先日、ある死刑被告人に面会取材するために東京拘置所を訪ねたところ、不可解な出来事があった。施設に入る際、待機していた職員に「弁護士か否か」を確認され、「違う」と答えたら、「新型コロナウイルス対策の検温に協力して欲しい」と求められたのだ。

このご時世、もちろん検温には応じたが、疑問が残った。刑事施設はどこも平時から、弁護士の面会については、手荷物検査を免除したり、面会時間を長くしたりと、様々な点で一般の面会と扱いが異なるが、それらはすべて被収容者の権利擁護のためだと理解できる。しかし、新型コロナウイルス対策の検温について、弁護士とその他の来訪者を区別する必要は何かあるだろうか?

その職員は、「上から、そうするように言われたんです……弁護士の方は、弁護士会で徹底するそうです」と説明したが、ますます意味がわからない。弁護士会が所属弁護士に対し、新型コロナウイルスに感染しないことや、感染した場合に拘置所や刑務所で感染を拡大させないことを徹底できるはずがないからだ。

実際、他地区の弁護士によると、東京拘置所以外の刑事施設では、弁護士もその他の来訪者同様、入場前に検温をされている例もあるという。

◆弁護士に対する検査は「入場後」に行っていた……

そこで、なぜ、弁護士には入場前の検温を要請しないのかについて、東京拘置所に正式に取材を申し入れた。すると、総務部の職員から電話で次のような回答があった。

「弁護士の方については、拘置所内にある弁護士専用の待合室に入ってから、サーモグラフィーカメラで検査させてもらっています。そのうえで必要があれば、検温もさせてもらっています。ただ、このような対策を始めてから、弁護士の方が検温で発熱が確認された例はありません。一般の方は、発熱が確認された方がこれまでに1人いて、入場をお断りしましたが」

入場前の検温が弁護士だけは免除されている東京拘置所

東京拘置所は元々、弁護士とそれ以外の来訪者では、面会の受付窓口も待合室も別々になっている。それゆえに検温をする場所も違うということのようだ。ただ、弁護士だけは検温をせず、拘置所の建物内に入れていることに変わりはなく、それが新型コロナウイルス対策として適切と言えるかは疑問だ。

では、もしも今後、弁護士が専用の待合室に入ってからの検査で発熱が確認されることがあったらどうするのか? その点も質問したところ、その総務部の職員の回答は歯切れが悪かった。

「実際にそうなってみないとわかりませんが……その場合、入場をお断りするというより、入場しないようにお願いすることになるかもしれません。あくまでお願いベースだと思います」

拘置所や刑務所は現在のコロナ禍において、クラスターの発生が最も恐れられている場所の1つだ。しかし一方で弁護士の面会については、下手に制限すれば、弁護士や被収容者から反発され、面倒な事態になりかねない。この総務部の職員の話しぶりからは、東京拘置所がそのあたりのバランスに苦慮している様子が窺えた。

実際問題、全国各地の刑事施設で職員や被収容者が新型コロナウイルスに感染したというニュースがぽつぽつと報じられている。他ならぬ東京拘置所でもすでに被収容者の感染例が確認されている。「弁護士も入場前に検温しておけばよかった」という事態にならないように願いたい。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。原作を手がけた『マンガ「獄中面会物語」』【分冊版】第11話・筒井郷太編(画・塚原洋一/笠倉出版社)がネットショップで配信中。

月刊『紙の爆弾』2020年9月号【特集】新型コロナ 安倍「無策」の理由

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

◆目指すは名門黒崎道場

佐藤正男(さとう・まさお/山形県酒田市出身/1963年3月12日生)は幼少期から格闘技に興味を示し、黒崎道場に入門後も人知れず探究心を持って格闘人生を歩んだ。

小柄だが強かったマーノーイ・サクナリンにKO勝利(1991.10.19)

小学1年生で中国拳法を習い、高校1年生で極真空手を始めた。20歳で大道塾総本部(宮城県仙台市)入門。しかし大道塾だけの修行ならば、同期らとの差は簡単には付かないだろうと考えた佐藤正男は大道塾と平行して、キックボクシング仙台青葉ジムにも入門し、通い始めた。

初めてのキックボクシングの練習は、アマチュアとは違うマンツーマンの指導と僅かなフォームの矯正も徹底していて、プロへの道を強く意識することとなった。仙台青葉ジムはヤンガー舟木など名選手が揃う大手ではあるが、東京で勝負したかった佐藤正男は、「やはり、ラジャダムナン王座に上りつめた藤原敏男が所属した黒崎道場しかない!」と考え、21歳となったばかりの1984年(昭和59年)3月末に上京。4月1日、新格闘術・黒崎道場入門。

そこはやはりプロの世界。「しばらく通い始めて、ミット打ちミット蹴りサンドバッグ打ちも、初級同然だった!」という。

そしてまた思い立ったらすぐ行動に出る佐藤正男。「やはりキックボクシングとしては、パンチに関しては幾ら頑張ってみても、黒崎先生には大変申し訳ないが、全盛のトーマス・ハーンズ、ロベルト・デュランの様なパンチの技術、連打やその強さを百分の一たりとも習得することなど無理だろう!」と自問自答。

不破龍雄にはヒジで切られて流血の惜敗(1992.4.25)

◆デビュー戦に向けた練習

そして、黒崎代表には内緒で帝拳ジムへも入門。そこでは当時トレーナーであった元・世界ジュニアライト級チャンピオン、小林弘氏の指導を受ける機会を得た。周りを見ればKOキング浜田剛史は居る、穂積秀一は居る、それに他のジムから続々と出稽古に来る日本・世界ランカーらとのスパーリング等を連日目の当たりにして、
「パンチの技術は拳法、空手、キックと比べれば雲泥の差。プロボクシングとはこんなにも凄いのか!」という率直な感想。

そして、黒崎道場入門から1年近く経った頃には格段に進歩。黒崎代表も、さすがに何百人と指導していた経験で、“進歩の過程が他の奴とはちょっと違うな”と気付いた様子で、「お前、格段と上手くなったな、何でだ?」と聞かれて、「先生の指導を基本にボクシングやキックのビデオ等を繰り返し見て、自分なりに研究しました!」と言うと、「ああそうか!」と納得させてしまった。

打撃だけで飽き足らない佐藤正男は、その頃まで喧嘩では一度も負けたことがなかったと言うが、体の大きな奴に組まれたりすると押される場合があって、組技の重要性を認識。そこで文京区春日の講道館に入門。

「乱取りでは、初段クラス程度ならば力でなんとかねじ伏せた事もあったものの、三段クラスになると全く歯が立たなかった。柔道ってこんなにも強いものだったのか!」という新たな経験値となった。 それまでにボクシングやキックをわずかでも習得した佐藤正男には、空手は空手、柔道は柔道、ボクシングはボクシング、それぞれの競技の対比は強い弱いではない、全く別個性を持った競技なのだと体験をもって感じていた。

その中で、黒崎道場で行なう筋トレなどをはるかに超える圧倒的なパワーの必要性をも痛感していた佐藤は、近くのウェイトトレーニングセンターにも通い始め、このパワーアップトレーニングは何年も継続し、講道館での柔道は黒帯を取得。

あらゆる技術をマスターした佐藤正男のキックボクシングプロデビュー戦は1986年(昭和61年)6月28日、堂々たる試合運びで2ラウンドKO勝利を飾った。

選手入場シーン、不破との戦いに挑む前のリング下(1993.4.17)

◆渡辺ジムへ移籍

黒崎道場は目黒ジムに対抗する業界トップクラスの名門だったが、藤原敏男が引退した1983年(昭和58年)春には実質閉鎖されたジムだった。しかし名門だけに入門希望者は絶えなかった。そこで黒崎氏は若者を受け入れる鍛錬の場は残されたが、佐藤正男の入門当時は、黒崎代表から「望むなら幾らでも試合に出してやる。」と言われたが、現実的には自主興行は無く、入門後4年間でたったの3試合のみ。

そんな時期、夜は黒崎道場に通い、夕方迄の時間や日曜・祝日は可能な限り、帝拳ジム、講道館、ウェイトトレーニング、あとは重労働の仕事(体力を使う職種で入社10人中10人辞める程の会社)という目まぐるしい生活。

更にはムエタイにも興味を示し、休暇が取れる程度の短期間ながらタイに渡り、当時、ディーゼルノイやチャムアペットなどスーパースター級が揃っていたハーパランジムで修行。日本のジムとは別世界の、行なうもの全てが斬新な練習で本場の強さを実感した。

20代前半、黒崎道場入門からの4~5年は試合は少なかったが、自身最も過酷なスケジュールで駆け抜けた時期だった。

ここでプロ生活の分岐点。経緯は省くが、実戦を積みたかった佐藤正男は黒崎健時代表に相談し、日本キックボクシング連盟の渡辺ジムに移籍することが決まり、黒崎健時氏と渡辺信久会長が対面することになった。

黒崎健時氏は「佐藤正男は藤原敏男と同じく21歳で私の所へ来た。何とか形を作ってやりたかったが、ジムそのものを閉鎖した後だったから、5年居たが何も残してやれなかった。その正男が君の所へ行きたいと申し出て来た。正式に移籍させたいので正男のこと、どうか宜しくお願いします!」と渡辺会長に頭を下げられたという。

あの“鬼の黒崎”が自身より若輩者に頭を下げるとは。渡辺会長も恐縮することしきり。目の当たりにした佐藤正男は黒崎代表に対し、黒崎道場出身として恥じないキックボクシング人生を送る誓いを告げるのだった。

そして渡辺信久会長にしても責任重大。

「佐藤、覚悟を決めて送り出されてここに来たなら、そのつもりでしっかりやれよ、こっちもそのつもりで教えてやる。多少勝ち続けたとしてもこの世界、戦積・キャリアがないとナメられるぞ!」と聞かされた。

この渡辺ジム移籍は1988年(昭和63年)5月20日。そんな試合に飢えている佐藤正男は、「交流する他団体興行を含め、可能ならばすべての興行に出場させて欲しい!」と嘆願すると、「それは面白い!」と渡辺会長はニンマリ。

◆エース格に君臨

移籍後、豪快に2連勝(2KO)した。移籍3戦目は同年12月16日、初の5回戦で、ベテランの日本キック連盟ライト級1位、元木浩二(伊原)と対戦。渡辺会長も伊原会長も、「この佐藤、キャリアこそ少ないが、あの黒崎道場に4年居て、渡辺ジム移籍後の2戦も圧倒的な勝利だった、元木浩二との対戦は面白いかも!」と思ったのかもしれない。

周囲は「佐藤は元木とやるのはまだ早い!」と言われていたが、1ラウンド後半、佐藤正男が速攻のパンチで3度のダウンを奪ってノックアウト勝利。移籍後、早くもトップクラスに立つ存在となった。

[写真左]一流戦士は体幹が強い、ルーラウィー・サラウィティーにローキックで攻められる(1992.10.10)/[写真右]ルーラウィーに蹴って出ても力及ばず(1992.10.10)

ツーショットでアクシデント(1992.10.10)

その後、ムエタイ戦士との対戦も増えていった。元・ムエタイ3階級制覇のケンカート・シッサーイトーン(タイ)と対戦するも判定負け。

結局移籍後は3年間で20戦程やり、諸々の経緯を経て1991年(平成3年)4月27日、日本キック連盟ライト級チャンピオン、酒井敏文(平戸)に挑戦。判定勝利し初のタイトル獲得。

日本キックボクシング連盟でエース格となった王座獲得後第1戦目では、シームアン・シンスワングン(元・ムエタイランカー)と対戦するが、ハイキック食らったノックダウンで判定負け。

1992年10月、元・タイ国BBTV(タイ7ch)フェザー級チャンピオン、 ルーラウィー・サラウィティーと対戦し、これも重い蹴りとバランス良い組み技に苦しめられ判定負け。本場ムエタイの強さと奥深さを改めて痛感させられる戦いが続いたが、「皆、体幹のバランス良く、当たり前のように強かった。俺が人生を懸けて挑んだムエタイはこんなにも凄いものか、目指した最高峰がとてつもない険しい山だったことに嬉しくさえなった!」と語る。

ラストファイトは1993年4月17日、前年にヒジ打ちで切られて敗れた不破龍雄(北心)にパワーで押し切る雪辱の判定勝利。1994年4月9日、豪勢な引退式を行なった。

不破龍雄と対峙する佐藤正男(1993.4.17)

[写真左]雪辱果たした佐藤正男、パワーで押し切った(1993.4.17)/[写真右]結果的に最後の勝利でのファイティングポーズとなった(1993.4.17)

8年の現役生活で約30戦、日本キックボクシング連盟は他団体から比べれば地味な興行が続く中ではあったが、佐藤正男はここまで人知れずも中身の濃い選手生活だった。

そして数々の格闘技を体験した経験値からトレーナーとしての実力も発揮。渡辺ジムから相原将人、小野瀬邦英ら後輩達のチャンピオン6名の誕生に貢献した。

2011年5月7日には、引退前から日本キックボクシング連盟を後援する会社との縁で知り合った女性と長いお付き合いの末、一般的には難しい靖国神社本殿で結婚式を挙げた。

そんな格闘技人生の中ではジム移籍の経緯、帝拳ジム、大道塾、講道館での存在感、靖国神社でのエピソードも話題が尽きない佐藤正男。また触れることがあれば第2弾を書き綴りたいものである。

引退式が行われた日は後輩の相原将人がフライ級チャンピオンとなった(1994.4.9)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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◆お坊ちゃま宰相は、やはりストレスに弱かった

予想された辞任劇だったが、まずはお疲れ様と申し上げておこう。そして、2期8年8か月におよぶ安倍政権というものが、国民と苦難をともにする指導者集団ではなく、危機において政権を投げ出す無責任な指導者に率いられた集団だったことに思いを致さずにはおれない。二度目の投げ出しである。

持病の潰瘍性大腸炎も、上部消化器系ほどではないが、ストレス性の発作疾患である。第1期においては、お友達内閣の辞任連鎖のはてに、参院選挙における敗北というストレスで政権を投げ出さざるをえなかった。今回は明らかに、コロナ防疫の失敗、その困難さゆえのストレスに負けたのだ。

世の中が好展開しているうちはいいが、いったん困難に向かうと、たちどころにストレスに負けてしまう。これでは政治家の価値はない。安倍晋三という人物は、まさに政治家の土性骨をもたない、お坊ちゃま政治家だったのである。

敗者を鞭打つのは憚られるところだが、何かしら仕事を成したと思っているようなら、その失政は指摘しておかなければならない。あるいはネトウヨ的に責任のない立場から安倍の失政を覆い隠し、何かしら偉業があったかのごとく褒めたたえる向きがあるなら、やはり世紀の失政を明確に批判しておくしかないであろう。


◎[参考動画]安倍首相が辞意表明 「職を辞することとした」 潰瘍性大腸炎が再発(毎日新聞)

◆何も成果がなかった7年8か月

なぜ、これほどまでの長期政権になったのかは、単に安倍が選挙に強いからにほかならない。

しかし、それは「よりましな政治家」「ほかにふさわしい人がいないから」「政治家として見栄えがする」に過ぎない。とにかく演説が無内容にもかかわらず、心地よくひびく、その意味では天才的なアジテーターだったからである。

その著書『美しい国へ』を読めば、その真骨頂はわかるというものだ。何も具体的な内容がないことを、よくここまでイメージで表現できるものだと。そして演説のレトリックにおいては、まさに天才的であった。何度、国会の答弁の場を演説会場にしてしまったことだろう。

政治はしかし、結果がすべてなのである。悪夢のような7年8カ月を検証しようではないか。

政権の最重要課題として、安倍総理は「憲法改正」「拉致問題」「北方領土問題」を掲げてきた。

このうち憲法改正は、辻本清美の「自衛隊が合憲か否かを、国民投票でやっていいんですか? かれらに国民が『違憲だ』とされてもいいんですか?」という、単純きわまりない質問で頓挫した。

そう、自民党の改憲草案および安倍私案は、自衛隊の合憲化にとって諸刃の剣なのである。小心者の安倍は、ついにルビコンを渡れなかった。

拉致問題はどうだろう。

安倍にとってこの問題は、政権獲得の原動力だったばかりではなく、やはり諸刃の剣だった。いったんは北朝鮮の対日大使をつうじて、二度にわたる調査団を派遣するも、結果が思わしくないとなると調査を凍結(ストックホルム合意を反故)してしまった。

拉致された日本人たちが「帰りたくない」と言ったのか、あるいは「全員死亡、未入国」(北朝鮮)が事実だったのか。家族会には何も伝えないまま、北朝鮮が一方的に「調査を中止した」と言いくるめてしまったのだ。調査団は自主的に帰国した。

「北朝鮮による拉致問題は、私の内閣で必ず解決いたします。拉致被害者を最後の1人まで取り戻し、全員が家族と抱き合える日まで、私は必ずやり遂げると国民の皆さまにお約束いします」というのは、嘘となったのである。

いま、家族会をはじめとする拉致問題支援者たちは、安倍の不実を批判しているという。総理の座を射止めた政治テーマにおいて、かれは総理の座を追われたのかもしれない。


◎[参考動画]横田滋さん死去うけ安倍総理「断腸の思い」(2020/06/05)

北方領土問題はどうか? 

この問題は2001年3月、森首相がプーチン大統領とイルクーツク声明を出した会談で、一定の結論は出ていたはずだ。2島(歯舞、色丹)を返し、残り2島(国後、択捉)を並行協議し、車の両輪でやっていくという路線である。安倍の路線も、これと同じだった。

いや、そもそも2島返還は1956年10月に日ソ両首脳が「平和条約締結後に歯舞群島、色丹島を日本に引き渡す」と発表した日ソ共同宣言で、事実上決まっていることなのだ。あとは具体的な作業に入れば事足りるはずだった。

にもかかわらず、プーチンの「領有と主権は別物」などという言葉の詐術に翻弄され、何も作業に着手できなかったのだ。この課題では、むしろ問題の解決は後退したといえよう。


◎[参考動画]「2島返還」軸に 日ロ首脳が交渉加速で一致(2018/11/15)


◎[参考動画]北方領土2島引き渡す場合も 主権は交渉の考え(2018/11/16)

経済政策はどうだったか? 財務省の抵抗を排しながら、リフレ政策に打って出たものの、せっかく刷ったお札を消費市場に開放できなかった。消費こそが経済であることを、ようやく場違いきわまりないGoToトラベルキャンペーンで実現しようとしてみたものの、ぎゃくにコロナ禍を再拡大してしまった。

円安によって大企業の貿易黒字は拡大した結果、一般国民には無関係な株価は上昇した。これが最大の成果かもしれない。

そのいっぽうで、消費税の二度にわたる増税が消費を冷やし、結果的に可処分所得の低下を招いて景気の逓減をもたらした。

小泉政権いらいの労働市場の流動化、すなわち派遣労働者の増加で雇用市場は好転(名目上の有効求人倍率)したが、実質的には貧困層の拡大をもたらし、景気の鈍化を招いたのである。ようするに、アベノミクスは失敗だったのだ。


◎[参考動画]「アベノミクスは破綻では」民主、安倍総理を追及(2014/10/01)

アジア外交は最悪であった。

日韓関係はあたかも戦争前夜かのごとく、半導体材料の輸出規制によって、かえって韓国の国産化を招いてしまった。まともな首脳会談は行われないままだ。北朝鮮との関係は言うまでもなく、対中関係もトランプ外交に振り回されたまま、まともな首脳会談は行われなかった。

日本とアジア諸国のあいだに横たわる歴史観はともかく、首脳同士の信頼関係の欠如(韓国外交筋)が原因であれば、安倍外交の破綻がもたらしたものと言わねばならない。


◎[参考動画]関係改善は? 日韓首脳会談終え総理会見ノーカット(2019/12/24)

国内の諸政策では、安倍の個人的な友人関係・利害関係を優先する汚職が甚だしかった。森友・加計・桜を見る会など、政治の私物化である。そして、官僚に対しても、党内に対しても権力の一極集中を極めることで、政治と行政が硬直化する事態をまねいた。官僚の中から自殺者も出した。


◎[参考動画]森友文書改ざん問題 野党が初めて総理を直接追求(2018/03/19)


◎[参考動画]加計学園で安倍晋三が大興奮3/13福島みずほ:参院・予算委員会(2017/03/13)

ほぼ全面的に、安倍政権の7年8か月は無駄だった。失政の連続であったと言うべきであろう。

かつて、佐藤栄作は密約ぶくみながら「沖縄返還」を実現した。田中角栄は列島改造という政策を、銭まみれの大規模プロジェクトの林立というかたちで実現し、曲がりなりにも経済成長に寄与した。中曽根康弘は国鉄民営化を、小泉純一郎は郵政民営化を、曲がりなりにもやってのけた。しかるに、安倍晋三においては当初の公約、約束した課題を何もなしえなかったのだ。


◎[参考動画]安倍総理 ゴルフ外交“珍プレー”(2019/05/20)

◆言葉に詰まった記者会見

予定されていた28日午後5時からの会見では、例によって記者クラブ幹事社からの質問につづき、個人(フリー)などからいくつか安倍の耳に痛い質問が飛んだ。

メディアとの関係で、記者クラブ優先の会見について、あるいは政治の私物化を批判されて目が宙をおよぐ。いつもは白髪をきちんと染めているのに、このかんはもはや、政権投げ出しの演出をしているかのような状態だった。

あまりにも長かった。国民とその生活に向き合わず、お友達に向き合う政治の私物化。まるで経済というものを知らず、沖縄の犠牲の上にある安全保障を、解釈改憲で危険極まりないものにしてしまった。そして当初の政策は、ついに果たされないままだった。さようなら、安倍晋三さん。


◎[参考動画]安倍晋三総理大臣のプレゼンテーション IOC総会(2013/09/08)


◎[参考動画]Tokyo 2020(2016/08/22)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

月刊『紙の爆弾』2020年9月号【特集】 新型コロナ 安倍「無策」の理由

『NO NUKES voice』Vol.24 総力特集 原発・コロナ禍 日本の転機

新型コロナウイルスの影響で、撮影が行なえなかったNHK大河「麒麟がくる」の放送が再開される。人気の戦国大河だけに、歴史もの好きの視聴者は大歓迎であろう。ここ十数年、神がかり的な人気をほこる織田信長に謀反した明智光秀を主人公にしたところに、NHKの野心的な試みが評価できる。

◆歴史愛好家をガッカリさせるNHKのダメキャスティング

NHK大河ドラマ・ガイド『麒麟がくる 前編(1)』

だが、キャスティングには難がある。長谷川博己はキャリアも演技力も十分な俳優だが、演技巧者であるがゆえにこそ、主役級の華はないと言わざるをえない。彼は名わき役なのである。前半の斎藤道三役の本木雅弘の熱技に、まるっきり呑まれてしまったのが、その明白な証左と言えよう。

それにしても、このところNHKのキャスティングは、一年間の大河というごまかしの効かない主役ゆえに、ミスキャストが多いのだとわたしは思う。どうしても頭脳明晰で正義漢にあふれる、という主役の類型に合わせてしまうのだ。そこに無理がある。

たとえば「真田丸」真田信繁(幸村)役の堺雅人と真田信之役(幸村の兄)の大泉洋は、史実とはまったく逆の人物設定だった。

真田幸村といえば、当時の一次史料を知らない人でも、池波正太郎の「真田太平記」や一連の上州ものを読んだことがあればわかるとおり、寡黙で朴訥な人物である。小柄ながらなぜか強い武勇はともかく、高野山(流罪)で焼酎を国元に無心するような、寡黙な酒飲みのイメージである。それゆえにこそ大坂入城後、すぐに大野治長ら秀頼側近に主導権を握られてしまうのだ。

いっぽうの兄・真田信之こそが頭脳明晰な政治家で、それゆえに大坂の陣後も真田の名跡を後世に伝え得たのである。頭脳の兄・信之、勇猛の弟・幸村というのが歴史愛好者の常識なのだ。その意味でNHK「真田丸」は人物設定が180度ちがっていた。これでは歴史好きは白ける。

今回の明智光秀は、長谷川博己の生真面目きわまりない雰囲気とあいまって、将軍家復興という政治工作者たるイメージや謀反という悪意を感じさせない。まるでウラのない善人で、正義漢なのである。

これでは本能寺の変が、たとえば信長をよほどの悪逆な主君にしないかぎり、うまく描けないのではないだろうか。染谷将太の信長は神がかり的ではないだけに、いまのままでは単なる無能な殿というイメージになってしまう。無能な信長像というのは、NHK大河のみならず初めてではないか。

そもそも「麒麟(平和のシンボル?)がくる」ためには、悪逆の王(信長)を滅ぼさなければならない。という設定自体、当の光秀が秀吉に滅ぼされてしまうのだから、どだい無理があるというものだ。明智光秀は天海僧正だった説でも採らないかぎり、「戦乱のない世を」というテーマがけっして果たされないのは自明である。

長谷川博己の光秀はすこぶる有能、かつ計算高い雰囲気だが、それでは光秀の三日天下(じっさいには11日)の政治的無能ぶりを説明できない。したがって、本能寺の変そのものが、徳川家康および羽柴秀吉の謀略でないかぎり、みじめな着地になりそうな気がするのだ。

◆黒幕説を愉しもう

そこで視聴者の愉しみは、本能寺の変の「動機」および「黒幕説」ということになるわけである。

巷間、ワイド番組(歴史特集)の話題になっている「本能寺の動機説」は、どうでもいいだろう。本当の「動機」など、光秀がそれと書き残していない以上、だれにも確定することはできない。

唯一、細川藤孝に送った書状のなかに「この度の思い立ちは、他念はありません。五十日か百日の内には近国も平定できると思いますので、 娘婿の忠興等を取りたてて自分は引退して、十五郎(光秀の長男)・与一郎(細川忠興)等に譲る予定です」とある。これが文献史学における「光秀の動機」ということになる。

じっさい、細川氏を味方に誘うための書状ながら「動機」は「他念はありません」「自分は引退します」としているのだ。これが偽らざる心境だったのであろう。
たとえば信長への「怨恨説」(人質の母親を殺させた説・足蹴にされた説・領地召し上げ説)は、いずれもその史実ではない(一次史料にない、江戸時代の軍記書の記述)だからだ。

うざい上司に下剋上を突きつけるのが怨恨であるとするならば、それはいいのではないか。サラリーマンに限らず、誰もが感じているフラストレーションなのだから。

「野望説」もまた、どうでもいいかもしれない。主君を裏切る動機に、怨恨(うざい上司)野望(上司にとって代わる)はある意味で当然のことである。

直接の動機として、歴史学界のコンセンサスを得られているのは、信長の四国政策の変更である。重臣の斎藤利三が四国の長曾我部氏と結んでいた関係(縁戚)で、四国担当から外された光秀は公私ともに面目をうしなった。これがきっかけで、信長への謀反の決意をかためたのは想像に難くない。

それにしても主君を裏切るか、という問題だが、戦国時代にはけっして珍しい話ではない。ましてや、信長においては。

◆裏切られる信長

じつは信長に謀反した人物はといえば、ひとり光秀だけではない。じっさいに信長を裏切った男女は10人を下らないからだ。名前を列記しておこう。

織田勘十郎信行(信長の弟)
柴田勝家(信行の謀反に加担するが、許される)
林秀貞(同上。許されるも、のちに追放処分)
浅井長政(信長の義弟。朝倉氏と結んで反旗をひるがえす)
十五代将軍、足利義昭(信長追討の挙兵)
別所長治(三木城に籠城)
松永久秀(二度にわたり謀反)
荒木村重(本願寺に内応)
織田つや(信長の叔母。敵将の遠山景任と結婚)
樋口直房夫妻(木目峠の砦から逃亡し、秀吉に討ち取られる)

どうです。部下に裏切られまくりのバカ殿(あるいは嫌な上司)信長の実像が浮かび上がってくるではありませんか。

これほど大量の謀反人を出した戦国武将を、わたしは管見のかぎり信長以外に知らない。上杉謙信や武田信玄も家臣から謀反人(大熊朝秀、勝沼信元)を出しているが、自主的なものではなく相手方に調略されたものである(大熊は信玄に、勝沼は謙信および秩父藤田一門に)。

しかも松永久秀や荒木村重の謀反にさいして、信長は「いかなる理由か?」とその謀反の原因を理解できていないのだ。安国寺恵瓊が「高ころびに、あおのけに転ばれ候ずると見え申候(いずれは、高転びに滅ぶであろう)」と指摘していたとおり、家臣の気持ちがわからない人だったのだ。

したがって光秀に「怨恨」や「野望」は、大いにあったであろう。それはほかでもない、「怨恨」を突き払うように合戦にいどみ、おのれの「野望」を実現するものが戦国武将だからだ。

だが、黒幕説となると問題はちがってくる。そこには本人の「感情(怨恨や野望)」だけではない、第三者の具体的な関与と行動がなければならないからだ。そこで多数ある「黒幕説」を簡単に検証してみよう。(つづく)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

月刊『紙の爆弾』2020年9月号【特集】 新型コロナ 安倍「無策」の理由

あらためて申し述べておきたいのは、本件リンチ事件もその一つのケースである〈差別と暴力〉についてです。

ここでは、私の大学の先輩が実際に巻き込まれた、1974年11月、兵庫県山間部・但馬地方で起きた「八鹿高校事件」について少し申し述べます。こう言うだけで構えてしまいそうですが、あえて以下記述します。私の意見に反発や批判などあるやもしれませんが、誤解を恐れず、このまま記述を進めます。

◆「八鹿高校事件」のショック 先輩が暴行を受けた!

「八鹿高校事件」とは、部落解放同盟の一団が八鹿高校を襲い、みずからの主張に賛同しない教職員らに対し激しい暴力を加えた事件です。背景には、部落問題についての解放同盟と日本共産党の根深い対立があり主なターゲットは共産党員だったとのことですが、運悪く私の先輩は同校に勤務していました。解放同盟、共産党のどちらにも与しないにも関わらず激しいリンチを加えられています。今「どちらにも与しない」と述べましたが、先輩は学生時代、赤ヘルメットを被り、日本共産党(この下部組織・民青)と激しく対立する全学闘争委員会(文学部共闘会議)の一員で、60年代後半から70年代初頭の学生運動に関わりました。

共産党系のライターが書いた本で被害者リストに先輩の名を発見して大きなショックを受けた記憶があります。今でもネットでは判決文全文が載っていて被害者・加害者とも多くが実名で出ています(いいんでしょうか?)。

この事件はあまりにも有名な事件で書籍や記録なども多くありますので詳しくは述べませんが、残念なのは、解放同盟と共産党のどちらからのものがほとんどで、多かれ少なかれ主観や自己弁護が入り、誇張、歪曲されているので割り引いて読まなければなりません。被害者の大半の教師(とりわけ私の先輩のように共産党に所属しない人たち)の立場、解放同盟でも共産党でもどちらでもない中立の立場からのものはわずかしかありません。

この事件が、わが国の反差別運動に大きな汚点となったことは紛れもない事実です。それでも解放同盟は「暴力はなかった」「リンチはなかった」と言い張っています。本件リンチ事件に於ける李信恵らの詭弁とよく似ています。

この後解放同盟は、いわゆる「糾弾闘争」に走るのですが、これが誤りだということは、10年余り経った80年代半ばに私は、師岡佑行氏(京都部落史研究所所長。日本近現代史専攻。故人)や土方鉄氏(『解放新聞』編集長。作家。故人)ら解放同盟内部の幹部(良識派=非主流派)から「糾弾闘争は誤りだった」との聞き取りを直接得ています。そうした内部からの批判や社会的批判を受け、今では、さすがに暴力的糾弾闘争はなくなってきています。

同時に、当時から狭山裁判など解放運動は時に大きな盛り上がりを見せ、私もたびたび誘いを受け賛同するところはありましたが、実際に参加することはありませんでした。解放運動のみならず反差別運動に私が直接関われない大きな要因に、よく知る先輩が暴行被害を受けた「八鹿高校事件」が精神的な澱になっているからです。

このように、「反差別」運動内部で起きた、「八鹿高校事件」や本件リンチ事件など、暴力によって批判者を封じ込めようとすることは、逆に〈差別に反対する〉という崇高な営みを台無しにするもので、運動からの理解者の離反を招くものです。実際に、「八鹿高校事件」や「糾弾闘争」によって部落解放運動は社会の理解を得られず後退しました。八鹿高校でも、部落研(共産党系)も解放研(解放同盟系)も数年でなくなったといいます。

また、本件リンチ事件が私たちの真相究明(具体的には5冊の出版物など)によって〈真実〉が照らし出され、李信恵らによる「反差別」運動、「カウンター」活動から少なからずの人たちが離れたとも聞いています。

ですから李信恵には、彼女がリンチ被害者・M君に出した「謝罪文」(別掲。1~2ページのみを掲載。のちに撤回)に立ち返り真摯に反省していただきたいと心から願っています。いったんはリンチの存在を認め「謝罪」し活動自粛を約束しつつも、これを撤回するということは、いやしくも「反差別」や「人権」を叫ぶ者のやることではありません。李信恵さん、あなたの態度次第で、この国の「反差別」運動、いや社会運動全般の将来が決まると言っても過言ではありません。きちんとみずからの所業を見据え、胸に手を当て反省してください。

リンチ事件後、李信恵が被害者M君に出した「謝罪文」(2ページのみ掲載。全7ページ)

◆李信恵にリンチ事件への真摯な反省と、リンチ被害者M君への心からの謝罪を求めます

M君の写真を何者かが加工し拡散させた画像。“悪意”を超えて〈殺意〉さえ感じる。これこそ〈ヘイト行為〉ではないのか!?

私たちはこれまで、上記したようなことを対外的にあからさまに述べて来ませんでした。しかし李信恵が反省もなく、実際に李信恵らが関与し起きたリンチ事件(李信恵らは「リンチ」という言葉が嫌いなようですので「集団暴行」事件と言っても構いません)の存在を無かったことにしようとしていることを憂慮しています。間違いを犯したことを率直に認め、真摯に反省し、それを教訓化して今後の運動に関わっていくことを強く望みます。

そうでないと、かつての部落解放同盟の「八鹿高校事件」や「糾弾闘争」により「同和は怖い」というイメージを社会に植え付け、反差別運動(部落解放運動)の真の精神が誤解され、逆にその後退をもたらしたように、李信恵らの無反省な姿勢により、もうひとつの反差別運動(在日差別に反対し権利を獲得する運動)の後退をもたらすことを懸念します。李信恵らの心無い言動と暴力・暴言により、「在日は怖い」というイメージを植え付け(残念ながら、くだんのリンチ事件を見て実際にこう言った方もいました)、多くの在日コリアンの方々が迷惑を蒙っていることを自覚していただきたいものです。こうしたことに無自覚ならば、反差別運動や社会運動などから退くべきでしょう。

◆おわりに

前回も申し述べましたように、このたび、広島原爆被爆二世の田所敏夫さんが、体内被曝の影響と推認されるご自身の体調不良にもかかわらず、気力、体力を振り絞り陳述書を書き、尋問に出廷することを承諾され、また被爆二世ということを公にカミングアウトされたことに触発され、〈差別〉、そして〈差別と暴力〉について思うところをコンパクトに申し述べさせていただきました。

本件訴訟では、勝訴/敗訴ということが本質的な問題ではなく、李信恵が、みずから関与した大学院生リンチ事件について真摯な反省もなく、開き直りのような対抗訴訟を起こしたことを強く批判し、改めて真摯な反省を求めるものです。

私は歳と共に丸くなっていると言われますが(喜んでいいのか悪いのか、「好々爺」と言う人もいます)、李信恵に対しては声高に糾弾するのではなく、仏心から彼女が「反差別」運動のリーダーとして真に悔い改めることを願っています。

長い私の人生の中で、なかんずく破邪顕正の精神を持った出版人として、何がいいことで何が悪いことかの判断ぐらいはできます。そうであれば、李信恵が真摯に反省し公にも謝罪がなされるのならば、万が一私方が敗訴しても、本件リンチ事件(被害者支援と真相究明)やリンチ被害者M君訴訟、本件訴訟(前記した、この訴訟の元々の訴訟含む)に一所懸命に関わってきた目的の一つが達成されたといえるでしょう。

皆様方も血の通った人間ならば、私たちがこれまで申し述べてきた内容をどうか理解され、あれこれ屁理屈を付けた李信恵らの三百代言を歴史の屑カゴに投げ入れられるものと信じてやみません。

最後にもう一言述べさせてください。──

田所敏夫さんにしても私にしても、このリンチ事件を、あれこれ“解釈”しようとするものではなく、この4年余り、〈生きた現実〉から逃げ回る人たち(メディア人、国会議員、学者、弁護士、知識人、活動家ら)とはきっぱり距離を置き、ある時は義絶し、他人事ではなく自分自身の問題として関わり取材・調査に汗を流し事実を積み上げ〈真実〉に迫ってきたつもりです。出版人生の最終ステージでやるべきことだったかどうかは後々誰かが語ってくれたら、これでよしとしますが、目の前にリンチに遭った青年が助けを求めながら相手にされなかったり村八分にされ困っているのを見て黙ってはいられませんでした。果たしてあなたが、こういう場面に直面したらどうしますか? しかとお考えください。

釘バットで威嚇する有田芳生参議院議員。こんな徒輩が「人権」「反差別」を騙る国会議員とは!

取材班の直撃取材に逃げ回る岸政彦教授(李信恵さんの裁判を支援する会事務局長)

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

Amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B07CXC368T/
鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000541

今年の夏は終戦75年ということで、テレビや新聞では、戦争の悲惨な経験を伝えたり、平和の大切さを訴えたりする報道が例年以上に多かった。だが、それらの報道は型どおりのものばかりで、重要な視点が欠けている感が否めなかった。

それは、「平和な世の中で平和を訴えることは簡単だが、戦時中に平和を訴えることは難しい」という視点だ。誰もが知ってはいるが、つい忘れがちな視点である。

一方、筆者がこの時期に読み返し、改めて感銘を受けたのが、原爆漫画の代名詞「はだしのゲン」だ。自分自身も被爆者である広島出身の漫画家・中沢啓治が実体験をもとに描いたこの作品には、型どおりの戦争報道に欠けている上記の重要な視点が存在するからだ。

◆戦時中の自分自身のスタンスを語らない「歴史の証人」たち

たとえば、テレビや新聞が毎年夏に繰り広げる戦争報道では、広島もしくは長崎の被爆者が「歴史の証人」として登場し、原爆や戦争の悲惨さを語るのが恒例だ。今年も例年通り、そういう報道が散見された。こういう報道も必要ではあるだろうが、残念なのは、被爆者たちが戦時中、自分自身が戦争に対して、どのようなスタンスでいたのかということを語らないことだ。

その点、「はだしのゲン」はそういうセンシティブな部分から目を背けない。この作品では、原爆の被害に遭った広島の町でも、戦時中は市民たちが「鬼畜米英」と叫び、バンザイをしながら若者たちを戦場に送り出していたことや、戦争に反対する者たちを「非国民」と呼んで蔑み、みんなで虐めていたことなどが遠慮なく描かれている。

テレビや新聞に出てくる被爆者たちが仮に当時、そのようなことをしていたとしても、それはもちろん責められない。当時の日本で生きていれば、そういうことをするのが普通だし、むしろそういうことをせずに生きるのは困難だったはずだからだ。しかし、「歴史の証人」に被害を語らせるだけの報道では、日本に再び戦争をさせないための教訓としては乏しい。

◆必ずしも戦争に反対せず、朝鮮人差別もしていたゲン

「はだしのゲン」がさらに秀逸なのは、他ならぬ主人公の少年・中岡元やその兄たちも戦時中、必ずしも戦争に反対していなかったように描かれていることだ。

反戦主義者の父親に反発していた元。中沢啓治作「はだしのゲン」(汐文社)第1巻28ページより

元の父親は反戦主義者だったため、元たちの家族は広島の市民たちから「非国民」扱いされ、凄まじい差別やいじめを受けていた。そんな中、元も自分たちの置かれた境遇に耐え切れず、父親に対し、「戦争にいって たくさん敵を殺して 勲章もらってくれよ」「戦争に反対する とうちゃんはきらいだ」などと泣きながら、だだをこねたりする。さらに元の兄・浩二は、家族が非国民扱いされないようにするために海軍に志願したりするのである。

父親が反戦主義者のため、元の家族は広島の人たちから差別されていた。中沢啓治作「はだしのゲン」(汐文社)第1巻50ページより

さらに元は他の少年たちから非国民扱いされ、差別される一方で、自分自身も朝鮮人のことを差別する言動を見せている。たとえば、顔見知りの朝鮮人男性と一緒にいるところを他の少年たちにからかわれ、その朝鮮人男性に対し、一緒にいたくないということを直接的に伝えたりするのである。

元が朝鮮人を差別する場面もあった。中沢啓治作「はだしのゲン」(汐文社)第1巻60ページより

この漫画では、元は強さと明るさ、ユーモアを兼ね備え、誰に対しても優しく、分け隔てなく接する少年として描かれている。しかし一方で、このような過ちを犯したりもしているのである。作者自身の実体験に基づいているからだろうが、こういうシーンを読むと、「平和な世の中で平和を訴えることは簡単だが、戦時中に平和を訴えることは難しい」ということを再認識させられる。この1点において、「はだしのゲン」はテレビや新聞の型どおりの戦争報道とは一線を画していると思うし、後世に残すべき作品だと思う。

▼片岡健(かたおか けん)

全国各地で新旧様々な事件を取材している。原作を手がけた『マンガ「獄中面会物語」』【分冊版】第11話・筒井郷太編(画・塚原洋一/笠倉出版社)が配信中。

月刊『紙の爆弾』2020年9月号【特集】新型コロナ 安倍「無策」の理由

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

対李信恵第2訴訟が大詰めに近づいています。ここにおいて当方は田所敏夫さん(ペンネーム。鹿砦社社員ではなく、下記に述べるようなことから畏敬の念を持って「さん」付けとしました)と私が陳述書を提出しました。

私は2018年9月5日、19年1月7日、2020年5月14日に続いて、去る8月20日、この日は裁判所が長い“休業”明けで久しぶりに期日が入り、4度目の陳述書を提出しました。

この陳述書に於いて私は、田所さんの陳述書と、8月6日付けの本通信での広島原爆被爆二世であるとのみずからの出自を公にカミングアウトされたことに触発され、この訴訟にも密接にリンクする、〈差別〉、そして〈差別と暴力〉について、私の体験や身近の出来事を中心に思う所を申し述べてみました。

そもそもこの対李信恵第2訴訟は、「鹿砦社はクソ」「クソ鹿砦社」と誹謗中傷した訴訟の終盤になって突如「反訴」として提訴(賠償金550万円と出版差止め等)してきたものですが、裁判所にも考えがあってのことで、「反訴」とはならず「別訴」として独立した訴訟として係争中のものです。

尚、元々の訴訟は李信恵の不法行為が認定され〈鹿砦社勝訴─李信恵敗訴〉が確定しています。

以下は、この「第4陳述書」を下敷きにして、訴訟用語を排し一般向けに書き直したものです。2回に分けて分載します。

◆「反差別」は李信恵らの“専売特許”ではありません

そもそも李信恵らが殊更に「反差別」を叫ぶことで、一般的には「反差別」が李信恵らの“専売特許”のように広まっています。特に朝日新聞はじめ大手メディアが李信恵を、リンチ事件に関わったことを隠し、事あるごとに持ち上げることで、李信恵がリンチ事件に関わったことが隠蔽され、闇に葬られつつあることは遺憾なことです。

確かに私たちは実際に反差別の運動や組織に関わっているわけではありません。しかし、だからといって私たちが〈差別〉について考えていないということではありません。私たちなりに考え、悩み、差別解消へみずからの身の回りから努めてきたつもりです。世の中、ほとんどの人々が“もの言わぬ大衆”で、“もの言わぬ大衆”が〈差別〉について考えていないということではありません。

また、私たちが李信恵らの「反差別」運動を批判することをもって、私たちが〈差別〉について考えていないように意図的に喧伝する者がいますが、とんでもありません。私たちはあくまでも李信恵らの“歪曲された反差別運動”を批判しているのであり、だからといって、反差別運動全般を否定しているわけでも“反差別に反対”しているわけでもありません。これまでは「あらゆる差別に反対する」とファジーに述べてきましたが、このたび勇気を持ってみずからの差別体験をカミングアウトした田所敏夫さんらの存在を明らかにすることで、私たちの差別に対するスタンス、これを元に李信恵の「反差別」の言動に対する違和感を示します。

◆広島原爆被爆二世の田所敏夫さんの想いと怒り

今回、田所敏夫さんが、陳述書を書いてくれ、また尋問に出廷することを承諾されました。

彼の〈差別〉に対する想いと怒り、感情と認識は、彼が広島原爆被爆二世という出自に基づいています。私たちは内々に聞いていて、私たちの〈差別〉に対する考え方に大きく影響しています。つい最近、彼は李信恵の提訴の一部になっている「デジタル鹿砦社通信」に於いて、2020年8月6日、広島原爆投下75年の日に公にカミングアウトしました(同通信参照。この文をはじめ田所さんは常々ペンネームの「田所敏夫」を使っていますが、これは、実生活での不利益を最大限防止するためと、大学職員時代の上司〔故人〕の、権威に屈しない精神と遺志を継承するという決意から来ています)。

広島原爆被爆者や、その二世、三世は、戦後75年間ずっと〈差別〉に晒されてきました。「マイノリティ」という、李信恵らが頻繁に使う言葉を借りれば、原爆被爆者や、その二世、三世は日本の人口からすれば「マイノリティ」です。李信恵ら在日コリアンよりも圧倒的に少数です。

田所さんは、多くの病気を罹患され、最近ではがんを罹患されています。そうした症状は、原爆被爆二世(からくる体内被曝)から来ることは容易に推認されることで、容貌にも表われています(田所さんは白内障や顔面皮膚疾患も患っており、よほど親しい間柄でない限り写真の撮影を断っていました)。

こうしたことを顧みず、李信恵を支持し連携する野間易通という者が、田所さんの本名や職歴(大学職員)などと共に顔写真を意気揚々とネットに晒しましたが、田所さん本人や私たちの怒りは相当なものでした。

野間は、李信恵同様「反差別」運動界隈のリーダー的存在ですが、彼には田所さんの人権への配慮はなかったのでしょうか? また、この際に野間と親しい李信恵や彼女の代理人弁護士(神原元、上瀧浩子弁護士)らは叱責し止めさせたのでしょうか? 当時は田所さんが広島原爆被爆二世ということをカミングアウトしないのをいいことに、やんややんやと囃し立てていたんじゃないですか?

こうしたことからしても、李信恵らが語る「反差別」や「人権」が贋物だということが窺えます。「反差別」や「人権」に名を借りたまがい物です。偽物のメッキはいつかは剥がれます。

◆田所さんらから多くを学びました

被差別者である田所さんとの付き合いで、私は多くのことを学び、くだんのリンチ事件に対する認識や関わり方に於いても参考になることも多々ありました。李信恵の言動に対する受け止め方も、彼の違和感や意見に基づいています。

田所さんは、本件リンチ事件の調査・取材に中心になって奔走してくれましたが、彼の動きは私の期待以上でした。それは、生を受けて以来〈差別〉を身を持って体感し、身に付いた〈真に差別に反対する〉という意識が、李信恵らの“歪曲された反差別運動”に対する怒りとなって、これが基になっているのではないか、と私は思っています。

田所さんに加え、私たちの周囲や、取材に協力してくれた方々には、多くの在日二世、三世の方々や被差別部落出身の方々、さらに戦後から差別を受けてきた沖縄の方々や、2011年東日本大震災での原発事故以降避難先で差別を受けている福島の方々がおられます。ほとんどの方が生活に追われ日常的に何らかの差別を受け、しかし多くは実際の運動に関わっているわけではありません。前述したように、いわゆる“もの言わぬ大衆”です。

私たちは、田所さんはじめ、上記の心ある方々に多くの意見やサジェッションをいただき、これらは5冊の出版物に反映させています。

「反差別」は決して李信恵らの“専売特許”ではありません。なにか「自分らは差別されている」と殊更強調し、だからといって、過剰に批判者に対し汚い言葉で個人攻撃したり暴力を振るっていいわけではありません。

この第2訴訟に先立つ元の訴訟では、鹿砦社に対する暴言や誹謗中傷で裁判所は李信恵の不法行為を認定しています。また、リンチ関連本弾5弾『真実と暴力の隠蔽』巻頭グラビア「李信恵という人格の不可思議」には李信恵の暴言の数々(のほんの一部)が掲載されていて驚かされます。さらには、リンチの最中、被害者M君が痛めつけられているのを見ても、李信恵は、“名台詞”として有名になった「まぁ殺されるんやったら店の中入ったらいいんちゃう?」という非人間的で冷酷な言葉を言い放つ──李信恵の非人間性を表わしています。本件リンチ事件を調べていって本当に驚きました。現代の「反差別」運動は、ここまで堕落しているのか、言葉がありませんでした。

李信恵の暴言の一部。これを見て、この人が反差別運動のリーダーにふさわしいと誰が思うのか!?

後述(次回に掲載)する「八鹿高校事件」や「糾弾闘争」から変わっていないじゃないか、と率直に感じました。

そのように、本件リンチ事件についての当該出版物や「デジタル鹿砦社通信」の記事に於いて、バックには、取材に協力してくれた多くの方々という“もの言わぬ大衆”の“声なき声”を取材者が拾い上げ、それが深く反映されているものと思っています。

本来なら、運動家、特にこのリーダー格の人間こそ、“もの言わぬ大衆”の“声なき声”を汲み取り、それを代弁しなくてはいけないわけですが、果たして李信恵にその姿勢があるかどうか、ここ4年余りのリンチ事件に対する取材や被害者支援の活動から大いに疑問を感じています。

リンチ直後の被害者M君の顔写真。この写真を見て平静でいられる人はいるのか?

5軒の飲食店を飲み歩き「日本酒に換算して一升近く飲んだ」と告白した李信恵のツイート。泥酔してリンチがあったのを知らなかったと弁解したつもりだが、「語るに落ちる」とはこのことで、5軒の飲食店を飲み歩き「日本酒に換算して一升近く飲んだ」ことを自己暴露

日頃から夜な夜な飲み遊び、くだんのリンチ事件の日も前日夕方から5軒飲み歩き「日本酒にして一升」を飲んだと豪語し泥酔、日付が変わった深夜、その勢いで集団でリンチに及ぶような者にリーダーとしての品格を見て取ることなどできるでしょうか。いやしくも「反差別」や「人権」運動のリーダーたる者は、日頃からみずからを律し、飲み遊ぶ時間を自己研鑽に当てるべきでしょう。そうではないですか? 私の言っていることは間違っているでしょうか?

私はこれまで、田所さんのことは知っていても、本人がカミングアウトしていないことで内に秘めてきました。このたび期することがあって公にカミングアウトされたことに強く衝撃を受けました。

次回に掲載する〈差別と暴力〉についても、これまで部分的に述べてはいても、まだまだ不十分さが否めませんでした。

私にしても田所さんにしても、〈差別〉や〈差別と暴力〉の問題、つまりそれと密接にリンクするM君に対するリンチ事件についても、薄っぺらい“コメント”や“評論”に終始してこなかったことだけは自信があります。被差別者である田所さんは勿論、私も田所さんらに学び、徹底して取材・調査し、私の能力の限り本質的に迫ろうと努めてきたつもりです。リンチ事件は私自身の問題として関わってきたことだけは申し上げることができます。(本文中、田所さんを除き敬称なし)
                     

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

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ジャーナリストの伊藤詩織氏が、予告どおりセカンドレイパーを提訴した。元TBS社員の山口敬之氏から性的暴行を受けた(2020年1月、民訴で認定)伊藤氏は、2017年に実名を明らかにした後、ネット上で事実に基づかない誹謗中傷を受けていたのだ。


◎[参考動画]伊藤詩織さん 自民議員を提訴 中傷ツイッターに「いいね」

いわゆるセカンドレイプについて、伊藤氏は以下のように宣言している。

「民事でのピリオドが打てましたら、次は(セカンドレイプへの)法的措置を考えています。というのは、こういう措置を行わなければ、同じことがどんどん続いてしまう。一番心苦しいのは、私に対するコメントを見て、他の(性被害)サバイバーたちが『自分も話したら同じように攻撃されるんじゃないか』と思ってしまう。そういうネガティブな声をウェブに残してしまうことが、いろんな人を沈黙させてしまう理由になるので、法的措置を取りたいと思います」(2017年5月29日、司法記者クラブの会見で)

予告どおり、伊藤詩織氏は法的措置に出たということになる。

今回伊藤氏が提訴したのは、自民党の杉田水脈衆議院議員(220万円の損害賠償)および元東大特任准教授(民族差別の書き込みで懲戒解雇)の大沢昇平氏(110万円)である。

これに先立つ6月、やはりネット上でイラストなどで誹謗中傷したとして、伊藤氏は漫画家のはすみとしこ氏を提訴している(550万円の損害賠償)。


◎[参考動画]伊藤詩織さんが漫画家はすみとしこさんらを提訴 ツイッターのイラスト巡り(毎日新聞2020年6月8日公開)

 

その誹謗中傷の中身を、まずは検証しておこう。

はすみとしこ氏の場合は、伊藤氏に似た「山ロ(ヤマロ)沙織」を主人公にして、大物記者と寝る「枕営業」をしたと描写したり、伊藤氏の著書『BLACK BOX』に似た名前の『CLAP BOX』を「デッチあげ」だとしていたものだ。上手なイラストなので、百聞は一見に如かず。

「顔にこだわった!」というとおり、伊藤詩織氏によく似ている。しかし、山口敬之氏はあまり似ていない(山口氏の頭髪は薄く、あごひげがトレードマークだ)。

杉田水脈議員の場合はBBCの番組で、伊藤さんが「男性の前で記憶がなくなるまでお酒を飲んだ」ことが「女として落ち度がある」などと発言(のちに一般論と釈明)。

ツイッターでは、以下のように批判していた。

「伊藤詩織氏の事件が、それらの理不尽な、被害者に全く落ち度がない強姦事件と同列に並べられていることに女性として怒りを感じます」

「もし私が、『仕事が欲しいという目的で妻子ある男性と2人で食事にいき、大酒を飲んで意識をなくし、介抱してくれた男性のベッドに半裸で潜り込むような事をする女性』の母親だったなら、叱り飛ばします」

「『そんな女性に育てた覚えはない。恥ずかしい。情けない。もっと自分を大事にしなさい。』と」

大沢昇平氏は、伊藤詩織氏が漫画家はすみとしこ氏のツイートをリツイートした2人を相手に損害賠償などを請求する訴訟を東京地裁に起こした件(6月)について、ツイッターで反応したものだ。

「伊藤詩織がはすみとしこを訴えるって話だけど、どういうロジックで訴えるんだ? 別に伊藤詩織を名指しで誹謗中傷してるわけじゃないから、名誉棄損には当たらないでしょ」

「伊藤詩織の何がダメダメかって、刑事裁判でレイプが認められなかったにもかかわらず、その後の民事裁判の結果をレイプを関連付けている点。今回もやってることの筋が通っておらず全く支持できない」などと、批判的な投稿をしている。

いまのところ、はすみとしこ氏の反応は、「ハッキリ言っておく。100対0で負けたって、私は謝罪もしないし、金も払わない。私には財産が無い。車や土地屋敷、着物類だって親名義、PCは仕事で使うので差し押さえ不可。私の給料は月5万以下で、社長は差し押さえ拒否すると言ってる。取れるモンなんてなーんも無い!ちょっとは調べてから訴えな!」と、徹底抗戦の構えだ。

いっぽう、大澤昌平氏は、「伊藤詩織とかいう活動家が突然俺を訴えると言い出した。正直全く意味が分からない。『いいね』の何が良くないのか知らんが、もし悪い判例ができてしまえば左翼の言論弾圧は益々加速し、日本から言論の自由が奪われる。俺は断固抗戦する。ここで裁判費用の寄付を募りたい。志ある者の支援を求む!」と、こちらも意気軒高である。

◆「いいね」は構成要件になるのか?

大澤氏が指摘しているとおり、提訴の要件がみずから書いた「ツイート」ではなく他人のツイートへの「いいね」だけなのであれば、かなり微妙かつ画期的な司法判断が問われることになる。

訴状によると、杉田氏は国会議員であること。当時11万人のフォロワーを持ち、言論に影響力を持つ杉田氏が伊藤氏を中傷するコメントに繰り返し「いいね」を押したことは「限度を超えた名誉侵害にあたる」と主張しているという。

本来の総理官邸御用ライターによる「レイプ事件」をこえて、新たな争点が出てきたと考えるべきであろう。


◎[参考動画]性暴力被害者へ「自分の真実、信じて」 伊藤詩織氏会見(朝日新聞社 2019/12/18)

と同時に本来の目的、すなわちレイプ犯罪の徹底した糾明、および権力犯罪としてのレイプ犯の不逮捕(不起訴ではない)を忘れてはならない。

2020年1月9日の本欄で、わたしは以下のように指摘していた。

「被害者女性が告発・発言できない理由はほかならぬ日本社会にある。男女平等度ランキングで、日本は121位である。120位がアラブ首長国連邦、122位がクウェート、中国が106位、韓国は108位である。先進国では、ドイツが10位、フランス15位、イギリス21位、アメリカは53位だ。※出典はWEF The Global Gender Gap Report」

「こうした日本社会の後進性を突き破るためにも、伊藤詩織さんには頑張って欲しいと思う。外国人記者クラブでの会見で、詩織さんはこれまでセカンドレイプ的にバッシングしてきた言論人に対して、法的な態度を示すと明らかにした。女性が声を上げられない社会の変革のために、それもやむを得ない措置と言えよう、ひきつづき、この事件を追っていきたい。」

そして、われわれがなすべきことは、もうひとつある。わたしは同じ2020年1月9日の本欄で、

「レイプされた若い女性が素顔をさらして、一国の総理大臣につながる御用ジャーナリストを告発した。しかも被害者は美人、というだけでも一時的にマスコミを賑わせるだけの価値がある。とはいえ、眉をひそめたくなるレイプ事件である。加害者被告のいかにも胡散臭いひげ面を見るだけでも、気分が良いものではない。したがって忘れ去られがちな事件だといえよう。」

「ぎゃくにいえば何度でもこのテーマはくり返し報道され、権力と結託した加害者の傲岸なありようが指弾されなければならない。今回の判決を受けてなお、山口敬之は『詩織さんは虚言壁がある』『ウソをついている』と開き直っているのだから。」

「あえてくり返さなければならない理由は、刑事事件としての不成立の謎のゆえである。いったんこの件で逮捕状が出ていたにもかかわらず、総理の番犬ともいわれる中村格(なかむらいたる)警視庁刑事部長(現警察庁官房長)の鶴の一声で、山口被告の逮捕が見送られたのである。」と、事件の本質を指摘してきた。

2019年7月19日の本欄にも、「第二次安倍政権の誕生の功労者である山口氏を、官邸は指揮権を発動してまで擁護せざるを得なかったのが事件の真相なのだ。」としている。忘れてはならない事件だとの思いをつよくする。

官邸の人脈で、法律外の扱い(不逮捕)をした「罪」こそ問い直され、あたかも指揮権発動のごとく司法がゆがめられたことを検証しなければならないのだ。


◎[参考動画]山口敬之氏「伊藤さんはうその主張をしている」伊藤さん勝訴を受け会見(毎日新聞2019年12月18日公開)


◎[参考動画]囲み取材で感情あらわ【山口敬之氏】元TBSワシントン支局長(日刊ゲンダイ2019年12月18日)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

月刊『紙の爆弾』2020年9月号【特集】 新型コロナ 安倍「無策」の理由

『NO NUKES voice』Vol.24 総力特集 原発・コロナ禍 日本の転機

昨年、団体分裂によって設立されたジャパンキックボクシング協会。代表は長江国政氏でしたが、満1周年となった5月1日付けで小泉猛氏に交代されています。

NAGAE ISMと銘打たれた今回の興行。2年ほど前から神経性の病で歩行困難になり、闘病を続ける長江国政氏に勝利の報告を届けなければならない治政館ジム勢の戦い。そして当協会の今後の浮上を懸けた戦いでもある。

さらにコロナウィルス蔓延で、7月からプロボクシングの興行も無観客で徐々に再開されて以降、キックボクシングでも無観客や客席を半分以下に減らしての開催が始まりました。

正月明けから7ヶ月ぶりとなった当協会興行。ソーシャルディスタンスを保っての興行で、なかなか厳しい状況が続いているキックボクシング55年目の夏です。

選手皆が復帰戦のような立場の中、閉鎖された藤本ジムからRIKIXへ移籍したHIROYUKIは6月、他興行に出場しており、勘の鈍りは少なかったかもしれなません。

メインイベンター馬渡亮太は不完全燃焼に終わる。今後の出場で本領発揮を期待したい。

◎NAGAE ISM / 8月16日(日)後楽園ホール開場17:00 開始18:00
主催:ジャパンキックボクシング協会(JKA)

馬渡はアグレッシブに攻めるも、今少し距離が足りない

◆第8試合 56.0kg契約 5回戦

馬渡亮太(前・JKAバンタム級C/治政館/56.0kg)
    VS
ダウサコン・モー・タッサナイ(元・ラジャダムナン系スーパーフライ級3位/タイ/55.45kg)
引分け0-0 / 主審:椎名利一
副審:仲49-49. 和田49-49. 桜井49-49

ムエタイのリズムが続く両者のパンチ、ヒジ、ヒザの時折強いヒットを見せるも相手を弱らせるに至らない。馬渡の方がパンチ蹴りの手数が多いが、首相撲の展開に移るとダウサコンがやや上手を行き、互いの決定打が無い展開が続く。日本での試合、決め手が無ければ引分けになるのが何となく読める中、ジャッジ三者とも49-49ながら、各ラウンドの三者の採点が揃わない展開が続く終了となった(4Rだけ2者ダウサコン、1者馬渡)。  

飛びヒザ蹴りを幾度か見せた馬渡、ボディに炸裂は効果有りか

距離が掴めない中での馬渡のハイキック、巧みにかわすダウサコン

◆第7試合 52.5kg契約 5回戦

JKAフライ級チャンピオン.石川直樹(治政館/52.4kg)
    VS
HIROYUKI(前・日本バンタム級チャンピオン/RIKIX/52.5kg)
勝者:HIROYUKI / KO 3R 2:11 / 主審:仲俊光

両者は5年前に対戦し、HIROYUKIが判定勝利。若さとここ最近の勢いでHIROYUKIがスピードで優り調子を上げていく。石川の組みついてのヒザ蹴りを許さない距離から右フックで第1ラウンドにノックダウンを奪い、第3ラウンドにも蹴りからのパンチがヒットしてノックダウンに繋げ、石川は何とか立ち上がるも足下がおぼつかず、レフェリーがテンカウントを数え、HIROYUKIが余裕のノックアウト勝利を飾った。

HIROYUKIの右ハイキックが石川直樹の頬にヒット

HIROYUKIの攻めが冴える。石川直樹はリズムを掴めない

蹴りからパンチをヒットさせ、ノックアウトに繋げたHIROYUKI

◆第6試合 67.0kg契約3回戦

JKAウェルター級チャンピオン.モトヤスック(治政館/66.7kg)
    VS
ジャックチャイ・ノーナクシンジム(元・ラジャダムナン系バンタム級6位/タイ/66.1kg)
勝者:ジャックチャイ / 判定0-3 / 主審:桜井一秀
副審:椎名28-30. 和田28-30. 仲29-30

蹴りから首相撲の距離に移るとジャックチャイが主導権支配。モトヤスックのパンチと蹴りは連打が少なく、接近した瞬間にモトヤスックの額にヒジ打ちをヒットさせるジャックチャイ。元ムエタイランカーのテクニックにもう一歩及ばなかったモトヤスック。

ジャックチャイが巧みに自分の距離を保った

◆第5試合 57.5kg契約3回戦

JKAフェザー級1位.瀧澤博人(ビクトリー/57.5kg)
    VS
NJKFフェザー級1位.小田武司(拳之会/57.5kg)
勝者:瀧澤博人 / TKO 2R 2:33 / 主審:椎名利一

左ジャブで小田の出方をコントロールする瀧澤。ミドルキック、ヒジ打ちで次第に瀧澤ペースが勢いづいていく。第2ラウンド、瀧澤はヒジ打ちで小田の額をカットして、レフェリーが様子を見て止め、ドクターの勧告を受入れレフェリーストップ。

ベテラン瀧澤博人の右ハイキックで若い小田武司を攻める

◆第4試合 67.25kg契約3回戦

JKAウェルター級1位.政斗(治政館/67.25kg)
    VS
NKBウェルター級2位.稲葉裕哉(大塚/67.0kg)
勝者:政斗 / 判定3-0 / 主審:和田良覚
副審:椎名30-28. 桜井30-29. 仲30-28

政斗が打ち合いの中、右ヒジ打ちで稲葉の額をヒットさせ、勢い増していき政斗が判定勝利。

稲葉裕哉と政斗のパンチの交錯

◆第3試合 女子ピン級3回戦(2分制)

女子(ミネルヴァ)ピン級1位.祥子JSK(治政館/45.1kg)
    VS
同級3位.TOMOMI(TEAM FOREST/45.1kg)
勝者:TOMOMI / 判定0-3 (28-29. 28-30. 29-30)

◆第2試合 50.0kg契約3回戦

空明(治政館/49.9kg)vs谷津晴之(新興ムエタイ49.7kg)
勝者:谷津晴之 / 判定0-3 (28-30. 28-29. 29-30)

◆第1試合 56.0kg契約3回戦

義由亜JSK(治政館/55.6kg)vs姉川良(REON Fighting Sports/55.4kg)
勝者:義由亜 / 判定3-0 (30-28. 30-27. 30-27)

《取材戦記》

半年ぶりに後楽園ホールに訪れると、当日計量の午前10時より外で報道陣も含めたコロナ抗体検査が行われ、開場時には靴裏の消毒、センサーによる体温測定が行われていました。リングサイドカメラマンはマスクをした上、フェイスシールドを義務付けられ、ファインダーが覗き難かった。フェイスシールドがカメラと擦れあって傷付くとより靄が掛かって見え難くなったが、これは扱い方が悪かったのかもしれない。

注意喚起の上ではあるが、観衆が声を出さないのは異様な光景でした。客席数を半分に減らした上に空席も目立ったので、かなり静かだった。笑いの起こる野次が懐かしい。

団体や主催者、会場によって規制の違いや、今後のコロナ蔓延拡大によっては状況が違ってくるでしょう。選手の戦いの場に、これ以上の中止自粛が続かないことを祈りたいものです。

1席ずつ空けてのソーシャルディスタンス、満席になる日はいつか

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

月刊『紙の爆弾』2020年9月号【特集】新型コロナ 安倍「無策」の理由

一水会代表 木村三浩 編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

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◆再検査というからには、重篤個所があるのでは?

安倍総理の7時間半に及び検診が、永田町をゆるがせた。憶測を呼んでいるのは、検査の事実を公然とテレビに晒したことである。

総理官邸は「休み明けの体調管理に万全を期すため夏期休暇を利用しての日帰り検診」だと発表しているが、安倍総理は約2カ月前の6月13日にも同院を訪れ、このときは6時間にあわって人間ドックを受診。今回の検診について病院側は「6月の追加検査」と説明している。しかし永田町では「やはり体調が悪化しており、それで重篤個所を再検査したのではないか」という憶測が飛び交っている。

それというのも、8月4日発売の「FLASH」が、「安倍晋三首相 永田町を奔る“7月6日吐血”情報」というタイトルで体調問題を報道しているからだ。

8月4日発売の「FLASH」誌面

同誌は7月6日の首相動静に、小池百合子都知事と面談を終えた11時14分から16時34分、今井尚哉首相補佐官らが執務室に入るまでの約5時間強。総理に空白の時間があったとして、この間に吐血したのではないかという情報が永田町に流れていると解説している。安倍首相が抱えている持病の潰瘍性大腸炎に合併する胃や十二指腸の病変、あるいは治療のために服用しているとされるステロイド系の薬剤による影響を指摘していた。

吐血という以上、上部消化器官系(胃・十二指腸)からのもので、持病の潰瘍性大腸炎とは考えにくい。下部消化器系で起きた潰瘍や癌細胞は、大腸から肝臓や胆のう、胃と十二指腸、すい臓、最後は肺に転移するとされている。そこで上記の「瘍性大腸炎に合併する胃や十二指腸の病変」が推測されたわけである。

じつは2015年8月にも「週刊文春」が「安倍首相の『吐血』証言の衝撃」という記事を掲載したことがある。ホテルの客室で会食中に安倍首相が吐血し、今井尚哉秘書官が慌てて慶応大病院の医師を呼び出し、診察を受けたという記事を掲載したのだ。このとき安倍事務所は「週刊文春」発売の翌日に、文藝春秋に記事の撤回と訂正を求める抗議文書を送っている。

しかるに、今回はそのような抗議も打消しの言動もない。

総理と長時間にわたって面談(国会対策と後継者問題か)した麻生太郎副総理は、例によって「あなた、147日間も連続勤務したことある? ないよね。だったらわからないだろうが、それだけ長く勤務をつづければ、体調もおかしくなるということだ」などと逆質問し、菅義偉も例によって「わたしは連日お会いしているが、淡々と職務に専念をしている。まったく問題ないと思っている」と木で鼻をくくるような返答であった。

だがしかし、車列をつらねて慶応病院を訪れ、あたかも国民にアピールするような行動に出たのはなぜか?

◆なぜ秘匿しなかったのか? 政治家の病気は命取りの「常識」

ふつうなら、ひそかに官邸を脱出し、極秘に診療をうける方法もあったはずだ。たとえば国家緊急事態(戦争や内乱時)には自宅からオートバイ(タンデム)で官邸に、渋滞中の首都高を急行する「総理緊急送迎」も実行に移されるはずだ(複数回の演習済み)。その場合は、複数のダミーを走らせてテロの標的にならないようにするという。

外に向かっては自衛隊の総司令官であり、内に向かっては警察の治安出動を命令・指示しうる行政の長であればこそ、国家権力の中心軸としての警護・隠密化がもとめられるのだ。

それは通常、病気においても変わるところがないはずだ。一般に政治家は病気の噂を嫌い、かりに病気が事実であった場合も隠蔽するものである。

かつて池田隼人総理は、在職中に癌に罹患した。池田派の側近議員らが癌であることをひた隠し通した上で、任期を残して退陣する演出を行ったのである。すなわち、東京オリンピック閉会式翌日の10月25日に退陣を表明し、自民党11月9日の議員総会にて佐藤栄作を後継総裁として指名したのだ。後継総裁選びを、退陣予定の総裁の指名で行なった、戦前・戦後を通じて最初のケースであった。池田は翌1965年8月13日に死去した。享年65。

◆予定調和の禅譲劇を準備している

「今後のことは検査結果次第でしょう。何もなければ、少し休息を取って英気を養い、仕事を続けられる。一方、これ以上は体調が持たない、となれば、今月24日に在職日数が単独で歴代最長となるのを待っての退陣もある。その場合は麻生財務相が後継ということで、15日に2人が私邸で会った際に話し合ったのではないかとみられている。しかし、総裁選になれば、解散総選挙を見据えて世論の人気の高い石破元幹事長が勝つ可能性もある。安倍首相は、それだけは絶対に阻止したいのでしょうが……」(日刊ゲンダイ、8月19日)

まさに、この推測が的を得ているのではないか。

第一次政権の二の舞を踏みたくない。みじめな退陣劇だけは避けたいという、予定調和の禅譲劇を準備しているのではないだろうか。

2007年7月29日の参院選で自公過半数割れの大惨敗を喫し、党内から退陣要求が出るも、安倍総理はこれを拒否した。8月27日に内閣改造し、9月10日に臨時国会で所信表明をしたものの、代表質問の予定だった同12日に、突如として退陣を表明した。官邸の側近など事前に相談することもなく、突然の決断だったという。もうそのときは、病状の悪化で身体が動かず、政治的にも死に体だったのはいうまでもない。もう二度と、この人に政界復帰の目はないとまで言われたものだ。

◆危機管理に疲れ、いよいよ政権を投げ出す

今回、政権中枢(麻生・菅)の反応はともかく、安倍総理の側近である甘利明氏までもが、公共の電波で「強制的に休ませなければならない」と、健康不安説を助長させるようなことをわざわざ強調している。長期政権の記録を達成した以上、もう辞めたいのではないか。

新型コロナ対応で感染拡大に歯止めがきかず、経済の立て直しも成果を出せない。今年4~6月のGDPが年率マイナス27.8%(速報値)になり、戦後最悪を記録したことが発表された。いまや異次元の金融緩和や大規模な財政出動で株価を支えてきたため、安倍総理に打つ手は残されていない。景気浮揚のために一縷の望みをかけてきた東京五輪は、中止になる可能性が高い。もはや投げ出したい、それが安倍総理の真意なのかもしれない。


◎[参考動画]麻生大臣「健康管理も仕事」診察受けた安倍総理に(ANN 2020/08/18)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

月刊『紙の爆弾』2020年9月号【特集】 新型コロナ 安倍「無策」の理由

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