女性天皇・女系天皇論議は、なかなか俎上にのぼらない。というのも、世論の動向がはなはだしく、女性天皇容認に傾いているからだ。産経新聞とFNN(フジテレビ)が昨年5月に行なったアンケートによると、女系天皇(単に女性天皇ではなく、女性天皇の子女が皇位に就く)に賛成が62.3%、女性宮家の創出は67.8%だった。朝日新聞の世論調査(昨年4月)では、女性天皇に賛成が76%、女系天皇74%の賛成だった。毎日新聞の調査でも、女性天皇の賛否は、賛成が68%、反対は12%にとどまった。2017年のデータになるが、共同通信による女性天皇賛否の調査では、じつに86%が賛成だった。

世論の圧倒的多数は、女性天皇・女系天皇に賛成しているのだ。それゆえに、安倍政権はみずから呼びかけてきた「国民的な議論」を封じるかのごとく、国会でもこの議論を避けている。たとえば「週刊朝日」(3月6日号)に掲載された「有識者会議の座長代理を務めた2人が皇位継承問題を語る」において、園部逸夫(元最高裁判事・外務省参与)と御厨貴(東大名誉教授・人サントリー文化財団理事)は、国民の圧倒的な女性天皇支持、女性宮家創出賛成の世論を怖れて、安倍晋三総理が議論を封印したと批判している。

つまり国民的な議論をしてしまえば、あっさりと女性天皇が認められてしまいかねない。これは自衛隊合憲論(9条加筆案)と同じく、国民投票にかけることによって、自衛隊の非合憲が決定されかねない、政権にとってはアンビバレンツな問題だということなのだ。

いっぽう、女性天皇賛成論について、左翼系の天皇制廃絶論者からは「天皇制をみとめることになる」「女性天皇賛成ではなく、天皇制の廃絶を」という批判がある。これは本土移転による沖縄基地の撤去論(沖縄米軍基地引取り運動)に対する「基地の存在をみとめるのか」という批判にかさなる。議論はおおいに尽くすべしというのが私の立場だが、天皇制廃絶や米軍基地撤去を、ただ念仏のように唱えていても何も動かないのは、戦後の歴史が教えるとおりであろう。

むしろ保守系の論者の中から、第三皇位継承権を持つ悠仁親王の帝王教育を、自由主義的な秋篠宮家に任せていていいのか。「昭和天皇の杉浦重剛や上皇陛下の小泉信三のような外部の教育掛(教育係)が必要なのではないか」(宮内庁関係者、週刊文春デジタル)という矛盾すら生まれている。その自由主義的な秋篠宮家においてすら、眞子内親王の自由恋愛結婚において矛盾が生じているのだ。すなわち、皇室と天皇制の民主化がそれ自体の危機につながる、ということにほかならない。したがって女性天皇の実現は、単に女権拡張的なフェミニズムの課題だけでなく、天皇制がほんらい持っている矛盾、つまり擬制の身分制・封建制が象徴天皇のアイドル化という自由化のなかで、崩壊をもたらす危機をもたらすのだ。このような視点のもとに、女帝論をめぐる議論のために史料研究が必要である。

◆女帝議論の動向

保守系の論者は「歴史上の女帝は中継ぎにすぎない」「皇統は歴史的に男系男子である」というが、じつは史実はそうではない。意志的に皇位を獲得し、あるいはみずからの皇位を冒す者を排した古代の女帝たち。そして女系女帝(母親が天皇の女帝)すら存在したことを、史実を知らない者たちが議論しているのが現状なのだ。

そこで、あらためて一次史料と最新の研究書・論考を読み込みんだレポートを送りたい。さらには大学や学会など、研究機関の研究者にはとうてい成しえない大胆な仮説をもとに、古代の女帝たちからの証言を明らかにしていこう。あなたも目から鱗が落ちる、衝撃的な歴史体験をともに味わってほしい。

◆神託の巫女

 「元始、女性は実に太陽であった」(『青鞜』平塚らいてう)。

わたしたちが知る神話世界では、天照大御神が母なる神であって、皇祖は女性神ということになる。これは現実の歴史(持統天皇の時代)を、神話の物語に反映したものであろうか。日本神話の世界は謎にみちている。神話をなぞりながら、史実に近づいてみよう。

そこで神話から現実の歴史に降り立つと、史実の女王が卑弥呼と呼ばれた文献に行きあたる。卑弥呼という蔑称は、魏史の編纂者による当て字であろう。おそらく日巫女(ひみこ)、もしくは姫皇女(ひめみこ)、姫子(ひめこ)などが本来の呼び名だと考えられる。

よく「卑弥呼」という名前が好きだという方もいるが、ひらたく訳せば「卑しいとあまねく呼ばれている」というのが「卑弥呼」の語意なのである。「魏志」篇者の悪意すら感じられる。

その「魏史」の「倭人伝」につたわる邪馬台国の女王は、卑弥呼から台与に代をかえて、三十余国からなる連合国家の統治を行なった。いずれも男王のもとでは「相誅殺し」「相攻伐する」状態になった結果、和平のために女王が共立されたのである。

卑弥呼は「鬼道につかえ、よく衆をまどわす」と、倭人伝に記述されている。鬼道については諸説あるが、呪術であり神のお告げ。すなわち神託であろう。
そう、巫女の神託こそが、古代国家統合の背骨だったのだ。神のお告げをつたえる女性は、その意味では国家(共同体)の太陽だったといえよう。その太陽はしかし、王国の実権者だったのだろうか。

魏史倭人伝はこう伝える「夫婿なく、男弟あり、たすけて国を治める。女王となっていらい、姿を見た者は少なく、婢(ひ)千人を仕えさせている。ただ男子あり、飲食を給し辞をつたえ居処に出入りする」

どうやら弟が政治を行ない、給仕をする男性が彼女の神託を宮殿の外につたえていたようだ。倭国は三十余国からなる連合国家なので、諸国王たちが合議したものを卑弥呼に占なってもらい、その神託を決定事項とした。このような統治形態が考えられる。

その場合、卑弥呼は女王でありながら、呪術をもっぱらとする祭司ということになる。つまり太陽ではあったが、政治的な実権者ではないようだ。にもかかわらず、千人の婢(女性奴隷)を使い、その死にさいしては径百歩(歩いて百歩の大きさ)の塚がつくられ、百余人の奴婢が徇葬(殉死)した。祭司の権力が、政治的な実権者に劣らない証しである。

卑弥呼・台与のつぎに巫女の神託が政治舞台に登場するのは、古代王朝最後の女帝・孝謙(称徳)天皇の世になる。それまでしばらくは、古代王朝の辣腕女帝たちの活躍を紹介しよう。保守系の論者が「歴史上の女帝は中継ぎにすぎない」「皇統は歴史的に男系男子である」というのが、いかに史実を知らない主張であるかを、明らかにしていこうではないか。

◎[カテゴリーリンク]天皇制はどこからやって来たのか

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など多数。

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