毎年恒例の「信夫三山暁まいり」を翌日に控えた今月9日、福島市北部の信夫山(しのぶやま)中腹にはユズ(柚子)の黄色い実が冬枯れの木々の中で一層、鮮やかな色を見せていた。かつて「ユズ栽培の北限」と言われた信夫山。しかし本来であれば、この時期にユズの黄色い色が映える事は無いはずだ。熟しすぎて落下したユズの実には、鳥がついばんだ跡があった。季節外れの景色は一見、美しい。しかしこれもまた、2011年3月の原発事故がもたらした影響だった。信夫山ガイドセンターのガイドスタッフが残念そうに語った。
「原発事故が起きる前は、だいたい12月中にはある程度収穫されていました。でも、原発事故で国の出荷制限がかかっているから収穫出来ない。だから、2月になっても実がついてる。きれいかもしれないけど、これは本来の景色では無いんです」
今さら言うまでも無く、福島第一原発の爆発事故に伴う放射性物質の飛散は60km離れた福島市にも及んだ。2011年6月20日の福島市の測定では、信夫山ふもとの「所窪団地公園」で空間線量は2.61μSv/hに達した。福島県のホームページでさかのぼれる最も古いデータでも、2012年9月6日正午時点で「信夫山公園」の空間線量は1.46μSv/hだった。同日同時刻の「信夫山子供の森公園」では1.27μSv/h。事故が起きる前は0.04μSv/h前後だったから、原発事故から1年半が経過しても実に31倍から36倍もの汚染状況だったのだ。
「福島県福島市及び南相馬市において産出されたゆずについて、当分の間、 出荷を差し控えるよう、関係自治体の長及び関係事業者等に要請すること」
2011年8月29日、当時の菅直人首相(原子力災害対策本部長)が佐藤雄平知事(当時)に対し、出荷制限を指示した。その5日前に行われたサンプリング検査で680Bq/kg、760Bq/kgという高い数値が検出されていた。国の指示は「当分の間」だったが、出荷制限は今も解除されていない。
福島県農林水産部園芸課の担当者は「出荷制限解除の考え方は、1本でも基準値を超えるユズの木が出てしまったとかそういう事では無くて、危険な物が含まれていないという事を示せなければいけません。そのためには、栽培の状況を確認した上でモニタリング検査をして、基準値を超過していない事を確認する必要があります。それがある程度確認出来た段階で県から国に解除を申請します」と説明する。
「でも、まだモニタリング検査をするまでに至っていないんです」と担当者は話す。
「そもそも、基準値を超えるようなユズの木がどのくらいあるのか分かっていないんです。しっかり管理されて栽培されているものばかりであれば把握しやすいのですが、庭先で小規模に育てているものもあります。ユズ栽培の実態がどうなっているのか、今は福島市やJAと調べている段階です。なので、今の段階で公表出来る数値はありません。まずは実態把握をしているという事です」
9年という歳月を経ても、出荷停止解除の見通しさえ立っていない。いや、見通し以前の段階だと言わざるを得ない。これが信夫山のユズを取り巻く現状だった。これが原発事故が奪ったものの大きさだった。
福島市農業振興課の担当者も「まだ出荷制限解除を口に出来る段階ではありません」と話す。だが、福島県の検査でも、2018年11月20日の段階で検出された放射性セシウムは5.70Bq/kgにとどまっている。何がネックとなっているのか。そこにはユズの特性があるという。
「リンゴやモモですと、1本の木になる実に含まれる放射線量はだいたい同じです。逆にユズはバラバラなんです。しかも規則性・法則性がありません。しかも、前年に『不検出』だった木でも、今年測ったら高い数値が出る場合もあるんです。他の果物だと、いったん数値が下がったら上がる事はほとんど無いのですが、ユズは残念ながらそうでは無いのです。仮に費用も人手もかけて全部の実を測ったとしても、もう放射性物質が検出されないと言い切れません。そこがユズの難しいところなのです」
現実的には、福島市内の全てのユズの実を検査する事など不可能だ。しかも、他の果物と違い、農園のようにきちんと管理された状態で栽培されている木ばかりでなく、庭で小規模に育てて直売しているケースもある。「JAを通してある程度、大規模に出荷しているようなものは追跡出来ますが、そうでない物はそもそも把握が難しい」(福島市農業振興課)。現在、栽培農家に調査票を配って把握に努めている段階だという。
過去には、当時の佐藤雄平知事が米の〝安全宣言〟を発した直後に基準値を上回る数値が検出されてしまった事もあり、福島市農業振興課の担当者は「全体として数値は下がる傾向にあり、その意味では安全だと言えます。でも、もし出荷制限解除後に100Bq/kgを超えるユズが出てしまったら、風評などより悪い結果を招いてしまいます。今の段階で焦って解除を求めてはいません。福島市にとってユズは大切なものですから、どうしても慎重にならざるを得ない部分はありますね」と話した。
前述のガイドは、市街地を見下ろしながらこうも言った。
「原発事故直後は、面白半分と言うのかなあ、興味本位と言うべきか、われわれにとっては不愉快でしたけど『原発の状況どうですか?』なんて尋ねられる事も多かったですよ。そんな事を尋ねるためにわざわざ福島に来たのか、と面白くは無かったですよね。別にそれほどの影響というか、この辺りは浜通りに比べればそれほど放射線量が高かったわけでは無いのにね。食べ物にしたって、全部検査しているのは全国で福島県だけだから。店で販売されているものは全て検査をクリアして安全なもの。むしろ他県より安全なんだよ」
顔は笑っていたが、明らかに不快感がにじんでいた。
原発事故から2年後の2013年からは、「信夫三山暁まいり」の初日に「福男・福女競走」が行われるようになり、初代福女は中学生。今年も福島市内の中学生が福女になった。
地元で暮らす人々にとっては、街のシンボルである信夫山がいまだに汚染されていると思われるような状態は確かに不愉快だろう。だが一方で、信夫山中腹のユズ畑で、筆者が持参した線量計は場所によっては0.3μSv/hを上回った。さらに山を登ると、公園の奥には除染で取り除かれた汚染土壌などが仮置きされて搬出の順番を待っている。残念ながら、原発事故の影響は今も続いている。出荷制限などほど遠いユズの状況がそれを端的に物語っている。
▼鈴木博喜(すずき ひろき)
神奈川県横須賀市生まれ、48歳。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。