2012年6月に大阪・ミナミの路上で音楽プロデューサーの男性・南野信吾さん(当時42)とスナック経営者の女性・佐々木トシさん(同66)の2人を包丁でめった刺しにし、殺害した男・礒飛(いそひ)京三(44)が死刑を免れることになった。

礒飛は、裁判員裁判だった1審・大阪地裁で死刑判決を受けたが、2審・大阪高裁で破棄されて無期懲役判決を受けていた。そして今月12月2日、上告審・最高裁の小池裕裁判長が検察側、弁護側双方の上告を棄却する判決を出したため、2審の無期懲役判決が事実上、確定したのだ。

これをうけ、ネット上では、「裁判官は相変わらず浮世離れしている」「裁判官も被害者や遺族と同じ目に遭ってみろ」などと、案の定ともいうべき裁判官批判が繰り広げられている。その気持ちはわからないでもない。筆者も自分がこの事件の遺族であれば、礒飛が死刑にならないと納得できないだろうと思うからだ。

もっとも、礒飛が死刑を免れたことについて、裁判官を批判するのはお門違いだと言うほかない。なぜなら、この事件の裁判官たちはむしろ遺族の思いに応えているからだ。

◆裁判官が頑張らなければ、無罪もありえた

では、なぜ、この事件の裁判官が遺族の思いに応えていると言えるのか。法律を厳格に適用すれば、礒飛は死刑を免れるどころか、無罪になりうる被告人だったからである。そのことを説明するうえで、まず裁判で認定された事実関係を見てみよう。

礒飛は覚せい剤取締法違反で2度の服役歴があり、この事件を起こしたのは2度目の服役を終え、出所した翌月のことだった。生まれ育った栃木で仕事が見つからず、刑務所内で知り合った男から「仕事を紹介してやる」と言われて大阪に赴いた。しかし、紹介された仕事は詐欺や覚せい剤の密売人だったため、礒飛は失望した。そして翌朝、覚せい剤精神病による「刺せ。刺せ」という幻聴に促されるまま、上記のような犯行に及んだのである。ちなみに犯行に使った包丁は、10分ほど前に近くの大丸百貨店で購入したものだった。

事件があった大坂・ミナミの路上

このような事実関係を素直に見れば、刑法第39条が適用されるのが妥当な事案だと言える。刑法第39条では、責任能力(=物事の善悪を判断し、それに従って行動する力)が無い者の行為は罰せず、責任能力が著しく減退した者の行為はその刑を減軽すると定められている。この事件の裁判官たちが礒飛に対し、この法律を厳格に適用していれば、礒飛は無罪や有期刑になっていてもおかしくなかったろう。

しかし、1審・大阪地裁の死刑判決はもとより、2審・大阪高裁の無期懲役判決、その2審判決を是認した最高裁の判決のいずれにおいても、礒飛は完全責任能力を認められている。それもひとえに、裁判官たちが礒飛は犯行時に完全責任能力があったと認めるため、判決であれこれと強引な理屈を重ねて頑張ったからである。

1審・大阪地裁の裁判官たちは、一緒に審理した裁判員たちの後ろ盾があったため、かろうじて礒飛に死刑を言い渡すことができたが、2審・大阪高裁と上告審・最高裁の裁判官たちは裁判員の後ろ盾がなかったため、そこまでは叶わなかった。しかし、「死刑は無理でもせめて無期に」と彼らが頑張ったからこそ、礒飛は無期懲役になったのだ。

この話が信じられない人は、裁判所のホームページにアップされた大坂高裁の2審判決と最高裁の上告審判決を実際に見てみるといい(URLは後掲)。とりわけ大阪高裁の裁判官は、63枚に及ぶ長い判決文を書き連ね、責任能力の有無や程度を争った弁護側の主張を退けている。その文面からは、「遺族の思いに応えたい」という裁判官の切なる思いが読み取れる。

◆無期が納得できない人が批判すべき対象は法律

礒飛が勾留されている大阪拘置所

日常的に事件取材や裁判の傍聴をしていればわかるが、日本の刑事裁判では、重大事件の被告人が明らかに重篤な精神障害者であっても、刑法第39条が適用され、無罪になったり、刑が軽くなったりすることはなかなかない。礒飛が死刑を免れたことに関し、裁判官を批判している人たちもその現実を知れば、自分たちの批判がお門違いだとわかるだろう。

今回、礒飛の裁判の結果に納得がいかない人が批判すべき対象は裁判官ではなく、法律である。ヤフーニュースのコメント欄を見ていたら、「1人でも殺したら、自動的に死刑にすべき」という刑法の改正案を述べていた人がいたが、この意見は筋が通っている。筆者はこの意見に賛同しかねるが、この意見の主は少なくとも批判する対象を間違ってはいない。

【参考】
礒飛の2審判決 http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail4?id=86655

礒飛の上告審判決 http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=89071

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『平成監獄面会記 重大殺人犯7人と1人のリアル』(笠倉出版社)。同書のコミカライズ版『マンガ「獄中面会物語」』(笠倉出版社)も発売中。

7日発売!月刊『紙の爆弾』2020年1月号 はびこる「ベネッセ」「上智大学」人脈 “アベ友政治”の食い物にされる教育行政他

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)