坂本龍馬殺害犯(ほぼ解明)、邪馬台国の所在地(論争中)などとともに、日本史最大級の謎とされているのが、本能寺の変の真相である。その謎とは、明智光秀の動機(これは絶対に不明で、状況証拠として四国派遣軍指揮官からの解任が有力)および黒幕がいるのではないかというものだ。
結論からいえば、いない。絶対に黒幕はいないと断言できるのだが、それだけ言ってしまえば面白くも何ともない。そこで、黒幕説の検証を愉しんでいこう。
いや、その検証の中から、新たな疑問や謎が提起できればさいわいである。
ざっと数件の黒幕説がある。光秀と結ぶ複合犯、光秀とは無関係の複合犯など、ちょっと無理なものまでふくめると、十数件にのぼる。
まず、黒幕ではないかとされる人物たちである。
【かなり疑わしい】
徳川家康・足利義昭
【疑わしいが、本人たちにとって意味がない】
イエズス会・朝廷(公卿たち)
【疑わしいが、その実力がない】
津田宗及(堺商人)・島井宗室(博多商人)らの茶人たち
【疑わしいが、黒幕である意味がない。むしろ前面に立ちたかったのでは?】
本願寺教如・長宗我部元親・安国寺恵瓊
【誰でもいいからという説】
濃姫(帰蝶)・森蘭丸
【阿吽の呼吸はあったかも説】
秀吉と家康、光秀の共謀説
このうち、徳川家康の関与説(黒幕説)は長らく信ぴょう性をもって唱えられてきた。
◆家康黒幕説の信ぴょう性
意外史観の八切止夫が『本能寺の変 光秀ではない』、最近では明智光秀の子孫と自称する明智憲三郎が『本能寺の変431年目の真実』で評判を呼んだ。織田信長が明智光秀に徳川家康殺害を命じたものの、却って光秀と家康が協力して本能寺の変を起こした(信長を殺した)というのだ。
明智氏は史料的には、家康殺害計画の史料上の裏付けとして『本城惣右衛門覚書』の「(本能寺の変直前に、光秀配下の兵卒が信長ではなく)家康を襲うのだと思っていた」という記述を挙げている。これが唯一の文献的な根拠である。
光秀と家康の謀議の場は、安土城だったとする。信長の監視下にある安土において、光秀と家康が二人きりで密談するのは、ほとんど不可能に近いかもしれないが、その内容は興味深い。信長が家康を本能寺に呼び寄せて殺そうとしているから、光秀としては家康を討つふりをして信長を殺す。
また、明智氏の説にはないが、この密議の背景に武田攻めのさいに光秀が謀議をはかり、それを穴山梅雪が知っていると家康が持ちかけていれば面白い。まもなく信長の知るところとなるので、信長の隙を衝いて殺しましょうとなった。その結果、穴山は伊賀越えのさいに服部半蔵の配下に殺された。家康は無事に三河へ帰り、出兵の準備に取り掛かるも、形成が不利とみて出馬をとりやめる。という顛末である。これに羽柴秀吉が一枚かんでいれば、中国大返しの謎も解けるというものだ。非常に面白い。が、史料的な根拠はなにもない。
家康黒幕説は、家康の息子(信康)と本妻(築山殿)が武田氏と通じているがゆえに、信長の命令で殺されたという軍記書の逸話がもとになっている。家康が信長に恨みを抱き、その気配を感じた信長が家康暗殺を決意。本能寺に呼び寄せて殺す、という筋書きである。
しかし、信康の死(家康が死に追いやる)は父子の派閥対立という説が有力である。織田家から嫁いだ徳姫が書状で、信康と築山殿の武田氏内通を告発したというのは「三河物語」の記述で、何らかの対立を嫁姑の人間関係に置き換えたのではないか。「信長公記」の「信康の処置は、家康の思うとおりに」という記述を信用したい。
◆秀吉黒幕説は、ありえない
ついで、家康と秀吉、光秀の三人が共謀していたという説も、壮大稀有な発想で面白いと思うが、ちょっとそれはない。
羽柴秀吉を黒幕とした場合、なぜ秀吉と光秀が共同して天下を治めなかったのか。少なくとも、柴田勝家および織田信長の息子たちを共同して駆逐しないかぎり、謀反人として織田家臣団に排撃されるのは目に見えている。史実は秀吉が光秀を、信長の息子たちとともに排撃したのである。秀吉が利を得たのは、光秀との謀議ではなく、光秀の変後の不手際(味方が集まらない)を衝いたに過ぎないのだ。
◆イエズス会はそんなに凄い団体だったのか?
イエズス会黒幕説は、民間研究者の立花京子(故人)が唱えた説である。この説が魅力的なのは、大航海時代に世界の大半を支配下においたイベリア両国(スペイン・ポルトガル)の国王・フェリペ2世がイエズス会の後ろ盾であり、スペイン無敵艦隊が精強を誇っていたことだ。
そんなに強大な勢力であれば、信長が不遜にも「余を神と崇めよ」という神を畏れぬ言動をおこなったとき、神の意志で罰をあたえた。ということも考えられないではない。鉄砲も大砲も、その玉薬である硝石も、イエズス会の支配地域からもたらされているのだから、かれらの力は凄まじい。と思いがちだが、さにあらず。
スペインのピサロがインカ帝国を征服したのは、軍事力(わずか180人)ではなく感染症だったことを考えれば、それほどのものではないことがわかる。
詳しくは「インカ帝国滅亡のなぞ」(本欄2020年5月7日)を参照して欲しい。
じっさいのイエズス会は、会士が全世界で1000人ほどのグループにすぎなかったのである。当時はプロテスタントの宗教改革運動がさかんで、カトリックの側から宗教改革でこれに対抗したのが、イエズス会に代表される流れだったのだ。スペインの無敵艦隊(自称にすぎない)も、本能寺の変の数年後にはイングランド海軍に惨敗している。
それよりも、日本のイエズス会が本能寺の変の結果、どうなったかが興味深いところだ。安土城かから追い出され、琵琶湖に逃れていたところを海賊まがいの漁民に囚われ、その挙句に明智光秀麾下の兵に助けられる。しかも無礼な扱いを受けて、散々な目に遭っているのだ。そもそもイエズス会は信長に庇護されていたのであって、明智光秀には批判的であった。以下、ルイス・フロイスの「日本史」から引用する。
「信長の宮廷に十兵衛明智殿と称する人物がいた。その才略、思慮、狡猾さにより信長の寵愛を受けることとなり、主君とその恩恵を利することをわきまえていた。殿内にあって彼はよそ者であり、ほとんど全ての者から快く思われていなかったが、寵愛を保持し増大するための不思議な器用さを身に備えていた」という具合に、フロイスの光秀評は辛らつである。
「彼は裏切りや密会を好み、刑を科するに残酷で、独裁的でもあったが、己を偽装するのに抜け目がなく、戦争においては謀略を得意とし、忍耐力に富み、計略と策謀の達人であった。また築城のことに造詣が深く、優れた建築手腕の持ち主で、選り抜かれた熟練の士を使いこなしていた」
やはり光秀は、能吏ではあったようだ。
「信長は奇妙なばかりに親しく彼(光秀)を用いたが、権威と地位をいっそう誇示すべく、三河の国主(家康)と、甲斐国の主将たちのために饗宴を催すことを決め、その盛大な招宴の接待役を彼に下命した」
「これらの催し事の準備について、信長はある密室において明智と語っていたが、人々が語るところによれば、彼の好みに合わぬ案件で、明智が言葉を返すと、信長は立ち上がり、怒りをこめ、一度か二度、明智を足蹴にしたということである。だが、それは密かになされたことであり、二人だけの間での出来事だったので、後々まで民衆の噂に残ることはなかったが、あるいはこのことから明智はなんらかの根拠を作ろうと欲したのかも知れぬし、あるいはその過度の利欲と野心が募りに募り、ついにはそれが天下の主になることを彼に望ませるまでになったのかも知れない。ともかく彼はそれを胸中深く秘めながら、企てた陰謀を果たす適当な時期をひたすら窺っていたのである」
このあたりに、光秀の動機らしきものが観察されて興味ぶかい。フロイスの推察が正しいとすれば、光秀は信長の専横を大義名分にしたかったのかもしれない。
つぎは、本能寺の変後のことである。
「都の住人たちは、皆この事件が終結するのを待ち望んでおり、明智が家の中に隠れている者を思いのままに殺すことができるので、その残忍な性格に鑑みて、市街を掠奪し、ついで放火を命ずるのではないかと考えていた。我々が教会で抱いていた憂慮も、それに劣らぬほど大きかった」
「というのは、そのような市の人々と同様の恐怖に加え、明智は悪魔とその偶像の大いなる友であり、我らに対してはいたって冷淡であるばかりか、悪意をさえ抱いており、デウスのことについてなんの愛情も有していないことが判明していたから、今後どのようになるかまったく見当がつかなかったからである」
「司祭たちは、信長の庇護や援助があってこそ今日の立場を得たのであるから、彼が放火を命じはしまいか、また教会の道具にはすばらしい品があるという評判から、兵士たちをして教会を襲撃させる意志がありはしまいかと、司祭たちの憂いは実に大きかった」
やがて、司祭たちの危惧は的中する。かれらは安土を逃れたあと、散々な目に遭うのだから。
そしてこれらの記述のなかにこそ、イエズス会が信長を裏切る黒幕ではないこと。光秀を「明智は悪魔とその偶像の大いなる友」つまり「仏教徒」である、と批判的に指摘していることを確認できるのだ。イエズス会は黒幕どころか、本能寺の変の犠牲者だったのである。(つづく)
▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。