◆アリバイ的な記者会向けの会見
学術会議の任命拒否をめぐり、多くの団体からの抗議文や官邸デモなど国民的批判を浴びている菅総理が急遽、記者会見(10月5日午後5時半)をひらいた。ただし一般公開の会見ではなく、いわば内輪の内閣記者会向けである。
あまりの反発に驚いたのだろう。ワイド番組などで、当事者たちから拒否の理由を問われつづけていることへの反応ともいえる。
だが、その内容は「それぞれの時代の制度の中で、法律に基づいて任命を行なっているという考え方は変わっていない」「総合的・俯瞰的活動を確保する観点から、学術会議の必要性やあり方が議論されてきた」などと、一般論に終始した。
つまり、任命拒否の理由をあきらかに出来なかったのだ。ケーキパン朝食会(10月3日)などで篭絡されている記者会が、拒否の理由を追及することはなかった。
◎[参考動画]日本学術会議“任命問題”に菅総理が言及(ANN 2020年10月5日)
◆任命権と選任権の混同からはじまった
ここまでの問題点、および議論を整理しておこう。学術会議法(7条2項)によれば、会員の任命は「学術会議の推薦に基づき、総理大臣が任命する」であるから、総理大臣は「任命しなければならない」とするものだ。つまり「任命」はできても「選任」はできないのだ。これを混同したところに、菅総理の瑕疵がある。
この任命とは「内閣総理大臣は国会の指名に基づき、天皇が任命する」「最高裁長官は内閣の指名に基づき、天皇が任命する」(憲法6条)と同様で、「任命者は拒否できない」ということなのだ。
行政官たる閣僚が内閣総理大臣に任命されたり、省庁の行政官僚が大臣に任命されるのとは、したがって明確な違いがあるのだ。この独立性の必要は後述するが、学問の自由および学術会議が成立した理由にかかわる問題なのだ。
今回の政府側の任命拒否の理由は、一般社会および官僚組織から理解しがちな誤りだともいえる。
いわく「内閣府の所轄であり、総理大臣に任命権が存在する」というものだ。さらには、学術会議の会員は「特別公務員であるから、任免は総理大臣が行なう」と、その行政的な性格を述べている(いずれも加藤官房長官)。いずれも誤りである。
◆学問の自由こそが政策に寄与しうる
さて、前回の記事(10月3日)でも明らかにしたとおり、学術会議法第3条には「学術会議は独立して……職務の実現を図る」とある。この独立性は言うまでもなく、学問の独立(憲法23条)に根ざしている。と同時に、科学および学問の戦争協力を反省することこそ、学術会議が発足する契機であったからだ。学術会議の存在意義とは、戦争の反省の上に立った「政治と学問の分離」なのである。
したがって、学術会議が政権からの独立性を強調しても、し過ぎるものではない。なぜならば、この独立性こそが、政府への諮問・提言が効果的・有効たりうる担保だからだ。政権の云うままの学識者ばかりであれば、その提言は何ら有意義な内容を持たないことになる。国政の方向性もまた、長期的な展望を欠いたものになるであろう。菅のような権力万能論者には思いもよらないことかもしれないが、政策にとって批判こそが有益なのだ。
ここに一般社会での任免権とは明確にちがう、学術会議の独立的な性格があるのだ。なかなか理解しづらいことかもしれない。
たとえば、任命(管理)責任が総理にあるのだから、任命の拒否も当然なのではないか。あるいは、税金を使っているのだから総理大臣が任免に責任を持つべきだ。という感想を抱く人もいないではないだろう。だが、そうではないのだ。
国政のうち、とりわけ科学技術や国防安保政策など、国家の方向性をめぐるきわめてセンシティブなテーマ、慎重を要する法案などについては、ひろく識者の意見を取り入れることが肝要である。国庫から10億円の予算を割いて、学術会議としての諮問機関を設置するには、その独立性こそが要件である。なぜならば、総理大臣には学術会議会員の任免の専門的な能力がない。そして多様かつ批判的な意見こそが求められるからだ。
◆菅総理の見当はずれな見解
そうであるがゆえに「学問の自由を侵すことにはならない」(加藤)。あるいは「学問の自由と学術会議の人事問題はまったく関係ない」「そうじゃないでしょうか?」(菅)という主張が、事の本質を見誤っているのは明白だ。
学問の自由とは個人のそれ(研究活動の自由)ではなく、政治権力からの自由なのである。自由勝手に学問ができれば良い、のではない。政治を批判する自由を、それが税金を使った機関であればこそ、ほかならぬ政治のために侵してはならないのだ。今回の場合はとくに、単純な個人の学問の自由ではなく、政策への批判の自由が問題にされているのだ。
特別公務員(行政官)だから、任免権が所轄の内閣総理大臣にある。という短絡こそが、今回の誤りの原因である。独立した行政機関に対する内閣総理大臣は、単なる機関(組織の歯車)にすぎない。行政官の任免に関する天皇の立場がそうであるように、総理大臣も「単なるハンコ」なのだ。選任するのでなければ「責任が取れない」と、菅は言う。そうではない。批判を受けることこそ、内閣総理大臣たる者の責任なのだ。
税金を使う以上は国民を代表すると、菅総理は云う。そう、総理はそこでは形式的な存在(個人ではなく機関)となるのだ。かつて、美濃部達吉が天皇機関説で天皇制権力の政治システムを解明し、軍部の猛反発を受けた。しかしこの行政理論はいまや、立憲君主制および民主政治の基本になじむ学説となっている。国会議員は国民が選び、政権は国会およびその決議する法律にしたがう。すべて政治家・官僚の行動は法律の縛りを受けている。今回、菅はそれを踏まえなかっただけの話なのだ。
この行政の基本原理が理解できないかぎり、菅義偉という男は恣意的に政治をもてあそび、行政を私物化する怖れがあると指摘しておこう。戦前の軍部同様、政治権力が個人に属する。国民からの負託を個人の思想や行動が体現する、と思い込んでいるからだ。
◆右派系の学術研究者の不在
学術会議会員の任命を拒否した自民党の本音は、論じる前から明らかである。右派系の研究者があまりにも少なく、その不満をほかならぬ右派系の学者たちから、政治家たちが愚痴られているからにほかならない。
TBS「ひるおび」に初登場した新藤義孝(元総務大臣)が、いみじくもその本音を吐露している(10月5日)。「いまの学術会議は、ひとにぎりの人々で占められています。会員選考の手続きも明らかではない。そういう不満を持っている学者先生がわんさかいるんです」と。
「わんさか」が誰を指すのかは不明だが、右派系の研究者が学術会議の会員になれないのは事実なのだろう。というのも、右派・保守系の研究者というのが、ほとんど学界からは無視されるか、誰もがみとめる業績のない研究者ばかりだからだ。
その例を、安保法制の議論からふり返ってみよう。いまだ記憶に新しい、2015年の6月国会の法制審議会の参考人質問である。
参考人質疑に出席したのは、自民推薦の長谷部恭男・早大教授、民主党推薦の小林節・慶大名誉教授、維新の党推薦の笹田栄司・早大教授の3人だった。当代一流の憲法学者であり、まさに学界を代表する人たちだった。
思い出してほしい。自民党などの推薦で参考人招致された憲法学者3人は、集団的自衛権を行使可能にする新たな安全保障関連法案について、いずれも「憲法違反」との見解を示したのだ。
自民党推薦の憲法学者が法案を批判するという驚くべき事態に、国民的な議論が沸き起こり、自民党は強行採決で法案を通すしかなかった。万余のデモ隊が国会を取り囲み、安倍政権は悪夢のような夜を過ごしたのである。
参考人が安保法案を憲法違反と批判したとき、菅義偉官房長官は会見で「法的安定性や論理的整合性は確保されている。まったく違憲との指摘はあたらない」と、例によって内容なし。木で鼻をくくる対応だった。
「全く違憲でないという著名な憲法学者もたくさんいる」とも述べたが、具体的に名前を示すことはできなかった。もともと自民党の「本命」であった佐藤幸治京大名誉教授は、安保法制を合憲とは思っていないことが明白で、それゆえに参考人招致を断ったと考えられている。
当時、憲法学者と肩書のある研究者で、安保法制に賛成の論陣を張ったのは、百地章(國士舘大学客員教授=当時)など、学生時代から右翼活動(生長の家学生連合)に関わっていた研究者。あるいは「新しい歴史教科書をつくる会」の会長でもある八木秀次、あるいは国防問題を専攻する小林宏晨(ドイツ基本法、防衛法学会顧問)、西修(比較憲法、防衛法学会名誉理事長)ぐらいしかいなかったのが現実だ。起草委員の田久保忠衛は外交評論家、佐瀬昌盛も国際政治学者、大原康男は宗教学者であり、そもそも憲法学の専門家ではなかった。
つまり自民党の学術会議への介入は、ないものねだりとしか言いようのない右派系研究者の不在なのである。ないしはその研究レベルが、あまりにも低いがゆえに学術会議に推薦されないからなのだ。
新型コロナ防疫で明らかになったのは、専門家会議の研究者に責任を丸投げしながら、安倍政権は政策判断が何度も遅れることで国民を災禍にさらした。危機管理の脆弱さである。そのことを総括した寡黙な独裁者菅義偉は、学者に責任を転嫁する術を体得したのだ。学術会議そのものに介入することで、研究者たちの忖度が得られると、今回のような暴挙に打って出たというべきであろう。
だが、その狙いはあまりにも低レベルな行政論理解によって、世論の集中砲火を受けることになるのだ。政権発足からわずか半月あまり、菅義偉号は浅薄な言動ゆえに座礁しかけている。
◎[参考動画]「学術会議推薦者外し問題 野党合同ヒアリング」内閣府よりヒアリング(原口一博 2020年10月2日)
▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。
7日発売!月刊『紙の爆弾』2020年11月号【特集】安倍政治という「負の遺産」他
〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』Vol.25