世間からはあまり注目されないキックボクシング。昭和のテレビ全国ネット時代が終わると一気に衰退し、昭和末期から平成は細々とキックの灯を守ってきたキック関係者。しかし、かつてのキックボクシング全盛を知らない世代が増えていきました。1990年代にK-1がブームを起こして以降、似たような格闘技イベントが生まれるようになり、やがてキックボクシングも影響を受けていくと、最近はタレント化したキックボクサーがバラエティー番組に出るようになり、大晦日にはRIZINイベントの主要カードの一つとして那須川天心vs江幡塁戦が生放送される事態にまで至りました。
50年あまりの歴史あるキックボクシングは諸々の問題を抱えながら、一般に浸透してきたことが伺えます。
そんな中で世間には全く知られない異変とは……。
◆新日本キックボクシング協会の分裂!
予兆は数年前からありつつ、日本タイトルマッチは2度しかなかった2018年。マッチメイクも他団体やフリーのジムとの交流戦やタイ選手との国際戦が増えていました。脱退した主要ジムは治政館、ビクトリー、市原、JMN、誠真、KickBoxの他、幾つかのジム。
藤本ジムが残ったのは藤本勲会長と伊原信一協会代表の、老舗目黒ジム時代からの長年の絆と老舗は脱退しないプライドがあったものかと思います。
その藤本勲会長は重病を抱え、高齢であることから勇退することに至りました。
崩壊すると囁かれた新日本キックボクシング協会は、過去、伊原代表御自身が脱退、合併、分裂と、枝分かれしていく者たちを幾度となく見て経験してきた人。
立ち直りも早く、活動がより活発化した現在です。
◆NJKFの役員入れ替え!
ニュージャパンキックボクシング連盟(NJKF)は、2019年1月より連盟役員が新体制となり、斉藤京二理事長から坂上顕二新理事長の交代がありました。
1996年8月のNJKF設立時から10年務められた藤田真理事長の後を継ぎ、2007年から斉藤京二氏が12年間務められた後、ここで若武者会と言われた若い世代のジム会長たちがトップに躍り出た形。
前・理事長となる斉藤京二氏は、令和元年となる5月1日から活動開始したWBCムエタイ日本協会の会長に就任。この組織は、これまでのWBCムエタイ日本実行委員会同様、日本国内で行われるWBCムエタイ試合の承認及び認定、日本ランキング制定等を更に活性化、ライセンス交付を受けた日本人選手が段階を経て世界タイトルへ挑戦できる機会の更なる拡大も行なわれる様子です。
◆小野寺力のKNOCK OUTプロデューサー退任!
2016年9月の旗揚げ発表記者会見から、(株)ブシロードがバックアップする形で立ち上がった「KNOCK OUT」。団体の垣根を越えたビッグマッチが続出するイベントとして活動が始まりましたが、赤字覚悟のスタートで「3年後には軌道に乗せる」と、右肩上がりを予測していた経営陣。その満3年に達する前に、小野寺氏は2年7ヶ月で退任。引き継ぐ形となったのがREBELSを運営する山口元気氏でした。
「KNOCK OUT」は新たな運営方針を展開しています。「KNOCK OUT」に限らずスポンサー主導のビッグイベントを開催が増えた今、夢のカード実現はファンにとって喜ばしいことでしょう。
◆小野瀬邦英のNKB離脱!
SQUARE UPジムの名前が消えた今年の日本キックボクシング連盟興行。所属選手だった、ひろあき(=安田浩昭)はプラスαジムへ移籍となりました。
この団体も2014年から、昭和の頑固親父、渡辺信久連盟代表に若い力で立ち向かう時代に入り、小野瀬邦英氏の手腕が期待されましたが、諸事情で惜しくも脱退。現在は竹村哲氏が興行を担当。新たなトーナメントの開催、交流戦等、新たな運営で盛り上げています。
◆もっと前にあったWPMF日本支局廃止によるウィラサクレック氏の離任!
2010年に新設されたタイ政府スポーツ委員会管轄下にあるタイ国ムエスポーツ協会を母体とするWPMFの日本タイトル。当初はフリーのジムやプロモーターが集う賑やかな面々でWBCムエタイ日本タイトルに優る勢いがあったものの、次第に離れていくプロモーションがありました。
REBELSもそのひとつ。日本支局長は3年任期。2013年に契約更新となったウィラサクレック支局長でしたが、2016年にタイ本部より日本支局廃止案が浮上しました。それでももう一年認可が下り、それが二年となり2018年7月まで継続されましたが、ここで任期が切れました。
現在はアマチュア大会に力を注ぐウィラサクレック氏。プロ興行でもムエタイイベントには協力的に活動を続けられています。組織は同じ体制で続けられると亀裂が入りやすいもの。今後復活が有り得るなら、任期ごとの代表選挙は必要となるでしょう。
◆ムエタイ二大殿堂との絡み!
日本人によるムエタイ二大殿堂チャンピオン誕生の続く快挙。
2018年12月9日、横浜大さん橋ホールで、ラジャダムナンスタジアム・ミニフライ級王座に挑んだ吉成名高(エイワスポーツ/2001年1月生)はチャンピオン、ハーキュリ・ペッシーム(タイ)に判定勝利で王座奪取し、更に2019年4月14日、横浜大さん橋ホールでのルンピニースタジアム・ミニフライ級王座決定戦でランカー、シンダム・カフェフォーガ(タイ)に判定勝利で王座獲得。日本人のルンピニースタジアム王座獲得は初めてで、二大殿堂を同時に制覇する快挙となりました。
その後、ラジャダムナンスタジアム王座は返上し、その空位となった王座を9月9日、奥脇竜哉(エイワスポーツ/2000年8月生)が現地ラジャダムナンスタジアムでランカー、マンコンヨック・エンニームエタイに判定勝利して王座獲得。チャンスを譲られた形ではありましたが、日本人8人目のラジャダムナンスタジアム王座獲得となりました。
他にムエタイ殿堂王座挑戦したのは緑川創(藤本)が昨年6月27日、現地挑戦で判定負けして以来、1年ぶりに6月1日、横浜文化体育館で、ラジャダムナンスタジアム・スーパーウェルター級王座に挑戦もまたも判定負けで王座奪取は成らず。
10月20日、後楽園ホールで4年7ヶ月ぶりのラジャダムナンスタジアム・バンタム級王座挑戦となったのは江幡睦(伊原)でしたが、4度目の挑戦も引分けでまたも王座奪取成らず。
結局、奥脇竜哉と二大殿堂制覇となった吉成名高の2名が王座獲得し、ベテラン2名が奪取成らなかった厳しい結果が残りました。ルールが変わらない本場のムエタイに純粋に挑んできた4名。吉成名高と奥脇竜哉は“今年度”19歳で、今の最軽量級から階級を上げ、今後の積み上げる実績に更に期待が掛かるでしょう。
いろいろな進化や変動があった2019年。分裂や退任等にはそれぞれの事情がありました。その関係者の声は厳しい意見もありました。安易に記述できるものではなく、単に出来事を連ねただけですが御容赦ください。
2020年のキックボクシング界は伝統を重視するムエタイ路線と、これまでの波乱から浮上し、イベント性重視の活動も増え、各団体、各プロモーションが鎬を削っていくことでしょう。
▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」