「授業料を払いながら通う『刑務所』」に集められた教師たちには特徴があった。新卒教員が極めて多いこと、そして「組合」に入っている教師はほとんどいないことであった。
◆一人だけまともな教師がいた
なんの間違いか「授業料を払いながら通う『刑務所』」に配属された、のちの恩師にO.K先生がいた。O.K.先生は早稲田の政経学部から明治の大学院に進み、橋川文三に師事したインテリだった。彼と初めて言葉を交わしたのは2年生のときだった。わたしがどういうわけか1年生の前で「講話」をするように教師どもから指示を受けたときだった。「講話」というのは朝礼や、それ以外の任意の時間でも高校がその気になれば生徒を集めて、教師が気まぐれな話をすることを指す。
ある時は、役職者の矢野という教師が「本校は教育でいく!『今日行く』、『Today Go』です!」と真顔で語っていたことを思い出した。
そう。新設校の教師はなべて知的水準が低かった。「教育」を「Today Go」と訳す馬鹿に指導されて大学に入るのは、至難であることは理解されやすかろう。
「新設校の常套手段だ! 核になる『生徒づくり』!」O.K先生は幾分ぶっきらぼうにわたしを斜めに見ていたように記憶する。わたしは友人の情報で「一人だけまともな教師がいる」にすがる思いでO.K先生に相談に行ったのだが、彼のフラストレーションも限界に来ていたのだろう。
高校卒業後にO.K先生とは何度も飲んだ「意地悪だったよね。初対面のとき」とわたしはいつも嫌味を繰り返したが、「ゴメン、本当に記憶がないんだ」と深刻そうな表情をするO.K先生とは、彼が不慮の事故で他界するまで親しくお付き合いさせていただいた。
◆威張り方だけは十分仕込まれていたノンポリ「漂白済み」新卒教員たち
新卒教員連中は、勘違い激しく先輩暴力教師の真似をして、どんどん不良教師として成長していった。山口県光市出身で東京理科大卒の数学の教師は、きわめて口下手だった。民間企業では絶対に務まらない域だ。その彼が珍しく身を乗り出すようなことを語ったことがあった。
「みんな、高校に入って、『なんだか自由がない』と思ってるんだと思う。どうしてこういう教育になったかというと、大学や高校が『学園紛争』で荒れた時代があったんだね。そういうことを起こさせないために、こういう教育になっている」
ほおー。愛知県の新任教師研修ではそこまで「本音」が語られているのか、とちょっと驚いた。弾圧は明確な意図と言葉で成立していたのだ。もちろんノンポリで東京理科大に行けるくらいだから、試験の成績は良かったのだろう。しかしこの新任教師は、リアルな「社会」を全く知らなかったし、興味を持ったこともなかったのだ。事程左様にノンポリ「漂白済み」のような教師(22、23才だろう)のくせに、威張り方だけはすでに十分仕込まれていた。
ところがものごとは直線状に進むとは限らない。教師どもの本音を知った同級生の中からは、本腰で教師と非妥協な関係を構築するものがむしろ増えた。わたしはO.K先生に数学新任教師が「本音」を語ったことを、半分笑いながら伝えた。
「笑いごとじゃないんだよ。君らはいいけど、僕は職員会議では完全に孤立している。もう疲れた…」。「授業料を払いながら通う『刑務所』」に勤務していた当時、O.K先生の口癖は「もう疲れた」だった。
◆「真っ当な神経の持ち主」の教員は「登校拒否」となった
O.K先生だけではない。わたしの1年生時担任だった九州出身で夜学を出た苦労人の先生は、学年途中から半分「登校拒否」になってしまった。わたしたちはその先生の「登校拒否」を批判しなかったし、むしろ肯定的にとらえた「真っ当な神経の持ち主」だと。卒業後O.K先生の自動車に苦労人の先生と同乗したことがあった。苦労人の先生は「僕はまっぴらごめんだけど、田所には高蔵寺高校に入ったことを後悔してほしくないな」というようなことを言われた。わたしは少し言葉を荒げた。
「先生は嫌いではないですよ。でもわたしたちの『失われた3年間』は誰がどうやって返してくれるんですか? ご存じですか? 高蔵寺高校は『青春の墓場』と他の高校から比喩されていることを」この発語は今も撤回するつもりはない。いい年をとったが、あの3年間の息苦しさは「教訓」にこそなれ誰も、あがなうことはできはしないのだ。やや過剰な表現を使えば「戦場体験」と似ているかもしれない。時間がたてば忘れられる。そんな類の浅い傷ではない。
◆夕方のTVニュースで映った高蔵寺高校校長、伊藤一太郎の顔
高校を卒業して大学1年のとき、暑い夏の夕方TVの報道番組を見ていたら、どこかで記憶に残っている顔は映っている。あ! 伊藤一太郎じゃないか! 「授業料を払いながら通う『刑務所』」こと愛知県立高蔵寺高校の校長だ。
何が起こったのか? 報道によると校長や事務長がPTA費を流用していたらしい。「ほら見やがれ!」無意識にわたしは叫んでいた。狭い下宿で上半身裸のまま、シャワーを浴びた直後にもかかわらず、再び怒りと興奮で汗が止まらなかった。
「権力」、「暴力」、「保身」の本質とは何か。人間はいかに情けない動物か。わたしは3年間の「授業料を払いながら通う『刑務所』」生活で学んだ。実名で名前をあげた当時の教師どもはまだ健在か。あるいはすでに他界したものもいるかもしれないが。君たちに告げておこう。「あなたたちが冒した罪を、わたしは死ぬまで忘れないし、許さない」と。(つづく)
▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。