◆43年ぶりに蘇った記憶

『ジェーン・ピットマン/ある黒人の生涯』……。

何十年も前に見たテレビ番組のタイトルを突然、思い出した。中学か高校のころNHKで見た記憶があるが、いつだったろう。そのタイトルとラストシーンの衝撃をいまだに忘れない。 

気になってインターネットで調べてみると、1974年にアメリカで制作されたテレビ映画だった。NHKの記録を確認すると、1977年8月30日(土)20時(再)と表示されている。再放送なのだが、おそらく私が観たのは、この日だったろう。

◎[参考動画]Jena Louisiana

 
それにしても、40年以上も前に1回だけ観たテレビ番組のタイトルや、ラストシーンを鮮明に覚えているのは不思議だ。当時高校2年生だった私は、それほど強烈に感情を動かされたのに違いない。

1962年当時、110歳だった黒人女性がインタビューを受け回想するという構成だ。黒人の苦難の歴史と同時代に生きた個人史が交錯するような演出だったと思うのだが、さすがにテレビで一度きり観ただけなのでほとんど覚えていない。ただひとつ鮮明に覚えているのは、ラストシーンである。 

当時のアメリカは、バスなどの交通機関には白人専用席があったし、公共の場所の水飲み場も白人専用のものがあった。黒人が白人専用の水を飲む運動がおこり逮捕者も死者も出るほど緊迫していた。日本の公園にもよくある、石かコンクリートの土台の上についているミニ噴水型の水飲み場である。

ラストで主人公のジェーンは、焦点となっていた屋外の水飲み場(裁判所の庭)に水を飲みに行く。

黒人の知人たちが、裁判所敷地と路面の境界あたりでとどまり、ジェーンを見送る。彼女はひとり、杖を突きながら、ヨロヨロ、ふらふらと一歩、また一歩と水飲み場に近づいていく。

建物前では白人たちが大勢その姿を見守り、銃を手にした警察官のような人もいる。

建物の入り口に近い場所にあるWhite Onlyと書かれた水飲み場にたどり着くと、じっと見ている白人を一瞥して、ジェーンはそっと口を近づけて一口水を飲む。

そして踵を返し、来た時と同じように杖をつきながらヨロヨロとゆっくりと去っていく……。
 
いま思い出しても心を揺り動かされる場面だが、43年もの間、頭の中から完全に消え去っていた。ところが、一気に記憶がよみがえる「事件」が起きたのだ。

◆白人専用の「鹿児島県政記者クラブ(清潮会)」

その事件は、7月28日に起きた。

『カメラを止めるな! 7月28日(前編)』(塩田康一鹿児島県知事の就任記者会見をめぐる県政記者クラブ「青潮会」とフリーランスとの戦いをスマホのカメラで撮り続けたドキュメンタリー)


◎[参考動画]カメラを止めるな! 7月28日(前編)

1時間56分ころから、早回しで20~30分が見どころだ。

編集なしの生々しい動画は、記者クラブはジャーナリスト集団というよりも、権力機構・統治機構の一部であることを示している。

この動画を見た私は、日本特有の「記者クラブ制度」が、日本社会を相当ゆがめているとの思いを新たにした。

中央官庁や地方自治体の庁舎や機関には、記者クラブというものがある。新聞社や放送局の記者たちがつくった任意団体であり法人格のある団体ではない。

その記者クラブが、一等地の建物に広いオフィスを無償で開設し、行政からの情報を独占的に得て、権力者が望む内容を報道するのがメインになっている。かつては電話代やファックス代その他もただ(つまり税金使用)だった。

クラブ付きの職員もいるが、それは各クラブが所属する行政の職員であり公務員である。まったく法的根拠のない構成員がちがつくった「内規」により記者クラブは運営されている。このような記者クラブにより”大本営発表”がいま現在も続いているのだ。

法的根拠なく白人(記者クラブ)が牛耳る記者会見からは、有色人種(一般人、SNS等で報道する人、フリーランス)を排除している。言ってみればアパルトヘイト(人種隔離政策)だから、私は『ジェーン・ピットマン/ある黒人の生涯』を思い起こした。

鹿児島県政記者クラブ(清潮会)への参加と質問権を求めてきた中心人物が、フリーランスの有村眞由美氏である。福島原発事故後から、鹿児島県知事の記者会見参加を記者クラブに申請しはじめ、足掛け10年にもわたり記者クラブに働きかけてきた。

そのかいあって、途中で記者会見出席は許されるようになった。

◆源泉徴収票を提出すれば白人専用の水道で水を飲んでもいいetc

とはいっても「オブザーバー参加で質問は禁止」ということであった。そのほか清潮会(鹿児島県政記者クラブ)が規約なるものを作成し、記者会見参加を望む外部の人間に内規を強要してきた。
 
一つ条件をクリアすれば、次の課題を設定する、というやり方である。

・源泉徴収票を提出すれば水飲み場を使える(会見室に入室できる)。
・提出しても源泉徴収票に印鑑がなければ水飲み場使用はできない(普通、源泉徴収票には印鑑はない)
・水道の蛇口をひねって水を出すのは許可するが、飲んではいけない(会見室に入場はできるが質問は禁止)。

なお、今回の記者会見前日、質問可能と記者クラブは連絡してきたが、様々な条件が課せられているという。
 
このような10年間を経て、今年7月の鹿児島県知事選で当選した塩田康一知事の就任記者会見に参加しようと有村氏は鹿児島にとび、冒頭のように会見室前の人間バリケードによって入室を阻まれたのだ。

ジェーン・ピットマンは最後に一口水を飲むことができたが、有森眞由美はまだ渇きをいやせていない。

ちなみに、7月28日は、記者クラブのオープン化ないし廃止を求めるジャーナリスト3人(畠山理仁・寺澤有・三宅勝久)が有村氏に同行した。

◆記者クラブは災害級の被害
 
記者クラブをめぐる新聞社やテレビ局社員とフリーランスの攻防とアメリカの人種差別を描いたテレビ映画を比較するのは、強引だと思う人もいるであろう。

確かに、奴隷として人権を奪われ、解放後も恒常的な暴力・差別・弾圧にさらされている黒人の状況とは違う。記者クラブをめぐって、非クラブ員がリンチで殺されてもいない。

だが、属性の違いによって一部の人たちが権力を握り利益を独占し、それ以外の人々を排除するシステムは共通する。いや、むしろアパルトヘイト(隔離政策)が記者クラブ制度の根幹にあると認識しない限り、問題は解決しない。

今年5月25日、全米どころか全世界を揺り動かした、警察官によるるジャージ・フロイト虐殺事件が起きたときでさへ、私は古いテレビ映画のことをまったく思い出さず、「7・28鹿児島県政記者クラブ人間バリケード事件」を動画で目の当たりにしたとき、43年ぶりに記憶が蘇った。それを素直に文章に書き留めているだけである。

記者クラブは災害レベルであり、日本ピープルにとって「禍」である事実を今こそ認識すべきではないか。

政治・経済・社会など各分野の問題を追及することはもちろん大切だが、様々な問題を伝える土台(報道)が土砂崩れを起こし、災害が起きていることを認識するほうが先決かもしれない。

そこで、10年にわたり記者クラブとの攻防を続けているフリーランスの有森眞由美氏に依頼し、下記の講演会を開催することにした。

7月28日、鹿児島県知事の就任記者会見参加をこばまれた有村眞由美氏(ジャーナリスト寺澤有氏のYouTubeより)

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■講演情報
『記者クラブ禍』~記者クラブとフリーランスの10年戦争
講師:有村眞由美氏(フリーランス)

日時:2020年8月22日(土)
13:30開場 14:00開始 16:30終了
場所:文京アカデミー「学習室」(文京シビックセンター地下1階)
東京都文京区春日1丁目16番21号
https://www.city.bunkyo.lg.jp/shisetsu/civiccenter/civic.html
交通:東京メトロ 丸の内線・南北線 後楽園駅 徒歩1分
   都営地下鉄 三田線・大江戸線 春日駅 徒歩1分
   JR総武線 水道橋駅(東口) 徒歩10分
資料代:500円

【申し込み】30名限定
氏名と「8月22日参加」と書いて下記のメールアドレスに送信してください。
kusanomi@notnet.jp
【参加にあたってのお願い】
◎受付で氏名と連絡先を確認してください。
◎会場入りするときは手洗いをお願いします。(消毒ジェルも用意します)
◎参加者はマスク使用をお願いします。
◎発熱している方や体調の悪い方は、今回は参加をご遠慮ください。

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▼林 克明(はやし・まさあき)
 
ジャーナリスト。チェチェン戦争のルポ『カフカスの小さな国』で第3回小学館ノンフィクション賞優秀賞、『ジャーナリストの誕生』で第9回週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞。最近は労働問題、国賠訴訟、新党結成の動きなどを取材している。『秘密保護法 社会はどう変わるのか』(共著、集英社新書)、『ブラック大学早稲田』(同時代社)、『トヨタの闇』(共著、ちくま文庫)、写真集『チェチェン 屈せざる人々』(岩波書店)、『不当逮捕─築地警察交通取締りの罠」(同時代社)ほか。林克明twitter

月刊『紙の爆弾』2020年9月号【特集】新型コロナ 安倍「無策」の理由

◎目次概要◎https://www.kaminobakudan.com/

内輪話で恐縮であるが、本「デジタル鹿砦社通信」が新体制で再始動して、8月18日で丸6周年を迎えた。わたしも6年前の新体制発足以来、拙い文章を綴らせていただいてきた。

思い返せば、新体制発足当時は月に20本ほど寄稿させていただくことも珍しくなかった。わたしの決して「中立」でも「公平」でもない私見を、こんなに許容してくださる媒体は、ほかにないだろう。その意味で6周年を迎えたいま、わたしの狼藉を許容してくださった鹿砦社の松岡社長、編集長、そして嫌々ながらお付き合いいただけた読者の皆さんにあらためて御礼を申し上げる。ありがとうございました。

私的な理由で、3月以来仕事からほぼ離れている。時に読み返すと、赤面の至りで、できることであれば今からでも削除していただきたい、ザル原稿の山である。ただ折に触れ「このままの世界(日本)は続かない」という体感を基本に何度も書いてきた「東京五輪の破綻」は現実のものとなったし「2030年日本はこのままの姿ではないだろう」との予想は、ほぼ的中が確実になった。

この6年間日本はロクでもない方向に暴走してきた。安倍への批判がようやく形を成してきたようにも思えるが、遅すぎたと思う。コロナ後の世界をはやくも論じる書籍が多数出版されているようだが、著者の名前を見ると正直興味を惹かれない。思索が浅いに違ない連中ばかりだ。

これから、明確であるのは「社会的なあらゆる側面が不安定・不確定な時代に突入した」ということぐらいではないだろうか。

6年間ご迷惑をかけてきたわたしは、私的理由で今しばらくお休みさせていただく。このまま消えるつもりはないが、しばしお暇を頂く。お世話になった読者の皆さんのご健勝をお祈りする。またお目にかかる日まで皆さんに幸多からんことを!

▼田所敏夫(たどころ としお)

兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

月刊『紙の爆弾』2020年9月号【特集】新型コロナ 安倍「無策」の理由

『NO NUKES voice』Vol.24 総力特集 原発・コロナ禍 日本の転機

一昨日(8月17日)にこの通信でお伝えしたように、松岡逮捕―鹿砦社出版弾圧を神戸地検特別刑事部らと密通し大々的に報じた朝日新聞大阪本社社会部・平賀拓哉記者(現・司法担当キャップ)の面談拒否に対して、面談に応じるよう弁護士から「通知書」を8月6日付けで同社・渡辺雅隆社長へ内容証明郵便にて送りました。8月7日に到着しています。

回答期限は1週間以内でしたが、昨日(8月18日)に簡易書留で顧問弁護士に「回答」が届きました。「回答」の日付は「8月13日」になっていますが、同じ区内で、届くのにそんなに何日もかかるわけがありませんので、実際に差し出されたのは、おそらく17日だと思われます。「回答」なるものは画像の通りです。

8月18日、簡易書留で顧問弁護士に届いた朝日新聞大阪本社からの「回答」

みなさん、いかがでしょうか? またしても責任者名がありません。弁護士から送れば、少なくともマシな回答が届くと思いましたが浅薄でした。渡辺雅隆社長宛に出していますが、本当に渡辺社長の元に届いているのでしょうか? 届いていて、この回答だったら、渡辺という人は非常識ですし、こんな小さな“蟻の一穴”からダムは決壊します。「奢れる者、久しからず」です。

平賀記者は、社会部出身の渡辺社長の子飼いの記者だということですが、それなら尚更、渡辺社長は平賀記者や「広報」担当者を、きちんと叱責し対応すべきでしょう。そうではないですか? 私の言っていることは間違っていますか?

7月30日、朝日新聞大阪本社(広報)から松岡宛に届いた発信責任者不明の非礼なメール

私はくだんの「名誉毀損」逮捕事件で有罪判決を受けましたが、まさか、そんな前科者の要求には応じられないとでも言うのでしょうか。

平賀さん、何度も言うが、私や鹿砦社は、神戸地検特別刑事部らと密通し画策した、あなたの“官製スクープ”記事で地獄に落とされた当事者中の当事者です。私はあなたに面談を求める〈権利〉がありますし、あなたは私の求めに応じる〈義務〉があります。

いくら嫌でも、こんな弁護士や私たちをコケにした「回答」はないでしょう。常々朝日新聞が公言する「人権」の薄っぺらさがわかろうというものです。

私も逮捕当時はまだ50代でしたが、今や70にもなろうという初老の男です。歳を取るごとに好々爺のように丸くなってきたと言われますが、かの事件は私にとって人生最大の事件です。すんなりと面談に応じたのなら、和気あいあいと昔話に花が咲き、それで終わったと思いますが、ここまでコケにされたら、そうもいきますまい。「老いの一徹」という言葉もあります。“奥崎謙三”にはならないまでも(笑)、「蛇蝎のごとき執拗さ」(アルゼの告訴人の一人の元執行役員)でもって、全智全能、全身全霊、総力で追及せざるをえません。

平賀さん、みずからの記事に責任を持ち面談に応じよ!

ドラマは始まったばかりです。多くの皆様方のご注視とご支援をお願いいたします。逐次ご報告いたします。

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月刊『紙の爆弾』2020年9月号【特集】新型コロナ 安倍「無策」の理由

『NO NUKES voice』Vol.24 総力特集 原発・コロナ禍 日本の転機

◆北戴河会議で何が話し合われたのか

台湾出身の評論家・黄文雄のメールマガジン「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」によれば、習近平のアジア戦略が急展開を見せるだろうと観測されている。

黄氏の分析によると、現在の香港に対する締め付けは、じつは台湾との統一に向けたものだとしている。そして香港での一連の騒動(国家安全維持法反対デモ)のなかで、中国では恒例の北戴河会議が行われたという。

この北戴河会議とは、渤海湾に面した中国河北省の保養地・北戴河に毎年7月下旬から8月上旬ごろにかけて、共産党の指導部や引退した長老らが避暑を兼ねて集まり、人事などの重要事項を非公式に話し合う会議である。毛沢東時代から開かれてきたが、会議の開催や結果は公表されない。胡錦濤・前国家主席時代の2003年にいったん中止を決めたものの、数年後には復活した。

今年はコロナウイルスの関係で開かれない見通しだったが、開かれたことに習政権の危機感が感じられる。習政権に批判的な長老が参加する会議を、あえて開いた意味は大きいとみられる。

会議の内容は言うまでもなく、米中問題や香港問題、そして2022年の共産党大会での習近平の続投問題などであろう。

黄氏の分析では、台湾との統一がこれまでの「平和統一」ではなく、武力をふくめた強硬なものに変化しつつあるという。

「5月末に行われた中国の全国人民代表大会での李克強首相の政府活動報告では、昨年までの『平和統一』を目指すという表現から、『平和』が抜けて、『統一』を目指すという表現になりました。そしてこのときの全人代で、香港への国家安全維持法制定を決定したのです」(黄氏)

習近平は2022年の共産党大会で、総書記3期目を狙っているという。マルクス・レーニン主義、毛沢東思想につづき、自分の思想・路線を「習近平路線」として個人崇拝的に打ち出し、個人独裁をもめざす習総書記にとって、いまだ足りないのは対外的な実績である。

そのための実績づくりとして、台湾併合を急ぎたい。その併合は、武力をふくめた強硬なものに変化しつつあるのだ。そのいっぽうで香港立法会議員の任期を1年延期している。いま香港で選挙を行えば、民主派による反中キャンペーンで香港が再び大混乱するという懸念からである。

台湾では今年1月の総統選挙で蔡英文が再選し、あと4年は民進党政権が続く見通しだ。しかも蔡英文は、新型コロナ対策の封じ込めに成功したため支持率が高く、これが急速に低下することも考えにくい。

そこで、習近平政権による軍事行動をふくむ強硬策が考えられると、黄氏は言う。

「台湾国防部は2018年に『中共軍事力報告書』を発表しましたが、そこでは、中国は2020年までに全面的な侵攻作戦能力の完備を目指しているという見方を示しました。そして、中国が武力侵攻する可能性があるのは『台湾による独立の宣言、台湾内部の動乱、核兵器の保有、中国との平和的統一を目指す対話の遅延、外国勢力による台湾への政治介入、外国軍の台湾駐留などが起きた際だ』と分析しています」

その「外国勢力による台湾への政治介入、外国軍の台湾駐留」が、アメリカを想定したものであることは言うを待たない。当面の中米の「戦場」は東シナ海であろう。


◎[参考動画]中国で海軍創設70周年行事 初の空母参加 北朝鮮も(ANNnews 2019年4月23日)

ここ数年の空母(遼寧ほか)をふくむ海軍の増強は、東シナ海(第一列島線)での制海権の確立、および南沙諸島の拠点化を見すえたものにほかならない。沿海海軍から、外洋艦隊(第二列島線越え)への脱皮、そして空軍力でも対台湾力関係の逆転が展望されている。

香港の民主化運動を締めつけ、返す刀で台湾の武力併合をめざす。この戦略は南沙諸島への軍港・飛行場建設などを見れば、中国の太平洋戦略はきわめて現実的なものとなってくる。

◆アメリカの動きをみれば、中国の戦略が浮き彫りになる

中国の太平洋戦略を見すえた、アメリカの動きも急ピッチである。

アメリカのアザー厚生長官が8月10日、台北市内の総統府で蔡英文(ツァイ・インウェン)総統と会談した。アザー長官は「台湾を強く支持し、友好的であるというトランプ大統領の意向を伝えにきた」と表明し、蔡総統も長官の訪台を「台米にとって大きな一歩だ」と歓迎している。

アメリカの閣僚の台湾訪問はじつに6年ぶりで、米台高官の相互訪問を促す米「台湾旅行法」成立後では初めてとなる。トランプ政権はアザー長官の訪台を1979年の国交断絶いらい、最高位の高官派遣としている。いうまでもなく、トランプ政権の「歴代アメリカ政権の中国政策の誤り」を是正するものとして、対中包囲網の一環を形成したことになる。

この15日にも空母ロナルド・レーガンとニミッツをふくむ空母打撃群が、東シナ海での演習を行なった。この空母打撃群は7月にも2度にわたり、空母以外の4隻の艦艇をともなう、本格的な水上訓練をおこなっている。

いっぽう、中国も7月1日から5日までに西沙諸島周辺で海軍演習を行なっている。このときは3つの戦区海軍(北部戦区海軍、東部戦区海軍、南部戦区海軍)から、それぞれ黄海、東シナ海、南シナ海に同時に大演習を実施させている。中でも南部戦区海軍は、南シナ海の中でも領土紛争を抱える機微な海域で演習を実施した。
中国は8月にも海南島沖の南シナ海で、東沙島奪取を想定した大規模な上陸演習を計画している。これについて、日本の防衛省防衛研究所はつぎのように分析している。

「海軍陸戦隊を主体にして南海艦隊の071ドック揚陸艦、Z8ヘリコプター、大型ホバークラフトなどを動員した本格的なものになるだろう」と。

このかん、自衛隊も公開訓練のなかで「島嶼奪還を想定した」上陸訓練や降下訓練をくり返している。アメリカ海軍との水上訓練も積み重ねてきている。この分野では、完全にシビリアンコントロールは機能していないとみるべきだろう。


◎[参考動画]USS America Conduct Flight Operations in South China Sea, F-35B Lightning II, CH-53E Super Stallion


◎[参考動画]USS Gabrielle Giffords On Patrol in the South China Sea

◆主役として巻き込まれることに、無自覚な日本政府

領土問題など政治的に緊張のある海域での演習・訓練は、そのまま軍事をふくむ外交戦略である。戦争が別の手段をもってする政治の継続(クラウゼヴィッツ)である以上、高度な政治戦の段階にあるとみるべきであろう。

とくに大統領選挙をひかえたトランプ政権において、外交上の実績づくりはそのまま得票を左右するものとなる。10年に一度は戦争をしなければならない、軍産複合体(人口3000万人)をその内部に抱えるアメリカにとって、それはトランプの単なる思いつきが契機になるわけではない。アメリカ社会そのものが戦争を必要とし、その格好の材料として中国の挑発、あるいはその第二戦線としての朝鮮半島情勢。すなわち北朝鮮の核・ミサイル武装の問題が浮上してくるのだ。

日本のシビリアンコントロールが機能していないというのは、アメリカ海軍の動きに自衛隊が自動的に巻き込まれ、いっぽうで日本政府が米中の政治的緊張とまったく別のところにいる、という意味である。あるいは無為と言い換えても良い。

アメリカの軍事的・政治的パートナーである日本は安倍政権という、からっきし危機管理に弱い反面、アメリカの言いなりになる意志薄弱な政権を抱えている。戦後75年において、わが国の事情とは関係なく戦争の危機はすぐそこにある。にもかかわらず、その戦争の危機の主役は無自覚なままなのだ。


◎[参考動画]中国建国70周年 最大規模の軍事パレード(テレ東NEWS 2019年10月1日)


◎[参考動画][中華人民共和国成立70周年] (CCTV 2019年10月1日)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

月刊『紙の爆弾』2020年9月号【特集】 新型コロナ 安倍「無策」の理由

『NO NUKES voice』Vol.24 総力特集 原発・コロナ禍 日本の転機

既報のように2005年7月12日の松岡逮捕─鹿砦社出版弾圧の“官製スクープ”記事を神戸地検特別刑事部と“密通”して書いた朝日新聞大阪本社現司法担当キャップ・平賀拓哉記者に対し3度の面談申し込みを出しましたが、なんらの真摯な回答をいただけませんでした。3度目にようやく「広報」から無署名の「弊社では、こうした面談申し込みには応じておりません」という、たった2行の無味乾燥で事務的なメールがあったのみです。

このような平賀記者の無責任な態度に対し、私方は弁護士を通して朝日大阪本社・渡辺雅隆社長宛に「通知書」を内容証明郵便にて送りました。8月6日に発送し7日に到着しています。回答期限は受け取りから1週間以内、つまり8月14日ですが、いまだ回答ありません。まあ、お盆休みが挟まったので、もう少し待つか(苦笑)。

平賀さん、みずからの記事に責任を持ってください。私たちはこの弾圧で地獄に落とされました。会社は壊滅的打撃を受けました。地獄を見た私は、そうやすやすと引き下がることはできません。平賀さんが逆の立場だったらどうでしょうか? 逃げるのならば徹底的に追いかけます。金と女は追えば追うほど逃げると言いますが、平賀さんも、追えば追うほど逃げるおつもりですか? ジャーナリストの寺澤有さんからは、「松岡さんなら当然もっと追いかけるのでしょう?」と“挑発”されましたが、やはり今や好々爺の私としても人生の一大事の記事を書かれたのですから追いかけるしかないでしょう。

◆鹿砦社の祟りか、松岡の呪いか

ところで、平賀記者が密通し鹿砦社弾圧に手を貸したりした者の多くが不思議と不祥事を起こしたり不幸な目に遭っています。「鹿砦社の祟りか、松岡の呪いか」と揶揄される所以です。簡単に挙げておきましょう。──

大坪弘道検事 当時の神戸地検特別刑事部長。その後栄転した大阪地検特捜部長時代、「厚労省郵便不正事件」証拠隠滅に連座し逮捕、有罪確定、検事失職。それまでエリートコースをひた走っていましたが、これでパアーです。現在は無職のようです。

大坪弘道逮捕を報じる朝日新聞2010年10月2日朝刊

宮本健志検事 当時の神戸地検特別刑事部主任検事。平賀記者が具体的に密通し“スクープ”情報を得たと推認される人物。その後、大坪検事同様、栄転した徳島地検次席検事時代、深夜泥酔して一般人の車を蹴り傷つけ(おそらく検挙され)事情聴取され戒告・降格処分を受けました(和解したことで懲戒免職は免れています)。当時京都地検刑事部長に異動していた大坪検事に拾われ平検事に降格され京都地検へ異動。尚、宮本検事は鹿砦社の地元・西宮市甲子園出身です(西宮市立東高校→早稲田大)。

宮本健志の不祥事を報じる徳島新聞2008年3月26日朝刊

岡田和生 アルゼ(当時)の創業者オーナー。松岡を「名誉毀損」で刑事告訴し、鹿砦社に3億円の巨額民事訴訟を提訴。その後、活動の拠点を海外に移しフィリピンカジノ建設のために政府高官に賄賂を贈ったりして逮捕。また海外生活中に、子飼いの社員、息子、後妻らによってクーデターを画策され放逐されています。

岡田和生逮捕を報じるロイター電子版2018年8月6日付け

みずからが作り育てた会社から放逐された岡田和生のインタビュー記事 『週刊ポスト』2019年3月18日号

阿南一成 当時のアルゼの雇われ社長。元警察キャリア(中国管区警察局長)→参議院議員。耐震偽装企業から不適切な献金を受け辞任に追い込まれています。彼は証人尋問に出廷し、さんざん私を詰りました。彼の存在はアルゼが警察癒着企業であることを象徴していますが、このことを甘く見ていました。阿南としては、メンツにかけて松岡逮捕─鹿砦社潰しに尽力したものと推認されます。

阿南一成アルゼ社長(左)の辞任を報じる朝日新聞2006年1月19日朝刊。この直後の1月20日、松岡が保釈された

佐野哲生 私に有罪判決を下した神戸地裁裁判長。私の判決と同じ週に、女児が死亡した明石砂浜陥没事件で国と市に無罪判決を下しましたが、控訴審で逆転し有罪が確定。同じ週(松岡7月4日、明石7月7日)に2件の重要事件の判決を下さざるをえない裁判所の情況にも問題があるでしょうが、裁判官人生の最終段階で誤判は大きいと言わざるを得ません。私の有罪判決にも疑義を感じさせる出来事です。佐野裁判長が、のちに「裁判員制度」の導入の際、メディアに登場し説明している場面を見ましたが、「お前らがいい加減な判決を下すことを、裁判員制度で誤魔化すのか!?」と冷笑せざるを得ませんでした。

7月4日松岡一審判決当日のテレビ画像。右に佐野裁判長の画像と“名言”

同じ週に同じ裁判長で2つの重要判決。右が毎日新聞2006年7月4日夕刊、左が朝日新聞7月8日朝刊

明石砂浜陥没事件の誤判を報じる朝日新聞2008年7月11日朝刊

◆松岡逮捕─鹿砦社弾圧は、意図的な魂胆を持って仕組まれた! 

こうして見てくると、松岡逮捕─鹿砦社弾圧が“立派”な人たちにより意図的な魂胆を持って仕組まれていることが判ります。再審請求をしたいぐらいです。半年余りも勾留され、(執行猶予付きとはいえ)本当に有罪にならないといけなかったのか? 大いに疑問です。なにか恣意的な策謀がなかったのか?「言葉の暴力」だって!? 裁判所は「憲法の番人」といわれますが「権力の番犬」に成り下がったと断言します。

民事でも、刑事で有罪になったこともあるのか、賠償金が倍額になりました(1審300万円→控訴審600万円)。最高裁で確定しました。踏んだり蹴ったりでした。

ところで、平賀記者が、こうした人物にどう取材し、あるいはどう密通して情報を得、記事を作成したのか、ぜひとも面談して聞きたいところです。この事件で地獄に落とされた私は、このスクープ記事を書いた平賀記者に面談する権利があるますし、平賀記者には面談に応じる義務があります。

天下の朝日の幹部記者が、零細出版社のオヤジから逃げてどうする! 平賀記者は速やかに私と面談せよ!

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月刊『紙の爆弾』2020年9月号【特集】新型コロナ 安倍「無策」の理由

『NO NUKES voice』Vol.24 総力特集 原発・コロナ禍 日本の転機

われわれは古代女帝論(5)の「元明天皇と元正天皇」で、元正女帝が女系女帝(元明女帝の娘)であることを確認してきた。皇統男系論者の多くはそれでもなお、元明天皇が天智天皇の皇女であることをもって、男系の血筋だと強弁する。女帝の実娘である元正天皇もまた、男系の血脈のなかに位置づけられるのだと。いいだろう。それでは彼らが忌み嫌う、しかしいまや定説となった王朝交代に引きつけて、皇統が女系において血脈を保ったことを明らかにしておこう。

◆応神王朝は馬とともに渡来し、大和の皇女を娶った

まず神功皇后が朝鮮半島(三韓征伐)で身ごもり、九州において誕生した応神天皇(第十五代)である。

九州で成立したとされる応神王朝は、それまで日本にいなかった馬を半島からともなって王権を樹立した。百済との国交、およびかの地からの技術者の採用、とくに鉄の精製、土木技術や養蚕、機織りを導入した。

即位に先立って、神功皇后が故仲哀天皇の腹違いの息子たち(香坂王・忍熊王)の二人を、琵琶湖に追い落として殺したのは、「朝鮮半島からの血が、皇統をかたちづくっている」で触れたとおりだ。旧王朝の後継者たちは応神の母・神功皇后の手で葬られたのだ。そもそも神功皇后とは架空の人物でありながら、皇統を左右する重大な役割を果たしている。壮大なフィクションを必要としたのだ。

この王朝交代劇には、じつは考古学的な裏付けもある。大和で銅鐸に代わって鉄器が盛んに造られた事実だ。つまり応神王朝は馬と鉄器をもった強力な軍事勢力で、大和に攻め上ったのであろう。謎の四世紀、応神王朝こそ邪馬台国の末裔で、神功皇后こそ卑弥呼だったのかもしれない。

◆婿入りする天皇

この王朝交代という史実を、万世一系を謳う「記紀」が応神帝の正統な皇位継承としているのはいうまでもない。だがそこには、苦肉の策が用いられなければならなかった。打倒した旧王朝の娘を娶ること、応神帝が皇族に婿入りすることで、大和王朝の後継者としての資格を得たとしているのだ。

すなわち、景行天皇(第十二代=崇神王朝三代目)の曾孫である仲姫命(なかつひめのみこと)を娶ることで、応神が皇位の正統性を確保したというのである。
景行天皇の没年は130年と考えられているから、270年に即位した応神帝とは140年間の時間的な距離がある。この間に三代が生きたとすると、50歳前後の子供としてギリギリ成り立つ計算だが、それは置いておこう。

仲姫命は品陀真若王(五百城入彦皇子の皇子)の娘である。五百城入彦皇子と同一人物とされる気入彦命が、応神帝の詔を奉じて、逃亡した宮室の雑使らを三河国で捕らえた功績によって御使(みつかい)連の氏姓を賜ったとされていることから、前大和王朝の内応者とみていいだろう。仲姫命の同母姉の高城入姫命、同母妹の弟姫命も応神天皇の妃として、応神帝の正統性を三重に担保したのが注目される。すなわち女系の血脈において、大和王朝の皇統は応神王朝に継承されたのである。したがって、応神の子・仁徳帝は女系男性天皇ということになる。

◆越前で育った継体天皇

もうひとり、明らかな王朝交代があったとされているのが、第二十六代継体帝である。継体帝は応神天皇の五世孫(彦人王の子)とされている(記紀)が、詳しいことはよくわからない。母の実家がある越前で育ったとされる。武烈天皇が崩御すると、大和王朝が混乱に陥り(約20年間の争乱が想定される)、そのかんに越前の勢力が畿内に進出したと考えられている。

その継体帝も、応神と同じように皇統の娘をめとっている。相手は仁賢天皇の娘で、雄略天皇の孫娘にあたる手白髪皇女(たしらかみのひめみこ)である。入り婿による皇位継承だったことは、ほかならぬ「記紀」の編者もみとめている。『古事記』には「手白髪皇女とめあわせて、天下を授かり奉り」とある。つまり、正統な皇女と結婚することで、皇位を授かったというのだ。

万世一系を謳うのもいいだろう。血筋の唯一性こそが天皇制の核心部分なのだから、史書のフィクションを信じ込むのも勝手である。だがその典拠である「記紀」において、女系天皇がすくなくとも二人、傍系をあわせれば膨大な数におよぶのだ。

※参考文献:『女性天皇論』(中野正志)ほか。

◎[カテゴリーリンク]天皇制はどこからやって来たのか

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など多数。

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鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

終戦から75年目の夏がめぐってきた。

とはいっても、本欄の読者のほとんどが、75年前を直接には知らないであろう。わたしも直接は知らない。いまや日本の国民の大半が、敗戦(終戦)の日を、直接には知らない時代なのである。

しかしながら、祖母や両親から聞かされた戦時の苦労、当時の現実を伝聞されるかぎりにおいて、次世代につなぐ責任を負っているのではないだろうか。

わたしたちは75年前のこの日、国民が頭をたれて聴いた「終戦の詔勅」を、おそらくその一節においてしか知らない。

とりわけ、以下のフレーズ

「然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所 堪ヘ難キヲ堪ヘ 忍ヒ難キヲ忍ヒ 以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス」の中から、「万世のために太平をひらかんと欲す」という結論部を「子孫のために、終戦(平和)にします」と読み取ってきたのではないだろうか。

だが、詔勅はこの部分だけではないのだ。

詔勅は広く天皇の意志を国民(臣民)に知らしめ、天皇の命令(勅)として、国民に命じるものである。そのなかに、当時の天皇と国民の関係が明瞭に見てとれるので、ここに全文を掲載してみたい。

真夏の一日、わが祖母や祖父、父母の時代に思いをはせながら、われわれの来しかたと将来を見つめなすことができれば。

と言っても、原文は以下のごとく読みにくい。書き下しのひらがな文になれたわれわれには、少々息苦しい漢文体である。原文は冒頭部だけにして、訳文を下に掲げてみました。

 * * * * * * * * * *

官報号外(1945年8月14日)

 朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ 非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ 茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ 其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
 抑々帝国臣民ノ康寧ヲ図リ万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ 皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所 曩ニ米英二国ニ宣戦セル所以モ亦 実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ 他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス

【現代語訳】

わたし深く世界の大勢と帝国の現状とにかんがみ、非常の措置を以て時局を収拾しようと思い、ここに忠良なる汝ら帝国国民に告げる。

わたしは帝国政府をして米英支ソ四国に対し、その共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告させたのである。

そもそも帝国国民の健全を図り、万邦共栄の楽しみを共にするのは、天照大神、神武天皇はじめ歴代天皇が遺された範であり、わたしの常々心掛けているところだ。先に米英二国に宣戦した理由もまた、実に帝国の自存と東亜の安定とを切に願うことから出たもので、他国の主権を否定して領土を侵すようなことは、もとよりわたしの志ではなかった。しかるに交戦すでに四年を経ており、わたしの陸海将兵の勇戦、官僚官吏の精勤、一億国民の奉公、それぞれ最善を尽くすにかかわらず、戦局は必ずしも好転せず世界の大勢もまた我に有利ではない。こればかりか、敵は新たに残虐な爆弾を使用して、多くの罪なき民を殺傷しており、惨害どこまで及ぶかは実に測り知れない事態となった。しかもなお交戦を続けるというのか。それは我が民族の滅亡をきたすのみならず、ひいては人類の文明をも破滅させるはずである。そうなってしまえば、わたしはどのようにして一億国民の子孫を保ち、皇祖・皇宗の神霊に詫びるのか。これが帝国政府をして共同宣言に応じさせるに至ったゆえんである。

わたしは帝国と共に終始東亜の解放に協力した同盟諸国に対し、遺憾の意を表せざるを得ない。帝国国民には戦陣に散り、職場に殉じ、戦災に斃れた者及びその遺族に想いを致せば、それだけで五臓を引き裂かれる。かつまた戦傷を負い、戦災を被り、家も仕事も失ってしまった者へどう手を差し伸べるかに至っては、わたしの深く心痛むところである。思慮するに、帝国が今後受けなくてならない苦難は当然のこと尋常ではない。汝ら国民の衷心も、わたしはよく理解している。しかしながら時運がこうなったからには堪えがたきを堪え忍びがたきを忍び、子々孫々のために太平をひらくことを願う。

わたしは今、国としての日本を護持することができ、忠良な汝ら国民のひたすらなる誠意に信拠し、常に汝ら国民と共にいる。もし感情の激するままみだりに事を起こし、あるいは同胞を陥れて互いに時局を乱し、ために大道を踏み誤り、世界に対し信義を失うことは、わたしが最も戒めるところである。よろしく国を挙げて一家となり皆で子孫をつなぎ、固く神州日本の不滅を信じ、担う使命は重く進む道程の遠いことを覚悟し、総力を将来の建設に傾け、道義を大切に志操堅固にして、日本の光栄なる真髄を発揚し、世界の進歩発展に後れぬよう心に期すべし。汝ら国民よ、わたしの真意をよく汲み全身全霊で受け止めよ。

裕仁 天皇御璽
昭和二十年八月十四日
   各国務大臣副署

 * * * * * * * * * *

詔勅における昭和天皇の国民に対するまなざしは、政治機関としての主権代行者(昭和天皇自身は、天皇機関説の支持者であった)として、忠良なる臣民に告げるもの(命令)である。その内容の評価は、それぞれの視点・立場でやればいいことかもしれないので、ここでの論評はひかえよう。

そしてそれを受け止めた国民が、どのように行動したのか。ここがわれわれの考えるべき点であろう。

その大半は「やっぱり負けたんだ」「軍部のウソがわかった」「明日から電気を点けて眠れる」であったり、「われわれは陛下のために、死んで詫びるべきだ」「鬼畜米英の辱めを受けるものか」との決意であったりした。

これらは父母から聴かされた話である。しかしその「感想」や「決意」も、すぐに生死にかかわることではない。しょせんは銃後のことである。

しかし最前線で終戦を迎え、どのように身を処するべきかという立場に立たされた者も少なくなかった。いや、前線の将兵の大半がそうだったのだ。

そこで二つだけ、わたしが知っている事実をここに挙げておこう。

そのひとつは、宇垣纒(うがきまとめ)海軍中将の終戦の日の特攻である。宇垣は海軍兵学校で大西瀧治郎(特攻攻撃の立案者とされる=8月16日に官舎で割腹自決)、山口多聞(ミッドウェイ海戦で空母飛龍と運命を共にする)と同期で、連合艦隊(日本海軍)の参謀長だった人である。

終戦時には第三航空艦隊司令長官の地位にあり、大分航空隊(麾下に七〇一海軍航空隊など)にいた。広島と長崎に原爆を受けたのちの8月12日に、みずから特攻作戦に参加する計画だった宇垣は、15日の朝に彗星(雷撃機)を5機準備するよう、部下の中津留達雄大尉らに命じた。

そして終戦の詔勅を聴いたあと、予定どおり出撃命令をくだす。滑走路には命令した5機を上まわる11機(全可動機)と22人の部下が待っていた。宇垣がそれを問うと、中津留大尉は「出動可能機全機で同行する。命令が変更されないなら命令違反を承知で同行する」と答えたという。結果、宇垣をふくむ18人が帰らぬ人となった。

もうひとつは、年上の友人の父親の談(志那派遣軍)で、部隊名もつまびらかではない。南京の要塞に立てこもっていたところ、終戦の詔勅を聴くことになる。玉砕を主張する古参兵がいる中、部隊長の将校は兵たちにこう言ったという。

「お前たちは生きろ。生きて家族のもとに帰れ」「わが部隊は、ここで解散する」と。

その瞬間、それまで思考停止に陥っていた兵たちは、われ先に要塞から飛び降りた。三階建てほどの建物を要塞にしていたが、そこから無事に飛び降りていたという。どこをどう逃げ、引き揚げ船に乗ったのか、あまり記憶にないと語っていたものだ。

住民が巻き込まれる、悲惨な事件も起きている。

沖縄の久米島では、有名な住民スパイ虐殺(米軍の投稿勧告状を持ってきた住民を、海軍の守備兵がスパイ容疑で、軍事裁判抜きで処刑した事件=事件は6月以降、守備隊が米軍に投降したのは9月4日)も起きた。全島が戦場となった沖縄のみならず、満蒙開拓団のソ連軍からの逃避行も惨憺たるものだった。戦争はあらゆるものを巻き込んだのである。

あるいは生死が紙一重で死んだり、あるいは生き延びたりしたのであろう。悲劇なのかどうかも、すべては今にして言えることだ。合掌。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

月刊『紙の爆弾』2020年9月号【特集】 新型コロナ 安倍「無策」の理由

『NO NUKES voice』Vol.24 総力特集 原発・コロナ禍 日本の転機

全国でも有名な未解決事件の1つとなっていた廿日市女子高生殺害事件は、2018年4月、犯人の鹿嶋学(当時35)が別件の傷害事件を起こしたのをきっかけに検挙され、発生から13年半の時を経て、ついに解決した。

そして今年3月3日、広島地裁で開かれた鹿嶋の裁判員裁判の初公判。その法廷では、鹿嶋の逮捕後に作成された被害者・北口聡美さん(享年17)の友人女性2人の供述調書が検察官によって朗読された。

◆「私の話をいつも笑って聞いてくれた」

「私は事件当時、北口聡美さんとは高校のクラスメイトでしたが、一緒に学んだ期間はたったの半年間しかありませんでした」

1人目の友人Aさんの供述はそんな言葉から始まった。

 * * * * * * * * * *

普通の女子高生だった聡美が突然殺されてしまい、殺された理由も犯人もわからず、胸にしこりを抱えたまま、13年半もの長い月日が流れてしまいましたが、ようやく犯人が捕まりました。ニュースで見た犯人はまったく知らない男で、犯人を見ると悔しく、やりきれない思いになります。

私は、聡美とは高校2年生で初めて同じクラスになりました。けれど、聡美のことはクラスメイトになる前から知っていました。私は中学生だった時、廿日市市内の塾に通っていたのですが、a中学の生徒だった聡美もその塾に通っていて、a中から通っていた生徒が少なかったので、憶えていたのです。

中学の時には、私たちは話をしたことはなかったですが、高校2年生で同じクラスになった時、縁を感じて私たちはすぐに仲良くなりました。聡美は、見た目は高校生にしては大人びた感じで、同級生の中でもおしゃれに気を使っているほうで、女性らしかったです。

けれど、聡美は大人びた外見とは裏腹に、おっとりした性格で、天然なところもあり、まじめだけど、意外と抜けていて、そんなところがとてもかわいらしかったです。

聡美は頭がよく、数学が得意で、塾に通うなど、勉強をすごく頑張っていて、私は聡美のことを尊敬していました。聡美はすごく明るい性格で、話も聞き上手で、私が話をすると、いつも笑って聞いてくれていました。

私が2年生になってからクリーニング工場でアルバイトをしていた時に、きっかけは忘れてしまいましたが、聡美を誘って一緒にアルバイトをするようになり、聡美とは週に1、2回、学校帰りに一緒にアルバイト先のクリーニング工場に行っていました。一緒にいて、楽しかったです。

聡美には、クラスメイトに親友のBさんがいました。2人はお互いのことは何でも知っていて、学校では常に一緒にいて、「2人だけの世界」って感じだったので、聡美の交友関係は「広く浅く」というよりは「狭く深く」といった関係が多かったのかな、と思います。

◆「誰かに恨まれるようなことをする子では、絶対になかった」

当時、ニュースで、聡美の事件は怨恨が理由じゃないかと流れた時、「聡美に限ってそんなことはありえない」と思っていました。誰かに恨まれるようなことをする子では、絶対になかったからです。聡美について、あること無いこと噂されていて、中には、尊厳を傷つけるような酷い噂もあって、聡美のことを知っている私たちからすれば、すぐに否定できるようなことでも、聡美のことを知らない人は噂を鵜呑みにしてしまうんだという怖さを感じました。

このことで、聡美のご家族はたくさん傷ついていたと思います。今回、犯人が捕まって、聡美に何の落ち度もなかったことが明らかになったと思うので、その点では良かったと思います。

私たちのクラスは、聡美の存在が根底にあって、ものすごく絆が深いです。聡美と同じ2年4組のクラスメイトは、聡美の命日が近づくと、集まれる人が集まって聡美の墓参りに行っています。

今回、ようやく犯人が捕まったので、クラスメイトが集まって、墓参りに行く予定です。毎年、「早く犯人が捕まればいいね」とやるせない思いで聡美に会いに行っていましたが、今年はようやく聡美にいつもと違う報告ができます。

犯人が捕まったことは良かったです。けれど、ニュースでは、通りすがりでたまたま聡美が被害に遭ったと流れていました。意味がわからない。なぜ、聡美が殺されなければならなかったのでしょう。聡美は優しい子で、頭が良かったし、将来があったのに。本当に許せない。犯人に対しては、聡美の生命を奪ったのだから、同じように生命を奪って償って欲しい。死刑を望みます。

 * * * * * * * * * *

以上、Aさんの供述だ。

◆「いまだに聡美がいない今が現実なのか、よくわからない」

供述調書を朗読されたもう1人の友人は、Aさんの供述の中にも出てきたBさんだ。

「北口聡美さんとは高校の同級生で、1年、2年と同じクラスでした。聡美は、私の一番の親友でした」

Bさんの供述は、そんな言葉から始まった。

 * * * * * * * * * *

あの日、聡美が殺されてから14年。正直、もう犯人が捕まることはないと思っていました。けれど、ようやく捕まり、聡美が導いてくれたんじゃないかと感じていました。

これから、犯人が捕まるまで私がどんな気持ちで生きてきたかをお話します。

聡美のことは、あれから14年経っても、いまだに気持ちの整理がついていません。いまだに聡美がいない今が現実なのか、よくわからなくなります。聡美の夢をよく見ますし、目を覚まし、聡美がもうこの世にいないことを突きつけられると、悲しくなるのです。

聡美は、普通の女子高生でした。いい子だけど、ものすごくいい子ってわけでもなくて、たまに悪口を言い合っていました。好きな人の話では、延々と盛り上がって話し続けました。

聡美は、まじめだったので、塾に通ったりもしていて、私も聡美と一緒に勉強したりと、お互いに高め合える、すごくいい関係でした。

何か特別なことがあるわけじゃないけど、うれしいこと、腹が立つことをいつも共有してくれて、常に味方でいてくれました。だから、聡美といることは心地よくて、私は1年生の時から聡美とずっと一緒にいました。2年のクラス替えで、聡美とまた一緒のクラスになれた時には、うれしくて思わず、叫んでしまいました。

2年生になっても、私たちはずっと一緒にいて、周りから見ると、「2人の世界」って感じだったと思います。家に帰ってからもメールばかりしていました。大切な親友だったのです。

事件が起きた日のことは、何度もフラッシュバックしてしまいます。「なんで、事件のあの日に、一緒にいなかったのかな」って後悔ばかりしています。試験が終わった後、帰ろうとする聡美をとめていれば。ニュースで犯人がたまたま聡美を見かけたと知ってからは、特にそう思います。夜に考えていたら、寝られなくなります。

聡美が殺されたことは、高校の教務室で流れていたラジオで知りました。居残り勉強をしていたら、体育館に移動するように校内放送が流れて、体育館に移動する途中に先生に呼ばれ、「何だろう?」と思って教務室に入ると、「北口聡美さんが刺されて、まもなく死亡しました」ってラジオが流れたのです。

意味がわからなくて、「さっきまで聡美は一緒にいたのに」って、頭がパニックになりました。信じられずにいた時、警察官から「聡美さん、どんな子だった?」と過去形で聞かれたことが、すごく印象に残っています。

◆「テレビ局に話したことが編集で意図とは違う報道をされ、傷ついた」

それからまだ気持ちの整理がつかず、聡美はもう帰ってこない。二度と会えない。犯人はまだ捕まらず、聡美がなぜ殺されたのかわからないままで…。ニュースでは、怨恨ではないかと流れました。けど、17歳で何を恨まれることがあったのか? 私の知らないところで恨まれたのかな? 私は聡美のこと、全然知らないんだ。でも、聡美に限って恨まれるわけがない。私は聡美にとって、いい友達だったのかな? ずっと、そんなことを考えていました。

事件解決の力になればと、テレビ局の取材に応じて話したことが編集されて、聡美には「裏の顔」があったなどと意図とは違う報道をされ、傷ついたこともありました。聡美は、かわいくて頭もいいから妬まれたのか。酷い噂話も広まっていました。今回、犯人がようやく逮捕されて、聡美には何の落ち度もなかったことがわかって、その点では安心しています。

事件が未解決の頃、聡美さんの友人Bさんは解決の力になればとテレビの取材に応じたが…(2015年6月12日放送のフジテレビ「金曜プレミアム・最強FBI緊急捜査SP日本未解決事件完全プロフ)

Bさんは、自分の話を意図とは違う内容で報道され、傷ついたという(2015年6月12日放送のフジテレビ「金曜プレミアム・最強FBI緊急捜査SP日本未解決事件完全プロファイル」より)

今回、犯人が捕まったことは良かったけれど、聡美が生き返るわけではありません。私は結婚し、1歳の子供がいます。最近、聡美が生きていたらどうなっていたかな? と考えます。聡美も結婚して子供がいたかな? 聡美はしっかりしているから子供をしっかりしつけていそうだな。子育てで色んな相談ができたかな? 私の子供をすごくかわいがってくれただろうな。もし生きていたら、聡美に会わせたかった。聡美がいないことが無性に悲しいのです。

また、昔はわからなかったけれど、子供が生まれて、親が子供を思う気持ちがわかるようになりました。1年、子育てをするだけでも、すごく沢山の思い出ができます。聡美のご両親なら、17年間もの思い出がある。大切な子供の生命を奪われた親の気持ちを想像すると、とても辛いです。

犯人は、一度も見たことがない男でした。14年間、自首もせずにのうのうと生きてきたかと思うと、腹が立ちます。叶うなら、死刑にして欲しい。けれど、そうもいかないのだろうと思っています。今の世の中は加害者ばかりが守られる世の中です。被害者のプライバシーは全然守られません。犯人はどう思って、生きてきたのでしょうか。自首もしていないのですから、反省もしていないのでしょう。

聡美の生命が奪われたのに、犯人が生きてきたことに腹が立ちます。聡美の最期は、犯人だけが見ていて、それを犯人が憶えていることにも腹が立ちます。聡美の最期を憶えたまま、14年間生きてきたのでしょう。

どうか聡美の最期を抱えたまま、死刑になって死んで欲しいと思っています。

 * * * * * * * * * *

以上、Bさんの供述だ。

Aさん、Bさん共に事件から13年半の月日が流れ、30代になっても、高校時代の聡美さんとの思い出や事件のショックを克明に記憶しており、犯人が捕まらなかった間のやり場のない憤りや、検挙された犯人・鹿嶋学への憎悪を語った部分も当事者の言葉ならではのインパクトがあった。

この2人の供述調書が朗読される間、被告人席の鹿嶋はずっとうつむいたまま表情を変えず、検察官席にいた聡美さんの父・忠さんは時折、感極まりそうになっていた。(次回につづく)

《関連過去記事カテゴリー》
 廿日市女子高生殺害事件裁判傍聴記 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=89

【廿日市女子高生殺害事件】
2004年10月5日、広島県廿日市市で両親らと暮らしいていた県立廿日市高校の2年生・北口聡美さん(当時17)が自宅で刺殺され、祖母のミチヨさん(同72)も刺されて重傷を負った事件。事件は長く未解決だったが、2018年4月、同僚に対する傷害事件の容疑で山口県警の捜査対象となっていた山口県宇部市の土木会社社員・鹿嶋学(当時35)のDNA型と指紋が現場で採取されていたものと一致すると判明。同13日、鹿嶋は殺人容疑で逮捕され、今年3月18日、広島地裁の裁判員裁判で無期懲役判決を受けた。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。原作を手がけた『マンガ「獄中面会物語」』【分冊版】第11話・筒井郷太編(画・塚原洋一/笠倉出版社)がネットショップで配信中。

最新刊!月刊『紙の爆弾』2020年9月号【特集】新型コロナ 安倍「無策」の理由

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

◆東京都医師会の尾崎治夫会長の「法的拘束力もつ休業要請」

新型コロナウイルス感染拡大の中、一般市民からも野党からも「国会を召集しろ」という声が高まっている。

もっともな要求だが、そこには落とし穴もある。

7月30日、東京都医師会の尾崎治夫会長は、法的拘束力のある補償付き休業「要請」が必要だと発表し、話題を呼んでいる。法的拘束力のある要請とは実質「命令」だ。

テレビはこの発言を好意的に取り上げ、賛同する世論もあるが、”コロナファシズム注意報”を発令したい。


◎[参考動画]都医師会 PCR検査1400カ所に「抑える最後のチャンス」(FNNプライムオンライン)

◆自民党憲法草案の緊急事態条項に悪用の恐れ

そもそも、コロナ特措法(新型インフルエンザ等対策特別措置法の一部を改正する法律)は、今年3月13日に可決し翌14日に施行されたばかり。
 
民主党政権時代に成立したインフルエンザ特措法の一部を変えたものである。具体的には、改正前の「新型インフルエンザ等」の定義の改正。法の対象に新型コロナウイルス感染症を追加した。

最大の問題点は、内閣総理大臣が必要と認めれば、緊急事態宣言することができ、権力の集中、市民の自由と人権が強く制限される危険があることだ。
 
これまでの安倍政権は、憲法を守らず、法律に違反し、国会で虚偽答弁を繰り返し、政権に忖度した役人も公文書を改ざん破棄するなどを繰り返してきた。

したがって、今度の新特措法を破ったり強引に拡大解釈してもなんの不思議もない。過去の事実を見る限り、こちらの可能性の方が高いとみなければならない。

もっとも心配なのは、憲法に緊急事態を盛り込む地ならし、ないし布石にしようと政府・自民党は目論んでいる疑いがあることだ。

2012年、自民党は憲法改正憲草案に「緊急事態条項」を盛り込んだ。これは緊急事態と内閣総理大臣が判断すれば、国会機能を停止し、政府が決める政令が法律と同等の効力を持つ。

行政の独裁になり、緊急事態の期間延長も可能という。その危険性ゆえにナチスの全権委任法のようだと批判がある。まさに日本を文明国から野蛮国に転落させる憲法草案といえるだろう。

新型コロナウイルスが問題になり始めた1月30日の二階派の会合で、自民党の伊吹文明元衆院議長が、「緊急事態の一つの例。憲法改正の大きな実験台と考えた方がいいかもしれない」と述べた事実は見逃せない。

人々の不安とストレスに乗じて「法的拘束力を持つ休業」を安易に取り入れた特措法の再改正をすれば、強権的抑圧体制が進むおそれがある。

これは上からの抑圧だが、もっと恐ろしいのが下からの圧力ではないか。

◆権力の弾圧と下からのファシズム──サンドイッチ規制

前述した自民党の伊吹文明氏が言う、憲法の緊急事態条項にコロナ危機を連動させる野望は、上からの民衆弾圧の思想だ。

一方、全体主義的な空気を一般人が下から煽り立てる危険も現実にある。

前回、緊急事態宣言が発出された日のテレビ朝日系『羽鳥慎一モーニングショー』を思い出す。その日のうちに緊急事態宣言発出か、という緊張した日の朝だった。

出演していたジャーナリストの青木理氏は、緊急事態宣言を出せ、政府に強力な権限を持たせよ、という空気が一般人の中にあることについて「非常によろしくない、非常によろしくない」と繰り返し警告していた。

それに対し、テレビ朝日社員のコメンテーターである玉川徹氏が、「上からでなく下から声が上がってきたのは非常にいいこと」という趣旨の発言を、青木氏のコメントに対応するかたちで繰り返した。

自粛警察、自粛ポリス、マスク警察などを見れば明らかだろう。

国家権力が直接的な強権を発動するのではなく、下から人権や私権の制限および権力の強化を求める機運が高まった時こそ、全体主義が暴走しやすい。

自由を求める少数の人々は、国家権力と民衆の間に挟まれるサンドイッチの具になる。デモ隊の左右を機動隊んが挟み込む規制を”サンドイッチ規制”と呼ぶ。それを立体的にしたようなイメージである。

国会を召集するのは当然としても、安易に「コロナ特措法」の強化に対しては、最大限の警戒を持つべきだ。

◆プラスマイナスで総合的に判断を

そうはいっても、これ以上感染が拡大したらどうするのか? 爆発的に増えたらどうするのか? という意見もあるだろう。その一方で、自由や人権が奪われ、権力が肥大化する恐れがある。

両者をプラスマイナスで考え、より深刻なマイナスを除去する方向で判断するしかないだろう。つまり、どちらがより日本社会に打撃を与えるかの判断が必要ではないだろうか。

コロナウイルスは必ず終息する(100%ではないが)が、いちど強権的システムを構築してしまえば、抑圧体制を容易に終息させることはできない。コロナ終息後も時の権力や支配者たちは、そのシステムを維持するだろう。

そうなれば、ステイホーム、Go to などの号令に従って尻尾を振る飼い犬のような生活が長期間続くことを覚悟しなければならないのだ。

▼林 克明(はやし・まさあき)
 
ジャーナリスト。チェチェン戦争のルポ『カフカスの小さな国』で第3回小学館ノンフィクション賞優秀賞、『ジャーナリストの誕生』で第9回週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞。最近は労働問題、国賠訴訟、新党結成の動きなどを取材している。『秘密保護法 社会はどう変わるのか』(共著、集英社新書)、『ブラック大学早稲田』(同時代社)、『トヨタの闇』(共著、ちくま文庫)、写真集『チェチェン 屈せざる人々』(岩波書店)、『不当逮捕─築地警察交通取締りの罠」(同時代社)ほか。林克明twitter

月刊『紙の爆弾』2020年9月号【特集】新型コロナ 安倍「無策」の理由

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2004年10月5日、広島県廿日市市の高校2年生・北口聡美さんが自宅で何者かに刺殺され、祖母のミチヨさんも刃物で刺されて重傷を負った事件は、長く未解決だった。犯人の鹿嶋学は、2018年4月にようやく検挙されたが、それまで13年半の間、どのように生きていたのか。

3月4日、広島地裁で行われた裁判員裁判第2回公判の被告人質問では、そのことも鹿嶋本人の口から詳細に明かされた。

◆事件後もレイプを扱ったAVを観ていたが、抵抗感はなかった

この事件の真相は、会社を辞めて自暴自棄になった鹿嶋が原付で東京に向かう途中、たまたま路上で見かけた北口聡美さんをレイプしようと考えて聡美さん宅に侵入し、抵抗されたために持参したナイフで刺殺した──というものだった。その後、鹿嶋は山口県宇部市の実家で暮らし、地元の土木関係の会社で逮捕されるまで13年余り働いていた。

会社の社長によると、鹿嶋はこの間、真面目な働きぶりで、信頼できる部下だったという。ただ、鹿嶋には、社長が知らない「ある趣味」があった。弁護人から「事件後もアダルトビデオは観ていましたか?」と質問され、鹿嶋はこう答えた。

「観ていました。その中には、レイプを扱った作品もありましたが、そういう作品を観ることに抵抗感はなかったです。また、そういう作品を観て、事件のことを思い出すこともありませんでした」

ここで弁護人がアダルトビデオの話を持ち出したのは、鹿嶋が犯行に及んだ要因の1つに、アダルトビデオをよく観ていたことがあったと考えられるフシがあるからだ。

というのも、鹿嶋は事件前、「会社の寮でほぼ毎日、エッチなビデオを観ていた」というほどアダルトビデオが好きだった。そして取り調べでは、「会社を辞めて自暴自棄になり、やりたいことをやろうと思い、性行為の経験がなかったので、性行為をしようと思った」と供述していた。さらにこの公判でも検察官の質問に対し、「女子高生が好みだった」「レイプに興味があった」「性行為をしたいと思った時、自分はナンパなどをする性格ではなかったので、レイプ以外の方法は思いつかなかった」などと明かしているのだ。

ただ、鹿嶋によると、事件後に再び「レイプをしたい」と思うことはなかったという。その理由については、こう説明している。

「事件の時は、自暴自棄になって罪を犯すことに抵抗感がなくなっていました。しかし、事件後は、会社に迷惑をかけたらいけないので、罪を犯そうとは思いませんでした」

鹿嶋はそう答えた後、弁護人から「罪を犯さなかったのは、会社に迷惑をかけたくなかったからだけですか」と重ねて質問され、思い出したようにこう答えた。

「いえ、もちろん、人に迷惑をかけたらいけないからというのもありました」

レイプをしたらいけないと考える理由として、普通であれば、まず「被害者となる女性」を傷つけたらいけないからだと答えるだろう。鹿嶋は正直に話しているのかもしれないが、感覚的にズレたところがあるように思えた。

◆「性行為をしてみたい」と思いつつ、風俗店にも行けず……

鹿嶋は事件後も「性行為をしてみたい」という思いは持ちつつ、性行為の経験はないままだったという。風俗店を利用したことすらなかったそうだが、その理由についてはこう説明している。

「自分は性格的にそういうところに踏み出せませんでした」

鹿嶋によると、アダルトビデオを観ること以外の当時の楽しみはオンラインゲームをすることくらい。事件のことは思い出さないようにしていたという。

「事件のことを思い出すと、自分に刺された時の聡美さんの『え、なんで?』という表情や、自分が『クソ』『クソ』と言いながら何回も聡美さんを刺したことを思い出してしまうからです。事件のことをパソコンで調べ、聡美さんが亡くなったことを知りましたが、自分から事件のことを調べたのはそれくらいです。コンビニで未解決事件の本を見かけ、『広島の女子高生』という言葉を見たことはありますが、内容はほとんど見ませんでした」

このように事件のことを考えないようにしていた鹿嶋だが、1つ不思議なことがある。聡美さんを刺したナイフを処分せず、逮捕されるまで自宅の机の引き出しでずっと保管していたことだ。その理由については、こう説明している。

「自分にとって逃げ出したい、忘れたい事件でしたが、ナイフはずっと捨てることができませんでした」

このナイフは鹿嶋が逮捕されたのち、家宅捜索により発見されている。犯人が凶器のナイフを証拠隠滅せず、13年半も自宅で保管しているなどとは、警察も思ってもみなかったことだろう。

事件が未解決の頃、捜査本部が置かれていた廿日市署

◆殺人の容疑で逮捕された時は「ほっとした」

鹿嶋がこの事件の犯人だと判明したきっかけは、2018年4月上旬、部下の従業員の「横着な態度」にカッとなり、尻などを蹴る傷害事件を起こしたことだった。山口県警がこの件で余罪捜査をしたところ、鹿嶋の指紋やDNA型が現場の北口聡美さん宅などで見つかったものと一致したのだ。そして同月13日、広島県警が殺人の容疑で鹿嶋を逮捕した。

鹿嶋は、広島県警が自分を逮捕するために自宅にやってきた時のことをこう振り返った。

「その時、自分は寝ていたので、突然のことに驚きました。ただ、ほっとした気分になりました。ずっと事件のことを引きずって生活し、前向きに生きられていなかったからです」

警察の捜査が自分に及んでこないため、自首せずに過ごしていた鹿嶋だが、元々、「殺人を起こしたのだから捕まって当然だ」と思っており、逮捕されることへの恐怖は感じていなかったという。

弁護人から聡美さんの遺族に対する思いを聞かれると、鹿嶋は「自分の身勝手な行いで、大切な家族の生命を奪ってしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいです」と言い、金銭的賠償が一切できていないことについては、「自分ができる限りのことをして払いたいと思います」と言った。

そして弁護人が最後に、「この場で言っておきたいことは?」と質問すると、鹿嶋は大きな声で叫ぶようにこう言った。

「私は、取り返しのつかないことをしてしまい……自分でも、自分は死刑がふさわしいと思っております。大変、申し訳ございませんでした!」

鹿嶋はそう言い終わると、しばらくハーハーと荒い息遣いで、感情がかなり高ぶっているようだった。(次回につづく)

《関連過去記事カテゴリー》
 廿日市女子高生殺害事件裁判傍聴記 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=89

【廿日市女子高生殺害事件】
2004年10月5日、広島県廿日市市で両親らと暮らしいていた県立廿日市高校の2年生・北口聡美さん(当時17)が自宅で刺殺され、祖母のミチヨさん(同72)も刺されて重傷を負った事件。事件は長く未解決だったが、2018年4月、同僚に対する傷害事件の容疑で山口県警の捜査対象となっていた山口県宇部市の土木会社社員・鹿嶋学(当時35)のDNA型と指紋が現場で採取されていたものと一致すると判明。同13日、鹿嶋は殺人容疑で逮捕され、今年3月18日、広島地裁の裁判員裁判で無期懲役判決を受けた。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。原作を手がけた『マンガ「獄中面会物語」』【分冊版】第9話・西口宗宏編(画・塚原洋一/笠倉出版社)が配信中。

最新刊!月刊『紙の爆弾』2020年9月号【特集】新型コロナ 安倍「無策」の理由

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

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