年初めの本興行としては空席目立つ静かな場内。大きな声援は出場選手の応援団ばかり。しかし、いつもながら交流戦が進む他団体首脳陣の顔触れが目立つ会場風景であった。坂上顕二理事長は初年度を乗り切り、二年目の舵取りはどう進むかも見所の興行。

メインイベントは度々耳にするISKAという世界機構の傘下にある王座のタイトルマッチ。国内も乱立しているが、世界的にも数々のタイトルがある中、ムエタイルールやキックルール、プロ空手式のルールによって、ヨーロッパやアメリカ、アジア各地でチャンピオンらの占めるエリアの片寄りがあるものの、比較的充実した展開を見せているISKA。

2019年の年間表彰式がリング上で行われ、年間最優秀選手は大田拓真。昨年は6月に新人(=あらと/ESG)からWBCムエタイ日本フェザー級王座を奪取し、11月にS-1ジャパン55㎏級トーナメント優勝。その決勝戦の馬渡亮太戦で年間最高試合賞も獲得。

最優秀選手:大田拓真(新興ムエタイ)
殊勲賞:波賀宙也(立川KBA)
敢闘賞:中野椋太(誠至会)
技能賞:健太(E.S.G)
努力賞:山浦俊一(新興ムエタイ)
新人賞:優心(京都野口)
女子最優秀選手賞:Ayaka(健心塾)
年間最高試合賞:大田拓真(新興ムエタイ)vs 馬渡亮太(治政館)
他、格闘技マスコミ各賞

2019年の年間表彰式。前列中央が年間最優秀選手の大田拓真(新興ムエタイ)

ロベルトの威圧的攻めでリズムを狂わされた前田浩喜

◎NJKF 2020 1st / 2月16日(日)後楽園ホール17:00~20:50
主催:ニュージャパンキックボクシング連盟(NJKF) / 認定:NJKF、ISKA

◆10 ISKAムエタイ・インターコンチネンタル・フェザー級王座決定戦 5回戦

前田浩喜(CORE/57.0kg)
    VS
ISKAイタリア・フェザー級8位.オリビア・ロベルト(イタリア/56.45kg)
勝者:オリビア・ロベルト / 判定1-2 / 主審:宮本和俊
副審:竹村48-47. 中山46-49. 多賀谷47-48

ロベルトの脚は細く、脆そうな体格だったが、見た目と実力は大きく差があった。

ロベルトの攻めが届く距離の取り方が上手かった

身長177センチからくる手足の長さを有効に使うロベルト。前田のローキックはその細い脚に幾度かヒットさせ、真っ赤に蹴り跡が残る。

ここから脚を殺してノックアウトに導くかと思えたが、ロベルトの重心の乗ったパンチを振り回して前田の顔面とボディーを打ち込み、長い脚から振り回してくるハイキックは厄介で、前田はリズムを作れず、蹴りやパンチも単発でヒットさせてもインパクトが足りない。

ズルズルとロベルトのペースに引き込まれたまま試合は終了。接戦の展開にも見えるが、前田陣営からも檄が飛ぶ、攻めの勢いが全く足りない試合だった。

前田浩喜は43戦26勝(16KO)14敗3分となった。

前田浩喜の勝機を導くローキックは効果的ながら、次第に少なくなった

手足の長いロベルトが活かした左ストレート

前田浩喜が攻めるがロベルトも返しが上手い

◆9 NJKFスーパーライト級タイトルマッチ 5回戦

畠山隼人の強打がヒットし、崩れ行く真吾YAMATO

チャンピオン.畠山隼人(E.S.G/62.9kg)vs1位.真吾YAMATO(大和/63.1kg)
勝者:畠山隼人 / KO 2R 2:46 / 3ノックダウン / 主審:少白竜
畠山隼人が初防衛

2018年6月に王座決定戦で対戦した両者。畠山がパンチの強打で制したが、今回は距離を保つ真吾が蹴りで主導権を奪う序盤の勢い。

畠山はスロースターター気味に出遅れた感があるが、強打を打込むタイミングを図り、倒す確信を持ったか、第2ラウンドに入ると目が覚めたように強打を振り回し始めた。

踏み込んで畠山の距離になると、フック系のパンチ連打で真吾の顎にヒットすると形勢逆転、効いてしまった真吾に連打を続け、フック気味に2度ノックダウンを奪うと、何とかこのラウンドを凌いで青コーナーに帰りたい真吾に逃がさず連打したところでレフェリーが止める3ノックダウン目となり、再び畠山の豪快ノックアウト勝利となって初防衛に成功。

28戦16勝(8KO)10敗2分となった畠山隼人。勝ったり負けたりだが、またスリリングな展開で上位を目指す。真吾YAMATOは22戦13勝(5KO)8敗1分。

畠山隼人の強打再び、真吾の顔面を打込む

倒すのは時間の問題、仕留めに掛かる畠山隼人の左ストレート

主導権を奪った波賀宙也の攻め

◆8 57.0kg契約3回戦

IBFムエタイ世界ジュニアフェザー級チャンピオン.波賀宙也(立川KBA/56.95kg) 
     VS
フアサン・オー・ユッタチャイ(タイ/56.5kg)
勝者:波賀宙也 / TKO 3R 2:08 / 主審:多賀谷敏朗

ローキックなど蹴りの様子見でフアサンの出方を見て先手を打って出た波賀。接近しても攻められても波賀の冷静な捌きがあった。
第2ラウンドには接近戦でのヒジ打ち、ヒザ蹴りの展開からパンチに繋いでノックダウンを奪うと更に余裕が出てきた波賀。
第3ラウンドも接近戦でヒジ打ちでノックダウンを奪い、更に左ヒジ打ちを顎に打ち込むとフアサンはその場で倒れ込み、レフェリーがカウントを始めたところですぐ試合をストップした。保持する世界王座の初防衛戦に向けて前哨戦を難なく突破した波賀宙也は40戦26勝(4KO)11敗3分。

接近戦の攻防からパンチでノックダウンを奪う波賀宙也

左ヒジ打ちをヒットさせた波賀宙也

左ヒジ打ちを食らった後、バッタリ倒れ込んだフアサン

◆7 56.0kg契約3回戦

WBCムエタイ日本フェザー級チャンピオン.大田拓真(新興ムエタイ/55.8kg)
     VS
バンラングーン・オー・ユッタチャイ(タイ/54.65kg)
勝者:バンラングーン / 判定0-3 / 主審:竹村光一
副審:少白竜28-30. 多賀谷27-30. 宮本27-30

蹴ってくる大田に前蹴りを合わせてバランス崩させるバンラングーン。大田の出方に合わせて空いた箇所を打込むのが上手い。大田の脇腹と背中に周るあたりは真っ赤に蹴られた跡が残った。2019年の年間最優秀選手賞を受賞したばかりの大田拓真に、また新たな試練を与えるような結果となった。大田拓真は24戦18勝(5KO)5敗1分。

◆6 59.0kg契約3回戦

WMC日本スーパーフェザー級チャンピオン.梅沢武彦(東京町田金子/58.8kg) 
     VS
J-NETWORKフェザー級チャンピオン.一仁(真樹AICHI/58.95kg)
引分け 三者三様 / 主審:中山宏美
副審:少白竜30-29. 竹村29-29. 多賀谷29-30

パンチと廻し蹴りの攻防が続く。接近戦での首相撲からのヒザ蹴りもあるが展開は少ない。主導権を奪うに至らない結果が残った。

一仁の左ジャブと梅沢武彦の左ミドルキックが交錯

◆5 60.0kg契約3回戦

NJKFスーパーフェザー級チャンピオン.山浦俊一(新興ムエタイ/61.85→61.75kg) 
    VS
NJKFライト級6位.羅向(ZERO/59.9kg)
勝者:山浦俊一 / 判定3-0(山浦に減点1を含む採点) / 主審:宮本和俊
副審:中山29-27. 竹村29-28. 多賀谷29-28 

◆4 フライ級3回戦

EIJI(E.S.G/50.8kg)vs優心(京都野口/50.85→50.8kg)
勝者:優心 / 判定0-3 / 主審:少白竜
副審:中山28-30. 竹村28-30. 宮本27-30

◆3 68.0kg契約3回戦

渡邊知久(Bombo Freely/67.4kg)vs宗方888(キング/67.85kg)
勝者:宗方888 / KO 1R 1:45 / 3ノックダウン / 主審:多賀谷敏朗

◆2 女子 アトム級(-46.266kg)3回戦(2分制)

亜美(OGUNI/46.0kg)vsねこ太(トイカツ/46.26kg)
勝者:亜美 / 判定3-0 / 主審:竹村光一
副審:多賀谷30-29. 少白竜30-29. 宮本30-29 

◆1 フライ級3回戦

悠(GRABS/50.15kg)vs谷津晴之(新興ムエタイ/50.4kg)
勝者:谷津晴之 / 判定0-3 / 主審:中山宏美
副審:多賀谷28-30. 少白竜28-30. 竹村28-30

《取材戦記》

昨年9月23日に獲得したIBFムエタイ世界ジュニアフェザー級王座を保持する波賀宙也の初防衛戦は獲得から9ヵ月の期限に合わせて6月14日に行なわれる予定。期限以内でももっと防衛戦を行なって欲しいところだが、プロボクシングとは違う興行事情があるのは仕方無いところだろう。

前田浩喜の対戦相手は“ロベルト・オリビア”か“オリビア・ロベルト”か。ファーストネームに“ロベルト”が付くプロボクサーは多い。ニュアンス的にロベルトがファーストネームとなる気がしたが、ISKA立会人に聞いてみると、あまり拘る様子無く、どっちでもいいらしい。本名と正式なリングネームはあるはずで、この辺は招聘したプロモーター側の発表次第だが、発表どおりに記載すると、「オリビア・ロベルトが王座獲得」となりました。

役員に囲まれて、チャンピオンベルトを巻き、認定証を受けたオリビア・ロベルト

畠山隼人に敗れた真吾YAMATOは3度目の王座挑戦も実らず倒されてしまった。この打たれたダメージと精神的ダメージは如何ほどか。真吾よりチーフセコンドが泣いていたことから、チームとしての試合に懸けるよほどの覚悟があったのだろう。そんな勝負の厳しさが伺える勝者と敗者の明暗だった。

反省点を述べつつ初防衛に成功、ラウンドガールとエスコートキッズの男の子に囲まれる畠山隼人

年間表彰式はプロスポーツ各競技でも実施されていて、プロ野球や競輪などは歴史は長く、プロボクシングも終戦後の1949年から始まっています。キックボクシングは各団体ごとの実施で行なわれない団体もあり、業界統一された表彰式はありません。

ニュージャパンキックボクシング連盟では毎年開催され、最優秀選手に大田拓真が選ばれたが、この団体内では順当な選出でしょう。ではキックボクシング業界統一的に視野を広げると、仮に誰が年間最優秀選手となるか。一概には言えないところ、誰もが察するのはあの選手でしょうか。

NJKFは関西支部により関西方面の興行が増えており、3月15日(日)に拳之会ジム主催「NJKF 2020.west 2nd」が岡山コンベンションセンターに於いて開催。翌週3月22日(日)には誠至会主催「NJKF 2020 west 3rd」が大阪市旭区民センター大ホールに於いて開催。

幾つかの地方興行を経て、6月14日(日)後楽園ホールに於いてNJKF主催本興行「NJKF 2020.2nd」が開催されます。

勝者・波賀宙也を波賀宙也を囲むラウンドガールとエスコートキッズの女の子

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

月刊『紙の爆弾』2020年3月号 不祥事連発の安倍政権を倒す野党再建への道筋

一水会代表 木村三浩 編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

上條英男『BOSS 一匹狼マネージャー50年の闘い』。「伝説のマネージャー」だけが知る日本の「音楽」と「芸能界」!

植木律子さんや大貫友夫さん(ともに福島市)が「私たちと簡単には和解できないだろうと思っていました。準備書面を読んでいて、私たちの気持ちを理解していないと毎回毎回思っていましたから」、「本人尋問の時の代理人弁護士の質問内容が、いかにも『あなたたちが恐れる事がおかしいんじゃないか』という内容の繰り返しでしたので、和解拒否は予想していました」と口を揃えたように予想された事とはいえ、東電の強気の姿勢は原告たちを大きく落胆させた。

「12月20日に和解案を手にし、私の闘いが少しでも認められたんだと内心ホッとしました。ところが日も経たないうちに東電が拒否した。なんて酷い事だと思いました。不誠実な東電が嫌になりました」(平井さん)

そうして迎えた判決。

裁判所が認容した精神的損害は、原発事故の発生からわずか9カ月間。2011年12月31日までだった。記者会見では、原告たちは複雑な想いを異口同音に口にした。

「2011年12月31日で自分の精神的被害がまるで終わったという事にはなりませんが、それでも裁判所には私の心の損害を少しは認めてもらえたのかなという意味ではホッとしています。原発事故が起きたのは間違いなく事実ですし、福島市は『自主的避難等対象区域』という線引きをされましたが、放射性物質を含んだ雨や風が福島市を避けてくれるわけでも無く、わが家にも放射能の雨が降りました。空間線量は高くなりました。東電は、その事実にきちんと向き合って謝罪をして欲しい。そして控訴をしないよう望んでおります」

「名も無い庶民が声をあげたという意味では、私自身も原告に加わった事を誇りに思っています。目に見えない『精神的損害』をどう表現して主張するかにすごく苦労しました。2011年12月31日までしか認められなかった事には疑問が残ります。東電の小早川智明社長が『公訴時効後も最後の1人まで賠償します』という趣旨の事を言っていたのに、表向きの顔と本音とのずれがあるように感じます。ここまでエネルギーを注がないと、目に見えない損害は賠償されないのだなあと、ハードルは高いなあと感じました。孫の健康不安など、心の損害はまだ続きます」

平井さんもこう語っている。

「原発事故が無かったとは1日も思えずに9年間を過ごして来ました。それでも前向きに普通に生活をして、でも心配はあるので線量計を市役所から借りて測ったりしています。モニタリングポストの撤去計画が浮上した時には反対意見も述べました。2011年12月末で損害が終わったわけではありません。ずっと続いています」

東電は原発事故後に「3つの誓い」をたて、「最後の1人まで賠償貫徹」、「和解仲介案の尊重」などと掲げている。しかし、裁判闘争で疲弊しきった被害者が頭を下げて和解を求めても蹴飛ばす。もう闘えないとつぶやく原告の想いをあざ笑うように控訴するのだろうか。

植木さんは「東電の小早川智明社長には、52人一人一人が書いた陳述書や法廷での本人尋問を読んで頂きたいと願うばかりです」と会見で話したが、至極当然の願いだ。だが自らたてた誓いを平気で破るような企業のトップが、被害者たちが涙を流しながら書いた陳述書を読むはずが無い。それもまた現実だ。

東電の小早川智明社長。判決後の会見では「東電は控訴しないで判決を受け入れて」「陳述書や本人尋問の調書を小早川社長に読んでもらいたい」との声が原告からあがった

野村弁護士は「東電が控訴すればいたずらに被害者を引きずり回し、紛争解決を長引かせる事になる。原発事故を引き起こした社会的責任と、当事者による主張・立証が尽くされた上での判決の重みを真摯に受け止め、今回の判決に従うべきだ」と会見で強調したが、残念ながら争いの舞台は仙台高裁に移される公算が高い。

「それでも原告の皆さんは心配ありません。主張は尽くしていて後は認容額の問題でしょうから仙台高裁での弁論は1回で終わるでしょう。スムーズにいけば夏頃に弁論期日があって、10月頃には判決が言い渡されるかもしれません」(野村弁護士)。

満足出来る判決内容では無いが、受け入れると決めた原告たち。会見で〝前向き〟な言葉が並んだのは、そう自分に言い聞かせなければ崩れ落ちてしまうからだった。

大貫友夫さんは「今日の判決では、放射能を測定する事自体が『原発事故との相当因果関係は認められない』という事で請求が認められませんでした。それは非常に残念です」と悔しさをにじませたが、一方で「十分とは言えませんが精神的損害が認められて良かったと思います。6万8000字の陳述書を書いた2年間が思い浮かびます。娘たちや未来の子どもたちに恥じる事の無いようにとの想いで、この訴訟に加わりました。この6年間、頑張って参りました。この判決を受けた事は誇りに思います。これからも胸を張って生きて行きたいと思います。東電は判決に従って私たちに謝罪してもらいたい。そう強く思っております」とも話した。

夫と二人三脚で闘ってきた大貫節子さんは「判決内容には不服だけれど、もうそろそろ日常生活に戻りたい」と筆者につぶやいた。「あの時のつらさを思い出すのは本当に苦しいので、陳述書を書くのをやめようと何度も思いました。でも、周りに助けてもらいながら書き上げる事が出来て良かったと思います。放射能への不安やつらさを口にしていると日々の生活が暗くなって心が折れてしまう。裁判所で訴えを聴いてもらえた事は私にとっては良かったです」とも。原告たちの複雑な心情が凝縮されているかのような言葉だった。

除染で生じた汚染廃棄物が自宅の敷地内に保管された事も、原告たちが訴えた「精神的苦痛」の1つ

繰り返すが、東電が支払いを命じられた賠償額は個々の原告に対してでは無く、50人分を合算して約1200万円だ。つまり、平均24万円。これが、今村雅弘復興大臣(当時)が2017年4月4日の記者会見で「裁判だ何だでも、そこのところはやれば良いじゃない」と言い放った「裁判」の現実だった。

しかも、「目安」とされた30万円が支払われる原告はいない。最も少ない人でわずか2万2000円だ。最高で28万6000円。最も多いのが24万2000円(37人)だった。しかも、2人の原告に関しては、和解案では賠償額が示されていたにもかかわらず判決では請求棄却。つまり「ゼロ円」だった。他の原告たちが会見で前向きな言葉を口にしている最中、ずっとうつむいたまま涙を流していた原告もいる事を、私たちは忘れてはならない。庶民の気持ちなど知らない〝永田町の住人〟が軽々しく口にするほど、裁判闘争は甘くない。それを見せつけられたようでもあった。

民事訴訟に「100%の勝利」など無いのだろう。どこかで折り合いをつけなければならない。それはそっくりそのまま、原発事故後も「ここで暮らすしか無い」、「子どもとともに避難したいが難しい」と中通りで暮らし続けた人々の「折り合い」と重なる。

勝訴と敗訴が複雑に絡み合った判決を手に、原告はそれぞれの住まいへ戻って行った。〝復興五輪〟の聖火リレーが3月26日に福島で始まるが、原発事故の被害を訴え続けている人たちが今もいる。原発事故の被害は避難指示区域にとどまらない。浜通りだけが「被災地」では無い。それを教えてくれたのもまた、「中通りに生きる会」の52人だった。

◎「中通りに生きる会」52人の原告たちは本当に東京電力に「勝った」のか? 原発事故損害賠償訴訟・6年間の闘いで得たもの、得られなかったもの
〈前編〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=34316
〈後編〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=34323

▼鈴木博喜(すずき ひろき)

神奈川県横須賀市生まれ、48歳。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

月刊『紙の爆弾』2020年3月号 不祥事連発の安倍政権を倒す野党再建への道筋

『NO NUKES voice』22号 2020年〈原発なき社会〉を求めて

感染拡大が確実なのに、日本政府の対策が定まらない。いわずと知れた新型コロナウイルス(COVID-19)についてである。「専門家会議」なる団体は「罹患の恐れのある人は自宅で留まる」ようにと、責任放棄ともいえる暴論をはきだした。


◎[参考動画]「1、2週間が瀬戸際」 政府の専門家会議が見解(ANN 2020/02/25)

新型コロナウイルスに罹患しているかどうかをチェックするキットは、すでに開発されているのだから、軽度のうちに罹患者を発見し、家族や周辺の人から罹患者を隔離するのが、予防原則だと思うが、厚労省にはそういう考えがないらしい。

大規模イベント主催者の対応には、苦悩が見られる。無観客試合を計画したり、コンサート場などは中止も珍しくなくなってきた。そのなかで、最後の最後まで「連中」が放棄しないのは、利権の祭典「東京五輪」だ。しかし、わたしに限っても、これまで何回も批判してきた偽りの「復興の祭典」は、文字通り赤信号がともりだした。日本を対象として「渡航禁止」を出す国が増加しはじめた。各地の観光地も閑散とした状態で、ついに愛知県では旅館の倒産も発生した。

朝日新聞紙上は矛盾に満ちている。「東京五輪」称揚と、新型コロナウイルスにに対する警鐘。優先順位をスポンサーである立場が誤認させているのか。なにを優先すべきかがまったく伝わらない。


◎[参考動画]IOC委員 東京五輪中止も検討 判断は5月下旬まで(FNN 2020/02/26)

ある程度は仕方ない面もあろうが、クルーズ船内では、かえって罹患者を増加させてしまう始末。神戸大学の岩田健太郎教授がその対応の杜撰ぶりを徹底的に糾弾した。あれと同程度に無責任な体制が「東京五輪」を背景に抱えることにより、深刻化している。「重症者」になってから対応したのでは、感染症は遅い。この簡単な原理原則が通じない、この国では、残念ながら爆発的感染が近く訪れるだろう。


◎[参考動画]Japan ends ‘failed’ coronavirus quarantine on cruise ship(DW 2020/02/19)

わたしは、おもしろがっているのではない。わたし自身が癌患者を家族に持つものとして、医療機関で検査を進めているが、感染症の爆発的広がり(パンデミック)は、感染症以外の疾病患者への対応を遅らせることにより、副次的に犠牲者を増やしてしまう。

こういった大規模な感染症にどのように対応するかどうかで、その国や地域が国民の命をどう考えているかが鮮明に浮き上がる。嘘ばかりついて、責任を取らない最高権力者をこれほど長く頂いていると、結局被害にあうのは国民だということを、痛みをもって(場合によっては「取り返しのつかぬ」かたちで)知るしか手段はないものなのか。残念至極である。


◎[参考動画]【報ステ】“コロナショック”株価急落 経営破綻も(ANN 2020/02/25)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

月刊『紙の爆弾』2020年3月号 不祥事連発の安倍政権を倒す野党再建への道筋

『NO NUKES voice』22号 新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

◆被告になった「上級国民」たち

2月17日、トヨタレクサスの暴走死亡事故を起こした、元東京地検特捜部長の石川達紘被告(弁護士・80歳)に対する初公判が東京地裁で開かれた。起訴事実は自動車運転死傷処罰法違反(過失運転致死)である。

車載の事故記録装置などをもとに「被告が運転操作を誤った」とする検察側に対し、石川の弁護側は「車に不具合があり勝手に暴走した。(石川の)過失はなかった」と無罪を主張した。石川が無罪となれば、トヨタの技術の粋を凝らしたレクサスに何らかの不具合があったことになり、トヨタのブランドは大きく傷つくことになる。かつて検察のエースと呼ばれた男と、日本を代表する自動車メーカーの法廷闘争の始まりである。

いっぽう、元通産官僚の飯塚幸三(88歳)の起訴も確定した。池袋母子轢殺暴走事件で逮捕されなかった「上級国民」である。石川被告も逮捕されていないので、あらためてアンタッチャブルな「上級国民老人」の裁判が注目を浴びることとなったわけだ。このふたりの「暴走老人」の事件は、何度でもネットで報じることで記憶から消してはならない。

とくに記憶を喚起しなければならないのは、石川達紘が死亡させた被害者を気遣うこともなく「はやくここから俺を出せ!」と通行人に命じ、「俺ではなく、クルマが悪いのだ」と今も明言していること。さらには被害者遺族に「後日、保険会社から連絡します」と、同僚弁護士に言わしめたこと、そもそも20代の美女とゴルフに行くために、結果的に100キロの猛スピードで事故を起こしたこと。そして飯塚幸三が「アクセルがもどらなかった」「(予約の)フレンチに遅れるから急いだ」「メーカーは老人が安全に乗れる自動車を造るよう、心がけてほしい」と明言し、これも100キロを超すスピードで事故を起こしたことであろう。石川は犠牲者遺族と示談したが、飯塚は謝罪すらまともに行なっていないのだ。


◎[参考動画]「天地神明に誓って…」元特捜部長が起訴内容を否認(ANN 2020/02/18)

トヨタレクサスの暴走死亡事故を起こした元東京地検特捜部長の石川達紘被告(弁護士・80歳)の経歴(wikipedia)

◆勲章を剥ぎ取れ?

この二つの事件を忘れてはならない理由のひとつは、いうまでもなく二人が瑞宝重光章の受賞者であり、アンタッチャブル(逮捕無用)な存在だからである。本欄で何度も論じてきたが、日本の人質司法はカルロス・ゴーンのような証拠が明白な経営案件(背任罪)でも、長期拘留することで先取りの刑罰を与える。その証拠に、有罪で実刑になったさいに量刑は「懲役〇〇年、未決参入〇年〇月」と宣告される。未決拘留が実質的に刑罰であることを、裁判所が認めているということなのである。

そのいっぽうで、今回のように受勲者は人質司法(逮捕・勾留・拘置)から除外されているのだ。これではもはや、法の下の平等がないに等しい。そしておそらく、高齢者の事犯ということで有罪になっても執行猶予が付されるだろう。特権階級としての「上級国民」は言うまでもなく、象徴天皇制の実質である。身分差別や民族排外主義ではなく、いわば国民融和の柱として律令制いらいの叙位叙勲が生きている事こそ、もっと論じられなければならない。


◎[参考動画]池袋暴走事故 元院長はなぜ在宅起訴なのか (FNN 2020/02/06)

池袋母子轢殺暴走事件を起こしても逮捕されなかった元通産官僚の飯塚幸三被告(88歳)の経歴(wikipedia)

ところで、その瑞宝重光章がどれほどのものかというと、旧叙勲制度では「勲二等」である。菊花章の次に格が高く、同格の旭日章よりも、やや大衆的なものといえばイメージがつかめると思う。春秋の叙勲者を約8000人(年間)として、瑞宝重光章は70~80人である。おいそれと貰えるものではないのだ。勲章自体がスポーツ選手でも貰える紫綬褒章などの褒章よりも重く、長年の国家および公共への功績という要件がある。

今回、ふたりの「上級国民」が有罪判決を受けた場合、瑞宝重光章は剥奪されるのだろうか。アテネオリンピックと北京オリンピックの柔道金メダルリスト、内柴正人が準強姦事件で懲役5年の実刑判決をうけ、全柔連から永久追放処分を受けたのは記憶に新しい。このとき内柴は紫綬褒章を剥奪されている。

その法的な根拠は「勲章褫奪令(くんしょうちだつれい)」という古い政令である(明治41年公布、平成28年改正)。この政令の第1条によると、勲章を有する者が死刑・懲役・無期もしくは3年以上の禁錮刑に処せられた場合、その勲章は取り上げられるとなっている。

◆勲章褫奪令

一条
勲章ヲ有スル者死刑、懲役又ハ無期若ハ三年以上ノ禁錮ニ処セラレタルトキハ其ノ勲等、又ハ年金ハ之ヲ褫奪セラレタルモノトシ外国勲章ハ其ノ佩用ヲ禁止セラレタルモノトス但シ第二条第一項第一号ノ場合ハ此ノ限ニ在ラス
②前項ノ場合ニ於テハ勲章、勲記、年金証書又ハ外国勲章佩用 免許証ハ之ヲ没取ス前級ノ勲記ニ付亦同シ

第二条
勲章ヲ有スル者左ノ各号ノ一ニ該当スルトキハ情状ニ依リ其ノ勲等、又ハ年金ヲ褫奪シ外国勲章ハ其ノ佩用ヲ禁止ス
一 刑ノ全部ノ執行ヲ猶予セラレタルトキ
二 三年未満ノ禁錮ニ処セラレタルトキ
三 懲戒ノ裁判又ハ処分ニ依リ免官又ハ免職セラレタルトキ
四 素行修ラス帯勲者タルノ面目ヲ汚シタルトキ

つまり、3年以下の禁固刑か執行猶予であれば、第2条の「情状」により勲章・年金は剥奪されないことになる。ちなみに、カルロス・ゴーンは「素行修ラス帯勲者タルノ面目ヲ汚シタルトキ」に当たるとされた場合、やはり「情状」によって剥奪されることになる。

いずれにしても、叙位叙勲なる制度がおそらく国民の0.8%(同一世代100万人に対して8000人)とはいえ、身分差を作り出していること。そして今回明らかになったように、逃亡の怖れがないとか何とかの理屈付けはともかく、先行刑罰としての逮捕・勾留・拘置から自由であるという事実。これこそ指弾されなければならない。4月29日と11月3日の叙勲の日に「勲章なんかやめろデモ」でも組織してみるか、である。

もうひとつ、この「上級国民」二人の「犯行」で忘れてならないのは、80歳を超えんとする後期高齢者(石川は事件時78歳だった)が、走る凶器を運転していいのかということだ。自動車運転が事故から無縁でないことは、わたしのような慎重なドライバーでも事故を起こしたことはあるし、クルマを手放して自転車に乗り換えても二度、自動車ドライバーの不注意(後方確認なしのドア開け)などで事故に遭っているのだ。

そしてそもそも自動車および自動車産業は、戦争経済の延長に戦車や戦闘機をクルマの形にかえて、高速運転による人間の闘争本能を刺激しつつ、意味のないモータリゼーション(遠隔地からの商品輸送・高速ドライブ・煽り運転)をもたらしてきたのだ。これについてはテーマを変えて論じたいが、80歳で運転するという信じられない行為から指弾されるべきであろう。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業。「アウトロージャパン」(太田出版)「情況」(情況出版)編集長、最近の編集の仕事に『政治の現象学 あるいはアジテーターの遍歴史』(長崎浩著、世界書院)など。近著に『山口組と戦国大名』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『男組の時代』(明月堂書店)など。

月刊『紙の爆弾』2020年3月号 不祥事連発の安倍政権を倒す野党再建への道筋

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

2020年2月19日。福島地裁で1つの判決が言い渡された。原発事故による精神的損害が十分に賠償されていないとして東電を相手取って起こされた裁判。福島県で「中通り」と呼ばれる、東北新幹線沿いの市町村に暮らす52人による「中通りに生きる会」が原告だ。

福島地裁の遠藤東路裁判長は東電に対し、計1200万円余の支払いを命じた。避難者訴訟ではなく、居住者訴訟で精神的損害を認めた「画期的な判決」として全国ニュースにもなった。地元メディアは概ね好意的に報じた。原告たちも、閉廷後の記者会見では〝前向き〟な発言が目立った。だが、原告たちは本当に「勝った」のだろうか? 提訴前の準備から数えると6年にも及んだ裁判闘争で52人は何を得て何を得られなかったのか。きちんと確認しておきたい。

「陳述書を28ページも書きました。これを基に闘ってきたんです。すごく長い闘いでした。皆まとまって一生懸命にやってきたつもりです。(判決で示された賠償額は)私たちが請求した金額とはずいぶん違いますが、これまでの闘いが一応、認められたと思ってホッとしています。東電がこの判決を受け入れてくれる事を心より願っております」

会の代表として奔走してきた平井ふみ子さん(71歳、福島市在住)は、記者会見でそう語った。

2014年10月に福島市内で開かれた陳述書作成の勉強会であいさつする平井ふみ子さん。原告たちの闘いは6年に及んだ。もう余力は残っていない

379ページに及ぶ判決文で遠藤裁判長は、「自主的避難等対象区域に居住していた者の慰謝料の目安は、避難の相当性が認められる平成23年12月31日までの期間に対応する慰謝料額として、30万円と認めるのが相当である」と定義。30万円から東電からの既払い金(8万円)を引き、個々の損害に応じた賠償額を算出した。その結果、50人が既払い金を上回る賠償を認められ、東電が控訴しなければ、2万2000円から28万6000円までの賠償金に遅延損害金を加えた金額が原告たちに支払われる事になる。なお、2人の原告は請求を棄却された。

原告の代理人を務めた野村吉太郎弁護士は陳述書作成では何度も何度も書き直させ、時には原告から恨まれもした。厳しかったが、最後は大きな拍手で原告たちから感謝を伝えられた

原告の代理人を務める野村吉太郎弁護士は、判決内容について「いわゆる〝自主的避難等対象区域居住者〟に対する慰謝料としては過去最高額であるという点は高く評価したい」と一定の評価をしつつ、「原告らが訴訟準備期間を含めると約6年の歳月を費やし、原則として原告全員の本人尋問を経て個別の損害を訴えた末の結果としては不十分。闘いに報いる金額では無い。苦労に苦労を重ねた挙げ句の判決にしては、物足りないものがある」とも語った。

また、「精神的損害に対する評価は非常に厳しいというか、原告の皆さんの精神的損害を汲み取る感性が裁判官には欠けているのではないかと思う。そこは残念だが、他の訴訟と比較すれば、ある意味では画期的な判決なのではないか。もろ手を挙げて喜ぶ事は出来ないが、それなりに受け止めなければ仕方が無いのかなという想いです」とも話した。会見場には複雑な心情が漂っているようだった。

原告たちはそもそも、和解による決着を望んでいた。年齢層が高く、陳述書を書き上げるだけで疲労困憊になり、いざ提訴したらしたで、今度は本人尋問が待っていた。野村弁護士とリハーサルを重ねたが、慣れない法廷での尋問に戸惑い、満足に答えられない原告も少なくなかった。

それでも主尋問はまだ良い。反対尋問では、被告東電の代理人弁護士が牙を剥いた。

原告が被曝リスクへの不安を口にすれば、原発事故直後に行われた山下俊一氏の講演を掲載した福島市の広報紙を提示し、「専門家は問題無いと言っている」と全否定した。原告が家庭菜園を断念したと言えば、「誰も家庭菜園を禁じていない」と一蹴した。避難指示が出されない中で〝自主避難〟するべきか逡巡した苦悩を原告が口にしても、「原告は自己の判断によって避難するかどうかを決めたものであって、中通りにとどまり生活せざるを得なかったという事実は認められない」と反論した。まさに、〝ああ言えばこう言う〟のやり取りが法廷で繰り返された。
当時の想いを、原告の1人はこう振り返る。

「二度と想い出したくない震災と原発事故。いざ原発事故が起きたらどれだけ大変な災害になるかという事を子や孫に残したいと考えて原告に加わりました。人前で話すのも苦手なのにあの場で尋問されるというのは、被害者ではなく何か犯罪者のような気持ちでした。東電が和解勧告を拒否したと聞き、長い間闘ってきた事が認められなかったような気がして東電の非情さと理不尽さに憤りました」

原告一人一人の陳述書に対する膨大な反論の準備書面も提出された。そのたびに法廷には原告の怒りと徒労感に包まれた。46人の原告に対する本人尋問が終了した2019年3月の時点で、原告たちに余力は残っていなかった。

野村弁護士は法廷で裁判所に和解勧告を求めた。原告の1人は当時、筆者に「陳述書を書き上げるのに要した2年間が、もう涙と汗の結晶というか、これ以上は書けないというところまで野村先生に見ていただいて提訴したんです。もう、これ以上は出来ません」と語っていた。

当初は和解勧告に消極的だった裁判所も、原告たちが福島県庁で記者会見を開くなどして世論に訴えた事もあり、昨年12月に和解案を提示した。和解内容は公開されていないが、判決と大きくは変わらないとみられる。原告たちは当初からの方針通りに受諾したが、東電は年明け早々の1月7日に拒否を伝えた。(後編につづく)

▼鈴木博喜(すずき ひろき)

神奈川県横須賀市生まれ、48歳。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

月刊『紙の爆弾』2020年3月号 不祥事連発の安倍政権を倒す野党再建への道筋

『NO NUKES voice』22号 2020年〈原発なき社会〉を求めて

井手洋子監督のドキュメンタリー映画「ゆうやけ子どもクラブ」の関西上映(大阪・神戸・京都)が、2月15日大阪・シネ・ヌーヴォから始まった。障がいを持つ子どもの放課後活動の草分け的存在である東京都小平市の「ゆうやけ子どもクラブ」(以下、ゆうやけ)を1年半追い続けた作品である。

1978年、養護教育の義務化で、障がいを持つ子どもたちにようやく学校教育が保障されるようになったが、ゆうやけ(遊びの会)はその1年前、様々な障がいを持つ子どもたちが、放課後や夏休みに過せる場所が欲しいという親たちの切実な願いから始まった。現在ゆうやけの代表を務める村岡真治さんは、ボランティアで関わっていた当時の様子をこう話している。

ゆうやけの代表を務める村岡真治さんと子どもたち(C)井手商店映画部

「放課後や夏休み期間中に、遊び・生活を中心とした活動を行って。子供たちの成長を促そうとすることは、大変勇気のいることだった。先輩の親からは『若い親を甘やかすな』と苦情をいわれた。市に補助金を求めにいくと『学校に通っているのに、どうして放課後までお金を出す必要があるのか』と返された。だが私たちは、子供の権利や発達に照らして,障がいのある子どもにも放課後活動は必要だということを、実践しながら社会に訴えていった」。

その村岡さんが、今も現役で子どもたちの輪の中心にいることに、まず驚かされる。「今日のおやつ作りは何にしますか?」「えーと、ゼリー」といわれ、村岡さんがずっこけるシーンから映画は始まる。

学校から次々とゆうやけに帰ってくる子どもたち。「おかえりなさい」と迎える職員たち。小学校から高校生まで、全員が知的障がい、発達障がい、自閉症など様々な障がいを持っている。子ども1人か2人に、指導員が1人つき、「おやつづくり」、「フォークダンス」、「段ボール遊び」などで遊ぶ。紙いっぱいにその日の買い物リストを書き、村岡さんにおもちゃ電話で注文してもらう女の子。「えー柴犬4匹、メスが普通で黒がオスですね。4匹です」。もうこの場面から、ワクワク感がとまらなくなる。

◆「ゆうやけ子どもクラブの活動をとってほしい」と依頼された井手監督

井手洋子監督

井手監督が、ゆうやけに関わったきっかけは「40周年記念のコンサート」で夕やけを紹介する映像を頼まれたことからだった。当初、井手監督は、障がいをもつ子どもたちの「放課後活動」がどんなものか全く知らず、何をどう撮ればいいかと戸惑ったという。

「職員さんたちは、子供のいない午前中、何をやっているのだろうか?」と気になっていたある日、職員の研修会を撮影する機会があった。職員は、毎日子供たちに何があったか記録し、迎えに来た親にも、それを丁寧に説明する場面がある。研修会では、1人の障がいを持つ子について書かれた3年分の記録から、気になる個所を抜き書きし、5人の職員が話し合っている。

「ここにも同じのがあった」と、資料の同じ言葉の箇所にマーカーで線をひき、彼がその時何を考えたのかと、謎解きをしていくような作業。「子供たちとの関わりの背景には、こんなにも丁寧な作業があったのだ」と驚きながら、カメラを回したという井手監督。そうした事実を掘り起こしていく作業は、ドキュメンタリーの取材にも通じるという。そして「このシーンを映画の中でいかした。こうしたことの積み重ねで、暗闇から少しずつ取材の糸口となる光のようなものがみえてきた」と、作品のとっかかりを掴んだきっかけを、井手監督は語っている。

◆親たちの孤独が解消されるような社会をめざして

映画「ゆうやけ子どもクラブ」(C)井手商店映画部

映画では、障がいを持つ子どもたちの親たちが話す場面も多い。障がいを持つ子の苦労話や、子どもの変わり様を屈託なく、時には笑って話す親たちの姿は、とても強く印象に残った。

「とくに母女親が孤立して、とっても孤独な方がすごく多いと思うので、それが改善していく世の中になってほしい」と話す父親。「ほかの子どもたちには、なかなか構ってやれない」と笑って話す母親。「ここに来ることが一番の楽しいみたい。学校のあとにゆうやけだから、そのために学校へ行くみたいな…。家に帰ったらバタンキューですよ」と話す父親。

昨年、両親が、障がいを持つ我が子を長期に亘り監禁し、死なせた事件が起こった。障がいがあったり、引きこもりを続けるわが子の存在を周囲に隠し、行政にも相談できず、最終的に自身の手で殺(あや)めるという痛ましい事件も発生した。なぜ、可愛いわが子の存在を隠さなければならないのか?殺めなければならないのか?そこには、障がいを持つ子どもと親たちに対する、社会のぬぐい切れない差別や偏見があるからではないか?

◆障がいを持つ子と親たちをとりまく社会の変化

映画「ゆうやけ子どもクラブ」(C)井手商店映画部

2012年、「放課後等デイサービス」という国の制度が始まって以降、障がいのある子どもの放課後活動の場が爆発的に増えた。ゆうやけの3つの事業所も、2013年以降、この制度を利用して運営されている。そんななか、公費を偽って請求するなどの不正を行う業者、「起業3年,年商3億年」「低リスク、高リターン」などとうたい、利潤追求を目的とした事業所なども増えてきた。私の住む釜ヶ崎で、生活保護者を狙って、「家賃、食費がゼロ、おまけに小遣いまでもらえるよ」とうたう「囲い屋」など貧困ビジネスが増えたことと同じだ。

さらに2018年には、施設に障がいが重い子どもたちが半分以上いないと、収入が大幅に引き下がるという新しい基準が加わり、ゆうやけも存続の危機に見舞われた。ゆうやけはどうにか認められたものの、全国の8割の事業所が減収から閉鎖に置きこまれたという。巷では「ダイバーシテイ」「多様性」などのきれいな言葉が溢れているが、実際の社会の足元には、こうした過酷な現実もあることを、この映画を通じて知りえた。

◆一人一人が自分らしく生きるために……

映画「ゆうやけ子どもクラブ」(C)井手商店映画部

映画の後半では、障がいを持つ3人の子どもにフィーチャーしていく。自分の気持ちをうまく表現できないガク君。子どもたちの輪になかなか入れず、部屋の隅でひたすら積み木を積むヒカリ君。そして聴覚過敏の音に敏感すぎるため、ずっと給湯室にこもっているカンちゃん。テロップでは障がいには触れてないが、同じ自閉症でもまるで特性が違うことに驚かされる。

3ケ所あるゆうやけの施設を回って撮影を続けていた監督が、ある日ヒカリ君がどうなったか知りたくて会いに行く。それまで直線で作られていたヒカリ君の積み木の線路は、なだらかな曲線を描くようになっていた。そこに精巧な駅舎や改札口が作られ、やがてホームに動物をたたずませたヒカリ君。ヒカリ君の宝物は、鉄道好きなヒカリ君のために、職員が作ってくれた全国の鉄道名と駅名を書いた手帳だ。新しい線路と駅の名前を口にしていくうちに、ヒカリ君の声も徐々に大きくなっていく。撮影最後の日、子どもたちが遊ぶマットの相撲場に、積み木を置くようになったヒカリ君は、ダンスがはじまると、輪の後ろで身体をくねらせ、最後には皆の手を取ってダンスの輪に入っていった。「福祉は人間らしい人の輪」。映画の中で、村岡さんが語っていた。

子どもたちも親たちもこんなに変えていく、ゆうやけの輪は、こうして日に日に大きくなっていくことだろう。

最後に井手監督に「ゆうやけ子どもクラブ」を作った1番の目的をお聞きした。

「このような施設が存在することを多くの人たちに知ってもらうこと、映画を通して子どもたちそれぞれの世界を知ってもらい、私たち一人ひとりの心の中にあるバリアをとりはらうきっかけになれば、と思っています」。関西上映は以下のスケジュールで!

大阪・神戸・京都でのドキュメンタリー映画「ゆうやけ子どもクラブ!」上映スケジュール
大阪 シネ・ヌーヴォX 2月15日(土)~2月28日(金)
   シネ・ヌーヴォ  2月29日(土)~3月6日(金)
神戸 元町映画館    2月29日(土)~3月13日(金)
京都 京都シネマ    3月 7日(土)~
問い合わせ 井手商店映画部 03-6383-4472
公式ホームページ https://www.yuyake-kodomo-club.com/


◎ドキュメンタリー映画「ゆうやけ子どもクラブ!」予告篇ロング

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。月刊『紙の爆弾』2020年1月号には「日本の冤罪 和歌山カレー事件 林眞須美を死刑囚に仕立てたのは誰か?」を、『NO NUKES voice』22号には高浜原発現地レポート「関西電力高浜原発マネー還流事件の本質」を寄稿
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

月刊『紙の爆弾』2020年3月号 不祥事連発の安倍政権を倒す野党再建への道筋

『NO NUKES voice』22号 尾崎美代子の高浜原発現地レポート「関西電力高浜原発マネー還流事件の本質」他

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

PRIMA GOLD杯決勝戦は昨年10月12日の開催予定が台風19号による影響で延期され、準決勝の6月15日から約8ヵ月経ての開催。ウェイト的にやや不利と見えた清水武は筋力アップに時間を掛けることが出来たものの、その成果を活かすことが出来なかった。

Japan Sift Land杯は、予定どおりの日程で昨年12月14日から始まり、決勝進出かそれまでに敗れればそこで引退を宣言していたテープジュン・サイチャーンと村田裕俊の二人が12月の初戦(準々決勝)で対戦。敗れたテープジュンはその場で引退セレモニーを行なった。そしてこの日、「引退挨拶で喋ることを準備をしていた」と言う村田裕俊は遠藤駿平を僅差で破って決勝進出を決め、有終の美を飾りたい村田の決勝戦の相手は髙橋亮となった。

その髙橋亮はローキックでコッチャサーンの脚を殺し快勝。髙橋三兄弟がエース格を担うNKB興行に於いて順当な優勝へ、どちらにも大きな運命が掛かる一戦となる。

NKBウェルター級王座決定トーナメントは、また新しい時代を担う世代の戦いに移っている中、すでに若くない30~40歳代4選手によるトーナメントとなった。他(多)団体チャンピオンと競り合うことが出来るかは難しいところ、決勝戦で勝ち上がれば、NKBの面子を守る、その試練が待っているだろう。

◎交戦シリーズ Vol.1 / 2月8日(土)後楽園ホール 17:15~21:00
主催:日本キックボクシング連盟 / 認定:NKB実行委員会

◆13. PRIMA GOLD杯ミドル級トーナメント決勝 5回戦

NKBミドル級1位.田村聖(拳心館/31歳/72.3kg)
    VS
清水武(元・WPMF日本SW級C/sbm TVT KICK LAB/32歳/72.5kg)
勝者:田村聖 / TKO 1R 2:04 / 主審:前田仁

開始早々から田村の右ローキックが清水の右脚を狙うヒットが数発続くと、早くも足運びがおかしい清水。

田村聖もローキック狙い、開始から早くも右ローキックが清水武にダメージを与える

清水武の右脚に集中した田村聖の右ローキック

田村は蹴りの流れから右ストレートを打つと、清水はまともに貰いノックダウンを喫する。

ゆっくり立ち上がるも脚がふらつくとカウント中にレフェリーストップとなって、田村聖が優勝を果たした。

田村聖が蹴りを意識させ右ストレートを打つと清水武はバッタリ倒れた

PRIMA GOLD杯は田村聖が目出度く優勝

◆12. Japan Sift Land杯59kg級トーナメント準決勝3回戦

決勝戦で戦う村田裕俊と髙橋亮が健闘を誓った

NKBフェザー級チャンピオン.髙橋亮(真門/24歳/58.9kg)
    VS
コッチャサーン・ワイズディー(元・ルンピニー系SB級7位/タイ/21歳/58.5kg)
勝者:髙橋亮 / TKO 1R 1:13 / 主審:佐藤友章

髙橋亮も開始早々から左ローキックで鋭くコッチャサーンの脚にヒットすると数発で棒立ち状態。

連続してローキックを貰ったコッチャサーンは早くもノックダウン。立ち上がるも髙橋亮のローキック追撃にコッチャサーンのセコンドからタオル投入による棄権をレフェリーが受入れ試合は終了した。

あっけなくダウンしたコッチャサーン、髙橋亮の蹴りの強さ発揮

◆11. Japan Sift Land杯59kg級トーナメント準決勝3回戦

接近戦になれば村田裕俊のヒザ蹴りが炸裂

MA日本ライト級チャンピオン.遠藤駿平(WSR・F三ノ輪/21歳/59.0kg)
    VS
NKBフェザー級2位.村田裕俊(八王子FSG/30歳/59.0kg)
勝者:村田裕俊 / 判定0-2 / 主審:亀川明史
副審:仲29-29. 前田29-30. 川上28-29.

離れた距離での互角に渡り合う蹴りとパンチの攻防も、村田はいつもながら蹴りから接近してヒザ蹴りの連係が上手い。更にヒジ打ちで遠藤の眉間の上をカットする。

最終ラウンドは遠藤の前進でやや押されるも、崩し転ばす技や蹴りの的確さで僅差ながら村田裕俊が勝利を掴み決勝進出、この日の引退からは逃れた。

村田裕俊の左ストレートが遠藤駿平の胸板にヒット

ロープ際に押されても右ミドルキックで返す村田裕俊

◆10. NKBウェルター級王座決定トーナメント初戦(準決勝)3回戦

準決勝を勝ち抜いた村田裕俊に勝利者賞を贈呈したジャパンシフトランド代表

NKBウェルター級2位.稲葉裕哉(大塚/32歳/66.68kg)
    VS
同級3位.笹谷淳(TEAM COMRADE/44歳/66.68kg)
勝者:稲葉裕哉 / 主審:鈴木義和
副審:馳29-29(10-9). 佐藤彰彦30-29(9-10). 佐藤友章28-30(10-9).
3R引分け三者三様 / 延長R 2-1

決定打の少ない中、笹谷がやや攻めの勢いがある流れ。審判構成によってはここで結果が出たかもしれないところ、三者三様の採点で延長戦が行われた。

ここから積極的に出た稲葉。執念が優った稲葉が勝利を掴む。

稲葉裕哉が執念で延長戦を制した

NKBウェルター級王座は稲葉裕哉と蛇鬼将矢で決定戦が行われる

◆9. NKBウェルター級王座決定トーナメント初戦(準決勝)3回戦

NKBウェルター級4位.蛇鬼将矢(テツ/30歳/66.68kg)
    VS
同級5位.SEIITSU(八王子FSG/41歳/66.3kg)
勝者:蛇鬼将矢 / KO 1R 1:01 / 主審:仲俊光

蛇鬼が蹴りからパンチの連打で早々にノックダウンを奪い、立ち上がったところを更にパンチ連打を浴びるとSEIITSUは蹲り、カウント中にタオルが投入される棄権となり、レフェリーが試合を終了させた。

蛇鬼将矢がSEIITSUを仕留めにかかる

◆8. ライト級3回戦

NKBライト級3位.野村怜央(TEAM KOK/29歳/61.2kg)vs聖(KSK/22歳/61.0kg)
引分け1-0 / 主審:川上伸
副審:佐藤彰彦29-29. 馳29-28. 佐藤友章30-30.

◆7. 59.0kg契約3回戦

KEIGO(35歳/58.75kg)vsガオパヤック・ワイズディー(タイ/21歳/58.6kg)
勝者:ガオパヤック / 判定0-3 / 主審:仲俊光
副審:亀川27-30. 鈴木28-30. 川上27-30.

◆6. バンタム級3回戦

NKBバンタム級4位.海老原竜二(神武館/28歳/53.3kg)
    VS
古瀬翔(ケーアクティブ/24歳/53.5kg)
勝者:海老原竜二 / KO 3R 2:43 / 3ノックダウン / 主審:佐藤彰彦

◆5. フライ級3回戦

NKBバンタム級5位.則武知宏(テツ/25歳/50.75kg)vsTOMO(K-CRONY/37歳/50.6kg)
引分け1-0 / 主審:鈴木義和
副審:川上29-28. 仲29-29. 高谷29-29.

◆4. ライト級3回戦

NKBライト級5位.パントリー杉並(杉並/27歳/60.95kg)
    VS
マサ・オオヤ(八王子FSG/45歳/61.23kg)
勝者:パントリー杉並 / 判定3-0 / 主審:馳大輔
副審:佐藤彰彦30-26. 佐藤友章30-27. 亀川30-27.

毎度の打ち合いに出る激戦展開するパントリー杉並。ベテランのマサ・オオヤを苦しめ、ノックダウンを奪うもマサオオヤの有効打(パンチかヒジ)で額を切ったパントリーは流血しながらの攻勢。仕留めるに至らずもパントリー杉並が大差判定勝利となった。

◆3. ウェルター級3回戦

宮城寛克(/赤雲會/28歳/66.68kg)vsゼットン(NK/48歳/66.6kg)
勝者:宮城寛克 / KO 3R 0:52 / カウント中のタオル投入 / 主審:高谷秀幸

◆2. 55.0kg契約3回戦

龍太郎(真門/19歳/54.5kg)vs加藤和也(ドージョーシャカリキ/25歳/54.9kg)
勝者:加藤和也 / 判定0-2 / 主審:亀川明史
副審:鈴木30-30. 佐藤彰彦29-30. 佐藤友章29-30.

◆1. フライ級3回戦

會町tetsu(テツ/31歳/50.7kg)vs舟本空明(治政館16歳/50.4kg)
勝者:舟本空明 / 判定0-3 / 主審:前田仁
副審:川上29-30. 馳27-30. 仲27-30.

PRIMA GOLD杯トーナメント表

《取材戦記》

PRIMA GOLD杯は田村聖が晴れて優勝し、長引いた決勝戦を無事に締め括りました。
NKBウェルター級王座決定トーナメントも、昨年10月12日に予定されていましたが、今回の2月8日に延び、他にも延期やカード変更も起こる調整の苦労があったようでした。

PRIMA GOLD杯はミドル級で行われ、リミットは規定どおり160LBS(72.57kg)。ミドル級と言いながら“73.0kg契約”とか言わないか、昨年4月の初戦前に当時の広報担当に聞いたところ、「正規のミドル級で行われます。」と言う規定どおりの回答でした。

今回のJapan Sift Land杯は59kgリミットで開催。プロボクシングの階級呼称を使いながらリミットを変えるのは正しくはないが、スーパーフェザー級(-58.97kg)と言わないのはリミット超えしているという自覚があるのでしょう。数値(キログラム)で区切るならそれも結構なことだが、元からスーパーフェザー級でもよかったかもしれない。「ノンタイトルでも負ければ王座剥奪」のチャンピオンの義務から外れるには、もう少し幅を持たせて60kgリミットでもよかったかもしれない(この辺は外部者の勝手なひとりごと)。

Japan Sift Land杯トーナメント表

日本キックボクシング連盟も設立当初から、統一・分裂・合併、何度も起こった離脱の流れの中、当然ながら設立に至った当時の経緯を知らぬ若い世代が台頭してっ来ている中、小さな組織のイベントの範疇で統一戦には程遠いものの、若い世代による幾つかのトーナメント戦が盛り上げを見せました。今後も、かつて業界一丸となった昭和の「1000万円争奪オープントーナメント」に導かれるような発展に期待したいものです。

日本キックボクシング連盟次回興行「交戦シリーズ2nd」は4月11日(土)に後楽園ホールに於いて、二つのトーナメント、NKBウェルター級王座決定戦とJapan Sift Land杯決勝戦が開催されます。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

月刊『紙の爆弾』2020年3月号 不祥事連発の安倍政権を倒す野党再建への道筋

一水会代表 木村三浩 編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

上條英男『BOSS 一匹狼マネージャー50年の闘い』。「伝説のマネージャー」だけが知る日本の「音楽」と「芸能界」!

◆神話のなかの天皇たち

権力闘争をなくすために、実力よりも血統に皇統の根拠がもとめられたこと。そしてそれは天の命令でなければならないがゆえに、ある壮大なフィクションが創られた。皇統が天から下ったという神話である。じっさいに、初期の天皇たちはその大半が『古事記』『日本書紀』にしか記録がない。

古事記

その神話のなかの天皇たちは、どこまでが真実なのだろうか。神話が過去の伝承をなぞり、伝承のなかの大王たちの事績を仮託したものだとしても、歴史学はどこまで史実に迫っているのだろうか。

わが国最古の公式な史書である『古事記』と『日本書紀』は、天武天皇の命で編纂され、持統天皇の末期に完成した。『古事記』は舎人の稗田阿礼という記憶力のすぐれた人物が口述し、太安万侶がそれを筆記した。『日本書紀』は川島皇子ら12人のプロジェクトチームによるもので、舎人親王が最終的に編纂した。

いずれも乙巳の変で焼失した帝記・旧辞という史料を諳んじる稗田阿礼の口述がもとになっているが、『日本書紀』においては豪族の墓記や個人の覚書、百済の文献なども参考にしている。編纂の目的は天皇による国家統一の偉業を讃えるものだ。皇祖を女性にすることで女帝(持統天皇)の正統性を描き、あるいは藤原氏をリスペクトするなどの編纂意図も随所にうかがえる。

神武天皇137歳

神代の記述はこうだ。皇祖とされる天照大御神(アマテラスオオミカミ)の孫・邇邇芸命(ニニギノミコト)が高天原から日向の高千穂に降り、大山祇神(オオヤマツミ)の娘の木花咲耶姫(コノハナノサクヤヒメ)と結婚して、山幸彦=火遠理命(ホオリノミコト)が生まれた。山幸彦が海神の娘である豊玉姫と結婚して生まれたのが、鵜草葺不合命(ウガヤフキアエズミコト)。その四男が神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト)、すなわち神武天皇である。天照大御神から数えて五代目ということになる。神武以降の天皇たちはおそらく、伝承にいろどられた神話のなかの神々とかさなっている。

じつは『記紀』には明らかに、捏造と思われる記述もあるのだ。たとえば歴代天皇がきわめて高齢である点だ。崇神天皇の168歳をトップに、垂仁天皇153歳、神武天皇137歳、孝安天皇137歳、景行天皇137歳、応神天皇130歳と超高齢なのである。

高齢だからといって、その存在自体が捏造というわけではない。崇神天皇には王朝交代説もあり、事実上の初代天皇という説がある実在の天皇だ。応神天皇も朝鮮半島との外交業績や『宋書倭国伝』にある倭王「讃」に比定されるなど、あきらかに実在の天皇である。

実在を証明するには、考古学的な裏付けが必要となるわけだが、架空の人物ではと思われる欠史八代(二代綏靖天皇以下、安寧天皇、懿徳天皇、孝昭天皇、孝安天皇、孝霊天皇、孝元天皇、開化天皇)の各天皇にも、陵(みささぎ)が治定されている。ところがこの治定(じじょう)は、大半が江戸時代に行なわれたものなのだ。それを宮内庁が追認しているにすぎない。天皇の治世と陵の建築年代が、大きくずれていると、研究者たちから指摘されている。

現在の考古学的な知見で埋葬された天皇と陵が一致するのは、奈良王朝の天智・天武・持統陵など数か所にすぎないとされている。調査が期待されるところだが、宮内庁は学術的信頼度について「たとえ誤って指定されたとしても、現に祭祀を行なっている以上、そこは天皇陵である」と、治定見直しを拒絶している(『天皇陵論──聖域か文化財か』外池昇、新人物往来社など)。

雄略天皇

天皇陵が考古学的な裏付けにならないとしたら、われわれはどう考えればよいのだろうか。文献史学および考古学的な成果によるものを挙げておこう。文書と遺物である。

たとえば雄略天皇の場合のように、行田市の船山古墳出土の刀剣に「獲加多支鹵大王(ワカタケルオオキミ)」とある遺物は、記紀の「若健命(ワカタケルノミコト)」に符合する。

世界でも最大級の古墳である仁徳陵の被葬者、仁徳天皇はどうだろう。『古事記』にはオオサザキ(仁徳天皇)は83歳で崩御し、毛受之耳原(もずのみみはら)に陵墓があるとされる。『日本書紀』にも、仁徳天皇は87年(399年)正月に崩御し、百舌鳥野陵(もずののみささぎ)に葬られたとある。平安時代の『延喜式』には仁徳陵が「百舌鳥耳原中陵」という名前で和泉国大鳥郡にあり、「兆域東西八町。南北八町。陵戸五烟」の規模だと記述されている。敷地が群を抜いて広大であることから、ここに記される「百舌鳥耳原中陵」が仁徳陵を指していることは間違いない。陵の大きさから、仁徳天皇の実在性は明らかなのである。これで仁徳帝の存在は、陵と文献から証明されたことになる。

◆ねつ造された理由

前述した欠史八代の各天皇は系譜のみの記載であって、事績が伝わっていないことから不在説がつよい。八代とも兄弟相続ではなく父子相続になっていることも、『記紀』が編纂された天武・持統時代の嫡系相続を反映したものと考えられる。あるいは、辛酉の年に天命が改まる1260年に一度の辛酉革命にちなんで、神武天皇の即位を推古9年(辛酉)から1260年前(西暦紀元前660年)にするために、八代を編年したという説もある(那珂通世「上世年紀考」)。

時代が新しくなれば、実在の可能性が高いというわけではない。王朝交代が指摘される継体天皇の前の25代・武烈天皇の場合は、残忍な逸話ばかり記述されている。恋敵を山に追い詰めて殺し、その一族を館ごと焼き殺す。妊婦の腹を裂いて胎児を見る、生爪を剥がして山芋を掘らせるなど、思いつく限りの残虐さが伝わっている。おそらく王朝交代にさいして、悪行を尽くした皇統が断絶したと解釈する歴史思想の反映であろう。したがって、創作された悪逆の天皇と考えられるのだ。

◎《連載》横山茂彦-天皇制はどこからやって来たのか〈01〉天皇の誕生

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業。「アウトロージャパン」(太田出版)「情況」(情況出版)編集長、最近の編集の仕事に『政治の現象学 あるいはアジテーターの遍歴史』(長崎浩著、世界書院)など。近著に『山口組と戦国大名』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『男組の時代』(明月堂書店)など。

最新刊!月刊『紙の爆弾』2020年3月号 不祥事連発の安倍政権を倒す野党再建への道筋

菅義偉官房長官は2月18日の記者会見で、新型コロナウイルス(COVID-19)による肺炎の治療薬剤開発に関し、国立国際医療研究センター(東京都新宿区)を中心に抗エイズウイルス(HIV)薬剤の臨床試験の早期開始に向けて準備を進めていると説明した。


◎[参考動画]2020年2月18日(火)午前-内閣官房長官 記者会見

いまのところ対処療法しかない新型コロナウイルス(COVID-19)に対して、一部の抗ウイルスHIV薬剤の有効性が伝えられていた。HIV対策にはウイルスに感染した人に対する薬剤と、ウイルスの侵入を防ぐ薬剤など様々な薬剤が開発されている。今回新型コロナウイルスに有効であろうと見込まれているのは、現在VIIVという英国の製薬剤会社だけが、特許を保有する「ウイルスの侵入」を防止する薬剤である。


◎[参考動画]Living with HIV? Today, it’s just living.(ViiV Healthcare)

2月14日、本通信で報告した通り、新型コロナウイルスは「4つのインサートすべてのアミノ酸残基の配列は、HIV1 gp120またはHIV-1 Gagのアミノ酸残基のそれと同一または類似しています」との研究結果が示唆する挙動を見せていることが、ここ数日でも複数の研究者から明らかになった。

そこで、日本政府も同様の薬剤の臨床試験を行う姿勢を見せたということである。しかし、現在同様の薬剤剤は世界でVIIV社しか製造していないことから、特許や販売許可への障壁も考えられる(VIIV社には塩野義製薬も出資している)

「The Lancet」が非常に権威のある科学雑誌であることは、前回本通信でご紹介したが、通常有料でしか購読できない同誌が、新型コロナウイルス(COVID-19)に対しては、その緊急性と重要性を認識したためか、無料購読の許可を続けている。一般には「一年以上かかるだろう」といわれている対策薬剤の製造が、VIIVが保有しているHIV対策ウイルスの援用により、早まることが期待される。


◎[参考動画]ワクチン準備に18カ月(2020/02/12)

巷では、紙のマスクが店頭から姿を消している。けれども、罹患者が他者への伝染を防ぐ効果は紙マスクには期待できるが、ウイルスは極小さな粒子であるので、紙マスクをしているからといって「予防」にはあまり役に立たないことは、冷静に知られるべきだろう。紙マスクを利用すればわかるが、鼻と肌のあいだに、まったくマスクが覆わない部分が、よほど注意しないと生じるし、そもそもウイルスの粒子の大きさは、一般的(特殊に繊維の細かいものを除く)な紙マスクであれば、通り抜けてしまう。

売り切れた紙マスクが手に入らず、途方に暮れる方々は、綿の布を水に浸してその上からタオルを巻く(見かけは悪いが)などの手段をとる方が、簡単で有効だ。

(本稿は医学に造詣の深い複数のかたのアドバイスをいただき構成した)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

月刊『紙の爆弾』2020年3月号 不祥事連発の安倍政権を倒す野党再建への道筋

『NO NUKES voice』22号 新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて

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2月になっても黄色い実をつけている信夫山のユズ。福島市のユズは出荷制限が継続している

毎年恒例の「信夫三山暁まいり」を翌日に控えた今月9日、福島市北部の信夫山(しのぶやま)中腹にはユズ(柚子)の黄色い実が冬枯れの木々の中で一層、鮮やかな色を見せていた。かつて「ユズ栽培の北限」と言われた信夫山。しかし本来であれば、この時期にユズの黄色い色が映える事は無いはずだ。熟しすぎて落下したユズの実には、鳥がついばんだ跡があった。季節外れの景色は一見、美しい。しかしこれもまた、2011年3月の原発事故がもたらした影響だった。信夫山ガイドセンターのガイドスタッフが残念そうに語った。

「原発事故が起きる前は、だいたい12月中にはある程度収穫されていました。でも、原発事故で国の出荷制限がかかっているから収穫出来ない。だから、2月になっても実がついてる。きれいかもしれないけど、これは本来の景色では無いんです」

今さら言うまでも無く、福島第一原発の爆発事故に伴う放射性物質の飛散は60km離れた福島市にも及んだ。2011年6月20日の福島市の測定では、信夫山ふもとの「所窪団地公園」で空間線量は2.61μSv/hに達した。福島県のホームページでさかのぼれる最も古いデータでも、2012年9月6日正午時点で「信夫山公園」の空間線量は1.46μSv/hだった。同日同時刻の「信夫山子供の森公園」では1.27μSv/h。事故が起きる前は0.04μSv/h前後だったから、原発事故から1年半が経過しても実に31倍から36倍もの汚染状況だったのだ。

信夫山のユズ畑の中には、いまだに空間線量が0・3μSv/hを上回る場所もある

「福島県福島市及び南相馬市において産出されたゆずについて、当分の間、 出荷を差し控えるよう、関係自治体の長及び関係事業者等に要請すること」

2011年8月29日、当時の菅直人首相(原子力災害対策本部長)が佐藤雄平知事(当時)に対し、出荷制限を指示した。その5日前に行われたサンプリング検査で680Bq/kg、760Bq/kgという高い数値が検出されていた。国の指示は「当分の間」だったが、出荷制限は今も解除されていない。

福島県農林水産部園芸課の担当者は「出荷制限解除の考え方は、1本でも基準値を超えるユズの木が出てしまったとかそういう事では無くて、危険な物が含まれていないという事を示せなければいけません。そのためには、栽培の状況を確認した上でモニタリング検査をして、基準値を超過していない事を確認する必要があります。それがある程度確認出来た段階で県から国に解除を申請します」と説明する。

「でも、まだモニタリング検査をするまでに至っていないんです」と担当者は話す。

出荷制限を受け、福島県が作成した注意喚起のチラシ。出荷制限解除の見通しは全く立っていない

「そもそも、基準値を超えるようなユズの木がどのくらいあるのか分かっていないんです。しっかり管理されて栽培されているものばかりであれば把握しやすいのですが、庭先で小規模に育てているものもあります。ユズ栽培の実態がどうなっているのか、今は福島市やJAと調べている段階です。なので、今の段階で公表出来る数値はありません。まずは実態把握をしているという事です」

9年という歳月を経ても、出荷停止解除の見通しさえ立っていない。いや、見通し以前の段階だと言わざるを得ない。これが信夫山のユズを取り巻く現状だった。これが原発事故が奪ったものの大きさだった。

福島市農業振興課の担当者も「まだ出荷制限解除を口に出来る段階ではありません」と話す。だが、福島県の検査でも、2018年11月20日の段階で検出された放射性セシウムは5.70Bq/kgにとどまっている。何がネックとなっているのか。そこにはユズの特性があるという。

「リンゴやモモですと、1本の木になる実に含まれる放射線量はだいたい同じです。逆にユズはバラバラなんです。しかも規則性・法則性がありません。しかも、前年に『不検出』だった木でも、今年測ったら高い数値が出る場合もあるんです。他の果物だと、いったん数値が下がったら上がる事はほとんど無いのですが、ユズは残念ながらそうでは無いのです。仮に費用も人手もかけて全部の実を測ったとしても、もう放射性物質が検出されないと言い切れません。そこがユズの難しいところなのです」

現実的には、福島市内の全てのユズの実を検査する事など不可能だ。しかも、他の果物と違い、農園のようにきちんと管理された状態で栽培されている木ばかりでなく、庭で小規模に育てて直売しているケースもある。「JAを通してある程度、大規模に出荷しているようなものは追跡出来ますが、そうでない物はそもそも把握が難しい」(福島市農業振興課)。現在、栽培農家に調査票を配って把握に努めている段階だという。

信夫山に仮置きされている除染廃棄物。順次、中間貯蔵施設に運ばれる

過去には、当時の佐藤雄平知事が米の〝安全宣言〟を発した直後に基準値を上回る数値が検出されてしまった事もあり、福島市農業振興課の担当者は「全体として数値は下がる傾向にあり、その意味では安全だと言えます。でも、もし出荷制限解除後に100Bq/kgを超えるユズが出てしまったら、風評などより悪い結果を招いてしまいます。今の段階で焦って解除を求めてはいません。福島市にとってユズは大切なものですから、どうしても慎重にならざるを得ない部分はありますね」と話した。

信夫山を散歩する親子。被曝リスクを心配する人は表面的には少なくなった。一方で「心配してもしかたない」との想いもある

前述のガイドは、市街地を見下ろしながらこうも言った。

「原発事故直後は、面白半分と言うのかなあ、興味本位と言うべきか、われわれにとっては不愉快でしたけど『原発の状況どうですか?』なんて尋ねられる事も多かったですよ。そんな事を尋ねるためにわざわざ福島に来たのか、と面白くは無かったですよね。別にそれほどの影響というか、この辺りは浜通りに比べればそれほど放射線量が高かったわけでは無いのにね。食べ物にしたって、全部検査しているのは全国で福島県だけだから。店で販売されているものは全て検査をクリアして安全なもの。むしろ他県より安全なんだよ」

顔は笑っていたが、明らかに不快感がにじんでいた。

原発事故から2年後の2013年からは、「信夫三山暁まいり」の初日に「福男・福女競走」が行われるようになり、初代福女は中学生。今年も福島市内の中学生が福女になった。

地元で暮らす人々にとっては、街のシンボルである信夫山がいまだに汚染されていると思われるような状態は確かに不愉快だろう。だが一方で、信夫山中腹のユズ畑で、筆者が持参した線量計は場所によっては0.3μSv/hを上回った。さらに山を登ると、公園の奥には除染で取り除かれた汚染土壌などが仮置きされて搬出の順番を待っている。残念ながら、原発事故の影響は今も続いている。出荷制限などほど遠いユズの状況がそれを端的に物語っている。

▼鈴木博喜(すずき ひろき)
神奈川県横須賀市生まれ、48歳。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

月刊『紙の爆弾』2020年3月号 不祥事連発の安倍政権を倒す野党再建への道筋

『NO NUKES voice』22号 2020年〈原発なき社会〉を求めて

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