――以下はフィクションであるが、事実の各部分は昨年の8月以来、わたしが数十名の患者さんに取材した実話をもとに構成してある。よって主人公はひとりではないものの、実話が織りなす物語とお考えいただいて差し支えないだろう。
◆前立腺がんになった。治療が必要な状態だといわれた……
前立腺がんになった。治療が必要な状態だといわれた。どうしよう、もう余命は短いのか? 「日本人の二人に一人はがんになる」と聞いてからタバコはすぐやめた。食事もなるべく化学調味料や保存料のはいっていないものを選ぶよう女房に意見した。内臓を冷やすとよくないといわれたので、爾来暖かい飲み物を採るように心がけ、下着も厚めにしてきた。胃カメラ、大腸内視鏡検査も1年ごとに受けている。どの値も正常値から飛び越えることはなかった。血圧や脈拍も。
ことしの健康診断の血液検査で「PSAが高い」といわれた。PSA? なにを示す値であるのかすら知らなかった。産業医からPSAは前立腺肥大や前立腺がんが起きると値が高まる指標だと教わった。いまから振り返れば、当時のわたしは、「お気楽」だった。前立腺がんの理解不足はもちろんのこと、前立腺の機能自体に対して、まったく知識がなかった。産業医はロボット手術を勧めた。
「前立腺の全摘出は難しい手術ではありません。取ってすっきりしましょう」
肌の上にできた「デキモノ」を取るような簡単な手術のような説明だった。入院と手術の日をそこで決めようとされたので「家族に相談させてください」と断って帰ってきた。インターネットで本気で調べだしたのは、あの産業医が気楽に説明してくれたから、逆に怖さを感じたのだ。
◆「月におむつ代にかかる4万円の負担が大きく、年金生活の身では苦渋しております」
調べだすとますます怖くなった。前立腺を全摘出しても再発率がかなり高いことを知った。再発しなくとも、排尿障害に苦しむ人の声をきいた。たしかに前立腺がんの治療はうまくいっているようだ。だけれども排尿障害があり、常時おむつを着用していないと普通に生活できない。その人は「手術も大切だけど、そのあとの生活も考えて治療法を選ぶべきでした」とメールでアドバイスしてくれた。
「恥ずかしながら小生、月におむつ代にかかる4万円の負担が大きく、年金生活の身では苦渋しております」厳しいことばでメールは結ばれていた。
小線源治療は前立腺全摘出よりも、術後の負荷が少ないとは聞いていた。だが、前立腺に小さいとはいえ放射能を埋め込む治療法に、なんとなく不安を覚え選択肢の中から早期に排除してしまっていた。さいわいわたしのがんは、一刻をあらそう進行の早い病気ではないらしい。だからといって悠長に構えてはいられない。ほおっておけば、いずれ骨やリンパなどに転移することは確実と忠告されていた。
◆このままでは、わたしが考えていたよりも、かなり早く「死」はやってくる
この頃から、おぼろげだった「死」を現実に考えるようになった。このままでは、わたしが考えていたよりも、かなり早く「死」はやってくる。まだ定年まで何年もある家族を養う身で、早々に人生から「退場」しなければいけないのか。怖い。怖い以上にわたしはまだ「死ねない」。まだわたしの収入に依存している家族はわたしがいなくなったらどうする? 生命保険の死亡給付金は、保険金が高いから一昨年4分の1以下に契約をみなおしたばかりだ。目先の支出にとらわれたのが間違いだったのか……? いや、お金の問題ではないだろう。わたしは平均寿命まで、干支一回り以上の年月が残っている。
家族の面倒はもちろんだが、わたしだって定年退職後にやりたいことがある。退職金が出たら女房と世界一周旅行をしてみたい。女房には話したことはないけれども、きっとこの申し出は歓迎されるだろう。転勤と残業ばかりで、迷惑をかけてきた女房へのねぎらいに、贅沢ではなくとも「世界一周旅行」に出かけるのは、わたしのようなものにとって「身の程知らず」ということなのであろうか。
そんなことはないだろう。けっしてエリートではなかったが、入社以来わたしは、精一杯に会社に尽くしてきたし、そのことはいまの職位が証明してくれるだろう。同期入社で取締役の席に座っているのはわたしひとりである(けっしてそのことを披歴したいわけではない)のだから。バブルのあとの不況時にも、今世紀に入ってからの市場の変化にも、わたしはわたしなりに全力で取り組み、会社にはいくばくかの貢献をできたのではないか、と手ごたえは感じている。
いまは、そういったわたし社会的な経歴ではなく、「存在」としてのわたしがどうなるか、を決めなければならないのだ。いずれやってくる「死」に無謀な抵抗をしようとは思わない。だれにでも訪れるその瞬間は蕭々と受け入れよう、と昔から考えてきた。しかし、事故でもない限り、子供が一人前になってからだろうとしかその時のことは描けなかった。肺がんで40代の若さで亡くなった後輩の葬儀に立ちあったときも、わたし自身の「死」についての現実感はなかった。
焦りと恐怖が日ごとにました。食欲も失い半年で10キロ近く体重が落ちた。調べれば、調べるほど「悪い想像」しかできなくなっていた。日課のジョギングを欠かすようになって何か月が過ぎただろうか。晩酌などする気にもならない。
◆ベテランの看護師さんが岡本医師を教えてくれた
滋賀医大附属病院の岡本医師の情報を知らせてくれたのは、わたしの会社の健康診断を請け負っている会社の看護師さんだった。産業医とわたしの会話に同席していたベテランの看護師さんが「一度コンタクトしてみてください」と連絡をくれた(わたしの会社の健康診断には、産業医だけでなく看護師さんからのアドバイスも受けられるサービスがついていた)。
岡本医師の情報を調べて驚いた。わたしのような中間リスクだけではなくハイリスクの患者さんまで受け入れている。それだけではなく超ハイリスクの治療でも95%以上再発させていない。本当か? 滋賀医大附属病院のサイトにアクセスすると、岡本医師のメールアドレスが掲載されている。「大学病院で自分のメールアドレスを公開するお医者さんがいるのか」このことはわたしの焦りを増すことになった。「ほかの患者に先を越されてわたしの手術が遅れたら困る!」利己的であるけれども、わたしは他者に対する配慮ができる状態ではなかった。早速岡本医師にメールを送った。
返信があったのは次の日の夕刻だった。会社のメールアドレス宛に「詳しい情報を送ってください」と。びっくりした。忙しいであろう大学病院のドクターが見知らぬものからのメールに1日もたたず返信をくれたことに。わたしは検査結果の詳細を再度岡本医師にメールで送信した「一度私の診察を受けてください」と短いが診察を受けてくださるメッセージが返ってきた!
その晩久しぶりに日本酒が飲みたくなった。美味かった。まだ診察も受けていないのに半年以上ぶりに気持ちが楽になった。(つづく)
◎患者会のURL https://siga-kanjakai.syousengen.net/
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滋賀医科大学附属病院問題 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=68
▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。