本欄1月14日、15日付の「ポピュリズムの必要――政治家・山本太郎をめぐって」について、田所敏夫さんから「政治家・山本太郎に危険性を感じる理由を再び」という反論(1月16日)をいただいた。「回答をお待ちする」とあるので、返答したい。
※本稿を寄稿したあとに「天皇制はそんなに甘いもんじゃないですよ── 横山茂彦さんの天皇制論との差異」という再反論の記事が掲載(1月24日)されたので、少し長くなるが2回目の「反論」については、後段で扱わせていただいた。いずれにせよ拙文に望外の反応いただき、田所さんには感謝しかない。
『NO NUKES voice』Vol.22 新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて
◆論軸を逸らしてはいけない
わたしの論旨について、田所さんは「異議がない」とされている。読んだところ本来の論点ではない「政治家の演説力」および「左翼の基準(元号批判・防衛費削減)」に論軸がある。その意味では、議論はまったく噛み合っていない。というよりも、論軸を逸らしておられる。これは論考を成すうえでの基本作法、議論の原則から外れている。論軸を逸らすことは、論点を曖昧にするばかりか、議論そのものの生産性を阻害するものだと指摘しておこう。
論じられている中でも、個々の政治家の演説力を論じた部分は、あまり興味をそそられなかった。なかでも挙げられている橋下徹が、政権を獲得できる政治家だとは到底思えない。ただし「元号批判」「自衛隊の予算削減」や「日米安保」に絡めた「左翼」の基準については議論に面白みがある。せっかくなので後段で取り上げたい。
まず、立論の矛盾および論証がない点について。
《そもそも、政治家が個人の言説を前面に押し立てて、どこか支配的(独裁的)な言説を振りかざすのは、選挙運動においてはふつうのことである。(中略)したがって、あらゆる政治家は大衆の前において、独裁者のごとく振る舞うのだ》(横山)という「テーゼの大部分にわたしも異議はない」と田所氏は表明されている。にもかかわらず、山本太郎の「独裁体質」は批判するのだ。以下、引用しておこう。
「山本太郎氏の『独裁体質』は既に表出し始めている。質問者が言うことを聞かないと『それなら俺に権力をくれよ!』と叫ぶ姿を最近何度かネットで目にした」という。
言葉遣いはともかく、わたしは普通の政治家の発言だと思う。ここで「俺に権力をくれよ」というのは「政権をまかせて欲しい」と同義だからだ。
「異議はない」と同意された上記の「テーゼ」と、どの地点で評価が変わってしまうのだろうか? 横山が云う「独裁(テーゼ)」は良くても、山本太郎の「独裁体質」が危険だというのは矛盾である。
また、田所さんは同じく「異議はない」とした上記の引用につづけて、
「わたしが危険性を感じるのは、むしろこのテーゼが無効化された現在の状況を前提とした議論である。」というのだが、その中身がまったく展開されていない。なぜ「(横山の)テーゼが無効化され」て「現在の状況」があり、それを「前提とし」なければならないのか、これではよくわからない。
◆「左翼」である必要はあるのか?
田所さんの山本太郎評は、どうやら「左翼」であるか否かになっているようだ。以下、引用する。
「横山さんと私の決定的な違いであるが、わたしは山本太郎氏を『左翼』とは見做さない。」
この「左翼」という言葉に、思わずドキリとしてしまった。わたしは確かに「日本の左派にもようやく、大衆を扇動できる政治家(ポピュリスト)が登場した」と山本太郎をと評している。「左翼」と定義していると取られたのは不覚(失敗)である。わたし自身が相対的に「左派」であるという自覚はあっても「左翼」ではないと意識しているからだ。そして政策の評価と人物評に、左翼であるか否かはおよそ関係がないと考える。
60年代には「進歩的」「変革」「革新」と「左翼」は同義で、「右翼」と「反動」「封建的」「保守」が同義だった。しかし、いまや「サヨク」は「パヨク」「ブサヨ」として、ネトウヨに侮蔑されている。あながち、いわれがない蔑称でもなくて、何にでも反対する内容のなさが一般大衆からも、底を見すかされていると言えなくもない。これは右派(右翼ではなく保守)が新自由主義のもとに「改革路線」を標榜するようになっていらい、旧来の左派が「守旧派」「既得権墨守」とみなされるようになったことと無関係ではない。いずれにしても、胸を張って「わたしは左翼だ」という人々は、いまやごく少数なのではないか。
田所さんは「左翼」をこう定義するという。
「《左翼とは、政治においては通常、『より平等な社会を目指すための社会変革を支持する層』を指すとされる。『左翼』は急進的、革新的、また、革命的な政治勢力や人を指し、社会主義的、共産主義的、進歩主義、急進的な自由主義、無政府主義傾向の人や団体を指す》といったところであろう。」
すいぶんと振れ幅の広い定義だが、せっかく「左翼とは何か」というテーマをいただいたので、今回のテーマに沿って議論をすすめよう。
田所さんは云う。
「山本太郎氏が立ち上げた、あの新党の名称のどこに『左翼』のエッセンスがみられるのだろうか。既成政党のなかで、もっとも反動的な名称ではないのか。」
なるほど、令和という言葉には、令(命令や法律)と和(共同体・親和性)のなかに、反動的な統制国家を標榜するかのような印象がある。漢語学的な問題点、あるいは歴史的な不吉さも指摘されてきたが、ここでは踏み込まない。田所さんも論証されていないのだから。
元号そのものが「反動的」という評価は、少なくとも復古的であり進歩的ではないという意味で当たっているのだろう。だが、共産主義政党ではなく国民政党をめざすのなら、それほど目くじらを立てるようなことではないのではないか。
たとえば、わたしは「昭和」という元号に懐かしさとアイデンティティを持っている。そこに自分の歴史(青春)が刻まれているからだ。激動の昭和を生きたことに誇りを持ってもいる。それに比して「平成」に郷愁を感じないのは、まだ記憶が生々しいからだろう。やがて「令和」も歴史を刻み、好き嫌いを超えて個人史の中に残るものと思われる。
個人の思いをこえて、元号に反動性があるというのならば、ぜひともそれを詳述して欲しい。少なくとも文献史学のうえで、元号および天皇制が「被差別」と関連付けられるものは、政治権力の恣意性・身分政策のなかにしか存在しない。それも伝統的な位階制や職能制を離れた、武家政権独自の身分政策なのである。むしろ古代いらいの天皇制(公地公民制)を壊すことで、中世の摂関支配(荘園制)および封建的な身分制(差別)が成立したのだ。
いまも天皇制とは無関係に、むしろ天皇制が持つ融和性(汎アジア主義・国民的親和性)を否定するかのように、レイシズム(排外主義)とナショナリズム(国家主義・民族主義)の「国民分断」が跋扈している。民族排外主義から天皇を排撃すらするネットの書き込みも少なくない。たとえば、
「1名無しのエリー2018/03/30(金) 23:52:04.27ID:3Hw36Myx0
明仁は最悪な朝鮮人天皇です 泥棒 朝鮮人ばかり活躍させているゴキブリ天皇
日本の敵 天皇死ね!」(5ちゃんねる)
「天皇陛下が、GHQ押し付けのいわゆる平和憲法護持派でいらっしゃり、また必然的にアンチ安倍政権でいらっしゃる。」(ネトウヨ系のブログ)
便所の落書き(匿名ネット)を重視するつもりはないが、昭和天皇の時代にもっぱら「戦争責任」で天皇制が批判されることはあっても、平成になってからは右派からの天皇(皇室)批判のほうが多いのではないだろうか。ために上皇后はメディアによるバッシングに体調を崩し、雅子妃も本来の外交を禁じられて「産まない皇太子妃」として長らく適応障害に追い込まれた。
それはともかく、国民の意識レベルでの天皇制(皇室と政治の結合)を問題にするのならば、天皇条項そのものに矛盾があり、国民統合としての位階制および叙勲、あるいは神社の氏子制・崇敬会などのシステムに根拠あることを、もっと暴露するべきであろう。したがって個人的に元号を口にしない、書かないということが論説・論考にならないのは前回指摘したとおりだ。
◆「左翼」は軍備を否定しない
もうひとつは「いくらでも削れる防衛費と日米安保に『左翼』であれば言及するのではないか」(田所氏)という指摘である。山本太郎は自衛隊の存在を、災害救護に必要という観点から是認している。わたしも陸上自衛隊は「災害警備隊」に再編成し、海上自衛隊は最低限の戦力として沿岸警備隊に再編成するべきだと思う。航空自衛隊は早期哨戒と地対空ミサイル部隊限定がいいだろう。
ところで「左翼」が防衛費と日米安保に言及するのは、まったく別の理由である。
左翼にとって日米安保は国家権力の一部を軍事的にアメリカが補完している、まさに権力問題としての打倒対象なのだ。わたしは「左翼」ではないので、むしろ「新右翼」のように、アメリカは沖縄と日本から出ていけ、日米安保を打破して日本の独立を、と考えている立場だ。わたしと同じような立場の「左翼」は少なくないが、まさに左翼という幅の広さを「防衛費削減」一般で括れないことを、そのことは示している。
そのうえで、ずばり核心部から説き起こそう。共産主義を標榜する左翼の大半は「軍隊を堅持する」立場なのである。自衛隊(帝国主義軍隊)の防衛費を削減要求することはあっても、革命政権をにぎれば「ブルジョアジーを警護する専門的な軍隊を廃止し、全住民の武装」をもって革命の成果を防衛する。
ロベスピエールが国民議会の外にその力を頼み、マルクスを有頂天(『フランスの内乱』)にさせたコミューンおよび国民軍である。レーニン政権の労兵ソビエトおよび赤軍である。その意図するところは、選ばれた特権的な職業軍人ではなく、国民皆兵(および志願制)の人民軍である。女性や子供も武器を取るという意味では、戦前の徴兵制よりも徹底した軍事国家であろう。これが共産主義者の軍事に対する態度なのである。日本共産党も95年までは、綱領的に自衛隊の解体とそれに代わる武装自衛組織、を謳っていた。つまり「中立・武装・自衛」だったのだ。※なし崩し的に「非武装中立・自衛隊の活用」に移行した。
新左翼系では「共産主義突撃隊」「赤軍」(ブント)や「革命軍」(革労協両派・中核派)、反日武装戦線(各部隊)という組織が作られ、実際に武装闘争が行なわれた。100人もの反革命敵対分子を「殲滅(殺戮)」したことから、革命政権下の軍事独裁、反革命の処刑を否定しないであろう。そのことこそ、わたしが「左翼」をやめた契機である。前回も少しふれたが「戦犯天皇処刑」や「反革命分子を処刑」しながら、死刑廃止運動には賛成するなどというご都合主義。ある意味では「自衛隊の予算増強には反対」し「革命軍を組織する」に通底する左翼のご都合主義こそ、批判されなければならないのではないか。もはや革命戦争の時代ではない。
◆天皇制を論じることこそ必要である
1月24日の「反論」は、もっぱら天皇制をめぐるのものとなっている。わたしは田所さんが天皇制を踏み込んで批判していないから、オピニオンになっていないと指摘したのである。くり返しになる部分もあるが、簡潔にまとめておきたい。
田所さんは「わたしはその党名(れいわ新撰組=引用者注)を書くことができない」という。
これでは「天皇制および元号が嫌い」という表明以外の何ものでもないのではないだろうか。『鹿砦社通信』は個人的なサイトではないのだから「書くことができない」では読み手は困る。
「《天皇制および元号を是認する政治観に同調できない》のが、わたしの意見(オピニオン)である。わたしの脊髄反射ともいうべき意見」であるならば、もっと踏み込んで論じるべきであろう。と、わたしは田所さんの執筆姿勢に不満を感じるのだ。その姿勢は、どうやら天皇制廃止が不可能だから、ということらしい。どうしてそんなにペシミズムになるのだろうか。
書くことは人を勇気づけることである。たとえば文学においては、それが死をめぐるテーマであっても生きることへの賛美がなければ、作品は光彩を放たない。政権や政治家を批判する記事においても、読む者の意識を喚起する正義への情熱、あるいは人間愛の視点がなければ賛意を得られないものだ。この点において、田所さんの天皇制をめぐる寡黙は残念である。
田所さんは云う。
「現在日本で天皇制を合法的に廃止するには改憲によるしかない。しかし、国民世論の大半が天皇制に融和的であるのことを鑑みると、改憲による天皇制廃止は事実上不可能だ」
その理由は、
「天皇制は法律から離れてもこの島国の住民の内面にかなり深くべったりとしみついている『理由なき精神性』を孕むものでもある。仮に憲法における規定が変更あるいは削除されようとも、このメンタリティーには大きな変化は生じないのではないか、というのがわたしの推測だ。」
天皇制には勝てない、と結論ありきのようだ。
「天皇制についての議論を行うことができる知的・情報的前提条件をわれわれは持ちえているだろうか。」
わたしは持ち得ていると思うし、大いに議論できると思う。この島国の住民の内面にベッタリと染みついている、わたしに言わせれば「支配されたがる精神性」を打ち破る議論は、わが国の長い歴史の中で支配者が逆転した歴史を考えれば、大いに可能だと考える。廃仏毀釈と戦前の国教化を通じて、近代天皇制が国家神道(皇室祭祀と国家儀典の結合)としてわが国民の精神を支配したのは、まだ150年ほどの実績しかないのだから。この点については、天皇史として稿を改めたいが、簡単に触れておこう。
そもそも皇統は、万世一系ではない。いわゆる「欠史8代」は、神武いらい9代の天皇が神話的存在であることを教えている。神武東征の事績は倭国の移動を暗喩させる以外は、ほぼ完全に神話であり、以後の8代には執政の記録がないからである。10代崇神帝において、初めて税制や疫病対策などの事績が見える。崇神帝は邪馬台国卑弥呼の時代にかさなる。従って日本の紀元(皇紀)はせいぜい1800年といったところだ。以後、16代の仁徳帝、26代継体帝において王朝交代があったとされている。血統も変わっているだろう。じつはその時代、天皇は豪族連合の長にすぎなかった。卑弥呼が豪族連合に選ばれた史実に明らかだ。
じっさいに天皇親政(天皇制)が行なわれたのは、乙巳の変(大化の改新)による天智帝の時代から、孝謙(称徳)女帝までであって、光仁帝以降の天皇は、ほぼ全面的に藤原氏の摂関政治のお飾りとなった。後三条帝による院政の開始は、わが国にしかない二重権力をもたらしたが、鎌倉幕府の成立(承久の変)で院政も崩壊する。爾後、天皇が執政を振るうのは、後醍醐帝の建武の中興が20年あるだけだ。明治維新はしたがって、古代王権いらいの天皇の復権だったのだ。
今回、田所さんにおいても皇統および天皇制について、具体的な論証があったのでこれは評価したい。しかし、英国との比較で天皇制を特別視するのは誤っている。
「英国王室の長(おさ)は『王』(King)であり、天皇は憲法上の規定がどうあれ『神』(God)の側面を持つ皇帝(Emperor)であることだ。」
近代の社会契約説によって、英国王室は国民との契約(信頼がその実質)で成り立っているが、即位に当たっては神の聖油をうける「王権神授説」の残滓を残している。日本の天皇が神と同衾してその皇統継承を承認されるように、英国のKingもGodの代理なのである。宗教的祭司でかつ王であることは、しかし「アルカーナ(秘密・奥義)」というわけではない。所詮はナショナリズムを掻き立てる神話(日本の「記紀」英国の「アーサー王伝説」)にすぎない。
そして皇位継承の神事も、明治時代に復刻された古代儀式であって、そもそも天皇は仏教徒である。※参考図書『天皇は今でも仏教徒である』(島田裕巳、サンガ新書)。われわれ一般国民も戦前までは、死ねば「神仏」になれた。わたしの家は神道なので、父親の霊璽は「横山隆牛の神」である。そもそも唯一神(超越存在)のキリスト教と汎(多)神論の神道を、同じレベルでは論じられない。
麻生太郎の「二千年の長きにわたって、一つの民族、一つの王朝が続いている国はここしかない」という単一民族であるという妄言も、ほかならぬ平成天皇自身が否定している。
「私自身としては,桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると,続日本紀に記されていることに,韓国とのゆかりを感じています。」(日韓ワールドカップサッカーを前に、韓国との所縁にふれた平成天皇発言)。「一つの王朝」ではないことも、上述したとおりだ。
昭和天皇は大元帥として太平洋戦争の指導(上奏と下問)を行ない、その戦争責任を問われるべき史実がある。平成天皇において山本太郎や白井聡、内田樹らをして護憲派の最後の砦と思わせるような政治的態度を示していることについて、運動内部の議論もある。これはまた、別の機会に紹介しよう。わたしは対決の反天皇制運動から、皇室の民主化による天皇制の崩壊に賭けてみたい。そのためには積極的な議論が必要なのである。
「こと天皇制に限っては、『横山さん、天皇制はそんなに甘いもんじゃない』」からこそ、元号を書かないとか論説を回避するとかのネガティブな構えではダメだと思うのである。まさに、
「『寓話』が不文律あるいは強制として『国是』とされている実態は無視はできない。まずその事実にすら気がつかない、あるいは知らないひとびとに『知らせる』ところからはじめるほか、手立てはない」のである。田所さんの研鑽に期待したい。
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▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業。「アウトロージャパン」(太田出版)「情況」(情況出版)編集長、最近の編集の仕事に『政治の現象学 あるいはアジテーターの遍歴史』(長崎浩著、世界書院)など。近著に『山口組と戦国大名』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『男組の時代』(明月堂書店)など。
2020年もタブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』2020年2月号
鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』