変化が起こっていた。そして藤川さんに転機もやってきた。1997年3月、ペッブリー県よりややバンコク寄りのサムットソンクラーム県にあるワット・ポムケーウに移籍されたのだった。この時期からまだ先になるが、私もその寺に一度、訪れてみることにした。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

タブーなき言論を!絶賛発売中『紙の爆弾』11月号! 旧統一教会・幸福の科学・霊友会・ニセ科学──問題集団との関係にまみれた「安倍カルト内閣」他

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

上條英男『BOSS 一匹狼マネージャー50年の闘い』。「伝説のマネージャー」だけが知る日本の「音楽」と「芸能界」!

神戸市立東須磨小学校(同市須磨区)の教員間暴行・暴言問題で、同小の仁王美貴校長(55)が10月9日、市役所で市教育委員会の担当者と記者会見した。2018年度に当時の校長が、既に教員のセクハラ発言や職員室でのからかいなどの嫌がらせがあったことを把握しながら、指導などの対応が不十分だったことが判明。加害教員の一部から児童が嫌がらせを受けたとの訴えがあることも分かった。


◎[参考動画]東須磨小学校教員間いじめ問題 新たな事実が明らかに(サンテレビ2019/10/10公開)


◎[参考動画]神戸市・教師いじめ問題 前校長はパワハラを謝罪(ANNnewsCH 2019/10/16公開)

◆1990年7月、神戸高塚高校で起きた女子生徒校門圧死事件

兵庫県では、定期的に教育関係の深刻な事件・事故がおこる。わたしがもっともショックを受けたのは、1990年7月6日、兵庫県神戸市西区の兵庫県立神戸高塚高等学校で、同校の教諭が遅刻を取り締まることを目的として登校門限時刻に校門を閉鎖しようとしたところ、門限間際に校門をくぐろうとした女子生徒(当時15歳)が門扉に圧潰されて、死亡した事件である。

本通信の「『体罰』ではなく、すべて『暴力』だった」で3回にわたり自身が受けた、天地がひっくり返ったような「公教育」体験の中には、兵庫県立神戸高塚高等学校での事件を彷彿させる場面が、限りなく記憶に残っているからだ。高塚高校同様、わたしの通っていた「授業料を払う刑務所」こと高蔵寺高校や、春日井東高校でも毎朝同様の光景が繰り広げられていた。

わたしは経験はないけれども、校舎の中から眺めていると、教師が猛烈な勢いで校門を閉める際に、少なくとも体を挟まれた生徒は複数確認している。あれが頭部であれば命にかかわったであろうに、野蛮な教師どもは、反省など一切せず毎日同じような危険な光景が繰り返し行われていた。

登校時間ギリギリになる生徒は、必ずしも怠け者の生徒ばかりではない。「授業料を払う刑務所」こと高蔵寺高校は春日井市の西北に位置するが、10キロ以上離れた名古屋市との境界に近い距離から自転車通学してくる生徒も少なくはなかった。

通常通りであれば、登校時間に間に合う時刻に家を出発しても、途中で雨が降り出したり、道路工事で道を迂回しなければならないと、計算通りの時刻に登校できない。生徒はみな、登校時間を送れると「指導」の名のもとに、人権侵害お構いなしの懲罰を食らうことを知っているから、のんびり登校する生徒などはいない。

つまり教師どもは、校則を盾にとって雨中、必死で自転車をこぎ登校してくる生徒を「おはよう」のあいさつで迎えるつもりなどなく、定刻になったら容赦なく校門を勢いよく閉めることに、職業上の喜びや、快感を感じていたのだ。


◎[参考動画]関係者らが追悼 神戸高塚高校 校門圧死事件から29年(サンテレビ2019/07/06公開)

◆「社会の縮図」が引き起こした事件

さて、話がそれたようだが、逸れてはいない。神戸市立東須磨小学校で発生した、教師による教師イジメは、もっとも簡略化して解説するのであれば「社会の縮図」が引き起こした事件である、といえよう。もちろん、その程度の低さと悪質さ、組織的な隠蔽は、もう言及するのも嫌になるレベルである。

学校が、児童や生徒の居場所ではなく、行政権力や国家による人格捻じ曲げの場所に変化してしまったから、このように表現する言葉も見つからない、貧しすぎる精神が居場所を占めるようになったのだ。

このいじめに手を染めた、あるいは黙認した教師どもには、教壇に立つ資格などない。しかし、重要なことは兵庫県だけではなく、全国を見回しても、「イジメ教師」と同等あるいは、同様のレベル人間を今日の学校は制度的に求めている根源がある、ことではないだろうか。

職員会議の議決権が奪われ、校長の権限が強化され、教育に何の知識・経験もない人間が「民間校長」として大阪などでも、もてはやされている。市場原理や、企業的な競争原理を義務教育に持ち込むことが、あたかも「先進的」であるかのような、誤解が全国に広まっている。断言するがこれは完全に大いなる間違いである。

教師を養成する教職課程も、不要な荷重がかけられ、本当に児童・生徒への教育に熱心な個性は、採用されるのが困難になっている。「子供のまま、社会問題など考えない」志望者ほど公立学校の採用試験には合格しやすくなっているのだ。

つまり、極言すれば「子供が教壇に立っている」状態を文科省は望み、その歪な像が実体化している。ここにも深刻な病巣があるのではないか。文科省のいう「多様性」は「成績の出来不出来」を指す。個性も同様だ。少子化で学校の先生の数は余っているはずなのに、先生たちは、毎晩「意味のない」資料作りや報告書作成に追われて、帰宅が遅い。

熱い情熱で、児童・生徒・学生に向き合っている先生・教員が存在することは、強調せねばならない。しかしそういったひとびとが、多数ではいられない仕組みを文科省や教育委員会はが、率先して作り上げている。

きょうのバラエティー番組で、法政大学の「なんとかママ」と呼ばれる「評論家」は、なにをコメントするだろうか。文科省の連綿とする教育施策失敗と、さらにいえば、日本の社会崩壊を視野に入れなければ、この惨状の本質は語れない。


◎[参考動画]東須磨小学校で保護者向け説明会(サンテレビ2019/10/16公開)


◎[参考動画]教員間いじめ問題 保護者説明会で加害教員コメント(サンテレビ2019/10/17公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

「国際オリンピック委員会(IOC)は10月16日、東京五輪の猛暑対策として陸上のマラソンと競歩を札幌開催に変更する案の検討に入ったと発表した。東京より気温が約5度低く、地理的な条件などを理由としている。五輪開幕まで1年を切り、IOCが会場変更を提案するのは異例の事態で、実現には難航も予想される。猛暑を見据えて準備を進めてきた現場サイドでは驚きと戸惑いの声が上がった。」(10月17日付スポーツ報知)

◆いよいよ混乱が本格化しはじめた

ほーらみろ。いよいよ「企業欲の祭典」、東京五輪の混乱が本格化しはじめた。前回1964年に東京で五輪が開催されたのは、10月。台風の懸念はあるが、年間通じて普通のひとにも過ごしやすい時期だ。あれから半世紀以上がたち、いまの東京8月は、もう「温帯」の気温ではなく「熱帯化」している。わたしが説明するまでもないだろう。関東にお住まいの方であれば「8月の東京」の灼熱ぶりが、五輪に適すか適さないかくらい、簡単にお分かりいただけよう。

そういう自然条件を承知のうえで、五輪招致委員会は「8月の東京」にこだわったのであり、IOCもそれを了承した。どうして8月でなければならないのか? それは北半球の多くの国で、8月が夏休みに充てられ、高い放送料が設定できるからだ、これが10月にずれ込むと放送料は数割安くなってしまう。つまりIOCも招致委員会も、最初から「商売第一」で「8月の東京」をごり押ししたのだ。

ところがである。先に行われたドーハで行われた世界陸上では、あまりの高温多湿にマラソンや長距離競技、競歩で棄権する選手が続出した。当然選手から批判の声が相次いで上がり「二度とこんなコンディションでは、走らせたくない」とコメントするコーチも現れた。

しかもそう発言したのは日本人選手のコーチだった。夜間でも40度を上回り湿度も90%を超える気候で、長距離競技が行われることを前提に、ルールはできていない。日本でも歴史あるマラソンは(福岡国際、別大、琵琶湖、女子マラソン)はすべて冬季に集中しているし、駅伝競技も同様だ。

◆ビジネス最優先のIOCと関連団体の「勘定論」

マラソンは15度くらいに温度が上がると「暑い」と表現され、20度を超えると「厳しい」、25度を超えると「過酷な」コンディションと表現される(気温は概ねの値である)。30度や40度近い気温の中で行われる競技ではないのだ。マラソンだけではない。トラック競技の1000mや20キロ、50キロ競歩なども同様だ。

さて、例年東京の8月の気温はどうであろうか。「熱帯夜」と呼ばれる最低気温が25度を下回らない夜は当たり前。25度どころか30度を下回らない夜も珍しくはない。そんな気温の中で「根性論」ならぬ「勘定論」の上に計画されたのが、東京五輪である。

けれども「勘定論」であるから、競技中に選手がバタバタ倒れたり、救急車がやってくる様子が画面に映ったのでは、非常に具合が悪い。スポンサーのイメージはむしろ下がってしまうから、高いスポンサー料を払っている企業からすれば(その中には朝日、毎日、読売、日経、産経など全国紙も含まれる)「惨憺たる灼熱地獄」を放送したくはない。

そこで、急遽「選手の健康第一」など殊勝な理由をでっちあげて、札幌でのマラソン実施を発案したのだ。IOCをはじめとする「スポーツに詳しいはず」の団体が、競技コンディションなどは二の次で、金勘定だけでうごいていることを証明することになった、象徴的な出来事といえよう。

しかしすでに述べた通り、灼熱地獄で行われるのは、マラソンだけではない。トラック内で行われる1000mは競技時間はマラソンよりは短いが、すり鉢状の競技場を観客が埋めれば、自然気温以上に空気が滞留し、高温化する可能性が高い。そして、あえて指摘しておけば、関東のかたがたがつい最近経験したような、大雨による水害や、地震はいつ発生するか予想ができない。関東を台風19号が直撃した日、千葉沖を震源とする最大震度の地震も同時に発生していたことを、関東以外にお住まいのかたはご記憶だろうか。

◆被災した人々の生活回復を第一に考えれば

自然災害は防ぎようがない。だから「東京五輪」を自然災害だけを理由に批判するのは的外れかもしれない。しかしながら、地震、大雨、火山噴火などここ数年の自然災害により、通常の生活を送ることができなくなっているかたがたがまた増えた。台風19号による被害者がもっとも多かったのは、福島県であった。

福島県……。人間も、自然もどこまで福島に不幸を強いるのであろうか。

被災した人々の生活回復を第一に考えれば、マラソンを札幌に持っていく程度のちゃちな子供だましで、被災者は救われないことくらい理解されるだろう。

東京五輪に対する、唯一最善の処方箋は、「中止・返上」することである。


◎[参考動画]Learn about Olympic Agenda 2020 The New Norm(IOC Media 2018年10月10日公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなき言論を!絶賛発売中『紙の爆弾』11月号! 旧統一教会・幸福の科学・霊友会・ニセ科学──問題集団との関係にまみれた「安倍カルト内閣」他

田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

10月14日、大阪国労会館で「関電の原発マネー徹底究明と原子力からの撤退を求める!」と題された緊急集会が開催された。関電幹部の原発マネー還流問題が発覚して以降、初めての集会だけあり、関西はじめ和歌山、四国からの参加者含め、大勢の方々があつまり、会場は怒りで溢れかえった。

「ふるさとを守る高浜・おおいの会」の東山幸弘さん

◆1987年、58才で役所を退職していた森山氏

最初に「ふるさとを守る高浜・おおいの会」の東山幸弘さんが発言された。事件発覚後の町と町民の様子、また森山元助役が町で何をやってきたかなどが離されたが、以下、マスメディアが余りとりあげない、しかし非常に重要な点をいくつか紹介する。

3、4号機増設を進める中で、関電との密な関係を築いていった森山氏だが、実は1987年に58才で早めに退職している。その理由が、あちこちから金品を受け取っていたことで、警察が動き出したことが背景にあったという。東山さん自身は、退任後の森山氏が原発にそう関わってないとみていたが、今回の件で、退任後のほうが一層深く関わっていたことが力をもっていたことが、驚いたという。

背景には、高浜の下請け業者が森山氏に頼めば、仕事が回してもらえるということがあった。高浜町の50~60歳以上の人はみな森山氏を知っている。「町に貢献した」「いい人だった」とはいうが、本音はいわない、いえないという状況がある。

◆元請けは常に大手ゼネコンやプラント会社である

問題なのは、今報道されている「吉田開発」だけではないということだ。森山氏が筆頭株主となっている警備会社「オーイング」(同社には福井県警の退職者が大量に入っている)や、同じく森山氏が役員を務めていた姫路の「柳田産業」など含め問題を解明すべきだ。

そもそも原発の元請けは大手ゼネコンやプラント会社で、地元の会社はそこの2、3次業者から仕事をもらう仕組みだが、そのことが余り表に出てこない。それこそが、この原発問題で一番大きな問題だ。

高浜原発では、1、2号機建設で前田、ハザマ、大成、3、4号機で竹中、大林、大成、ハザマ、前田などが入っている。大きな「特需」はほとんど竹中がやっている。今も竹中の社旗を付けた下請け会社のトラックが町中を走り回っている。

1、2号機の改修工事と、3、4機裏手の山の工事は特需で請け負っているのは安藤ハザマ。吉田開発はハザマの下請けで、土捨て場の開拓・管理工事で35憶円の工事を受注した。

これらの工事全体で関電は、5,000億円をつぎ込んだと言われているが、「5,000億かかるわけない、半分とは言わないが、相当な額で水増しされているのではないか」と話す建築関係者もいる。

「こんなことが起きるのも、原発はいくら金をかけてもいい「総括原価方式」になっているからだ。これは兵器産業、軍需産業と一緒だが、軍需産業の場合は税金なので、軍事費という数字で出るが、原発の場合は、この金額の工事が妥当だったかはわからない。こうして原発建設で大きな金を使うことで、ゼネコンに金が回るという仕組みになっているため、なかなか辞められない。これが原発をめぐる大きな問題ではないのか」(東山さん)。

◆主語はあくまで関西電力である

福島県浪江町から兵庫県に避難した菅野みずえさん

「主語は関西電力に置くということをはっきり確認していきましょう」。次の主催者「避難計画を案ずる関西連絡会」の報告では、登壇者が冒頭、宣言するようにそう発言した。

メディアの多くは、亡くなった元助役の経歴、関電に対する高圧的で異常な態度に注目するが、問題は被害者ヅラし続ける関電側にあるのだ! 主催者の報告から重要な部分を、一部を紹介する。

「関電は現在、トップが辞任と12月下旬に調査報告を出すことで批判をかわそうとしている。しかし第三者委員会の弁護士4名を指名したのも関電であり、委員会そのものの権限も不明、調査の範囲も、関電の書面では、関電と協議して決めていくとなっている。これでは真実は明らかにならない。しかも今これだけのことが起きているのに、高浜3号、大飯3号は動いたまま、定期検査で停止中の高浜4号も、予定通り12月中旬に起動すると言う。調査報告が出る前だ。これについてはぜひ止めていきたい。一方で関電は、40年越えの老朽原発の工事も進行中、使用済み燃料の中間貯蔵施設の場所を探すことも諦めてはいない。国会では野党の合同チームが追求を強めているが、政府与党は、関電幹部の国会招致を拒否するという無責任な対応を続けている。監督官庁の警察庁も、すべて関電任せ、原子力規制委員長は「自分たちは技術的、科学的問題についてやることで、それとは違うとコメントし、工事中止の命令も出さず、淡々と進めている。しかし、関電の原発推進派がこれまでにない窮地に追い込まれているのも確かだ。中間貯蔵施設について関電は『信頼回復が第一歩で、すぐには進められない』と述べているが、私たちはこれを一つの契機に運動を強め、関電の原発からの撤退を具体的に進めていきたいと思う」

「吉田開発への税務調査が2011年から始まっている。福島の事故後、被災者や避難者の苦労も全く顧みることなく、原発邁進してきた関電の推進策、その隠蔽策が、今回の問題の根源にあると思う。発端は原発マネーの還流であり、この原資が電気料金であり、それを関電らが懐にいれたということだ。今回の件で、関電の隠ぺい体質と異様なまでの傲慢さが、改めて浮きぼりになった。企業のコンプライアンスやガバナンスの欠如も底なしである。この問題はまた、過去の原発の長期にわたる深い闇の一環であることも明らかにした。これを国策として進めてきた政府の責任も追及していかなければならない」

10月14日、大阪国労会館で開催された緊急集会「関電の原発マネー徹底究明と原子力からの撤退を求める!」

「関電の資料から判るのは、吉田開発の2014年から2018年の売り上げのうち約9割が関電発注分であるが、関電は吉田開発に発注した121件中、75%にあたる91件で、森山助役を介して詳細な概算額を事前に伝えている。しかも競争入札ではなく特命発注。吉田開発の売上が上がるのと符号する形で、関電への金品供与が行われていたことが明らかにされている。この多額発注の背景は大きく2つある。1つは、福島の事故後に作られた新基準にあうような安全対策が求められたこと。老朽原発の工事、重要施設、テロ対策の施設などの関連工事、いわゆる「再稼働特需」と言われる工事に、報道されているだけでも1兆円近く使われてきた。もう1つが、2004年、美浜3号機で11名が死傷した事故後、関電の原子力事業本部が、当時の知事の要請で大阪から美浜町に移ったが、このことが関電と地元の癒着を一層深めるものになった」

「高浜原発の再稼働について。高浜再稼働は、2016年だが、この時期、福井地裁では運転差し止めの仮処分が出され、その後大津地裁が3、4号の仮処分を出すということで、高浜原発は、住民の運動と裁判所の決定によって、長く動かせずにいた。こうした事態をなんとかしたい関電は、元助役や、金品が渡っていたという警察などを使い、住民対策を強化していったのではないか」

◆関電に危険な原発をこれ以上運転させてはならない

最後に、関電の責任を追及し、関電に危険な原発をこれ以上運転させてはならないとして、以下を要求していく集会決議(案)が読まれ、参加者からの拍手を得て了承された。

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関電の「原発マネー還流」を徹底究明し、金品を受領した20名は辞任せよ!

高浜4号機の12月中旬原子炉起動阻止!運転中の高浜3号、大飯3、4号の運転停止!

高浜1、2号、美浜3号の老朽原発延命工事を中止へ、廃炉へ!

原発推進のための使用済燃料「中間貯蔵施設」、サイト内乾式貯蔵施設の建設を断念せよ!

関電は原子力から撤退を!


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当面の活動として、怒りの声を集めようと始めた署名は10月14日で3810筆集められた。

署名提出は10月17日(木)午後15時、関電本店前に集まろう!

最後にネット署名に寄せられた声から、1つ紹介する。

「今回の事案により、関西電力だけでなく、検察や国に対する不信も高まっています。私たちはこの不透明なお金の流れがどこまで精査されるのかについて、最後までしっかり監視しています。このような不透明なお金の流れを生み出す原発の稼働は、今すぐ停止するべきです」(鳥取)

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。最新刊の『NO NUKES voice』21号では「住民や労働者に被ばくを強いる『復興五輪』被害の実態」を寄稿

〈原発なき社会〉を求める雑誌『NO NUKES voice』21号 創刊5周年記念特集 死者たちの福島第一原発事故訴訟

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◆アメリカの一方的なウィンを「ウィンウィン」と強弁する安倍晋三

「秋になったら、すごい報告ができる」と、トランプ米大統領がマスコミに語っていたのは、日本の参院選挙の前だった。ぎゃくに言えば、参院選挙前には発表がはばかられる内容なのはわかっていた。というのも、日本にとって一方的に不利な貿易交渉であり、安倍総理の見え見えの国益売り渡しだったからだ。にもかかわらず、自民党を大敗させなかった国民は、やはり政治を見放しているのだろうか。だとしたら、その危険なツケをも支払わなければならない。

事態は深刻である。70億ドル相当のアメリカ農産物を市場開放するいっぽう、日本がバーターとして考えていた自動車の関税撤廃は見送られたのだ。安倍総理は記者会見で「日本の自動車と自動車部品に対して追加関税を課さないという趣旨であることは、私からトランプ大統領に明確に確認をし、大統領もそれを認めた」と言い訳に終始したが、これは本末転倒だ。オバマ政権とのTPP交渉では、自動車の関税撤廃が約束されていたのに、トランプのTPP撤退によって関税はそのままになってしまったのである。

◆激安化する牛肉市場

この安倍総理が「ウィンウィン」だと強弁する不公平な貿易交渉で、日本の農業とくに牛肉畜産業はほぼ完全に崩壊に追い込まれるとみられている。日米が合意した農産物の関税引き下げによって、牛肉は現在の38.5%から段階的(26.6%から)に引き下げられ、最終的には9%となる(2033年)。豚肉はキロ当たり現在482円から、最終的には50円まで引き下げられるのだ。

買い物に行かれる方はおわかりだろう。スーパーの店頭では、牛肉はOGビーフ(オーストラリア産)とアンガス牛(国産と表記がないものはアメリカからの輸入)が安く出まわっている。250円(100グラム)前後のOGビーフやアンガス牛はステーキ肉としては最底辺クラスで、等級認定クラスの和牛は750円から2000円という価格帯である。OGビーフもアンガス牛も赤身が主流だが、アメリカには和牛の飼育法を参考にした霜降り肉がある。今回の関税引き下げで、500円以下のアメリカ産「高級肉」が入ってくると予測されている。

関税が下げられた場合、価格はどうなるのだろうか。

アメリカ産で現在250円(100グラム)のものが、26.6%ならば229円、9%になった場合は197円まで下がることになる。これがグラム500円前後の高級部位の場合は、グラム400円を切ることになる。もはや少ロット生産の和牛が対抗できる価格帯ではない。その結果、生産をあきらめる畜産業者が続出するとみられている。だが問題は、わが国の畜産業の崩壊だけではないのだ。

◆危険な薬品漬けのアメリカ牛肉

ラクトパミンという薬品をご存じだろうか。EU、ロシア、中国では使用が禁止され、使用された肉の輸入すら認めていない人口ホルモン剤である。肉牛や乳牛の成長を早めるために、このラクトパミンを投与されるのだ。早く成長すれば、それだけ飼育期間が短くなり早く出荷できるため、農家にとっては経済的メリットが大きい。ほかならぬわが国が、牛肉輸入の門戸を大きく開いているアメリカとカナダの牛肉生産者において、このラクトパミンが使用されているのだ。

ラクトパミンは、女性の乳がんや子宮がん、男性の前立腺がんといったホルモン依存性がんを誘発する発がん性物質の疑いが持たれている。EU、ロシア、中国が輸入禁止に踏み切ったのは、こうした理由からだ。

日本でもホルモン依存性のガンが顕著に増えていることから、牛肉の輸入量が伸びていることとの間に、何らかの相関性があるのではないかといわれてきた。疑問を持ったがんの専門医らが10年ほど前に、専門的な調査を実施している。その結果、米国産牛肉には女性ホルモンの一種であるエストロゲンが、和牛に比べて非常に多く含まれていることを確認し、日本癌治療学会で発表している。

ところが、前述したとおり米国やカナダでは、このラクトパミンが飼料添加物として、牛や豚に与えられているのだ。そしてこの薬品自体は、日本国内でも使用は禁止されている。だが輸入肉の使用、残留は認められ、市場に出回ってしまっているのだ。

安価に牛肉が食べられると思いがちだが、こんなところに危険な落とし穴があったというべきであろう。じつはアメリカ国内でも、消費者は普通の安価な牛肉を避け、健康によいイメージの有機やグラス・フェッド(牧草飼育)の牛肉を選ぶ消費者が増えている。日本は先のトウモロコシに続き、またしても安全面で不安の残る米国産農産物を大量に引き受けることになるのだ。

あれ(自動車関税の固定化)も、これ(危険な牛肉の安価流通と国内畜産業の崩壊の危機)も安倍総理のトランプ追従政策の結果である。強いものに巻かれ、独自の外交政策を持たないがゆえのアメリカ追従。安倍にとって「国益」とは、自分の政治的な立場をまもり、アメリカに庇護される代わりに国民に危険なツケをまわすことでしかないのだ。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

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本通信で「『体罰』ではなく、すべて『暴力』だった」を3回にわたり掲載した。個的な経験の紹介ではあるが、ある時期、公権力(教育委員会)の明確な意思にもづき、堂々と行われた「教育」に名を借りた「犯罪行為」であるから、私怨としてではなく、記録として留められる必要があると考えたからだ。

愛知県をはじめとする「管理教育」について『禁断の教育』(宇治芳雄、同時代叢書1981年)『虚構の教育』(宇治芳雄、同時代叢書1982年)など問題を指摘する書籍も発売され、校内暴力などで荒れる学校の問題と対極に、行政暴力により吹きまくる公立高校内での「犯罪」は限定的であるとはいえ、教育や社会問題に関心のあるひとびとの間では、認知されていた。

NHKも東海地方では教育テレビで特集番組を放送し、『ある小学校長の回想』(岩波新書1967年)の著者である金沢嘉市氏がゲスト出演し、学校内で行われる異常な「教育」の実態を記録したビデオ映像を目にして、「ついにここまで来たか……という感じです」と絶句していたことが思い出される。

わたしは運悪く(あるいはのちの人生を考えれば逆説的に「幸運にも」との評価も成立するかもしれない)管理教育の被害者になったことで、人格形成のかなり重要な部分に多くの傷をすりこまれた。かといって教育界にはわたしに接したような、最低レベルの人間ばかりが巣くっているわけではなく、教育者としてだけでなく、人物としても尊敬に値するかたがたが熱心に児童・生徒・学生のために献身的に身を削っておられることを、身をもって後に知ることになる。

「ゲルニカ事件」は、ウィキペディアに下記の通り、記載されている。

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1988年3月の卒業式の際に、卒業生たち卒業記念作品としてパブロ・ピカソの『ゲルニカ』を模倣した旗(以降、「ゲルニカの旗」と呼称する)を作製した。児童はゲルニカの旗を式典会場の正面ステージに貼ることを希望したが、校長の指示により、ステージ正面には日章旗が掲げられ、ゲルニカの旗はパネルに貼られた状態で卒業生席背面に掲げられた。なお、ゲルニカの旗をパネルに貼って掲げることは校長によって提示された修正案だが、職員会議での合意は得られていない。

これに対する抗議の意味で、卒業式当日には、卒業生代表児童挨拶での校長への批判発言もあり、「君が代」の斉唱の際に着席するなど児童がいた。この児童らに同調し、着席、また退場の際に右手こぶしを振り上げる行動をした教諭に対し、福岡市教育委員会は同年6月、教育公務員としての職の信用を傷つけるものとし、地方公務員法に基づき戒告処分を行った。(ウィキペディア『福岡市立長尾小学校ゲルニカ事件」の項)

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事件後報道もされたので、「へー、世の中には立派な先生がいるもんだな」と感嘆した記憶があった。その立派な先生の名前は井上龍一郎さんだ。わたしが井上龍一郎さんと初めてお会いしたのは、熊本で行われた鹿砦社も支援するイベント『琉球の風』だったと思う。3年ほど前だろうか。当時から鹿砦社のロゴやイベントの際の横断幕などを力強く書く「書家」としてお名前は伺っていた。ニコニコして人柄の優しい井上さんはみずからが出向いて書を描く行為を「テキヤ」と自嘲気味に表現される清々しい方、との印象があった。


◎[参考動画]龍一郎さん 書道 亥(2019年2月16日公開)

けれども、のちに鹿砦社代表の松岡氏から「龍一郎は『ゲルニカ事件』で有名だったんですよ」と聞かされるまで、井上さん(ご本人は「龍一郎」を仕事で使っておられるので以後の記載は「龍一郎さん」とさせていただく)が、まさか、あの『ゲルニカ事件』の先生だとは気が付くはずもなかった。

後日松岡氏の好意で『ゲルニカ事件 どちらがほんとの教育か』(井上龍一郎とお母さんたち1991年、径書房)をご紹介いただいき、即読了した。

井上龍一郎とお母さんたち『ゲルニカ事件 どちらがほんとの教育か』(径書房1991年)

龍一郎さんは1987年4月6日に長尾小学校に赴任して以来のできごとを、同書第一章「君は何をするために学校に来たのか」で克明に綴っている。若く情熱に溢れた教師が、すさんだクラスに赴任してから児童のこころをどうやって解きほぐしていったのか。いうことを聞かないやんちゃ坊主とどのように打ち解けたのか。実に細かく日々の学校生活と児童の様子・変化が記録されている。残念ながら『ゲルニカ事件 どちらがほんとの教育か』は絶版になっているので、簡単に入手することはできないが、できれば教育に携わるすべてのひとびとと、お子さんを小学校に通わせている、あるいはこれから通わせる保護者のかたがた全員に読んでいただきたい。心揺さぶられる名著だ。

龍一郎さんは個性豊かな(と表現しておこう)児童が集う6年3組の担任を任されることになるのだが、このクラスは校長や教務主任がいうには「問題の多いクラス」ということで、龍一郎さんも心配しながらの新学期が始まった。そして「問題の多い」原因が同じ児童が5年生(5年生と6年生はクラス替えがなかった)の後半に、担任の先生が産休となり、代わりに赴任してきた先生に「毎日叱られてばかいりた」ことが原因で、教師不信に陥って反抗的な態度をとるようになったことを知る。龍一郎さんは毎日手探りを続ける中で、児童「教師に対する猜疑心」を徐々に希釈してゆき、やがては圧倒的な信頼を得るようになる。

「卒業といってっても、何もあわてて特別なことやっても駄目だ。やはり、一学期、二学期の取り組みの延長線上に明確に位置付けるべきだ。私たちは、子どもの主体的活動を基礎に学級集団を作り高めようとしてきた。三学期は、これを土台に学年の集団をはっきりつくりあげていかなければならない。そして、何より子ども達が燃えて燃えて燃え尽きるまでものごとに取り組み卒業してゆくこと――。こんな当たり前のことにたどりついた。具体的な計画を立てるときは、子ども達の興味、関心を最大限に引き出せるように工夫した。何といっても学習の主体者である子どもの意欲が問題なのだから、当然なことではある。」

「何といっても学習の主体者である子どもの意欲が問題なのだから、当然なことではある」と龍一郎さんは当たり前に考えておられたが、その真逆の人間が「教師」を名乗っている事実があまたにこびりついているわたしにとって、龍一郎先生の言葉は、新鮮を通り超え驚愕ですらあった。

そして、子供たちは卒業の記念にゲルニカを作成することを決めて、見事に完成する。その過程で児童が戦争や差別など社会問題に興味を持ってゆく過程などは、「これがほんとうに小学生が、みずから考え行動したことなのか」と驚愕させられるほどレベルが高い。2019年、大学生でも龍一郎さんが担任を受け持った児童のレベルに遠く及ばない学生が大半ではないか。

宇崎竜童さん(左)と龍一郎さん(熊本「琉球の風」にて)

はたして、児童たちは見事な学年の旗ゲルニカを完成させ(その完成度も驚愕に値する)卒業式が行われる体育館のステージにいっぱいに、自分たちの小学校生活集大成を見つめながらの卒業式を楽しみにしていた。だが、柳校長は職員の総意と児童たちの思いを踏みにじり、ゲルニカを壇上から外し、代わりに日の丸を掲げた。

卒業式では、卒業証書を受け取った児童が思いを述べる。ある児童は「私は怒りや屈辱をもって卒業します。私は、絶対、校長先生のような人間にはなりたくないと思います」と宣言した。

一連の出来事は「筑紫哲也のニュース23」で特集された。わたしはつい最近その映像を見る機会があった。失礼ながら一番印象深かったのは、わたしの知る、個性派書家龍一郎さんではなく「若い好青年」だったことだ。そして龍一郎さんは「処分」を受け、それを「不当」とし裁判闘争に立ち上がる。『ゲルニカ事件 どっちがほんとうの教育か』を読了するまでにも、わたしは何度もすなおに感激し落涙をおさえられなかった。

長年の沈黙を破り、龍一郎さんが11月10日、13時から同志社大学今出川キャンパス良心館で「教育のあり方を問いかけたゲルニカ事件から30年の想い」をテーマに講演会を行う。(講演会参加者には龍一郎さん揮毫の来年2020年の鹿砦社カレンダーを進呈します!)

子どもに向ける情熱を書に切り替えても、龍一郎さんの情熱は変わらない。そんな龍一郎さんは30年前を振り返り、今日の教育問題をどのように感じておられるのだろう。いまからお話が楽しみだ。

同志社大学学友会倶楽部第7回講演会 書家・龍一郎さん「教育のあり方を問いかけたゲルニカ事件から30年の想い」

同志社大学学友会倶楽部第7回講演会 書家・龍一郎さん「教育のあり方を問いかけたゲルニカ事件から30年の想い」

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田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

◆音が鳴った

10月18日、六代目山口組若頭の高山清司が府中刑務所を出所する。組長の司忍以上に組織統制の要と言われる高山の出所を前に、4度目の「音が鳴った(銃撃が起きた)」。

すなわち、10月10日に山健組本部前で、六代目山口組の中核組織・弘道会(竹内照明会長)の丸山俊夫幹部組員(68歳)が、山健組幹部2人を弾いた(射殺した)のである。


◎[参考動画]神戸で組員2人射殺 逮捕の男は報道関係者を装う(FNN 2019年10月11日公開)

周知のとおり、弘道会は高山若頭、司忍組長の出身母体だ。この事件をうけて、兵庫県警は11日に六代目山口組総本部事務所と神戸山口組事務所など同県内計11カ所の組事務所について、暴力団対策法に基づく使用制限の仮命令を出した。

9月29日にも、埼玉県飯能において銃撃事件が発生したことが週刊誌で大きく報じられている。撃たれたのは任侠山口組の幹部の弟(堅気の塗装業者)だった。任侠山口組(織田絆誠代表)への攻撃であれば、六代目山口組の組員による犯行との見方がつよい。

それに先立つ8月21日には、六代目山口組の弘道会の兵庫県神戸市熊内町にある関連施設で、やはり発砲事件が発生している。弘道会傘下の二代目藤島組に所属する加賀谷保組員(51)が、複数の銃弾を浴びたのである。撃たれた加賀谷組員は、腕を切断せざるをえなかったという。

さらにさかのぼる4月18日に神戸市内の路上で、神戸山口組の中核組織である山健組の與(あたえ)則和若頭が、弘道会系の組員に刺されている。

8月の事件は4月の事件の“返し”として、山健組が神戸にある弘道会の拠点を襲撃した可能性があり、そうであれば10月10日の事件は、高山若頭の出所を前にした、弘道会の血の報復とみるべきであろう。8月21日の事件は、ほかならぬ高山若頭の住居で行なわれたのだから――。

ここまで読まれて、ヤクザマニアでなければ何が何だかわからないのではないだろうか。いったいどことどこが戦い、山口組はそもそもどうなっているのか(苦笑)。


◎[参考動画]六代目山口組総本部など「抗争状態」判断で使用制限(FNN 2019年10月12日公開)

◆3つの山口組

そこそこに知っている方も、ここでおさらいだ。山口組が分裂したのは2015年8月のことである。

六代目司忍組長・高山清司執行部体制に不満を抱いていた直参グループが、井上邦雄(山健組)を組長に、神戸山口組を旗揚げしたのだった。六代目に対する批判は、弘道会による役職の独占および上納金(月額100万円)、そして生活物資の買い取り(本家からの購入強要)であった。暴対法、暴排条例でシノギが厳しくなった中で、カネに執着する本家への反発である。五代目渡辺芳則組長は、組織拡大路線のもと、上納金を低く抑えていたではないか、と。

ところが、井上組長の神戸山口組もまた、直参組織を上納金で縛るという実態が明らかになったとして、織田絆誠(金禎紀)を首班とする任侠山口組がたもとを分かったのが2017年の4月である。こうして山口組は3鼎立することになったのだ。

六代目山口組 10300人 
神戸山口組   2700人
任侠山口組   460人

もともと、六代目山口組が発足したとき(2005年)に、それまで主流派だった山健組(渡辺五代目の出身母体)は人事で不満を抱いていた。弘道会による執行部人事の独占である。実力派の後藤忠政(後藤組組長)が除籍になったのを機に、13人の直参組長たちが謀反の談合を開いたところ、各個呼び出されて除籍処分になったのが、2015年分裂の遠因である。この除籍の顛末は、談合自体が弘道会の謀略だったという(『血別』太田守正、サイゾー刊)。

◆本格的な抗争は起きない

それはともかく、ヤクザジャーナリズムが騒ぎ立てるほど、本格的な大抗争が再燃するとは思えない。少なくとも組織としての山口組三派は、抗争を禁じる措置をとっているからだ。民法上の使用者責任が組長におよぶ、というのが一番の決め手である。

事件によって挙げられるのは、もちろん組長だけではない。銃撃したヒットマンも、よほどの覚悟がなければ出頭することはできないだろう。むかしなら新聞や実話誌で派手に報じられて、十数年の懲役を受けながらも任侠界に名をとどろかすという一幕だが、いまはそうではないのだ。

ヤクザなら相手を殺せば長期刑(30年か無期)、無期になれば堅気にならないかぎり、仮釈放は認められない(2000年に思想犯の除外を検察庁が更生保護委員会に指示)。見かけだけ堅気になったとしても、組に復帰すれば収監される。無期懲役の仮釈放は、刑期満了ではないからだ。かりに懲役30年になったとして、25歳の若きヒットマンは55歳でやっと出所ということになる。

人生100年時代とはいえ、人生の盛りの大半を獄中の労役で過ごすのである。ちょっと落ち着いて考えれば、捕まりたくないはずだ。そんなわけだから、9月の事件では、ターゲットを誤爆するというチョンボを犯している。しかるに10月10日の事件(2名殺害)は、斯道界のみならず警備当局、市民社会を震撼させるものだった。それがヤクザの犯行ではなく、マフィア的な犯行だからだ。

◆日本任侠道のマフィア化のきざし

当日は山健組の定例会が開かれている場所で、丸山容疑者は取材の実話誌記者たちとともに、記者を装ってカメラバッグの中に拳銃をしのばせていたというのだ。警察官の職務質問にも「実話誌の記者です」と答え、じっさいにカメラで撮影もしている。そして定例会が終わったとき、山健組の組員たちに誰何された段階で、2名射殺という襲撃を成し遂げたのだ。厳重警備を敷いていた警備当局に、その場で逮捕されたのは言うまでもない。

丸山容疑者はしたがって逮捕覚悟、あるいは死を覚悟のヒットマンだったことになる。2名殺せば、ヤクザでなくとも死刑(永山則夫規準)である。家族の将来を組織に託して、抗争事件でヤクザのレジェンドになる。それは確実な殺害と引きかえにヒットマンの犠牲を強いる、マフィア的な犯行である。

末端が禁じられている麻薬や詐欺事犯に手をそめ、捜査当局の締め付けのなか危険なシノギで生き延びる。そして抗争もまた、マフィア化しているというべきであろう。

ワールドカップラグビーの荒々しいプレイが、ある意味で「怖いもの見たさ」の求心力を持っているように、ヤクザ抗争は黒く熱い日本文化でもある。だから抗争事件は恐怖とともに、一般市民にも「のぞき見たい」刺激をあたえる。そうであれば、できれば親分同士が、どつき合いで決着(太田守正)をつけて欲しいものだ。そのときは、かならず取材に馳せ参じる所存だ。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

タケナカシゲル『誰も書けなかったヤクザのタブー』

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壱の左ハイキックが誓を攻める

11月1日に「KNOCK OUT」に於いて、HIROYUKI(=茂木宏幸/藤本)と対戦が予定されている壱(=いっせい/センチャイ)が、誓(=飯村誓/ZERO)をヒジ打ちで圧勝。

鳩(=あつむ/TSK JAPAN)がボディーブローで、ムエタイオープン・スーパーバンタム級王座獲得。

8月11日にタイ・チョンブリー県でWPMF女子世界ピン級王座獲得した田中“暴君”藍(PCK亘理)も、より成長した強さを発揮し、ヒジ打ちでTKO勝利。

8月31日、タイ・バンコクに於いてルンピニースタジアム最高責任者、デットウドム・ニチャラット将軍より、日本支部となる「ルンピニー・ボクシング・スタジアム・オブ・ジャパン」の認定が2年延長されました。

2015年8月7日、ムエタイの殿堂、ルンピニースタジアムが認定する史上初の海外支部となる「Lumpinee Boxing Stadium of Japan」発足以来、ムエタイオープン興行を中心に、ルンピニー日本王座とランキングを管理し、ムエタイ文化の国際普及に貢献してきたルンピニージャパン代表、センチャイ・トングライセーン氏は、この4年間に及ぶ功績を認められた様子です。

壱と誓のまだ静かな立ち上がりの蹴りあい

劣勢を撥ね返そうとパンチで出る誓

◎MuayThaiOpen.46 / 2019年9月29日(日)新宿フェース16:00~19:27
主催:センチャイジム / 認定:ルンピニー・ボクシング・スタジアム・オブ・ジャパン(LBSJ)  
 
◆第12試合 バンタム級ノンタイトル3回戦

LBSJバンタム級チャンピオン.壱センチャイジム(=与那覇壱世/センチャイ/53.3kg)
    vs
NJKFフライ級1位.誓(ZERO/53.25kg)
勝者:壱センチャイジム(赤コーナー) / TKO 3R 2:18 / 主審:山根正美

左瞼を腫らし、左目尻を切られた誓は苦しい展開

初回、誓の蹴りのけん制から壱の蹴り返す圧力が増し、第2ラウンドも攻防は壱が圧力を掛け、誓はロープ際に圧される展開が続く。接近戦から組み合うとヒジ打ちやパンチの交錯が続くと、誓は圧されながらもヒジ打ちをヒットさせ、壱の右目尻を小さくカット、攻勢を保ちながら切られた壱もやりかえそうと手数を増して出て行く。

第3ラウンドには蹴り合いから縺れ合って首相撲になると、壱がヒジ打ちを放った様子で誓の左目尻をカットする。すでに第2ラウンドにヒジ打ちで左目辺りにダメージがあった様子で、左瞼がやや腫れ、見え難いのか顔をしかめてしまう誓。更に蹴りから組み合うと、壱は誓の頭を下げてヒザ蹴りを蹴り込み攻勢を維持。蹴り合いから縺れ合って倒れるとヒジが当たったか誓の負傷箇所が悪化し、ドクターの勧告を受入れたレフェリーが試合を止めた。誓は格上との対戦の試練が続く4連敗となった。

相打ち気味の誓の右パンチが壱にヒット

至近距離の打ち合いは互角

離れての蹴りは壱が優勢

あっけなくも狙ったボディーブローでTKO勝利した鳩

◆第11試合 MuayThaiOpenスーパーバンタム級王座決定戦 5回戦

鳩(TSKJapan/53.0kg)
    vs
デンナダーオ・モー・ピンガローイジュンボーイ(タイ/52.65kg)
勝者:鳩(赤コーナー) / TKO 1R 1:44 / 主審:河原聡一

両者のローキックのけん制の様子見が続き、鳩が軽い右ローキックから強い左ボディーブローをヒットさせるとデンナダーオは蹲るように倒れ込んでしまうとレフェリーがカウント中に試合をストップし、鳩のTKO勝利となった。

左ボディーブローに移る鳩、これで仕留めるとは……

ラウンドガールとセンチャイ氏に囲まれる鳩

44歳の松崎公則のミドルキックが冴える

◆第10試合 スーパーフライ級3回戦

バンサパーン・センチャイジム(タイ/51.9kg)vs 松崎公則(Struggle/51.95kg)
引分け三者三様 / 主審:神谷友和
副審:河原29-28. 桜井30-30. 山根29-30

激しさは無いが、ローキックやミドルキックの攻防が休むことなく続く両者。そして松崎のしぶとく落ち着いた表情は激戦の兵と感じさせる。

最終ラウンドは松崎が攻勢を掛けてパンチと蹴りで前に出るが、バンサパーンは上手く捌きながらポイントに繋ぐようにハイキックを繰り出し劣勢を凌いだ。

三者三様の引分けがコールされて残念そうな両者

◆第9試合 スーパーフライ級3回戦

白幡裕星(橋本/51.9kg)vs 佐藤仁志(新宿スポーツ/52.16kg)
勝者:白幡裕星 / 判定3-0 / 主審:少白竜          
副審:河原30-28. 神谷30-28. 山根30-28

組み合えば田中のヒジが襲う、Saeは防戦一方

◆第8試合 女子47.5kg契約3回戦(2分制)

KOKOZ(=ココゼット/TRYHARD/47.4kg)vs 443(=よしみ/NEXTLEVEL渋谷/47.3kg)
勝者:KOKOZ / 判定3-0 / 主審:桜井一秀
副審:河原30-29. 神谷30-29. 少白竜30-29    

◆第7試合 女子45.5kg契約3回戦(2分制)

WPMF女子世界ピン級チャンピオン.田中“暴君”藍(PCK亘理/45.1kg)
    vs
Sae-KMG(=さえ/クラミツ/45.0kg)
勝者:田中“暴君”藍(赤コーナー) / 公式TKO 2R 0:02 実質1R終了 / 主審:山根正美

互いが対峙してのローキックのけん制から組み合うと早くも田中“暴君”の勢いが増していった。首の掴み方、体重の掛け方のバランスが良く、すぐさまヒジ打ち、ヒザ蹴りを入れ、田中の圧力を抑えることが出来ないSaeは険しい表情。

田中のヒジ打ちで左頬を切られたsaeは第2ラウンド開始と同時にドクターチェックが入り、そのままレフェリーに試合を止められた。

第2ラウンドの開始ゴングを待ってのドクターチェックで、再開されないままの終了であり、実質は1ラウンド終了時のTKOとなる。おそらくJBC式でも「TKO 1R終了時」となる。

田中“暴君”藍のヒザ蹴りがSaeにヒット

WPMF世界ピン級チャンピオンとしてより実力アップした田中“暴君”藍

◆第6試合 女子フライ級3回戦(2分制)

RAN(Monkey☆Magic/50.55kg)vs 竹井成美(エイワスポーツ/50.35kg)
勝者:RAN / 判定3-0 / 主審:河原聡一
副審:桜井30-27. 山根30-27. 少白竜30-28

◆第5試合 バンタム級3回戦  

稔之晟(=じんのじょう/TSK Japan/53.15kg)
    vs
チャローンリット・ソー・ウィセットキット(タイ/53.5kg)
勝者:稔之晟(赤コーナー) / KO 1R 1:43 / テンカウント / 主審:神谷友和

◆第4試合 66.0kg契約3回戦

ポッキー・ラジャサクレック(タイ/65.4kg)vs 雑賀弘樹(NEXT LEVEL渋谷/65.7kg)
勝者;雑賀弘樹 / 判定0-3 / 主審:少白竜
副審:神谷28-30. 山根28-30. 河原29-30

◆第3試合 スーパーフェザー級3回戦 

洸杜(T’sKICKBOXING/58.8kg)vs 直希(AKT/58.5kg)
勝者:洸杜(赤コーナー) / TKO 2R 2:10 / カウント中のレフェリーストップ / 主審:桜井一秀

◆第2試合 フェザー級3回戦  

三浦翔(クロスポイント大泉/56.85kg)vs 成澤龍(SRC/56.55kg)
勝者:三浦翔(赤コーナー) / KO 1R 1:58 / テンカウント / 主審:山根正美

◆第1試合 フェザー級3回戦  

健・センチャイジム(センチャイ/56.6kg)vs 岡田将充(クラミツ/56.2kg)
勝者:岡田将充 / 判定0-3 / 主審:河原聡一
副審:山根29-30. 少白竜28-29. 桜井29-30

着実に日本のトップ戦線に躍り出た壱、次戦はHIROYUKI戦

《取材戦記》

壱(=いっせい)は、昨年11月25日のMuayThaiOpen43に於いて、小嶋勇貴(仲FS)からルンピニージャパン・バンタム級王座奪取。この日、誓を下し、11月1日には「KNOCK OUT」に於いて、日本バンタム級チャンピオンのHIROYUKI(=茂木宏幸/藤本)と対戦が予定されています。2017年11月26日のデビュー戦では敗れたが、この日で15戦13勝(5KO)1敗1分。このMuayThaiOpenから生まれたスターが日本のトップクラスのリングで他団体チャンピオンと戦います。

「キックボクシングは今が全盛期ではないか」と言う運営関係者が居ました。

「乱立はしているが、組織の在り方は軟弱だが、多くの興行が成り立ち、ビッグマッチが行なえるイベントが増えてきた。イベントの盛り上げ方は、昭和の全盛期を上回るのではないか」と言う意見。団体や興行プロモーションは増え、王座は乱立したが、確かに興行が増え、交流戦が当たり前になり、トップクラスの戦いも増えた。これが時代の流れなのだろう。全国ネットで放送され、2団体しかなかった“昭和の良き時代”の語り部となっている我々世代はもう戻らぬ時代を想い、懐かしむだけの遅れた人間なのだろうと気付かされる。

地道に進むムエタイオープンも紆余曲折を経て46回目を迎えました。会場に入る度、センチャイファミリーが運営する興行という雰囲気が漂います。タイ人プロモーターによる、イベントタイトルどおりにムエタイの趣が表れる興行は幾つか存在し、ムエタイ殿堂のルンピニースタジアム傘下のルンピニージャパンタイトルは、公式ルールを遵守する運営で、より伝統・格式が付いてくるもので、しっかり継続して貰いたいタイトルであります。

と、毎度綺麗ごとで纏めてしまうが、タイ人関係者(プロモーター)との意思の疎通は難しいと感じることがあります。疑問点が生じて事情を伺うと、言葉は伝わっても意味が伝わらないこと多い。しかし日本人であっても問題摩り替えて答えを無難に、はぐらかす者も多いから、記者が挑む取材は難しい仕事と思う。

ムエタイオープン47は12月1日(日)に、やっぱり新宿フェースに於いて行なわれます。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

タブーなき言論を!絶賛発売中『紙の爆弾』11月号! 旧統一教会・幸福の科学・霊友会・ニセ科学──問題集団との関係にまみれた「安倍カルト内閣」他

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

上條英男『BOSS 一匹狼マネージャー50年の闘い』。「伝説のマネージャー」だけが知る日本の「音楽」と「芸能界」!

◆二階斬りに失敗した安倍総理

安倍新内閣の総評が、「安倍内閣を構成する『こんな人たち』に負けるわけにはいかない――派閥にとらわれてボロだらけ」(朝霞唯夫)、「問題集団との関係にまみれた『安倍カルト内閣』」(藤倉善郎)、そして「小泉進次郎の正体は官邸言いなり“客寄せパンダ”」(横田一)である。

 

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本欄でも指摘してきたとおり、派閥順送りの閣僚人事はサブタイトルにあるように「ボロだらけ」である。武田良太国家公安委員長のヤクザ交際。78歳の竹本直一科学技術・IT担当大臣(日本の印章制度・文化を守る議員連盟会長)の「ハンコを大切に」発言、橋本聖子五輪担当相の高橋大輔とのキッス。そして菅原一秀経産大臣のパワハラ。

しかし諸悪の根源は、理念や政策によらない派閥の領袖・二階俊博幹事長(80歳)の続投であると、朝霞は指摘する。幹事長続投をめぐる安倍・二階会談は「どうなってもいいなら、どうぞ」という二階の切り返しで、安倍の「引き続き、お願いします」となったという。「この間、わずか30~40秒だった」。二階斬りに失敗した安倍は、派閥順送りの「ボロだらけ」を囲い込むことになったのだ。

◆カルト内閣

ヒトラーとチャーチルが、ともに占星術に凝っていたのは有名な話だ。ヒトラーは作戦計画にも占いを持ち込み、国防軍の将軍たちを辟易させたという。占星術はまだしも個人的な趣味にすぎないが、宗教と政治が結びつくことで、政教一致委という戦前の国家神道に代表される宗教国家が出現する。だからこそ憲法は20条3項で「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と規定しているのだ。

個人(私人)としての信仰はともかく、大臣(公人)としての靖国参拝が問題視されるのは、憲法に抵触するグレーゾーンであるからだ。じつは安倍内閣は多くの閣僚が、そのグレーゾーンに踏み込んでいるのだ。

閣僚の多くが、神道政治連盟(略称・神政連)日本会議統一教会(現・世界平和統一家庭連合)霊友会不二阿祖山太神宮などの会員なのだ。とくに安倍総理は多くの宗教団体にかかわり、高額お布施で信者から訴訟を受けているワールドメイトにも関係しているという。

政治家の多くが、その集票力を頼んで宗教団体と関係を持つわけだが、政教一致を禁止している憲法のもと、宗教団体の献金は禁じるべきであろう。創価学会と公明党の関係にも、そろそろ明確な法の処断が必要ではないか。宗教は個人のものであり、政治に介入するべきではないのだ。

◆小泉進次郎の不勉強・無策が明らかに

横田一の論考では、小泉進次郎の「客寄せパンダ」としての実像が明らかにされている。都合の悪い質問は聞き流し、ソフトなパフォーマンスで政権のイメージをアップする。そのいっぽうで、安倍政権の原発推進政策にはまったく踏み込まない「原発ゼロ政策」の欺瞞性。横田一はあまり触れていないが、小泉進次郎を人寄せパンダにすることで、その「ボロ」を出させ、将来の政敵のひとりを葬るのが安倍総理の思惑ではないか。

本欄でも記事を書いている小林蓮実の「実録・台風15号の『人災』」は、ご本人が南房総市在住である。停電でATMを使えず、懐中電灯と水・食料を買ったら手持ちが40円に。この日、東京でのイベントに彼女を招いたのは、ほかならぬわたしで、その講演料が少しでも役立ったのか、それとも災害時に負担をかけたのか忸怩たる思いだが、彼女の行動力には感謝しかない。

行政の対応の遅れが、住民にどんな「二次災害」を与えるのか。記録して教訓とすべきであろう。これを書いている10月10日現在、新たな大型台風19号の接近、関東地方直撃が確実視されている。行政の準備を期待したい。

宮崎県都城市議会の「政治倫理」をめぐる攻防(中東常行)は、地方議会にありがちな疑惑事件の数々、セクハラ、地元政界と警察の癒着を告発した女性ブロガーの怪死事件、市庁舎の整備事業の不透明など、事件好きの好奇心を煽る。

木村三浩(一水会代表)は久しぶりの執筆。内閣官房参与・飯島勲の外交シーンにおける傲岸な態度(フランスが準備したホテルの部屋が気に入らないと勝手に帰国)を枕に、政治とマスコミが傷つけている日韓両国民の関係を掘り下げている。切れ味の良い論考だ。

三田和成の「“横浜のドン”がカジノ反対派になった理由」は、藤木幸夫港湾組合会長の人となりを伝える。父親がヤクザの親分(埋地一家総長)だったのは初見である。IR(カジノをふくむ)の誘致をめぐって、どんな展開が待っているのか、注目したい。

「シリーズ・日本の冤罪」が始まった。初回は本欄でもおなじみの尾崎美代子(釜ヶ崎でフリースペースを主宰)の「湖東記念病院事件」である。鹿砦社系ライターの得意とするジャンルだけの連載に期待したい。

以上、筆者の好みだけでピックアップさせていただいたが、ほかにもファクトでインパクトのある記事満載。「紙の爆弾」11月号をよろしく。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

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