「大菩薩峠」を知っていますか? 古く(戦前)は中里介山の長編時代小説のタイトルで、今ではほとんど読まれていないのではないでしょうか。私たちの世代では、51年前の1969年のきょう11月5日、赤軍派が首相官邸襲撃―占拠を目指し軍事訓練のために「福ちゃん荘」に集結したところを、事前に情報を入手した警察に53名全員逮捕された事件としてつとに有名です。赤軍派内に入り込んだスパイによってリークされたともささやかれています。このあたりのことは、最新刊の『一九七〇年 端境期の時代』で高部務さんが書いていますのでご一読ください。
ここまでだったら、激動の時代・60年代後半の一エピソードにすぎないのでしょうが、その後、浩宮(徳仁親王。つまり現天皇。以下「浩宮」と記します)が皇太子時代の2002年9月12日、登山の途中に夫妻で休憩したというのです。このことは、今では消去されていますが、数年前まで「福ちゃん荘」のホームページにも掲載されていました。
普通に考えれば、こういう因縁のある事件があったことで、たとえ浩宮が提案しても、側近や宮内庁が止めるでしょう。よほど浩宮が強く押したのではないでしょうか。浩宮の意図がどこにあるのかわかりませんが、浩宮らしいエピソードです。
さらには、その後(2006年)、かの若松孝二監督は『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』で、この福ちゃん荘を使って撮影したというのです。
あまり知られていないエピソードですが、コアなマニアには知っている人もいるらしく、実際に福ちゃん荘に行って、山荘内を撮影してネットに上げています。山荘内には当時の新聞記事や若松監督のサインも額に入れて飾ってあるというのです(「福ちゃん荘に行ってきた」〔『ちくわブログ』〕。画像も同ブログから転載させていただきました)。いつか行きたいですね。
赤軍派は、この事件以降、翌年の70年には「よど号」ハイジャック事件、連合赤軍による銃撃戦とリンチ殺人事件、M作戦(銀行襲撃)、さらにはテルアビブ空港銃撃事件、「国際根拠地」論に基づくパレスチナでのPFLPとの共闘等々、本気で多くの闘争・事件を起こしていきます。他党派、あるいはノンセクト諸グループ/個々人が本気でなかったなどと言うつもりはありませんが、過激度やスケールが違います。
70年に大学入学以降、足元の学生運動に関わりながら、そうした闘争・事件を見てきました。その想いは、『一九七〇年 端境期の時代』に注ぎ込みましたが、今、60年代後半から70年代はじめにかけての新左翼運動のラジカリズムの在処を検証、総括していかねばなりません。多くの先輩や同級生らがどんどん鬼籍に入っていく中で、私たちは私たちにできる仕方で語るべきだと考えています。ここ数年の『遙かなる一九七〇年代-京都』(品切れ)、『思い出そう! 一九六八年を!!』(品切れ)、『一九六九年 混沌と狂騒の時代』、そして今回の『一九七〇年 端境の時代』へ続くシリーズは、そうした私たちの営為のあらわれです。ぜひご一読お願いいたします。
[追記]11月3日、大阪での「10・8 山﨑博昭プロジェクト」のイベント(映画&トーク)でチラシを配布させていただきましたが、かの東大全共闘代表(当時)・山本義隆さんがみえられていて、ご挨拶し本書を贈呈いたしました。このシリーズは、これまで全て贈呈しています。