この連載で伝えてきた通り、廿日市女子高生殺害事件の犯人・鹿嶋学(現在37)が2004年10月、被害者の北口聡美さん(当時17)を殺害した動機は、「レイプしようとしたが、逃げられたから」というものだった。
鹿嶋は犯行前日まで、山口県萩市にあるアルミの素材メーカーの工場で働いていた。しかし、朝寝坊し、遅刻しそうになったのをきっかけに突然会社を辞めてしまう。それからアテもなく、原付で東京に向かう途中、「女子高生をレイプしよう」と思いつく。そして路上で見かけた聡美さんをターゲットに定め、聡美さん宅に侵入したが、逃げられたことに逆上し、持参していたナイフで聡美さんを何度も刺して殺害したのだ。
今年3月、広島地裁で行われた鹿嶋の裁判員裁判では、こうした真相がつまびらかになったが、謎がまだ1つ残っている。鹿嶋がなぜ、「女子高生をレイプしよう」と思いつく精神状態になったのか──ということだ。
それについては、鹿嶋の精神鑑定を手がけた医師が証人出廷し、精神医学的な見地から詳しく説明している。今回はそれを紹介したい。
◆子供の頃の記憶や父親との思い出がほとんど無い
事件が未解決の頃、警察が作成した「犯人」の似顔絵。鹿嶋は本当にこんな感じの顔だった
「犯行の前後に反社会的な性向はなく、穏やかな生活をしていた被告人が、なぜこのような凶悪な犯行をしたのか。それが理解しがたいということで、今回の精神鑑定を行いました」
3月5日、広島地裁第304号法廷。証人出廷した精神鑑定医は、まずは鑑定の趣旨をそのように説明した。そしてそれから、鑑定結果を1つ1つ説明していった。
「まず、成育歴ですが、被告人はお父さんのことを『子供の頃から嫌いだった』と言っています。父親との思い出はほとんど無いそうです」
すでにお伝えした通り、父親にとって、鹿嶋は「妻が結婚前に宿していた自分以外の男の子供」だった。妻と結婚後、自分の子供として育てたが、事実関係を見ると、父親が鹿嶋を心の底から愛しているとは認め難かった。鹿嶋が父親と血のつながりがないことを知ったのは事件後のことだが、やはり子供の頃から父親に愛されていないことを無意識のうちに気づいていたのだろう。
このように父親との関係が複雑だったためか、鹿嶋は精神医学的にも色々問題を抱えていたようだ。
「被告人は幼少期から小学校低学年までの記憶がほとんど無いのです。これは、自分に対する興味が無いことの現れです。高校の名前も漢字が難しいこともありますが、それすらも記憶が曖昧なのです」
そんな歪んだ性質だった鹿嶋は、当時から問題行動が確認されている。
「小学校から中学校にかけては、よくケンカをしていて、喧嘩の際、代本版(※)で友だちを殴り、謝りに行ったことがあるそうです。怒ったら何をするかわからないところがあり、自分でも直さないといけないと思っていたそうです」
鹿嶋は犯行時、レイプしようとした聡美さんが逃げ出したことに逆上し、聡美さんに怒りをぶつけるように何度もナイフで刺して殺害している。そのような「突如キレ、とんでもないことをする」という性質は、子供の頃から現れていたわけだ。
※「だいほんばん」と読む。図書館で本が本来置かれるべき場所に無い時に、本の現物に代わって置かれる板のこと。
◆会社を辞め、故郷を捨てることを決めた
鹿嶋は父親との関係が複雑ではあったが、父親が鹿嶋を虐待したりするようなことはなかったという。
「被告人にとって父親は、『規範を守る象徴』でした。父親の前では、きちんとしないといけない感じ、勝手に緊張するなどして、息苦しく感じていたそうです」
そんな環境で育った鹿嶋は高校を卒業すると、「父親が嫌いなので、早く宇部市の実家を離れたい」との思いから寮生活ができる萩市の会社に就職した。そして会社では、同僚たちと仲良くしていたという。
しかし、職場はブラック企業的な環境だったため、その同僚たちは1年以内に次々に会社を辞めていく。鹿嶋は話し相手がいなくなり、寂しい思いを抱えつつ、仕事でも辛い思いをしていたという。
「会社では、2カ月に1度、朝礼があり、みんなの前で業務改善案を発表しないといけませんでした。被告人は、これが苦痛だったそうです。発表に失敗すると、吊るし上げに遭い、他の人が失敗した時には、自分も失敗した人を吊るし上げなければいけなかったからです。その後、ケガをして部署を変わると、残業が増え、さらにつらい思いをしたそうです」
鹿嶋はそんなブラック企業的な職場で3年余り、忍耐強く仕事を続けていた。ところが一転、いざ会社を辞める時には、寝坊し、遅刻しそうになったというだけの理由で辞めている──。
「休み明けに寝坊し、遅刻をしそうになったことにより、仕事に行くのがどんどんいやになり、逃げ出すことしか考えられなくなったのです。そして身の回りの荷物だけを持ち、会社を飛び出してしまうのですが、それから先のことは何も考えていなかったそうです」
そんな極端な考えから会社を逃げ出した鹿島は、原付で実家のある宇部市に戻り、友人宅に一泊している。そして翌日、東京に何のアテもないのに、原付で東京に向かうことを決めるのだが、宇部市内で信号待ちをしていた際、両親が乗っていた車と遭遇している。鹿嶋はこの時、両親に声をかけられながら、無視して走り去ってしまうのだが、それはなぜだったのか。
「会社を辞めたため、『両親に合わせる顔が無い』と考え、両親を無視して逃げたのです。この時、被告人は故郷である宇部を捨てようと思い、携帯電話も捨てています。故郷を捨てることに寂しい気持ちがあったそうですが、一方で、会社から開放され、高揚感も入り混じっていたようです」
話し相手となる同僚もいないブラック企業な職場で、辛抱強く働いた3年間。この生活から解き放たれた鹿嶋は、一気に犯行へと突き進んでいく。
◆想定と違う事態に混乱し、溜まっていた鬱憤が爆発した
「被告人はレイプ願望が元々ありましたが、そういうことを実際にできる性格ではありませんでした。しかし事件を起こした時は会社を辞め、故郷を離れ、社会から外れてしまったという思いだったので、自分を止めるものが何も無い状態でした。東に向かって原付で国道2号線を進んでいると、ふと『エッチがしたい』という気持ちになり、本当に実行しようとしてしまったのです」
そんな時、鹿嶋が路上で見かけ、ターゲットに定めたのが被害者の北口聡美さんだったというわけだ。そして鹿嶋は聡美さん宅に侵入したが、聡美さんが逃げ出そうとしたために激怒し、ナイフを突き立ててしまうのだ。
「被告人はこの時、想定と違う事態に混乱し、溜まっていた鬱憤が爆発したのです」
鹿嶋はこの時、居合わせた聡美さんの祖母も刺して重傷を負わせ、聡美さんの小学生だった妹のことも追いかけ回しているが、聡美さんの妹を刺そうとしたことは「憶えていない」とのことだ。
そして犯行後、鹿嶋は1カ月ほどかけて原付で東京にたどり着くが、何か目的があったわけではない。そのため結局、東京には数日滞在しただけで「捨てた故郷」の宇部に戻っている。この時、複雑な関係にあった父親が鹿嶋のことを抱きしめているのだが──。
「被告人によると、お父さんに抱きしめられても、なんとも感じなかったそうです」
この時、父親が鹿嶋を抱きしめた真意は不明だが、お互いに相手への愛情はなかったのだろう。
鹿嶋の裁判員裁判が行われた広島地裁
◆「明日、世界が滅びる」というくらいの絶望感と開放感
事件後、鹿嶋は友人の紹介で土木会社に就職している。そして2018年4月、別件の傷害事件を起こしたのをきっかけに逮捕されるまで13年半も一般社会で暮らしていた。鹿嶋はこの間、警察に捕まることへの不安を感じていなかったという。
「捕まりたいわけではないですが、捕まりたくないとも思っていなかったそうです。事件を起こしてからはずっと事件のことは考えないようにしていたそうで、警察に捕まった時には、ホッとしたというか、肩の荷がおりた心境だったそうです」
そして鹿嶋は犯行後、精神鑑定を受けるのだが、そのための入院中は終始穏やかに過ごしていたという。感情は起伏がなく、安定しており、躁鬱もなかった。そして統合失調症などの精神障害がないことも確認されたそうだが──。
「一方で被告人は幼少期の記憶がなく、自分への関心も少ないうえ、情状的な発達は乏しかった。知能検査の結果、知能は高いことがわかりましたが、情動的な理解力は低いことも判明しました。それらのことから、広汎性発達障害ではないが、『広汎性発達障害的な偏り』があると判定しました」
では、『広汎性発達障害的な偏り』があるとは、具体的にどういう状態なのか。
「普段は社会に適応できる普通の青年なのですが、カッとなると、激しい暴力行動に出るなど、極端な面があります。情緒的な部分が乏しく、『こうあるべきだ』というものにとらわれていて、大きなストレスがかかった時に行動を制御できなくなるのです。普段は、情緒的な発達の乏しさを知的な面の高さで補い、社会に適応しているのですが、物事を段階的・デジタル的にとらえがちで、感情的・アナログ的に判断することができません」
鹿嶋はこのような事情を抱えていたため、寝坊をして遅刻しそうになっただけで会社を辞め、さらに会社を辞めたことにより、「全てを失ったような感覚」に陥ったのだという。
「たとえば、『明日、世界が滅びる』と知れば、自暴自棄になり、やりたい放題になる人もいると思います。被告人も会社を辞めた際には、それくらいの絶望感を抱いていたのです。それに加え、ずっと我慢していた会社を辞め、開放感もあった。そして自暴自棄になり、犯行に及んでしまったのです」
精神鑑定医の話は、鹿嶋がいかに犯行に及んでいったのか、心の中の流れを説明した話としては、わかりやすかった。問題の『広汎性発達障害のような偏り』がある状態になるまでには、父親との複雑な関係も影響があったのだろう。(次回につづく)
【廿日市女子高生殺害事件】
2004年10月5日、広島県廿日市市で両親らと暮らしいていた県立廿日市高校の2年生・北口聡美さん(当時17)が自宅で刺殺され、祖母のミチヨさん(同72)も刺されて重傷を負った事件。事件は長く未解決だったが、2018年4月、同僚に対する傷害事件の容疑で山口県警の捜査対象となっていた山口県宇部市の土木会社社員・鹿嶋学(当時35)のDNA型と指紋が現場で採取されていたものと一致すると判明。同13日、鹿嶋は殺人容疑で逮捕され、今年3月18日、広島地裁の裁判員裁判で無期懲役判決を受けた。
▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。原作を手がけた『マンガ「獄中面会物語」』【分冊版】第11話・筒井郷太編(画・塚原洋一/笠倉出版社)がネットショップで配信中。
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