◆被告になった「上級国民」たち
2月17日、トヨタレクサスの暴走死亡事故を起こした、元東京地検特捜部長の石川達紘被告(弁護士・80歳)に対する初公判が東京地裁で開かれた。起訴事実は自動車運転死傷処罰法違反(過失運転致死)である。
車載の事故記録装置などをもとに「被告が運転操作を誤った」とする検察側に対し、石川の弁護側は「車に不具合があり勝手に暴走した。(石川の)過失はなかった」と無罪を主張した。石川が無罪となれば、トヨタの技術の粋を凝らしたレクサスに何らかの不具合があったことになり、トヨタのブランドは大きく傷つくことになる。かつて検察のエースと呼ばれた男と、日本を代表する自動車メーカーの法廷闘争の始まりである。
いっぽう、元通産官僚の飯塚幸三(88歳)の起訴も確定した。池袋母子轢殺暴走事件で逮捕されなかった「上級国民」である。石川被告も逮捕されていないので、あらためてアンタッチャブルな「上級国民老人」の裁判が注目を浴びることとなったわけだ。このふたりの「暴走老人」の事件は、何度でもネットで報じることで記憶から消してはならない。
とくに記憶を喚起しなければならないのは、石川達紘が死亡させた被害者を気遣うこともなく「はやくここから俺を出せ!」と通行人に命じ、「俺ではなく、クルマが悪いのだ」と今も明言していること。さらには被害者遺族に「後日、保険会社から連絡します」と、同僚弁護士に言わしめたこと、そもそも20代の美女とゴルフに行くために、結果的に100キロの猛スピードで事故を起こしたこと。そして飯塚幸三が「アクセルがもどらなかった」「(予約の)フレンチに遅れるから急いだ」「メーカーは老人が安全に乗れる自動車を造るよう、心がけてほしい」と明言し、これも100キロを超すスピードで事故を起こしたことであろう。石川は犠牲者遺族と示談したが、飯塚は謝罪すらまともに行なっていないのだ。
◎[参考動画]「天地神明に誓って…」元特捜部長が起訴内容を否認(ANN 2020/02/18)
◆勲章を剥ぎ取れ?
この二つの事件を忘れてはならない理由のひとつは、いうまでもなく二人が瑞宝重光章の受賞者であり、アンタッチャブル(逮捕無用)な存在だからである。本欄で何度も論じてきたが、日本の人質司法はカルロス・ゴーンのような証拠が明白な経営案件(背任罪)でも、長期拘留することで先取りの刑罰を与える。その証拠に、有罪で実刑になったさいに量刑は「懲役〇〇年、未決参入〇年〇月」と宣告される。未決拘留が実質的に刑罰であることを、裁判所が認めているということなのである。
そのいっぽうで、今回のように受勲者は人質司法(逮捕・勾留・拘置)から除外されているのだ。これではもはや、法の下の平等がないに等しい。そしておそらく、高齢者の事犯ということで有罪になっても執行猶予が付されるだろう。特権階級としての「上級国民」は言うまでもなく、象徴天皇制の実質である。身分差別や民族排外主義ではなく、いわば国民融和の柱として律令制いらいの叙位叙勲が生きている事こそ、もっと論じられなければならない。
◎[参考動画]池袋暴走事故 元院長はなぜ在宅起訴なのか (FNN 2020/02/06)
ところで、その瑞宝重光章がどれほどのものかというと、旧叙勲制度では「勲二等」である。菊花章の次に格が高く、同格の旭日章よりも、やや大衆的なものといえばイメージがつかめると思う。春秋の叙勲者を約8000人(年間)として、瑞宝重光章は70~80人である。おいそれと貰えるものではないのだ。勲章自体がスポーツ選手でも貰える紫綬褒章などの褒章よりも重く、長年の国家および公共への功績という要件がある。
今回、ふたりの「上級国民」が有罪判決を受けた場合、瑞宝重光章は剥奪されるのだろうか。アテネオリンピックと北京オリンピックの柔道金メダルリスト、内柴正人が準強姦事件で懲役5年の実刑判決をうけ、全柔連から永久追放処分を受けたのは記憶に新しい。このとき内柴は紫綬褒章を剥奪されている。
その法的な根拠は「勲章褫奪令(くんしょうちだつれい)」という古い政令である(明治41年公布、平成28年改正)。この政令の第1条によると、勲章を有する者が死刑・懲役・無期もしくは3年以上の禁錮刑に処せられた場合、その勲章は取り上げられるとなっている。
◆勲章褫奪令
一条
勲章ヲ有スル者死刑、懲役又ハ無期若ハ三年以上ノ禁錮ニ処セラレタルトキハ其ノ勲等、又ハ年金ハ之ヲ褫奪セラレタルモノトシ外国勲章ハ其ノ佩用ヲ禁止セラレタルモノトス但シ第二条第一項第一号ノ場合ハ此ノ限ニ在ラス
②前項ノ場合ニ於テハ勲章、勲記、年金証書又ハ外国勲章佩用 免許証ハ之ヲ没取ス前級ノ勲記ニ付亦同シ
第二条
勲章ヲ有スル者左ノ各号ノ一ニ該当スルトキハ情状ニ依リ其ノ勲等、又ハ年金ヲ褫奪シ外国勲章ハ其ノ佩用ヲ禁止ス
一 刑ノ全部ノ執行ヲ猶予セラレタルトキ
二 三年未満ノ禁錮ニ処セラレタルトキ
三 懲戒ノ裁判又ハ処分ニ依リ免官又ハ免職セラレタルトキ
四 素行修ラス帯勲者タルノ面目ヲ汚シタルトキ
つまり、3年以下の禁固刑か執行猶予であれば、第2条の「情状」により勲章・年金は剥奪されないことになる。ちなみに、カルロス・ゴーンは「素行修ラス帯勲者タルノ面目ヲ汚シタルトキ」に当たるとされた場合、やはり「情状」によって剥奪されることになる。
いずれにしても、叙位叙勲なる制度がおそらく国民の0.8%(同一世代100万人に対して8000人)とはいえ、身分差を作り出していること。そして今回明らかになったように、逃亡の怖れがないとか何とかの理屈付けはともかく、先行刑罰としての逮捕・勾留・拘置から自由であるという事実。これこそ指弾されなければならない。4月29日と11月3日の叙勲の日に「勲章なんかやめろデモ」でも組織してみるか、である。
もうひとつ、この「上級国民」二人の「犯行」で忘れてならないのは、80歳を超えんとする後期高齢者(石川は事件時78歳だった)が、走る凶器を運転していいのかということだ。自動車運転が事故から無縁でないことは、わたしのような慎重なドライバーでも事故を起こしたことはあるし、クルマを手放して自転車に乗り換えても二度、自動車ドライバーの不注意(後方確認なしのドア開け)などで事故に遭っているのだ。
そしてそもそも自動車および自動車産業は、戦争経済の延長に戦車や戦闘機をクルマの形にかえて、高速運転による人間の闘争本能を刺激しつつ、意味のないモータリゼーション(遠隔地からの商品輸送・高速ドライブ・煽り運転)をもたらしてきたのだ。これについてはテーマを変えて論じたいが、80歳で運転するという信じられない行為から指弾されるべきであろう。
▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業。「アウトロージャパン」(太田出版)「情況」(情況出版)編集長、最近の編集の仕事に『政治の現象学 あるいはアジテーターの遍歴史』(長崎浩著、世界書院)など。近著に『山口組と戦国大名』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『男組の時代』(明月堂書店)など。