◆江戸時代のヤクザは警察だった

「反社会勢力は定義されていない」と、このかん「桜を見る会」への「反社」の出席について政府高官が広言した。なるほどそうかも知れない。暴対法や暴力団排除条例(自治体条例)が法的に精査されず、何となく雰囲気でまかり通った法律であるのだから……。

それでは、かりに「反社会勢力」と言われるヤクザとは、そもそも歴史的にどんな存在だったのだろうか。一般には博徒というのが、かれらの出自である。その原型は江戸時代にさかのぼる。任侠道の成立は、江戸期の郷村(惣村)に発する。

かれらは博打だけを生業にしていたわけではない。郷村にかかわる自主検断、つまり自治的な警察組織の役割を受け持つことで、賭場を開く権利を得ていたのである。江戸時代のヤクザは警察だったのだ。

警察組織とはいっても、戦後の公務員的なそれとは違って、郷村の惣や寄り合いとは別個の役割をはたす非政治的で、かつ乱暴な暴力装置。つまり用心棒のようなものを想像すればよいだろう。

彼らは渡世人や旅芸人、渡り職人などをはじめとして、非生産的な人々や社会の流動層を取り締まる独自の様式を抱えるがゆえに、戦後の官僚的な警察組織が持つ、時の権力に媚びへつらうような側面は皆無で、むしろ反権力的ですらあった。

◆敗残兵、浪人者……帰農しなかった人々

郷村の検断として流民層を取り締まり、彼らの独自の生活様式をふところに取り込むには、彼ら博徒にしか出来ない固有の文化が存在していたと考えられるのだ。縄張りを保持するには、公権力を笠に着た強権よりもその道のしきたりに従った采配が必要である。博徒が反権力的になる所以は、この公権力から離れた独自性の所以であろう。

彼らの前身をたどると、戦国期の土着的な戦闘集団や、もっと昔なら中世の流民層が源であろうと思われる。もともと戦国時代には、郷村のはぐれ者や血気盛んな若者たちが傭兵としての戦闘集団を形成していた。中には武士団に編成されない自立自尊の土郷たちも多かったが、領地の切り取り戦争が進むにつれて、大規模な武士団の傘下に入るようになるのだ。中世の流民層には、忍びの術をもっぱらとする戦闘や、金山掘りなどの特殊な技術を手の職として各地を渡り歩く集団もあった。だがこれらも、戦国時代の末期には有力な大名の傘下におさまっていくことになる。
めでたく戦国を勝ち残ったり、仕官の道を得たのが江戸の武士階級だとすれば、敗残兵としての浪人者もふくめて、江戸期の博徒は帰農しなかった人々であったり、農業を嫌って親元を離れた者もあり、武士階級の裏側ともいうべき存在である。その生活様式は、時代の主要な生産階層とは離れて、先に述べたような独自の文化を形成することになる。ヤクザ文化、任侠道の成立である。それでは、任挟道とは具体的にどんなものなのか?

◆渡世の修行

ある村に、親から勘当された若者がいたとしよう。

彼が村の若衆組の仲間とともに遊びまわり、畑仕事もほったらかして放蕩のかぎりを尽くしていたとする。若衆組とは現在の青年団のような意味だが、チーマーみたいに繁華街(宿場町)まで出かけては、カツ上げをして喧嘩をくり返す。押入れの奥に秘匿していた布ぎれや蓄え米を持ち出しては、質に入れるなどの自堕落かつ放縦の日々。これではどうにもならないと、ついに口減らしをもくろむ親から勘当され、当てもなくほうぼうをうろつくうちに土地の親分に厄介になる、という顛末である。

最初は使いっぱしりしかさせてもらえないが、喧嘩の腕や度胸がいいようだと、派手な出入りにも参加するようになって、いよいよ親分と杯をかわすことになる。親子の杯が無事にすめば、晴れて子分ということになるわけだ。つぎに、武士ならば武者修行ともいうべき股旅に出ることになる。

親分の人脈で諸国の組織をめぐり、一宿一飯の義理をはたしながら渡世人としての度胸と礼儀作法を磨いていくのである。礼儀作法を磨くというのは簡単に思えるが、仁義のきり方を間違っただけで殺されることもあったというから、渡世のしきたりは生易しいものではない。おのが力で一家を成し、名を成す修行ののちに、世の賞賛を得るほどの大親分となるのだ。以下、江戸期いらいのヤクザの親分衆である。いずれも代が途絶え、「清水一家」や「会津小鉄」などの名称だけが、勝手に継承されている。

幡随院長兵衛
中間部屋頭三之助
国定忠次
大前田英五郎
勢力富五郎
清水次郎長
会津小鉄
加島屋長次郎
新門辰五郎

◆生業としての〈縄張り〉

いっぽう、賭場を開かないヤクザもいる。彼らはテキヤと称される人々で、村の神事や祭りを主催しては、そこに集まる商売の上前をはねる、というよりも商売人たちを庇護し、いらぬ揉め事から村を守るという役割を受け持つのである。これは現在のテキヤと、まったく変わりがない。もとより、テキヤも博徒も、縄張りの支配を生業としている。

現在でも暴力団として批判されるヤクザを擁護し、その必要悪を論じる方法がある。その多くは社会から落ちこぼれた人間が個人的な犯罪に走るよりも、統制された組織の中に取り込んだほうがよろしいのではないか、という立論である。

言うところは少なからず当たっている。繁華街から彼らがまったく消えてしまったら、屋台や行商の人たちの縄張りはとんでもないことになるはずだ。屋台や行商をすべて規制してしまえば、街は活力をうしなう。堅気衆にとっては思いもかけない彼らの経済的な役割りをみのがしてしまえば、ヤクザの存在の根拠は解明できないのである。

つまり縄張りとは、一種の業界参入の規制である。誰でも勝手に大道に店を出せるということになれば、主催団体が統制をきかせない休日のフリーマーケットのようなことになって、警察官がいくらいても足りないであろう。社会的に解決困難な部分を請け負い、取り仕切る役割がつねに存在しているのだとすれば、極道も必要悪どころか職業的には明瞭な生産性を負っていることになる。しかも、チンピラや暴走族などとは違って、堅気衆には迷惑はかけないという厳格な統制力のある組織であれば、社会的には有用な存在ですらありうる。だからこそ、同じ社会的役割をになう警察組織に「反社会勢力」として排除されるのだ。したがって「反社会勢力」なる規定は、社会を警備する勢力による縄張り争いということになるのだ。パチンコ利権、街の警護を下請けする警備会社、企業の警護を請け負う。これらこそ、警察がヤクザから奪った利権であり、縄張りなのだ。

【横山茂彦の不定期連載】
「反社会勢力」という虚構

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

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